Diary of Gallery TSUBAKI

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7月2日

今日からGTUで始まった横田尚展は驚いた事に午前中に100号を始めとする作品全てが売れてしまった。
私は用事があって4時頃に画廊に戻ってきたので、どんな方が買われたのかも判らず、ただただ驚いている。
土曜日の展示の折に今度の作品はそこそこ売れるかもしれないと言っていたのだがこれほどとは。
かなりあくの強い個性的な作品だけに、売れるとは思っていても、それこそマニアックな人にしか向かないのではと思っていた。
これも昨今のミニバブルのせいだろうか。
買っていただいたのは有難いが、私も作家もこういう時こそ自分を見失わないようにしなくてはならない。
AERA今週号で 「未上場アート・BUY NOW」 という特集を組み、現代美術の投機熱をあおるような記事が出ている。
先日もあるお客様の話で、貸画廊の若手作家の個展に大手画廊が殺到し、企画展を持ちかけたり、大作を買い占めたりしているとの話を聞いた。
コンテンポラリーアートを地道に紹介してきたところならともかく、昨日まで日本画や洋画の流行作家を扱っていた画廊がいきなり押しかけてきたのだからびっくりする。
40年こうした節操のないやり方を見てきた私にはまたかとの思いと同時に、いずれは泡の如く消えていくのだと自分に言い聞かせている。
横田君にも売れることは悪い事ではないが、この次の評価こそが大切である事を強く言ってあげたい。
そのためにも浮つかず、先を見つめ、更なる精進を期待している。

7月4日

ようやく梅雨らしい天気になってきた。
これが春らしいとか秋らしいならいいのだが、どんよりとした空とじとじとした湿った空気は気分が滅入ってくる。
2週にわたって日曜日に小さな畑で作っている野菜を採ってきたが、こちらは恵みの雨で、みずみずしいレタスやサンチュ、みずな、大根、サラダほうれん草などが食卓を飾った。
同じ場所でもジャガイモは去年ほどには育ってなくて、その代わりこうした葉ものの出来がいい。
自然とは不思議なもので大きく育つものもあれば、枯れてしまうものもある。
作品も同じような環境の中で同じ人間が描いていても違ったものが生まれてくる。
お客様がある作家に何故あの頃のような作品が出来ないのかと尋ねたところ、彼は上手くなってしまったんですよと言ったそうである。
慣れてくることでぎこちない線がきれいな線に変わってしまい、かえって作品の味わいが失われてしまったようだ。
野菜と比較するのは失礼だが、無骨な形の野菜のほうが味がいいのと同じなのかもしれない。

7月7日

今週は韓国DAY。
連日、韓国の大手画廊のオーナーが訪ねてきた。
特に昨日は韓国最大の画廊GANA・ARTの李社長が訪れた。
ここは以前にも紹介したことがあるが、私の画廊と同じような大きさの部屋が8室もある美術館のような画廊を持ち、そこと支店(仁寺洞にある8階建ての画廊)を結ぶ自前のシャトルバスがあったり、画廊の別棟には社員のためのスポーツジムまである。
パリ、ニューヨークにも画廊があり、この20年で世界で一番大きくなった画廊といわれている。
画廊と別にソールオークションという会社も持っていて、自前のオークション会場は画廊と同じくらいの巨大なビルである。
そこのスタッフとは旧知の中なのだが、社長とは名刺交換をした程度で、兎に角多忙でゆっくり話す時間もなかった。
偶々、今回そこのオークション会社の依頼でリ・ウーハンの50号などを出品する事になり、その作品見るために時間割いてやってきてくれたのである。
先の香港クリスティーズオークションでリ・ウーハンの100号が200万ドルで落札され、世界の美術界の話題をさらったこともあり、今回の出品を大いに喜んでくれた。
ところがオークションの話は最初だけで、その社長の眼が展示されている鈴木亘彦の作品に釘付けになった。
たちまち何点かを予約し、9月の若手を紹介する展覧の会への出品まで決まってしまった。
以前に前韓国画廊協会の会長が鈴木作品をNICAFの私どものブースで見て気にいり、、韓国のフェアーで彼の個展を企画してくれたのがきっかけで、韓国の画廊とのお付き合いが始まった。
そういう意味では、鈴木君は韓国と私との縁結びの神様かもしれない。

7月11日

日曜日に朝9時から夕方6時まで私が所属をする奉仕団体の勉強会があった。
全国から400人ほどの会員が集まって講義を受けるのだが、あまりの退屈さに途中抜け出して二つの美術館に行ってきた。
両方とも私のところで個展をやっている作家が出品している事もあり、大変興味深く見せてもらった。
一つは新宿にある財団法人佐藤美術館での呉亜沙展である。
私のところで4月に個展を終えたばかりだが、100号の大作を中心に立体を含め20数点を描き上げたと言うからすごい。
私のところの個展でも大作を含め20点ほどの新作を展覧会初日の朝まで描いていたのだからそのエネルギーには驚かされる。
この6月は一ヶ月間殆ど一日一時間の睡眠だったというからナポレオン以上である。
さすがに美術館であった時はすかっりやせ細っていて、丸顔の顔が細長くなっていた。
その当日も前日から二日にわたって、ライブぺインティングをやっていた。
自分の生い立ちの中で記憶に残る風景を画面に再現し、その中にある自分を見つめなおすというテーマで今回は見せているが、ライブペインティングもそれに沿ったものとなった。
公募でそれぞれの記憶の風景を文章にして寄せてもらい、の中から20名ほどのイメージを画面に映し出すということであったが、短時間で多くのイメージを一つの画面の中に盛り込んでいく様はそれは見事であった。
先日の個展で買っていただいたお客様も何人か来ていて、熱心に見入っていた。
次に目黒美術館に行き、そこでは線の迷宮展が開催されていた。
この事は明日の日記で。

7月12日

鉛筆の表現による展覧会だが、黒だけの世界にこれだけの多様な見せ方があるのかと驚かされた。
その中に私どもで4年前に発表した篠田教夫さんが入っている。
彼は鉛筆で描くのではなく、黒く鉛筆で塗りつぶした画面を消しゴムで消していって作品を仕上げるのである。
その方法でよくこれだけ細密に表現するものだと感心させられる。
何度そのやり方を聞いてもよく判らず、目を凝らして見るのだが、どうして消しゴムでこれだけ出来るのか未だに理解しがたい。
そうした方法で制作をするのだから時間がかかるのは当然で、昨日の呉さんとは全く対照的である。
今回出品している中にも4年がかりの作品があるから驚く。
こんな具合で、私が依頼している個展も遅々として進まず、兎に角私の生きているうちに是非実現して欲しいと願っている。
片やあっという間に100号を描くエネルギッシュな女性もいると思えば、
一方では一日僅か数ミリの仕事しか出来ない作家もいるという事で、世の中広いもんだと実感させられた一日であった。

7月14日

現代日本版画商協同組合の理事長に就任して2ヶ月が経った。
就任前に組合員の倒産騒ぎが2件あり、就任前からその処理に終われ、就任後もその対応策や組合規約の改正などに取り組む事になり、忙しい日が続いている。
私達業界の商習慣の中には首をかしげるような取引もあり、この際、そうした事も含め、旧弊を打破してクリーンな組合にしていきたいと思っている。
古い体質の画廊の中にはこうした方向に否定的なところもあって、苦慮しているところだが、理事長という立場である以上、しがらみや情にとらわれず、コンプライアンスに則り毅然とした姿勢で臨んでいきたい。
先日も東京美術クラブで、マスコミを騒がした一画廊の巨額な脱税事件や今回のような倒産事件に鑑み、法人格の業界団体の幹部が集まり、業界の正常化に向けての協議会が開かれた。
私達以上に古い体質と思われた東京美術クラブの理事長が、強い姿勢で改革に取り組む意向を表明し、私にとっても我が意を得たりで、大変心強い後ろ盾が出来たと喜んでいる。
丁度いい機会なので、こうした幾つかの団体が大同団結して、商売人の集まりという事ではなく、文化貢献や文化事業に取り組むような業界活動をしていきませんかと申し上げた。
道は遠いが、こうした不祥事がきっかけで少しでもいい方向に向うのであれば、私の忙しさも多少は報われるのでは。

