ギャラリー日記

ご感想はこちらまで



9月29日

台北のフィギュアーショー「モンスター台北」に今年も中村萌が招待された。

今回も中村の「WAITING FPR YOU」と題したフィギュアーが紹介される。

毎年行列が出来るほどの人気ですぐに完売してしまうが、今年は100部限定・7000台湾ドルで発売される。

今回は彼女のための特別展も企画され、特設会場で大作がいくつか発表される。

台湾では立体作品、その中でも木彫作品を好む人が多く、舟越桂の木彫作品を毎年「アート台北」で展示している画廊もある。

「アート台北」では、そんなこともあって今回は中村以外にも木彫を中心に何人かの立体作品を持っていくことにしている。

「モンスター台北」は10月7日から10日まで開催され、9、10日には彼女のサイン会も予定されている。
こちらもAKB並みの人気で長蛇の列が出来るので、ご希望の方は早めにお越しいただきたい。




9月28日

ボケが進行してきている。

朝にお客様に電話をして、お客さんのところに明日伺うアポを取ったが、そうだ明日はゴルフの予定が入っているんだと思い、あわててお客様に今日の夕方に変更していただいた。

画廊にきて、もう少しでダブルブッキングするところだったというと、ゴルフは明後日ですよとスタッフが言う。

えっと思ってカレンダーで確認すると明後日になっている。
自分では今日が木曜日で明日が金曜と思い込んでいた。

お客様には黙っておこう。

先日も、明日は画廊は休みですねと言われ、明日はやってますよと答えたが、秋分の日でお休みだった。
言われなければ、多分画廊に行っていたと思う。

せっかくのお休みと、その秋分の日に映画を見に行ったが、帰り道で「椿さん久しぶり」と声をかけられた。
まったく見覚えのない人だったが、親しげに話しかけられたのでついどなたでしたかとも言えず、適当に相槌を打ちながら5分ほど話し込んでしまった。
日が過ぎて、いまだに誰だかわからない。

同じように、ついこの前も新宿駅の地下で見知らぬ男性に「やぁしばらく」と声をかけられ、久しぶりなのでお茶でも飲みに行こうと誘われたが、誰だか思い出さず、丁重にお断りをした。
女性だったら付いて行ったのだが。

こんなわけで、だんだん心配になってきた。

9月27日

昨日に続いて紋谷幹男氏の美術鑑賞BLOGより牧野永美子展の紹介である。

展覧会タイトルは、ーサイレントモードー。

奇想天外なクリーチャー

。 とはいえ、グロテスクなものではなく、何処かに何か懐かしさ、温かみのある生き物に、人の手足が付いています。

人の姿をした何者かの化身なのか、人はそもそも何者かの化身なのか。

造形の新奇性はもちろんですが、各パーツの作り込みは精緻を極め、その素材、製法も多様で完成度高く、工芸出身の作家のマルチプレーヤー振りに、感嘆しきりです。

このあたりのイメージ再現のための徹底力、妥協の無さに、クラフトやホビーとは異なる、アートの突き抜け感を見るようです。










9月26日

また紋谷幹男氏の美術鑑賞BLOG「画廊めぐりノート」にて岩淵華林、牧野永美子の展覧会の印象記がアップされた。

いつものごとくで適切な論評で、大変ありがたいことと感謝をしている。
今日明日と順番に紹介させていただく。

岩淵華林

ああ、こういう才能もあるのだなあと、絵画の奥深さをかみしめつつ観賞します。

若い女性や子供が、細密でクリアな描写の中で息付いています。

面相筆で1本づつ描かれたまつ毛や髪の毛。

洋服の手編みレースのような布地は、作家がシルクスクリーンで制作した素材をコラージュしています。
特に立体的に見える様な操作はなされていませんが、驚くほどしっくりと体に馴染んでいます。

持ち合わせた感性と、技量の出会いに感嘆します。

加山又造の、華麗な装飾美に加え、女性の生身の肉体の先にある、美の普遍性を求めた作品に、通じるものを感じますが、立ち上がるイメージは全く異なっています。

それは、目の前の日常の小景に潜む、人のリアルを、ストレートな生ではなく、「美しいもの」の形に置き換えて表現しようとする、作家の独自性のよるものだと思われました。










9月25日

ミーハーで「シン・ゴジラ」に続いて「君の名は」を見てきた。

興行収入が100億円を超えるというからすごい映画である。

アニメ映画を見るのは初めてだが、シンゴジラ同様におじさんたちが絶賛しているので、恥ずかしながらちょこっと見に行くことにした。

アニメの画像があまりにリアルでまずびっくり。
新宿や四谷の見慣れた風景が、全くそのままに画像になっていて、看板の文字までそっくりである。
ゴジラの特撮よりこちらの方がよりリアル感がある。

ストーリーは甘酸っぱいというよりは甘じょっぱい、心をホワットさせる青春映画である。

昔に見たすれ違いばかりの「君の名は」とは全く関係のないストーリーで、主人公の男女が入れ替わりながら、徐々に惹かれていくラブストーリーとともに、アニメならではの奇想天外な場面も取り入れ、老若男女が楽しめる映画になっていて、大ヒットも納得である。

これはおそらく海外でも大受けするに違いない。
> 千と千尋や風立ちぬなども見ていない私が言うのもおかしいが、実写の映画ではハリウッドの莫大な制作費に太刀打ちできるわけもないが、アニメならそれ以上の映画を作って、ハリウッド映画を十分凌駕することができる。

銭湯がカラになるとか、真知子巻きで一世を風靡した佐田啓二、岸恵子の「君の名は」をラジオや映画で覚えている時代の私たち世代も、題名が同じだけにアニメという手法を使った別物の「君の名は」を見て、そこはかとなく時の移ろいを感じたのでないだろうか。

シニア料金で1100円で映画が見れるのも嬉しい。
しばらくは映画鑑賞にはまりそうである。




9月24日

今日もまた雨。

連日の雨でうんざり。
台風が去っても台風一過の青空とは行かず、9月になって東京で青空が見えたのは二日しかないそうだ。

天候のせいなのか不景気のせいなのか、美術の秋にもかかわらず、画廊にに来る人もいつもに比べると心なしか少ないようだ。

自分のイメージではお彼岸の前後は晴れが多いように思うのだが、テレビではお彼岸は晴れと雨の日は半々のようで、私の記憶とはだいぶ違っている。

幼稚園や小学校では運動会のシーズンだが、延期延期で楽しみにしている子供たちも可哀想。

三年前のお彼岸の河口湖の写真が出てきたので紹介させていただく。

快晴でコスモスやススキ越しに富士山が見えたのに、今年はお盆以降は富士山が顔を出すことが殆ど無しで、観光に来た人はがっかりしているに違いない。




9月22日

シンゴジラを見てきた。

元来SFとか怪獣映画は苦手なのだが、知人友人から面白いと聞いていて、それならばと重い腰を上げた。

いざ見てみると、主演の長谷川なにがしも初めて聞く名前だし、監督の名前さえ知らない。

映画館で観るのも久し振りで、映画は海外の飛行機に乗る時に見るくらいで、すっかり映画音痴になってしまった。

以前は録画した映画が600本くらいあって、家で暇さえあれば観ていたものだが。

さてゴジラだが、私には今ひとつの感はいなめない。

それなりにスケール感はあるが、やはりアメリカ映画のスケールに及ばない。

ゴジラのリアル感はよく出来ていたように思うが、冒頭に出てくるゴジラが大きくなる前の巨大な毛虫みたいなのが陳腐過ぎて興覚め。

子供の頃に見たモスラの何ともこそばゆいチープな特撮場面が思いだされる。

あの当時の特撮技術では仕方なかっただろうが、技術が進歩した今ではもう少し何とかならなかったのだろうか。

ストーリーは直近で地震や放射能被害を目の当たりにしているだけに、現実と虚構が交錯し、それなりに面白かったが、女優の石原さとみがお粗末過ぎて,日米の交渉場面などせっかくの緊張感が台無し。

というわけで、私にはうーんというのが感想である。

興業的には大盛況のようで、私のように昔のゴジラ映画を見た中高年がノスタルジックで見に行ってるのだろうか。

一つ目についたのは首相官邸の壁に片岡球子の富士山の大作が飾られていて、これは美術で作られたものではなく本物。

どうやら東京美術倶楽部の所蔵品を貸し出したようだ。

こういうところは商売がら目に付くが、それに反して自衛隊の会議室に飾られていた造り物の絵はひどかった。

これもついでに借りればよかたのに。



9月19日

雨の中、長野県東御市の梅野記念美術館で開催されている望月通陽展のバスツアーに参加した。

初日のオープニングにも行ってきたのだが、身贔屓を差し引いても望月の温もりのある作品には何度見ても心を揺さぶられる。

先日のオープニングイベント・つのだたかしコンサートに続き、今日は望月の掛け替えのない友人でもある谷川俊太郎・賢作親子の朗読及び演奏会が開かれ、3人の軽妙洒脱なトークに相まってのコンサートに満員の会場は大いに盛り上がった。

