ギャラリー日記 バックナンバー (2011年4月〜6月)

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6月30日

先月個展をした木村繁之が挿絵を手がけた南木佳士氏のエッセイ「生きてるかい?」が共同通信社から全国27の新聞に毎週一年にわたり配信されたが,
この度文芸春秋から上梓され書店に並んだ。
医療現場に携わる医師の徒然が綴られていて、偶々朝本屋に立ち寄り手に取ることが出来た。
木村の可憐なテラコッタの動物が輪になった表紙は,一目で手に取りたくなる美しい本である。
本文中にも木村自らの写真によるテラコッタの作品がたくさん挿入されている。
多くの木村の装丁本が出ているが、これだけの作品が載せられたのは初めてではないだろうか。
ところでこの本を見つけた本屋は、私が利用する駅前の小さな本屋だが、先週に駅の中に大きな本屋がオープンし、その影響はかなりのものだろう。
お客様が前に本の値段はどこでも同じだから、できるだけ昔なじみの小さな本屋で買うことにしてると言っていた。
私もそうしようと思う。

6月29日

チャリティー展「響け・アートのこだまー祈りをこめて」は僅か三日の会期だったが、多数のお客様にお越しいただき、入札総数341票(落札作品総数の5倍強)、総額412万3千円の落札額となった。
作家の方々が心をこめて制作してくださった力作に、多くのお客様が応えていただいた結果であると、深くお礼を申し上げたい。
残念なのは、折角入札していただいた多くの方が不落札となってしまい大変申し訳ないことだが、お気持ちだけは深く受け止めて、被災地へそのお気持ちを伝えたいと思っている。
又数点だが不落札の作品があるので、ご希望される方はお問い合わせいただきたい。
いただいた浄財は作家に30%を画料として戻し、私共の経費を若干差し引いた上で、被災地の子どもたちに画材にかえて送る予定である。
ただ、既にそうした物資が多く届いているようなので、仙台にある「子どもの笑顔元気プロジェクト」を通じ、今何が子どもたちにとって必要なのかを聞いたうえで正式に決めたいと思っている。
後日ご報告をさせていただく。

お客様、作家の皆様に改めて厚くお礼を申し上げる。

6月26日

本日よりチャリティー展が始まる。
午前中からたくさんの方に来ていただき、先ずは順調なスタート。
皆さんにどのくらいの価格で入札したらいいのかとの質問を受けるが、こればかりはお任せするしかなく、お気持ち次第と答える。
確かに私共の画廊にしょっちゅう来てくださる方だと、おおよその発表価格がわかり、それを基に希望価格を考えることが出来るが、そうでない方はさっぱり見当がつかない。
逆にキャリアがあるかないか、人気作家かどうか、高額な作家かといった予備知識がない分、自分の好みだけで希望価格を入れることになり、作品自体の評価が出てくるので私たちには興味深い。
入札票を片手に皆さん食い入るように作品を見つめていて、普段の展覧会もこれだけ熱心に見ていただけるといいのだが。
5時からは皆さんにお集まりいただき、作家代表の小林裕児氏の挨拶、小川英晴氏の詩の朗読、仙台のうじまりさんのお話などがあって、更に盛り上がった。
詩も心に響くものがあり、アートと共に被災地にきっと届くに違いない。

6月25日A

展示も終わり、明日はいよいよチャリティー展が始まる。
既に下見に来られる方もいて、ひょっとして朝から行列?
この暑さでそんなことはないだろうが、たくさんの方に来ていただくことを願うばかりである。

6月25日

朝のNHKのニュースで湯河原の温泉街のホタルの様子が流れていたが、私も日曜日に身延の手前にある下部温泉にホタルを見に出かけた。
昨年も浜松のお客様の帰りに見に行ったが、期待はずれでそれほどたくさんのホタルを見ることができなかった。
6月の中頃、月明かりのない曇り空で、蒸し暑い晩の8時から9時にかけてが絶好のホタル鑑賞の条件だそうで、滅多に行けない私はその条件に合わせるのは難しい。
今回は夜から雨の予報で先ず無理だと思うが、行くだけ行ってみようということで出かけることにした。
最近雨男返上の私の力が勝ったのか、雨も降ることなく月も出ず、早めに出かけて待つこと3時間、真っ暗な中に一斉にホタルが乱舞し、その光り輝く様は夢幻の世界。
自然が与えた美しさに酔いしれた。
ただ昔に見た降るように輝くホタルの群舞はもう見ることはできず、せめて孫達が大きくなって見れる日まで光り輝き続けていて欲しいのだが。

6月24日

昨夜はロータリークラブも年度末となり、慰労をかねた役員懇親会が三田にある綱町三井倶楽部で開かれた。
慶応大学三田校舎の裏にあり、大学に行っているときは高嶺の花でどんな人がこんな豪邸に住んでいるのだろうとこっそり覗いたりしていたものである。
三井グループの会員制倶楽部で大正2年に三井家、三井グループの迎賓館として建てられたものだそうだ。
現会長が三井不動産販売の会長ということもあって、今回ここでの集まりとなった。
友人の結婚式でも行った事があったが、今回は会の前にゆっくりとルネッサンス式様式の豪壮な建物と純和風と純英国式の二つを備える広大な庭園を見学させてもらった。
建物の中にはターナーの大作やロダンの彫刻が飾られ、地下には15000本のワインが眠るワインセラーがある。
1930年頃のワインなど年代ものがずらっとねかせてある。
以前に同じロータリーの創立記念式典で使わせてもらった高輪にある三菱の迎賓館・開東閣も豪勢なものだったが、戦前の財閥の権勢が如何に大きなものだったかがうかがわれる。
おいしいフランス料理と下戸の私には無縁の極上のワインが振舞われ、一夜の財閥気分を仲間とともに堪能した。

またこの席で私が提案していた東北3県の知的障害者施設への支援がほぼ決まり、次週の総会にて決定の運びとなった。

6月23日

いよいよ寝苦しい夜がやってきた。
節電でエアコンを使わないでこの夏を過ごせるか根競べである。
福島の農家からゴーヤの苗が送られてきたので、ベランダに緑のカーテンを張って日除けにしたり、風鈴を買って涼を呼ぼうと思っている。
このゴーヤはどういう訳か私のところに手紙が舞い込み、原発や津波で被害にあった農家の方が復興の一助にと多くの方にゴーヤの苗を買ってもらい、エコと支援に協力をして欲しいということである。
他にも季節の野菜を産地直送で送ってくれるそうで、早速に申し込み昨日ベランダにプランターを置き苗を植えた。
育て方も付属のDVDが詳しく説明してくれていて、素人でもすぐに育てることが出来そうである。
朝起きると既に昨日よりツルが伸びていて、一面を緑が覆う日が待ち遠しい。

いったん山形に戻った個展をしている佐藤未希ちゃんがお土産のさくらんぼう・佐藤錦を携えて再登場。
宝石のように美しいさくらんぼうにスタッフ共々大歓声。
彼女にはお返しにゴーヤを送ってあげよう。

6月22日

チャリティー展「響け・アートのこだまー祈りをこめて」の作品がほぼ出揃い、私共のHP上にアップさせていただいた。

一部写真撮りが終わっていないものもあるが、随時アップさせていただく。
ご希望の作品があれば、FAXもしくはメールにてお名前・連絡先・希望価格を添えてお申し込みいただきたい。
電話にてのお申し込みは聞き違いがるといけないのでご容赦いただきたい
最低価格1万円から1000円単位でお受けする。
展示日は26日の日曜日から27日、28日の3日間とさせていただき、29日に開札し落札者の方にご連絡をさせていただく。
落札された方は7月6日の水曜日までにお支払いをいただいた上で作品の引渡しとさせていただく。
郵送希望の方は着払いにて送らせていただく。

お買い上げいただいた金額の30%を作家に戻し、若干の経費を差し引いた上で、東北の被災した子どもたちに絵の具やクレヨン、色鉛筆、スケッチブックなどの画材を送らせていただこうと思っている。
ただしそうした物資が既に現地で余っている状況であれば、目の届く形で子ども達の支援に使わせていただく。
仙台に「子どもの笑顔元気プロジェクト」というNPO団体があるのでそこを通して必要とされるものを送ろうと思っている。
その経過については、作家の方たち、ご入札いただいた方たちに後日お知らせをさせていただく。

26日(日)の5時から制作していただいた作家の皆さんやコレクターの方にお集まりいただき、ご協力をいただいたお礼を申し上げると共に、詩人・小川英晴氏による被災地へ向けての詩の朗読、出品者の一人で今回被災にあったうじまりさんから現地からの思いをお話していただくことになっている。

是非美術愛好家の方たちにもその時にお時間があればお越しいただき、共に心を一つにして被災した子どもたちに笑顔と元気が戻るように祈っていただければ有難い。

何とぞお力をお貸しください。

6月21日

暑い夏の日差しが戻ってきた。
夏至の日の今日は私の誕生日でもある。
父の日と接近していていつも割を食っているが、こればかりは仕方がない。
65歳を迎えたが、父親のその頃を思うともう少し貫禄があってもいいのだが、歳相応の実感がない。
年齢を積み重ねた重さというか品格というかそれなりの雰囲気を醸し出さなくてはいけないのだが、無駄に歳を重ねてきた結果がこの体たらくである。

それでも長い間この仕事を続けてきて本当に良かったと思うのが今回のチャリティー展の作家さん達の協力である。
一声かけたら75名の方が馳せ参じてくれた。
それも心からの力作を描いてくれた。
画廊冥利に尽きるというか、これだけの方と心を一つにできたことをうれしく思う。

アートがこうした時にどれだけの力になれるかわからないが、皆さんの作品の思いは必ず東北の皆さんに届くと信じている。
東北の子供達に笑顔と元気が一日も早く戻るように今週末を待つばかりである。

3日間の展覧会ではもったいないくらいの作品が一同に並ぶ。
皆様のご来場を切にお願いする。

6月18日-2

高島屋のジパング展は軽すぎと書いたが、三瀬夏之介とO・JUN の作品は別格だった。
三瀬は佐藤美術館で見たときその迫力に圧倒されたが、先輩格である岡本桂三郎のようないま一つ心の奥底に響くものがなかった。
ところが今回改めて見て、作品の深さを感じることが出来た。
周りが軽いせいもあって殆ど流しながら見ていたが、三瀬の作品の前では暫し立ち止まり見入ってしまった。

O・JUNは私のところでだいぶ以前に小林健二等と3人展を開催したことがある。
学生帽の記章を描いた作品を並べていたが、あまりにあっさりしすぎていて、私に消化不良でその良さがわからずじまいで、その後声をかけることはなかった。
その後の活躍は目覚しいものがあり、台湾でも彼の個展を見る機会があり、おぼろげながらにその良さがわかり始めてきた。
今度の展覧会では、これも周りとの比較で見てしまうせいもあるが、彼のシンプルさが逆に目を引いた。
多くを語らず単純さの先に、見るものに考えさせる何かがある。
ようやく彼の才能の一端に触れたような気がする。
あの時の私の未熟さを恥じる。

