Diary of Gallery TSUBAKI

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10月5日

この一週間は人間関係の難しさに翻弄され、ただただストレスのたまる日が続いた。
仕事の事ならさほど苦にならないのだが、私が会長や理事長をしている奉仕団体や画商の組合の事だけに悩みが多い。
私のように組織にも属さず、言ってみれば家内制手工業、三ちゃん農業みたいな零細な画廊の親父が上にたつこと自体所詮無理なのだが、成り行き上そんな立場に立たされてしまった。
そうした中で、それぞれの意見を調整し、恙無く事を進めていきたいのだが、みんながお山の大将だけに難しい。
つくづく統率力のなさを痛感し、無力感にさいなまされている。
サラリーマンやお役所勤めをしていたなら一体どうなっていただろう。
今更ながら、今の仕事についた有難さを噛み締めている。
話は変わるが、椿近代画廊が日本橋の三越の裏に移転をした。
私のところも広いと自負していたが、それよりはるかに広い80坪のスペースの画廊である。
父の頃から数えると、50年余を新宿で頑張ってきたのだが、伊勢丹の拡張もあって、新宿の地を離れる事になった。
新宿に文化をとの思いでこの地に画廊を開いた父には無念の思いもあるだろうが、これも時代の趨勢で仕方がない。
私のところとも近くなり、お引き立ての程よろしくお願いしたい。

10月6日

ようやく心地よい風を感じる朝を迎えた。
10月に入っても暑い日が続き、地球温暖化の危機がいよいよ間近に迫ってきたのを身を持って体験する夏となった。
今ごろになって秋を感じるのでは、次に迎える冬は一体いつ頃になるのだろう。
今年ほど海外に行く機会が多かった事はなかったが、11月からは北京、ニューヨーク、年を越えるとロンドン、台北、ソウルと今年以上に海外に出かけることが多くなりそうだ。
そこで困るのが向こうの気候である。
今年の冬もパリ、リヨン、アムステルダムと出かけたがフランスではコート要らず、うって変わってアムスでは耳がちぎれるのではと思うくらいの寒さを体験した。
2月に出かけたベトナムのダヤンでは夕方からの思わぬ寒さに、あわてて上に羽織るものを買い込んだ。
これからの海外行きは備えの洋服で殊のほか荷物が重くなりそうだ。

10月9日

先月から来月にかけてやけに連休が多い。
私のところは土曜日が一番書き入れ時のため閉めるわけにいかず、月曜日の振替休日も展覧会開催中は開けているので、世間並みの3連休とはいかない。
かえって連休の時は皆他所へ出かけてしまうのか、画廊も閑散としていて、手持ち無沙汰な事が多く、連休のうれしさはあまりない。
一番困るのは、土日の休みが定着したせいか、色々な行事や会合が土曜日になる事だ。
土曜日遅くまで遊んだり飲んだりで、日曜日にゆっくりという事なのだろうが、私のところはそうはいかず、不義理する事が多い。
更に学生時代の友人達にサンデー毎日が増えたせいか、料金も安い事もあって、ゴルフコンペなどは平日にお呼びがかかる。
零細な私のところは休むわけにもいかず、ますます付き合いが悪くなり、どうせ来ないのだからと暫らくするとお呼びもかからなくなってしまう。
たまに私が会合やコンペの幹事をする時は、私の都合で日曜日にすると、やれ高いの混むのと散々文句をいわれる。
そんなこんなで、連休が多くなればなるほど気が重くなる私である。
最近の日記は愚痴が多くなってきたみたいで、これも老化現象の一つだそうだ。

10月13日

丁度20年前に出会った作家に間島領一という作家がいた。
同じ頃私どもと出会うきっかけとなった小林健二の初の個展を久が原の住宅街にある画廊に見に行った。
その時どういうわけだか間島領一の資料がその画廊に置いてあり、それを何気なしにめくって見た。
そこには子供の工作のようなオブジェ作品が紹介されていた。
その当時としては破天荒な作風でとても評価されるとは思わなかったが、その型破りな作品とそれぞれの作品に込められたユーモアーとメッセージに私の心が動かされ、個展の依頼をすることとなった。
これが思いがけなく大好評で、大作を含め多くの作品が売れることとなり、その後3回の個展を重ねたが、それからは美術館での発表が多くなったり、ギャラリーユマニテやミズマアートで個展をするなど私どもとは疎遠となってしまった。
その彼の最初の個展の折のオブジェが、偶々見ていたオークションカタログに出ているではないか。
「話せばわかる」というタイトルの作品で、画像のようにプロレスラーに怯える女性?をかたどった作品で、スイッチを入れると首を振り振り口をパクパクと慌てふためく様が表現され、その動きについつい見入ってしまう。
おそらくたくさんのオークション出品作品に埋もれて、誰も気がつかないのではとの思惑通り、無事落札し、私の手元に来ることとなった。
今もし彼がデビューすることになったら、この作風はそれこそ大変な話題を呼ぶのでは。
少し早くに出てしまったきらいがあるが、今そのものの作風は海外でも大きな反響を呼ぶだろう。
それだけにこの時期彼が発表を控えているのが惜しくてならない。
俄か現代作家ではなく、技術、表現力、実績を兼ね備えた彼の展覧会を、この作品を手に入れたことで、今一度実現したいと思っている。

10月15日

遅まきながら、秋らしい風情がようやく感じられ季節になってきた。
昨日出かけた河口湖ではついこの前まで咲き誇っていたコスモスが盛りを過ぎ、木々も僅かだが色づき始めたようだ。
昔のテニス仲間と長い間続いている夫婦ゴルフコンペで和気藹々の一日を過ごしてきました。

先週のブログでお客様からご指摘を受けた。
紹介した間島作品「話せばわかる」の登場人物は、ゴッドねぇちゃんこと和田あきこと悪役レスラー・デストロイヤーで、当時のバラエティー番組で人気を博した和田あきこにいじめられるデストロイヤーという設定ではないかという指摘であった。
成程そう言えばそうで、お客様の言われるほうがもっともである。
私ははなから作家には確認せずに逆の思い込みをしていたが、こうしたユーモアーも間島領一らしいと改めて感心させられた。
最近話題の礼儀知らずの若造ボクサーにも、どこか愛嬌があって憎めなかった悪役レスラー・デストロイヤーが出てくるこの作品を見せてあげたい。
ご指摘いただいたお客様にこの作品が納まることになったことを付け加えておく。

10月17日

11月の後半から来年1月にかけて北京にて開催される若手作家12人による現代美術展の作品がようやく揃い、今日その作品を横浜から北京に送ることとなった。
先方から作家の渡航費、滞在費も出してくれるということで、私どものスタッフや作家の家族もこれに便乗して、大人数の団体を引き連れて、11月23日から3泊4日で出かけることになった。
山本、夏目以外の作家とはこの展覧会が縁となって、初めて知己を結ぶことになったが、大変に興味深い作家たちばかりで、その中から堀込幸枝の個展を来年企画することにした。
まったくの新人作家だがコップばかりを描いていて、その透明感とそれを包む不透明でおぼろげな色彩の対比がとても美しく、将来を期待される作家の一人である。
北京展の選考にあたって、一番最初に作品を私どもの画廊に持ってきたこともあって、じっくりと作品を見ることも出来、又作品についての話も興味深く聞かせてもらった。
こうした出会いも北京展があってこそで、そういう意味では北京の画廊が彼女との縁結びの神となった。
12人の出品作品は改めてHPで紹介するが、まずは山本麻友香、曽谷朝絵、森本太郎、そして個展予定の堀込幸枝の作品の一部を紹介する。
たまたま北京で開催を依頼されたが、こうして作品を見ると先に日本で発表できなかった事が悔やまれる。
出品作家のプロフィールや作品写真も順次紹介していきたい。

10月19日

美術雑誌アートトップの11月号に 「アジア・アートマーケットの今」 というタイトルで、9月に出かけた上海、ソウルでの私の報告記事が出ているので転載をする。

ここにも書いてあるように世界の流れはアジアンコンテンポラリーアートに大きくシフトしている。
来月からのニューヨークのアジアンアートフェアー 「ACAFY」、北京での 「現代日本美術の新鋭展」 では中国・韓国に負けずに頑張らなくては。
前回に引き続き北京展の出品作家を紹介する。
横井山泰・野依幸治の二人は31歳、29歳の若手作家であり、絵とは関係ない事だが野依氏はノーベル化学賞の野依博士のご子息だそうだ。

10月20日

毎日のように送られてくるオークションカタログがリ・ウーハンと草間弥生で溢れかえっている。
異常な価格の高騰で今がチャンスと一斉に売りに出されているのだろう。
私のところにもまとめて60点あまりの二人の作品が来ていて、どこで売ろうかと思案の最中であるが、こうなると一日も早く売っておかなくてはと多少あわて気味である。
国内の美術市況は全体で見ると決してよくなく、有名大家の価格も下落していて、こうした作家をメーンで扱う画廊はかなりの苦戦を強いられているようだ。
そのためかディラーズオークションの出来高も昨年より2,3割下落傾向にあり、世の中の景気上昇や中国、韓国の美術バブルを横目に心穏やかでない画廊が多いと聞く。
そんなこともあってか、近代美術を扱っていた画廊やオークション会社が一斉にコンテンポラリーアートにシフトし、おこぼれ頂戴と群がってきている。
そんな影響もあってか、手付かずの若手作家までが浮き足立っているように思えてならない。
実際コンテンポラリーアートといっても、リ・ウーハンや草間、杉本博司、村上、奈良といったところだけがもてはやされているだけで、全体が活況を呈しているわけではない。
この数人の作家が何かの拍子にこけてしまったら、皆こけた状態になるのが怖い。
コンテンポラリー全体がバブルでないことをしっかり受け止め、先を見据えて将来ある作家の作品をじっくりと時間をかけて紹介していくことを肝に銘じなくてはいけない。