7月15日

台風の朝である。
忙しい日が続き、久し振りの連休で骨休みに出かける予定をしていたが、何処にも行けそうにもない。
溜まった仕事もあり、結局は画廊に来て仕事を片付ける事となった。
神様は中々楽をさせてくれない。
昨日までは恒例の京橋界隈展だったのだが、今年はお手伝いを休ませて貰った事もあって、何となく始まり何となく終わるといった、自分の中では盛り上がりに欠けるイベントとなってしまった。
今までのように知っている画廊だけと違い30軒に増えた事もあって、場所も知らず、行った事もない画廊も多く、どこかよそ事のようになってしまったのだろう。
来年はお手伝いをさせてもらおうと思っている。
恒例の京橋界隈オークションは私のところで8月24日から8月28日まで開催する。
作品集めから準備まで私のところでやるつもりでいるので、実際はギャラリー椿オークションなのだが、京橋界隈活性化の一助になればと名前は使わしていただくつもりでいる。
古いものから新しいものまで300点近く、今まで以上の内容になるので請うご期待といったところである。
明後日から期待の新人夏目麻麦展、同じくその後輩で多摩美大学院在学中で教授達からの強力な推薦もあるこれまた期待の新星高木まどか展が開催され、週末からは大阪の堂島ホテルで開催されるCASOアートフェアーにも参加する事になっていて、大忙しの一週間となる。
台風一過も結局は画廊に出てくることになりそうである。

7月16日

以前に取材を受けた全日空の機内誌「翼の王国」が先月末から機内に置かれているようで、何人かの人から見ましたよと言われる。
美術雑誌に載る事は多いが、こちらはあまり見ましたといってくれる人はいない。
今もコレクター向けの雑誌で版画の話を連載しているが、その反応は全くない。
矢張り一般誌の反響はすごい。
だいぶ以前に婦人雑誌に紹介されたことがあるが、未だにその記事を見たという人が、作品を見せて欲しいと訪ねてくるからびっくりする。
今度も別の画廊からの話で、そこの画廊のスタッフと共に画廊で仕事をする女性という記事で、女性雑誌に我がスタッフが紹介される。
発売後、女性スタッフめがけて若い男性読者が殺到するのではないかと心配している。
それにしては、私めがけて若い女性が殺到してこないのは何故だろうか?

7月17日

夏目麻麦の残りの作品が届いた。
期待通りというか期待以上といったらいいだろうか、お世辞抜きにいい。
先の日記で、今時の軽いアートと違って、深く重い絵だと書いたが、まさのその通りで、油絵を改めて見直させてくれるいい機会のように思う。
といっても古めかしい絵ではなく、新しさを感じさせてくれるから不思議だ。
本人いわく、それ程深く油絵の技法を突き詰めようと思ったわけでなく、逆に古典技法に必死になっている人達が奇妙に思えたそうである。
そこが古臭い絵ではなく現代にも通じる所以なのかもしれない。
技術偏重に流れ、うまさばかりを追求して、袋小路に入ってしまう人をよく見かけるが、彼女は自然体でこうした美しいマティエールや形が生まれてきた。
勿論簡単に生まれるのではなく、一点の絵を仕上げるのに一ヵ月半ほど格闘するそうだが、そうした手馴れた仕事にならないのがまたいい。
今流行りの絵を描こうとしている多くの画学生に是非彼女の絵を見てもらい、こういう時こそ何を描くべきかを自分に問い掛けて欲しい。

7月18日

お客様から週刊東洋経済誌にアートの記事が掲載されているという事で見せていただいた。
5月に行われたクリスティーズの戦後美術・コンテンポラリーアートオークションで600億円の売上を記録した事で世界的な絵画ブームが日本にも押し寄せ、絵画価格が急騰との記事である。
バーゼルのアートフェアーでの売上も空前の賑わいを見せていて、海外では「アートを投資対象に組み込むべきだ」とアドバイスする投資雑誌もあるという。
こうした事からその波が日本にも押し寄せ、世界のマネーが日本の現代アートに狙いを定めているようだといった内容の記事である。
確かに海外でのオークションやアートフェアーの盛況は目を見張るものがあり、日本だけが蚊帳の外といった観があったが、最近は私自身もそうした流れを肌で感じるようになってきた。
昨日もロンドンの画廊と台北の画廊がそれぞれの国のフェアーに山本麻友香を出したいとの事で来廊した。
特に去年、大盛況であったロンドンのフェアーが今年10周年を迎え、そうした中で日本人作家を紹介する機会を是非持ちたいということで彼女に白羽の矢が立ったようだ。
大変熱心な誘いでもあり、また彼女がロンドンに留学した縁もあって、ニューヨークのフェアーと重なるがなんとか出品する方向で了解を得た。
台北のほうは来年の事なので少し返事を待ってもらう事にしたが、わざわざ訪ねて来ての依頼には驚かされる。
こうした海外の熱い動きは雑誌にも書かれているような背景があるのかもしれないが、私は海外で日本作家が活躍できる場を作る事は積極的にやっていきたいが、投資対象の市場とは何度も言うようだが一線を画していきたい。
先日も新たに立ち上げようとしているアートフェアーの企画者が相談に訪ねてきたが、その人はアートフェアーを絵画が投資対象になるという側面から捉えて、一般のお客様や企業を取り込みたいがどうだろうかと言ってきた。
即座にそうした安易な企画を考えるのではなく、先ずは出展者の内容を高める事が肝心で、そうでなければ売らんかなや一山当ててやろうといった画廊ばかりのフェアーになると釘をさしておいた。
美術市場が活況を呈するのはいいことだが、バブルの二の舞はご免である。

7月24日

先週の金曜日から3日間大阪のアートフェアーARTinDOJIMAに参加してきた。
北新地や中之島の国立国際美術館に近いお洒落なホテル「堂島ホテル」の各部屋を使ってのフェアーと言う事で3日間大変な賑わいであった。
特に若い女性が多く、それも美人ばかりが目に付き、40年前に大阪の画廊に勤めていた頃のイメージとは一変してしまった。
あまりの混雑振りにお客様との会話もままならず、赤字にならない程度の売上で大きなビジネスには繋がらなかったが、大阪での現代美術の普及には大いに貢献したのではないだろうか。
うれしかったのは昔の懐かしいお客様が皆訪ねてきてくれた事で、それはそれで参加した甲斐があった。
ただ皆さん、今風の現代美術に一様にびっくりしていて、どうしてどの作品にも額縁がついていないのかとか、これだけたくさんの作品が並んでいるのも関わらず、一人として知っている作家がいないと言って、かなりのカルチャーショックを受けていたようだ。
私でさえ、殆ど知らない作家ばかりで、それこそが現代美術の多様性と画廊の個性が求められる今の顕著なアートシーンと言えるのかもしれない。
吉本所属の漫才師で、関西では現代美術のナビゲーターとしても知られる 「おか・けんた」 のブログ okakenta.com にフェアーの様子が載っているのでご覧いただきたい

