Diary of Gallery TSUBAKI

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1月8日

明けましておめでとうございます。
新年早々原油高、株価の暴落など先行き不安なスタートとなった。
果たして美術業界はどのような影響を受けるのか、一部バブル、その他不況の二極化のこの業界が今年はどのような様相を呈するのか、私にも予測がつかない。
今日もお見えになったお客様から投資家たちが美術大学に押しかけ、学生の絵を買い漁るという由々しき現状を聞かされた。
また現場の大学の研究室の中でもそうした状況下の中、声をかけられる学生とそうでない学生の間に不穏な空気が漂うようになって苦慮しているという話を聞かされた。
学校にやってきて作品を買うほうも買うほうだが、売る学生にも問題ありといいたい。
私は画商である以上作品が売れることにはやぶさかではないが、先ずは発表ありきと思っている。
個展を開き多くの人に見てもらい、賛辞を送られ、辛らつな批評を受け、そうした声に耳を傾け、自分自身も会場にて作品を見つめなおすことで、更にステップアップしていくのである。
私たちはその結果が売り上げに結びつくのであればそれはそれで喜ばしいことと思っている。
その発表の機会をなくして、直接に作家が売ってしまうのは既に売り絵注文作家への道に片足を突っ込んでしまったと言っていいかもしれない。
昭和48年のオイルショック前の新人ブームが記憶によみがえる。
あのころ青田刈りされた作家は誰一人として残っている作家はいない。
そうした風潮に惑わされることなく地道に発表を重ねてきた作家だけが今に繋がっていることを知るべきである。
学生を指導する大学でもこうした事態に対し、何らかの手を打つ必要があるのでは。
紳士然として何も知らない画学生を手玉に取り、手に入れた作品はオークションに直ぐに売り飛ばされるに違いない。
こうしたコレクターの仮面をかぶった絵画ブローカーを学内に入れない手段を講じるべきだし、学生にも先ずは制作ありき、更には発表ありきを知らしめるべきではないだろうか。
新年早々繰言になってしまったが、作家や画廊が正当な評価を受ける一年でありたいと思っている。

1月11日

お正月から暖かな日が続いていて、昨年の風邪はすっかり完治。
逆に家内は暮から風邪を引き、いまだにゴホゴホやっている。
知り合いのお寺ではじめて除夜の鐘をつかしてもらった私が元気で、つかずに一年の煩悩を落としそこなった家内は昨年の風邪を引きずっている。
画廊も始まって5日目だが、相変わらず忙しい。
スタッフは次回の北京展の資料作りや15日に開かれる台北アートフェアーの説明会のお手伝いに追われている。
私も来週半ばからまたソウルに展覧会の打ち合わせと集金に出かけることになっていて、のんびりとはしていられない。
堀込展も火曜日から始まり大きい作品はまだだが、小品はかなりの点数が売れてありがたいことと喜んでいる。
微妙な色彩が心地よく、ほんわりと真綿に包まれたような柔らかな雰囲気を醸し出している。
女子美の大学院を出てまだ2年目のまったくの新人だが、その完成度は高い。
画廊での発表はお金を出してやるものと思っていて、そのためにこつこつとお金を貯めなくてはと思っていた矢先に、北京展に選ばれ、私から個展の声がかかり、更にはソウルでの個展も決まるという状況の変化にいまだに夢心地状態だそうだ。
連休が間に入るが初個展でもあり是非ご覧いただきたい。

1月21日

正月明けからだいぶブログが滞ってしまった。
台北アートフェアーの説明会、ソウル行き、シンガポールアートフェアー事務局との打ち合わせとアジアの美術関係の仕事が続き、この間に三つの業者の交換会に参加するなど多忙を極めた。
ブログをゴーストライターにでも頼まなくては。
台北のアートフェアーは昨年のニューヨークのフェアーの折に日本の画廊にも参加をしてもらえないかとの要請があり、そのお手伝いをさせていただくことになった。
どのくらいの参加が見込めるかとの問いに、まあよくて10画廊くらいだと思うので、その分だけはブースを確保してくださいとお願いしておいた。
私のところを含めニューヨークで既に5画廊の申し込みがあったので、残り5ブースが果たして埋まるかと危惧していたのだが、とんでもないことになった。
何と説明会の会場は満席の盛況で、老舗画廊から新興画廊までずらっと来ているから驚いた。
当然これだけの人を集めておいて何故にブース数がこれしかないのかと、一斉のブーイングである。
私の見込み違いで、台北のスタッフには申し訳ないことをした。
台北の場合は申し込みの先着順でブースを確保することになっていて、残りがそれほどないことからこういうことになってしまったのだが、アジアへの関心がこれほど高くなっているとは驚きであった。
その後訪ねてきたシンガポールのアートフェアーの方にもこのことを話したが、彼らは賢明で既に日本の画廊の情報を得ていて、自分たちで有力と思う画廊を訪ね、オーナーに会い、画廊を自分たちの目で確認することから始めたようだ。
その中からこれはという画廊に参加要請をするとのことであったが、私が理事長をしている組合員だけには回りきれないのでインフォーメーションを流して欲しいとの依頼を受けた。
両方とも申し込みを締め切った後、審査をして決定することになっている。
私のところも全てに参加すると一年中海外を渡り歩くことになり、そのスケジュールをどうするか今から頭が痛い。
こうしたアートフェアーの盛況に比べ、日韓の美術市況は株安の影響もあるのかすっかり冷え込んでしまったようだ。
日本の交換会もソウルのオークションも3,4割の売り上げ減となってしまった。
こうした状況になるといっせいに投資家たちは手を引くので、私たちや絵好きのコレクターの方にとっては喜ばしいことかもしれない。
片や熱気、片や沈滞と新年早々両極を見ることになった。