新潮社の季刊誌・「考える人」の谷川俊太郎特集でも谷川、望月のスペシャル対談が掲載された。
対談するなら、話が面白い人でなくちゃと詩人に指名されての望月通陽の登場であった。
二人の人柄と制作に向き合う真摯でありながら飾らない姿勢には、共通するところが多く、息が合うのもむべなるかなである。

つのだたかしにしろ谷川親子にしろ才に溢れた友人に囲まれる望月は、これも彼の人徳がなせる技なのかもしれない。

イベント終了後のサイン会も長蛇の列で、帰りのバスの出発時間に間に合うかヒヤヒヤさせられたが、東京から車で三時間半もかかる人里離れた美術館によくぞこれだけの人が集まったかと3人の誘引力には感心させられる。


おそらく美術館も開闢以来のことだろう。

来年にはこれまた私どもで発表を続ける伊津野雄二の個展がこの美術館で開催されることになっていて、望月同様に心に染み入るような詩情豊かな世界が展開されることだろう。

乞うご期待である。



9月16日

岩淵華林の個展が始まる。

面相筆で描かれた墨絵とアクリル絵の具による漆黒の背景、それに加えてシルクスクリーンで刷られた紋様をコラージュして女性を描きあげている。

際立つのは髪の毛の表現で、一本一本面相で丁寧に描かれ、髪の毛の質感をリアルに表現している。

今回はさらに髪の形がカブトムシやクワガタ、星空へと展開されている。

女性像も幼児から少女、大人へと、多様な表現となり、妊婦までが描かれていて、その変容も興味深い。

10月1日までの展示となっている。

是非のご高覧をお待ち申し上げる。



9月16日

築地市場問題で東京都が揺れている。

小池新都知事はこうした根深い問題を把握していて、その刷新を目指し立候補を決断したのではないだろうか。
都議会、都議会議員、都役人の徹底的な調査、解明、改革を期待する。

それにしても石原元都知事の私は何も知らされてなかった、私は騙されたの発言には呆れた。
当時のトップであり、その決定権を持つ人間が知らない、騙されたということはなんと無能で無責任な都知事であったかを露呈していることになる。

さらには私は素人で専門家に言わされたでは何をかいわんやである。

普通は当時のトップとしてこうした自体を招いたことに責任を感じる、私を含めてどうしてそうなったかを今一度検証していただきたいというのが当たり前ではないだろうか。

トップとして物事を決定するのに素人だからでは済まされない。

我々都民の代表が猪瀬しかり、舛添しかりで、石原を含めこういう人達だったとは寂しい限りで、この怒りをどこにぶつけたらいいのだろうか。

徹底的に膿を絞り出してもらいたい。

9月15日

前橋にゆかりのあるアーティストを集め、潜在力を全国に発信する展覧会が来年の2月3日から26日まで前橋の美術館・アーツ前橋で開催される。

どういうわけか私どもの作家の金井訓志がその展覧会の実行委員長、副委員長に山本麻友香がなっていて、上毛新聞のインタビューの様子がフェースブックに掲載された。

この二人には私の古希展の折には世話役を務めていただき、そのお蔭もあってすばらしい展覧会を開くことができて、心から感謝をしている。

そのときも制作に忙しい中を時間を割いてもらったが、今回も同じように多忙の中をこうした役を引き受け、さぞかし大変なこととお察し申し上げる。

前橋ゆかりのアーティストには他にも私どもで発表をしている池田鮎美、室越健美、横田尚が参加する。

高崎ゆかりの作家も二人私どもで発表をしていて、群馬ゆかりのアーティストが私どもと縁があるようだ。

掲載日はわからないが、上毛新聞では文化欄に特集として掲載されるそうで、記事が出たら改めて紹介させていただく。


9月13日

美味しい、旨い!!!

寿司は鮮度というが、ロータリークラブの若手と銀座の熟成寿司店へ。> 魚を寝かせることで旨みを極限まで高めるという。

魚によって熟成期間は異なるが、それぞれ独自の旨みを引き出す。

勿体無いと思うくらい周りを切り捨て、旨みが詰まった中央部分だけを握る。

値段も銀座の寿司屋ではリーズナブルでまたすぐにでも行きたくなる。

お店の名前は秘密。


9月8日

今日はゴルフコンペの予定が入っていたが、昨日の天気予報が台風の影響で大雨になるとのことだったので急遽中止に。

相変わらずの雨男で、友人たちからは椿原絶好調とか行いを慎めといったメールが寄せられた。

ところがである、朝も雨は降らず、昼からも大雨のかけらもなく、夕方になっても時折雨がぱらつく程度で、予報は大外れ。

私のせいでないことは明らかになったが、私の威力に恐れをなして、早々と中止を決めてしまったことを友人たちはさぞかし悔やんでいることだろう。

この前も伊勢湾台風並みの超大型が首都圏を直撃するかもとおどろかされたが、東京はかすりもせず、その代わりに立て続けに東北・北海道に大きな被害をもたらしたことはお気の毒なことであった。

備えあれば憂いなしで、警戒するのは悪いことではないが、イベントなどでも中止にした事例もいくつかあったとすれば、予報の精度をもう少し高くすることはできないのだろうか。

地震もそうだが、予知できたためしがなく、いつもその後で地震学者がその兆候があったとかいうが、それならもっと先に言えという話になる。

昨日もドンという突き上げるような地震がありビクッとしたが、駅のスタンドの新聞の見出しにマグニチュード5.5の地震がすぐに来るようなことが大きく出ていて、この地震がそうなのかとも思ったが、それにしてはたいしたことはなくて一安心。

たいしたことない様に言うよりは大げさに言っているほうが罪はないが、あまりに続くと狼少年ではないが、またかと油断をしてしまい気がついたら後の祭りということもある。

このさじ加減が難しいところだが、まあ何もないに越したことはなく、平穏無事でいられることに感謝しなくてはいけない。

9月5日

後先になるが、土曜日にT氏コレクション展で小林健二とT氏を囲んでの懇親会が開かれた。

トークショーやシンポジウムといった類は堅苦しくなるので、気楽に作者やコレクターとともに語り合おうということで、5時から1時間半ほどを関心があって集まったコレクターやアーティストとともに有意義な時間を過ごすことができた。

小林健二とも久しぶりということもあって、何の打ち合わせもなくぶっつけ本番で私が進行役を務め、お二人に作者、コレクターそれぞれの立場からお話をしていただくことにした。

初期から中期の代表作に囲まれ、小林はまずこれだけの作品を傷むことなく持ってくれていたことに感謝し、初期作品に新たな感慨を覚えたようだ。
作品の劣化をいかに抑えることに腐心したかを思い出すように話をし、それが30年以上を超えて残っていたことに安堵し、自分の技術や技法に改めて確信を持てたのではないだろうか。

T氏には小林に惚れ込み、初期から今に至るまで蒐集し続けた思いなどを聞かせてもらい、そのオリジナリティや彼独自の独特で多様な表現、常に新しいものを精度を落とさずに出し続ける彼の才能とパワーがこのコレクションに繋がったと語った。

他に集まったコレクターやスコープ作家の桑原弘明などからも質問が飛び、彼の制作に向き合う真摯でピュアな考えに共感を覚えられ方も多かったのではないだろうか。
ちょうどいい機会なので、久し振りに小林の個展を来年の9月のこの時期に開催することを提言し、彼も快諾し、最後の展覧会だと思って頑張る旨の返事をもらい、来年に向け更なる期待が高まった。

皆様も楽しみにしていただきたい。

9月4日

長野県東御市で今日から望月通陽展が始まり、そのオープニングに合わせて、友人のリュート奏者つのだたかしのコンサートも開かれることになっていて、私も訪ねることにした。

新幹線で上田からしなの鉄道に乗り換え、田中という駅で下車してそこからタクシーで美術館に向かう。

真田丸の影響か上田行きの新幹線の切符が取れず、偶々グランシートという席が空いているので自動販売機でそれを買ったらやけに高い。

窓口に行って聞いてみると、飛行機のファーストクラスみたいなもので、空いているのも高いのも納得。
シートだけは飛行機のファーストクラス並みに豪華だが、何のサービスもなく、車内販売さえ回ってこない。
調べてみると金沢行きなど長距離だと食事が出たり、飲み物飲み放題だったりするそうだが、軽井沢や上田あたりだとそんなものはないらしい。

グリーン車も満席なのに、グランシートには私以外一人しか乗っていなくて、さもありなんと納得。

さて、美術館の展示は素晴らしく、望月ワールド全開といったところだろうか。

染色作品はもちろんのこと、ブロンズ、木彫、ガラス絵、タイル画、その他あらゆる技法、あらゆる素材の作品が美術館の空間に実に見事に展示してあった。

最初の彼の個展で、洗濯物を干すように染色作品が展示されているのを見て、作品は素晴らしいが、展示がセンスなしと言ったのを彼はずっと気にしていて、常に展示には気を配るようになった。

