Diary of Gallery TSUBAKI
ギャラリー日記 バックナンバー (2011年7月〜3月)

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9月30日

新しいスペースに移転して以来8年にわたり勤務をしてくれた寺嶋由起が、今日をもって退職することになった。
我が画廊には欠かせない存在だっただけに痛手だが、新たに独立して画廊を持ちたいとの固い決意なので、喜んで送り出すことにした。
私がこの道に入って44年になるが、美術市場は70年代のオイルショック以来の大不況といっていい厳しい時期を迎えている。
こうした中にあって、画廊を出すことは大変な勇気と決断がいる。
これから先は茨の道、荒波の海が待ち受けているが、持ち前の誰にも愛されるキャラクターとたゆまぬ努力で切り抜けてくれると確信している。
願わくば、寺嶋独自のカラーを打ち出し、そのスタイルを貫き通すことが信頼を勝ち得る道あることを知って、これからの画廊人生を一歩一歩歩んで行って欲しい。
関係各位には、今後の寺嶋由起の行く末を暖かくそして長い目で見守っていただきたい。

9月29日A

私が水族館で見たジュゴンはマナティーの間違いでした。
似て非なるものらしく、ジュゴンは海、マナティーはどちらかと言うと淡水に生息しているとのこと。
どこで区別していいのかわからないが、どちらも私には人魚にはとても思えないのだが。

9月29日

ソウルに出かける前の蒸し暑さが嘘のような爽やかな朝を迎えた。
ソウルも私には珍しく秋晴れの好天気が続いたが、日本もようやく秋めいてきたようだ。
帰国前に時間があったので、アートフェアー会場の下にあった水族館に行ってみた。
小さな子供たちばかりの中に、一人だけおじさんといった感じでためらいがちに見て歩く。
小さい施設だが子供たちが楽しく学習できるようにできていて、子供の歓声が館内にこだまする。
ここの目玉のジュゴンには初めて見る私も子供たちと一緒に大興奮。
ソウルでこうしたゆったりとした時間を過ごすことがなかっただけに、久し振りにエンジョイすることが出来た。

9月28日

いい結果は出せなかったが,昨年テグのフェアーで浅井ヒットを買ってくれた釜山のお客様から,今年のテグのフェアーの前に自宅に友達を呼ぶので,浅井の出品作を先に並べてホームパーティーをしませんかとの連絡があった。 いわゆるプレセールを自宅でやろうというのである。
その上先に来るのでその分の滞在費は持つと言うからありがたい。
KIAFではあまりいいことがなかったが,テグのフェアーに希望の光が見えてきた。
今回柳澤作品をまとめて買ってくれたところも,釜山の病院で方位は韓国の南方面が吉のようである。

9月27日

今日は10時から2時間AiTというアートの教育機関で講義をさせてもらった。
お金持ちの奥様方が生徒さんで,皆さんここでレクチャーを受けながらアートコレクションをされている。
日本文化と韓国文化の違いをテーマに,それぞれの独自の文化の共通点を知るのではなく違いを知ることで相互理解を深めるといったことから,日本独特のアートマーケットシステムなどを話させていただいた。
最後にアジアの時代を迎えアジア文化の発展には,日韓の協力が不可欠と云うようなことを述べさせてもらった。
もちろん私どもの作家の素晴らしさもしっかりと宣伝させてもらった。
質問が殺到し、この辺はあまり質問をしない日本人との違いだろうか。
海外で話をする機会を与えてくださったAiTの代表パクさんのお宅には,山本麻友香の大きな作品が飾られている。

9月26日

フェアーが終わった、 今回は残念ながら結果を残すことができなかった。
要因はいくつかあるが,移り気な画廊や韓国コレクターが今まで人気のあった作家に目を向けなくなったことがまず上げられる。
これは日本人作家だけでなく韓国の人気作家にも言えることで、今までフェアーで多く見られた作家の作品が今回ほとんど見られなくなっていた。
この現象は日本でも云えることだが。
次に大きかったのは為替の変動であった。
円高ウォン安の流れの中で驚くことに会期中の一週間で更に10パーセントも円が高くなってしまった。
日本での発表価格の5割増しでも追いつかない。
その上会期中に韓国の金融機関が倒産し金融不安が広がったことも影響しているのだろう。
開催前に危惧していたことが的中してしまった。
失敗を悔いていても仕方がないので次に向かうしかない。
しばらくはKIAFから撤退し違うフェアーを模索するとともに,東南アジアなど新たな市場への転出も考えたい。
幸いインドネシア市場との関係の深い方から協力を要請されたこともあって,12月のジャカルタでの展覧会を足掛かりに向こうでの展開に期待したい。

9月21日

休み明けだが、明日からソウルのアートフェアーに出かける。
既にスタッフは出発していて、展示の準備にかかっているはずである。
今回はフェアーの他にも、アートインスティチュ−トというコレクターやギャラリストの養成やアドバイザーをしている機関で講演を頼まれていて、そちらの準備がまだ出来ておらず、かなりあせっている。
忙しい最中にとんだ事を引き受けてしまったと後悔しているが、私共の宣伝に繋がればいいので、何とか今晩中に講演用の原稿をまとめようと思っている。

ソウルのフェアーは台北のフェアーと違って日本の著名な画廊はあまり参加しておらず、韓国市場への期待感は以前に比べるとだいぶ薄まってきているようだ。
欧米勢の参加もだいぶ減ってきていて、今までのような熱気が感じられないのが少し心配である。
私も韓国は海外進出のきっかけになったところだけに参加を続けて行きたいが、今回の結果次第ではソウルの別のフェアーへの転出も考えたい。

9月17日

3連休で久しぶりに土曜日からお休みをさせていただいた。
今日は夕方から高校・大学の先輩の河口湖の別荘で親父バンドのコンサートが開かれた。
親父バンドのメンバーも高校・大学それにヨット部の先輩達なので行かないわけにはいかない。
先輩の中には作曲家で知られる故服部良一氏の息子がいて、服部メドレーの東京ブギウギ、買い物ブギ、銀座かんかん娘、別れのブルース、青い山脈などなど昔懐かしの曲で盛り上がったが、他にもプロのジャズシンガーや二期会のソプラノ歌手などが参加し 、飛び入りでプレスリーのロックンロールなどもあって、大騒ぎであった。
食事もホストの先輩の会社が総力を上げるということで、豪勢なオードブルに始まって、焼き鳥、ステーキ、松茸のてんぷら、刺身、ビーフシチュー、うな重に果物、デザートと太らせて殺す気かと思うほどの料理と酒が振舞われ、もう降参。
それにしても先輩たちは当然私よりは年上で70歳に近いのにすこぶる元気で、ヨットにバンドにと青春まっしぐらである。

9月16日

東日本大震災復興チャリティーオークションの出品作が揃い、おおよその落札予想価格をつけに美術倶楽部に。
さすが日本画作家は送られた4号大のパネルに本画をきちんと描いてきているが、美術館から依頼の現代美術作家の中には仕方なく出品したという作品もあって、震災への思いの違いを感じさせられた。
普通であれば現代美術作家のほうがもっとおかれた現状に問題意識を持って作品に取り組むと思っていたのだが、意外や意外である。
現代美術系の画廊と同じように連帯感というか、美術界こぞってという気持ちが希薄なのかもしれない。
それでもリ・ウーハンや横尾忠則、福田美蘭、松谷武判などは私が落札したくなるような作品を出品してきた。
立体でも青木野枝、岡崎和郎、小川待子等は興味をそそる作品が出品されている。
若手でも小林孝亘、鴻池朋子、曽谷朝絵等はドローイングだがしっかりした作品を描いてくれた。
どちらにしても400名の多士済々の作家達の競演で、私のところのチャリティー展に勝るとも劣らない展覧会となるだろう・・・?

ところで私共のチャリティー展の支援先だが、支援をお願いしようとしているところからはどういうわけか返事がこずじまいで、別の支援先も視野に入れて今一度相応しい支援先を探している。
大変遅くなってしまい申し訳ないが、皆様の思いに応えるべきところに必ずお届けするので、今しばらくお時間をいただきたい。

9月15日

テグアートフェアー特別公募展「ARTLINE・DAEGU」の入選者が決定した。
平面3名、写真3名が選ばれ、その中から最高得票を得た写真の壱岐紀仁がアートフェアー招待作家となった。
審査には寺田コレクションの寺田小太郎氏、アートソムリエの山本冬彦氏、小山登美夫ギャラリーの小山氏、月刊ギャラリー編集長の本多隆彦氏、それに私が審査に加わった。
6名の作品はアートフェアーの特別ブースに展示され販売もされることになっている。

【絵画部門】
・藤沢 彦二郎(No.20)
・六本木 百合香(No.9)
・小林 賀代子(No.14)
※次点:瀧谷 美香

【写真部門】
・壱岐 紀仁(No.P6)
・渡辺 大祐(No.P1)
・尾形一郎 尾形優(No.P3)
※次点:内藤 由味子

9月14日

名古屋から帰って早々に協同組合の親睦ゴルフコンペに参加。
腰痛と連日の疲れでどうなることと思いきや、遊びとなると元気が出るようで思いがけずの優勝。

そのゴルフを終えて、今日は組合の交換会の秋季大会。
不況の中で迎えた大会だったが、出来高は前年度とほぼ同じ数字となり、ほっと一息。
理事長職を退任したので、以前のように数字を気にすることもないのだが、ついつい習い性で運営に首を突っ込んでしまう。
出品作品を見てみると、円高の影響なのか外国作家の版画の価格がだいぶ下がってきている。
ピカソ、シャガール、ミロといった作家の作品もだいぶ安くなっていて、私も依頼をされて出品したそうした作家達の作品が軒並み不落札となってしまった。
こうしたところにも欧米の経済不安が影を落としてきているようだ。
逆に好調なのはやはりアジア市場で人気のある作家達の作品で、いよいよ時代はアジアに向きつつある。
来週21日からはソウルのアートフェアーに出かけることになっているが、台北と同じように盛況となることを祈る。

9月11日

今日は最終日。
各ブースにも僅かづつだが売約の印がついていたが総額は目標の4分の1にも及ばない数字となった。
私のところも完売ではなく完敗といったところだろうか。
新聞やテレビで大きく取り上げ、集客力のある百貨店での大きな催事にもかかわらずでのこの結果をどう受け止めたらいいだろうか。
保守的な名古屋での現代アートへの関心の低さ。
百貨店自体の現代アートへの戸惑い。
地元の現代アート系画廊を巻き込まなかったこと。
ヴァリアという抽象的なタイトル。
などなど外からもこうした声が聞こえてきた。