評論家のM氏が画廊に立ち寄った際、私と同じようにこの二人が良かったと言われたので、我が意を得たりである。

6月18日

チャリティー展紹介第2弾です。
小林裕児、野坂徹夫、長谷川健司、杉田達哉
キャリアのある作家さんも心のこもった作品を描いてくれた。
展覧会のタイトルにつけた「祈りをこめて」は4月9日の日記でも紹介させていただいたように、野坂さん提案の「いのり」を使わせいただいた。

小林裕児

野坂徹夫

長谷川健司

杉田達哉

 

6月17日-2

昨日からの雨が止まず、10時に行けばすいているだろうとワシントン・ナショナル・ギャラリー展を見に行った。
行列ということはなかったが、雨の朝にもかかわらずそこそこに混んでいて、さすが人気の印象派の展覧会である。
ゴッホの自画像、モネの日傘の夫人、ルノワールの踊り子、カサットの青い肘掛け椅子の少女、セザンヌの赤いチョッキの少年など教科書や画集でしか見たことがない名品がずらっと並ぶ。
その全てが一般市民からの寄贈だというから驚く。
美術の価値観が多様化し、日本の近代美術も今や日陰の身となってしまったが、こうした印象派の作品を見てみると、やはりさすがという言葉しか見つからない。
歴史の中で風化することなく、未だにその輝きを放っているのは大したものである。
2日前に見た高島屋のジパング展に並ぶ作品の多くが果たして時代を超えて輝き続けられるだろうか。
軽いイラスト風の作品は深く心に残ることがなく、今のお笑い芸人や若い歌手達と同様にその時だけの流行で、その多くは時代の中で埋没してしまうのではと危惧する。
大英博物館・古代ギリシャ展、空海と密教美術展など歴史を振り返る展覧会が続くが、今一度歴史を辿り、その上で今を見つめてみたい。

6月17日

ロータリークラブに空手同好会なるものが発足し、その案内が来たが、勝手に私も発起人とされていた。
学生時代はどちらかと言うと硬派よりは軟派な方で、高校時代に運動部を選ぶ時にも、体力に自信のない私は出来るだけよその力を借りるものを探し、その条件に合うのが馬術部かヨット部だった。
その揚句、糞をする馬よりはヨットの方がきれいそうというだらしない理由だけでヨット部に決めたくらいである。
ところが今回の言いだしっぺも学問一筋の東大工学部名誉教授だったり、陛下のご学友の元侍従だったりと、とても空手とは似つかわしくない連中ばかりで、自分より弱そうな私に眼をつけたに違いない。
うちの画廊の男性スタッフの島田も空手を習っているが、昨日偶々足の指を包帯しサンダル履きで来たので聞いてみると、蹴りで親指の爪を剥がしたとのこと。
私はやめることにした。

6月16日

チャリティー展の作品が続々到着。
被災地の子どもたちに笑顔が戻るよう一人でも多くの皆様のお力をお貸しください。
20日にはほぼ作品が揃うので私どものサイトで随時紹介をさせていただくのご覧いただきたい。
ネットからの入札もお受けするので、メールもしくはFAXでお申し込みいただきたい。
桑原弘明、門倉直子、森口祐二、佐藤未希を紹介する。

桑原弘明

門倉直子

森口祐二

佐藤未希

6月15日

7月27日からソウルで開催される朝鮮日報主催のアジアン・スチューデント・アンド・ヤング・アーティスト・アート・フェスティバル(ASAYAAF)で選ばれた作家の作品が出揃った。
私どもでも初めて関わる作家も多く、どのような作品が出来てくるか楽しみにしていたが、秀作ぞろいで大きな反響を呼ぶに違いない。
森洋史、岩淵華林、青木恵、中村亮一、鷲尾容子、六本木百合香などの作品を紹介する。

森洋史

岩淵華林

青木恵

中村亮一

鷲尾容子

六本木百合香

6月14日

今日は日本版画商協同組合の理事長退任後初の交換会。
理事会での取り決め事のプレッシャーもなく爽やかな朝を迎えた。
思えば1983年から理事に就任し、専務理事、副理事長、理事長と28年間も毎月理事会に出席をしていたことになり、我ながらよく務めたものである。
ただし、これで解放されると思っていたら大間違いで、顧問として毎月の理事会に出て欲しいとのことである。
毎月とはいかないが、長年の経験でお役の立つようなときには出席させてもらおうと思っている。

ロータリークラブの方も今月一杯で役員を退任することになった。
こちらも長い間会長職を含め役員・理事を務めてきたが無罪放免となる。
丁度この6月で私も65歳となり、節目の年なのだろうか、期せずして同じような時期に退任することになった。
学生時代の友人達の多くも定年で第二の人生を歩んでいるが、社長、会長、役員などの要職で残っていた友人達もどうやら今年で退職をする者が多い。
私は自分の仕事があって、これで全て引退とはいかないが、厳しい時だけに自分のことに専念できることは大変有難いことで、65歳を一つの契機にもうひとふん張りをしなくては。

6月12日

8月末の台北のアートフェアーにスーパーVIPの招待枠があり私どもから3組のお客様夫妻を招待させていただくことにした。

空港の送迎、五つ星ホテル二泊、美術館観光、台北ギャラリーツアー、その他諸々のサービスが受けられる。

昨年も2組のお客様をお招きし存分に楽しんでいただいた。
暑い最中だがアート以外にも台湾料理、マッサージ、夜市など私たちも時間がとれればご案内させていただく。

海外ではこうしたフェアー時における出展画廊やコレクターに対するサービスが行き届いていて、こうしたことが次なるフェアーの発展に繋がっていく。

日本のフェアーの国際化を妨げる要因もこうしたところにあるのかもしれない。

6月11日-2

今日から始まった二つの個展を紹介させていただく。
一つは川崎広平展である。
私は光物といったら怒られるが光を使う作品にひときわ目がいく。
小林健二、木村繁之、鈴木亘彦、内林猛史といった作家は光を取り入れた作品を制作していて、どれも我が家のコレクションとなっている。
子どもの頃からろうそくの炎や焚き火を飽きずに見ているのが好きで、その揺らぐ様を見ていると心が安らぐ。
川崎の作品も偶々送られてきた近くの画廊からの案内状を一目見て気にいり、私のところでの発表をすぐに依頼をさせてもらった。
透明アクリルの中に組み込まれた細い管に油のようなものを入れ、灯りをともすことでその管が青や黄色の澄んだ光を灯す。
GTUの部屋ならでの展示で、照明を落とした中に浮き上がるオブジェの数々に暫し目を奪われる。

もう一つは佐藤未希でこちらは東北芸術工科大学の博士課程に在籍中のバリバリの新人である。
昨年、新国立美術館の二紀展を見に行った折に作品に出会った。
個展の依頼をした経緯は以前に日記に書いたことがあるが、ようやく個展を迎えることになったが期待以上の作品が並んだ。
まだ学生だというのに技術力の素晴らしさに先ずは驚かされる。
何百枚と書かれるドローイングを下地にして描かれる油彩画はマティエールといいフォルムといい並外れたものがある。
ドローイングの紙をこすったり破いたりしているので、本画も眼や口がかすれたりつぶれたりしていて、今流行の可愛い系とは違いどこかおどろおどろしい。
私共で発表をしている合田佐和子・夏目麻麦の系譜といっていいだろう。
初日の昼前だというのに、案内状の150号の大作をはじめ数点が売約となり、幸先のいいスタートとなった。

梅雨空の蒸し暑い日が続く中、鬱陶しさを振り払うような清新な展覧会を是非ご覧いただきたい。

6月11日

11月のテグのアートフェアーの特別企画として平面・写真の日本人作家を公募し各3名選び特別ブースにて展示することになった。

若手ばかりのコンクールが多い昨今だが年齢は不問とし、テグのフェアーに今年を含め参加した画廊からの推薦も可とした。

ブースでの販売も可能とし選ばれた作家の韓国アートマーケットでの販売機会の創出も視野に入れている。

審査は日韓のコレクター、ギャラリストに依頼し1名だけテグ画廊協会賞としてテグに招待され旅費滞在費が支給されることになっている。

私も日本のギャラリー側の審査員として参加するが、我と思わん方は是非応募して欲しい。

応募の詳細はあらためてホームページや協賛する月刊ギャラリー誌上にて7月1日号にて紹介されるのでご覧いただきたい。

6月10日

日本アマチュア囲碁選手権で84歳で優勝・日本代表となった高校の恩師が5月29日から6月1日まで松江市で行われた第32回世界アマチュア囲碁選手権大会に出場した。
結果は6勝2敗で惜しくも5位に終わった。(優勝は8戦全勝の中国の白宝祥(18歳)で、2位韓国、3位アメリカ、4位フランス)
私たち生徒の優勝の願いはかなわなかったが、57カ国からの参加者中で史上最高齢(84歳)での5位入賞は立派というほかない。
7月に先輩達のクラスと合同でその健闘を称える会を催すことになり、先生の健康と頭脳明晰を保つ秘訣を教わってこなくてはいけない。

6月9日

連日だが今日は全国美術商連合会と全国美術館会議、文化庁の主催による東日本大震災支援チャリティー展の会議に出席。

私の画廊支援をして欲しいくらいの時なのに画廊にいる暇がなくスタッフの目もどこかしら冷ややか。

工芸・日本画・洋画・現代美術の約400名の作家に依頼することになっていてその規模はうちの画廊の比ではない。

NHKや各新聞社の後援もとりつけるようだが今回の美術商側の委員が私以外全て美術倶楽部のメンバーであることを考えると現代美術系の作家の賛同が果たしてえらるかどうか難しいところである。

逆に考えると現代美術系の画廊に協力を要請しても恐らくあまりいい返事は返ってこないだろう。
そうした意味では一声かけると倶楽部のメンバーがこぞって協力する体制ができているのは凄いことで、現代美術系が美術倶楽部のあり方に否定的であったとしても身を捨てて一致団結とはいかないのは残念なことである。

会議の間中私だけがどこか居心地は悪かったが私みたいな門外漢に声をかけてくれるうちが華とお手伝いはさせてもらうことにした。

6月8日

画廊のチャリティー展とは別に所属するロータリークラブの支援プロジェクトがありその会議に出席。

ロータリークラブでは全国単位で義援金を集めたがクラブ単独でも目の届くところに支援をしようといくつかの候補の中から選定することになった。

行政の目が届きにくい知的障害者施設の支援を私は提案させてもらった。
東北の知的障害者施設の多くが全半壊していたり原発地区の障害児童500人が避難を余儀なくされている。
こうした人たちは一般の避難所での受け入れは難しく関東近県の施設で受け入れをしてくれているようだが職員の数も足りず疲労も限界に達っしているとの報告を受けた。
こうした窮状は私の娘がそうした施設で働いていることから知ることとなり何とか力になれないかとクラブに支援の申し出をさせていただいた。