1月22日

雪の初日となってしまった。
今日から野坂展なのだが、これだけ寒いと誰も見に来ない。
それでも有難い事に、野坂さんの作品を青森で見て一目ぼれしたという方が雪の中を来ていただき、作品を買ってくださった。
こういう時に買ってくださると喜びも一入である。
先週行ったソウルは昼から零下10度という寒さで驚かされたが、何故かこちらのほうが底冷えして仕方がない。
青森在住の野坂さんが作品とともに雪まで運んできたのだろうか。
外は寒いが、中に飾られた作品はどれも心が温まる作品ばかりである。
絵以外に交響楽団の指揮者であり、チェリストであり、詩人でもあり、エッセイストでもある野坂さんの作品にはその全てが織り込まれている。
音が聞こえ、詩が流れ、物語りがある。
そのどれもが見る人の琴線に触れ、心にぬくもりを与えてくれる。
おとといまで開催していた堀込展が大好評で新年早々からたくさんのお客様にお越しいただいたが、今回も寒さにめげず多くのお客様のお越しをお待ちしている。

1月24日

豊かな自然に囲まれた那須高原にあるニキ美術館はフランスを代表する彫刻家の一人ニキ・ド・サンファルの作品だけを展示する世界唯一の美術館である。
そこの増田静江館長には私が京橋に移ってきたころには大変お世話になり、多くの若い作家の支援をしていただいた。
那須に美術館が出来てそちらの生活が中心になってからは疎遠になってしまったが、昨年久しぶりに合田佐和子展にお出でいただき、懐かしくお話をさせていただいた。
2メーター余のポップな彫刻を中心に200点のコレクションはそれは見事なもので、その頃の館長の溢れんばかりの活力はいまだ失われず、その元気さをいただくことが出来た。
ニキのライフワークとなったイタリア・トスカーナにあるタロットカードをイメージした22体の巨大な彫刻郡が並ぶタロットガーデンの写真集を増田さんのご子息黒岩雅志氏が発刊されることになった。
ご案内をいただき渋谷パルコで開催中の写真展を拝見しに行ってきた。(1月17日〜1月29日 渋谷パルコパート1・ロゴスギャラリー)
その迫力と色彩の美しさが余すことなく写真で再現されていて、一度は是非タロットガーデンを訪ねなくてはの思いを強くした。
昨年ご主人の元パルコ社長でパルコ革命で一大センセーションを世に巻き起こした増田通二氏を亡くされ、少し元気をなくされているとのことで心配だが、いつまでもあの元気さを保っていただければと願っている。
ニキ美術館についてはホームページで検索していただきたい。

1月25日

おとといから野坂展が始まっているが、先日コレクターのMさんからコレクター仲間による推薦作家展で野坂徹夫を紹介したいというお話をいただいた。
私どもの空きスペースがなく、来年に近くの画廊でやっていただくことになったが、こうした応援団がいることは大変ありがたいことである。
そのMさんによるコレクター推薦作家「富永敦也展」の案内をいただいた。
コレクターの熱い思いと現状の美術市況を慨嘆する思いが語られているので転載させていただく。

この度、コレクターによる「冨長敦也展」を開催することとなりました。これは従来から行っているコレクター運動の一環であり、今回で第7回を数えるまでになりました。
 この運動はささやかではありますが、第一には世にいい仕事をなしながらまだまだ知られない存在の作家を応援すること、第二にはその作家を支えている画廊の活動を支援することにありますが、最大の目的は、そのひとりの作家を支えるコレクター達の行動と発言に社会的意義づけを与えるということです。わが国の美術を引っ張っていけるリーダーは誰か、美術評論家も、学芸員もその任を充分に果たしていないと思うのは私だけではないでしょう。
 であるなら鑑賞者の先端に位置するコレクターこそが立ち上がらなくてはならないと思うのです。しかしそのコレクターが投機目的でアートに現を抜かしているだけではこの国の美術はなんと壊滅的でありませんか。この運動は感性の多様性を育む運動であり、鑑賞者の眼の向上を図る運動です。右も左も「○○だ、★★だ」ではこの国の美術の向上なんてあったもんじゃない、と思うのです。