北京出品作家第三弾
大谷有花、高木紗恵子。
この二人も30歳、27歳と若いが既にVOCA展やシェル賞展などでの受賞歴があり、早くから活躍している作家である。

10月21日

伊津野展の紹介が遅れてしまった。
愛知芸大を中退し、知多半島の工房でひたすら木と取り組んできた伊津野の発表も今回で4回を迎えた。
清らかで気高い作品に魅せられて展覧会を重ねているが、2メーターに近い大作をコレクターにお持ちいただくのは大変なことで、会期中はなかなかその期待にこたえることが出来ない。
ただこの3回、結局大作はすべて納まっていて、大きさに圧倒されながらも、手元に置きたい衝動が勝ってしまうようだ。
今回のメーンの作品となった「Alba」は作者のこんな思いから出来上がった。

ほんの束の間の、風の領域に生きる我々は、この世界を理解しようと、物語を紡ぎ、形を刻み続けます。
おそらく、大切な物語はすべて、この大地に書き込まれ、奇跡は足下の青草にうまれるというのに、人は遠くの空を見上げます。
薄明(Alba)の空に、一瞬世界の出入り口が開くという感覚を覚えたことがあります。
そこに一瞬世界が映し出されます。
それは、私たちの時間、いとしい人々の生きた時間、そして いまだ刻まれぬ時間なのでしょう。
それはそれぞれの時間のつながる瞬間なのカもしれません。
夏のある日、生命は夢を見て、時と踊りました。
夢と知りながら。

美しく心洗われる作品である。

北京展出品作家
夏目麻麦、林繭子を紹介する。
夏目は先般私のところで個展をし好評を博した作家である。
林は名古屋の作家で二人とも耽美的な色彩が魅力の作家だ。

10月22日

久しぶりに近隣の画廊をのぞいて見た。
殆どが期待がはずれの中で、ひとつ抽象だが目を引く展覧会があった。
木村忠太似の心象表現の作風だが、私の好きな淡いブルーの色彩に心を惹かれた。
最近は忙しいせいか、なかなか画廊廻りもできず、案内状で興味を引く展覧会のファイルを作っては見に行くつもりでいるのだが、ただただたまる一方で、ファイルブックもメタボ状態である。
逆に、画廊の人が私のところの展覧会を見に来ることも殆どない。
みんなが忙しいのか、画廊の人にうちが人気がないのか、よその画廊の展覧会などあまり興味がないのか、どちらにしても画廊の人を見かけることが少ない。
これだけ周りに画廊があるのに、自分のことは棚に上げて、どうして見に来ないのだろうかと不思議に思っている。

北京展の紹介も最後の二人となった。
松本春崇と黒田恵美子で松本は新鋭展作家とは言いがたい年齢だが、その画風の若さで選ばれたのだろう。
片や黒田は12人の中では最年少である。

10月23日

昨日、今日、明日とお客様のお宅や会社に伺う日が続く。
みな30年来のお付き合いの方ばかりで、ただ集金や納品だけで伺うのではない。
画廊でゆっくりお話できない分を、誰にも邪魔されず、ゆったりとしたお客様とのひと時をもてるのがいい。
大阪の画廊での勤務時代は、お客様のお宅に伺うのが当たり前で、画廊で商談をすることは滅多になかった。
車に絵を積んで一軒一軒廻るのが仕事だと思っていた。
話に興じ、明け方まで居ることもしばしばであった。
5年間大阪の画廊にいて何百点と買ってくださったお客様で、一度も画廊を訪れたことがない方もいたくらいである。
ところが東京に帰ってみると、お客様のお宅に伺うのが稀となった。
東京ではプライベートな時間を大切にされる方が多いせいか、画廊にお越しいただくケースが殆どである。
それでもこうして何人かの方とは、お宅にお邪魔してお話をさせていただいている。
昔と違って、夜遅くまで話をするのはかなりきつくなったが、呼ばれれば伺うのが私の務めと思っている。
昨日お邪魔したところのお客様の話で、ある画廊が今まで長い間社長自ら届けに来たことがなかったのに、数日前に急に作品を持って訪ねてきたという。
たまたま先日、今高騰している作品の処分を私に依頼をしたことをその画廊さんに話したのだそうだ。
わざわざ来てくれるのはどういう風の吹き回しかと思っていたら、私にも作品を分けてくれないかと切り出し、成程とわかったそうだ。
日頃のお付き合いですよと言って断ってくれたと言う話を聞かせていただき、大変有り難い事で、こうしたお付き合いの大切さを改めて胸に刻ませてもらった。
今夜も8時過ぎに千葉のお客様に呼ばれているが、帰りは多分夜中になるだろう。

10月27日

木曜日のコンテンポラリーアートオークションは満員札止めの大盛況で、始まる6時ぎりぎりに行った私はすし詰めの中、暑さと人いきれでめまいがしそうだった。
相変わらず、リ・ウーハンと草間弥生のオンパレードで、それを目当てに99パーセント韓国の画廊と日本の業者が集まってきた。
私も依頼の作品があり、こんなにたくさん来ていては落札できるかどうか不安だったが、いざ始まると今までの雰囲気とは違っていた。
重苦しい雰囲気が立ち込め、金額も草間とをウォーフォール以外はあまり伸びず、話題のリ・ウーハンに至っては不落札の作品まで出る始末で、私が危惧してきたことがそろそろ現実味を帯びて来たようだ。
続いて、金曜日、土曜日と同じようなオークションが目白押しだが、先行き不安である。
どちらにしても、日本のオークションは海外と違い業者が中心なので、ひとたび状況が変わるといきなり右に倣えで、節操がないことおびただしい。
お客様中心であれば高くても低くても、欲しいものは欲しいとなるのだが。
そんなこともあって、私の目当ての作品は無理をせずに落札できたことは何よりであった。
メディアも雑誌やテレビでコンテンポラリーアートブームを書き立てているが、美術愛好家からこうしたメールをいただいたので転載させていただく。

23日夜の 「ガイアの夜明け」 を見た人から2、3のメールがきているが、まったくバブルをあおり、値上がりする資産運用・・・という感じで後味が悪い内容だったと言うのが、真の美術愛好家の意見だ。
 確かにあの番組で普段アートに興味のない一般の人も感心を持ったかも知れないが、現代アートはあんなに値上がりして儲かるのだ・・・と錯覚されるのが怖い。
 また、知人の画廊主からは、小山登美夫や蓑豊さんを紹介して欲しいという作家から何本か電話が入ったとのことで、さもしい作家が多いことを嘆いていた。

11月3日

月末から月初にかけて、二泊三日で能登に出かけた。
奉仕団体の旅行で、そこの会長をしていることもあって、月末の忙しい時期であったが出かけざるをえず、何とかやりくりして、出かけることとなった。
地質学や造船工学、建築学の教授、大学や病院の理事長、心臓外科の権威、住職、電話会社、ホテル、保険会社の元会長等など多彩な顔ぶれで愉しい旅をすることができた。
特に地質学の先生からは行く先々で、専門的なお話をいただき、東尋坊などでは普通ならただ景色を眺めるだけなのだが、ああこの崖は柱状節理なのだとか、総持寺にあるさざれ石は君が代にもあるように大きくなって、巌となるのだとか、何かと教養を高める旅でもあった。
和倉温泉では、加賀屋という毎年行きたい旅館のナンバーワンになる旅館に泊まったが、なるほど平日にもかかわらず全館満室で、その人気のほどが伺えた。
ただそれだけに人が多く、風呂は満員、ロビーはごった返すわで、旅情に浸る雰囲気ではなかった。
私には静かで、鄙びた温泉宿のほうが性にあっているようだ。
良かったのは、加賀屋のすぐ横にある漆芸家の故角偉三郎の美術館を覗いたことである。
私がお世話になっている、小田原の和菓子屋H氏の展示室や私の画廊の近くにあるギャラリー塚田などで見せていただいたことがあるのだが、ただの伝統工芸とは違い、ダイナミックな作風には惹かれるものがあり、その作品を見ることができたことだけでも、この旅行に参加した甲斐があった。
この4日から私の家で世話をする、ブラジルからの留学生アンジェリカも連れて行ったが、深山幽谷の永平寺や那谷寺、加賀の黒瓦の家並み、輪島の朝市など日本の情緒を味わうことができたようで大喜びであった。
ただ、せっかくのおいしい甘えびや越前がに、のど黒やあわび、口子やかれいの一夜干しなどには恐る恐る箸をつけるだけで、日本の食文化に慣れるにはまだまだ時間がかかりそうである。
帰ると直ぐにニューヨーク行きの支度をしなくてはならない。

11月4日

先日、名古屋の幻想美術のコレクターとして知られ、趣味が高じて画廊まで開いてしまったO氏がやってきた。
そのO氏と一緒にやってきたのがやはりコレクターの名古屋郊外に住むT氏であった。
この方には以前に西村陽平の大作を購入していただき、お宅まで運んだ覚えがある。
お宅には現代美術があふれかえっていて、それも大作ばかりで、そのコレクションの充実振りには驚かされたものである。

その後ご縁がなかったが、久しぶりにO氏と一緒に訪ねていただき、大感激である。
お二人は美術の好みは違うのだが、共通した趣味があり、そのため親しくお付き合いをしているとのことであった。
その趣味とは、クラシックカーのコレクションである。
O氏のコレクションはよく聞いていたのだが、T氏も同じとは驚いた。
そのお二人が晴海で開かれるクラシックカーの祭典のためにやってきて、画廊を訪ねた後、二人組んで、クラシックカーのパレードに参加するとのことであった。
銀座を通るとのことなので、早速見物に行くことにした。
颯爽とお揃いのつなぎに風防眼鏡のいでたちでクラシックカーに乗る姿は、なかなかの絵になるかっこ良さであった。
因みに、来年8月にはO氏の珠玉の幻想美術コレクション展を開催する予定で、四谷シモン、合田佐和子、金子国義、桑原弘明などの代表作が並ぶので楽しみにしていただきたい。