しかし以前から名古屋は現代アート系画廊が多く、現代アートのフェアーも長い間やっていたこともあり、昨年の愛知トリエンナーレには70万人の来場者があったというから名古屋が決して保守的でも現代アートになじまないということでもない。 私には外の要因ではなく内側の主催者側に大きな問題があったとみている
。 担当者ベースだけで空回りしてしまい、百貨店全体がこの催事にかける意識が希薄であったことがこうした結果を招いたのではないだろうか。
合併をした大丸と松坂屋のきしみ、企画側と営業側の温度差などが一丸となるべき創業400年記念事業に水を差す結果となってしまった。
百貨店の新たな取り組みとして期待されていただけに残念である。
今後も継続していく意向のようだが、まずは内部の地固めをしっかりして、今までのビジネスモデルが通用しない新たな価値観が生まれてきたことに危機感をもって次に進んでもらいたい。

9月10日

土曜日の昼を過ぎても相変わらず人はまばら。
どの画廊もほとんど売れない状況に出展者から不平不満の声が渦巻いてきた。
百貨店側は動員、売り上げに努力してくれているのか。
外商がお客様を案内する姿を全く見ない。
お客様が外商から展覧会の情報を知らされていないのではと言った声が次々と聞こえてくる。
参加の呼びかけをした実行委員の中にも初日だけで帰ってしまう委員もいて無責任だと言われ、同じ呼びかけをした私も身を小さくするしかない。その私も東京で結婚式があってどうしても出席しなくてはならず、午後から東京に戻り、立場上終わり次第トンボ返りするつもりでいる
。 出展者も創業400年記念ということと百貨店での画期的な催しということで期待をしていただけに怒るのも無理はない。このあたりの不協和音をクリアーしないと継続は難しい。

9月9日-2

昨日の山本氏に続いてコレクタートークを小池保氏にしていただいた。
「人はナゼ、壁に絵を飾ると楽しいと感じるのか」というテーマで多岐にわたる興味深い話をしていただいた。
さすが元NHKアナウンサーだけにあっという間の1時間で、これは是非画廊でもやってもらわなくては。
ギャラリートークというのを企画してみてもいいかもしれない。
明日はコレクター集団・ワンピース倶楽部の代表石鍋博子氏、日曜日はコレクターで名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉にコレクター談義をしていただくことになっている。

9月9日

うちの前のブースは地元名古屋の画廊ということもあるのだろうか次々と売れていく。
安い価格帯で買いやすいこともあるのだろう。
うちもなんとかしなくてはいけないので急遽手頃な価格の版画を送ってもらい土日に備えることにした。
外商が高い価格帯を顧客に紹介してくれるのではと淡い期待を抱いたが、思惑通りには行きそうもなく、他力本願はやめにして、せめて向かいのブースのおこぼれ頂戴といきたいところだが。
これも他力本願だ。

9月8日

今日からは一般公開。
新聞にも大きく出たので期待したが今日も出足は今ひとつ。
出展者の行き交う姿ばかりが目立つ。
2時からはお願いした山本冬彦氏のトークショーが始まる。
東京からわざわざ来ていただいただけにお客様が来なかったらどうしようと心配したが満席となり山本氏のコレクションのすすめに熱心に耳を傾けていた。
明日も小池保氏にトークをお願いしているが満席になることを願うとともに週末の人出に期待するしかない。

9月7日

名古屋アートフェアーが始まった。
ワインも振る舞われ賑々しくと思ったが、地味にスタート。
活況を呈した台北の後だけに寂しすぎる。
浅木実行委員長に誘われ食事の後カラオケバーに。
下戸だけにしらふで歌うのはつらいものがある。
午前様で帰ってきたが慣れない歌で喉が痛い。

9月6日

コレクターで現代美術資料センターを主宰する笹木繁男氏が「ドキュメント・時代と刺し違えた画家・中村正義の生涯」を上梓し、その出版記念会が私共の隣りのギャラリー川船で開かれた。
本の題字は私共でもコレクションをしていただいている書道家・秋葉生白氏によるもので、お二人が近しいことはこの本ではじめて知った。
笹木氏は今年80歳を迎えるが益々お元気で、画廊・美術館巡りを日課とし、コレクション、資料収集に忙しくされている。
氏とは私の父親時代からの50年に喃々とするお付き合いで、美術館でコレクション展が開催されたこともあり、サラリーマンコレクターの先駆者の一人といっていい。
この著書は当時横山操と1,2を争う人気作家で、日展の審査員であった中村正義が、日展に反旗を翻してアカデミックな世界を飛び出し、独自の世界を作り上げていった軌跡を辿る貴重な資料となっている。

9月5日

東日本震災復興チャリティオークション・今日の美術展の会議があって出かけた。
美術品を救おう・美術館に活力を!の主旨で、全国美術館会議・文化庁・全国美術商連合会の主催で開催される。
後援は日本美術家連盟・NHK・朝日、読売、毎日、日経、東京、共同通信の各新聞社、TOKYO・FMで東京美術倶楽部が協賛となる。
特別出品の平山郁夫・片岡球子・高山辰雄をはじめ、松尾敏男・上村淳之・土屋禮一・中島千波・千住博・手塚雄二等の日本画家
洋画、写真からは絹谷幸二・中山忠彦・森本草介・オノヨーコ・リ・ウーハン・草間弥生・杉本博司・森山大道等
工芸、立体からは与勇輝・伊勢崎淳・隠崎隆一・清水六兵衛・酒井田柿右衛門・鈴木五郎・細川護煕・船越桂・宮島達男・薮内佐斗司等
当代の人気作家から若手作家まで400名を超える作家達が趣旨に賛同して出品する。
入札価格は最低価格を1000円としているので、お客様が殺到するのは間違いないだろう。
落札金額は東北で被害に遭った美術品の修復、美術館の復興に使われることになっている。
10月5日から9日までの10時から17時で東京美術倶楽部にて開催される。

9月3日

休む間もなく今日から鈴木亘彦展が始まる。
ステンドグラスの技法で、ガラスの透明性を巧みに使いながら独自の表現をする鈴木だが、今回はペインティングや写真を使う多様な表現で、新たな展開を見せる。
特にペインティングに彼の非凡さがうかがえ、立体だけではなく今後の平面での展開にも期待が持てる。

月曜日からはGTUで宮野友美展も始まる。
木版を単なる平面表現で見せるのではなく、習得した製本技術で版画を立体的に表現するとともに、詩歌を作品に添えることで表現世界のイメージを更に膨らませる。
木版という地味な仕事だが、先般発表した松永かの同様に、木版画のかすれや滲みが見せる繊細な情感が、私たちの心に響く。

9月1日

月刊ギャラリーの対談記事を読んでいたら、昨日の日記で書いたのと同じようなことをミズマアートのミズマ氏が語っていた。

韓国にも香港、インドネシアにも現代アートを買う財閥がいる。
アートには突出したスポンサーがいないと育たない。
税制を変える、アートの文化のための改革が必要。
欧米の世界では、重要なコミニュケーションの手段としてアートがある。
サムソンとソニーを見ても文化レベルの差で負けている。
文化を侮っていると三流国になる。
政府が頑張らなきゃ文化は発展しない。

彼のような現代美術系の画廊は海外を相手にしているだけに、余計にその思いは強いだろう。
近代美術系の画廊も市場が閉塞しているだけに危機感は強く、柳画廊の野呂さんのブログでもパトロンの必要性を語っていた。

このようにジャンルは違っても、それぞれが同じ思いを共有しているわけだから、先ずは業界が一つになって、文化行政に対する提言をしていく必要がある。
市場の拡大や富裕層への働きかけは自分達がやらなくてはいけないが、税制や政策については業界一丸となって取り組まなくてはならない喫緊の課題である。

8月31日

ART TAIPEIの写真です。
8月31日

日本に帰ってきたら今度はこちらに台風がやってきた。
週末が激しくなるとの予報だが、台湾のように肩透かしと願いたい。
総理大臣も変わっていた。
今度は長持ちしてくれるだろうか。
派閥抗争はいい加減にして欲しい。

台北のフェアーを振り返ってみて、予想以上の大盛況であった。
台湾経済がうんと良くなっているわけではないが、みんなが自信にあふれかえり、会場も街も活気がある。
日本がしゅんとしているだけに余計にそう感じる。
本腰を据えて日本の政治家が頑張らないと、本当に我が国は3等国に成り下がってしまう。
大きな作品が驚くように売れていて、富裕層が積極的に美術品を購入しているのは台湾だけでなく、海外の美術市場は押しなべてそうである。
日本で売れるといっても小品ばかりで、いくら数売っても経費に追いつかないのが今の日本市場である。
台湾に行く前の私共のオークションで、100点以上売って、総利益40万ほどである。
そこから経費を引いていくと、全くの赤字となってしまう。
こんなことをしていては経営が立ち行かない。
裾野を広げていけばいくほどジリ貧となってしまうのが現状で、富裕層に美術愛好家が出てこない限り、我が業界は総崩れとなってしまうだろう。
そのためには税制の改正が必要だが、今の日本では全く不可能といっていい。
おのずから海外市場に頼らざるを得ないが、そちらにシフトすればするほど、作家にとって代表作となるような作品は全て海外に流出してしまうことになる。
由々しき問題であるが、企業、美術館、富裕層が美術市場に参入しない限り、この傾向は益々強くなってくる。
4年前に台湾に進出したのは私のところを含めて僅か5軒だったのが、今年は33軒である。
その中には近代美術の最大手・日動画廊、小林画廊、白石画廊といったところも含まれ、他にも多くの日本画商が参加してきている。
今月のソウルのフェアーも円高にもかかわらず、多くの日本の画廊が参加する。
私も10年ほど前からアジアへの進出を図ってきたが、何とかして日本のアートマーケットを活性化したいとの思いは強い。

8月30日

アートフェアーも無事終了。
打ち上げはいつも行く火鍋料理屋。
先に行っている日本の画廊のメンバー達と合流。
ここはどれだけ食べてもどれだけ飲んでも一人1500円。
多種にわたる肉、魚貝、野菜、デザート、フルーツ等などテーブルに乗りきらないくらい盛りだくさんでこの値段。
とにかくどこで食べても安くておいしい。
お腹周りが心配だ。

幸いなことに台風もそれて無事帰ることができる。
出だしが今一つだった日本の参加画廊も後半は概ね好調のようで、運送会社も帰りは行きの半分の荷物と言っていた。
台湾謝謝!再見台湾!