会員の賛同が得られ一日も早く手助けが出来るといいのだが。

6月7日

昨日は名古屋アートフェアーの実行委員会と説明会。
松坂屋本店というよりは百貨店として初の現代美術アートフェアーということで、説明会にも殆どの画廊が集まった。
日替わりイベントも私が紹介した山本冬彦氏、小池保氏、馬場駿吉氏(名古屋ボストン美術館館長)にフェアー会場にてお話をしていただくことが決まった。
松坂屋創業400年ということもあって、売り上げ及び動員数を図るのはもちろんだが、百貨店としての新たな方向性を目指す企画と捉え、総力を挙げてこの展覧会に取り組むことになった。
百貨店との取引が初めてという画廊も多く戸惑いもあるようだが、画廊名をオープンにしたり、ショップカードや画廊名の入ったカタログ類も自由に置かせてもらうといった百貨店美術部としては異例の扱いとなっていて、その意気込みがうかがえる。
以前だと、展覧会時に作家の略歴から個展をした画廊名さえ削るところが多かったことを思うと、隔世の感である。
日本橋高島屋では先週から「ZIPANGU」展という現代アートを紹介する大規模な展覧会が開かれていて、こちらもキュレーションをした画廊の名前を表に出して、百貨店としての新たな取り組みをしている。
大阪三越伊勢丹でも大阪の現代美術を扱うギャラリーと協力して、若い現代アート作家を全面的に押し出す取り組みをしていて、近代美術中心だった百貨店がこぞってギャラリーと手を携え現代アートの分野に進出することになった。

6月4日

夏の暑さの中、今日は久しぶりに大勢のお客様で賑わった。
周りの画廊が立ち退きでいなくなり、そのいなくなったところで大規模な工事、震災後の人出の減少などで、ここ2ヶ月めっきり来る人が少なくなっていただけにありがたい。
テラコッタということで、地震の後だけに割れてしまう心配もあって、売り上げも今一つだったが、今日になって俄かに作品が売れ始めた。
作品自体はとてもいいものだけに、売れないはずはないと思っていたので正直ほっとしている。
ただ震災の影響はじわじわときていることは間違いなく、私たちもここが辛抱のしどころである。
GTUの大屋さんの蝋型の作品もとても繊細で、ブロンズとは思えない柔らかさを感じさせてくれた。
大阪の作家さんということもあって、来月のアートフェアーで改めて紹介をしてあげようと思う。
GTUからも次々に若い将来性のある作家が現われ、次のステージに羽ばたいていく。
GTUというスペースがあってこそのこうした機会であり、私共にとってGTUの役割は大きい。

6月3日

地図を片手に京都散策。
烏丸のホテルから四条通りを祇園に向かう。

高瀬川沿いの小径を抜けて臨済宗の建仁寺にまずはお参り。
俵屋宗達の風神雷神図で知られ、小泉淳作の大双龍図が天井画として描かれている。

そこから夢見坂、八坂の塔を周り、小さなお店が並ぶ二年坂を経て高台寺へ。
北政所ねねが祀られている霊屋の見事な蒔絵を見てから新緑の庭園、茶室を巡る。

肌寒さが嘘のような夏の暑さとなり、ねねの道を汗を掻き掻き円山公園に入る。

公園の横手にある長春館で一服。
ここは結婚前にかみさんと行ったことがあり、瀟洒な古い洋館のレストランで、あの頃の二人にはゴウジャス過ぎて場違いな思いをしたのを覚えている。

昼食は京都育ちの父親がひいきにしていたにしんそばの店を探すが見当たらず、豆腐料理を食べることに。
外の修学旅行の子どもたちの喧騒をよそに、静かなたたずまいの中しばし京の風情を味わう。

最後に知恩院の大伽藍にお参りして帰路につくことにする。

男一人の東山路散策では絵にもならないが、のんびりとした時を過ごさせてもらった。

6月2日

今日は大阪神戸京都と大忙し。

吹田のロータリークラブでコレクターのK氏の依頼で講演をした後、来月の大阪ホテルフェアーの部屋の下見をしてから神戸のお客様のところへ。
大きな邸宅にある中国古美術や日本画の処分で伺った。
震災の被害にあうことなく生き延びた作品だけに喜んでいただけるような査定が出来るといいのだが。

終わって北野坂にあるギャラリー島田へ。
島田さんは海文堂という大きな本屋さんのオーナーだったが現在は画廊業の方に専念している。

共通の作家をやっていることもあったり、ある編集者からいただいた「奇跡の人」という本の中で無名の作家を取り上げた画廊主として登場していることもあって一度お会いしたいと思っていた。

もう一つ氏は神戸の震災の際パンのみにあらず、心の問題、希望が必要うと「アートエイド神戸」を立ち上げ、市民自らが文化を支えるという理念を掲げ、多くの資金を集めて芸術文化支援活動をされたことがあり、その時の話を伺い、私たちの支援活動の参考にさせていただこうとの思いもあって訪ねることにした。

現在東北のかた達とも連携し新たな活動にも取り組まれているという。
チャリティー展の支援先についても現地の「子どもの笑顔元気プロジェクト」があることを教えていただきこちらと連携して何らかの協力のお話をさせていただくことにした。

震災を体験したなかからの活動であり、それを現在も継続していると聞き頭が下がる思いでであった。

終えて京都に行き明日はお寺巡りをしてこようと思っている。

6月1日

6月に入ったが今日も朝から肌寒く、4月上旬の気候だそうだ。
衣替えどころか、衣戻しをしなくてはならない。

政局が喧しい。
震災が起きた当初、自民党は党派を超えて何でも協力すると言っていたが、明日どうやら不信任案を提出するようだ。
今の首相にリーダーシップがないのは誰が見ても明らかだが、それにしても何故こんな時にと思ってしまう。
民主党からも相当の造反者が予想される。
以前に責任を取って潔く辞めた上に引退宣言までしたはずの人が造反を煽っている。
岩手・福島を代表する二人の代議士が誕生会のパーティーで上機嫌で乾杯している。
家族を失った人、仕事を失った人、避難所生活を強いられている人、帰りたくても帰れない人、そうした人たちはこれを見てどう思うだろう。
被災地を思いやって、日本人みんなが節電し、お祝い事を自粛し、復興を願っている時に、こんなことが許されるのだろうか。
みんなが心を一つにの合言葉で、この国難を乗り切ろうとしている。
政治家に心を一つにの思いはないのだろうか。
身を呈し、被災地で泥まみれになって復興の手伝いをするような政治家が一人でもいて欲しい。

5月31日

週末からの雨がようやく上がった。
晴れ間がのぞくが、6月目前にしては肌寒い。
温暖化の影響なのか季節感がすっかり狂ってしまっている。

今日はまたまたテグの朴会長が11月からのアートフェアーの説明会のため来日した。
私共でセットした会場での説明会だったが、参加者も少ないので場所を移して、お寿司のランチを食べながら歓談をすることになった。
小山登美雄ギャラリーのスタッフも来ていて、人気作家を抱える画廊だけに一緒に参加してくれるといいのだが。
特別企画として、日本の若手作家を公募し、その中から6人を選出して、テグのブースで発表をすることが決まった。
月刊ギャラリーに協力してもらい、次号にて応募要項を告知するので関心のある方は是非見ていただきたい。
6人の中から更に一人を選出し、テグの画廊協会賞としてテグフェアーに招待をしてもらうことになった。
6人の作家はそれぞれ3.6メートルの壁面が与えられ、そこに3点の作品を発表し、売ることも可能とした。
若い作家の韓国の美術市場への足がかりとなることを期待したい。

5月30日

先週末から梅雨入り。
5月の梅雨入りなんてあまり聞いたことがなく、震災の傷痕を癒してくれるはずの穏やかな春がこれではあまりに短い。
いつものことながら、私の体調も梅雨の訪れと共にすぐれなくなり、この頃になると朝の散歩がきつくなる。

昨日の日曜日、一日雨で家でだらだらしていてもしょうがないので、久しぶりに映画を見に行った。
同じ思いの人が多いのか切符売り場は大勢の人で溢れかえっていた。
話題の「ブラックスワン」で場内も超満員。
全編出ずっぱりのナタリー・ポートマンが良かった。
心の変化・葛藤をを見事に演じきり、さすがこの作品でアカデミィー主演女優賞をもらったことだけのことはある。
映画館で見るのはテレビで見るのと違って臨場感があり、その迫力に圧倒される。
ただ年寄りには音響の大きいのが心臓に悪い。
耳はだんだん遠くなってきているので聞こえにくいはずなのだが、耳をつんざかんばかりの音のたびに椅子から飛び上がりそうになる。
あまり好きではないが、心臓麻痺にならないように、ホラー映画や戦争映画を見るときは家で見ることにする。

5月28日

チャリティー展の出品作家の方から次のようなメールが寄せられた。
6月26日(日)のチャリティー展の初日に作家や詩人、学者の方に震災について何か語っていただいたらどうですかという提案であった。
私も善意で思いを込めて作品を制作していただいた作家の皆さんや、お力を貸していただくお客様に一言お礼を述べようと、26日の夕方に皆さんにお集まりいただくつもりでいた。
その折にご提案のようなことが出来ればと、早速知人の詩人で美術評論家でもある小川英晴氏に被災地への思いを込めて詩を作っていただき、朗読をしてもらえないかとのお願いをさせてもらった。
即座に快諾をいただき、心を込めて被災地に捧げる詩を作っていただけるとのことで、心からお礼を申し上げたい。
お客様にもご協力をいただき、その浄財で被災地の子ども達に画材を送るつもりでいるが、一緒に小川氏の詩も添えさせていただこうと思っている。
仙台にあって被災に遭い、大変な状況の中から今回のチャリティー展に出品をしていただいたうじまりさんにも、もし来ていただけるなら、皆さんの前で現場からの思いを伝えて欲しいとお願いしている。

関心のある方は是非26日お越しください。

5月27日

6月に予定している被災者へのチャリティー展「響け・アートのこだまー祈りを込めて」の出品作が続々と出来上がってきている。
心を一つに心を込めてとお願いをしていたが、皆さん本当に心のこもった作品を作っていただいている。
普通であればかなり高額となるはずの作品を一生懸命作ってくださる作家の皆さんに感謝感謝である。
届いた作品を手に取るたびに皆さんの暖かい気持ちが伝わり目頭が熱くなる。
長い間作家の皆さんとともに歩んできたことで、こうした時に心を一つにできるのだと思うと、改めてこの仕事を続けてきてよかったと心から思う。
作品が揃えば今度はお客様にお願いをしなくてはならない。
古着を送るようにありあわせの作品を並べるのではなく、気持ちを込めた作品を作家の皆さんが作ってくれています。
1点でも多くそうした作品をお手元に置いていただき、共に被災をした子ども達にアートのこだまが届くようお力をお貸しください。
作家、お客様、私たち、大きな力ではないけれど、アートを通して力になりたいとの思いが届き、子ども達の笑顔に繋がることを願っています。

改めて皆様には案内状及びメール・ツイッター・フェースブックなどでお知らせさせていただきますが、6月25日(日)、26日(月)、27日(火)の三日間を予定しています。