 この度も過去最多、21名もの参加者が冨長敦也を応援しようと所有作品を持ちよりました。このような地道な活動を通じて、作家の評価が高められていくならば参加メンバー各々の喜びとなるに違いありません。又、人気作家を紹介すること以上の誉が作品所有者に与えられることになります。コレクターが一番美術市場に貢献しているにも関わらず、まだまだ「オタク」と呼ばれています。これからはコレクターの積極的な社会的活動と発言こそが求められているのです。

野坂展にもこうした思いのコレクターの方が多数集まってくださることを願う。

1月26日

昨日韓国の大手画廊の一つIHNギャラリーのオーナーが來廊した。
7月に予定されている日本人作家6名によるグループ展の打ち合わせのためにわざわざお越しいただいた。
私どもで発表している山本麻友香・呉亜沙・服部千佳の三人がその中の入っている。
この三人は昨年の11月にニューヨークのアートフェアーで作品展示をした作家たちで、その時むこうの画廊のキューレターが見て白羽の矢が立った。
この画廊はソウルの大手画廊が並ぶ一角にあり、巨大なスペースを持っている。
ここだけでなく、先週ソウルに行ったときも数軒の画廊から日本人作家の個展やグループ展の依頼があり、どうも韓国の画廊は日本人作家に大いなる興味を持ち出したようだ。
中国や韓国の作家に比べ、質が高い上に価格が安いこともあって、高騰を続ける中国・韓国の作家に嫌気がさしてきたようである。
ただ困惑するのは、そうした画廊の多くがコミックやイラスト風の作家たちを紹介して欲しいと言ってくる。
確かに日本にはそうした文化の一面があるのは否めないが、それが全てではない。
季節の移ろいを感じ、微かな虫の声を愛でる心も日本人が持つ独特の美しい感性である。
デリケートな色調や微かに醸し出される情緒感を持った絵画も評価して欲しいと思う。
おそらくは、香港クリスティーズや日本のオークションでもてはやされるサブカルチャー風絵画だけの情報が流れ、それが日本文化の全てと思われているのかもしれない。
海外に出るチャンスが多くなっただけに、日本の美術のもう一つの側面があることを知らしめるのも、私たちの役目の一つではないだろうか。

1月29日

どんよりとした曇り空で今にも雪が降ってきそう。
こんな日はたまった書類の整理や書き物の仕事がはかどる。
ここ数ヶ月組合の規約改正に取り組んでいて、ようやく改正案を提出できる目処がついた。
顧問の弁護士の先生と相談しながら、大幅な規約改正をすることになった。
組合の主たる業務に交換会事業がある。
昨年理事長に就任する直前に組合員の2軒の画廊が倒産をした。
交換会は売った画廊に対し組合が翌日立替払いをし、買った画廊は1、もしくは2ヶ月後に組合に支払うことになっている。
組合の中で数軒の画廊がグループを作り、この間の取引について相互に債務保証をする決まりとなっている。
お互いの画廊同士が信頼に基づいて保証しあうわけで、信頼を裏切らないよう歯を食いしばってでも支払いを履行することが長年の商慣習であり、抑止力にもなっていた。
ところが昨年かかる事態が起こり、グループの画廊が債務を補填することになった。
組合の交換会を通して金繰りをし続けた結果の不祥事であった。
大きな負担を強いられた画廊にはお気の毒だが、今までの規約は性善説で信用を前提とした規約であった。
信頼を裏切る不届き者がでた以上、本意ではないが、性悪説をとらざるを得なくなった。
そのために二度とこうした事態が起こらぬように、大変厳しい規約を盛り込むことになった。
ここまでしなくてもとの意見もあるが、信用を前提とした本来の画商といわれる人が少なくなり、交換会やオークションを渡り歩いて利ざやを稼ぐブローカー画商が多くなった現状では、こうした措置をとることもやむをえないと思っている。
昨今の耐震偽装や食品表示偽装といった信頼を根底から覆す事例が多発している折、私ども業界も大鉈を振るわなくてはならない時期に来たようだ。
かれこれ不祥事から10ヶ月がたとうとしているが、いまだ被害を被った画廊や組合に対し、かかる画廊からはお詫びの一言も手紙も届いていない。
こうした不誠実な画廊が仲間にいたことが残念でならない。