8月29日

最終日、台風の影響と平日にも関わらず朝からたくさんの人が来ているのにはびっくり。
主催者からのインタビューがあって毎年来ているがこれほどの盛り上がりは初めてではと答え、来年は参加しますかとの質問にももちろんと答えた。
来年は会期が11月に変わり、会場も倍の広さになるそうで、今でも広いのにそんなに広げてお客様は果たして会場を廻り切れるかと気にかかる。
昨日は広さも必要と書いたが広げ過ぎてもこれまた問題。
ソウルのKIAFも大きくした分、場所によってはお客様がほとんど来ないところもあって怒っている画廊もあった。
台北はこのくらいの規模がちょうどいいのだが。

だんだん雨風が強くなってきた。
なんとか会期中は持ちこたえたがそろそれ私の雨力が威力を発揮してきたようだ。
明日の飛行機が飛ぶことを祈るしかない。

8月28日-2

なんとか持ちこたえていた雨だったが昼から降り出し、だんだんと強くなってきた。
いよいよ台風が接近してきたようだ。
そんな雨の中でも夕方にかけて入場者はますます増えてくる。
会場が日本のフェアーとは比べものにならないくらい広いにもかかわらず人で溢れかえっているのだから相当な数の入場者なのだろう。
ただ大きい分通路が東京のフェアーの倍くらいあって引きがあるので作品を見るにはそれほど困らない。
日本だとこれだけ人が来たらおそらく暮のアメ横状態になってしまう。
ホテルフェアーもそうだがある程度の広さがないと商談もままならず、こうした広さも出展の条件の一つになってくるだろう。

8月28日

週末の土日は大盛況となった。
台湾の画廊は誰が買うんだろうと思うくらいの大きな作品に次々に赤印がついていく。
大手画廊の多くは今回抽象作品を展示しているのが目につくが、そうした作品も売れていて、台湾のアートマーケットも少しづつ変わってきているようだ。
出足が悪かっただけに心配をしたが過去4回の中では今回が一番成果があがっているのではないだろうか。
過去最多の出展となった日本の画廊を見てみると私どもと同じように今までの人気作家よりは新たな作家でインパクトのある作風に人気が集まってきているようだ。
相変わらずの写真パチパチもそうした作風にシャッターが切られていて、今の流れを如実に現している。
あっという間に明日は最終日となってしまうがやっと最終日と思うことがないだけ有り難いことである。

8月26日

昨夜は画廊とVIPを招いたディナーパーティーが圓山大飯店で盛大に開かれた。
このホテルは台北の老舗ホテルで北京の紫禁城を模した文化遺産になってもいいような豪華ホテルである。
このパーティーはドレスコードがカクテルドレスとタキシード蝶ネクタイとなっているが、私はスーツで勘弁してもらうことにした。
それでも私どもがお招きしたお客様はドレス・タキシードをばっちりと決めてこられた。
ホテル自慢の中華料理のもてなしに一同大満足。前日もスタッフと作家は高級クラブでのエギジビターパーティーに招かれ午前様で帰ってきた。
このように連日の台湾画廊協会のもてなしには頭が下がる。
丁度視察に来ていたソウルのアートフェアーKIAFの前事務局長のチョンさんにアートフェアーがどのように大きくなってきたのかと聞いてみると、行政・企業の支援もさることながら、韓国画廊協会が一丸となってアートフェアーを成功させようと努力していることが年々盛大になってきた要因ではないだろうかと言っていた。
振り返ってみると日本の美術商は古美術商から現代美術系まで一丸となってということはなく、我が国の現状では一枚岩のユニオンを作るの至難の業である。
海外でアートフェアーの成功例を見てきている現代美術系の画廊も美術商の連携を図ることをそろそろ考えてもいいのではないだろうか。

8月25日

台風接近が心配されるが、なんとか雨も降ることなく、招待日・初日と大勢の人が詰めかけた。
2日間を終えて思ったほどの成果が出ていないが大作を含めていくつかが決まり、まずまずと云ったところだろうか。
全体を見ると日本からの出展画廊が33ということもあって、日本人作家の新鮮味が多少薄れてきたのではないだろか。
出展が少ない時は多くのお客様や地元の画廊が日本人作家に関心を示してくれたものだが、分散化で人気のあった作家も今まで通りにはいかなくなってきたようだ。
台湾の画廊のレベルも年々高くなってきているだけにブースのデザインや照明の工夫など観客の関心をひき、まずはブースに入ってもらうことも考えなくてはいけない。
明日から週末、相当の混雑が予想されるが、多くの人の関心をひくように頑張らなくては。

8月24日

昨日、今日で展示を終えていよいよ台北アートフェアーのオープン。
知り合いのコレクターの方が早くから顔を見せる。
さてとんな結果が。

8月23日

明日は早朝に台北のアートフェアーに向けて出発。
今回は私どものお客様5組がスーパービップとして主催者側から招待されていて、会場隣のグランドハイアット2泊が用意され、空港の送迎、会期中のフリーパス、盛装によるVIPパーティーや各種イベントが用意される。
台北のフェアーを楽しんでいただけたらと思う。
展示のほうは4人の新人を紹介するとともに、過去のフェアーで人気を博した作家たちの新作が並ぶ。
日本の状況が悪いだけに、何とか台北のフェアーで数字を挙げたいと思っているが、気がかりは円高の影響でどうしても発表価格が高くなってしまうことである。
もう一つの気がかりは、天気予報を見ると私が行っている30日までよりによって毎日が雨の予報となっている。
先日の韓国もそうだったが、私には雨はつきもののようで、それにしても毎日とはいかんともし難い。

8月22日

オークションもあっという間に終了。
会期中は幸い気温が低くしのぎやすかったが、雨にたたられたこともあってか、例年に比べると来場者も少なく、落札点数、落札額も大幅に減少。
天候だけではなく、震災の影響、ここに来ての世界同時株安などの影響もあるのだろうか。
景気が一向に回復しないままに、政局はますます混迷。
復興に向かって一丸となって取り組まなくてはならない時期に、勢力争いをしている場合かと言いたい。
野党時代に派閥政治や首相のたらいまわしを声高に批判してきた民主党がこの体たらく。
エネルギー対策や円高対策、政治公約どれをとってもその場しのぎで、政治不信もここに極まれりである。
オークションの結果が思わしくないこともあって八つ当たりもしたくなるが、こうした状況を立て直す真のリーダーシップを持った救世主が現れることを期待するしかない。

オークションのほうは引き続きアフターセールを行っていて、先着順で成り行きは1万円、価格表示されているものは表示価格にて購入することができる。
オークションにお越しいただけなかった方、落札できなかった方は是非お早めにお申し込みをいただきたい。

8月21日

夜半からの雨が止まず、肌寒いくらいの朝を迎えた。
今日は日曜日だが、休まず画廊を開けて、オークションのお客様をお待ちする。
周りの画廊も今日でお盆休みが終わり、明日からはこの界隈も賑やかになる。

京橋地区の再開発と不況で移転、閉店する画廊も多く、この界隈もめっきり寂しくなったが、私の画廊の斜め前に新たに画廊が引っ越してくるらしい。
老舗の現代美術系の貸画廊のようで、ギャラリーQやOギャラリー、ギャラリーゴトウが順にこの界隈に移ってきていて、藍画廊、ナビス画廊、ギャラリー現、ギャラリーK、羅針盤などとともに現代美術系の貸画廊の一大ゾーンになってきた。
こうした画廊から現在活躍している多くの現代美術作家が巣立っていて、その役割も大きい。
山本麻友香、夏目麻麦なども藍画廊での個展の時に知った作家である。
服部知佳、岡本啓、高木まどか、横田尚等もGTUの発表が最初で、そこから海外の発表に結びついていった。
先の大阪のアートフェアーでもGTUで発表したばかりの大屋和代を紹介し、いくつかの作品が売約となったり、他での発表の話も来たりで、GTUからまた一人活躍する作家が出てきた。
新たな画廊が引っ越してくることで、作家との出会いの場が増えることがうれしい。

8月20日

今日から3日間恒例のギャラリー椿オークションが始まる。
2点組、3点組の作品も多く、総数約600点が所狭しと並べられている。
猛暑も一休み、しのぎやすくなった週末、掘り出し物を探しにお出かけになりませんか。

8月19日

昔はテレビでもラヂオでも映画でも、家族が一緒に見たものである。
テレビもラヂオも一家に一台という頃で、ビデオやDVD があるわけでもなく、家族が嫌でも一緒に見ざるを得ない時代であった。
当時は必然的に価値観を共有していたのである。

昨日の日記を書いていてふとそんなことを思った。
みんなが同じ画面を思い浮かべ、同じ歌を口ずさんでいたのだから、その価値観は普遍的であった。

今やメディアも多様となり、それぞれが好きなものを個々に選択する時代となり、世代を超えた普遍性は姿を消し、価値観は多様化せざるを得ない時代となった。
その反面、コンビニやファーストフード、レトルト食品などの普及により、消費文化や食文化は画一化されていく時代である。
こうした相矛盾する価値観を持った若い世代が、アートをどのように捉えていくのだろうか。
アートが消耗品として消費されていくのか、個々の感性で特化したアートが生まれていくのか。
現状から見ると、お宅文化といわれる普遍性の中に今のアートは存在していて、画一的な価値観を共有しているように見える。
画一的といっても価値観の多様化による世代間格差があるので、昔のような普遍性を持っているわけではない。

この辺が難しいところである。

時代を反映したアートは必ず後世に残るだろうが、消費文化・商業主義の象徴であったアメリカンポップアートのように多くの中からティピカルなものだけが残り、その他大勢は消えていった。
クールジャパンといわれるお宅文化が時代を超えて生き残るのは間違いないが、果たして誰がその中で生き残っていけるのだろうか。

8月18日

私のところはオークションの準備で忙しいが、周りはお盆休みで銀座・京橋周辺も静かである。
オークションの展示もずいぶんと進み、今日中にはほぼ終えることが出来そうである。
所狭しとと作品が並ぶが、その多くは2,30年前の作品が多い。
長くやっている私でさえ名前を知らない作家も多いが、調べてみるとキャリアを積んだ作家ばかりで、作品の質も高く、それぞれに当時は活躍していた作家達である。
そんな作家達でさえ時と共に忘れられていく。
こうして見ると、今の若い作家達が、2,30年過ぎたときにどれだけ残っているのだろうか。
作家にも、支える画廊にもキャリアがないだけに、どれだけ継続していけるのだろうかと不安がよぎる。
作家も画廊も30年、40年、50年と変わらず続けていってこそ、その存在価値があるわけで、そこには変わらず支援をしてくれるコレクターがいなくてはならない。
内外の歴史を見ても、作家の歩みと共に常にその側に画廊とコレクターがいてこそ後世に語り伝えられていく。
名前も知らない若い歌手や芸人が次々と現われては消えていく反面、時代に埋没せず、常にその歌や芸が頭に浮かぶ歌手や芸人がいて、私たちの心を和ませてくれる。
そこには変わらず応援し、親しんでくれる多くのファンがいるからだろう。
オークションに並べられている多くの作家達を見て、改めて自分が関わっていく作家やコレクターへの役割の重さを感じる。