7月25日

留守中にびっくりする出来事が二つあった。
一つは20日に東京で開催された現代美術オークションでの価格の高騰振りである。
韓国の画廊からリ・ウーハンや草間弥生、ウォーホール等9点の落札依頼を受け、予想価格のかなり上のほうで入札をしたが、そのどれもが落札する事が出来なかった。
昨年の秋に開かれた同様のオークションの落札価格の高さにも驚いたが、既にその3倍から4倍の価格になっていて怖いくらいである。
先の日記にも書いたが海外の現代美術バブルの波が一気に押し寄せてきたようだ。
もう一つは同じく日記で紹介したロンドンと台北の画廊主が連日画廊に来て、GTUで展示されていた高木まどかの作品を気に入り、50点以上を買ってしまった事である。
これも海外の波の一つかもしれないが、この二人は東京中の画廊を歩いてきて、私のところが一番気に入ってしまったようだ。
高木はまだ多摩美大学院在学中の学生で、学生でこれだけ売れたのは綿引明浩以来である。
この二人以外にも私どものお客様達が全ての作品を買ってしまい、慌てて大学においてある未発表の作品を持ってきたくらいである。
ロンドンのオーナーはまだ若い女性で、中国とユダヤのハーフでおじいさんがサザビーズのオーナーと言う大富豪の娘らしく、ロンドン大学を16歳で入学し、19歳で卒業すると言う才媛でもある。
ホームページで見てみるととてつもない大きな画廊である。
その彼女は山本麻友香と呉亜沙それに高木の作品にすっかり虜になり、ロンドンでの展覧会とバーゼルやマイアミのフェアーにも出したいと熱っぽく語り、私にあらためて挨拶とお願いで、帰りの飛行機をキャンセルして、我が画廊スッタフの往復のグリーン車代まで出して、大阪にやってきてしまった。
その熱心さと海外における長期的な視野でのプロデュースの仕方を聞き、私のほうが頭が下がる思いであった。
先ずは彼女の情熱に賭けてみる事にした。
私のいない間に画廊は梅雨明けを迎え、とてつもない熱い風に見舞われてしまった。

7月26日

夏目展も評判が良いようだ。
多くのお客様や作家、評論の方からお褒めの言葉をいただく。
私の思いが実ったようでとてもうれしい。
あるお客様から他の方のブログに夏目さんのことが書いてあると教えてもらい、開けてみるとずっと彼女の作品を見ていた方の感想であった。
転載をさせていただく。

mmPoLoの日記より

 東京京橋のギャラリー椿で開催されている夏目麻麦展を見た(7月18日〜31日まで)。とても良かった。始まって2日目なのにもうほとんどが売れていた。おそらく完売するだろう。彼女の初個展は1998年の銀座のギャラリーQだった。最初から良かった。西瓜糖とポルト・ド・パリの個展は見なかった。次の藍画廊の個展が2004年でこれも良かった。それで今回だった。一緒に見ていたコレクターがマルレーネ・デュマスよりいいと言った。絵自体はデュマスよりいいかも知れない。

 さてデュマスにあって夏目にないものは何か。メッセージ、思想ではないか。デュマスは人種とかジェンダーとか強いメッセージを持っている。では絵画にメッセージは必要か。必要ではないと思う。抽象表現主義絵画にメッセージはなかった。一方、アンゼルム・キーファーの絵画とメッセージ、思想とは切り離せない。こうしてみると、メッセージ、思想性の有無は直接には絵の価値とは関係ないと言える。とは言いながらキーファーのすばらしさは思想と絵画が渾然一体となった点だ。これとプロパガンダ絵画とは違っている。プロパガンダ絵画は絵画がメッセージの乗り物、道具になっているのだ。

 夏目麻麦がほとんど完売の勢いだと書いた。最近、日野之彦も加藤泉も個展初日で完売した。そのことと関連して、このギャラリー椿のホームページに掲載されている「ギャラリー椿の日記」の7月18日に日本の絵画バブルへの恐れが書かれていた。

7月27日

ようやくニューヨークのアートフェアーの招致の案内が来た。
向こうの選考委員会では、私どもの作家の作品のインパクトが弱いと言う事でペンディングになリ、中々返事が来ないでいた。
どうも委員会は画廊のキャリアや作品の質よりイメージの強さが出展規準となっていて、今流行りの村上・草間風の作家を出しているところが先に決まっていったようだ。
ともあれ参加できる事になりほっとしているが、どうもこうした規準で選ばれるのは気にいらない。
欧米へのフェアーは初参加となり多少の不安もあるが、私達が押し出す若い作家にどのような評価が下るかとても楽しみである。

8月2日からのコレクション展に出品される篠原有司男のオブジェを見てもらいに取り扱い画廊のギャラリー山口を訪ねた。
1970年代の珍しいオートバイの作品なのだが、偶然にも画廊に作家本人がいるではないか。
昨日ニューヨークから帰ってきたばかりで、作品を前に話がはずんだ。
と言うより、1970年代は新宿の椿近代画廊で展覧会をしたり、以前の日記にも書いたがジャスパー・ジョーンズを椿近代画廊に連れてきたりしていた頃で、父親の話なども出て、その当時が懐かしく思い出された。
丁度、アートフェアーの直前の10月にはニューヨークでジャパンアートフェスティバルが開催され、小野洋子や篠原有司男、河原温などニューヨーク在住の作家達の作品が並ぶと言う事で、必ずや直後の11月のアジアンアートフェアーは盛り上がるはずと太鼓判を押された。
ニューヨークでの出展の返事が来た日にニューヨークの著名作家・篠原有司男に会えた事は幸先良しと思いたい。

7月31日

土曜日、日曜日と倉敷に行ってきた。
岡山出身の山本麻友香と日本画家森山知己による「クロスロードー共鳴する美術」展が7月27日から9月2日まで倉敷市立美術館で開催され、土曜日にはシンポジウムがあると言う事で出かけた。
広い会場に大作が並ぶ様は、画廊で見るのとは違った感慨で作品を見ることが出来た。
会場全体が温かな雰囲気に包まれ、えもいわれぬ癒しの空間となっていた。
入ったすぐのところに飾られている旧作の版画や油彩も、新しい作風と比較して負けず劣らずの作品で、彼女の作品の流れを知る上でもとても興味深かった。
シンポジウムは「ローカルとグローバル」と言うテーマで府中美術館の本江邦夫館長による講演で始まった。
ローカルであり続けることがグローバルになることであり、グローバルを意識して自分の足元を見失う事の危険性を指摘された。
今をときめくアメリカ現代美術の作家達も、パリ全盛の時代にアメリカを拠点に模索しつづけた結果が、今やグローバルな評価に繋がったと語った。
更にはこうしたローカルな美術館での若手作家の支援を是非続けて欲しいと結んだ。
日本画家の森山氏も以前はよく画廊に顔を出してくれていて、今回の企画のお陰で旧交を温めることが出来た。

翌日は大原美術館を覗いたが、内外の著名な作家に交じって、若手の町田久美や津上みゆきの作品に出会い、ここでもローカルとグローバルが行き交っていることを知り、地方美術館の熱い試みに拍手喝采を送った。
そこから行く予定でいた直島のベネッセの美術館に行く時間がなくなってしまい、仕方なしに35度を超す暑さの中、岡山に出て後楽園を散策する事にした。
あまりの極暑でへとへとになり、茶店で食べた白桃入りのかき氷のおいしかった事。
暑い夏の岡山、これはお薦め。