11月5日

舟山さんとの付き合いは長い。
私がまだ新宿にいる頃に、ある画廊でたまたま作品を購入して以来だから、25年を越える付き合いになるだろうか。
その当時とまったく変わらず、義理堅く、盆暮れには欠かさず贈り物が届く。
そんな人柄もあってか、舟山ファンは長い間ずっと舟山作品を追いかけてくれる。
大抵は、ある時期コレクションをすると、また別の作家のコレクションに移るケースが多いが、舟山ファンは頑固に舟山作品にこだわる。
人柄といえば、照れ屋も相変わらずである。
これだけ長い付き合いなのだから、少しは打ち解けて話をしてもいいのだが、画廊に来てもそそくさと帰ってしまう。
そんな感じのままで長い時間が経ってしまったが、どこかでお互いが分かり合って、展覧会を重ねてきた。
絵は私の画廊ではどちらかというと古いタイプの絵なのだが、哀しげな叙情が私の心に響き、2年毎の展覧会が待ち遠しい。
舟山ファンと舟山さんの人柄、心揺さぶられる絵に魅せられて、これからも展覧会重ねていくことになる。
明日からニューヨークのアートフェアーに出かける。
時間ができればニューヨーク便りを送るつもりでいるのだが。

11月6日

ニューヨーク到着。
肌寒く秋と言うよりは冬の気配。
スタッフの寺嶋と出品作家の夏目麻麦を同行。
荷物が多く、カートを持ってこようとするが動かない。
どうも有料のようだ。
そこに大男の黒人のポーターが現れ、台車に乗せて運び、ワゴンタクシーまで呼んでくれる。
チップをはずめと脅かされるのではと不安になったが、5ドルで何にも言わなかったのでホッ。
荷物もみんな積んでもらい無事ホテルへ到着。
タクシーの運転手はこれまた大男の黒人だったが、気のいい奴で、乗っているトヨタのエステマはハイブリッドで広くてとひとしきり自慢。
大荷物もタクシーも、それに心配した手持ちの美術品も何事もなく通関をパスしたこともあり先ずは幸先良し。
私のホテルはアートフェアー事務局指定の古いホテルで、設備はひどく悪いが、目抜き通りの近くにあり、足の便はよさそう。
スタッフは私のところから20分ほど離れたところのウイークリーマンションを借りた。

3人が泊まることができ、炊飯器をはじめ全て揃っていて、お米やそばやうどんまで持ってきているので、会期中は後から来る呉や服部たちと合宿生活となりそうで、私もお相伴にあずかる予定でいる。
荷物もそのままに時差の眠い眼をこすりながら、芸術新潮のニューヨーク特集号に出ていたフリックコレクションを見に行く。
地下鉄・バスの一週間フリーチケットを買っていざ出発。
若い二人に先導され、おじさんひたすら迷子にならないようについていくだけ。
フリックさんは桁外れの金持ちで、セントラルパーク横にある建物だけでも度肝を抜かれる。
中庭といっても室内なのだが、そこには噴水の池と庭があり、その周りを大きな部屋が囲んでいて、地下にはボーリング場、2回の踊り場には装飾が施されたパイプオルガンまであり、夕食時に弾かせたのだそうだ。
さてコレクションだが何気なく廊下にフェルメールの傑作が飾られていたりするが、他にも2点のフェルメールが飾られているから驚き。
そのフェルメールを誰も立ち止まることなく通り過ぎていくからこれまた不思議。
日本では今開催中のフェルメールの唯一一点を見るために長蛇の列だろう。
これだけではない、エル・グレコ、ベラスケス、ファン・アイク、ターナー、レンブラント、ゴヤ、などが一室に並ぶ様はただただあきれるとしか言いようがない、 ルノアールやモネ、コローなどはついでにという感じだ。
全て門外不出でここでしか見られないが、5番街に面した大都心のさなかで泰西の名画に出合えることに値打ちがあると思う。
貧しい移民の子供が鉄鋼王として有名なカーネギーの共同経営者に迎えられ、その後袂を分ち、株の投資に専念して美術コレクションに没頭したというが、これだけのオールドマスターを集めたとはまさにアメリカンドリームである。
帰りは時差でボケボケ、トッピングのスープとサンドイッチを買い込んでバタンキュー。

11月7日

今日は展示日。
ハドソン川沿いの埠頭にある倉庫が会場となっていて、ホテルからタクシーで15分ほどのところにある。
入り口入ってすぐのところに日本のベースギャラリーがブースを構えていて、絶好のロケーションである。
それに引き換え、私のところは行けども行けども見当たらず、どん詰まりの最悪の場所に私のブースはあった。
慰めは、VIP用の控え室がすぐ横にあることだけで、広い会場ではおそらくたどり着くまでに疲れ果てるか、よそで買われてしまうに違いない。
これも籤運の悪さとあきらめて、残り物には福があるようにと信じて、最後の最後に廻ってくるお客様を待つしかない。
計算違いか思ったより壁面が足りず、それぞれを2段掛けのギュウギュウ詰めの展示になってしまった。
綿引明浩君の友人でニューヨークに住む上杉君と若手アーチストで丁度ニューヨークにやってきた安西君が手伝ってくれて、夕方には展示終了。
みんなは夜の音楽ライブを聞きに行くとの事で、私は一人ホテルの近くを散策。
さすが人種の坩堝で黒人、東洋人いろいろな人が行き交う。
昨日は気がつかなかったが、ホテルはエンパイアステートビルのすぐ横にあった。
大き過ぎて、離れてみて初めて気がついた。
道に迷っても、目印には最適。
町は早くもクリスマスの雰囲気で、道路の煙突から立ち上がる蒸気が冬間近を感じさせる。
以前に行った時に比べて街全体がきれいになったのと、派手な看板が見当たらず、重みのある街になったような気がする。
さて、夕食をどうしようかとあちこちを探すが、ファーストフードのお店ばかりで、これといったところが見つからない。
今回はスタッフ任せで、予備知識なしでやってきたので、どこのレストランで食べようとか、どこを見ようかと全く考えてなかった。
結局は韓国人がやっている中華料理屋に入って、ニューヨークまで来て情けないが、お決まりの炒飯に餃子を注文。
コチジャン風のスープは美味しかったが、メニューには焼餃子となっていたのに揚げてあり、スペシャル炒飯とは名ばかりのグリーンピースだらけの炒飯で、量だけやけに多い夕飯を食べる羽目となった。
時差ぼけにならないよう9時にはベッドに。

11月8日

今日はオープニング。
初めてのアジアン・アートフェアーでもあり、主催者が心配していた人出だったが、どこからこれだけの人がやってきたのかと思うくらいの大盛況であった。
サザビーズのオークションがあった関係で、日本の画廊の人たちも多くやってきた。
ある画廊の人に、椿さんもいい年なのにこんな外国までやってきてどうしてそんなに頑張るのと言われてしまった。
お前さんが働かな過ぎなんだと心の中でつぶやいた。
でも確かに来ている日本の画廊の中では最年長なのかもしれない。
石田徹也、城田圭介、松浦浩之など日本人作家が早々と売約となり、日本の画廊のブースの赤印が際立っていた。
私のところは残念ながら、成約がなく、少しがっかり。
面白いのは、山本、呉は東洋人、夏目は西洋人、服部はゲイのカップルに人気がある。
それにしても気持ち悪いくらいゲイが多い。
細身のこざっぱりした服装の男はみんなそうではないかと、できるだけ眼を合わせないようにしている。
9時過ぎまで賑わっていたが、ようやくクローズの声がかかりお開き。
ニューヨーク在住の藤浪理恵子さんの紹介の中華レストランに行ったが、オーダーストップでテークアウトならできるとのことで、焼きソバを持って帰ることにした。
ニューヨークに来て、毎晩トホホな食事が続く。
その食事が悪かった。
私は以前から海老アレルギーなのだが、長い間そうした症状が出ていない事もあって、中に一杯入っていた海老を食べてしまった。
1分もしないうちに顔が腫れ上がり、体中に発疹が出てきた。
薬ケースを探すと、女房がちゃんと蕁麻疹の薬を入れておいてくれていたので事なきを得たが、ひどい時は息ができなくなるくらいでどうなることかと思った。
時差ぼけで体が弱っていることもあって、たぶん症状が出たのだろう。
明日は少しゆっくりさせてもらおう。

11月9日

朝から雨模様だが昨日ほどは寒くない。
昨日の蕁麻疹もすっかり治り、熟睡したせいか時差ぼけも解消。
気分もいいので、小雨の中ACAF会場まで歩くことにした。
途中、ホットサンドとクラムチャウダーで腹ごしらえをして、1時間ほどで到着。
雨のせいか会場はがらんとしていて、昨日とは打って変わっての静けさである。
10年ほど前まで私どものスタッフだった小泉和恵君が応援に駆けつけてくれた。
ハドソン川の対岸にあるニュージャージに住んでいて、幼稚園の先生をしているが、今一度勉強がしたくて大学入学の準備中だそうだ。
小泉君とブース巡りをしていると、スタッフの寺嶋が息せき切ってやってきた。
ロンドンから来たコレクターが山本麻友香の作品を欲しいといっているからすぐ戻って欲しいとの事であった。
どの作品かと聞くと、100号2点と80号1点の3点全部欲しいとの事。
プロレスラーみたいな体の大きな人で、手馴れた様子で支払いや税金、保険、運送のことは自分たちでちゃんとやるからと方法を指示してきた。
先ずはめでたしめでたしとなり、ニューヨークで初めて作品が売れることとなった。
その前後にも、シンガポールのコレクターが呉亜沙に興味を持ち、来週日本に行くので他の呉の作品を見たいと言ってきたり、山本、服部、呉それぞれのグループ展の話、台北のアートフェアーの事務局が私のところの作家は必ず、台湾のコレクターに売れるから、是非参加をして欲しいといってきたりで、昨日と打って変わって実のある話が続いた。
これでようやく日本の画廊の赤印の仲間入りができた。
日本の一軒の画廊は今日までですでに完売に近い成績を上げていて、私のところも負けてはいられない。
夜は他の画廊さんや私どもスタッフ、作家と一緒にホテルの近くの焼肉屋に繰り出すことにした。
こちらは量が多いからと先ずは4人前づつ頼んだが、これが計算違い。
ゲップ出るほど、こんなにたくさんのタンを食べたのははじめてである。
食べども食べども次から次に出てくる。
そしてカルビ、プルコギ、チゲに冷麺、食べに食べても減ることはなく、大量に余らしてしまった。
折につめてスタッフの宿へ持ち帰り、、明日は会場に焼肉弁当にして持っていくことにした。
スタッフは毎日私のためにおいしいおにぎりを握って持ってきてくれていて、他の日本の画廊さんを羨ましがらせている。
明日もみんな涎を流すに違いない。