8月17日

今日も猛暑。
豪雨のところがあったり、干ばつのところも、ヨーロッパでは冬のような気温になっているところもあるそうで、地球がおかしくなっている。
こんな暑い時に我が家のマンションはエレベーターの工事が始まり、今週末までエレベーターが動かず、階段を上り下りしなくてはならない。
その上、腰痛が針治療をしたにもかかわらず快方に向かわず、何でこんな時にと我が身の不幸を嘆くばかりである。
更に久し振りのお客様から作品処分の電話が。
画廊はオークションの展示が佳境に入っていることもあって、手伝いは当てに出来ず、我が家の力持ちもエレベーター工事でそれどころではない。
一人腰をさすりさすり出かける羽目に。
腰は当分よくなりそうにもない。

8月16日

滞在中は豪雨で散々だったソウルのASYAAFからうれしい知らせが。
丁度会期半分を過ぎたところで、私が推薦した9名の作家のうち5名の作家の出品作品が売れたとのこと。
同時にちょっと残念なのは、会場が予定より狭くなったために、全作品を飾ることが出来ず、日程の半分が過ぎたところで売約作品を外して、未展示作品を飾るのでお許しいただきたいと言ってきた。
なんとか売約作品のうち一点づつでも残してもらい、後半に来られる方にも見てもらいたいのだが、向こうの事情では仕方がない。
当初心配したのは、百年ぶりの大雨の影響と、韓国の作家達に比べ(値段の上限を決められている)、日本人作家の価格が2倍3倍と高い価格になってしまったこと。
更には為替レートで円がますます高くなってしまい、果たして今回売れるのだろうかと心配しながら帰ってきたのだが、これで一安心。
この勢いで後半も残りの作家達の作品が売れることを願う。

8月15日

河口湖に行くと必ず富士山の涌水を汲みに行く。
近くのゴルフ場の湧き水や私の家の前の水飲み場の水を汲んでいたが、最近は近くの鳴沢村の「道の駅」に汲みに行っている。
ここは日本名水百選にも選ばれていて、いつも行列ができる。
市販のペットボトルの水とは比べ物にならないくらいおいしくて、20リッター入りのタンクをたくさん持っていっては画廊や自宅に持って帰る、水の運び屋が私の仕事の一つである。
その運び屋も重いタンクをいくつも運ぶのがかなりきつくなっていたが、ついに昨日腰をやってしまった。
椅子から立ち上がれないくらいに痛い。
週末からのオークションの展示が早々に始まるが、もともと戦力外の私が、更に厄介者になってしまった。
今日も昼からお客様のところに依頼品を取りに行くことになっているのだが、まったく腰が動かない。
スタッフもオークションの準備で忙しくしていて、、下半身が丈夫な我が家の力持ちに助けてもらうしかない。
運転だけはできそうなので、家内と二人でこれから出発。
夏休み明けからとんでもないことになってしまった。

8月6日A

先日、名古屋アートフェアー「VARIA」の最後の会議があった。
大丸・松坂屋さんの主催だけあって、会議は細部にまでわたって検討された。
私なんかはいい加減で、概略が決まれば、後は成り行き任せなのだが、大企業ではそうはいかない。
前回もそうだったが、名古屋と東京をテレビで結びながらのテレビ会議となっていて、これまた我々零細には驚くことばかり。
もっとも我が家にもスカイプという優れものがあって、シドニーにいる娘夫婦や孫達と画面で見ながら、話をしている。
これに息子夫婦も加わり、出来立てほやほやの息子の孫の画像を交えながら、一緒に会話できるというから凄い。
11月には下の娘夫婦も子どもが生まれる予定なので、4家族で一緒になってお互いの顔を見ながら話ができるのだから、長生きはするものである。
画廊も大阪や京都、海外のフェアーではこれを活用して、会場風景を見ながら用件を話している。
驚くことに、こうした費用が無料だというから、どうなっているのだろう。
ただほど怖いものはないというが、いずれどっと請求が来るのではと冷や冷やしている。
昔、取引相手の百貨店からFAXで資料を送るからと言われ、そんなもの画廊にあるわけないでしょうと言って馬鹿にされたものだが、そのうち大丸・松坂屋さんからテレビ会議をするから画廊で繋いでくださいと言われたらどうしよう。

8月6日

暑さが戻ってきた。
明日から1週間夏休みをとらせていただく。
開けるとすぐにオークションの準備。
オークションが終わると台北のフェアー、続いて光州、名古屋、ソウルとフェアーが続き、画廊も鈴木亘彦、伊津野雄二と個展があって休み明けから9月末までは息つく暇もない。
震災、株安、円高と景気を押し上げる材料が見当たらないだけに、じっとしていても始まらない。
フェアーに参加する作家さんもそれぞれ暑い中を頑張って力作を出してくれているので、何としても成果を挙げなくてはならない。
そのためにも、スタッフは休みの1週間鋭気を養い、怒涛の夏に備えてもらいたい。

8月5日A

名物コレクターでもあり、名物画商でもあり、名物美術館館長でもあった梅野隆氏が亡くなられた。
氏は青木繁、坂本繁二郎のパトロンであった父親の影響を受け、早くから近代洋画の熱狂的なコレクターとなった。
名前や作品の内容を追うというよりは、作家の生き様に魅了され、その作家の軌跡を追う形で作品を蒐集した。
こうした側面は洲之内コレクションで知られる洲之内徹氏と通じるところがある。
偶々私が子息の画家・梅野亮の作品を集めていたことから氏とは知己を得たが、その氏が何と画商に転じ、私の画廊のすぐそばで画廊「藝林」を開設することとなった。
絵を語らせる情熱は他の追随を許さず、そのひたむきさに多くのファンが画廊を訪れるようになった。
そんな中、梅野ファンの肝いりで、信州北御牧村に「梅野記念絵画館」が開設されることになり、ご自分のコレクションに囲まれながらその館長を勤めるという、コレクターとしては、これ以上の至福の時はないといった環境の中で晩年を過ごすこととなった。
昨年、12年勤めた館長職を引かれ、しばらくお目にかかることがないままに、今回の悲しい知らせを聞くことになった。
口角泡を飛ばし、語りだすととまらない氏の面影が浮かんで消えない。
衷心よりご冥福をお祈りする。

8月5日

恒例の夏のギャラリー椿オークションが8月20日(土)、21日(日)、22日(月)の3日間開催される。
今回も600点近くの作品が出品されることになっている。
暑い最中に、これだけの数を展示すると思うと腰が引け気味だが、毎年楽しみにしている方も多く、気合を入れて頑張らなくてはいけない。
先日のチャリティーオークションで落札できなかった方もたくさんおられるので、今度は是非落札をしていただけるよう願っている。
リストは現在作成中で、できるだけ早くHPでアップさせていただく。
7日から14日まで夏休みをとらせていただくので、送付のほうも休み前には皆様にお送りできるように準備を進めているのでお待ちいただきたい。
オークション要綱はHP上でご覧いただきたい。

8月4日

先日出席した美術倶楽部の会議で、チャリティー展の出品依頼のデーターが配られた。
日本画・洋画・工芸は美術倶楽部から、現代美術は美術館会議が選んだ作家達に出品のお願いをさせていただいた。
合計で約600名の方に出品依頼をしたが、半数以上の300名を超える作家から出品するとの返事が届いた。
日本画のほうは何と80%以上の方から返事をいただき、その殆どが出品するとのこと。
現代美術のほうは回答率が40%で内出品は30%と対照的な結果となった。
日本画商と作家との絆がいかに強いかを知るとともに、美術館側の依頼であっても現代アート作家の多くがあまり関心を示さなかったことは驚きであった。
出品作家がほぼ決まったので、これからチラシ、ポスター、図録の準備が始まり、売り上げ目標も2億円ということで、私のところのチャリティーとはあまりに規模が違いすぎる。

8月3日

昨年の7月に私共での朗読コンサート「あまたなる”独り”の声」に出演していただいた女優の宴堂裕子さんから演劇集団ツツガムシの公演「オートマタ」の案内が届いた。
8月10日から21日まで新宿3丁目にあるSPACE雑遊で開かれる。
案内はだいぶ以前に届いていたが、日程の調整もあってなかなか返事が出来ずじまいで、今頃になって駄目もとで宴堂さんにチケットのお願いをしたところ、お待ちしていますの返事をいただいた。
演劇は全くの門外漢で、こうした公演に行く機会はまずなかった。
美人の宴堂さんのお誘いがなければ、行くこともなかっただろう。
80年以上にもわたるオートマタ(自動人形)が長い旅の中で見てきたであろう人間ドラマということで、滅多にない機会なので大変楽しみにしている。

8月2日

昨日も書いたテグアートフェアーの公募展の詳細は、私どものHPのニュース欄でも紹介をされているが、下記のような要綱となっている。
テグアートフェアー事務局の依頼で私もお手伝いをさせていただいていて、審査員にも名を連ねることになった。
審査員は他にもこのフェアーに参加する小山登美夫氏、アートソムリエで知られるコレクターの山本冬彦氏、東京オペラシティーアートギャラリー・寺田コレクションの寺田小太郎氏、月刊ギャラリー編集長の本多隆彦氏がつとめ、最終審査をテグ側に任せる。
画廊関係者、美術館関係者の推薦が必要だが、昨今の若手限定ではなく、年齢不問なので、多くの方にご応募いただきたい。
選ばれた作家は、ブース内の一面を使って作品構成をしてもらい、展示作品をテグ側で販売をすることで、韓国アートマーケットへの足がかりの機会が与えられる。
テグ市は韓国第三の都市で、繊維の街として栄え、ソウル・釜山の間にあって、日本で云えば名古屋のような所である。
ここ数年、文化・スポーツに力を入れ、アートフェアーを支援すると共に、テグ市現代美術館を造り、一昨年はユニバーシアード、そして今年の夏は世界陸上を誘致し、都市の活性化を図っている。
これから釜山と共に、アートマーケットとして大きく発展をしていくのは間違いない。