1月30日

ブログが売り上げに貢献した。
昨年、ブログで紹介をさせていただいた藤野一友の作品のお問い合わせがあり、お買い上げいただいた。
藤野一友は幻想絵画の鬼才の一人で、知る人ぞ知る作家なのだが、世間ではまだ知る人は少ない。
不遇の中51歳で病没し、「未醒」という空中に浮かぶ壁に延々と裸婦が張り付き並ぶ作品をご存知の方もおられると思うが、日本の幻想絵画の代表作家の一人なのである。
かく言う私も殆ど知らず、画集以外では川越市立美術館で開催された寺田コレクション展で一点「祈り」という作品が出品され、初めて藤野作品を知ることとなった。
それだけに、私の手元に藤野作品が来ても、果たしてどなたに紹介していいのか皆目見当がつかなかった。
そんなこともあり、同時に手に入れたこれまた幻想作家の一人中村宏の作品とあわせてブログで紹介をすれば、どなたか目にとまることもあるのではと考えたのだが。
あにはからんや、早速に昨年の京橋界隈オークションでご縁の出来た大阪のお客様からお問い合わせをいただいたのである。
そして昨日わざわざお越しいただきお買い上げをいただいた。
もちろん、藤野一友については大変詳しく、色々とご教示いただくこととなった。
拙いブログも役に立つことがある。

1月31日

昨年来、私が会長をつとめるロータリークラブの事務局員に以前に私どもの画廊でアルバイトをしていた女性を紹介した。
彼女から再就職を依頼されていたこともあり、丁度前職が定年で退職し、次を探していたこともあって、来てもらうことにした。
それから半年、仕事のプレッシャーから体調を壊し、昨年末で辞めることになった。
急遽次を探さなくてはならず、これまた以前に他の画廊に勤めていて、出産のため退職していた女性で、再就職を頼まれていた女性に来てもらうことにした。
二人とも大企業で鍛えられたこともなく、要求されるスキルは未熟で、私の女房役で7つの会社を経営する幹事から見ると頼りなく見えるのはいたしかたなく、今度の女性も相当プレッシャーを感じているようだ。
といっても、幹事をはじめ会員にいくら頼んでも紹介をしてくれる女性は皆無で、仕方なく私の知っている女性を紹介することになったわけで、ほとほと頭を痛めている。
彼女たちからはこんなはずではなかったという愚痴を聞かされ、彼女たちのために良かれと思って紹介したのが裏目に出てしまったようだ。
年齢も高く、再就職といってもなかなか難しい昨今、それなりの給与や労働条件、ロータリーという職場環境を考えると、悪い話ではないと思うのだが。
この半年めっきり白髪が増えてしまった。

2月2日

昨日、偶然テレビをつけたら小山登美雄氏の顔がアップで飛び込んできた。
NHK教育テレビの視点、論点という番組で「絵画の価格」というテーマで語っていた。
一人、政見放送のようにカメラに向かって話すので、彼の緊張振りが手に取るようにわかり、ひやひやしながら見せてもらった。
市場価格は長い間の積み重ねで、画廊でのプライマリープライスが歴史の中に組み込まれることで、オークションなどでの市場価格に移行していくといったことを話していた。
ただし、現在のオークションでの価格の高騰には首をかしげているようで、人気作家をかかえる小山も画廊で発表された作品をいかにして転売から防ぐかに苦慮しているようであった。
出来れば、プライマリー価格は間違いなく漸増していくが、セカンダリー価格は常に景気の動向に左右され、変動があることを付け加えて欲しかった。
それにしても、NHK教育テレビでこうした現実的で生臭い話を放送するとは、NHKも変われば変わったものである。
偶々知人がNHKの経営委員会のメンバーの一人なので、昨今のNHKの問題も含めて色々と聞いてみたいと思っている。

2月5日

今日からあまりうれしくないお客様、税務署さんがやってきた。
今日と明日の二日間を予定していて、何もやましい事はないのだが、なんとなく落ち着かない。
近所の画廊にも来たようで、銀座、京橋の画廊を廻っているようだ。
税務署さんも一部バブルを画廊がみな景気が良くなったと思っているのかもしれない。
実際は、新興画廊だけがコンテンポラリーオークションの価格高騰の恩恵に浴しているだけで、多くは厳しい経営を強いられている。
これをコピーしろ、やれ帳面を持って来いと、画廊のスタッフも仕事にならないが、税務署員もこれがお役目だから仕方ない。
早く今日・明日が終わって欲しい。