8月2日

今日からコレクション展。
ギャラリーコレクション、H氏、T氏コレクションと3者3様の展示となっているがその賑やかな事。
特に強烈な個性ぞろいの作家達のオブジェ作品が並ぶH氏コレクションと、詩情豊かでマティエールが美しい菅創吉を中心としたT氏コレクションの対比を見るだけでも楽しい。
個人コレクションの面白さは、それぞれの個性が表出されることで、美術館などのただ著名な作家が並ぶコレクションとは趣が違う。
それに加えて我が画廊コレクションもそれなりの色が出ていると思うので見比べていただきたい。
案内状に出ている70年代の篠原有司男、合田佐和子、辻村じゅさぶろうのほか、秋山裕徳太子、池田龍雄、池田満寿夫、岡本太郎など60点あまりのオブジェ、国吉康雄、長谷川利行、野田英雄、清宮質文、松田正平、難波田龍起、小山田二郎などの油彩・デッサン・版画などが所狭しと並んでいるので、暑い夏の盛りだが涼みがてらのご来廊をお待ちしている。

8月3日

今日は朝早くから私どもで預かる留学生のアンジェリカを迎えに成田に出かけた。
9時着の飛行機なのに一時間過ぎても出てこない。
同じような海外の留学生や日本から派遣され帰国した子供達もたくさん来ていて、皆でやきもきしたが、ようやく笑顔で現れた時は大歓声と拍手が巻き起こった。
荷物が他の飛行機に乗ってしまい、最後まで待って結局手荷物だけで出てくることとなったそうだ。
最初からとんだトラブルに見回れ、その上ブラジルからロンドン経由40時間の長旅でもあったが、そんな事にもめげず明るく元気な姿で現れてくれたのにはほっとした。
リオのカーニバルに出てくるような子が来たらどうしようかと心配していたが、小柄な子で、我が子にしたいくらいに愛くるして可愛い子で、一目で気に入ってしまった。
最初の3ヶ月は別の家庭で過ごし、11月から我が家に来る事になっている。
それまでに大掃除と我が家で下着姿で歩く習慣を止めなくてはならない。

8月7日

いやー毎日暑い。
今年の東京の夏は過ごしやすい日が続き、夏バテもしなくてすみそうと思っていた矢先に、いきなり真夏がやってきた。
多少暑さの助走期間があれば、身体も順応するのだが、突然猛ダッシュという感じで、60過ぎの身体にはかなりきつい。
他の画廊は既に多くが夏休みに入っていて、多いところは3週間休むところもあり、余裕の現れだろうか。
それに引き換え、貧乏性の私は展覧会をしていないと不安で不安で、今週もぎりぎりまでコレクション展をやっていて、休み明けには早々に京橋界隈オークションで400点余の作品を飾らなくてはいけない。
働けど働けど・・・じっと我が手を見つめながら、暑さに負けず、頑張らなくては。

先週の金曜日、韓国の最大手画廊の一つPYOギャラリーのオーナーがやってきた。
ここはソウルと北京に巨大なスペースを持っていて、その北京で11月に日本人の若手作家による展覧会を企画をしたいとの事。
海外の目が日本人の若手作家に向っている一つの現れだろうが、中国という大きな市場に興味もあり、いい機会と引き受ける事にした。
韓国だけではなく海外の画廊は、頼んでくるのは性急で、こちらからの要求には何故かのんびりしていて、振り回される事が度々である。
今回も多分そうなるだろうが、国際親善と思って協力をする事にした。
10名の作家に100号前後を3から5点を発表して欲しいというから、画廊がいかに大きいがわかる。
時間があまりなく、人選とその依頼でこれまた忙しくなりそうだ。

8月9日

85歳になる私の母が買い物の途中、階段で転び、救急車で病院に運ばれた。
今日の夕方でないと結果はわからないが、厄介な事になってしまった。
弟も5月の連休に山スキーで骨折し、未だに杖をついているくらいだから、母の怪我はかなり長引きそうである。
来週からは夏休みの予定でいたが、休み返上で母の世話をする事になりそうだ。
画廊が休みの分、ゆっくりとそばにいてやれるので、かえって好都合かもしれない。
何はともあれ早い回復を祈るしかない。

8月11日

相変わらずの猛暑で、気合を入れなくては外に出られない。
新聞によると8月に入ってからの東京の暑さは観測史上2番目の暑さで、このまま行くと最高の暑さを記録するとの予測で、先が思いやられる。
我が家はマンションの最上階で、夏の暑さはたまったものではない。
もしマンションの入居を考えている人がいたら、最上階だけは絶対に止めたほうがいい。
昼間の熱射で蓄えられた屋上のコンクリートの熱が、夜になると我が家に放射してきて灼熱地獄となる。
堪らず屋上緑化を考えたが、後々の防水や維持管理に手間がかかるとの事で諦めた。
そこで友人の建築会社に相談したところ、熱を反射する塗料があるのでそれを屋上に塗ってもらうことにした。
これは効果覿面で、その上から夜に水を撒くと見違えるようにむっとした暑さがなくなった。
費用も屋上緑化に比べると格安で、これは是非お薦めである。

こうした暑さにめげず、たくさんのお客様にお見えいただき、コレクション展も成功裡に終える事が出来そうだ。
珍しい作品が出品された事もあって、お越しいただいたお客様は長い時間熱心にご覧頂き、約半数の作品が売約となった。
この調子では来週も画廊も開けておいたほうがよさそうである。
とは言え、休み明けからは早々に京橋界隈オークションの準備に入るのでそうもしてられない。
今回はなんと560点の作品が出品される事になっていて、どうして飾ったものやら今から頭が痛い。
こちらも暑さに負けずにお越し頂くよう願っている。

8月14日

血管が煮えたぎって破裂しそうなくらい暑い。
普段エアコンの効いた画廊にいることが多いので、外に出ると目眩がしそうである。
今日は偶々画廊に出てきたが、この暑さとお盆休みで銀座通りも閑散としている。
そこへ、N会長から電話がかかってきた。
休み前の電話で、もしかして休み中に画廊が開くときがあれば見に来ると言っていたが、まさかこの暑さの中を。
おん歳八十になる会長だが元気な事この上ない。
先週までご自分のコレクション展を銀座で開いていたが、毎日早くから会場に詰めていて、私のところのコレクション展を見ることが出来ず、どうしても見たいという事らしい。
会長の元気さを思うとへばってなんかいられない。
私の知人に94歳になる方がいる。
この年で現役の会長として毎日会社に出てくる。
土日になると暑かろうが寒かろうが、ゴルフに出かける。
絵を描き、陶芸に興じ、俳句を嗜み、カメラの腕はプロ並みである。
二二六事件では一兵卒として警視庁占拠の部隊に加わる。
このため太平洋戦争では南方最前線に送られ、殆どの戦友が戦死する中、無事生還をする。
風邪をひかない、転ばない、不義理をするをモットーに今でもこうして現役で活躍をしている。
この二人を見ていると、仕事も現役、趣味も徹底している。
どうやらこのあたりが長生きで元気な秘訣のようだ。
私の母も70年にわたり、生け花を嗜み、陶芸でも小さなからだからは想像もつかないような大きな作品を作ってきた。
その母もついに転んで、骨を折ってしまった。
一日も早く回復して、二人を見らなって、趣味にいそしんで欲しい。