“ART LINE DAEGU”
ACT FOR JAPAN
・開催期間:2011年11月10日〜14日/プレビュー・レセプション11月9日
・会場:EXCO(韓国/大邱市最大のコンベンションセンター)

■作品募集内容(ジャンル)
 【平面作品部門】(絵画、ドローイング、他平面作品)
 【写真作品部門】(銀塩写真、デジタルプリント)

■応募期間
応募期間 2011年7月01日〜8月20日

■応募資格
国籍、年齢不問。ただし国内在住のアーティストに限ります。(ユニット、グループ可)
画廊関係者、美術館関係者の推薦人(氏名、所属、連絡先)を必要とする。
推薦人からの代理応募も受け付けます。

■応募方法
件名を 《「ART LINE DAEGU」審査希望》として、エントリーシートを指定のe-mailアドレスに添付して応募して下さい。
■賞
・大邱アートフェア賞
入選作家の中から1名を大邱アートフェア2011に招待。
※フライトチケット及び現地での宿泊費のサポート

・入選者サポート
絵画部門3名、写真部門3名/合計6組の入選作家の作品をテグアートフェア2011特別展に出品
3.6m×3.6mの展示スペースの提供
国内のグループ展会場から大邱アートフェア会場までの輸送費及び通関手続きの費用負担。

■ 審査員(順序不同)

韓国: テグアートフェア事務局代表者/1名
テグ市を代表するコレクター/1名
椿原弘也(ギャラリー椿代表)
小山登美夫(TOMIO KOYAMA GALLERY代表)
山本冬彦(アートソムリエ)
寺田小太郎(コレクター)
本多隆彦(月刊ギャラリー)

■主 催:大邱アートフェア2011事務局
■企画/運営:ACT FOR JAPAN/企画:浜田宏司(Booklayer/BookGallery CAUTION代表)
■メディアパートナー:月刊GALLERY
■企画協力:ギャラリー椿

8月1日

11月のテグアートフェアーの日本特別展の公募が本来なら先月末が締め切りだったが,先方の準備不足で8月20日まで延期となり、応募されるかたはまだ時間があるのでお申し込みいただきたい。

海外のやりとりは万事かくのごとくで,約束とか契約は守られた試しがない。
我々の仕事は信用が第一で契約書を作ることなど滅多になく、それでも期日や決済などはきちっと守られる。
律儀な国民性と言えばそれまでだが,向こうははなから蕎麦屋の出前である。

今やってます。
検討中です。
パソコンが壊れました。
出張中でメールを見てませんでした。
大体こんな調子。
まあ我慢して付き合うしかない。

7月31日

帰ってからは過ごしやすい日が続く。
猛暑対策にゴーヤの苗を植え、簾も買い込み、窓という窓に垂らしているが、少々拍子抜け。
それでも涼しいのは何により。
ゴーヤは瞬く間にベランダの網を覆い、小さな実も付け始め、家内は大喜び。
ベランダのプランターの色とりどりの花とともにゴーヤの成長が家内の楽しみの一つとなった。

7月30日

私が連れてきたわけではないが、どうやら韓国の凄い雨がそのまま日本に移動してきたようだ。
豪雨の新潟から来ているコイズミアヤも気が気でない。
そのコイズミ展だがアートフェアーに負けないくらい人が途切れない。
手に取り、組み立てることが出来るので、皆さん楽しんでくださる。
GT2の小川展も身近な材料を使った親しみやすい作品だけに夏休みに入った子供さん連れで是非お越しいただきたい。

7月29日

アートフェアー東京に行ってきた。

放射能の影響もあるのだろうが、海外からは数軒しか参加してないのは寂しい。
大阪のアートフェアーのほうがむしろ多かったくらいである。
アジア諸国がアートのグローバル化を進める中で、日本だけが取り残されていくような気がしてならない。

各ジャンルが並ぶのもこのフェアーの特長のひとつだが、古美術、現代美術のはざまにあって、近代美術だけがどこか色褪せて見えるのは何故だろう。
これも近代美術だけが長年グローバル化の枠外にあったからだろう。
古美術の中にあっても純粋に日本美を受け継いだ現代陶芸、現代美術にあってはモノトーンや日本的情感を表現したものに赤マークが付いていたのもわかるような気がする。
グローバルな中での日本を無意識のうちに選択しているのかもしれない。
逆に、着物にハイヒールを履いたような似非ジャパネスクはそろそろ飽きられてきているようだ。

具象全盛の中にあって、フジカワ画廊のブースで久し振りに見た山口啓介と中津川浩章の抽象表現が新鮮に見えたのも、行き過ぎた流れの中に自分もいるからだろう。

参加画廊では近代美術系の画廊が増えて、現代美術系の参加が減ってきているのも、近代美術系が百貨店等ではなく、アートフェアーで新たな活路を目指し、現代美術系が国内ではなく、益々海外に目を向けている現状を如実に現している。

グローバル化を進める韓国から帰ってきたばかりで、余計にそう見えるのかもしれないが、色んな意味で世界と日本、アジアと日本に思いをめぐらせるフェアーであった。

7月28日

朝からしのつく雨。
韓国では100年ぶりの大雨だそうで、都市部の漢南で40名を超える死者が出たというから驚きである。
私どもの取り扱いの韓国作家とソウル、光州、テグと続くフェアーの打ち合わせ。
まずはソンスー君のアトリエに。
新たに映画の一シーンをテーマにした作品が並び、その中から出品作を選ぶ。
ビエンナーレが開催される光州のアートフェアーからも招きを受けているが、台北のフェアーと時期が重なり、人は出さずに作品だけを送り、展示などは光州出身のソンスー君に任せることにした。
次に最終日となったユンボク君の個展会場へ。
そこは、第二代大統領の生家の一部を画廊にしていて、周りの古い伝統的な建物と現代彫刻が心地よいハーモニーを醸し出している。
今までと違う繊細なフォルムの作品は魅力的で、11月のうちでの個展が楽しみである。
まだ降り止まない雨の中を帰路につく。
9月のKIAFまでには悪天候にならないよう、日々の行いを悔い改めなくてはならない。

7月27日

案の定、昨日からの激しい雨は止むことなく、地下鉄や道路があちこちでストップしていて、迎えにきてくれた車も立ち往生で、オープニングには間に合いそうもない。
電話で聞いてみると、始まる前から多くの人が詰めかけているというが、どうやって辿り着いたのだろう。
こちらは成り行きにまかせるしかない。
私が韓国に行くと、台風や大雪とかなりの確率で悪天候になるが。
今回も大雨で散々である。

ホテルから2時間かかって、ようやく会場に到着。
全体を見て廻るがレベルが高く、興味を引く作品が多い。
目を奪われたのが映像作品で、キャプションを見るとなんと日本人。
韓国の大学に留学しているのだろうが、価格も安く、初めて映像作品を衝動買い。
後で聞くと、韓国の画廊も二軒ほどが目を付けたそうだ。
全体を見て驚くのは、具象作品ばかりで抽象画が見当たらない。
日本も同じような状況だが、以前の韓国では考えられないことである。

夕方、近くの美術情報センターで同時に始まった31名の評論家の推薦作家による展覧会のオープニングに向かう。
そこでこの企画をした前KIAF事務局長のチョンさんに久しぶりに会う。
現在は中央日報のアートディレクターを務め、中央日報主催のアートフェアー・ギャラリーソウルを成功に導いた立役者である。
このフェアーは、G・TOKXOを参考に参加画廊を絞り込み、VIPを対象に入場申し込みもネットだけとし、一般入場を1日だけの特化したフェアーで、昨今の大混雑のフェアーと差別化を図ったことが成功の要因となった。
格差がなくVIPが少ない日本では難しいだろうが、格差社会のアジア諸国のフェアーはこの方向に進むのではと予想される。
猫も杓子も海外に向かうようになった日本だが、画廊もそうした流れの中では選別の時代に突入し、海外での生き残りをかけて厳しい時代を迎えるのは必須である。

7月26日

会場の弘益大学に到着。 正門を入るとすぐ目の前に大学の美術館があり、入り口にASYAAFの大きなな垂れ幕が下がっている。
第4回となるがこの展覧会は、年々盛大となり、今年は8万人の入場者を見込んでいる。
学生の作品は大きいものでも20万円までに価格を制限されていることもあって、2000点の出品で800から1000点が売れるというから凄い。
そのため、ここに出るにはかなりの競争率だそうだ。
日本人作家ブースに行くと展示が滅茶滅茶で、最初からやり直し。
汗だくになって展示が終わると土砂降りの雨が。
バケツをひっくりかえしたような雨で、約束の夕食の場所にずぶ濡れになりながら出掛ける羽目に。
今週末まで強い雨が止まないというから、明日のオープニングが心配だ。

7月25日A

明朝早くにソウルに向かう。
朝鮮日報主催のASYAAFという韓国美大生約700名とアジアから推薦された若手作家による大展覧会が27日から一ヶ月間ソウルの弘益大学・現代美術館にて開催される。
昨年は大阪のヨシアキ・イノウエギャラリーが窓口になって日本側の作家を紹介することになり、私共からも何人かの若手作家を参加させていただいた。
今回は私のほうで作家を推薦することになり、30歳までの作家を20名ほどに絞った上で、更に先方で選考してもらい、9名の作家が選ばれ発表をすることになった。
私どもの作家では岩淵華林、青木恵が選ばれ参加する。
イノウエさんのほうからも3人の作家が参加するが、その中に先日まで私共で個展をしていた岡本啓も含まれている。
昨年はここから浅井飛人、高木まどか、今回も参加する青木恵などの作品が売約となり、その後に開かれたKIAFでも注目が集まっただけに、今回も大いに期待したい。
それにしてもこれだけの人数の作品を展示するのは並大抵ではないが、今日と明日で終えて、27日からのオープニングを迎える。