2月6日

先日、メリルリンチが主催するチャリティーオークション「未来の巨匠たち」の案内をいただいた。
メリルリンチは若い世代の教育支援及び地域社会への貢献に取り組んでいて、その一環として若きアーティストとNPO団体への支援を目的としたオークションを2月21日に開催することになった。
芸術大学生や卒業直後の若手の作品をオークションに出品し、落札金額の半分を制作者に渡し、残りを弱者支援のNPO団体に寄付することとしている。
スタート価格は全て1万円で大きさも4号から大作まで、写真・油彩を中心に40点ほどが出品される。
こうした若い作家の支援を企業がやってくれるのはとてもいいことで、是非世界の企業となったトヨタ・ホンダ・パナソニック・ソニー・ソフトバンクなどが続いてくれるといいのだが。
オークションのお金が作家に還元されるのはとてもいいことで、いくら高くなっても作家と関係のない今のオークションとは一味違う。
ただ心配なのは、昨今の青田刈りで、こうした純粋な思いのところにも、ブローカーの魔手が伸びてくることと、作家の卵がオークションの価格が自分の評価と勘違いしてしまうことである。
以前に私は多摩美の大学院で特別講義をさせてもらったが、その時次のようなことを言った。
絵描きという職業を選らんだことは、まず食えない仕事を選んだと思って欲しいと。
歯を食いしばって、命をすり減らしながら描くか、親に脛があるのならしゃぶれるだけしゃぶれと。
人間とは弱いものである。
生活がかかったり、なまじ最初からお金が入ってしまうと、どうしてもそれを維持しようとするか、更に上の生活を目指そうとするものである。
霞を食って生きろとは言わないが、渇望することで、いい仕事が生まれ、その積み重ねが評価であって、多くはその評価さえ確認できないまま、次世代の評価を待つことになる。
古今東西、歴史がそれを物語っている。
かなり厳しいことを言うようだが、こうした仕事を選んだ以上、そうした心構えで制作に取り組んで欲しいと思っている。
作家支援として、いまひとつ企業にお願いしたいのは、若い作家たちに伸び伸びと制作出来る場を提供してあげて欲しいことである。
速水御舟や村上華岳は、原三渓から自由に描かせてもらえる場を与えられたことで、後に美術史に燦然と輝く作品を残すことになった。

2月7日

年寄りの繰言と言われるかもしれないが、今流行の漫画絵はパンツだけやSM風の格好をしたお笑いタレントの一発芸とどこか似ている。
先日、アートソムリエの山本さんからいただいた新聞記事の切抜きの中に、近頃のお笑いタレントと題して、漫才の内海佳子さんと司会者の玉置宏さんのコメントが載っていた。
内海さん曰く、笑わせるのではなく、笑われているだけ。
笑わせてお金を取るなら、いろいろなことを知っての上でやらないと、みんな楽なやり方をしてしまう。
最近の芸がない芸人が受けるのは、携帯電話で伝達しあう今の世の中の感性が関係していて、面と向かい合って言葉で言い合ったり、けんかしたりしない、だから、本当のお笑いを受け取るだけの感性が育っていない。
玉置さんもお笑いブームを演出しているスタッフが本物の話芸に興味がなく、勉強もしていない、見えのない芸人には華がない、華がない芸人は致命傷と指摘する。
技術もなく感性もなく、一番肝心な画品のない絵画がまかり通り、本物の絵画が何かを知らない、感性のかけらもないブローカー画商や俄かコンテンポラリーコレクターがそれを追いかける図式と重なる。

2月8日

私が会長をしているロータリークラブの仲間とその家族の展覧会のために今週末の9,10、11日の三日間会場を提供する。
3年前にも一度私のところでやらせていただいたが、今回久しぶりの開催となった。
昨年93歳で亡くなられた会員の遺作の油絵や幼稚園に通うお孫さんの絵画、俳句同好会の有志による短冊・色紙、中には70歳を超えた会員の小学三年生当時の書などロータリーならではの作品が出品される。
また会員秘蔵のお宝で与謝野鉄幹・晶子の書や浮世絵、仏画など名品・珍品も出品される。
いつも来ていただくお客様には仲間内の展覧会で恐縮だが、お許しいただきたい。
11日3時からはコーラス同好会の指導をしていただいている先生のソプラノとチェンバロの伴奏によるミニコンサートも予定されていて、素人展ということで面白くないと思うが3連休退屈しのぎにお立ち寄りいただきたい。

2月9日

今日も雪の気配。
地球温暖化も暫しストップかと思わせる今年の冬である。
三日間ロータリーの仲間内の展覧会、年寄も多いので無理して出てきて肺炎にでもなられたら困るのだが、朝から次々と訪ねてくる。
この寒さではゴルフというわけにもいかないのだろう。
皆さん絵を描いたり、写真、書道、俳句、コーラスと多趣味な方が多く、人生を謳歌している。
仕事柄美術には毎日触れているのだが、さて自分の趣味というとお寒い限りである。
昨日もあんたは短気だから、俳句でも詠んで、常に穏やかな気持ちをもったらと言われてしまった。
不器用な上に飽きっぽいときていて、こうした嗜みを持つには程遠いところにいるだけに、どげんかせんといかんとは思うのだが、ままならない。
先日の日曜日も、雪で外に出られないとなると、陸に上がった河童同然となり、何するわけでもなく一日が過ぎ、退屈なことこの上なし。
もし定年でこうした日が毎日続くと思うと、発狂しそうである。
いつ仕事を辞めるかなどをちらちらと考えていたがとんでもない。
無趣味な私には仕事を続けるしか能がなさそうである。