11月10日

毎日冬のような寒い日が続く。
歩いていても耳が痛くなるような寒さだ。
ハドソン川沿いを身をかがめて会場に向かう。
土曜日ということもあって、人は多い。
ただ熱心に作品を眺める人は少なく、ブースの前を通り過ぎていく人ばかりだ。
机においてあるパンフレットを勝手に持っていく人も多いが、こういう人たちは全く作品を見ようとしない。
カタログコレクターと私は言っている。
私の名刺まで持っていく人も多く、個人情報が心配になってきた。
ブースにいてもあまりビジネスになりそうもないので、別に持ってきたリ・ウーハンの版画やドローイングを韓国の画廊に見せに行くことにした。
あまりの高騰ぶりに、その反動で先月から下がり始めていることもあって、何とかこの会期中に売らなくてはと思っていたが、幸い以前からお付き合いのあったJ画廊のマダムが40点ほどの作品を一括購入してくださることになり、先ずは一安心である。
夏目がマンハッタンから1時間半ほど電車で行く現代美術のコレクション・ディア・ディーコーンを見て興奮して帰ってきた。
巨大な工場跡にあるコレクションのスケールは想像以上で、一室をウォ-ホールで囲まれた部屋や、セラの巨大な鉄の彫刻、河原温、ボイス、ルイーズ・ブルジョワ・リヒター、ジャッドなどのコレクションルームもあり、一日では見切れない60年代以降の現代美術の宝庫だそうだ。
少し余裕のある時間が欲しい。
疲れもたまってきて、帰りのデリで量り売りの野菜や果物を買って、スタッフの部屋で簡単な夕食をして、早めに寝ることにした。
今日、出品作家の服部が、明日には呉が合流する。
明日はみんなで美味しい食事をしたい。

11月11日

昨日の土曜日にリ・ウーハンが売れただけで、その他の反響はなかったので日曜日に期待をしたが成約にいたらず。
お客様は多いが、熱心に尋ねてくる人もなく、拍子抜けの一日となった。
呉さんや服部さんに展覧会の要請があったが、みな韓国の画廊で、一番の目的であった、ニューヨークの画廊とのコネクションを結ぶにはいたっていない。
他の画廊の売り上げもいまひとつで、元気がない。
そうした中で売れている傾向を見てみると、写真の大作がずいぶんと売れているようだ。
その写真もきれいな風景や人物ではなく、顔の爛れたオブジェの写真とか刺青を施した人形の写真とか気味の悪い写真が売れている。
会田誠や松井冬子が売れているのと同じ現象なのだろうか。
中国の絵は総じてアクが強く、日本人には受けそうに思わないのだが、海外で価格が高騰しているのも私には理解できない。
今人気の出ている作家たちは中央学院の美術学校の出身者が占めているとの事だが、ここに入るには6000倍の難関を突破しなければならないそうだ。
選りすぐれたエリートたちなのだ。
オリンピックに出てくるエリートスポーツ選手と同じ価値観なのだろうか。
スポーツは力の勝負だから、人間性は要らないが、絵画は卓越した技術教育を受けたエリートの中からだけで果たして心揺さぶるような絵が生まれてくるだろうか疑問である。
台湾のテレビ局が私をインタビューしにきて、中国と日本の絵画はかなり違っているが、その辺のことを話してくれといわれた。
毛沢東を描いた作品が随所に見られるように、中国の絵には共産主義を背景としたプロパガンダ的な要素が多く、表現も色彩もかなり激しいものが多い。
それに引き換え、日本は宗教や人種、政治などの深刻な対立もなく、絵画を通しメッセージを出す要素が少ないせいもあって、比較的穏やかで、ソフトな作風が多く、クールジャパンといわれ所以である。
また、奈良や村上が受けるように、その背景には世界を席巻するアニメの影響があることは否めない。
そうした両国の社会背景を見ていただくとその違いが判っていただけるのではと申し上げた。
勢ぞろいした作家たち、夏目、呉、服部たちは美術館巡りやフリーマーケットに行ってとても元気がいい。
その連中を連れて、行列ができるという豆腐料理屋に行くことにした。
和風の豆腐料理をイメージしたが、韓国風で豆腐チゲや豆腐を使ったチヂミなどで最後は石焼ビビンバと、何のことはない毎日、中・韓の料理の繰り返しである。
お腹いっぱいになって、さあいよいよ明日は最終日、いい結果が出るといいのだが。

11月12日

あっという間に最終日。
今日が振り替え休日ということと最終日を入場無料にした事で、たくさんの人で賑わった。
但し、人出の割には売り上げにはつながらない画廊が多い。
私のところは幸いぎりぎりで服部、呉の作品も売れ、そこそこの成績を上げることができたが、いまひとつの目的であったニューヨークの画廊とのコネクションを作ることはできなかった。
韓国の画廊からの山本、服部、呉への展覧会の誘いはいくつかあったが、ニューヨークでの私どもの作家の紹介はこれからの課題となった。
いろいろ聞いてみると、ニューヨークの主だったディーラーはほとんど来てなかったようで、フェアーへのインフォーメーション不足は否めない。
来ている人も、熱心に尋ねてきたり、絵に見入る人も少なく、ニューヨークのコレクターもそれほど来ていなかったのでは。
日本の画廊は完売に近い画廊もあったが、初日の勢いはなく、さて来年はというと、首をひねる画廊が多かった。
初めてのアジアンアートフェアーということもあったのだろうが、欧米のアジアンアートへの昨今の関心の深さを考えると、物足りなさは感じざるを得ない。
ひとつ思ったことは美術バブルの中国、韓国の作家に比べ日本の作家の価格が圧倒的に安いことと、作品の質、品格は勝っていて、アジアンアートへの関心が続く限り、必ずや日本の若手アーチストに欧米のコレクターの目は向いてくる事は間違いない。
いろいろ考えさせられる5日間であったが、海外で発表することで自分自身に更なる活力を与えてくれたこと、今回同行した作家たちもこうした体験を通して、今一度自分を見つめなおし、新たに自分の進む方向を見出してくれれば、このフェアーに参加した甲斐があったと言える。
搬出後の夕食の時に、作家たちから感謝のプレゼントをもらい、改めてこのフェアーに参加した喜びを噛み締めている。
スタッフの寺嶋にも、日本とのやり取りも含めて、寝る時間もほとんどないような忙しさであったが、そのお陰もあって、成果を得ることができたことに心から感謝している。
特に毎日お昼に持ってきてくれたおにぎりの美味しさは忘れられない。

11月16日

帰りの飛行機で疲れからか、風邪を引いてしまったようだ。
とはいえ、休んでいる暇はなく、明日から始まる室越展の展示が始まる。
ニューヨークのフェアーであくの強い絵の氾濫に辟易としたせいもあって、ひときわさわやかに見える。
今回は以前からの人物から大きく離れ、風景を主体とした画面構成になっている。
室越特有の洒落た画面が白い空間にマッチし、ニューヨーク帰りの疲れを癒してくれる。
僅か1週間ちょっとの滞在だったが、どうも私にはニューヨークは肌に合わないようだ。
というより、なぜか行き交う人やショップの店員、ホテルのフロント、どこを見ても無愛想で、可愛げがない。
同じフェアーに参加した韓国の画廊主がアメリカはこんなに豊かなのに、どうしてみんな怖い顔をして歩いているのだろうと言っていた。
仕事のない人が憂鬱そうな顔をしているならわかるが、仕事をしている人がこんな顔をしていると、街自体が病んでいるように思えてしまう。
アメリカ人の作家にそんな風に見えるといったら、郊外に行ったらもう少し優しい顔をしているよと言われた。
偶々昨日帰って早々だったが、「国家の品格」の著者・藤原正彦氏の「日本のこれから、日本人のこれから」と題した講演を聴く機会があった。
市場原理主義を振りかざしたアメリカの価値観に同調したがために、日本人が本来持っていた価値観が失われることを嘆き、情緒感をひとつの価値観とし、憐憫の情、卑怯を戒める日本人の精神の気高さを取り戻すことが急務と語られた。
帰国早々の私にはいたく心に響き、時の総理大臣や幹事長が「金があれば何でも買える」と謳った若者を褒め称え、わが息子よと持ち上げた時から、どこか歯車が狂いだしてしまった日本の姿とニューヨークの体験がダブって見えて仕方がなかった。
会場への運送業者や備品の貸し出しも全てユニオンが牛耳り、私たちが希望した業者を使うことさえできないアメリカで、何が機会均等で、何が競争社会かと問うてみたい。
勝手な理屈を振りかざし、グローバル化の美名の下に、アメリカナイズされていく日本を憂い、独自の価値観が失われていくことを嘆く藤原氏に大喝采である。

11月19日

先週の土曜日、シンワのコンテンポラリーオークションにお客様の依頼もあって出かけた。
このオークションが過熱気味のコンテンポラリー市場に水を差すか、もしくは更に続くのか、ひとつの目安となるのではと考えていた。
アメリカの景気後退や韓国オークションの弱含みを考えると、私はどちらかと言うと、厳しいオークションになるのではと予測をした。
ところが私の予測は見事に外れた。
先ずは、会場に行くと大勢の来場者で溢れかえっていた。
5時から始まったオークションだったが、終了したのは何と10時半で、その間休憩無し、夕食無しは、ニューヨーク帰りで風邪をひいている私にはかなりきつい。
確かに、高騰をしていたリ・ウーハンの作品だけは今までの勢いはなかったが、私が知らない無名の?若手作家がエスティメート価格の上値をはるかに超える価格で次々と落札されていくではないか。
若手だけではない、草間や奈良などオークションの常連の作品も高値で落札されていく。
サブ・プライム暴落などどこ吹く風である。
特に目に付くのが、イラスト、漫画風の作品が異常に高い事だ。
先日の日記で中国、韓国に比べて、日本人の作品は質が高く安いと書き、世界で評価される背景には世界を席巻しているアニメ・コミック文化があると書いてきたが、そんなことを気軽に言ってられない状況になってきた。
私もそれなりに若い作家に精通しているつもりであったが、これだけ知らない作家がいて、高値で落札する人たちも私が知らない人ばかりだと、別世界に迷い込んだようなショックを受ける。
20代から30代の作家たちだから知る由もないのは当然なのだが、こうしたオークションで堂々と値段がつくこと自体も私には理解ができない。
それも奈良や村上の二番煎じで、情緒も無く、感性のかけらもない作品に群がるこの現象に怒りさえ覚える。
こうしたオークションに私どもの作家の作品が一点も出ないことを誇りにさえ思う。
依頼の韓国作家の作品もそうした中ではもちろん落とすことができなかったが、私が好きでほとんど誰も声をかけなかった小野隆生の作品を安く落とせたことがせめてもの救いである。