7月25日

アートコレクター8月号の特集「細密アートの愛し方」の中で、篠田教夫が大きく取り上げられている。
私の画廊では幻の作家と呼んでいて、8年前に個展をして以来、次回を約束したまま未だ実現をしていない作家である。
雑誌のインタビューにも、いつまでも待ちますよと書いてあるが、最近は私が死ぬ前に是非一度と言い変えている。
超絶技法の極め付き作家で、鉛筆と消しゴムを使い、紙の全面を鉛筆で塗りつぶした後、消しゴムで鉛筆の面を消しながら描いていく。
そのため、一日数ミリの仕事となり、一点を仕上げるのに3年以上もかかってしまうこともあって、個展が実現しないのも仕方がない。
集英社から日本全国の著名な神社仏閣を鉛筆デッサンで描いたガイドブック「神と仏の道を歩く」が出版されているが、篠田をはじめ諏訪・石黒・木原・稲垣・塩谷といった多くの細密画家がこれに携わり、その中でも篠田の技術は群を抜いている。
出版社も初めはそのテクニックを見込んで、152の神社仏閣を篠田一人に依頼しようとしたのだが、個展もままならない上に、消しゴムを使ってなどは気の遠くなるような時間が要るので、他の作家にも頼み、消しゴムは使わずに鉛筆だけならということで引き受けた。
寺社だけではなく長谷の大仏などよくぞここまでというほど写実の極みを見せてくれている。
鉛筆だけでもいいと思うのだが、個展のための作品はその超絶描写だけに満足せず、消しゴムを使って消しながら描いていくのだから、いつになることやら。
皆さんにも是非見ていただきたい展覧会なので、どうぞ身体だけには気をつけて元気でいていただきたい。

因みに篠田教夫に興味を持った方が詳しくブログで紹介をしているのご覧いただきたい。
www.norihuto.com/shinoda.htm

7月24日

22日から31日まで秋葉原の@3331Arts・Chiyodaで京都造形芸術大学と東北芸術工科大学の精鋭49名による「エマージング展」が始まった。
大学側から審査を依頼されたギャラリストやそこのスタッフが、展示作品から一点を選び、作品の横にシールを張ることになっている 。
来週から韓国へ出かけるので、いの一番に行って、一点を選んできた。
一点というのはかなり厳しくて、消去法で行くしかなく、さんざん会場を廻って決めさせてもらったが、成る程これは大学側の試みとしては大成功ではないだろうか。
学生の作品をこれだけ熱心に見て廻る機会もそうはなく、学生をギャラリストに紹介することはギャラリーでの発表にも繋がるわけで、大学側の就活支援といってもいいだろう。
同時に東北福興会議という東北芸工のプロジェクトが紹介されているが、この二つの大学からは最近とみに熱いムーブメントが感じられる。
ここの大学の経営努力の賜物といっていいだろう。

7月23日

今日から新たに二つの個展が始まる。
コイズミアヤは木箱の中にバーチャルな構築物や風景を閉じ込め、鑑賞者の手によって、まるでパンドラの箱を開けるかのように、木箱の中から別の空間が取り出される。
限定された空間で大きな宇宙観を表現する日本独自の「縮みの文化」をまさに具現化した作品と言えよう。
今回の震災に対しての鎮魂の思いも込められていて、私どものサイトの展覧会紹介欄に作者の言葉として語られている。
片や小川陽一郎はジャンクを使ったアジアンテーストの華やかな作品を発表してきたが、今回はおとなしめで、金魚と木蓮の花が一体となった作品や羽化しようとするせみの形態をビーズやスパンコールで造り上げた。
咲いて散る、誕生と終焉、生き物のはかなげな一生をテーマに今回の発表となった。
二人に共通するのは、展示プランを詳細に練って、空間と作品をどうマッチさせるかにも多くの時間を割いたことである。
展示台や配置、照明、音がまでアートとなり、心地よい空間を構成してくれた。
ご来場の方には是非そうした作家の意図も含め、ご覧いただければ有難い。

7月22日

今日は前回に続いて、11月に東京美術倶楽部で開催される文化庁・全国美術館会議・全国美術商連合会共催によるチャリティー展の打ち合わせ会議。
前にも書いたように、私以外はみな東京美術倶楽部の主要メンバーばかりで肩身が狭い。
ここのメンバーになるには多額なお金と強力な倶楽部員の推薦が必要となり、経団連や経済同友会のように画商にとってここに入るのはステータスであった。
時代が変わり、ここのメンバーも激減していて運営自体も大変なようだが、鑑定会の収入が大きな財源となっている。
殆どの物故作家を網羅していて、鑑定料3万円、証明書代3万円が必要となる。
藤田嗣治、上村松園、菱田春草だけ例外で、贋物も多いことから、鑑定料5万円、証明書代3万円の合計8万円が必要となる。
美術倶楽部ではないが、草間弥生は現存にも拘らず自分のところで証明書発行に5万円を請求するのはちょっと腑に落ちない。
同じ図柄が多く、真似しやすい絵だけに贋物も多いが、自分の絵なのだからもうちょっと安く出来ないものだろうか。
洋画商協同組合や日動画廊なども鑑定業務を行っているが、世間の信用度は歴史ある美術倶楽部に軍配が上がる。
前にも書いたが、ここの鑑定のシステムは合議制によるもので、真贋の根拠は開示しないことになっていて、一人でも白票が出ると証明書は発行されないことになっている。
そのため高い鑑定料を払って、贋物とされたときに納得いかない場合が多く、この辺を何とかできないものかと思っている。
贋物とされた根拠を示すことで、その拠りどころとなる部分を贋作者が知ることになるのを防止するためなのだろうが、テレビの鑑定団のような明快な解説があれば納得してもらえると思うのだが。

7月21日

昨夜はお客様のところに出かけなくてはならず、台風の影響を心配したが、思ったほどのこともなく無事納品。
お客様の誘いで美味しいイタリアンをご馳走になるが、こうしてお客様のお宅に伺うことも少なくなってきた。

大阪に勤めている頃はお客様のお宅に伺うのが当たり前で、画廊で作品を売るということは滅多になかった。
夜討ち朝駆けといってもいいくらい、朝早くか夜に作品を持ち込んで商談をさせてもらった。
お客様もそれが当たり前で、迷惑がらずに訪ねてくることを楽しみにされていた。
東京に帰ってもしばらくは車に作品を積んで、関西から中国、九州と、お客様のお宅を一軒一軒廻ったものである。
車の中で寝たり、モーテルに泊まったりしながら、文字通りの行商である。

ある時、ブローカー画商が九州に顧客がいるから一緒に連れて行って欲しいと頼まれ、売り上げに繋がればと一緒に行くことになった。
言うほどには顧客はいなかったが、この男は碁の腕前がプロ級で、訪ねる先で碁好きの医者を紹介してもらい、どうやって入り込むのかわからないが、出向いて行っては碁を打って帰ってくる。
絵を売らずに碁ばかり打っているので、いい加減こちらも腹が立つのだが、これがこの男の作戦。
その日はいい勝負をし、ぎりぎりのところで負けて帰ってくる。
翌日リベンジといってまた出掛けていくと、いつの間にか絵を売って帰ってくる。
要は賭け碁をして、その分で絵を買ってもらっていたのである。
絵を売ってくるのはいいのだが、自分の取り分といってお金が入ると飲み屋に行って、これまた帰ってこない。
人当たりもよく悪い男ではないが、こんな輩と一緒ではいずれとんでもないことになりそうと、大分、福岡、佐賀を廻ったところで金を余分に払って帰ってもらったことがあった。
行商の思い出を語り出すときりがない。
苦労もしたが、懐かしい思い出である。

7月20日

なでしこジャパンがワールドサッカーで見事世界一になった。
その前の準決勝スウェーデン戦も相手が一点入れたところで、睡魔が襲い、その後の逆転劇を見ることができず、決勝戦も3時に起きて頑張ったが、始まる頃には力尽き、やられっぱなしの前半30分を過ぎたところでダウン。
両方ともいいとこ見ずで感激も半減だが、それでもよくやった。
小泉元首相じゃないが「よくやった・感動した」である。
菅首相の場合は「菅どうした」だが。
政治も駄目、経済も駄目、我が巨人軍も全く駄目、こうした沈滞ムードを吹き飛ばし、東北に勇気と元気をもたらすなでしこジャパン万歳である。
古橋の活躍なくして戦後の発展はありえなかったといわれ、戦後の混乱期に世界新を打ち立てた水泳の古橋広之進や、神戸の震災後に頑張れ神戸を合言葉に見事優勝したイチロー率いるオリックス球団など、これまでにもスポーツが辛く苦しい思いをしている人たちをどれだけ勇気付けたことか。
点を入れられてもあきらめずに逆転をするなでしこジャパンに教わることは多い。
なでしこジャパンの活躍なくして 、東北の復興はありえなかったといずれ歴史の中で語られるに違いない。

7月19日

台風が来ている。
展覧会が終わったせいもあって来る人も少なく、後片付けにはせいが出る。
猛暑の最中で心配したが、展覧会は二つとも好評で、大作を含め多くの作品が売約となり、ほっと胸をなでおろしている。
うれしいのは、以前に買っていただいたお客様の多くの方に今回も買っていただいたことで、作品が新たな展開をしていただけに前にも増した評価をえられたことは何よりであった。
若い作家にとっては前の評価が土台となるだけに、それ以上のものを出さなくてはならない辛さがある。
昔であれば、40過ぎたくらいにようやく世間の評価が得られるので、その分の蓄積があることで、次の展開もそれほど難しくはない。
ところが若い作家は個展に全てを出し切ってしまうので、個展が終わるとすっからかんになってしまい、次に向かうハードルがより厳しくなる。
そうした意味でも今回の二人は高いハードルを乗り越え、それなりの評価を得たことは大いに自信を持っていいのではないだろうか。
とは言え、次のハードルはより高くなり、更なる努力が必要となるが、二人ならきっと乗り越えてくれるはずである。

7月18日

土曜日に画廊を休んで葉山に出かけたこともあって、久し振りの3連休となり、河口湖でのんびりさせてもらった。
向こうに行って何がいいと言えば、朝晩の寝苦しさがないことである。
窓を開けていたら寒いぐらいである。
昼は同じように30度を遥かに超すが、日陰に入れば緑陰の風が心地よい。
それでも地元の人に聞くと、こんな暑さは経験したことがなく、寝苦しくて寝不足気味というから驚く。
目の前に広がる富士山、木々の緑、天然イオンの爽やかな風、甘く冷たい水、素晴らしい環境だが、併設するホテルが地震の影響で客足が遠のき、倒産の危機を迎えている。
というよりほぼ倒産は間違いなく、私共もここに管理業務を委託しているので他人事ではない。
何回かの理事会を重ね、昨日ようやくしばらくは自主管理をして、その後は大手の管理会社と契約をする旨を決定し、総会に諮ることになった。
そんな事もあって全くのんびりというわけにはいかず、貴重な休みの時間がこんな事でつぶされるのだから勘弁して欲しい。