2月10日

昨日の雪も解けて、今日は多少暖かな日曜日となった。
見る暇もなく、毎日のように送られてくるオークションカタログを久しぶりに開けてみる。
M社のカタログに私どもで個展を重ねる鈴木亘彦の立体作品「無色人」が出品掲載されていた。
私ども関連作家の作品がオークションに流されないのが私の誇りだと以前に書いたことがあったが、先般のクリスティーズの山本麻友香の例もあり、そうもいかなくなってしまった。
4月に予定されているE社のオークションには、呉亜沙の作品も出品されるらしい。
3人とも作品はよその画廊の所有品が出品されるようで、お客様からのではないので一安心である。
ブローカーらしき人には一切売っていないので、右から左へと転売される心配はないのだが、こうして作品が出てくると心穏やかではない。
あまりに安くて落札されないのも嫌だし、さりとて馬鹿げた値段で落とされるのも迷惑な話である。
結果オークションに一喜一憂することになり、オークション会社の罠にはまっていく。
先日のコンテンポラリーオークションではその多くが、落札予想価格の下値かそれを割り込む価格で落札された。
少しコンテンポラリーバブルに翳りが見えてきたのかもしれない。
そうした中での出品なので、私どもの作家の作品が高値になることはなさそうだが、かえって冷静な時期になってからのオークションだけに、リーズナブルな価格に落ち着いてくれることを期待したい。

2月12日

友人たちとその家族の展覧会「友美会」も三日間の日程を終了し、ほっと一息。
友人とはいえ、殆どが先輩でそれぞれが第一線で活躍の面々ばかりで、粗相があってはいけないと、その気遣いで自分のところの企画展以上に疲れた。
ただし、寒い中を大勢の方に見に来ていただき、喜んでいただけたことでその疲れも心地よい。
昨日はソプラノとチェンバロによるバロックのコンサートもあり、用意した席も満席で、暫しの時間心に響く音色に癒される時を過ごした。
私のところは、天井が高い上にむき出しのコンクリートになっているため、とても音響効果がよく、ここで演奏される方が異口同音に褒めていただく。
展覧会終了後は直ぐそばの「湖南料理・雪園」にて懇親会。
そんなに広いところではなく、25名の貸切でお願いをしていたが、何と40名を越える参加者ですし詰めの食事会となってしまった。
それでも趣味を通じての語らい、和気藹々の時間を過ごしていただき、会場を提供し、展覧会のお世話をさせていただいた甲斐があったと喜んでいる。
次回はと聞かれ、多少腰を引きつつ、皆さんの更なる精進をと答えてしまった。

2月13日

今日からはチェコの作家「ミロスラフ・ムッシャ展」が始まった。
3年前に日本で初めての展覧会を開催し好評を博したが、今回久しぶりの展覧会となった。
前回、日本各地を旅した折に目にして感動した「滝」をモティーフにした作品を中心に、単純化した家や森を描いた作品が出品されている。
風景が醸し出す情感や自然の絶え間ない動静を表現していて、日本人が持つ精神性に近いものがあり、共感を覚える。
彼はチェコ動乱の折にフランスに亡命し、今はリヨンとプラハにアトリエを持ち、ヨーロッパ各地で活躍をしている。
昨年の1月にリヨンのアトリエを訪ねた折には、大変世話になり、彼を扱うリヨンの屈指の画廊のギャラリーマチューのオーナーの娘さん二人がそれぞれ経営するレストランで、これでもかというほどのご馳走になった。
リヨンはフランス料理の本場で、毎年有名なフランス料理のコンクールがあることでも知られる。
それだけに今回日本に来たらおいしいところを案内するつもりでいたのだが、ムッシャさんもマチューさんも悪性のインフルエンザに罹った旨の連絡を受けた。
無理して悪くなっても困るし、また私たちにうつっても困るので、今回は断念してもらうことにした。
展覧会の結果が何よりの薬になると思うので、頑張らなくてはと思っている。

2月14日

今日は組合の例会日。
3月が組合の決算でその報告書の作成と引き続き規約改正試案を作らなくてはならず、慣れない会計と法律に向き合い、毎日減少していく脳細胞をフル回転中。
画廊のことは会計士の先生とスタッフにまかせきりで、こんなに真面目に書類に目を通すことはない。
どうも自分はよその事となると一生懸命になっていい顔をしようとする性癖があるようだ。
もう少し自分のところの会計や細かいところに目を通していれば、懐具合もだいぶ違っていただろうに。
そう言えば、世の中バレンタインデー。
すっかり縁遠くなってしまったが、スタッフからの心のこもったチョコをいただきご機嫌。
先日はGTUで発表した横田尚さんと屋敷妙子さんが素敵なチョコレートを持ってきてくれた。
松屋デパートからバレンタインデー用の限定チョコレートのデザインの依頼を受けたそうで、二人の共作による即日完売間違い無しのお洒落なチョコレートだった。
二人におおっぴらに画廊に持ってくるのではなく、それぞれがこっそりと持ってきてくれたら、もっとうれしいと言ったが、一笑に付されてしまった。