その成果が今回結実したように見事な展示となり、彼に120点満点と言ったら、初めて褒めてもらったと笑みを浮かべた。

何度も行き来し、彼の多才ぶりとその豊かな感性に改めて感じ入った次第だが、さらにその情感を高めたのが、つのだたかしの嫋やかで繊細なリュートの音色である。

その音色の余韻に浸りながら望月作品を鑑賞する、何と贅沢なことだろう。

ただ、その時と空間を壊したのは、いきなり指名されて挨拶に立たされた私かもしれない。
せっかくの挨拶ならば、もっと思いを込めて、彼の作品とつのだ氏の音楽を高めるような言葉を言ってあげたかったのだが、いきなりではしどろもどろ、言いたいことの十分の一もいえなかったことで、後悔しきりである。

作品と音楽、更に美術館の眼前に広がる池と田園、その後ろに続く山並みの絶景、三者相まってこの上ない至福のひとときを過ごさせてもらった。> もうひとつおまけがあって、美術館から歩いてすぐのところに日帰り温泉がある。
ここの露天風呂から、美術館で見るのと同じ景色を眺め、ゆっくり湯に浸る、極上の一日となった。

9月19日にもう一度詩人の谷川俊太郎と息子さんでピアニストの賢作氏のコンサートがあり、今度は旅行社がバスツアーを企画していて、お客様と一緒に訪ねることになっていて、再び至福の時が味わえると今から楽しみにしている。

若干席が空いているようなので、ご希望の方がいれば、画廊宛に連絡をいただき、企画した旅行社を紹介させていただく。




9月3日

武田史子展が始まった。

細密な表現はさらにその精度を増しているようで、モノクロームの世界により深みを与える。

テーマも以前の建物風景から、ここしばらくは草花や小鳥に変化してきていて、今回はさらに人物や動物が加わった。

モノクロームと書いたが、作品の中には微に手彩で彩色された作品もあり、その微妙な色合いにより細密な世界を更にリアルなものに昇華させている。

いまひとつ今回際立つのは描かれていない余白の世界がより巧みに使われていることである。
余白だけで造形されていると言っても過言ではない。

彼女の版画は彫り、腐食、刷りといったいくつものプロセスを通って出来上がっていくものだが、この精緻な世界を作り上げるのは、直接描く以上に大変な技術と労力、時間がいるわけで、その辺を汲み取りながら、改めて作品を見ていただけると、作品への関心度もより高まるのではないだろうか。

9月17日までの開催となっているので、是非のご高覧をお待ちしている。



9月1日

今日から9月。
いつものことだが、ここからが早くて、あっという間に一年が経ってしまう。

次から次へと画廊も展覧会でめまぐるしくしていて、月日が過ぎるのも気がつかずに日々に追われている。
気がついてみると、もう9月といったところだろうか。

昨日からT氏コレクション展が始まった。
画廊いっぱいの展示となったが、この作品のほとんどがT氏のお宅に飾られていたのだから驚く。

画廊の展示スペースの半分くらいの部屋にこの中の大きい作品や立体が10点ほどが整然と飾られていて、こうやって画廊でみると、実に巧みに展示されていたことがわかる。

他の作品も玄関や廊下に飾られているが、あまり窮屈には感じず、他の作家の作品とも上手く調和が取れている。
展示も趣味のうちという方だけある。

それにひきかえ、我が家はもう少し専門家なのだから上手く飾ったらいいのだが、雑然と統一も取れずに飾っていて、恥ずかしい限りである。

コレクターのお宅に伺う機会も多いが、家具や調度品などを上手く使い、センスよく飾ってあるのを見ると、我が家もそうしたいと思うのだが、なかなか思うようにはいかない。

美術品は売るほどあるのだが、それに見合う調度品がないことがそうさせるのだろう。

紺屋の白袴とはよく言ったものである。



8月30日

超大型台風が関東にやってくるとの予報が昨日からニュースで流れ、かなり心配したが、未だその気配なし。
今日の予報でも昼頃には風雨が強くなるとのことだが、晴れ間が出て風も吹かない。

それてくれたのはありがたいが、気象庁もメンツ丸潰れではないだろうか。

今日は明日から始まるT氏コレクション展の展示がある。
大作は先日すでに運び込んでいて、以前から預っている小品や立体作品を月島の倉庫に取りに行かなくてはならず、それもあって台風をかなり心配したのだが、雨風に晒されずに取りに行くことができた。

これから大作を展示することになるが、作品数も多く、どれを間引いてかが思案のしどころで、T氏はできるだけたくさん飾ってほしいようだが。

明日からの展示を楽しみにしていただきたい。

尚、土曜日に小林健二を囲んでの懇親会があるのでそちらも是非足を運んでいただきたい。

8月27日

朝からT氏コレクション展のための作品を取りにT氏宅へ伺う。

T氏は多くの作家の作品を集めているが、その中でもお気に入りが小林健二の作品で、100点を超えるだろうか。

私共での初個展以来ずっと収集していて、同じ作家をずっと追いかけるというのはまさにコレクターの真髄を極めていると言っていいだろう。

今回は大作を中心に展示することになっていて、普通の荷物車では入り切らないので、専門の美術運送屋さんを頼んで運ぶことになった。

初期から中期にかけての作品が中心になるが、こうした作品を展示するのは美術館でもなかったことである。

以前に水戸芸術館、福岡の三菱アルテアム、福井市立美術館での個展では新作がメーンの展覧会だっただけに、過去の代表作が揃う初めての展示となる。

小林本人が病気がちということもあって、しばらく私どもでの個展もしていないので、小林作品を初めて見られる方もいるかもしれない。

そのオリジナリティー溢れる作品群と作品が訴える強いメッセージを存分に堪能していただくとともに、一個人のコレクションのスケールの大きさにも注目していただきたい。

8月26日

日差しが強くて目眩がしそう。
その中を落札された方がやってくる。

暑い中を落札した大きな作品を抱えて帰っていただくのは申し訳ないが、皆さん落札できた嬉しさで暑さも厭わないようだ。

不景気が続き、美術業界も長い不況でもがき苦しんでいるが、こうしたイベントをやっていると、まだまだこの業界も捨てたものではないと勇気付けられる。

台風であったり猛暑であったりする中を作品を求めてやって来てくださるのだからありがたいことである。

今までのコレクターの方たちに混じって、ご友人や知人を連れて来てくださる方も多く、そうした人たちが熱心に作品を眺め、品定めをして入札していく。

なかなか画廊では絵を買いづらい、値段が表示されていなくて不安だ、好きな絵が見つからない、美術品は高そう、といった声をよく聞くが、このオークションではそうした心配は無用で、自分自身で誰に煩わされることなく、たくさんの作品の中から自分の好きな作品を選び、最低価格を参考に自分で値踏みをして入札するというのが、ビギナーにとっては安心だし、、楽しくもあるのだろう。

回を重ねるごとに新たなお客様との出会いは私達の楽しみの一つで、そうした方が私どもの新たなお客様になってくれるわけで、やり方一つで顧客開拓に繋がっているのではと自負している。

8月24日

台風直撃で昨日までオークションの会期を伸ばしたが、やはり例年に比べると人は少なく、落札点数も昨年に比べるとだいぶ少なくなってしまった。
ただ、出品作品の中の高額品がいくつも落札されたこともあって、金額は前年を上回ったようでホッとしている。

私は今日はPET検査というがん診断の予約日だったので、オークションの後始末はみんなに任せて、検査を受けに行ってきた。
70歳になったが、今のところどこも悪いところはなく、気になるのは年々お腹がせり出てくることだけ。
体力もまだまだある方で、夏休み中の9日間でゴルフを6回やったが、疲れは全くない。
ただスコアーは日を追って悪くなる一方だったが。

PET検査というのはブドウ糖液に微量の放射性物質を入れて注射し、CTスキャンで体をくまなく調べて早期がんを発見する検査のことである。
がん細胞が糖分を栄養として吸収することにより、がん細胞があればそこが放射性物資によって光るので、その部分を画像化することで早期発見につながるという検査方法である。

ただ完璧というわけではなく、脳腫瘍は正常でも脳がブドウ糖を摂取しているため区別が難しかったり、尿路系の腫瘍は尿が写ってしまったり、胃や食道の早期がんは部位が小さく見つけづらいという欠点がある。

肺や大腸、子宮や卵巣、悪性リンパ腫など他のがんはほぼ見つけやすいという。

私はバリウムを飲んだり、内視鏡を入れられたりが嫌で、注射を打った後は安静にして、一時間ほど経ったらスキャンに入るだけのいたって楽チンな検査方法なので、もっぱらこれに頼っている。