8月21日

夏休みも終わって、昨日から早速にオークションの準備にかかる。
アルバイトの男性4人に手伝ってもらって、月島の倉庫から500点余の作品を運んできたが、猛暑の中汗だくになり、休みボケもいきなり吹き飛んでしまった。
休み中に、画廊にある分を出しておいたが、それだけでも壁が埋まってしまいそうで、さてどうやって飾っていいものか、途方に暮れている。
昨年は京橋界隈に参加している画廊に手伝ってもらったので何とかなったのだが、その折に自分の所の作品だけを飾って帰ってしまった画廊に腹を立てて、京橋界隈から抜けると宣言してしまった。
短期は損気、そんな訳で今年のオークションは自前でやる事になり、展示の人手が足りない。
京橋界隈に参加している数軒の画廊が出品をしてきたので、そこのスタッフが手伝ってくれる事を期待しているが、甘いかな。
休みの間にオーストラリアにいる長女から子供が出来たとの連絡が入った。
来年の3月中頃の予定らしいが、私もいよいよ爺さんの仲間入り。
爺さんになってもこうして重たい絵を運ぶ日が続くのだろうか。
何はともあれ、無事に元気な子が生まれる事を祈っている。
一つ心配なのは旦那がアメリカ人で娘も殆ど日本語を使わない。
果たして孫と会話が出来るだろうか、少し不安である。

8月22日

月刊美術9月号の 「先月の展覧会から・これが良かった」 に夏目麻麦展の評が載っていたので、転載させていただく。

ほの暗い部屋の中でー夏目麻麦

作品の向こうに広がる部屋は、蝋燭の火が唯一の頼りであるくらいほの暗い。
輪郭のぼやけた女性たちは夢と現のはざまに立つ。
その姿からは微弱な感情も思念も感じられない。
ある種の雰囲気だけを残した抜け殻のような、存在自体の危うさがある。
キャンバスに描かれた女性は、すぐそこにいるにもかかわらず遠い。
手を伸ばしても触れないような感覚。
水の中から見上げた月を掴もうとするくらい、遠い。
その遠さがそのまま作品と鑑賞者の距離のように感じられた。
作者の製作意図や作中の女性の声が少しでも聞こえたら、もう少し自分に近づけて作品を鑑賞できたのだろうか。
それでも作品自体の存在感は眼を見張るものがある。
同ギャラリーオーナーが一目惚れしたというのも納得の新星の登場を印象付けた。

うれしい展評をいただいた。

8月25日

いよいよ昨日から京橋界隈オークションが始まった。
どうして飾ったらいいか夢でもうなされるくらいの膨大な点数であったが、なせばなるで何とか飾る事が出来た。
天井ぎりぎりから床まで隙間なく埋め尽くされた。
よく作家の方に画廊の空間を生かす展示をして欲しいとお願いしているのだが、別の意味で画廊の空間を生かしてしまったようだ。
展示中に画廊を訪ねたお客様が違う画廊に来たかと思って帰ろうとしたり、閉店セールですかと皮肉を言われる方もいるくらい、画廊の雰囲気が一変してしまった。
倉敷の美術館で山本麻友香を見て、岡山から訪ねてきたお客様がいたが、その方は画廊に初めて入ったと言われ、くれぐれも私の画廊がいつもこうだとは思わないで欲しいと申し上げた。
うれしい事に麻友香さんの版画を買ってくださり、その方にとって初めてのコレクションとなった。
そうした方を含め画廊に一歩入った方は、たくさんの作品とその安さにすっかり虜になり、長い時間、入札表とリストを片手にあっちに行き、こっちに行きと熱心に品定めをしていた。
明日の日曜日も含め、28日火曜日の2時の開札まで開催しているので、掘り出し物を探しに是非お越しいただきたい。

8月26日

今朝、ボーっとしていたのか、母を見舞いに行った帰りに病院の駐車場で車をこすってしまった。
娘の危ないの声にもかかわらず、ごしごしとやってしまった。
実は先日、娘が同じように家のガレージで車をこすってしまい、不注意だからとこっぴどく叱った後だっただけに、どうにも格好がつかない。
父親の面目丸つぶれであった。
その娘にも手伝ってもらって、今日は日曜返上で店開き。
膨大な数の作品を並べても、猛暑でお客様が来なかったらどうしようかと始まるまではかなり心配していたのだが、関西から駆けつけてくださった方やネットを見て韓国から来られた方もいて、大変な賑わいとなり、ほっと一息といったところである。
この暑さの中を来て頂くお客様には、ただひたすら感謝感謝である。

8月29日

やっとこさっとこオークションが終わった。
結果はたくさんの方にお越しいただき、盛況なオークションとなり、多数の作品が落札された。
京橋界隈オークションを始めて10回ほど経つが、これほど熱心にご覧頂き入札していただいたのは初めてではないだろうか。
他所の画廊からの出品も僅かで、殆どがお客様からの出品という事で新鮮味があったのかもしれない。
そのため業者向きの作品は少なく、絵好きなコレクターには個性ある作品を手に入れるチャンスと映ったのだろう。
その現れが、街中で売られるインテリア版画と称する作品も一部売りに出されたが、かなりの安さにもかかわらず一点も落札されなかった。
また、昨今流行りのお宅風・サブカルチャー風の作品が殆どなかったにもかかわらず、これだけ多くの方にお越し頂き、入札していただいたのは、まだまだ世の中捨てたものではないと一安心であった。
100円の差で落札出来ずに悔しがる人、たくさんの数を入札したにもかかわらず一点も落とせずがっかりする人、逆に20点以上の作品が落ちてしまい、こんな筈ではなかったと慌てている人、遠方より新幹線で来て、希望作品を手に喜んで帰る人、悲喜こもごもであった。
これだけたくさんの作品が落札されると、後の整理が大変で、今日もてんてこ舞いの忙しさである。
夏にこれだけ忙しい思いをしたのもそうないが、土曜日からは次の展覧会も始まるので、休む暇はなさそうである。
落札結果はホームページに掲載するのでご覧いただきたい。
また落札された方には,本日請求書を送らせて頂いたので、ご確認頂き、請求書が送られない方は落札できなかったという事でご了承いただきたい。

8月30日

先月初めに北京で11月に若手現代作家による展覧会の依頼があったが、昨日早くに先方の画廊が来て、25名の候補の中から12人の作家が決定した 。
各作家に最初は100号の作品を各5点というから、それだけでもびっくりしたが、その大きな作品が60点も飾れる事にも驚かされる。
美術館並みの画廊で、本店はソウルにあり、こちらも大きなビル全部が画廊になっていて、スタッフが18人もいる。
けた違いの規模で圧倒されるが、オーナーは堅実な方で、今回も滞在のホテルを帝国ホテルやホテル西洋も紹介したが、ホテルモントレーという私のところに近い若者向けのホテルを選んだ。
選ばれた作家は、VOCA展、シェル賞展らの受賞作家が多いが、まだ全くの無名作家も含まれている。
抽象系の作家は全て外され、男性4人、女性8人と今の流れが如実に出た人選となった。
私のところからは、山本麻友香、夏目麻麦が選ばれたが、ニューヨークのフェアーと重なり、果たして作品が出来るかどうか心配である。
他の作家でも個展と重なっている作家もいて、選ばれたはいいが果たして5点を出品できるのだろうか。
どちらにしても100号5点は無理なので、50号からにしてもらい可能な限り出品してもらおうと思っている。
渡航費用も出してくれるということなので、みんなで本場の中華料理を堪能しながら、好景気に沸く中国美術業界の現状も見てこようと思っている。