2月16日

久しぶりに鎌倉の合田佐和子さんのアトリエを訪ねた。
壁面いっぱいの作品と貝殻やオブジェに溢れかえるアトリエ兼リビングは、南からの陽光がいっぱいに差し込み心地よい。
初めて訪ねた折の感激がよみがえる。
部屋に通されたとたんにこの壁の絵を私の画廊に飾らしてくださいと思わず申し上げた。
私の画廊の白い空間にこれほどふさわしい絵はないのではと瞬時に思った。
体調を崩し、長い間発表を控えていた合田さんもこの一言に心を動かされ、7年ぶり松涛美術館以来のの個展を開催することとなった。
今回はお客様に納めさせていただいた初期のオブジェ作品の修理をお願いにあがるとともに、70年代の油彩を数点預からせていただいた。
貴重な作品で、汚れが出ていてクリーニングをした上で画廊で紹介をさせていただく。
合田展のおかげで久しくご無沙汰をしていた方や新たなお客様との出会いもあり、その後のお付き合いにもつながり、あの一言がこうしたご縁に繋がったことをうれしく思っている。
今年武蔵野美術大学で予定されている「9人の魔女」展には、その折にお求めいただいた「シリウスの小包」、「ロゼッタ・ギャラクシー」などの作品を貸し出して欲しいとの依頼を受けた。
再びこうした作品に出会えるのも、こうしたえにしのつながりなのだろう。
ご縁といえば、京橋界隈オークションを通じてご案内をさせていただいているお客様から、ホームページに掲載されている加納光於のオブジェ作品のご注文をいただいた。
ご丁寧なメールをたびたびいただき、ご購入された喜びが伝わり、画商冥利に尽きると感激している。
これも僅かなご縁がこうした喜びに繋がるわけで、改めて地道に作品の紹介させていただく大切さを思わずにはいられない。

2月17日

明日からまたソウルへ。
グループ展の打ち合わせと依頼の作品を持って出かける。
この前も零下10度でびっくりしたが、おそらくもっと寒くなっているだろう。
今回も家内を連れて行くことになった。
また寒いの辛いのとうるさく言うだろうが、集金人もかねているので仕方がない。
向こうからの持ち出し枠があり、一人の場合集金しても全部が持って来れない時がある。
向こうから送金してくれればいいのだが、のんびりしていて、待っているとなかなかお金を送ってこず、仕方無しに別の仕事にかこつけて取りに行くことになる。
それと前回もあったのだが、オークションでの価格が下がったという理由で、4ヶ月前に買った作品をキャンセルすると言い出した。
業者間ではそんなことは許されないというのだが、ひたすら謝り懇願する。
そんなこともあり、貰えるものは一日も早く取りに行くことにしている。
ロンドンの画廊も預けてある作品の件で、再々メールをしていたのだが、何の連絡もしてこない。
ようやく電話が繋がり文句を言うが、全く意に介してなく、暖簾に腕押し、終いには弁護士に相談してみると訳のわからないメールまで送ってくる始末。
海外とのやり取りはとかく難しいものである。
世界経済が混乱してきているだけに、海外との取引もあまり深入りしないよう気をつけなくては。

2月22日

韓国から帰って早々にオークションやら何やらで、またまたブログが滞ってしまった。
韓国は思いのほか暖かく、食事も国際画廊が経営するフランス料理やおいしいサムゲタンを昼・夜とご馳走になり、家内もご機嫌。
慌しい日程で、家内のもう一つの楽しみのマッサージやショッピングはお預けとなった。
お金は二人で持ってきたが、家内は空港でお金を持っているでしょうとチェックを受け、バッグを開けさせられた。
持ち出しの枠内なので、事なきを得たが、無理して余分に持ってこなくてよかったと胸をなでおろした。
私は今までに何度も行き来をしているが、そんな経験は一度もなく、よほど家内が怪しげな人物に見えたのだろう。
次回から集金人を変えなくてはいけない。
向こうに行って残念だったのは、取引のあるサン・コンテンポラリーギャラリーでの伊庭靖子の個展の初日が一日違いで見られなかったことである。
うっかりしていて、準備中の作品だけでも見て来れたのにと悔やまれてならない。
隣の国際画廊で食事をしていただけに残念である。