PETが得意としないがんになったら諦めるしかないが、今の所はなんともないので、これからも定期的にこの検査を受けるつもりでいる。

ただ以前の三分の一になったとは言え、まだ10万を超える検査費用なので、これがもう少し安くなってくれると言うことないのだが。

2週間後に結果が出るというが、それまで何も見つからないことを祈るばかりである。

8月22日

台風が関東を直撃。
いつもだと予報が出ても大体は東京はコースから外れるのだが、今回そうはいかず朝から横殴りの雨と風。
ギャラリー椿オークションの最終日とぶつかり、お客様にこんな中を来ていただくのは申し訳ないの一言で、急遽明日の午後3時間まで延期させていただくことにした。

それでもずぶ濡れでお見えいただく方もいて、ただただありがたく感謝申し上げる。

3・11東北地震の時に揺れている最中に一旦画廊から外に出ていたにもかかわらず、画廊に戻り一点を購入していったお客様を思い出す。
私たちは揺れる中道路にへたりこんでいて、戻ってこられたお客様が一点買いますよ言ってこられた時はただただびっくり。
その後電車も全て止まりどうやって帰られたかを心配したものであった。

今日こられた方はきっと掘り出し物を手にすることができるに違いない。

8月21日

9月に梅野記念美術館で開催される望月通陽展の作品を借りるためにお客様のところを訪ねる。
何年ぶりだろうか以前はよく見えていた方なのだが、ここ数年見えることがなく気になってていた方である。

以前に修理を依頼されて、そのままになっている作品もあって、多分お忘れになっていると思うが、お持ちすることにした。

この作品は対の作品があって、その作品をお持ちのもう一人のお客様にも依頼状を出してはいるが音沙汰なく、電話でも連絡を取っているのだが、呼び出し音は鳴っていても出ることがない。

この方も以前はよく見えていた方だが、何年か前に奥さまとご一緒にみえたことがあり、奥様からご主人の体調が悪くなり画廊に来れなくなってしまったが、何かご迷惑をかけしていることはないかとのことであった。
何点か買っていただいた作品で多少の残金がある旨をお伝えしたが、その後そのままになってしまった経緯がある。
作品はお渡しないまま画廊で預かっているので、こちらもこの機会にお渡しをしたいと思っているのだが。
まだご健在でおられるのかそちらがまず心配である。

できれば対で並べたいところであるがいたしかたない。

今日伺ったお客様もその作品をよく覚えていて、その時は対では買えなかったが、今なら買えたのにと残念がっておられた。

24日に私どもで持っている大きなブロンズ作品の集荷に美術館の方がくるので、それまでに連絡が取れるといいのだが。

望月さんにとってもこの二つの作品には思い入れがあるようで、お客様が許せば買い戻したいと思っている。

そのことを今日のお客様にもお話をしたが、大事にしているので持っておきたいとのことであった。
もう一点の方もなんとか連絡がついてくれるといいのだが。

8月20日

オークションが始まった。
朝から雷鳴と横なぐりの雨で出鼻をくじかれたが、昼過ぎからは沢山の方が来てくださり、500点を超える作品の品定め。

夏休み明けから天候が不順で毎日雨が降る。
休み前は雨が少なく、ダムの貯水量が減少し、利根川ダム水系のところでは取水制限が懸念されたが、どうやら解消することになりそうだ。

リオのオリンピックでの日本人選手の活躍も目覚ましい。
夜遅くから朝早くまで中継の画面を手に汗握り見ていて、かなりの睡眠不足。
メダルを取ったり逃したりで悲喜こもごもだが、世界の舞台で競技ができる事だけでも素晴らしいことである。
オリンピックに出たというだけで、周囲の人は驚き敬意を表するだろう。
それがメダルを取るというのは常人の域を超えているわけで、金であれ銀であれ、銅であれ、世界の三番に入るのだからこれは並大抵のことではない。
結果はどうあれ、吉田選手をはじめ出場した選手たちは堂々と胸を張って帰ってきて欲しい。

出場した全選手に拍手喝采を送りたい。

8月17日

夏休みを終えて今日から仕事。

画廊は既に始まっていて、8月20日からの恒例のギャラリー椿オークションの準備が進んでいる。

今回も500点近くの作品が市場価格よりはかなり低い価格で下値設定をされているので楽しみにしていただきたい。

出品リストなど詳細は画廊ホームページよりご覧いただきたい。


8月5日

夏恒例のギャラリー椿オークションが夏休み明けの8月20日から22日までの三日間開催される。

画廊は7日から14日まで夏休みをとらせていただくので、今日明日とオークションの準備に追われている。

今年も500点近くの作品が出品されるので楽しみにしていただきたい。

明日までには出品リストを発送できるようになると思うが、追加作品も多数予想されるので、画廊のホームページでチェックしていただきたい。

お問い合わせは15日以降にお願いをし、休み明けの5日間で展示をする予定でいる。

8月4日

書くのがおそくなったが、上海の佐藤温展が無事終了したようだ。

中国では初めての個展だけにどうなるか心配したが、温君が送ってくれた写真からはとてもいい展示になっていた。

結果をまだ言ってこないが、その画廊の実績からすると、それなりの売り上げはあげているはずである。

ソウルの山本麻友香展は先の古希展にもオーナーがお祝いに駆けつけてくれたが、その時の話ではほぼ完売で、残りも売れるようなことを言っていて、香港の個展が今一つだっただけにほっとしている。

続いてジャカルタのアートステージにエドウィン画廊から浅井飛人、中村萌、岩淵華林が参加する事になっている。

三人とも私どもの展覧会以外にも、前後して台湾、韓国での個展があり、その間を縫っての参加で休む間がない。

中村は私のところの個展が終わったばかりだが、その会期中に一点を仕上げるといった離れ業。

それぞれに海外の発表の機会をと叱咤激励していて、作家さんもそれに応えるかのように頑張ってくれているが、きっと心の底では飯場の親方みたいに思ってるかもしれない。

8月3日

都知事選は応援をした小池百合子の圧勝に終わった。

政党で選ぶのではなく、人で選ぶという結果となり、これからの選挙のあり方の大きな転機となるかもしれない。

立候補する人も政党のしがらみのない独自の政策を打ち出すとともにその実行力も問われることになる。

自民党都議連はそうし個の時代の流れに鈍感なのか、新都知事への対応には首を傾げる。

何と器の小さな人ばかりなのだろう

選挙が終わればノーサイド、お互いの健闘称え合うフェアープレイ精神で暖かく新都知事を迎えれば拍手喝采するのだが、この体たらくでは自分の選挙で大きく票を減らすことさえ気づいていない。

議員のなかには子供達のいじめ問題に言及する人もいるだろうに、都民の代表がこれでは何をか言わんやである。

新都知事も悪い部分を是正するのは勿論だが、野党のような揚げ足とりをせずに、小異を捨てて大同をとるといった大人の度量を見せて、できれば手を携えて都政刷新に邁進していただきたい。

8月2日

激しい雨が急に降ってきたり、地震が頻発していて不気味だが、気温は例年に比べると低くて過ごしやすい。

そんなこともあって家ではエアコンを使わず、扇風機で過ごしていて、エコに貢献、節約にこれ努めている。

ところが一年間海外に行っていて留守にしている息子の家では水道局から水漏れの疑いがありという書面がポストに入っていて、慌てて業者に来てもらった。
床をはがしたりコンクリートをはつらなくてはならず大工事になりそう。

画廊でも入り口にあるフラッグやそれを吊す金具が老朽化し、新しいフラッグを作ったり、金具を直したりで余計な出費がかさむ。

扇風機ぐらいでは何の足しにもならない。

8月1日

ロータリー仲間の設計事務所のギャラリースペースに服部千佳の作品を展示した。

昨年から会議室をリフォームしてギャラリースペースに作り変え、施主さんや業者さんにアートに親しんでもらいおうということになり、私が作品を提供することになった。

すぐにはビジネスには繋がらないだろうが、私どもの作家を知ってもらう機会になればと協力をさせていただいている。
先月までは私どもの作家ではなく、私どものロータリークラブが支援をしている障害児施設の子どもたちが描いた作品を展示した。
この中にはハッとするような作品も幾つかあり、そのうちの1点がクラブが出している機関紙の表紙を飾る事になった。


技術は未熟でも無心で描く絵には心打たれるものがあり、私どもの画廊で3年に一回やっているロータリー仲間の展示会「友美会」にもこの子どもたちの絵も並べてあげようと思っている。

会員やその家族が描いた絵や、所蔵品などを出品してもらい、相互の親睦を深めていて、特に今年度はクラブ創立60周年ということもあって、より内容のある展覧会を予定している。

7月31日

タグボート主催のアートフェスタ「Independent」に都知事選の投票を済ませてから出かける。
朝から大盛況で、200名近くのアーティストが各ブースで作品を並べている。

出品作家の中から5人を選び、1位から5位までを決めなくてはいけない。
昨年よりはレベルも上がっていて、スムーズに順位を決めることができた。

こうした新しいアーティストの発表の場を作ることはとてもいいことで、私どもで昨日まで個展をしていた井澤由花子や写真の王建揚、渡辺大祐などはここで出会った作家たちである。