9月1日

今日から福島保典展。
ユーモアとペイソスを兼ね備えた人物像に惹かれ、今回3回目の個展を開催する事になった。
高崎在住で、地元を中心に発表をしていたのだが、前橋の画廊から是非見て欲しいと頼まれ、それ程期待せずに作品を見せてもらう事にしたが、一目見て個展の約束をさせてもらった。
私の画廊でのデビューとしては遅咲きの作家となったが、誠実な人柄がにじみ出るような地道な仕事をしている。
今世間は、若い作家に目が向きがちで、50を超えるとベテランの部類に入ってしまうから恐ろしい。
以前、若手作家の登竜門であった安井賞展の年齢制限が50歳であった事を思うと、隔世の感がする。
VOCA展が40歳を上限としているが、この調子で行くとこれからの若手を取り上げるコンクールは30歳が限度となってしまうかもしれない。
確かに現在の若手作家の活躍はめざましいものがあるが、年齢だけで括ってしまうのも危険だ。
福島さんのような作家が地方で人知れず制作している事を思うと、もう少し私も目を広げなくてはいけない。

9月2日

コレクター向けの雑誌で、昨年発刊されたアートコレクターという美術雑誌がある。
依頼があって、専門ではないがビギナー向けに版画入門講座という記事を受け持たされている。
今や版画というジャンルも消滅しかねない程、画廊やコレクターの目は別のジャンルに向いてしまった。
事実私のところでも美術大学で版画を専攻したにもかかわらず、版画作品を制作する作家達が少なくなってしまった。
ここ20年版画というと、有名日本画家の複製版画や街中に氾濫したインテリア版画に凌駕され、真面目に版画作品に取り組む作家が割を食う時代となってしまった。
そんな事も反映したのか、表現の多様性が求められる時代となったのか、若手版画作家で注目される作家がめっきり減ってしまった。
そんな事もあって、版画専門画廊ではないが、版画の良さを見直してもらおうと、この記事を続けさせてもらっている。

ところで、この雑誌で「日本にアートバブル到来か」との特集記事が組まれ、現代美術を金融商品に取り込もうといった風潮を取り上げ、アートファンドマネージャーやギャラリストが登場し、そうした流れを助長する発言をしている。
海外アートフェアーに参加し、そうした現代美術の新しい流れに否応なく身をおいてしまった私としては、こうした特集は足を引っ張られるだけで、決して好ましいと思っていない。
その中にあって、こうした風潮に苦言を呈する記事も掲載されていたので紹介したい。

「バブル、じゃ困る」 池内務(株式会社レントゲンヴェルケ代表取締役)

去年の暮れ、多分2度目のシンワのコンテンポラリーオークション辺りからが本格的だと思うが、画廊でも、オークションでも、アートフェアーでも、実によく現代美術の作品が売れるようになった。
16年この仕事をしていて、恥ずかしながらこんな感覚をもてたのは初めての事、実にありがたく、そしてうれしく思う。
が、その反面、70年代初頭の絵画ブームや、まだ記憶に新しい 「バブル経済」。
それらの上辺だけの好況が、その後に残した爪痕を思うと手放しで現状を喜ぶことは出来ない。
90年代中盤のどん底の頃、私の周辺の関係者だけでも金絡みで5〜6人が消え、2〜3人が死んでいるのだ。
先日 「アートマネジメントをしています」 と自称する、見目麗しいどう見ても20代の女性がやってきて、「今、どんな作品が売れるんでしょうか?」 ときた。
いささかキれそうになりながら、「では、あなたがマネジメントしたいと思う作品はどんなものですか?」 と切り返すと、これが答えられないのだ!
今や若人の間でさえ、美術の前提は、作品の品質とか、作家の思想や感覚といった事ではなく、単に売れるモノ探しとなってしまったのかと愕然とした。
勿論売れるに越したことは無い。
しかしながら、金が前提では、また同じ間違いが必ず起きる。
関係者の皆さん、単に数字やメディアの論調、市場の状況が全く違う海外の情報といった、眼前のただただおいしそうな話に踊らされる事無く、長生きする良い作家と作品の発見と育成、そして、ちょっとやそっとじゃずっこけない、骨太の、日本ならではの美術業界作りを意識していきましょうよ!

全く同感である。
現場にいる人間はおそらく同じ思いではないだろうか。
隣で食べている人の料理がおいしそうに見える人間が、勘違いして入り込んでくるのが迷惑なだけである。

9月6日

台風が心配だが、明日早朝から上海アートフェアーに出かける。
翌週はソウルオークションに行く予定で、この2週間、バブル最前線を目の当たりにする事になりそうだ。
上海アートフェアーは、現在最も規模が大きいとされているバーゼルアートフェアーの運営をしている委員会が新たに立ち上げたフェアーで、中国の美術ブームを当てこんだフェアーである。
欧米の有数の画廊が参加を申し込み、欧米に出なくても私のところの作家を欧米の画廊に紹介する良い機会と思って参加を申し出たが、残念ながら選考で落とされてしまった。
それはそれとして、VIPの招待状が来た事もあり、現在の美術状況を見る良い機会と行ってくる事にした。
殺虫剤まみれの野菜や鉛の入っているお菓子などだいぶニュースで驚かされているが、正露丸をたくさん持っておいしい中華料理も堪能してきます。

先日も紹介したがバブルの警鐘のメールがきたので紹介させてもらう。

・・・最近ガルブレイスの「バブルの物語」を読みました(字が大きいのに斜め読みですが)1991年初版で、「暴落の前に天才がいる」というサブタイトルがついています。
興味をひかれたのは、
「同じ過ちを繰り返さぬために必要なことは高度な懐疑主義を持つことだ」というガルブレイスの言葉をある新聞のコラムでこの本から引用していたためでした。
金融政策をいくら布いても、これが無ければまた繰り返す、とのことでした。
バブルの狂態の記憶は20年しか持たないそうです。
あまりにもいろいろ現在の日本と符号していて、まるで預言書みたいな本でした。
アートマーケット関係者は読むべきではないでしょうか。

あくまで私見ですが、前のバブルより深刻なのは、
前回は過剰な評価ではあっても、多くは、一定の資産価値のあるものが取引されていたと思うのですが今回は、ただただ若手が踊らされて、バブルのあとには眼も当てられない状態だけが残る可能性があるのでは、と危惧されることです。
青田を育てる気持ちがあるのなら話は別ですが。
「育てる」より「甘やかせてる」ギャラリーのほうが多いような気がします。
(私には無縁の話ですが、知人のコレクターによると
1年ちょっとで2倍以上に値段が上がった作品も多々あるそうで、、、)