まだこのブームが続くとしても、私は確信する、間違いなくこうした作家たちの作品が暴落する事を。
美術市場が注目されるのはうれしいが、投機市場であって欲しくない。
新しい作家たちが評価をされるのはうれしいが、個展の積み重ねの結果であって欲しい。
新規のお客様が増えるのもうれしいが、オークションの結果で、個展の会場に朝早くから行列するようなお客様であって欲しくない。
土曜日から始まった室越展はとても質の高い作品が並んでいると思うが、一点の成約もない。
若手ブームのあおりを受けているとしか思えない。
若手の紹介には無論努めるが、これまで紹介してきた作家達もまた振り返ってくれることを信じて支えていきたい。

11月21日

23日から26日まで、北京で開催される展覧会のため、スタッフ全員と出品作家とその家族総勢18人を引き連れて北京に出かける。
これはこれで楽しみにしているのだが、さて展覧会のカタログの件で、土曜日からスタッフは夜中まで大わらわである。
校正を再々催促しているにもかかわらず、ぎりぎりの土曜日に送ってくるからいい加減にしろである。
その上、月曜日には修正したものを欲しいときたから、さあ大変。
ちゃんとした英訳ならいいのだが、ひどい英語で、序文を書いていただいた本江先生もこんな文章なら載せないでくれとお叱りを受ける始末。
相変わらずの海外のギャラリーのルーズさにあきれている。
結局は英文をあきらめ、日本語と中国語で出すことになった。
さて、そんな大騒ぎをしているところに金井訓志氏の紹介で外人の女性が面接にやってきた。
金井さんの友人の息子さんのフィアンセということで紹介をされた。
とにかく今回もそうだが、毎日のように海外とのメールのやり取り、海外アートフェアーへの参加、海外からのお客様など英語を使わない日はなく、辞書を引き引きてんやわんやの大騒ぎである。
そんなこともあり、英語の出来るスタッフを探していたので、どんな女性が来るか楽しみにしていた。
いざ、会ってみると期待以上というか、私のところのような画廊でいいのかと戸惑うばかりの女性であった。
オーストリアのウィーン大学・大学院の日本語学科と美術歴史学科を首席で卒業し、更にオックスフォードと都立大学に奨学生として留学した経験もある才媛で、その上母国語のドイツ語のほか英語、仏語、ラテン語、日本語がペラペラと来たから非の打ち所がない。
父親とお兄さんが彫刻家、母親が画家の美術一家に生まれ、持ってきた履歴書にも「蛙の子は蛙」と書いてあるから驚きである。
卒論も「日本の画廊」で、学生の時にはワコウ・ワークス・オブ・アートやギャラリー小柳で企画や翻訳の仕事を経験したというから、鬼に金棒である。
私たちが北京で留守をする土曜日から来てもらうことになったが、才色兼備の若い女性・テティス・ケデルをほかのスタッフ同様によろしくお願いしたい。

11月22日

ニューヨークのアートフェアーで会ったシンガポールのコレクターが画廊を訪ねてきた。
会場で気に入った呉亜沙の他の作品を見たいとのこと。
海外のアートフェアーではいつもそうなのだが、必ず見た人の何人かが画廊を訪ねてくる。
今まで参加した日本のアートフェアーでは、多くのお客様の出会いがあっても、その後につながる事はまずなかった。
海外のコレクターのスケールの大きさとフットワークの良さには驚かされる。
まだ若いご婦人なのだが、上海にも家があって、9月の上海のアートフェアーも見てきたそうだ。
大作を中心に何点かを見てもらい、候補を絞って明日また来てくれることになった。
今日から画廊に来てくれているテティスの英語力がものをいって、大きな 作品が決まるといいのだが。

中国日記はスケジュールが目一杯で、送れるかどうかわからないが、その時は後日の報告を楽しみにしていただきたい。

11月23日

午後4時成田にスタッフを含め12人が集合。
他4人は別便で北京入りの予定。
PYOギャラリーに全てまかせきりで、果たして空港に迎えに来てくれているのか、明日からのスケジュールは予定通りなのか、不安だらけで飛行機に乗り込む。
現地時間の9時半過ぎに無事北京空港に到着。
着いてみると行く前の心配はまったくの杞憂に終わった。
到着口には、PYOギャラリーの北京ディレクター李さんと今回のツアーの添乗員韓さんが待っていてくれた。
李さんは背の高い知的な美人で10時近い時間にもかかわらず、笑顔で迎えてくれた。
添乗員の韓さんも日本語ペラペラの女性で、先ずは一安心である。
ホテルも飛行場から20分ほどのところにあり、ホテルの部屋も広く、清潔で、ニューヨークのホテルとは大違いである。
短期間なので、スケジュールも目いっぱい、明日は6時起床で市内観光の後、展覧会のオープニングパーティー・アーティストトークが予定されている。

11月24日

朝7時半出発。
北京の空は灰色に覆われている。
太陽もぼんやりと微かに見える程度で、どんよりとした空を見上げると重苦しささえ感じる。
それにもまして空気が焦げ臭く、喫煙室にはいっているようで息苦しい。
来年8月のオリンピックのマラソンは暑さよりはこの空気との闘いになるに違いない。
天安門広場から故宮に入る。
とにかく広い。
すでに大勢の観光客で賑わっているが、その広さの中ではひしめき合うといった感じがしない。
故宮に入るが行けども行けども尽きないほどの門と宮殿がある。
万里の長城を造るくらいだから、このくらいのことは驚くには当たらないのだろうが、それにしても広い。
2時間ほど歩いて、ようやく裏側に出る。
早めの昼食(おいしいがとても食べきれないくらいの量が出てくる)を終え、次に向かったのは今や観光名所化されてしまった798と呼ばれる画廊街である。
古い工場跡地に100軒以上の画廊が軒をそろえ、外から見ると無味乾燥な建物が立ち並んでいるようにしか見えないが、中を覗いて吃驚。
これまた故宮のごとく大きく、あきれるばかりだ。
このあたりの画廊廻りをするには2日ほどかかると言われていたが、まさにそのとおりである。
オープニングの時間が迫っていて、ほとんど時間がなく、2軒ほど見た後、この中にある東京画廊をやっと探し出して寄ったくらいで、画廊廻りは次の機会に譲ることにした。
(そう言えば、ニューヨークでもチェルシーの画廊街を一軒も見ることなく帰ってきたのだから、少しでも見られたのは良しとしなければいけない。)
こちらで東京画廊を見た人が、銀座の東京画廊を見たらさぞかし驚くに違いない。
この街区とは別に、新たに酒造工場跡地に同じような画廊街が出来ていて、PYOギャラリーはここにある。
展覧会の様子はまた明日紹介したい。

11月24日の続き

この地域も、日本では考えられないくらいの広大な画廊ばかりで、PYOギャラリーはそうした中にあって2棟のスペースを持つ、ビッグギャラリーである。
PYOギャラリーの女性オーナーが温かく迎えてくれる。
展示風景は後日写真で紹介するつもりでいるが、広い会場に、それにも負けない大作が並ぶさまは、まるで美術館にいるような錯覚さえ覚える。
羨ましい限りの素晴らしい展覧会で、日本の方に見ていただけないのが残念でならない。
アーティストトークもそれぞれの作家が自分の作品について語ってくれたが、皆かなり緊張していたようだ。
夕方を過ぎるとこの広いスペースはかなり冷え込み、その上パーティーの食べ物が画廊の外の中庭においてあるから堪らない。
おそらく3度か4度くらいの中、凍えそうになりながら、冷え切った料理を食べることになった。
中国の新聞記者からインタビューを受ける。
アーティストトークもそうだったが、通訳を日本語の出来る添乗員に頼んだようで、美術のことをまったく知らない人間では果たしてどのくらい伝わったかは疑問である。
初日にもかかわらず、すでに100号、150号の作品が15点ほど売れていて、聞いてみると香港から早くに買いに来たコレクターもいて、幸先はいいようである。
私どもで発表もしくは発表予定の作家の作品がその大半を占めていて、それはそれでうれしいが、願わくば満遍なくどの作家の作品も売れてくれることを祈る。
夜は韓国の老舗・現代画廊が経営するお洒落なレストランに案内される。
韓国や中国の大きな画廊はカフェーやレストランも経営していることが多いが、中国の人気作家たちも同じように豪華なレストランを持っているというからあきれる。
ここはフランス風にアレンジした中華料理を食べさせることで有名で、だいぶ前から頼まないと予約が取れない人気のお店だそうだ。
これまたおいしいがとても食べきれない。
何から何まで至れり尽くせりで、感謝してもし尽くせないほどの歓待にどうお返しすればいいのか戸惑うばかりである。
明日も一日観光を手配してくれていて、早くにバスが迎えに来ることになっている。