一人気になる作家がいて、一度画廊に資料を持って来るように伝えたが、審査をする他の画廊さんも注目しているようで、ご縁ができるかどうか。



7月30日

いつもいつも展覧会評をブログやフェースブックに載せてくださる方に敦賀さんと紋谷さんという方がおられる。

私どもや作家にとっては感謝してもしきれないが、いつも有難く拝読させていただいたり、転載させていただいたりしている。

通り一遍な感想ではなく、的確な論評には感心させられる。
それだけ真摯な観察力と深い洞察力、そしてそれを言葉に変える表現力がなくてはなかなかできないことである。

私にわずかでもそうした作品を表現する力があれば、その作品や作家さんはさらに高いところに押し上げられるのにと、その浅学非才を嘆くばかりである。

他にも山下さん、曽根原さんの展覧会紹介ブログを興味深く読ませていただいていて、こういう方たちがアートファンの層を広げる力になっているのだろう。


それでは紋谷さんのブログから内藤亜澄展

ダイニングやリビング。
黒い壁、クラシカルな家具が置かれる室内の風景ですが、
画面での出来事は奇怪です。

画中画が掛けられ、
スケールアウトした牛が卓上に置かれ、
こちらに無頓着な金髪の子供たち。

写実的に表現されているものの、
唐突な感じで事物の輪郭があやふやになり、
溶解しています。

夢の中、白昼夢、いきなり蘇る記憶の断片。
それらは、非現実的な出来事であっても、
あたかも日常の一場面のように、
さりげなく、静かに進行しています。

作家は、一般人が無意識に垣間見て、即座に忘れてしまうような、
内面世界の不思議さを、
増幅させ、明瞭化し、さらに物語性を帯びさせています。

絵画として提示された見る者は混乱しますが、
知る術のない人々の日常や風習が、
鑑賞者の好奇心を妖しく、甘美に刺激します。
「これを見た様な気がする」という
共感を喚起させる絵画の力を感じました。


高久佳奈子個展GT2

確かに、染色という手法でなければ、
実現できない世界観があるなと思われました。

揺れ動く麻布の素材感。
大きなスケールによる空間構成。
僅かに透けることによる複雑な視覚効果。
柄のリピートと変化。

たなびく雲の事象の再現ではなく、
かつて、たなびく雲を見ながら感じたことの抽象化。
観賞者はその「感じ」の純化された状態に囲まれて、
自分なりの空気の再現へ誘われます。

白から黒へ、繊細に抑揚を付けながら描かれています。
線は力強くうねりますが、
全体は、静かでしっとりとしている印象。





7月28日

一泊二日で昨日から釜山海雲台に。
作品届け、集金、展覧会打ち合わせで慌ただしい出張。

海雲台ビーチはこれからがハイシーズンで大勢の人で賑わうが、幸いその前の平日とあって、まだ静か。
このビーチ沿いにホテルやレストラン、高層マンション、画廊が立ち並ぶ。
日本で言えば湘南の海といったところだろうが、日本のように海の家などなく、整然とパラソルが立てられ、砂浜にはゴミ一つおちていない。

行ったことはないが、カンヌやニースといったところだろうか。

地震がないということで80階以上のマンションが海を囲むようにニョキニョキ立っている。

ところが先月韓国に地震が来た。
画廊の人に聞いてみるとガラスがガタガタ揺れて、経験がないだけにかなり怖かったと言う。
下でそうだから80階などは相当揺れただろう。

また、地震がないということで、日本に比べ耐震基準も低いだろうし、地震への備えもあまりしていないに違いない。

東北地震の時も都心の高層マンションは水やガス、エレベーターが止まり、ペットボトルなどを買いに下のコンビニに買いに行っても、買い込んだペットボトルや食料を大量に抱え込んで高層階に上がるのは大変な難行苦行だったようだ。

高層階の火事も怖い。
上の方まで梯子や放水が届くのだろうか。
ヘリコプターで放水といっても、火事の熱で上昇気流が上がり、操縦もままならないのではないだろうか。

津波も日本列島が防波堤になって心配ないと聞いたことがあるが、日本海で大きな地震が起きて津波がビーチに押し寄せたら周りのビルはひとたまりもないだろう。

異常気象で何が起こるかわからない。
風光明媚で素晴らしいところだが、天災の備えも十分にしておいてほしいものだ。

朝早くからギャラリーウーの社長にふぐ鍋をご馳走になる。

釜山はふぐ料理やうなぎ料理が名物で当たり前のように朝からふぐを食べている。
お店も早くから満員で、大勢の人が鍋をつついている。

うなぎは日本のとは違い小さいうなぎで塩焼きで食べるみたいだが、こちらはまだ食べたことがなく、韓国の人にも連れて行ってもらってないので、おそらくあまり美味しくないのだろう。

昼には大急ぎで空港に向かい帰路につく。



7月26日

呉亜沙展が昨日から不忍画廊で始まった。

私どもと交互に個展を開いていると思ったが、不忍画廊が日本橋に移転する前に開いてから6年ぶりの展覧会だそうだ。
旧作と新作の対比という企画になっていて、私も楽しみにしていた展覧会である。

女子美時代、東京芸大時代のダークな色調などは私も初めて見た作品だが、今の片鱗を十分に感じさせる作品であった。

鏡からウサギが飛び出している作品は確か文化村で私が初めて彼女の作品を見たときのもので、梯子を登るウサギの作品とともに未だに鮮明に私の記憶に残っている作品で、不忍さんでまた再会することになった。

あの時はお客様に納めさせていただいた空に向かってブランコを漕ぐウサギなど彼女の立体作品に目を奪われ、いつか私どもで個展を開きたいと思ったのだが。

その後、ソウルで初めて開催されたアートフェアーの特別展・日本現代美術展は私がキュレーターを務めたが、その時彼女も30人の作家の一人に選ばれたことからお付き合いが始まり、文化村での思いが通じ私どもでも個展を開催することが決まった。

そんな思い出もあって、展示してある立体作品は是非手に入れたいと思い、予約をさせていただいた。

もちろんお客様優先だが、できれば売れずに残ってもらうことを願っている。



7月25日

井澤由花子展、中村萌展は多くの方がフェイスブックで紹介いただいているが、その中から敦賀信弥氏が井澤展で、的確に作者の心情を捉えて紹介してくださっているので転載をさせていただく。

井澤由花子「世界の眠り、みずのおと」@ギャラリー椿GT2。

はじめの絵の左上の小高い丘の上に母とその胸に抱かれて横たわる子の姿が見える。
2点目はその拡大部分で、3点目はそれがテーマの小品だ。
大きな木と草むら、そのあいだを清らかな水の流れが前方へ流れ下っているようだ。
母となる前は、木と水のみずみずしい自然を描いていた井澤が、母となり、子の成長を日々見つめて行く中で、いかに自然、なかんずく木々や水がいかに人の暮らしや成長に大切であるか、いかに人は自然に抱かれて生きているかを、身をもって日々感じているかのような作品になっている。
見たあとに優しい気持ちになれるのは、作家本人の心情と彼女の絵の賜物かもしれない。
30日まで。


7月23日

九州から東海にかけて梅雨明け宣言が出て、関東もすぐに梅雨明けと思った途端に、雨が続き、気温も低く過ごしやすい日が続いている。

井澤、中村展もちょうど一週間になるが、人気も高く大勢の人が連日詰めかける。

古希展を境に運気が上がったのか、どの展覧会も大作から売れていて、結果ほとんど完売という状況が続いている。

大きい作品は今までだと海外のお客様がほとんどだったが、ここに来て日本の方が次々に購入をしてくれていて、ありがたいことと感謝をしている。

大きい作品はどれも力作で、若い作家であれば代表作となる可能性も高いし、価格的にも小品に比べ割安なので、スペースと懐勘定が許せば是非お勧めなのだが。

多くは壁がない、置き場所がないという理由で諦める方も多いが、持っていくと意外と飾れてしまうものである。

私どもで40年来のおつきあいをさせていただいているT氏は現代美術のコレクターとしてよく知られているが、8月末にそのコレクションのメーンの一つである小林健二のコレクション展をを開催することになっている。
小林だけでも100点近くのコレクションがあるが、その中から大作を中心に展示をすることになっている。
おそらく30点くらいは展示できると思うが、その多くが大作で、それも全てお宅に飾られていたものばかりである。

さぞかし大豪邸と思う方も多いだろうが、普通の家よりはスペースはあっても、びっくりするような大きな家でもなく、天井も普通の家と変わらない高さである。

ではどうしてと思われるが、T氏は展示も楽しみの一つで、大きい作品や立体作品を実に上手に工夫して飾っている。
それでも所狭しという感じではなく整然と飾られているから見事である。

今回のコレクション展を見ていただくとそのスケールの大きさにびっくりされる方も多いと思うが、会社や美術館ではなく個人の家に飾られていることを是非知っていただきたい。