先ずは山中現のガラス絵と篠田教夫の鉛筆消しゴム画を紹介させていただく。

5月26日

鷹の台駅前にある松明堂書店・松明堂ギャラリーから閉店・閉廊のお知らせが届いた。
書店が45年、画廊が24年という長きにわたり、地元文化に貢献してきただけに残念なことである。
画廊以前は私共でもコレクターとしてお付き合いをさせていただき、開廊後は私共の取り扱い作家を多く取り上げていただいた。
特に望月通陽とのお付き合いは私共以上で、1年間月替わりで彼の個展をするといううらやましいような企画をされたこともあった。
展覧会の数も491というから、都心から離れた場所にあって24年わたりこうした足跡を残したことは素晴らしいことで、本当に惜しい画廊がなくなる。
書籍離れや、ネットで本を読む時代になったことで、町の本屋さんの存続自体もむずかしくなったのだろう。
レコード屋さんも閉じる時代となり、時の流れを感ぜずにはいられない。
新所沢に松明堂ホールがありこちらはは続けていくようなので、何とか地域文化の灯を絶やさないでいただきたい。

5月25日

京都のフェアーの入場者は27百人と昨年より若干増えたが参加画廊が昨年の倍になったことで分散してしまい、盛り上がりは今ひとつのように思えた。
中には版画で50点近く売れた画廊や大作が売れたところもあって成果を挙げた画廊もあるが、写真をメーンに構成した我がブースは惨敗。
写真への展開はまだ我が画廊では道険しである。
狭い部屋での展示とお客様への対応も難しい面があり、7月の大阪のホテルフェアーの展示プランももう一度考えなおさなくてはいけない。

今月末にテグのアートフェアーの説明会で朴会長が再び来日することもあって、多くの画廊に参加の呼びかけをしているが、今のところ関心を示すところは少ない。
私も乗りかかった舟で何とかしてあげたいのだが、こればかりはそれぞれの画廊の思惑で致し方ない。
逆に日本からの参加が少ない分だけ、私のところの作家が目立つことになるので、無理することないよと周りからは言われるのだが。
実際私のところは2年続けて出ていて、フェアーでの売り上げはそれほどでもないが、テグ画廊協会買い上げ作品が市長室に飾られたり、展示をしたリユンボクの大きな彫刻が美術館に納まったりと、後々に繋がっていく。
目先ではなく、長い目で考えてもらえるといいのだが。

5月24日

今週は木村繁之の陶立体展とイソルジュ写真展を開催する。
木村は前回に引続きテラコッタによる発表だが、前回にも増して一点一点の完成度が高くなり、会場全体が厳かで上品な雰囲気を醸し出している。
今回は人物像を中心に発表したが、精緻さも加わり、女神とも見える凛とした姿に思わず見るほうも姿勢を正す。
日本的情緒感も醸し出していて、海外にも紹介をしていきたいと思っている。
イソルジュは花と裸婦を重ね合わせたり、風景を重ねたりと二つのイメージを取り込んだ写真作品を発表した。
韓国・光州を中心に展覧会を重ね、向こうでは既に評価を得た作家だが、日本では初めての個展となる。

5月22日

香港で新たなオークション会社が設立され、 そこの担当者がやってきた。
従来のような似たり寄ったりの作家ではなく、独自の視点で作家をセレクションして顧客に紹介し、新たなコレクター層を作っていきたいとのこと。
私どもの作家もかなりリサーチをしてきたようで、河原朝生、桑原弘明、開光市といったキャリアのある作家から若手では内林猛史、北村奈津子、呉亜沙といった作家を紹介していきたいといってきた。
海外のフェアーに紹介したことがない作家も多く、広く知ってもらうのにはいい機会なのだが、マネーゲームの中に作家が取り込まれることだけは避けたい。
長期的視野に立ったコレクターを育成していきたいと言っているので、そういう方向であれば協力も考えなくはない。
11月に香港で最初のオークションが予定されていて、その時期に丁度香港で山本麻友香の個展もあるので、先ずは見に行ってその様子次第といったところだろうか。

5月21日

風薫る5月。
うまいこと言ったもんだ。
たしかに朝公園を散歩していると風に乗って新緑の甘い薫りが漂う。
新緑を背景に公園の薔薇は一斉に花開き色どりを競う。
最近ベランダにポットを据えて買ってきた花を飾って楽しむようになった。
朝起きて新しい花が咲いているのを見るのが楽しみの一つとなり、ますます爺くさくなってきて、そのうち盆栽などにも手を出しかねない。

5月20日

夏のような陽気。
展示を終えて我がブースは写真のように一際華やかだが、間取りを昨年のツインからシングルにしたせいかかなり狭く3人ほどのお客様でも身の置き場がなくなる。
朝からパク会長とユンボク君が昨日と打って変わって爽やかに登場。
早速各ブースを案内するが60もあって同じことを繰り返し説明するのは骨が折れる。
一方会長はのんきなもので展示が気になってよそ見ばかりで何しに来ているのかわからない。
馬鹿馬鹿しくなって止めたくもなるが、これも日韓親善とこらえるしかない。

フェアーのほうは初日としては静かで多少不安だが、青山のフェアーウルトラでスタッフの島田が紹介した坂口トモユキの写真に予約が入る。
アニメのイラストやフィギュアで満艦飾に飾られた自動車を撮った作品で、こうした車を痛い車「イタシャ」というそうだ。
イタリアの車ではなくでオタク用語で見ていて痛々しいという意味だそうだが、私は全く知らなかったし、まだ見たこともない。
秋葉原に行くとこうした車を目立つところにおいて、遠くから集まってくる連中を眺めては一人悦にいっているとのこと。
昔にトラックを浮世絵風に派手派手に飾り立てるトラック野郎がたくさんいたが、その現代版といっていいだろうか。
こうした文化は日本独特のもので、海外に持っていってもきっと話題になるに違いない。

5月19日

テグ画廊協会のパク会長がリユンボク君を連れて京都にやってきた。
テグアートフェアーの宣伝と勧誘のためだが、事務局スタッフは放射能を怖がって誰も来たがらず、代わりに通訳としてアーティストのユンボク君を連れてきた。
二人は名だたる大酒飲みで飲み出したら朝までという強者。
下戸の私は出来れば逃げ出したいが、いつも韓国でご馳走になっているのでお連れしないわけには行かない。
幸いホテルの横に飲み放題食べ放題のお店があってこれに限ると案内することに。
ところが二人とも昨夜大阪で4、5軒を飲み歩いたそうで全く元気がない。
拍子抜けというかほっとしたというかそこそこに引き上げ、帰りにスターバックスに寄ってコーヒーというお手軽コースで無事終了。
明日の初日を何事もなく迎えることができそうだ。
やれやれ。

5月18日-3

京都へ。
絶好の行楽シーズンで新緑の京都をたっぷりと味わいたいのだが残念ながら今日からアートフェアーが始まり抜け出せそうにない。
今回はフォトアートとオブジェで構成し新たな客層に結びつけたいと思っている。
日本のフェアーはどうしても会期中だけの盛り上がりで後に繋がることがない。
京都では是非私のところの新しい面を見ていただき新たなお客様との後々までのお付き合いに繋げたい。
日曜日に終わった台北が思った以上の成果があっただけに負けてはいられない。

5月18日-2

日曜日に朝早くから富士山5合目にドライブ。
料金所に入る手前にメロディーラインというのがあって、道路の段差を使ってタイヤの音がメロディーを奏でる。
「頭を雲の上に出し・・・富士は日本一の山♪♪♪」と聞こえてくる。
朝早いせいか行き交う車も少なく、五合目まですいすいと到着。
車より自転車で上っていく人が多いのには驚いた。
空気も薄くなり、延々と続く坂道を登るのは相当辛そうで、何でこんな思いまでして上るのか? 
そこに山があるからか。
そう言えば以前に息子がイギリスのラグビー仲間と二人で走って頂上まで行ったことがあったが、私はお金をもらっても遠慮する。
神社にお参りした後、五合目の手前にある奥庭はというところを散策。
ここは高山植物や珍しい野鳥に出会えるところなのだが、少し来るのが早すぎたようで、もう少しするとホシガラスやウソなどの鳥が間近で見えるそうだ。
ここからの富士山は絶景で五合目よりはこちらがお勧めコースである。
そこから下って、本栖湖で開催されている芝桜祭りに向かう。
物凄い人出だが、チラシで見る一面桜色とは大違いで、五分咲きだというがまばらにちらほらといった具合で、がっかり名所のひとつになりそうである。
道も大渋滞で、遠くからわざわざ来た人が気の毒。 
それでも真っ青な空に残雪の残る富士山が聳え、富士の絶景を見るだけでも来た甲斐があったに違いない。

5月18日

震災の影響で開催が心配された国立新美術館での「ワシントンナショナルギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇蹟のコレクション」が予定通り6月8日から開催されることになった。
ワシントンナショナルギャラリーの大英断といっていいかもしれない。
ここの所蔵品は全て創立者とその遺志を受け継いだ一般市民からの寄贈によって成り立っていて、先日映画で話題になった「ハープ&ドロシーコレクション」もここに寄贈された。
約12万点の西洋美術のコレクションの中から、印象派とポスト印象派の選りすぐりの作品、それも日本初公開の50点を含む83点が紹介される。
マネ・モネ・ルノワール・カサット・セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャンの国宝級といっていい作品が並ぶことになる。
海外からの美術展が中止もしくは延期となる中、よくぞ開催にこぎつけたと、改めて関係者の努力に敬意を表したい。
ただ、ルノワールやゴッホなど印象派好きの日本での公開となると、ゆっくり鑑賞することはあきらめなくてはならないだろう。
6月8日から9月5日まで開催される。

5月17日

台北のホテルフェアーが終わったらすぐに今度は京都のホテルフェアーが19日から始まる。
スタッフも京都、名古屋、大阪、台北、ソウル、テグとそれぞれ担当を決めて準備をしてもらっているが、画廊での展覧会も次々に予定されていて、社長以外は大忙しの毎日である。
7月にはもう一つ朝鮮日報が主催する大規模なアジアの若手作家による発表展がある。
こちらは約700名の韓国の美大生が作品を発表すると共に、アジア各国の原則30歳までの作家が招待され、2.4メーターの壁面を与えられ、作品を展示する。
昨年は担当をされた大阪のヨシアキ・イノウエギャラリーに誘われ参加したが、今年は私のところが日本側の窓口となり、自薦他薦を含め20数名の作家を推薦させていただき、その中から10名の作家が選ばれて発表することになった。
発表だけではなく売ることも可能で、昨年は20代の浅井飛人や青木恵、高木まどかの作品が売れた上に、浅井はソウルやジャカルタでの展覧会に繋がることになった。
今年も10名の中から、明日へ繋がる作家が出ることを期待したい。

5月14日

台湾のフェアーは大勢のお客様が見えていて、売り上げも順調のようで大盛況とのこと。
私共のブースの入り口に「最も早く・最もたくさん・最も暖かい支援をいただき感謝します。日本は頑張ります」の言葉を中国語で掲示させてもらっている。
韓国からは80億円を超す義援金が送られてきたが、台湾からも100億円を超す義援金がいち早く送られてきた。
人口が少ない台湾からこれだけ多額のお金が送られてくるのは大変なことである。
今、政治や経済は中国本土に眼が向きがちだが、親日国の台湾にもう少し手厚い対応してもいいのではないだろうか。
国交を結んでいないにもかかわらずこうして温かい目を向けてくれる台湾の人たちの方が、反日感情を持ち、ごり押し傲慢の中国よりよほどいいと思うのだが。