7月16日

大学のヨット部のOB総会があって、滅多に出席することはなかったのだが、久し振りに出かけることにした。
真夏の日差しの中を、会場の葉山港湾事務所に向かう。
学生時代は学園紛争の真っ只中ということもあって、大学に行くよりは葉山の海で過ごした時間の方が遥かに長かっただけに、どこを見ても懐かしく、目の前を帆走するヨットが青春時代をよみがえらせる。
今回出かけた一つの理由は、ここ数年部員数が激減し、存亡の危機に瀕し、昨年の春にはOB有志が新入生勧誘に大学まで駆けつける事態となったからである。
その甲斐あって、1,2年生が15名ほどになり、何とか一息つけることが出来たが、資金面や運営面でしばらくOBの力に頼らざるを得ないこともあり、お家の一大事ということで駆けつけた。
  私たちの代は入学当時40名を越える部員がいて、ヨットに乗ることさえままならず、そのあと厳しい練習に耐え切れず、だいぶ辞めてしまったが、それでも20名の部員が残ったことを思うと隔世の感である。
その後の代でも多くの新入生が入部したため、入部金を取ったしまえばこちらのもので、後はどうやって辞めさせるかを考えていたのだから、無茶なことをやっていたものである。
どの大学も、どの部も部員の減少が大きな問題になっているようだが、かけがえのない4年間を一つに打ち込めるのもこの時期しかなく、かけがえのない友人や思い出を作れたのもこうした時代を過ごしたからである。
現役の部員が充実した時を過ごし、OBになった時に我々と思い出話を共に語らうことが出来るように願う。

7月15日

暑い中、高校のクラスメートの依頼で作品の引き取りに。
彼の父親は東京芸大の油画科の教授を勤め、日本の抽象表現主義の先駆者の一人として活躍した杉全直である。
1994年に亡くなった後、1999年大規模な回顧展が出身の姫路市立美術館を皮切りに、新潟市美術館、北九州市立美術館、茨城県つくば美術館で開催された。
その際、多くの作品が美術館コレクションとなっているが、非売としてきた作品がアトリエにまだ多数残っていて、13回忌を迎え、今一度回顧展が出来ないだろうかとの相談を受けた。
同級生のよしみということもあり、又あまりにサブカルチャーの偏りすぎている現状を踏まえ、抽象絵画を再び見直す必要もあるのではとの思いもあって、お手伝いをさせていただくことになった。
都内での美術館の展覧会がされていないこともあって、都内の美術館での発表を念頭に、まずは関係各位にあたってみようと思っている。
同時に、生前の取り扱い画廊であったギャラリー上田も今はなくなっているので、私共での発表も近いうちに出来ないだろうかとの打診も受けていて、そのためにも代表的な作品を一部預からせていただくことになった。
時を経たにもかかわらず、新鮮さは未だ失われず、今の時代に問いかけるべき展覧会ができればと思っている。


7月14日

介護保険の保険証が送られてきた。
65歳になると自動的に送られてくるようだが、これはかなりのショック。
これでお前さんも老人の仲間入りだよとお上から宣言されたようなもので、自分で若いつもりでいても世間はそうはさせてくれない。
もっとも、朝5時前には目が覚め、家内と二人で公園に散歩に出かけ、公園内でやっているラジオ体操に参加して、7時前には帰ってくる毎日は老夫婦そのものである。
老人は体温調節が難しいと、熱中症対策にこれ努め、梅干食べて、水分補給は怠りなくと家内にうるさく言われ、耳が遠くてテレビの音を大きくするとヘッドホーンを付けさせられ、老眼鏡をかけたままで眼鏡を探して馬鹿にされ、加齢臭には気をつけろとオーデコロンをふりかけられ、既に我が家では老人介護が始まっているのかもしれない。

7月13日

先般、中国美術の無料査定会が開かれた。
中国のオークション会社が主催したものだが、2日間で3百件もの予約が殺到したという。
それもその筈、昨年の11月のオークションでは清朝初期の壷が68億円で落札するなど桁外れの勢い、今年5月のオークションでも2日間で700億円を記録したというから、恐るべし中国である。
その中には著名な中国作家の作品で蒋介石の還暦記念に贈ったという水墨画が50億円を超えたいうから驚きである。
その作家の作品は日本ではついこの前まで2、30万円しかしないものだっただけに、もし日本からの出品であれば大穴馬券やジャンボ宝くじどころではない。

そんな中、私のところにも何とそうした清朝時代の大壷やその作家の水墨画などの売却依頼が舞い込んだから、上や下への大騒ぎ。
あわよくばの夢を抱いて勇んで査定会へ。

結果はお察しの通りで、もろくも夢は遙か彼方へ消え去った。
価格は1百万、2百万前後ということで、その落差に愕然。
それでも偽物ではなかっただけ良しとしなくてはと自らを慰める。

やはり私のところは小さいことからこつこつとが似合っているようだ。

7月12日

チャリティー展の入金が完了し、作品引渡しもほぼ終わった。
お客様の中には落札できなかった金額を義援金に使って欲しいとの申し出があったり、出品していただいた作家の中にも、別の展覧会での売り上げの一部を寄付して欲しいとの申し出や画料の寄付が相次ぎ、皆様の善意に心からお礼を申し上げたい。
この善意のお金をどういう形にしたらいいか、始めは画材を念頭に考えていたのだが、そうした物資もたくさん送られているようで、さて何がいいのか思案しているところである。
お金が一番いいのだろうが、アートに携わる方たちからいただいた浄財だけに、やはり子どもたちにアートに関わる物を送るのが一番いいとは考えているが。
一度仙台を訪ね、送り先としている「子どもの笑顔・元気プロジェクト」の代表の方にお会いして、子供たちにとって何が今必要なのか、もしくはこれから何が必要となるのかを聞いてこようとも思っている。
ご協力をいただいた皆様からも何かいい知恵があればご教示いただきたい。

7月11日

一週間前になるが、名古屋アートフェアーの会議があった。
タイトルも「VARIA NAGOYA ART FAIR 2011」と決定。
従来のフェアーと違い、出展画廊は公募ではなく推薦制となっていて、実行委員の推薦によるものとした。
その結果、小山、西村、メグミオギタ、ヨコイファインアート、ヨシアキイノウエ、セラー、MEM、IDFなどの現代美術系から丸栄堂、相模屋、広田美術、彩鳳堂、羽黒洞、ヒロ、グラフィカ、平野古陶軒といった老舗画廊など24軒の画廊が参加する。
主催も中日新聞、日経新聞、テレビ愛知に決まり、松坂屋創業400周年記念事業に相応しい催しとなる。
日替わりイベントとして、コレクターでも知られるアートソムリエ・山本冬彦氏、元NHKアナウンサー・大学教授・小池保氏、ワンピース倶楽部代表・石鍋博子氏、名古屋ボストン美術館館長・馬場駿吉氏による講演や名古屋芸大生のライブペインティング、ワークショップなどの企画も盛り込まれている。
2010年の愛知トリエンナーレを成功させた名古屋に新たにコンテンポラリーアートの風が吹く。
9月8日から11日までマツザカヤホールにて開催、乞うご期待である。
名古屋に行ってみようという方はいずれ招待券が配布される予定なのでお申し出いただきたい。


7月10日

早くも梅雨明け。
昨年のような暑さがこれから待ち受けているのだろうか。
この猛暑と節電をどうやって折り合いつけるか、これが去年とは大違い。

エコタイムで朝4時半起きで出勤し、電車がすいてると思ったら同じような会社が多いのか、ラッシュも今まで通りとこぼしていたお客様がいた。
帰りが早くなった分お客様も画廊に来やすくなると思ったが、こちらも意に反して京橋界隈の初日・夜8時まで開けても誰も来ずで拍子抜け。
閑散としている現状では、京橋界隈も今年あたりが潮時かもしれない。
クリスマスフェスタや京橋日本橋祭りも同じで分散型は難しくなってきているようだ。
逆に大阪のフェアーもそうだが一カ所集中型に人は集まるようになってきた。
とは言え、イベント性が強く、人出は凄くても売り上げが今一つというのが従来のホテルフェアーだったが、今回の大阪は少し違っているようだ。
油彩やオブジェの大きい作品も含め、国内のホテルフェアーとしては今までにない売り上げの知らせが届き、暑さも吹き飛ぶ。
猛暑の大阪でのスタッフの頑張りに感謝である。


7月9日

10日の日曜日は母の新盆法要。
3度目の骨折で入院して1ヶ月、家に帰って1週間で今年の1月に眠るように逝った。
入院中、食べ物を一切受け付けなくなり、身体が衰弱していったが、病院では無理に食べさせることはないとの判断で、点滴や栄養補給などの処置を施さなかった。
母を見送った後、もう少し何かできることがなかったのだろうかと胸にひっかかるものがあり、その思いを引きずったままでいた。
ところが偶々読んだ新聞の記事でそうした胸のつかえがおりることとなった。
新聞には「平穏死のすすめ」を著した特別養護老人ホーム常勤医の石飛幸三氏のことが紹介されていた。
氏は終末期の高齢者に過剰な水分や栄養補給を控え、穏やかな最後をと説く。
口から食べられないというのは老衰の終点、生物体の最期だそうだ。
そんな時、今の医療は「胃ろう」といって、お腹に穴を開けて栄養補給をするそうだが、大抵の人は嫌がる。
医師は医療放棄を訴えられるのが怖くて、胃ろうは当たり前のように行われている。
食べさせないから死ぬのではなく、人生の終焉を迎えようとしている人には与えすぎることが、逆に苦しめることになる。
一日でも長生きして欲しいと願うのは家族として当然のことだが、胃ろうで長生きしたとしてどれだけ意味があるのか、自分が寂しいから頑張らせている面があるのでは。
人の死期は、こちらで決められない。
素直に自然な経過を見守り、食べなくなり、ずっと眠り続けるうちに水分もなくなり、いつの間にか、枯れるように穏やかに亡くなる。
それが平穏死だそうだ。
母の死はまさしく平穏死であった。
病院は母に穏やかに逝く事を選択してくれたのである。
どこか恨みがましい気持ちを持っていたことを恥じなくてはいけない。
新盆、初めて黄泉から母が帰ってくる日である。
家の玄関に灯をともし、父と共に帰ってくる母を穏やかに迎えることが出来る。