11月25日

今朝も7時半出発で一日北京観光。
貸切バスから添乗員、食事、ホテル、航空運賃全てPYOギャラリーが負担してくれていて、逆にこちらがその立場だとしたら、とても出来ない企画である。
先ずは、歴代の皇帝が祀ってある十三陵の一つ定陵に行く。
長い階段を降り、棺が安置されていた部屋に向かう。
昨日の故宮でもそうだったが、何を見てもスケールが違う。
こうした建造物を作るためには、重い石を運ばなくてはならないのだが、寒い時に道に水を撒いて地面を凍らして運んだとのこと。
先人の知恵である。
次に向かった万里の長城でスケールの大きさの極め付けを見ることとなった。
この城壁が延々6000キロに及ぶと言うから圧巻という他ない。
強い風に吹き飛ばされそうになりながら、急坂を頂上とおぼしきあたりまで登る。
長城から見下ろす景色は壮大で、4000年の歴史の重みをいやと言うほど思い知らされた。
昼は飲茶、夜は北京ダックとこれまた中国を充分に堪能し(さそりのから揚げが出てきたのには驚いたが、沢蟹の味とそんなに変わらない)、最後に京劇観劇で締めくくった。
その間、メノウ・七宝・お茶のお店と連れて行かれ、否が応でもみやげ物を買わされるのだけは閉口したが、濃厚な一日であった。
この企画をしていただいたPYOギャラリーには、作家ともども感謝してもしきれない思いでいっぱいである。
明日は5時起きで、あっという間の帰国となる。
30日の夜には、カタログの序文を書いてくださった本江邦夫氏を囲んで、報告会を開く予定で、短い間だったが親しくさせていただいたみんなと再会できるのを楽しみにしている。

11月30日

ニューヨーク、北京、と続き、風邪はひどくなるばかり、北京のスモッグが更に風邪をこじらせってしまったようだ。
昨日から韓国の画廊さんが、今日のエスト・ウエスト・オークションの参加を兼ねて私のところにやってきた。
韓国との仕事のきっかけを作ってくれたメキャンギャラリーの金さんで、久しぶりの来日である。
この前もシンワオークションで落札を依頼されたが、落とすことが出来ず、今回はどうしても欲しい作品があって、直接入札しにやってきた。
来日前日にもソウルでオークションがあって、7点ほど出品されたリ・ウーハンの高額作品が全て不落札となったそうで、いよいよそうした時期にさしかかってきたようである。
金さんもそうした事情を知った上で、今回のオークションに臨む。
私がお願いをしようとしていた韓国作家の作品も、このオークションの結果を待って、明日の朝9時に画廊で相談の上で決めたいとのことだから、影響大である。
リ・ウーハンは仕方がないが、他の韓国作家に波及しないことを祈る。
今夜は7時半から北京の帰国報告会を兼ねたパーティーを画廊で開くことになっていて、そのときの参加者や参加できなかった山本麻友香一家もやってくる。
賑やかになりそうだが、私にはオークションの結果のほうが気になって仕方がない。

12月1日

朝9時前に画廊に向かうと、金さんは既に画廊の前の公園でコーヒーを飲みながら待っていた。
70を過ぎたとは思えない元気さと、いつもながらの時間の正確さには頭が下がる。
私も昨日は夜10時近くまで北京の報告会をかねたパーティーを画廊でやっていて、60過ぎにしてはよく頑張っていると思うのだが、金さんにはかなわない。
それでも、昨日は10時半を過ぎてもオークションは終わらなかったようで、タフな金さんもさすがに疲れたようである。
それと昨夜、韓国の美術業界を揺るがす大事件が起こったようで、そのニュースを知らされ、眠るどころではなかったらしい。
その事件は詳しくはわからないが、韓国屈指の美術館三星美術館の館長の巨額な隠し資金が見つかり、逮捕されたということらしい。
だいぶ興奮して喋っていたので、画廊業界にとってもかなりショッキングな事件なのだろう。
そのためもあってか、オークションの結果よりも事件のことで、韓国作家の作品の価格のディスカウントを要求され、そんなことを言われてもと、こちらも頭を抱えることになった。
お客様からの依頼作品のため、私一存ではいかず、お客様と相談の上来週返事をすることにした。
いやはや、海外と仕事をすると、こういう他所のことまで影響してくるのかと、暫し考えさせられる出来事であった。
せっかちな金さん、矢継ぎ早に用事を済まし、台風襲来のごとき慌しさのあと、あっという間に箱崎に向かった。

12月2日

多分そうなるであろうと予測はしていたが、クリスティーズのアムステルダムのオークションに山本麻友香の作品が出品され、そのカタログが送られてきた。
香港クリスティーズとは違い、日本人作家で出ているのは彼女一人で、ルイーズ・ブルジョア、デュマス、、リヒター、など今話題の作家たちや、エッシャー、アペルなどそうそうたるオランダの作家たちの作品に混じって出品されている。
3年ほど前のアムステルダムのアートフェアーに出されたもので、12号の小品だが、エスティメートは下値で当時の倍の価格が提示されている。
どのような結果が出るかわからないが、香港や日本のオークションのような馬鹿げた価格にならないように祈るばかりである。
と言って不落札になるのも寂しいが、経過を見守るしかない。

12月3日

明日の朝ソウルに出かける。
少しゆっくりしたいのだが、土曜日から渡辺達正展が始まることもあり、3日間の予定で行ってくる。
来週も3日間ほど今度はテグに行かなくてはならず、今年は最後まで海外の仕事に関わることになった。
展覧会の打ち合わせが主な仕事なのだが、集金も兼ねていて、送ってくれればいいものを取りに来いと言う。
外為法もあってまとめて持ってくることが出来ず、、行くたびに少しづつて集金してこなくてはならない。
友人や家内からは、たびたびの韓国訪問を怪しむ気配もあるが、日記を読んでくれれば、如何に品行方正、仕事一筋であることをわかってくれるはずである。
と言うことで、身の潔白を証明するためにも、韓国滞在日記で近況を報告させていただく。

12月4日

昼の便で韓国に出かける。
先ずはソウルオークションのあるカナギャラリーに向かう。
ギャラリーの横にギャラリー同様の巨大なビルがあり、そこがオークションハウスとなっている。
耳がちぎれるような寒さで、入り口付近には氷が張っている。
オークション担当の美人の蘇さんが迎えてくれる。
以前担当だった女性と彼女は、年齢も、背格好もそっくりで、途中で蘇さんに担当が代わったのに気づかず、てっきり整形手術をしてきれいになったと思っていた。(前の担当の女性には失礼だが)
暫らくの間、彼女は私との話がかみ合わなくて、不思議に思っていたに違いない。
明日からのオークションの下見会をやっていたが、リー・ウーハンの価格の雲行きが怪しくなっているせいか、かなり不安げの様子。
次回は日本のオークションの影響もあって、ぜひ日本の若手作家を出して欲しいと頼まれる。
オークションと言えば、画廊から電話があって、アムステルダムではどうやらオランダのコレクターが、山本麻友香の12号の作品を80万円で落としたとの報せが入った。
オランダの画廊からも50万くらいで落とすとのメールが入っていて、不落札になる心配だけはなくなりほっとしていたが、日本の発表価格の倍以上の評価をどう判断したらいいだろうか。
あまり評価されないのも悲しいし、といってあまり高くなるのは投資家の餌食になりそうで嫌だし、複雑な気持ちである。
どちらにしても、個展での価格はリーズナブルな価格でやって行きたいと思っている。
そこでの用事を済まして、今回もお世話になるリ・ユンボク君とプルコギを食べに行く。
彼は東京芸大の大学院彫刻科を卒業し、それ以来の縁で、来年の京橋界隈展で個展を予定している。
私どもでは、韓国のフェアーでは毎回紹介をしていて、高い評価を得ており、日本でも2軒ほどの画廊が東京国際アートフェアーなどで紹介をしている期待の作家である。
いつも韓国に行くたびに彼には通訳と運転手をしてもらっていて大助かりである。
彼の家はソウルから車で1時間半ほどかかるところにあるのだが、嫌な顔一つせず、早朝から夜遅くまで私のサポートをしてくれていて、私が最も信頼をよせている青年である。
明日も早朝から展覧会の打ち合わせに立会い、午後には彼の運転で片道4時間ほどかかるテグに行く予定である。

12月5日

朝9時に北京展でお世話になっているPYOギャラリーの社長がホテルまで車で迎えに来てくれた。
北京同様にそのホスピタリティーには感心する。
韓国の画廊の朝は早く、9時半にはスタッフは勢ぞろいである。
次の企画で、北京展にも選ばれ、来年1月に私のところで初個展を予定している堀込幸枝の個展を、引き続き3月にソウルでやらしてもらえないかとのこと。
彼女は学生のときから際立っていたとのことだが、デビュー早々いきなり忙しくなりそうだ。
更に新しいメンバーで、引き続き5月に北京で若手作家展を開催したいとのことで、その人選を任された。
来年も海外出張が多くなりそうだ。
続いて、ニューヨークでホテルからフェアーの会場までの朝の散歩ですかっり親しくなった珍画廊を訪ねる。
韓国でも老舗の画廊で、草間弥生を古くから韓国で紹介しており、入り口には巨大なかぼちゃのオブジェが置いてある。
ここのマダムは日本語がペラペラで、麹町にもマンションを持っていて、伺うと早速に抹茶を点ててくれるという筋金入りの日本通である。
丁度、辰野登恵子新作展を開催していたが、ほとんどが100号以上の大作で、そのうち300号を始めとして大作ばかり10点以上が売れているのには驚いた。
日本からわざわざ買いにこられたお客様もいたそうだ。
マダムにおいしい韓定食をご馳走になったうえ、ニューヨークでのおにぎりのお礼と言って、大きな段ボール箱に一杯の韓国海苔をいただいた。
この海苔で一年分のおにぎりが握れそうである。
食事を終えて、ユンボク君の運転でテグに向かう。
約4時間かかって、夕方遅くに新羅ギャラリーに到着、集金のためとはいえ、あまりに遠い。
先だって買ってくださった草間とリ・ウーハン、それにステラを加えた3人展を開催していた。
近くにあるメキャンギャラリーの金さんも加わり、新羅ギャラリーの中にあるイタリアンでパスタとステーキをご馳走になる。
金さんも明日から北京に向かう忙しい最中であったが、こうして歓待をしてくれるのは韓国ならではである。
夜遅くまで話が弾み、ソウルに着いたのは夜中の1時半を過ぎていて、彼にはホテルに泊まるように言ったのだが、遠慮をして近くのサウナで夜を過ごすと言う。
ホテルの部屋も遅すぎて、空き部屋がなく、申し訳ないがそうしてもらうことにした。
来週の月曜日に今回買ってくれた作品の集金で再度テグまで行くことになり、またまた彼には厄介をかけることになってしまった。
ユンボク君の家の近くに温泉の出るホテルがあるということなので、たびたびの韓国行きを疑われないためにも、かみさんを連れて行くことにした。