5月13日

展覧会が予定されているジャカルタの画廊に浅井飛人の新作3点を送ることになり、それぞれにひっくり返っても壊れないような頑丈で体裁のいい木製ケースをヒット君が作ってきてくれた。
さて送る段になって問題が。
海外に送るには木箱なら何でもいいというわけではなく、害虫予防などのために燻蒸された木材を使わなくてはいけないということで、ヒット君の苦労が水の泡となってしまった。
結局作った木箱を燻蒸してから送ることになったが燻蒸代だけで4,5万かかるという。
肝心の中身も木製なので、こちらは問題ないのかという疑問もあるが、余計なことを言うとややこしいのでそちらはそっとしておく。
こうしてインボイスに燻蒸の証明印が押されてようやく先方に送ることになる。

海外に送るには他にも関税や保険など面倒なことが多い。
韓国のように美術品に関税がかからない国はいいが、多くの国では税金がかかる。
展覧会で多数の作品を送るときには売れる売れないに関わらず税金は取られるが、売れずに戻ってくる作品は税金が還付をされ、輸入ではないので日本でも納める必要はない。
こうした面倒な手続きは業者に頼むことになるが、直接FEDEXやDHLで送ると手続きを自分でやらなくてはならず、うっかりすると売れずに戻ってきた作品でも税金が取られてしまう。
色々厄介なことが多いが、現状は海外に頼らざるを得ないので、面倒をいとわずやるしかない。

5月12日

雨が続き梅雨入りでもしたのかのようだ。
震災の影響もあるのかここしばらく見に来る人も少なくなり、その上天気が悪いとなると画廊も閑散としている。

先日、名古屋松坂屋でのアートフェアーの会議があって出かけたが、この企画も震災前に立てられたものだけに、百貨店側も最初の意気込みからは多少腰が引き気味に感じられた。
私も突然にこのフェアーの実行委員に入れられ、有無を言わさず引き込まれてしまったので、この企画にどう対応していいのか正直戸惑っている。
集客力には期待をもてるが、現代美術が百貨店のお客様に受け入れられるかどうかが難しいところで、売り上げの大きな力となる外商部がどの程度理解をし動いてくれるかにかかっている。
外商部からすればある程度知名度のある作家が必要となるが、それでは次代の顧客づくりを目指す今回の百貨店の意図とは違ってきてしまい、私たち参加画廊はどのようなブース構成をしていいのかが見えてこない。
百貨店一丸となってこの新たな企画を成功させようとの強い気持ちが先ずは必要で、それに呼応して私たちが全力を挙げて取り組むという図が見えてくるといいのだが。

5月11日

台北のホテルアートフェアー「ヤングアートタイペイ」が明日から始まる。
台湾・北京の画廊を中心に70画廊が参加するフェアーだが、その3分の1近くが日本からの参加となる。
震災後の影響も多く、海外に活路を求める画廊が増えてきている証でもある。
泰明画廊、彩鳳堂画廊、新生堂といった近代美術をメーンにしてきた画廊も新たな展開を求めて参加するようになった。
私のところはいち早くアジアに進出したが、これほど多くの画廊が参加するようになるとはとても思えなかった。
当初台北やソールのフェアーのお手伝いをさせていただいた頃は、いくらお誘いをしても日本から参加をする画廊は少なく、一軒一軒向こうの会長や事務局の方と勧誘に廻った頃が夢のようである。
8月の台北、9月のソウルのメーンのフェアーでは今や参加希望の日本の画廊の多くがセレクションで落とされてしまうという状況になってしまった。
香港・シンガポールは欧米の画廊が多く参加することもあって更に厳しく、私のところもセレクションではねられてしまう。
日本でも20日から始まる京都ホテルフェアーも昨年の倍の規模となっていて、アートフェアー全盛といったところだろうか。
こちらにはコレクター集団・ワンピース倶楽部が参加するなどフェアーに直接コレクターの方たちが関わるようになってきたのも興味深い。
ただ残念なのは、他のアジア諸国と違って、僅か3画廊しか海外から参加しないのは、日本のアート市場がグローバル化されない現状を如実に表しているようだ。

5月10日

中国を代表する現代アート作家で北京オリンピックのメーンスタジアム「鳥の巣」をデザインしたことでも知られるアイ・ウェイウェイ氏が中国当局に拘束されて既に1ヶ月以上が過ぎた。
氏の展覧会は森美術館でも開催されたが、私が初めて見たのはソウルの画廊で、ネットで集めた人たちに持たせた全て同じ形の海外用旅行カバンが所狭しと並べてあり、中国人らしいスケールの大きさに驚かされたものである。
イギリスのテートモダンでは1億個のひまわりの種を敷き詰める展示をしたそうだが、これは全て手作りの磁器で出来たフェイクで、1600人の人が2年半かけて制作したという。
一見馬鹿馬鹿しいように見えるが、ひまわりの種には毛沢東の政策の影で飢饉に苦しんだ農民の食物ということで、中国当局の政策を暗に批判する意味合いが込められている。
こうした活動から中国当局からは反体制活動家と見られていて、上海にあったアトリエは違法建築という理由で取り壊されたが、それにもめげずネットで呼びかけた参加者に10,000匹の上海蟹を振舞ったという。
中国語の蟹の発音は「調和」と同じだそうで、これも政府批判の表現であった。
そうした活動の結果、今回は脱税というでっち上げで逮捕されてしまったようだ。
ノーベル平和賞のリュー・シャオボー氏の時もそうだが、こうした民主化運動の人たちを拘束する一方で、資本主義国家も顔負けの超バブル時代を謳歌する現状をどう理解したらいいのだろうか。
おそらく中近東での反体制運動の連鎖を恐れ、改革運動を防ぐには情報を封じ込め、影響力のある活動家を弾圧する以外に道がないのだろう。
13億の人民と60を超える民族を抱える中国がこうした弾圧を繰り返していれば、いずれ民衆が蜂起する日が来るのは間違いない。

5月9日

ロータリークラブで「どうなっているの?新宿の家計簿は」を著した公認会計士鵜高利行氏から税収と公務員の人件費という話を聞いてきた。
税収は今年度国税・地方税合わせて71兆円で国家予算の不足分61兆円を国債・地方債という借金で賄っている。
この国債・地方債は既に1200兆円を発行していて、赤ん坊が生まれるとその子は生まれたときから1千万円の借金を背負うことになる。
更にはこの借金は毎日1500億円づつ増え続けているという。
国民の預金や資産が1400兆円あるから大丈夫だというが、それを超えてしまう日はすぐ目の前に迫り、日本が破産状態になる日も近い。
これに対して公務員の人件費は国家公務員が5兆2千億円、地方公務員が27兆8千億円で合わせて33兆円となっている。
税収の約半分が公務員の給料で消えていくことになる。
公務員の人件費がどのくらいかというと、国家公務員の平均年収(退職金などを含む)が921万円、地方公務員が973万円に対し、日本一の企業トヨタ自動車の社員が710万円であることを考えるといかに公務員の給与が高いかがわかる。
こんなことでいいのかというのが今日の骨子なのだが、現政権は公務員の給与カット2割を公約に掲げたが、いまだ実現する兆しさえ見えない。
借金まみれを解消するには税収を上げるか、歳出を減らすしかないのだが、こうした大震災で更に支出が多くなれば、消費税を上げるのは先ず間違いない。
2005年のIMFのネバダレポートによれば、日本が破綻しIMFに支援を頼むことになると、消費税20%、所得控除を100万円まで引き下げ、預金に対し3,40%の課税や固定資産、株式に対しての大幅な課税など財産税の導入をその条件に挙げている。
その上で年金カット、債券の償還延期、預金の1千万円ペイオフの実施など国民に負担を強いることも述べられている。
しかし、このレポートではその前に先ず公務員の数の3割削減、給与3割カット、ボーナスゼロ、退職金無しを冒頭に掲げていることを政治家や公務員は自覚しなくてはならない。
国難といっていいこの時期だけに、被災地の復興の影に隠れてしまいがちだが、この問題を真剣に考え、一日も早く公務員改革に乗り出さなくては、日本は夕張市やギリシャ、アイルランドと同じような状況になってしまうだろう。

5月8日

以前に日記でお知らせした推理作家で知られる折原一氏の骸骨絵コレクション展がいよいよ5月16日から21日まで銀座5丁目の文藝春秋画廊で開催される。
「メメント・モリーー死を想えー」と題されたコレクション展は私共でお求め頂いた消しゴム細密画で知られる篠田教夫や藤野級井、建石修志の作品も展示される。
英国のダミアン・ハーストのダイヤをちりばめた骸骨の作品が2007年に5千万ポンド(約70億円)で落札されたのは記憶に新しいが、これがきっかけかどうかはわからないが、巷では若者のTシャツやアクセサリーに骸骨を使った物をよく見かけるようになった。
アーティストも魅力的な題材なのか、人や動物の骸骨をテーマにする人も多い。
しかしいざコレクションとなると、怖い、気味悪いとその類の絵にはなかなか手を出さない。
ダミアン・ハーストも死をテーマに骸骨の他にもホルマリン漬けの牛やシマウマ、ヤギの作品など気味悪い作品を制作し(すべてスタジオワーク)高値で取引されているが、ガゴシアン、ホワイトキューブといった有名画廊の扱い作家で、その仕掛けも多分に影響されているのだろう。
その日本版が村上隆で同じように仕掛けることで、高い評価を得た作家といっていいだろう。
彼もダミアン同様に骸骨作品を造っているが、果たして偶々なのだろうか。
こうした作家の作品は含まれていないが、折原コレクションも個性ある他に真似できないコレクションだけに、今後ダミアン・村上と同様に高い評価に繋がるかもしれない。
上記の他に池田満寿夫、大島哲衣、小山田二郎、加藤清美、柄澤斎、坂田哲也、、成田未樹、山本タカト、渡辺栄一、ビュッフェやジョン・ウェイン・ケージという死刑囚の作品など三十数点が出品される。

5月7日

連休が明けて早速二つのスペースで個展が始まる。
一つは福島保典展で私どもでは4回目の展覧会になるだろうか。
前橋にある阿久津画廊のオーナーの紹介でお目にかかり、独特の人物表現に惹かれて個展をすることになった。
ピカソを思わせるような大きな目が特徴の人物はユーモラスでありペーソスにも溢れ、描かれた人たちがとても身近に感じられる。
今風の可愛げな人物画とは一線を隔し、キャリアならではの個性溢れる人たちを是非見ていただきたい。