おそらく小林健二の代表作は全てT氏が所蔵していると言っても過言ではなく、スケールだけではなく、時間をかけて一人の作家を追いかけてきた軌跡を知っていただく上でも、必見の展覧会である。

7月22日

フェイスブックで私の知らな記事がシェアされていると指摘されて慌てて削除した。

エッチな記事でなかったのが幸いだったが、以前にも私どの女性の作家さんからのシェアが何度かAV関連だったことを思い出した。
これも本人は全く知らずでかなりショックだったようだ。

ツイッターやフェイスブックも情報発信には便利だが、勝手に拡散していく怖さがあるので気をつけなくてはいけない。

ポケモンGoというのも世間を賑わしているようだが、これも私には別世界。
早速始めた作家さんがフェースブックで庭に出てゼニガメを捕まえてきたと言っていたので、本物の亀を捕まえたと思ったら、それは画面上の事だったようだ。

わたしのパソコンも壊れて2週間ほどが経つが、結局新しいのに入れ替えることにした。
画廊のデータはバックアップがされていて無事だったが、個人で入れていた名簿や写真が消えてしまったのではと心配したが、管理の人がきてくれてなんとかなりそうである。

携帯も電話帳やスケジュール表を全部この中に入れてあるので、落としたりしてしまったらそれこそ手足をもぎ取られた状態になってしまう。

アナログ世代がデジタルをいじろうとするからろくなことがない。

人工知能がますます発達し、人間の考える能力や記憶する能力が減退してしまうと、それこそ猿の惑星ではないが、ITの奴隷に人間がなってしまうかもしれない。

とにかく私はITというのに振り回されっぱなしである。

7月21日

パトロンプロジェクトの代表の菊池麻衣子さんが支援する作家の一人でもある井澤由花子の個展を見に来られた。

以前に海外の展覧会の件で相談されたことがあったり、アジアパシフィック画廊協会会議の東京でのシンポジウムの様子を紹介してくださったりとご縁はあったのだが、ゆっくりお話することはなく、今回初めて画廊で長い時間お話をさせていただいた。

偶々、韓国の画廊協会から私どものお客様の招待枠があり、ちょうどいい機会なので紹介をさせてもらったところであった。

コレクターの会はワンピースクラブや美楽舎、わの会などがあるが、菊池さんもアート好きの人が集まるサロンのようなものを以前から考えていたようで、パトロンプロジェクトを立ち上げ、最近はいくつものメディアでアート情報なども発信するようになった。

若いアーティストを応援したいという熱い思いがあり、、私どものように若い作家の企画を続けている画廊にとっては強い味方ができたようで、その活動に大いに期待をするところである。

パトロンプロジェクトの概要を紹介する。

パトロンプロジェクトとは、同時代のアーティスト達とリアルタイムで交流して応援するプロジェクトです。

 現在広く一般に知られている歴史的巨匠アーティスト、例えばルノワールも、個人・国などのパトロンに支援され、サロンなどで作品を販売し、知名度を上げていくことで育つことができました。
パトロンプロジェクトは、いろいろな同時代のアーティストと交流し、作品やアーティスト自身について深く知る中で、彼らを応援していく現代版アートサロンです。
パトロンといっても、1人の大富豪が特定のアーティストの作品をたくさん購入して支えるというよりは、自分や友人が気軽に誘い合ってアートを見に行き、その作者達に会い、交流する中で気軽に作品や図録、グッズなどを購入したりしてサポートしようとする試みです。
1点ものの絵画や彫刻などのアートも、若手アーティストの作品中には数千円〜数万円のものも少なくありません。

 後に、美術館に作品が所蔵され、歴史に名前を残すようなアーティスト達も、作品制作と販売だけで生計を成り立たせるまでには長い時間がかかります。アルバイトなどで働きながら、自らを奮い立たせて制作を続けるのですが、制作費や展示費用などの持ち出し過多が続き、例えば30歳前後でアーティストを辞めてしまうケースも多いと聞きます。

 パトロンプロジェクトでは、会員となったり、アーティストとの交流イベントに参加したりする中でなるべく多くのアーティストの可能性を伸ばして行くよう試みていきます!私達が応援し続けたアーティスト達が巨匠となっていく過程を同時に体感していく楽しみを感じることもきっとあることでしょう!


現在60名の会員が居るそうだが、その中から私どものアーティストの大パトロンになってくれることを楽しみにしている。

7月20日

永六輔、大橋巨泉が続いて亡くなった。

83歳、82歳と同年代で、テレビ全盛期を支えた功労者たちであった。
二人が活躍した時代は、老若男女みんながお茶の間で同じ番組を見て 、共通の話題、共通の価値観を享受した時代であった。
今のように多チャンネル、価値観の多様化などそれぞれが自分の好きな番組を見て楽しむ時代となると、家族の共通の話題もなくなり、お茶の間の家族団らんといった風景も見られなくなった。

お茶の間という言葉はどこかほのぼのと暖かい感じがしたものだが、リビング、ダイニングというとなんとなくよそよそしい感じがしてならない。

夢で会いましょう、イレブンPMといった番組を見ると10代の私達はちょっと大人を垣間見るような気がして、おしゃれな気分を味わったものである。

時代の先端を行った二人の逝去に昭和の良き時代の終焉を感じざるをえない。

ご冥福を祈る。

7月19日

梅雨明け間近で気温は30度を超えて夏真っ盛りである。

この暑い中、都知事選は盛り上がりを見せている。

与党推薦の増田、野党推薦の鳥越、支援なしの小池の三つ巴の争いのようだ。

参議院選の勢いを借りて増田が有利のようだが、私は小池に期待をしたい。

早々と手を挙げ、政策も発表して、自民の推薦も取り付けるかと思ったが、都連の反対で徒手空拳での戦いとなった。

都連は推薦以外の候補を応援したら家族ともども党員除名の対象とするといった回状まで回して、小池外しに躍起となっている。

これは以前の日記にも書いたが、ダーティー都議会議員にとって、クリーン小池は煙たい存在で、事実彼女は第一声で都議会解散をぶち上げ、対抗意識を露わにした。

イギリスでは二人目の女性首相が誕生し、アメリカも女性大統領の誕生間近、ドイツも女性首相と、先進3カ国で女性がトップになる公算が強く、国政では無理でも都政のトップに女性が立つことで、都政の清新なイメージアップと時代の先取りにつながることを期待したい。

それに加えて、都連のいじめに対し判官贔屓の人達が小池の応援に回り、組織票の増田や鳥越を序盤戦はリードしているとのニュースも流れた。

仮に小池が当選しても、舛添同様に都議会議員の抵抗は必至で、それを乗り越えて都政刷新に邁進したいとの強い意志に都民の一人として是非応援をしたい。

7月17日

スタッフに頼んでヴンダーリッヒとカリンシェケシーの画集をネットオークションで見つけてもらい入札したところ、何と500円で落札することができた。

シェケシーの写真を基にヴンダーリッヒが版画を制作したのはそれほど多くないと思っていたが、画集を見てみると、かなりの作品が写真の構図をアレンジして作っているではないか。

またまた私の不明を恥じなくてはいけない。

二人の作品集トワイライトはそれぞれ11点づつだと日記に書いたが、これはどうやら間違いで、シェケシーの写真は11点あるが、ヴンダーリッヒは一つの写真からいくつものアレンジした作品を作っていて、それぞれが11点でないことがわかった。

ということは11点づつ組の作品集ではなく、トワイライトと題したヴンダーリッヒの作品はもっとたくさんあることがわかった。

作曲シェケシー、編曲ヴンダーリッヒというところだろうか。
画集を見るとシェケシーの写真も興味深いが、それをいくつにもアレンジしていったヴンダーリッヒの作品も大変興味深いものである。

これだけ内容があり、私の不勉強を補ってくれることになった本がたったの500円とは申し訳ないくらいである。



7月16日

中村萌の個展も今日から始まる。

今回は広いスペースということで、1メートルを超す作品もいくつかあって、搬入が大掛かりとなった。
彼女のお父さんの仕事の関係で、テレビの大道具をやっているスタッフがクレーン車で搬入にやってきた。

大の大人5人掛かりでやっと台座に乗せられるというおおごとの展示となったが、この人たちのおかげで思いの外早くに展示が終わった。

相変わらずの人気で内外から画像を送れの催促がいくつもあり、大きい作品は1点を除いて展覧会前に全て売れてしまった。

ただ大きく重たいので、終わってからの撤収とお届けを今から心配しなくてはいけない。

彼女もギリギリまでの制作で体力を相当消耗していて、今日一日頑張ってくれれば、あとは連休となるので、ゆっくり疲れを癒してほしい。

これだけの人気だときっと快い疲れだろう。



7月15日

明日から井澤由花子展が奥のスペースで始まる。

井澤は私どもで最初に発表した時から油彩ではなく水彩で描き続けている。
水彩とは思えないほどの発色のある色彩が画面から激しくほとばしるのだが、出来上がった画面は神秘的な幽玄世界である。