7月8日-A


京都造形芸術大学と東北芸術工科大学の中から選抜された精鋭49作家の作品を展示する「EMERGING#1」が新たなアートスポットとして注目を集める3331・Arts・Chiyodaにて7月22日から7月31日まで開催される。
併せて東北芸工大の東北復興支援活動「福興会議」の紹介やシンポジウムや講評会などのイベントやアートフェアー東京、アートアワード東京丸の内とも連携したプロモーション活動を繰り広げる。
会期中、ギャラリストによる出展作品の審査が予定されていて、私もメンバーの一人になっている。
こうした機会に又新たな作家との出会いがあるかもしれない。

7月8日-@

大阪のアートフェアーが始まった。
2時からの開催なので先に国立国際美術館に行ってきた。
森山大道の写真展で400点の作品がずらりと並ぶ。
これだけの点数だと普通は流して見てしまうのだが、退廃的な街の描写やノスタルジックな世界が懐かしく思えるのか丹念に見て回った。
併設の桑山忠明展は白一色の作品が並んでいるだけで、ミニマルアートも既に古こびてしまったのか単調・退屈でこちらは通り過ぎるだけ。
さてフェアーだが従来のホテルフェアーと違って明るい広々とした空間で閉塞感もなくいい雰囲気である。
周囲もすっかり一変し、未来都市にきたかのようにモダンな建物が立ち並び、森山の写真にもあるような、私が40数年前に勤めていた頃のゴミゴミした人間くさいこれぞ大阪といった情感がなくなってしまったのもどこか寂しい。
それでも新しくお洒落な街の雰囲気に誘われて平日の昼間にもかかわらず早くから大勢の人で賑わった。
私のところが偶々会場のの入り口のすぐ横ということもあってお客様の反応も上々である。
逆に運悪く端っこの部屋になってしまった某人気画廊のオーナーは馬鹿にするなと怒っていて、もしやこのオーナー九州出身のB型人間なのかもしれない。
気持ちは解らなくもないが、くじ引きだから仕方がない。

7月7日

今日は七夕。
七夕といえば仙台の七夕祭りが有名だが、旧暦なので仙台では8月に盛大に行われるようだ。
東北復興を願い、例年以上の盛り上がりになるのでは。
今年の笹の葉はどこも願い事が書かれた短冊でたわわとなるだろう。
死者を悼み、行方知れずの人の無事を祈り、元の町に戻るよう、野菜が採れるよう、魚が獲れるよう、水がきれいになるよう、放射能が収まるよう、願い事はいくらでもある。
今年の七夕は一入胸に去来するものがある。

7月6日

土曜日に依頼があって、お客様のお宅に査定に出かける。
とても一日では見切れないというお話だったので、覚悟して出かける。
私共の展覧会初日とチャリティーオークションの落札作品の引き取りでスタッフは忙しくしていて、暑い土曜日の午後、老体に鞭打ち一人で出かけることに。
既に高額品は海外のオークションで処分したとのことで、あまり期待もせずにいたが、玄人好みのコレクションで、私にはどれも垂涎のコレクションであった。
こんな時期だけに期待通りの評価は出来ないが、その方の鑑識眼の高さをうかがわせるコレクションで、疲れも暑さも吹き飛んでしまった。
話のように大量のコレクションだけに全てを一日で見ることはできなかったが、取り敢えず目に付いた主要な作品だけは見させてもらった。
果たしてどんな結果に。


7月5日

コレクターの野中健一さんが野田市郷土博物館・市民会館でコレクション展を開催する。
新橋から日本橋まで走りながら画廊を廻り、展覧会を見た後は必ず芳名帳にその展覧会でのインスピレーションを俳句にして書き残し、興が乗れば即興の踊りまで披露するという名物コレクターである。
絵画、陶器、などの美術品から日用品、玩具、機械の部品、仕事先や地元・野田市ゆかりの品々など・・・・7000点にも及ぶコレクションがある。
決して高いものはないが、足で集めた貴重なコレクションが「小さなポケットにつめた大きな夢ー野中健一さんの宝物」と題して7月9日から9月26日まで開催される。


7月4日B

今朝のニュースの松本復興相の恫喝とも言える物言いに腹立たしさを通り越しあきれる。
菅も嫌い、谷垣も嫌い、松本はもっと嫌いと言いたくなる。
選挙ではペコペコ、大臣になるとこれだけ偉そうに。
取引先の上得意が出向いたわけでもなく、先に待ってないから礼儀知らずとはよく言ったもんだ。
必死に復興に立ち向かっている人たちのことを思ったら、大臣でも県知事でもない、被災地の僕であるべきだ。
その意識が欠けていて、お代官様が施しをするので、下々の者は頭を下げいとでも思っているのだろうか。
オフレコを書いた新聞社は終わりだからなとはこれまたよく言ったもんである。
オフレコにして欲しいようなことなら最初から言うなである。
あなたもこれで終わりだと思う。


7月4日A

昨日は暑い中、長男の子供のお宮参りに近くにある代々木八幡神社に出かける。
この神社も最近パワースポットの一つとして知られるようになり、前に紹介した明治神宮の清正の井戸同様に若者が押しかけるようになった。
若者と言えば、下の娘が安産祈願で先日家内と行った水天宮も人気で、戌の日には若い夫婦で長蛇の列ができるそうで、日曜日などは2000人近くの人が押しかけると言うから驚く。
私の若いときには家内任せで、安産祈願など一緒に行った記憶もないが、今の現代っ子のほうが余程ゲン担ぎなのだろうか、何とも不思議な気がする。
神社でのお祓いの後、近所の写真館で記念撮影。
カメラマンにハーイおじいちゃんはこちら、おばあちゃんはもう少しこっちにと言われ、二人してムッとしていた。


7月4日@

ジパング展の名古屋覚氏の批判記事を紹介したが、山本冬彦氏が早速にブログで見解を述べている。

●ギャラリー椿さんの日記に名古屋覚さんの批判記事が紹介されている。私もジパング展の事前紹介はしたが、実際に見に行って、がっかりというよりもう飽き飽きしたという感じで論評すらしなかったが、基本的には名古屋氏の意見に賛同する。私がイラストレーターアート展を企画したのは、最近のつまらない「現代アート」がファインアートとして評価され、イラストが一段低いと見られている現状に疑問を呈したいからでもある。

今までのアートはイラスト、コミック、アニメといったメディアアートと一線を画していたが、その領域がなくなり、価値観が多様化してきたのはいいことではあるが、あまりにそちらばかりに流れていくのには戸惑いを覚える。
山本氏が敢えてイラストレーターの作家達を紹介しようとしているのも、サブカルチャー指向のアーティストがあたかも革命児のように捉えられている現状に一石を投じようとしているのではないだろうか。
従来からあったイラストを、あなた達はなぞっているのに過ぎないのですよと指摘し、それなら本物のイラストを見せてやろうという思いがあるのだろう。

「今、イラストレーターアートがおもしろい展」を山本氏が企画し、7月18日から23日まで銀座枝香庵で開催される。

7月3日

昨日の集まりで東日本大震災で被災された方に捧げる詩を朗読してくださった小川英晴氏には感謝もうしあげたい。
集まってくださった方もみなその深い思いが響きわたり心が揺さぶられたのではないだろうか。

ここに氏の了解を得て紹介させていただく。

喪われた風景

ー愛するものたちのためにー

目を凝らせば
いまも目に見えぬ墓標が
この街のいたるところに立っている

瓦礫に群がるカラスが
死者の夢をも無残についばむ

するとその一瞬に
在りし日の夢が風にふわりと匂いたつ

      *

まもなく海は鎮まるだろう

まもなく日は暮れ 空には虹が架かるだろう

まもなく死者は葬られ
人々は夜ごと祈りを捧げるだろう

まもなく死者の魂は
この世の夢から醒めるだろう

まもなくこの世では叶えられなかった約束が
美しい調べとなって降り注ぐだろう

まもなく誰かが戸口に立ち
死者との別れを告げるだろう

まもなく扉は展かれて
死者は旅立つことだろう

まもなく祈りは天へと届き
空には星が満ちるだろう

この詩篇を東日本大震災で亡くなった人々と被災した人々
それに本日ここにより集う人々に捧げる

2011年6月26日

小川英晴

7月2日―A

病と偏見に闘いながら、その辛く悲しい思いを、朗読を通じ、世に訴えかけようとの企画に賛同させていただき、昨年の7月に私共で朗読コンサート「あまたなる”独り”の声」を開催し、大きな感動を呼んだ。 1年を経て、再びハンセン病療養所に残された盲人達による文芸作品を紹介しようと、国立ハンセン病資料館にてコンサート「いはやがて光をもとめて」が開催されることになった。 コレクターでもある元NHKアナウンサー小池保氏の企画によるもので、昨年出ていただいたNHKアナウンサー三宅民夫氏を除き、女優・宴藤裕子さん、アコーディオン演奏渥美知世さんが出演する。 詳細は私共ウェブサイトのニュース欄をご覧いただきたい。

7月2日―@

恒例の京橋界隈展が7月8日から始まる。
いつもなら7月には入ると一斉に始まるのだが、今年は一週遅れの8日から始まることになり、私のところは知らずにフライング気味に2日土曜日から期待の若手・岡本啓と高木まどかの個展でスタート。
二人とも新たな展開を見せ、それぞれにインパクトのある作品を紹介する。
展覧会続きと暑さで疲労気味だが、二人の作品に元気づけられ、スタッフ共々弱音を吐いていられない。
パンフレットと昨年好評だった団扇も各画廊に用意されているので、お立ち寄りいただき団扇片手に画廊めぐりをしていただきたい。

7月1日

月刊ギャラリーでまた名古屋覚氏が痛烈な批判記事。
私も日記で触れた「ジパング展」を滅多切りである。
私がいいと思った二人も絵画風イラスト、ばかでかく汚いが純朴めいてけなしにくい卑劣日本画と容赦ない。

見かけは様々だが共通点が二つある。
高級めかした漫画かイラスト。
技術こそ異様に高いが、我々がフェルメールやゴッホを見に行くのは描かれた地球儀が珍しいからか?
芸術の普遍性に関わる何かがほぼ全員に欠けている。

次にどれも妄想的か内向的あるいは小児的で、現実の世界への意識が感じられないこと。
「カワイイ、漫画的、オタク的」という十数年前の欧米の日本現代美術観そのままである。

日本画風作品もほとんどパロディーの類。
伝統には斜に構えている、屈折した国粋主義である。
日本といいながら欧米人に媚態の限りを尽くす。
それが展覧会名にいみじくも表われている。
普通の国ならジャーナリズムが筆誅を加えるところだが、ジパングでは新聞社が本展を主催しているという漫画である。

共感を覚えつつも、同業の身としてはここまでは書けない。

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