GTUでは新人の渡辺大祐展である。
昨年「ヤングアーティストジャパン・VOL3」というタグボート主催の120名の若手作家がそれぞれにブース単位で出展し、展示即売をするという企画があり、新しい試みとして、20名のギャラリストによる審査を行い、各ブースのグランプリと1位から3位までを決定するということで、私も審査員の一人として審査に加わった。
惜しくも選にもれたが、私が最高点を挙げたのが水面に映る揺らぎを写真にした渡辺大祐であった。
そのご褒美として私のところでの初めての個展となった。
前にも書いたが、現代美術の中でフォトアートの進出は目覚しいものがある。
世界のアートフェアーでも、フォトアートの占める割合は大きく、今や各国でフォトアートだけのフェアーが多く開催され、先日もソウルに行った際に盛大なフォトフェアーが開催されていた。
そうした状況にあって、私も岡本啓や大月雄二郎などの写真展を開催してきたが、渡辺大祐もその一員として加わることになった。
色彩や構図がアートそのもので、とても写真とは思えない情景を巧みに写し出している。
風や木の葉が落ちる自然のままの微かな水面の揺らぎに映る人物や木々はモネの蓮池を思わせるように美しい。
京都のフェアーでは写真とオブジェで発表することになっていて、渡辺も出品することになり、私が最高点をつけた作品を発表することにした。

キャリアの福島とフレッシュな渡辺との二つの個展を是非見比べていただきたい。

4月29日

月刊ギャラリー5月号の名古屋覚氏の評論の眼の岡本太郎展の批評は痛烈である。
滅多切りといったらいいだろうか。
日本の美術界に切り込んだといっていいかもしれない。
5月8日まで国立近代美術館で開催中の岡本太郎展だが初期の作品は別にして、私も同じようにその多くの作品は評価に値しないと思っている。
偶々那須のニキ・ド・サンファール美術館の館長が見えたが、ニキの彫刻を見ていると岡本の作品が卑しく稚拙に見えて仕方がない。
画壇と一線を画し、自分一人で作家として頂点に上り詰めたことは大したものだが、それは作品の質に裏づけされたものでなく、自分を演出できるタレント性と意表をつく行動でその地位を築いたに過ぎない。
政治力やビジネスセンスで美術市場で高い評価を勝ち取る作家も少なくないが、長い歴史の中では作品だけの評価が美術史に生き残る道である。
堕落、妥協の産物が作家一流のポーズの中に隠されているのを見抜けない人たちに名古屋氏は一石を投じたかったのではないだろうか。
褒め称えるだけが批評ではない、骨のある評論を久しぶりに読ませてもらった。

4月28日

朝から春を通り越して初夏の日差し。

2週間ほど前から肩こりと頭痛に悩まされていて、生まれて初めて針治療というのをやってみたが効果なし。
どうやら原因は眼の疲れからきているようだ。
パソコンで書き物をしたり、本を読んだりする時の眼鏡も合わなくなってきているのだろう。
そんなこともあって、朝から眼科に出かけたが木曜日でお休み。
連休に入ってしまうのでしばらく我慢しなくてはならないが、肩こりなど無縁と思っていた私も寄る年波にはかてなくなってきたようだ。

4月27日

大学のヨット部の後輩の頼みで、横浜のロータリークラブでの講演に出かける。
この前も先輩の依頼でロータリークラブの講演をさせてもらったが、同じ釜の飯を食った仲間の頼みだけに断るわけにはいかない。
50年以上の歴史を持つ横浜の名門クラブだけに恐る恐るだったが、高校の後輩や大学の同期などもいて、緊張もせず気楽に話をすることが出来た。
お昼ご飯の後の睡魔に襲われる頃だけに、私のつまらない話で居眠り続出と思ったが、意外や真剣に聞いていただきほっとした。
私もロータリーに入って35年が過ぎて古株の部類に入ったが、このクラブも55年を迎える東京でも屈指のクラブだけに、私の人生にとってかけがえのない素晴らしい経験をさせてもらったと思っている。
色々な職種の諸先輩から学ぶことは多く、医者や弁護士、会計士、建築家などには仕事はもちろんプライベートなことまでずいぶんとお世話になった。
普段話もできないような人も、ここでは対等というよりは私が先輩面してお付き合いをさせていただき、多くのことを教えていただいた。
今日の私のようないい加減な話は別としても、毎週各分野の人からの講演も聴くことができ、これも私のような浅学菲才の者にとっては、大変有意義な時間となっている。
留学生を預かったり、里親をさせてもらったり、多少は人のお役に立てたのもこのクラブに入ったお陰と感謝している。
そのせめてもの恩返しと思って、こうした講演を恥を掻きながらでもお受けすることにしている。
6月には大阪吹田市のロータリークラブでの講演も頼まれていて、文化の伝道師のつもりで出かけてくる。

4月26日

友人が二子玉川の駅前の大きなビルに会社を移転し、その社長室に大作を飾るので運んで欲しいとの依頼でレンタカーを借りて出かける。
会社の中に入ると、「道」をテーマにしたデザインは洗練されていて、ホテルと見間違うような事務所である。
テーマどおりに細長い空間が続き、一面ガラス張りとなっていて、多摩川越しに180度の大パノラマ風景が広がり、富士山も一望できる。
ここで働く社員がうらやましい。
それにしてもこの時期にたいしたものである。
広い空間に展示スペースはたくさんあり、そのプランも頼まれているので早速その準備にかからなくてはいけない。

4月25日

慌ただしく日が過ぎ今日帰国。

昨日のこともあって多少不安だったが地下鉄に乗って昼食を約束したSPギャラリーに向かう。
韓国ではタクシーも安いが地下鉄は100円ちょいでどこにでも行ける。
昨日も金浦空港から1時間ほど乗って140円だから驚くほど安い。
荷物がなければ時間も正確な地下鉄に限る。
とは言え方向音痴のわたしは降りてからがまた一苦労。
地図と微かな記憶を頼りに不安一杯で向かったが無事到着。
車に乗っているとわからない別の画廊との位置関係も歩いてみるとよくわかる。
ユンボク君頼りの私も昨日今日でだいぶ自立出来たようだ。

4月24日

新幹線で釜山へ。
山本麻友香の個展を予定しているギャラリーウーで打ち合わせ。
土地勘が全くないうえに頼りのユンボク君が行けないとあって代わりに彼のすすめで横田尚が同行。
釜山駅で場所を聞くと市街地からは遥かに遠く道も混んでいるので地下鉄をすすめられるがこれからが横田と二人の珍道中。
まずは逆方向に乗ってしまい気が付き戻る間にもなんだかんだあってあげくに乗り換え駅では待つ場所を間違え電車が何度か行き過ぎるのを見ているという大失態。
すったもんだで新幹線と同じ時間をかけてなんとか到着。
駅を出るとびっくりの一大リゾートタウンが出現。
超高層ビルとニースのような海沿いのレストランやカフェが立ち並ぶ。
海雲台という韓国屈指のリゾートである。
ギャラリーウーはそうした中にあって現在建築中の2棟88階建ての超高層マンションの真ん前のお洒落な画廊である。
ゆっくりと食事をしたり個展の話をしているうちに遅くなり帰りの新幹線はすでに予約で一杯となってしまった。
どうしようと慌てる私たちにウーさん何と飛行機の予約を取ってくれたうえに二人分の高額なチケット代まで払ってくれていた。
空港までもタクシーで送ってもらうという至り尽くせりのおかげで帰りは何事もなく無事到着となった。
やれやれの一日であった。

4月23日

昨日と打って変わってうららかな陽気。
陽気につられてホテルの前の漢江河畔を散歩。
昼食をしながらテグアートフェアーの会長と打ち合わせ。

終えて展覧会が予定されている画廊にヒット君を案内するがただただ画廊の大きさにはびっくりするばかり。
今までの作品サイズではとても持ちそうもないことを痛感したようだ。
そのすぐそばの画廊が4人展の会場。
入り口の壁には大きな展覧会の垂れ幕が下がり横田・堀込大いに感激。
オープニングも大勢の人で賑わう。
夜は韓定食のご馳走。
大きなテーブルに所狭しとおかれた料理にどれから箸をつけていいのか戸惑うばかり。
これまた作家さん達大感激。
疲れてマッサージに行く女性達を後目に朝鮮日報主催の展覧会の打ち合わせが遅くまであって休む間もない一日となった。。
明日は早くから新幹線で釜山に日帰りで行ってくる。

4月22日―(3)

ソウル到着。
雨が降っていて肌寒い。木々の緑もまばらで春はこれからのようだ。

空港に迎えに来てくれたリユンボク君からチャリティー用の作品を受け取る。
ハートを二つ並べた作品で心は繋がっているという気持ちを表現してくれたそうだ。
被災した人達に少しでも役立つことができればとても嬉しいと言っていた。

韓国各地でも多くのチャリティー美術展が開かれているようだ。
5月のうちの個展と京都ホテルフェアーの打ち合わせで昼から会ったフォトアーティストのリソルジュ君も光州のロッテデパートでのチャリティー展に出品し3点が売れて全額寄付したそうだ。
これには81名の作家が参加した。

台湾でもそうしたチャリティー展が多く開かれているようでアーティストの暖かな心が伝わってくる。
本当にありがたいことと心から感謝する。

4月22日―(2)

第4回アーティクル賞の発表があった。
グランプリの中村亮一は先日私共で資料を見せていただいた作家である。
ドイツに留学して研鑽を積み今回の受賞となった。
作品には色々な要素があってまだ模索中のところもあるが、木の庄企画で発表している大作はダイナミックでメッセージも織り込まれていて、見ごたえのある作品となっている。
7月にソウルで開催される朝鮮日報主催のASAYAAF(アジアン・スチューデンツ・ヤングアーティスト・アートフェスティバル)の日本側の作家の紹介を私が依頼されていて、彼もその候補の一人である。
立野恵賞(佐藤美術館学芸部長)には私共で発表した青木恵が受賞した。
彼女は多摩美の日本画科出身で去年のASAYAAFに出品し、80号の大作が売約となった経緯がある。
偶々選ばれた二人がASAYAAFがらみというのも不思議な縁である。

http://www.art-icle.jp/4th_art-icle_award_result.html

4月22日

今日から横田尚、堀込幸枝、浅井飛人の3人と一緒にソウルで23日から始まる「春4人4色展」のオープニングに出かける。
横田、堀込に山本麻友香、綿引明浩それぞれが4、5点の作品を大作を中心に出品する。
そのカタログが送られてきたが、うれしいことに封筒と表紙に「GAN BA RE!JAPAN」と赤い字で書いてくれている。
今回は他に浅井の展覧会の打ち合わせや、いくつかの画廊との展覧会やアートフェアーのミーティングもあったり、日曜日には釜山まで足を延ばすことになっている。
ソウルも桜満開でいい季節だが、物見遊山とは行かないようだ

4月21日

山中現さんが先週チャリティー用の素敵なガラス絵を持ってきてくれた。
被災地に近い喜多方の美術館で昨年個展をしたこともあって、被災地に寄せる思いも強いようだ。

実家が仙台にある北村奈津子さんも早々にチャリティー用の作品を作ってくれたので紹介をさせていただく。

6月のチャリティー展の作品が上がりましたのでご報告いたします。
タイトル:flower shower
サイズ:高さ49cm 奥行き15cm(台座の10cm角 含む)
素材:木、粘土、針金、和紙