水彩でもこうした表現ができるのだと改めて感心させられる。

損保ジャパンの受賞作を始め力作が一堂に並ぶ。

井澤が心境を述べているので、紹介させていただく。

やっと全作品搬入し、
あとは明日を待つばかりです。
制作しながら、色々なことを考えました。
子育てしながら制作することが出来るのは本当にありがたいです。
うちは保育園はいれず、幼稚園からなので、基本的には子どもとずっと一緒にいながら制作とデザイン仕事してました。
ふたりとも男の子なので、日中はずっと騒がしく走り回っています。
なので夜とか朝とか、子どもが寝てる間に制作しています。
ふたりと過ごす中で私が一番好きな時間はふたりの匂いをかぎながら眠るときです。
それは本当にしずかな時間です。
耳をすますと、子どもの細胞が、血液が、ざわざわする音が聴こえる気がします。

それで、
展示のタイトルを
「世界の眠り、みずのおと」
に決めました。

すごく個人的なタイトルの決め方ですが、よろしくお願いします。


7月14日

昨日の日記に書いたサビエ同様に、ディーラーズオークションでヴンダーリッヒの版画とその妻カリンシェケシーの写真16点を手に入れた。

昨年のH氏コレクション展に出品された中に、ヴンダーリッヒと書かれた写真作品があり、珍しいのがあるが、彼が写真作品を発表しただろうかと調べてみるが、どうもそのような作品は見当たらないし、多分H氏が勝手に思い込んでいたのだろう。

というわけで、その写真を作者不詳で出して、誰か知っている人が現れるに違いないと思っていた。
ところが誰も知っている人が現れず、今一度ネットで詳しく調べてみることにした。

するとヴンダーリッヒの奥さんが写真家であることがわかり、そこから辿っていくと、その作品は奥さんのカリンシェケシーのものとわかった。

そんこともあって、ヴンダーリッヒとカリンシェケシーの事は昨年からずっと気になっていた。

そんな中、偶々二人の作品が16点額装されてオークションに出てきたのである。

サイズも大きく、作品も数が多いのと、写真がヘアヌードということもあるのだろうか、競争相手も少なく、かなり安く手に入れることができたのである。

作者不明の写真が縁で、こうした作品に出会えたわけで出会いとは不思議なものである。

作品はトワイライトというタイトルで、夫々に11点づつ計22点あるようで、完全に揃っていたわけではないが、それだけで十分展覧会ができるような内容のある作品であった。



これらは、まずカリンシェケシーが写真作品を作り、その作品を基にしてヴンダーリッヒが新たに版画を制作をしていて、どのようにアレンジをしたかを見るのも大変興味深い。

裸婦コレクターで知られるK氏に紹介をしたところ早速に購入を決めてくださった。
K氏の了解を得て一堂に展示する機会を設けたいと思っている。

今後は欠けた作品を探しながら補充をしていこうと思っていたら、うちにあるヴンダーリッヒの作品がその欠けている作品の一つであることがわかった。
これも不思議な縁である。

それにしても、カリンシェケシーを知らなかったり、トワイライトという作品集を知らなかったりで、今更ながら私の不勉強を恥じ入るばかりである。

早速にヤフーオークションで検索したら、ヴンダーリッヒとカリンシェケシーの作品集が出ていたので、手に入れることにした。

専門外でもこうした面白いことが起きるのも画商の楽しみの一つである。

先日、日記に書いたザビエの写真の準備が出来たので、紹介させて頂く。

7月13日

ノルウェーの異端の作家ラインハルト・サビエの大作が手に入った。
入ったと言っても、4月のディーラーズオークションで手に入れたものだが、大きく重くて買ったまま作品を見ることなく倉庫に入れたままにしていた。

ちょうど内藤展が終わって、次の催事まで間が空いたこともあって、作品を倉庫から引っ張り出してきた。
全体が黒ずんでいる印象しかなく、サビエの名前に惹かれて、なんとなく雰囲気だけで買ってしまったのだが、なんと開けてびっくりで、老人を描いた素晴らしい作品である。
黒ずんで見えたのは縞の模様の洋服を着た老人の像で、その横に奥さんの肖像画だろうか老婆の絵が描かれている。
サビエの特徴である内面を鋭くえぐった作品で、ガッシュ、クレヨン、木炭、鉛筆で描かれ、部分部分を切り抜いてコラージュされている。
額のアクリル板にも黒く刷毛後を残した図が効果的に描かれている。
人物の衣裳は本物の布で、背景にも布のようなものがコラージュされている。

暗い絵だが、心打たれるような深い絵である。

1994年評論家針生一郎の紹介で今はなき東邦画廊にて「地獄」と題した展覧会が開かれ、それは衝撃的な展覧会で、針生一郎が芸術新潮に書いた名文と相まって大好評を博し、新聞雑誌にも大きく取り上げられ、暗いテーマにもかかわらず完売となったことを今でも覚えている。

親しくしているコレクターの何人もの人が、その時ザビエの大作を手に入れて、嬉々としてたことも思い出される。

その後各地の美術館でもサビエ展が開催されたが、いつの間にかサビエの作品を見ることもなく時が過ぎていったが、最初に見たサビエの残像だけはいつまでも私の脳裏から消えることはなかった。

そんなこともあって、名前だけで買ってしまい、真っ黒な絵という印象しかなかったのだが違っていた。

なんだかすごく得した気分になっている。

写真が画面が反射して映った画像がわかりづらいので、スタッフがきちんと撮った写真を後日紹介させていただき、ネットに出ている他の画像を紹介する。


7月12日

だいぶ先だが、9月4日から10月23日まで長野県東御市にある東御市梅野記念絵画館で望月通陽展「やがて行く庭」が開催される。
チラシなどができたので紹介させていただく。


ここは主に物故作家の紹介で知られる美術館だが、現存の望月通陽に白羽の矢がたった。
ただし、物故作家の仲間入りはしないようにしてもらいたいのだが。

佐藤修館長の紹介文の一部を転載させていただく。


月の爪弾き

絵画館のホールから明神池を挟んで向こうの山裾に、大きく満ちた夕月が不意に現れる様はまことにもって例えようのない神々しさ。

画家の名前に掛けて月の話をしているわけではありません。
型染め、陶、鉄、ブロンズ、ガラス絵、版画、木彫、漆、衣裳、装幀・・・。
1980年デビュー以来常に新しい表現に挑み続け多彩な創作活動を続けている望月通陽さんですが、その作品世界に触れるたびに私はいつも「月」のイメージを感じるのです。
やわらかな肌合い、穏やかな息遣い、線のまろみ、やまと言葉のぬくみ。
はたまた影絵のウサギの餅つきのリズムのように、婆様が語る御伽噺のように、耳に心地よい拍子を刻んで。
仲秋の月が滿つる頃、この信州の高原から彼方の月に渡す懸橋のごとく、望月さんの芸術世界が展開されます。
ご高覧ください。


ということで大規模な展覧会が開催されることになっている。

これに合わせてつのだたかしリュートコンサート「静かな音楽が聞こえる」が9月4日に、谷川俊太郎、谷川賢作の「詩は歌に恋してる」と題した朗読とピアノのひとときが9月19日に開催される。

またこの谷川親子のコンサートに合わせて鑑賞の旅と題したバスツアーが用意されている。

8時20分にJR池袋駅西口に集合し20時に帰ってくるという行程だが、お希望の方は画廊までお申し込みいただきたい。
もしくはトラベルプラン 03-3561-5050宛にお申し込み、問い合わせをしていただきたい。

締め切り日は8月30日となっている。
募集人員45名

7月11日

参議院選挙が終わり、自公の圧勝となった。

野党は四党選挙協力などで対抗したが及ばなかった。

民進党が理念を捨てて、選挙のために共産党などと組んだことも影響したのだろう。

私は野党がアベノミクスや安全保障について対案を示さず、週刊誌に追随し、重箱の隅をつつくような批判ばかりを繰り返すことに多少苛立ちを覚えていた。

自民党の体質も是とは言い難いが、それでも政策の提言をし、その実施に向けて準備を進めているのに対し、野党の対案が見えてこない。

国会でスキャンダルの追求ばかりに時間を割かず、もっと政策で論議をして欲しかったと思っている。

18歳からに選挙権が引き下げられたにもかかわらず投票率が低かったのも、自民も嫌だ、と言って野党も嫌だという人が多かったからだろう。

批判政党として納得のいく対案が出ていれば状況も変わっていたと思うのだが。

私も以前は新自由クラブやみんなの党に期待した時期もあったが、どれも内部分裂を繰り返し、自民に代わる新保守勢力にはなれなかった。

そうしたグループが離合集散し、数合わせでできた民進党では今後も期待はできない。

少なくてもいいから、志を持って、自分の理念を全うし、夢と希望を持たせる人達が集まり、まっとうな政策を打ち上げてくれる政党が出てくれば、私は応援するのだが。

そんわけで消去法でいけば自民という結果が今回の圧勝につながったのだろう。

7月9日

銀座洋協ホールにて没後三十年福井良之助回顧展が開催されているが、昨日はその福井良之助を偲ぶ会が催され行ってきた。

回顧展の開催にあたり、どういうわけか私も発起人の一人として名を連ねている。

私は福井の孔版画という謄写版による版画が好きで、以前集めていたことがある。

お客様の中にも福井の孔 版画を集めている方がいて、その作品も出していただいて、孔版画展を開催したことがあった。

その時、画廊で熱心に作品を見つめている方がいる。

しばらくして、ここにある作品は全部売り物ですかと聞いてきた。

そうですと答えると、全部売っていただけますかと言うではないか。

30数点はあっただろうか、一部はすでに売約となっていたが、それでも30点は残っていた。

当時はバブル期で版画とはいえ代表作の「凝固した愛」は250万円くらいしていて、他の作品も安くても100万以上はしていたので合わせると相当な金額になる。

驚いて聞いてみると、ある市立美術館の担当者で市の教育委員会の方であった。

開館前の収蔵品の選定にあたっている方で、これだけまとまって作品があるのは滅多にないので、この機会に是非購入をしたいということで、私も喜んで納めさせていただくことにした。