12月6日

昨日が遅かったにもかかわらず、早くにユンボク君が迎えに来てくれる。
今日は、ニューヨークで知り合った韓国の画廊IHNギャラリーを訪ねる。
国際画廊、現代画廊や夏にグループ展を開催してもらったサン・コンテンポラリー・アートなど韓国屈指の画廊が立ち並ぶエリアにあって、同じように巨大なスペースを持つ画廊である。
国立博物館や、大統領官邸・青瓦台の目の前で、絶好のロケーションにある。
どの画廊もそうだが、大作が並ぶ企画展を開催している。
今までの日本の大手画廊だと有名大家を並べた常設画廊が常だが、こちらは大規模な個展が中心である。
それぞれが立派なカタログを作っていて、今の日本では考えられない展覧会が見られる。
ただ不思議なのは、どの画廊でもお客の姿を全く見ないのである。
これだけの規模なのにどうして売るのか不思議でしょうがない。
それが売れているからますますわからない。
うちのように人はたくさん来るが売れていないのとは大違いである。
この画廊で来年の6月から7月にかけて、ニューヨークのフェアーに出品した山本、服部、呉を含めた6人のグループ展を企画したいので協力して欲しいとの依頼を受けた。
各作家、50号から100号を3点づつと言われたが、それぞれに個展やグループ展、アートフェアーへの出品の予定があり、果たしてどのくらい応じられるかわからないが、作家の皆さんよろしくお願いをします。
昨日訪ねた珍画廊でも展覧会考えたいので、資料を出して欲しいと言われていて、ニューヨークのアートフェアーの余韻が続いている。
来週早々にもまたテグに行く用事があり、ユンボク君に手伝ってもらうことになるのだが、こう頻繁だと事務所でも作って彼に支店長にでもなってもらえればいいが、制作一筋の彼にとてもそんなことは言えない。
忙しすぎて、ひいていた風邪もどこかに飛んでいってしまったようだ。

12月8日

帰って早々だが、お客様から作品の売却依頼があり、朝から出かけることになった。
猫30匹の家で、その匂いで目眩がしそうになるのだが、冬だから少しはましと思って出かけたが、玄関を開けたとたんに立ちくらみ。
いろいろな作品を出してもらったが、以前から出して欲しいとお願いしていた60年代から70年代にかけて制作をした四谷シモン・加納光於・三木富雄・篠原有司男と言った錚々たる作家のオブジェ作品で、ようやく日の目を見ることになった。
価格の折り合いがついたら順次紹介をしていきたい。
作品やっとのことで出して玄関を出ようとしたら、靴に猫のおしっこがかけられていた。
作品にかけられないうちにと早々に退散した。

12月9日

昨日お客様から作品を出してきた帰りに、NPO法人AITの企画による高木さとこ展を覗いた。
彼女は京都の作家で、夏の大阪のフェアーにも出品し、来年秋にはうちで個展も開催予定をしている有望新人である。
朽ち果てなんとする玩具をテーマに描いている作家だが、微妙な色の重ねとテーマに魅せられ、訪ねた画廊で衝動買いをしたのがきっかけで縁ができた。
今回序文を寄せたサラリーマンコレクターとして知られる御子柴氏の言葉を一部引用する。
「愛玩していた人形や道具が古びたり、壊れたりして捨て去られようとしているとき、その対象に格別の愛惜の情を注ぎ込む傾向が彼女にはある。
それは彼女が心根の優しい人であることを証明している。
しかしながらそれだけでは現代人の心をつかむことは出来ない。
その朽ちかけた、あるいは傷ついた人形からユーモアとともに狂気をも描きこんでいるからこそ、現代人の心に突き刺さるのである。
それが彼女の絵が現代に行き続けている理由である。」
私どもでの発表を期待していただきたい。
いまひとつ若手の活躍をお知らせしたい。
5月に発表したフォトアーティスト岡本啓が、アートソムリエ山本冬彦氏から教えていただいたREICOT・ART・AWARDに出品したところ準大賞を受賞したとの知らせが届いた。
小さなコンクールだが、何はともあれおめでたいことで、先般開かれた美術クラブでのコンテンポラリーアートフェアーでも、大阪の画廊のブースでは展示をしてもらったところそこそこ作品も売れたようで、彼の仕事も着実に評価されてきたようだ。
8月に初参加をする台北のアートフェアーでも、彼の作品を紹介したいと思っているので、頑張って欲しい。
若手ばかりに目が向くが、多摩美教授の渡辺達正展も始まった。
彼とは学生時代からの付きあいで、銅板画一筋で頑張ってきた作家である。
駒井哲郎の愛弟子の一人で、銅版画のテクニックはその追随を許さない。
今回は前回から取り掛かっている、石膏にプレスををすることなく銅板を転写する独自の技法で、壁一面を飾っている。
クリスマスにふさわしい展示となっているのでぜひご覧いただきたい。

12月12日

先週に引き続き、今週もソウルに行ってきた。
今回もユンボク君の運転でテグに8時間かけて往復することになり、彼には厄介ばかりかける。
彼のアトリエ近くの温泉付きのホテルを取ってもらい、家内は大喜び。
テグでは用事を済ませた後、以前に行った事のある薬屋さんばかりが軒をそろえる薬令市というところに行って、朝鮮人参の薬を買って帰ることにした。
風邪も治りきらず、出張続きで疲れもたまっているので、これを飲んで元気回復。
これを飲んだとたんに身体が熱くなるから不思議だ。
テグの帰りは濃い霧に包まれ、一寸先も見えない中をユンボク君のアトリエに向かう。
畑に囲まれた中の一軒家なので、まったく明かりも見えず、緊張で体が硬直したままでようやく到着。
彼の家もアトリエもびっくりするくらい大きいが、アトリエは丁度私の画廊の倍くらいあるから100坪はあるだろう。
彼に言わせると韓国の作家たちのアトリエに比べるとこれでも足りないくらいと言うから、私のところで発表している作家たちが聞いたら、袋叩きにされてしまうだろう。
家の周りには60本の桃の木があって、8月、9月にはおいしい白桃などいくつかの種類の桃が生るそうだ。
丁度来年はその時期にアートフェアーがあるので、桃狩りを楽しみにしたい。
これまた野中の一軒家のようにぽつんと建っている料理屋さんで、石鍋に入った五穀米みたいなご飯を食べるが、これがおいしく、ご飯をよそった後にお湯を入れておくと、おこげがそぎ落ち、これがまた美味。
翌日は遅めに迎えに来てもらうことにして、温泉につかり、垢すりをしてもらい、しばしの休息を楽しむことが出来た。
とは言え、慌しさは変わらず、ソウルの画廊で来年の個展やグループ展の打ち合わせをサンドイッチを頬張りながら済ませ、帰りの飛行機に乗る。

12月13日

帰ってそうそう私が理事長をつとめる画商組合の冬季大会があり早くから会場に向かう。
組合員だけではなく、ビジターの画廊も招いてのディーラーズオークションである。
過熱気味の公開オークションに押されて、いわゆる交換会といわれる業者だけの会は低迷をしていて、わが会も昨年の出来高から3割減となってしまった。
今回は年末を控え、その動向がどう出るか気になるところであったが、若手作家に押され、著名な作家の作品は軒並みダウンとなってしまい、更には李、草間といった暴騰していた作家の作品にもまったく声がかからず、あの勢いはどこに行ってしまったのかと思うくらいの低迷振りとなってしまった。
最近の公開オークションでも、若くして亡くなった石田徹也が6000万円、一昨年のVOCA賞作家日野之彦の作品が2000万円ととどまるところをしらない。
つい最近に購入した30そこそこのそれも初個展の作家の作品をオークションに出して、そのお金で日本の美術史に残るような今までは高嶺の花とあきらめていた作家の作品を買ってもお釣りが来てしまうのだから怖い。
こうしたねじれ現象を一体どう考えたらいいのか、私にも見当がつかない。
それなりのバランスを考えると、おのずからリーズナブルな評価が得られると思うのだが。
明日にはオークションに踊らされた作家たちが、李や草間と同じ憂き目に合うのは目に見えている。

12月14日

台北のアートフェアーの事務局からの依頼で、来年8月に開催される台湾アートフェアーの日本での説明会の準備に追われている。
ソウル・北京・上海と盛況なフェアーも台北に飛び火し、既に85%のブースが埋まってしまっているらしいが、日本の画廊の参加が少ないこともあり、お手伝いすることになった。
1月15日に台湾大使館で開かれる説明会にはシンワオークション社長の倉田氏や月刊ギャラリーの編集長本田氏の台湾アート事情の講演などもあり、興味のある方は私どもに問い合わせていただきたい。
再々のお誘いもあり、また台湾のコレクターや画廊にも作品を買っていただいていることもあり、参加をすることにしたが、何でも引き受けてしまう私の悪い癖で、スタッフにはまたまた忙しい思いをさせてしまっているようだ。
そんな中を今日はMさんのお宅に伺う。
お願いしていた作品を10点ほど持っていくのと、その展示をすることになっていてスタッフとともに訪ねた。
既に壁に隙間なく作品が飾られているのだが、Mさん見事に計算していて、あちこちを入れ替えしつつ、60号の作品や大きなオブジェ作品がぴたりと隙間に収まっていく。
昼過ぎに伺い、終わったのは8時を過ぎてしまったが、何とか展示を終えることが出来た。
作家にとっては飾って見てもらえるのはありがたいことで、このフロアーだけでも50点余の作品が所狭しと飾られている。
もうこれ以上はいる余地はなそうだが、見てみると1階から3階に続く階段の壁がまだ開いているではないか。
梯子さえ持って来れば、まだまだ作品を飾っていただける余地があることがを確認に出来、Mさんピクチャーレールの取り付けと購入予算のほうをよろしくお願いします。