まだ寒い東北の3月。沢山の悲しみが降りました。
これからは、どうか、冷たい雪でなく、悲しみでもなく、
沢山の幸せが降り注ぎますように。
そう、願って、作りました。

北村

4月20日

4月29日から開かれる北京のアートフェアーの案内が送られてきた。
バブル景気に沸く中国市場でのフェアーだが、海外からの出展は少なく、日本からも北京に支店のある東京画廊、ギャラリー野田が参加するくらいで、殆どが中国国内の画廊である。
消費税・物品税を合わせると37%を税金にとられてしまう上に、値切ることが一つの文化となっていて、いくら売れても海外からの画廊は採算にあわない。
私のところにも昨年お誘いがあったが、とてもこの現状では参加は難しいので、是非フェアー会場内を保税地域として開催してくれれば参加を考えたいと伝えてある。
主催者も政府に掛け合っているが、国内保護の観点から難しいのではないだろうか。
以前に私共が参加した北京のフェアーでは、主催者でもあった台湾の画廊とタイアップし、デリバリーを全て台湾でやってもらうことでクリアーできたが、こちらのフェアーではそういうことも出来ず、参加を見送っている。
北京の前の26日からは香港のフェアーがあるがこちらは圧倒的に海外からの参加が多く、そのセレクションに通るのは難しく、気の小さい私ははなからあきらめて参加の申し込みをしていない。
それでも日本からは20軒近くの画廊がセレクションを通っていてうらやましい限りである。
今年は香港の画廊で山本麻友香の個展も予定されているので、是非来年はチャレンジをしてみたい。

4月19日

震災後の日記を見てみると、毎日のように震災に触れた日記を書いている。
震災シンドローム症候群になってしまったようだ。
既に1ヶ月を過ぎているが、メディアも相変わらず震災・放射能のことばかりで気持ちが塞ぎがちになるので、以前のように新聞やニュースを見ることが少なくなってしまった。
という自分がこうして震災に触れているのだから、この日記を読んでいる方も同じような思いなのかもしれないと反省する。

そんな塞ぎがちな気分を一掃する展覧会を見てきた。
近くで開催している岡部嶺男の天目茶碗展である。
釉薬の深い色に眼を奪われた。
格調高い美しさは心を洗われるようである。

60年代から70年代の作品ばかりで、生前世に出すことがなかったものばかりだそうだ。
そうした珍しさも相俟ってか3百万を遥かに超える茶碗が殆ど売れていた。
震災で売れない売れないと嘆いている我が身が悲しい。
地震の後だけに壊れやすい茶碗の類は売るのが難しいのでは思ってしまうが、どっこいいいものはちゃんと売れるんだという証を見せてもらった。

改めて芸術の底力を教えてもらい、少しの元気を頂いた。

4月18日

月刊美術の記事によると、岡倉天心が建てた茨城県五浦の六角堂が津波で流出するなど、国が指定した文化財の被害は東日本では463件(4月6日現在)に及ぶという。
美術館の被害も甚大で、今後更に拡大が予想される。
文化財は復元すればいいというものではなく、その芸術的価値の損失は計り知れないものがある。
全国美術商連合会は1千万円の義援金を送ることを決めたが、そうした文化財の被害にあてることにしている。
企業メセナ協議会は被災者と被災地を対象とした芸術・文化活動支援のための「復興支援ファンド」を開設した。
避難所でのミニコンサートやワークショップ、地域固有の伝統芸能・文化活動の継承、損壊した芸術作品の修復などで、協議会の委員会で申請された活動の中から選考をする。
選考ポイントは「被災者の心のケアーにつながる」、「地域再生の契機となる」、「実現の可能性が高い」の3点で申請方法はHPで発表される。
中長期的に支えてゆくために、寄付金の受け入れ期間を5年としている。
多くの義援金が寄せられているが、公共の陰に隠れているこういった支援にもその輪が広がることを願う。

4月16日

組合の春季交換会大会が木曜日に開催され、こんな時期だけにその成り行きが心配されたが、売り上げは昨年度を上回る結果となった。
3月、4月の他の交換会も軒並み数字を上げており、震災の影響はあまり見られないようだ。

とは言え、個々の画廊やデパートの美術部の話を聞くと厳しいとの声が多い。
私のところもその影響は大きいように思うのだが、こうした業者間の取引が活発なのはどういうことなのだろうか。

神戸の震災でビルがつぶれてしまった画廊が交換会でいきなり高額な美術品を買いだすという事があった。
あれだけの体験をすると怖いものがなくなってしまうのだろうか、次々と落札していきこちらが心配になるくらいであった。
私の知人のカメラマンも西宮の家がつぶれてしまったにもかかわらず、ずっと欲しかった高いカメラを思わず買ってしまったそうだ。
家もなく仕事もないのに、なぜあんなものを買ってしまったのだろうと後で述懐していたが、そんな時は沈み込むのではなく、逆に気が大きくなってしまうのかもしれない。

絶望の底にあった神戸の画廊が、そうした時に一人の無名の作家を見出し、その作品に勇気をもらい、立ち上がっていく姿を記述した本があると、偶々画廊に来られた編集者から聞いた。
題名を聞きそびれたが、後で私宛に送ってくださるということなので、皆さんにも紹介したい。

落ち込んでばかりいるのではなく、自分を叱咤激励する何らかの力がそうした時に働くのかもしれない。

4月15日

震災、放射能の影響で横浜美術館の「プーシキン美術館展」の開催を見合わせるとのニュースは既報の通りだが、各美術館の海外展が相次いで中止、延期となっている。
被災地とはかなり離れている豊田市美術館の「モランディ展」や山梨、岡山などでの展覧会も中止になった。
暫らくは海外からの展覧会は開催されないと思ったほうがいいかもしれない。
6月にワシントン・ナショナルギャラリーの印象派・ポスト印象派の国宝級が並ぶ国立新美術館での展覧会も中止になるのは必至である。
先の国会で海外からの美術品を国が補償する国家補償法案が成立したが、美術品だけは唯一無二ものだけにお金に換算できるものではなく、地震国日本への美術品の貸し渋りはますますひどくなるだろうし、仮に貸し出してくれたとしてもその保険額は膨大なものとなり、美術館の予算ではとても対応できなくなる。
日本から貸し出す作品も放射能汚染の心配からオファーは少なくなり、日本文化を紹介する機会もますます減ってしまうに違いない。
文化立国を声高に叫んでいる私だが、こんな非常時には政府は文化芸術などは遥か彼方に追いやってしまうだろう。
日本再生・発展のためには文化芸術も大切なんだよと頭の隅っこにでも置いてくれる政治家が一人でもいてくれる事を願う。
その前に、政府は包み隠さず情報を開示し、はっきりとした対応策を打ち出して、不安を取り除き、先ずは海外の過剰反応を沈静化させることから始めていただきたい。

4月14日

チャリティー展も最終的に70名を超える作家の方が思いを込めて作品を制作していただけることになった。
タイトルも「響け・アートのこだま・祈りを込めて」とさせていただく。
皆さん喜んで参加の意志を示していただき、心を一つにしてこの展覧会に向かうことが出来る。
身内の方が亡くなられて制作どころではない方や、個展直前で出品できない方もいるが、その方たちも思いは同じであるとのメッセージを頂いている。
忙しい方が多い中を新たに作品をお願いすることもあり、どれだけの方が出品していただけるか不安もあったが、これだけ多くの方に賛同していただいたことは言葉に言い表せないほどの喜びである。
展覧会を通じてこうした作家さんとご縁を築いてきたわけだが、画商冥利に尽きるというか、こういう仕事をしてきた本当に良かったと思っている。
皆さんの熱い気持ちをしかと受け止め、被災地に「こだま」となって届くよう私たちも最善を尽くしたい。

4月13日

日本の若手作家のコレクションで知られるイタリアのコレクター・ピゴッチさんがコレクションをした作家達に呼びかけ、Tシャツのデザインをしてもらい、そのTシャツを販売して、売り上げを震災の義援金に使いたいと言ってきた。
大変なコレクターで、ホームページを見るとよくぞこれだけの日本人作家を集めたなと思うほど、多くの作家のコレクションがある。
依頼を受けた作家の一人門倉直子のTシャツのデザインを紹介する。

4月12日

弘前大学の美術学部教授の岩井康頼氏からメールが来た。
教え子が震災に遭い、岩手県大槌町の実家を失い、決まっていた大学院の進学もあきらめたのだが、それにもめげず大槌町の復興を目指して災害ボランティアをしているという。
彼女が制作した作品を6月のチャリティー展に特別出品して、皆様に紹介させてもらうことにした。

岩井氏からのメール

趣旨

岩井ゼミ学生・佐々木佳奈子は岩手県大槌町出身です。

この度の東日本大震災において市街地はほぼ壊滅状態となり、

彼女の実家もつなみにより被災し全壊、さらに追い討ちをかけるように焼失してしました。

井上ひさしのひょっこりひょうたん島のモデルは大槌町にある吉里吉里です。

先日、彼女のお父さんと電話でお話をしました。

電話の向こうで「家がきれいさっぱりなくなりました。」と・・・。

さらりと言われたお父さんの言葉に

私は、なんとも言えず言葉を飲み込んでしまいました。

大震災3.11からひと月、経ちました。

彼女は4月からの大学院入学を断念し、自分の生まれ育ったふるさとに帰り、

大槌町の復興を目指し災害ボランティアに出かけております。

これからの再生の長い過程を孤立させてはならないと思っております。

幸い、在学中の授業で制作した版画と共に彼女の「版」が版画研究室に残っておりました。

岩井ゼミの大学院生を中心とする学生と一緒に2作品を刷りあげました。(Ed.80、とEd50)

もし、気に入っていただけましたら

一部2、000円で販売させていただきたいと思います。

全て彼女のもとに届くように、佐々木佳奈子宛の振込用紙を同封させていただきます。

ご理解、ご賛同ありがたく存じます。

2011・4・11                   いわいやすのり

ゆうちょ銀行口座番号 18310−8508601 ササキカナコ

4月11日

来週ソウルに出かける。
ダドアートギャラリーで綿引明浩、山本麻友香、横田尚、堀込幸枝の4人展が開催される。
この画廊にうちで個展した作家資料を渡していたところ、4人に白羽の矢が立ち展覧会の運びとなった。
そのオープニングには横田、堀込の二人の作家も参加する。
そのすぐそばにあるエドウィンギャラリーでも浅井飛人の展覧会の依頼があって、その打ち合わせも兼ねていて、彼も同行することになった。
ということで、総勢4人でソウルに行き、向こうで彫刻家のリ・ユンボク君やGTUで発表したリ・スンヨク君も合流することになっているので、賑やかな旅になりそうである。
作家さん達は多分朝まで宴会となるのは間違いなく、ロートルで下戸の私はとても不安である。

4月9日

6月の被災地に送る仮題「届け・アートの声」に既に57名の方がアートで力になれればと参加の意志を頂戴した。
皆さんの熱い思いに応えるべく、私たちもいい展覧会が出来るよう頑張らなくては。