その後市立美術館はオープンしたが、なかなか展示の機会がなく、だいぶ経ってから孔版画の全作品集が出るということになり、他の美術館の開催とともにようやく展示の運びとなった。

そんな縁もあって発起人に名前を連ねることになったのだろう。

福井は初期の孔版画から油彩の発表に移り、昭和40年代後半の人気作家の一人として活躍をした。

晩年はお茶屋さん遊びなどをして、題材も芸妓さんなどを描くようになり、大地に帰るといった静謐で叙情豊かな作風からはだいぶかけ離れてしまったのが残念であるが、近代洋画を代表する作家の一人であることは間違いない。

レセプションにもそんなこともあってか、多数の画廊関係者に混じって京都から何人もの芸妓さんや舞妓さんもやってきて会場は華やかな雰囲気に包まれた。

昨今の価値観の多様化に伴い、近代美術の評価は今ひとつとなり、福井作品の評価も以前ほどの勢いはなくなってしまった。

これを機会に今一度再評価されることを願っている。

7月8日

FBでコレクターの方からアーティストがアートマネージメントにもっと関心を持つべきとか、価格についてもっと現状認識すべといった意見が寄せられている。

私たち画商の立場からするとちょっと違うような気がする。

自分でプロデュースしたり、価格を自分で決たりと、アートタレントを目指すのならばそれはそれでいいが、本来そうした業務は画商が負うべき仕事である。

今、キャリアの浅い画廊が自分たちで企画をしたり、マネージメントや価格決定をしなくなってしまったから、こういう考えが出てくるのだろう。

画商がアーティストを扱う以上、まずは自分の目でアーティストを選び、その展覧会や企画を考え、どうやって売るかといった仕事は画廊がやるべきで、アーティストは制作に没頭すべきと私は思っている。

若い未評価のアーティストの価格も最初はその芸術性とか商品価値ではなく、扱う画商の実績や信用度が価格に反映されてしかるべきと考える。

結果、売れるようになれば、価格を上げて行くのもアーティストでなく、これも画商の役割である。

その価格をお客様が妥当か妥当でないかで判断し、納得できれば売れるし、できなければ売れないとなる。

私はいいと思った作家は、売れても売れなくても、自分のところでの企画はずっと続けることにしている。

それだけに価格設定はできるだけお客様の手の届くような価格帯にしていて、売れるからといってむやみに高くすることはない。

それを受け入れてくれるアーティストと共に私は歩んできたし、その結果が先日の90名のアーティストの企画による古希と35周年のお祝い展であり、私のやってきたことが間違っていなかった証だと自負をしている。

画商が自らアーティストを選ぶ目と、永遠にアーティストを支えようという強い意志がプロの画商には必要ではないだろうか。

7月7日

今日は七夕。

何となく涼しげな感じがするが外は猛暑というよりは激暑。
朝からお客様のところへ行ったが、昼過ぎの帰りの車の表示の外気温が41℃。
車が溶け出すのではないかという温度。

今年の梅雨は雨も少なく、気温もそれほどではないと思っていたが、日曜日あたりから30度を超えるようになり、夏本番となってきた。

台風も沖縄の方に来ているが 何と1号というからこんなことも珍しいのでは。

この台風は台湾を直撃しそうで、お世話になっている台湾のお客様が心配だ。

内藤亜澄の大作を予約して頂いている方や次回の中村萌を楽しみにしている方など台湾には私どものファンの方が多く、皆さん何の被害もなくご無事でいてくれることを願う。

7月6日

昨日は高校の同級生で前都議会議員の友人にゴルフを誘われ行ってきた。

千葉のゴルフ場で猛暑を覚悟したが、あに図らんや、小雨混じりの肌寒いくらいの天気で助かった。

ゴルフよりは下世話好きの私は舛添、小池百合子の内輪話に関心が。

想定内ではあったが、政治資金の私的流用などは議員なら誰もがやってるザル法で舛添などは可愛いものだそうだ。

ただ舛添を守ってくれる人がいなかった。

就任早々のオリンピック予算の見直し削減でおこぼれをもらえるはずだった議員さん達の怨みをかってしまったそうだ。
さらには以前に自民党を抜け出したことが災いし、最後の最後に守るべき与党が守ってくれなかったということのようだ。

最初にごめんなさいと言ってしまえばこれだけことは大きくならなかったのに、悪あがきしたことで墓穴を掘ってしまったのだろう。 結果百数十万を返すところが四十億の血税を使って選挙をすることになってしまった。

さてその選挙に最初に手を挙げた小池百合子だが、都議会議員への根回しがなかったこととあまりにクリーン過ぎてダーティーな都議会議員さんには不人気なんだそうだ。

こんなことを聞くと今の政治家は腐りきった連中ばかりで、ほとほと日本にいるのが嫌になるが、近隣諸国の金権政治に比べたら日本はまだましと言うからあきれる。

こんな体たらくでは税金不払い運動でもしたくなる。

友人があこぎな議員生活から足を洗ってくれたことががせめてもの救いかもしれない。

7月5日

土曜日は葉山の御用邸近くにあるお宅訪問。
私もこうした仕事をしているので、豪邸に絵を納めるのことは多いが、この家にはびっくりした。
リビングの前面におそらく私の画廊の壁より広いガラス窓が広がり、そこから湘南の海が一望出来る。
海が見えると言っても、ここの部屋からは海の水平線が丸く見えて、地球の丸いのがわかるのだから、どれだけ広いか。
その先にはプール付きの広いテラスがあって、応接セットやデッキチェアーがいくつも置かれ、まるで高級リゾートホテルに来たような錯覚を覚える。
さらにプール横にはヒノキの風呂があり、そこから高級旅館のようなお客用の日本間が続く。

三階建ての家にはエレベーターがあり、一階はギャラリースペースになっていて、洒落た彫刻がいくつも飾られている。
設計に3年以上もかけたというこだわりの家である。

さて展示となったが、そこの壁がコンクリート。
木の壁と思ってコンクリート用のものを何も用意してこなかった。
ネットで調べ鎌倉の画材屋にあるのがわかりそこまで行って手に入れることができ、ついでにコンクリート用の刃のついたドリルも借りてきてなんとかなったが、そこからがまた大変。
コンクリートが頑丈過ぎて穴があかない。
何とか時間をかけてあけることが出来たが、画廊に戻ったのは朝9時に出たにも関らず何と6時半の一日仕事なってしまった。

大豪邸を見られただけでも良しとしようか。

7月4日

画廊の私のパソコンが壊れてしまい、日記が滞ってしまった。
回復できないと画廊関係は他のパソコンと共有しているので大丈夫だが、私的なものが見ることができなくなり、当惑気味。
なんとかなおってくれないものだろうか。

先週は納品展示でお客様宅訪問が続いた。
まずは高校の友人のマンションに30号の作品を展示。
何もなかった壁に作品がひときわ映える。
すっかり気に入ったのか、広いリビングに他にも壁面がたくさんあって、そこにもいい作品があったら展示したいとなった。
学生時代の友人でアート好きは少ないが、貴重な友人の一人となった。

友人は大学でラグビー部のキャプテンを務め、卒業後も大学のラグビー部の監督をした影響もあって、奥さんが女子ラグビーを創設し、その普及に努めた。
今回のリオのオリンピックの種目にもなったが、発足当時は私の息子が頼まれて、日本代表の監督になり、ワールドカップに参加したこともあった。
当時独身の息子が、プロレスラーみたいな彼女を連れてきて嫁さんにすると言ったらどうしようと心配したものである。
奥さんはその功績が評価され、先日体操の内村、レスリングの吉田や伊調、ジャンプの高木などとともにJOCのスポーツ賞を受賞した。
それにしてもラグビーを女性がやる時代がくるとは想像もしなかった。

バックナンバー

RETURN