9月11日

上海から帰ってきた。
3日間の慌しい日程だったが、中国の超発展振りを垣間見てきた。
アートフェアーはソ連時代にソ連から中国共産党に寄贈された、クレムリン宮殿を模した豪華な建物を会場にしていて、いきなりその偉容に度肝を抜かれた。
倉庫のような展示場でのアートフェアーばかりを見てきた私には、その広さと立派さにはただただ驚かされるばかりであった。
120余のギャラリーブースと50近くの奈良美智、宮島達夫など招待作家ブースをざっと流して見るだけで一日かかってしまうほどの広さである。
ミズマ、レントゲンヴェルゲ、小山登美夫、オオタファインアーツなどのオーナーに話を聞いたが、思ったほどの売上には結びついていないとの事で意外であった。
税金が30パーセントを超えることもあって、売りたいが売れたら困るといった面もあって、中国でのビジネスの難しさを痛感させられた。
草間の大作やアメリカ現代美術の20億を超す高額品は売れていたようだが、全体の赤マークは少なく、買う人も韓国や台湾から来たコレクターが多いとの事であった。
しかし一歩外へ出ると、中国の急激な発展振りを目の当たりにする事になる。
高層ビルが立ち並び、80階を越えるビルの横に更にそれを上回るビルが建設中で、それ以外にも街中にクレーンが林立している。
地下鉄も現在4本あるが、2年後の上海万博までには13本の地下鉄が走るそうで、これまた長い事かかっている東京の地下鉄工事を見ると、本当にそんなの簡単に出来てしまっていいのかと不安になる。
空港からはリニアモーターカーが走り、中心地近くまでバスで一時間以上かかるところを、なんと7分で着いてしまう。
市街地の真中を横切る川を渡るのには、地下に下りると小さなケーブルカーみたいな電車に乗るのだが、トンネルの中はレーザー光線が縦横に走り、デズニーランドに迷い込んだような錯覚に陥る。
といった未来都市のような街区と古い統治時代の面影を残す街区があり、そちらの路地には洗濯物が満艦飾にかかっており、繁栄と貧困を一緒に見ることができる。
ただ素晴らしいのは古い建物は壊す事なく外観は残し、中を新しく作り直すようにしていて、建築ラッシュの中でも日本のようになんでもかんでも壊してしまうのではなく、昔の良さを留める事にも配慮をしているようだ。
帰りの日に地球儀を模した建物が気になり行ってみると国際会議場になっていて、そこで高級リゾートやゴージャスな邸宅、マンションの紹介フェアーをやっていたので覗いてみた。
各ブースには世界の高級別荘や数億円もするマンションの写真やカタログが所狭しと置かれていた。
朝早いにもかかわらず、大勢の中国人が詰め掛け、ニューヨークの億ションや南仏などの高級リゾート物件を熱心に見ている。
ここが社会主義国家なのかと考えさせられた。
といった具合で、この先一体どうなるのかという危惧観と、この勢いだと日本に取って代わり東アジアの中心になるのも間近といった複雑な思いも持って帰ってきた。
それを見届ける意味でも、来年、再来年と何度か行って見たい街でもある。
明後日からはソウルに行く事になっている。

9月12日

朝からの強い雨でお客様も途絶えがちで、久し振りに画廊にも静かな時間が流れ、私もほっと一息である。
実際はこれでは困るのだが、私を含めスッタフ全員が休み無く仕事に追われる日が続き、どこか余裕が無くなり、わさわさとした空気が画廊の中を流れていた。
京橋界隈オークションの受け渡しと入金も99%完了し、山のようにあった作品群も跡形無く画廊から消えた。
11月のニューヨークのアートフェアーに送る4人の作家の作品も昨日までに揃い、来週早々に船便で送る準備も出来た。
同じ11月に北京で開催される現代若手作家の出品の目途もつき、こちらも先ずは25日に各作家一点づつを送る手はずが出来た。
ソウルから注文があって私が明後日に手荷物で持っていく作品も揃った。
こんな具合で、画廊での展覧会以外に次から次へと押し寄せてきた仕事も一段落である。
ニューヨークに送る山本、夏目、呉、服部の各作家の新作もみんな魅力的で、どれも海外に持っていくのがもったいない作品ばかりである。
8月にソウルで開かれた若手日本作家によるグループ展でも、山本麻友香の6点の作品はもし日本に戻ったら是非欲しいと言ってくださったお客様が何人もいたにもかかわらず、初日前に全て売約となってしまい、うれしいような申し訳ないような何とも言いようの無い気持ちである。
ニューヨークの作品も戻ってきて欲しいが半分、経費をかけるのだから向こうで売れて欲しいが半分の複雑な気持ちである。
そんな思いをめぐらしていると、楚々とした美しいご婦人が来廊され、開催中の作家のお知り合いかと思いきや、私のブログを見て初めて訪ねてこられたとの事。
こんな綺麗な方にまでお読みいただいていると思うと、ブログを書く手も震えるが、少しでも多くの方にお越しいただけるよう、こうして時間が出来た時には努めて書くようにしなくては。
韓国報告も楽しみにしていただきたい。

9月19日

ソウルオークションから帰ってきた。
2日間にわたる狂乱のオークションショーとなった。
ここ1年、2億円を超えるリ・ウーハンの価格を筆頭に韓国作家の価格高騰は異常と言えるものだったが、今回のオークションでここに極まれりといった様相であった。
今回は私もお客様の出品依頼もあって参加したが、このバブル振りは異常としか言い様が無い。
このオークションはカナアートギャラリーという韓国最大のギャラリーが主催するもので、自前の巨大なオークションハウスを持っているのだが、今回はプレビューを含め5日間に亘り、COEXというアートフェアーが毎年開催されるコンベンションホールを借り切って、盛大に行われた。
会場に入ると約700点の出品作品を飾る展示ブースと欧米・中国・韓国の現代美術が即売されるブースが1階と3階にずらっと並び、それだけでもこれがオークション会場かと驚かされたが、更にオークション会場に入ろうとすると立ち見の人の山で中々入れず、ようやくの事で予約席の切符を貰って広大なオークション会場に入ることが出来た。
さて、オークションだが700点近くのうち、約200点が15日の競売にかけられたが、10万の単位などは殆ど無く、百万、千万、億の単位で次々と落札されていく。
日本のバブルもこんなだったのだろうか。
こんな事を言ったら失礼だが、一昔前の作風や額縁屋に飾ってあるような安っぽいとしか言い様がない絵が何百万円、何千万円で落札されていくのを見ていると、以前の日本でこうした状況を海外の人達は同じような思いで見ていたのではないだろうかと身の縮まる思いがした。
会場にいた知り合いの画廊の人や翌日訪ねた画廊の人たちもこの状況を決して良しとはしていなく、苦々しい思いで見つめていたとの事であった。
そういえば会場には日本のように画商が殆どを占めるのではなく、個人のお客様で溢れかえっていた。
俄かコレクターがただ投機目的でで質の悪い作品に群がっているのだと冷めた表情で語る画廊主もいた。
これも聞いた話だが、画廊で買った作品をすぐにオークションに出す輩が多くなり、画廊によっては3年間転売をしないという誓約書を客に書いてもらう画廊も出てきたとの事だが、これも何処かの国で以前に聞いたような氣がする。
決して経済自体が活況を呈しているわけでもない韓国でどうしてこういう事態になっているのかよく判らないが、いずれ崩壊する事は間違いないであろう。
何人かのお客様にこんな状況もあって韓国作家の売却依頼を受けているが、まだまだいけると思う時が売り時と思って、売る物はさっさと売って、そのお金で是非真面目に仕事をしている私共の作家の購入に充てていただければと切に願っている。
中国、韓国いい加減にせいよ!