皆さんそれぞれがご返事の中に被災地への思いを綴られているが、震災地に近い青森の野坂徹夫さんのご返事を紹介する。

てんらん会のおさそいありがとうございます。
震災・一週間程は胸がいたく、涙ばかり。
私には何ができるか、考えていました。
椿原さんと同じく、日本の光である被災地のこどもたちの心に思いをはせていました。

愛する者を失なったかなしみには容易によりそうことはできません。
ただただ、そのひとのそばに居てあげられたら・・・と思います。
救援活動にあたっている人たちには頭が下がります。

すこしずつ、希望の光をとり戻されるよう願っています。
私は絵を描きます。
きっと、こういうときこそ、芸術の力がたよりになるとしたら、大いに賛同します。
どうぞよろしくお願いします。

てんらん会のタイトルに「いのり」ということばを入れたらどうでしょうか。
こんな無慈悲なかみさまに対してわたしたちはいかり、いのることしかできませんからー。

4月8日

私も理事に名前を連ねている全国美術商連合会(全美連)の理事会が開かれた。
東京美術倶楽部の代表浅木正勝氏を会長に、大阪・京都・名古屋・金沢など五都市の美術倶楽部の代表が副会長を務め、他に古美術・洋画・版画・浮世絵・刀剣美術商協同組合の代表が理事を務めるなど全国の美術商1000人ほどが加盟をしてる団体である。

以前は自由民主党の支援団体・全国美術商自由国民会議なるものがあったが、自民党の弱体化と共に自然消滅となり、新たにバラバラだった各美術団体の連携を深め、美術業界全体として芸術文化の向上発展に寄与することを目的として設立されたのが全美連である。

今回の全美連の会議で会員の増強も必要だが、業者だけではなく、美術家連盟、美術館連絡会議、美術評論家連盟、各美術大学、日展を始めとする美術団体、文化人、有識者、コレクターなどを網羅した連絡会議を先ずつくること。
その上で文化芸術推進フォーラム(伝統芸能・音楽・映画・演劇など13団体)に加盟して、美術だけではなく文化全体としてその推進に取り組む。
更に文化についての超党派による国会議員連盟を立ち上げてもらい、文化行政改革・文化税制改正に取り組むよう働きかける。

以上のような議案が承認され、新たな美術業界の進むべき道が示されたのではないだろうか。

他に今回の災害に対し、1千万円の義援金を被害に遭った文化関連施設や文化事業に送ることも決定した。
先ほど国会で成立した美術品公開促進法、美術品国家補償法も全美連の声が反映されたものとの報告もされた。

古美術商の方たちとはだいぶ温度差があるようだが、浅木会長の文化政策・文化行政改革の理念には大賛成で、私も微力だが支えていきたいと思っている。

4月7日

私共のホームページに推薦作品を掲載しているがこれを見て購入される方も多い。
掲載中の伊庭靖子の作品が売約となった。
ずっと彼女の作品を探していた人が偶然ホームページで見つけて訪ねてこられた。
彼女の作品が紹介されていることを知らずに、偶々人から私共の画廊のことを聞き、どんな画廊かとホームページを開けて見ていると、推薦作品のところに伊庭靖子の作品が出ているのでびっくりしたそうだ。
彼女の作品は大変人気があって、個展でも初日には全て売約となっていて、なかなか手に入れることは難しい。
ずっと欲しいと思っていても、そんな事もあり手に入れることが出来なかったそうだ。
念ずれば通ずで、何か引き寄せられるものがあったのだろう。
作品との出会いは縁であるといつも思っている私だが、今回もまさしくそうした偶然の出会いである。
伊庭さんにも何度か個展のお願いをしたことがあるが、寡作な上に他所での個展の予定が詰まっていることもあって断られ続けているが、念ずれば通ずの思いでいつか縁が実ることを願う。

4月6日

作家の皆さんから続々と出品の返事を頂く。
ありがたいこととひたすら感謝です。

間島領一さんからは素晴らしいタイトルを頂いた。

「響け・アートのこだま」

作家さんの中にはご実家や親族の方が亡くなられたり避難所生活をされている方も多く、改めてその被害の大きさに心が痛む。
作家さんから頂いたいくつかの返事を紹介させていただく。

お世話になっております。岩渕華林です。
仮題「被災地に届けアートの声」展に是非参加させて頂きたいです。
地震が起きて、見る世界がまったく別のものになったような気がしています。
生まれてからずっと、とても平和だけれどある意味閉塞的な世界のなかで、
自分のことだけ、自分でつくった箱庭の中で遊ぶように内へ内へと入っていました。
しかし地震によって当たり前だったものが当たり前ではなくなり、
今のままの自分でいいのだろうかと考えながら制作しています。
3月11日以前の日々の平穏さが非現実のように感じます。
でも以前の状態に戻そうというよりは、この災害が起きてしまったからこそ、
前よりももっと良い世界にすることが出来るんじゃないかとも思っています。
著名人の寄付金の額をみると、とっても自分が無力に感じでしまうのですが、
少しでも自分に出来ることがあると信じて、
「被災地に届けアートの声」の絵に取り組んでいきたいです。

あの震災以来、直接被災したわけでもない自分が、
募金をする以外に、何もできない無力感と、
こんな時に絵を描く事に罪悪感のような気持さえ感じ、
心が痛く、落ち着かない日々をおくっていました。
やっと私たちこそ、日々の日常を大切に取り戻さなくてはと
思えるようになってきたところです。
こういったことに賛同することで、少しでも被災者の方々の
お役にたてれば大変うれしいですし、是非とも協力させていただきたく存じます。
「こうした時こそ常に変わらず作品を制作することが作家としての務め」
という言葉に、どきっといたしました。
見透かされているというか、背中を押された思いです
ありがとうございます。

本多 恵理

私は1964年(当時小学校5年生)新潟大震災を経験しました。
被災者の方が前向きに生きていけるよう、僅かながらでも協力できるならと
このたびの企画には喜んで参加させていただきます。

長谷川健司

実家が福島なので、是非参加できたらいいなと思います。
弟は原発に近い福島市に住んでいたりと、
私自身とてもこの震災が身近であります。

皆川琴美

4月5日

詩人の鹿又夏実さんが個展開催中の夏目麻麦の案内状の作品「ハジッコーM(壁)」に詩を寄せていただき、月刊ギャラリー誌上で紹介された。

          言葉

                         鹿又夏実私を私という言葉に閉じ込めないで下さい
私に潜む闇は青であり 精神はあなたであり
地球そのものでもあるのですから私を地球という言葉に閉じ込めないで下さい
私は宇宙に浮かぶ孤独であり ひとつの奇跡であり
そして命を奪うものでもあるのですからときどき地震 ときどき津波
それでもこの星にしがみつくことはやめられない言葉に全てを封じ込め
ついに隣人の手を握ることもかなわなかった

波にさらわれたあの人のポケットには
言葉からはじき出された地球の夢がきらめくばかり

4月5日

桜も咲き誇り満開も近い。
青空の下で見る桜を今年は格別の思いで見上げる。
被災地にも必ず桜の季節はやってくる。
何もかも失ってしまった人たちの心にも、必ず春はやってきて花を咲かせるはずである。
桜を心から美しいと思える日が一日も早く来てくれることを願う。

日曜日に高校のクラス会があって出かけた。
全て自粛・自粛の中、中止の話もあったようだが、一年に一回の旧交を温める機会なので是非やろうということで大勢の仲間が集まった。
前にも書いたが、私たちの担任の平田博則先生は84歳にして日本アマチュア囲碁選手権で優勝し、5月に開催される世界選手権の日本代表となった。
そのお祝いも兼ねていたが、相変わらず自分のことはあまり話さず飄々としていて、全国トップクラスの64人が参加する激戦を勝ち抜いた勇士にはとても思えない。
1995年にはその世界選手権で優勝し、他にもアマ本因坊、アマ十傑戦などの優勝は16回を数え、アマ四天王の一人といわれていた。
70代になると若手の台頭もあって優勝から遠ざかっていたのだが、何と84歳にして見事に復活した。
決勝の相手は20代の若者だったというから、この優勝はまさにギネスブックに載っていいほどの快挙である。
ボケの兆候が忍び寄る私だが、先生の脳みそのひとかけらでももらえないものだろうか。
世界選手権は近年中国、韓国勢が優勝、準優勝を独占しているようだが、是非先生に頑張って優勝してもらい、震災で下を向きがちになってしまった日本に活力を与えていただきたい。

4月2日

北京の古美術商が来廊した。
すっかり忘れていたが、もう12,3年も前になるだろうか、その頃知人の会社にある中国美術品の処分の相談に乗ってもらおうと、知り合いの画商からその古美術商を紹介してもらった。
水墨画など100点を超える伝統的な中国絵画だったが、それほど高い評価をしてもらえず、その話は立ち消えとなった。
そのうち中国にもコンテンポラリーアートバブルが到来し、俄かに中国市場は活況を呈するようになったが、アカデミックな絵画にはその影響はまだ及ぶこともなく、私の記憶からもすっかり消え去ってしまった。
そのコンテンポラリーバブルが一段落したあたりから、中国市場は海外に出た古美術を買い戻そうとの機運が急速に高まり、明、清時代の古美術品が驚くほどの高値で取引されるようになった。
そんな事もあってなのだろう、顔も名前もすっかり忘れてしまった古美術商から突然電話がかかり、以前の話が再燃することとなった。
時間も経ってしまい、どれほどの作品が残っているかわからないが、少しでもいい話に繋がるといいのだが。
それにしても中国商人、私と違っていつまでもそうした話を無駄にはせず、商機をうかがっているのは大したものである。

4月1日

今日はエイプリルフール、3月のことが嘘であって欲しいと思えるほど暖かな春の陽気。

椿に関わった作家の皆さんに仮題「被災地に届け・アートの声」の出品依頼状を今日送付することに。
日程の調整が難しく、ようやく6月27日(月)〜29日(水)の3日間で開催することに決まった。
約80名の作家さんに送らせていただいたが、テーマを希望、勇気、元気や被災者への思いを込めたものとさせていただき、作品に添えた書面でも可とさせていただいた。
種類はそれぞれにお任せし、80名の方にお願いをしていることもあり、サイズは原則35cm×25cm以内にさせていただいた。
ご来場の皆様には心にとまる作品があれば、最低価格1万円からの入札方式で落札していただくことにして、最高価格から30%を作家にお支払いをして、差し引きの分を被災地の義援金にさせていただこうと思っている。
送付先も思案中だが、両親を失った子ども達も150名を超えると聞いていて、そうした被災地の子ども達にスケッチブックと共に色鉛筆、クレヨン、水彩絵の具などを送り、絵を描くことで辛い悲しい思いを少しでも癒してもらえたらいいかなと漠然と考えている。
また少し落ち着いたら、被災地の方たちに見てもらえるような場所があれば、そこでも展示してみたいなと思っている。
まだ時間もあるので、どんな形で、どんな所へ、どんな物を送るのがベストなのか考えてみたい。
どちらにしても先ずは作家の皆さんのお力添えがあってこそであり、その上に多くの方のご支援がなければできないことであり、四方八方に頭を下げてひたすらお願いをするしかない。
何とぞ、何とぞ、ご協力のほどを切にお願いする次第であります。

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