12月15日

忙しい日が続き、8日から始まっている「現代絵画の展望」展をまだ見に行ってない。
JR東日本・東京ステーションギャラリーの企画による展覧会で、2012年の再オープンまで駅や関連施設を使っての企画展を続けていて、今回は旧新橋停車場・鉄道歴史展示室と上野駅2階の展示スペースを使い開催されている。
ギャラリストや有識者、愛好家などのアドバイスをもとに選定された未来に繋がる作家12名に新作制作を依頼し、小規模だが内容のある展覧会である。
既に著名なり・ウーハン、加納光於、篠原有司男、池田龍雄、辰野登恵子といったベテラン勢と小林考旦、山本麻友香、丸山直文、山口啓介、曽谷朝絵といった若手作家の組み合わせとなっていて興味深い。
この作品の内1点は収蔵され、再オープンの際には改めて収蔵品展として公開されることになっている。
他にも見たい展覧会があって、久しぶりの休日となる明日にでも見に行くつもりでいる。

12月16日

日曜日は師走の雑踏にもまれながら展覧会巡りをしてきた。
以前に2度ほど企画した川口淳の個展を久しぶりに見ることができた。
ポップな作品で知られる彼だが、ここ5年ほど京都の大学で教えることになり、作品を発表する時間がなかった。
私の画廊で時々出している鮮やかな色彩に彩られたコーヒーカップはなかなか好評で、ぜひ譲って欲しいと言われることが多いが、ようやく彼の作品を紹介できることが出来そうだ。
といっても私のところでは器よりオブジェ作品を見せることになるのだが、工芸を取り扱う機会がそうないだけに、一日も早い発表が待たれる。

12月18日

昨日は私が会長をしているロータリークラブの年末家族会があって夕方から出かけた。
社会奉仕や青少年への教育支援活動を主な事業としているクラブで、色々な業種の人たちが参加をしている。
今年度の会長ということで、多くの会合に出なくてはならず、スケジュールのやりくりに四苦八苦しているのだが、この年末の集まりだけは夫人や子供さん、お孫さんまで大勢の人たちで賑わう楽しみな会の一つである。
私のところでホームステーしているアンジェリカも教育支援活動の一つでブラジルから引き受けてお世話をしている。
丁度メンバーに和服の学校の理事長がいて、彼女に華やかな振袖を提供してくれた。
小柄な彼女には和服姿はとてもよく似合い、丁度学校で習っている日本舞踊をみんなの前で披露した。
昔に子供たちが学芸会で発表したときのように、間違えはしないかハラハラドキドキして見守った。
先生からも大変筋がいいと折り紙つきだっただけに、私たちの心配をよそに堂々としたものだったが、それでもかなり緊張したのか、家に帰ると疲れから寝込んでしまい、今日は学校をお休み。
今我が家はアンジェリカ中心に回っていて、私たちも子育て時代にタイムスリップしたようで、てんやわんやの毎日である。

12月19日

久しぶりに一日画廊にいる。
ここ暫くは留守ばかりで、いつも来ていただくお客様にも失礼ばかりで申し訳なく思っている。
毎年交互に開催している桑原弘明展が近くのスパンアートギャラリーで開かれている。
相変わらずの人気で、早々に売れてしまったようだが、その中の一点・教会の作品はすごい。
制作に5ヶ月を要した力作で、中にはキリスト像やパイプオルガン、ステンドグラスなどが配され、よくぞこの小さな箱にこれほどのスケールの大きい場面を造れたかと感動ものの作品である。
価格も140万円と従来に比べかなり高額となっていたが、始まると同時に地方から来られたお客様が求められたそうだ。
それも価格を聞くことなくこれくださいと言ったというから驚きである。
他の作品も同じように価格表示がされていないにもかかわらず、先にこれをくださいと言う方ばかりだそうで、うらやましい限りである。
来年の12月は私の画廊の番で、同じような熱心なお客様が来て下さるように願っている。

12月20日

来年の画廊での展覧会スケジュールは既に決まっているが、その合間を縫っての海外アートフェアーや海外展の準備をしなくてはならず、今日はカレンダーとにらめっこ。
1月のロンドン、3月ソウル個展、4月の台北3人展、5月北京第2回新鋭12人展、6月ソウル3人展、台北・日中韓グループ展、7月ソウルグループ展、8月台北アートフェアー、9月ソウルアートフェアー、11月ニューヨークアートフェアー、12月ソウル個展と目白押しで、その上今年は無理だったがスペイン・シンガポール・メルボルンも視野に入っていて、来年から再来年まで毎月海外のどこかで展覧会をやっている勘定になる。
とは言え、私も海外ばかりでは日本のお客様に申し訳ないので、道筋が出来たところからスタッフに任せて、日本に腰をすえなくてはと思っている。
丁度、来年は私がこの世界に入って丸40年、京橋に出て25年、新しいスペースに移って5年と節目の年でもあり、家内のご宣託では大殺界を抜け、運気上昇の年だそうで、もうひと踏ん張りしなくてはならない。
次の節目の50年まで必死で頑張るとして、丁度72歳その頃には楽をさせてもらえるだろうか。

12月21日

昔パトロンという人たちがいて、無名の新人を自宅や別荘に住まわせたり、生活の面倒を見ながら、自由に制作をさせていた。
当時無名だった村上華岳や速水御舟を育てた原三渓、佐伯祐三を支えた山本発次郎、熊谷守一の木村定三氏などが知られるが、そうした人たちは陰で作家を 支えた。
画業を知ってもらうために画集を作ったりするなど惜しみない支援をした。
若手や未評価の作家の作品を多数コレクションし、美術館に寄贈している寺田コレクションの寺田氏もそうしたコレクターの一人である。
こうした大コレクターではなく、なけなしのお金をはたいて、無名の作家を買い求める絵好きなコレクターも多くいるが、ひたすら好きな作家を追いかけて、結果陰ながらその作家を支援し続けている。
われわれ画廊はビジネスだから支援とは言わないが、無名のときから繰り返し展覧会を企画し、紹介し、お客様に購入していただくことで、その作家を支えていくのが仕事である。
そうした繰り返しがなかなか継続しない時代になってしまった。
無名の若手の価格が勝手に一人歩きしてしまい、絵好きコレクターが追いかけられなくなってしまったこともあるが、コレクターも限られた作家だけでなく総花的なコレクションをするようになった。
私たち画廊も今までの作家だけではなく、若い才能のある作家に出会うと応援することになり、これまた総花的になってしまい、年がたつにつれて限られた作家だけを紹介することが出来なくなってしまった。
また、長い間紹介し続けてきた作家を、コレクターの方たちも新鮮さにかけるのか飽きてしまったのか、振り向いてくれることが殆どなくなり、そうした作家の個展は若手作家に比べると苦戦続きである。
ただ私たちはそうだからといって見捨てることは出来ず、また振り向いてくださることを信じて、支えていかなくてはならない。
画廊の仕事も一朝一夕にはいかず、難しいものである。

12月22日

しばらく暖かい日が続いたが、今日は雨模様の寒い一日になりそう。
今日で渡辺達正展も終了、画廊も28日で終わりで新年は7日からとなる。
新年8日からは新人の堀込幸枝展が始まる。
北京の新鋭作家展で選ばれた作家の一人で、企画したPYOギャラリーのオーナーも気に入り、3月にはソウルのPYOギャラリーの本店でも個展をすることになった。
いつもお世話になっているコレクターの方にも見ていただき、そのうちの何人の方からぜひ欲しいとのお話もいただいており、幸先のいい新年になりそうである。
同時にGTUでも、ギャラリーコレクション・コンテンポラリーを開き、普段展示できない作品をお見せしたい。
昨日もお客様の依頼で、作品の処分に伺い、その中に中村宏、藤野一友といった大変珍しい作家の作品が手元にきたのでご紹介したい。
幻想絵画に興味ある方にとっては垂涎の作品と思われる。
中村宏は先般東京都現代美術館で回顧展が開催されて注目を浴びたが、殆ど作品が世に出ることがなく、私どもも今回初めて扱わせていただくことになった。
一つ目の女学生や空を走る機関車の作品で知られるが、その特異な作風は、今流行のきもい系の作家のような薄っぺらなものではなく、濃密な世界が描きこまれている。
1980年に逝った藤野一友は知る人ぞ知るシュールの鬼才と言われた作家で、中川彩子のペンネームでSM雑誌に緊縛画なども発表し、そちらの危ない世界でも知られる特異な作家である。
三島由紀夫を通じ、澁澤龍彦との交流も深く、先日紹介した四谷シモンの人形、加納光於のオブジェ作品など何故か澁澤ゆかりの作家の作品が手元に来ることになり、先般埼玉や札幌・横須賀の各美術館で開かれた「澁澤龍彦幻想美術館」をご覧になった方にも興味ある展示になるのではないだろうか。
来年10月には晩年の澁澤龍彦との出会いで世に紹介された小林健二の個展や、まだ期日は確定していないが、澁澤展で紹介された神戸の幻想作家「山本六三遺作展」も予定しており、合田佐和子展以来亡き澁澤龍彦との縁が益々深くなった。

12月27日

後一日で仕事納め。
今年一年を皆様のおかげで恙無く終わらせることが出来ました。
毎月2回の個展、毎週のGTUでの展覧会、海外のアートフェアー・展覧会、京橋界隈オークション、コレクション展と数えれば何と多くの催事をしたものとあきれている。
貧乏性の私は常に何かをしていないと不安になるのか、矢継ぎ早に企画を考え、それも2年先くらいからのスケジュールを入れていくので、スタッフはたまったものではない。
右往左往するうちに一年がたってしまったのではないだろうか。
毎日遅くまで残って仕事をしてくれたスタッフにはひたすら感謝である。
私の期待にこたえるべく秀逸な作品を提供してくれた作家の皆さんにも感謝を申し上げたい。
更には、こうした作家の作品をご覧いただき、ご購入いただいたお客様があってこそ、今年一年を無事過ごすことができたわけで、心よりお礼を申し上げたい。
来年は7日より開けさせていただき、早速に8日より堀込幸枝展でスタートさせていただく。
期待の新人、ぜひとも皆様のお目にとまることを願っている。
少しはゆっくりしたいと思ってはいるが、どうやら来年も馬車馬のごとくというより、干支のとおり独楽鼠のごとく動き回る年になりそうである。
躓きそうになったら手を添え、ひっくり返りそうになったら後ろから支えていただき、皆様のお力を借りて、来年も邁進していきたいと思っている。
倍旧のご支援をお願いする次第である。
併せて皆様のご多幸をお祈りさせていただく。
良いお年を。

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