9月21日

いやぁ暑い。
真夏の酷暑が戻ったような暑さで、比較的涼しかったソウルの気候に慣れた身体には、かなりきつい一日となった。
そんな事もあってか、来る人もまばらで、展覧会の片付けだけがはかどる一日となった。
その間を縫って、先日のオブジェ展で売約となった辻村じゅさぶろうの作品のサインを貰いに、人形町にある辻村人形館を訪ねた。
小さな空間だが、所狭しと人形作品が展示され、一種独特のシュールな雰囲気が漂っていた。
画廊からこんな近くにあるとは知らなかったが、おそらく扱うジャンルも違っているので、こんな事でもなければ訪ねることもまずなかっただろう。
先生は気さくな人だったが、矢張りそれなりのオーラを発散していて、こちらはかなり緊張をしてお話をさせていただいた。
その後、お客様からお預かりをしている竹久夢二の名品を2点鑑定のために、東京美術倶楽部へと廻った。
最近は美術倶楽部の鑑定で首を捻るよな事例が続き、あまり信用は出来ないのだが、制度上ここのお墨付きが作品評価に繋がる事もあり、お客様のためにも重い腰を上げて持って行くしかないのだ。
ところで、この美術倶楽部で、11月にコンテンポラリーアートフェアーが開催される事になっていて、再々お誘いを受けているのだが日程の都合がつかず参加をお断りした。
前半にニューヨークのアートフェアーがあり、その後北京での展覧会を兼ねて社員旅行をする事になっていて、御世話になっている運営担当のクラム・リサーチさんには大変申し訳なく思っている。
参加画廊は聞くところによると西村や小山、ミズマといった今旬な画廊が多数参加するそうだ。
来年は都合をつけて参加をしたいと思っているが、対極にある美術倶楽部とコンテンポラリーアート、果たしてどんな結果が出るのだろうか。

9月26日

北川展が好評である。
今回は小品を中心としたオブジェが多数出品されていて、価格も思わず衝動買いしたくなるような価格設定のこともあってか、大人気となっている。
彼が私の所で個展をやらしてくれないかと言ってきたのは、3年半も前だろうか。
学生時代に池田満寿夫に認められてデビューして以来、版画界のスターとしてその活躍はめざましいものがあった。
私の所では、できるだけ未評価で、これからを期待する作家の紹介を画廊の基本的なスタンスとしてきただけに、押しも押されぬ地位にある彼の個展は私の本意ではないとその申し出を断った。
それでもめげずにこの広いスペースで自分の力を発揮してみたいと再々訪ねてきて懇願をする。
更には私共では一番長い付き合いでもあり、北川健二の友人でもある小林健二からもぜひ彼の意を汲んで欲しいとの要請までもあり、ついには彼の熱意に負けて、2年前に初めて彼の個展を企画する事となった。
いざ、彼のオブジェを画廊に並べてみると、見事に私共の空間にマッチし、彼の熱い思いはここにあったのかと、企画した喜びに浸ることが出来た。
その時を経て、今回に至るのであるが、このスペースに収まりきれないほどの作品をこの猛烈な暑さの中で作り上げてきた。
スターである彼を、若い作家と同様な目線で接した事が、彼に更なる奮起をさせたのであろうか、前回以上の展覧会となった。
こうした地位にある作家の新たな飛躍もまたうれしいものである。

9月27日

お客様からこんなメールが送られてきたので紹介をさせていただく。

シンポジウムで聴いた、スカッとした美術界批評】

●今日は上野の都美術館へ「東京展」を見に行ったが、その理由は「東京展とVOCA展・・・・」というシンポジウムを聞きたかったからだ。

中略

シンポジウムは評論家2名と作家2名で行われたが、その中で府中美術館の本江館長の話が大変面白かったというより、最近のアート界への憤りが爆発したような感じで大いに共感した。最近のコンクールは評論家や学芸員の推薦制になっているものが多いが、VOCA展もその一つである。審査委員で発足時から関与している本江さんによると新人発掘と言う点で40歳までとした、地方も含めた学芸員にも推薦作家を提案させることで勉強をしてもらいたい・・・という思いがあったとのこと。
 日ごろから画廊もまわってポケットマネーで若い作家の作品を購入している本江さんにとっては学芸員ももっと現場の画廊を足でまわって欲しいという思いがあったようだ。また、40歳までとは言うものの、自分なら20代とかの無名作家を推薦するのに・・・という気持ちなのだが、最近の学芸員の推薦作家を見ると有力画廊などで既に人気作家として有名な画家を40歳未満だと言うことで推薦してくる安易な傾向にあるという。その結果、既に名前のある作家や第2、第3の村上隆、奈良美智に化けそうな若手にVOCA賞という権威を与えるというように利用されているきらいもあるとのこと。
 そんな傾向が他のコンクールにも多いため、最近の作家は鑑賞者よりも推薦してくれる評論家・学芸員やそれと関係の深い画廊の方にしっぽを振るような作家も増えているようでわれわれコレクターには苦々しい思いもある。

 中略

 さて、団体展に関しても面白い話が出た。朝日・読売・毎日新聞の美術担当が談合して?団体展の記事を書かないことにしたという取り決めがあるらしい。その理由は全国紙は公器なので、数多くの団体展がある中で一部の団体展のみを書くのは公平ではない・・・と言うことらしい。ならばなぜ、一部の美術館での美術展紹介は良いのか?ましてや画廊での作家の個展を紹介するのは公器で一部の画廊や作家の「営業支援」をしていることにはならないのか?(全国紙に載るだけで来客数は数倍増えるし、一般読者はそれを鵜呑みにする。また過去に新聞記者と業界の癒着問題は何度もあったし、美術館長になる記者もかなりいる)中には画廊のパンフレットに作家の推薦文を「美術評論家」の肩書きで書いている新聞社の現役美術記者もいるが、これを新聞社はどうして認めるのだろうか?
以上、今日のシンポジウムは日ごろ私が考えていることを本江館長がずばりと言ってくれたので溜飲のさがる思いだった。

本江氏が忙しい時間を割いて若い作家の展覧会を見て歩いているのを知っているだけに説得力がある。
若い作家に目が向いているこの時期、現場に関わる人間は心して欲しい。
昔の絵画ブームの頃に具象絵画の新人登竜門であった安井賞展も同じような事があったように記憶している。
この当時、賞を貰う事で一躍人気作家に躍り上がる事もあって、推薦してもらう評論家に作家や画廊が媚び諂う事が多々あった。
今回も北京展で若い作家を推薦してくださった美術館の館長に感謝の言葉はあっても、その展覧会を企画し、北京までの渡航費と滞在費まで出してくれる相手の画廊に対しての感謝の言葉が聞かれないのはどういうことだろうか。
今時の若い者はという言葉を使うと、年寄りの繰言と言われてしまいそうだが、時代なのだろうか。

9月29日

昨日の猛暑復活の中、掛川にあるお茶屋さん丸山園の工場玄関に綿引明浩のモニュメントの設置に行ってきた。
丸山園の社長は天皇陛下と幼稚園以来のご学友で、毎年200人もの人の手による手摘みの新茶を献上しているそうで、そうした経歴もあってかとても上品で優しくて素晴らしい方で、私が最も尊敬する先輩のお一人である。
その社長と30年年来親しくお付き合いさせていただいているのだが、皇室関係とは全く無縁のがさつの私とも変わりなくお付き合いをしてくださるだけでも光栄なのだが、その社長から掛川の新しい工場にモニュメントを作りたいのだが相談に乗って欲しいとの有難いお話をいただいた。
偶々ご子息に綿引作品をお求めいただいたり、お孫さんが彼のワークショップに参加した事もあって、是非綿引氏に制作をして欲しいとの話になり、色々な試作を繰り返した後今回の設置となった。
彼にとっても初めての大作でもあり、どのような作品ができるかとても楽しみであったが、現代版屏風を想定し、三つの2メートルの高さの三角錐の作品プランが出来上がった。
アクリルの三つの面には茶畑をイメージした絵が描かれ、その中に人や鳥など彼のキャストと称される立体作品が納められ、過去現在未来を暗示させる「茶楽の柱」というタイトルの作品となってようやく完成した。
縁起のいい茶柱を想定し、どちらかと殺風景になりがちの工場の中を明るくうきうきするよう空間に作り変えた。
和のイメージのあるお茶の工場にこうした明るくモダンな作品があうのかどうか心配したが、見事にマッチした。
今までの観念を打ち破り、思い切った決断をしていただき、更にはこうした新たな展開のチャンスを作家に与えてくださった社長とご子息には大感謝である。
彼も次なる飛躍に繋がる大きな仕事が出来た事を喜んでいるに違いない。

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