2月23日

私の知人の経済学者から成城大学での市民講座で、アートマネージメントについての講演を依頼された。
知人の奥様で声楽家の先生には家内が日ごろからお世話になっているので、柄ではないのだが、引き受けることにした。
そこで俄か勉強をしなくてはならず、以前に話題になったオランダの経済学者ハンス・アビングの「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか」を取り寄せることにした。
分厚い本で、読むにはてこずりそうだが、前から興味があった本で、村上隆の「芸術家企業論」と対比して詠むのも面白いかもしれない。
毎日新聞・松原隆一郎氏や国立国際美術館の建畠館長氏の日経の書評から内容を紹介させていただく。
芸術には経済学の理論では解明できない非合理的な側面がある。
一般商品とは違う何かがあり、それは芸術とアーティストが神話化されているからと著者は答える。
神話とは芸術は崇高なものであり、アーティストは芸術に無私で奉仕し、金銭や商業は芸術の価値を貶め、無私の助成によって賄われるべきといった信念である。
19世紀のヨーロッパで拡大した商業主義への反発から芸術への崇拝は始まり、ロマン主義の体裁をとって現在まで続いている。
見返りを求めない政府や企業によるアーティストへの助成は、貧困の緩和を狙ったが、結果的にアーティストの数の増加を招き、貧困を更に悪化させていると指摘していて興味深い。
社会適応力を持たない美大生には身につまされる話に違いないと思うが、どっこい昨今はそうでもなく、芸術家起業論を地でいく若者も増えているし、見返りを求める助成者も多いように思うのだが。

2月24日

先にご紹介したメリルリンチのオークションの報告記がお客様から届いた。
私が危惧したとおりになってしまったようだ。
無償の支援であれば、こうした支援より展覧会支援、制作の場所の提供などの支援を是非企業にお願いしたい。
先ずは売れることより発表ありきである。
同じ日に私が参加したコンテンポラリーオークションでも若い作家だけがエスティメート価格をはるかに超える価格で落札され、由々しき現状に頭を抱えるばかりだ。
昨日紹介した経済理論も怪しくなってきた 。

私はオークションの会場に行くことはあっても下見だけで実際のオークションに参加したことはない。理由はオークションとは基本的に二次マーケットであり、そこでいくら高額で落札されようが作家には1円も行かないので作家支援にならないからだ。また、一般の人が場の雰囲気で思わぬ出費をしてしまう恐れがあり、コレクターにとって冷静な判断が出来なくなることもあるからだ。 
 メリルリンチのオークションに参加したのは、発表のチャンスのない学生たちの作品を扱うと言う一次マーケットであること、落札金額が作家と社会貢献に寄付されるという仕組みであること。そして、知っている人が数人出品しているからである。そして一番の理由は実際のオークションの雰囲気を体験したかったからだ。
 7時からのオークションに先立ち6時からレセプションが行われた。最初は出品者とスタッフの方が多かったが、続々と人が集まりかなりの盛況である。中には相当数のメリルリンチの社員もいるためだとはと思うが2、3割が外国人だ。いつもの画廊でのレセプションとは違いビジネスパーソンも多くなかなか良い雰囲気だ。出品の学生たちもそんな社会人たちと恐る恐る交流しているが、とても良い社会経験になったのではないだろうか。こんな雰囲気のアートパーテイーがビジネス街のあちこちで起きればうれしいことである。

 いよいよオークションが始まったが、こちらの方は冷静に観察して、害の方が大きいと思った。学生が社会人と接したり市場価格を知ることも大切ではあるが、今回のオークションには以下のような問題点を感じた。

・自分の作品がオークションにかかる時に出品者が壇上に出るのはイベントとして面白いかも知れないが、私にはせりに掛けられる奴隷市場のような印象を受けてしまったが学生たちの気持ちはどうだったのだろうか。
・本来のオークションは一定の実績のある作家の作品が主体なのでマーケット価格もある程度想定できるが、個展など作品発表もしたことがなく、しかもたった1 点のみの作品で値段を決めると言うのは、われわれ健全なコレクターには参加できない。従って場の雰囲気や情報のインプットでいとも簡単に高額な落札作品が出てしまうが、これは正式なマーケットプライスではないことを知るべきだ。
・そして、このことで一番心配なのが、高額で落札された学生が勘違いすることだ。たった数分間で自分の作品が100万にもなる・・・と舞いあがったとしたら、その作家の将来は危ういように思う。
※最初は割りと冷静にスタートしたものの、途中で出品作品2点で100万を超した人が2人いたが、京都造形大の学内オークションの落札価格が告知されていたのでそれにつられたのであろうと思われる。2点出品した学生もそれを見越しての出品ではないかとかんぐってしまう。
・学生作品のオークションならば作品の種類や大きさごとに学生にふさわしい上限価格を仮設定し、それ以上の落札額が出ても学生には行かずすべて寄付にまわすことで、勘違いする学生をなくすことが長い眼で見て大切ではないだろうか。

2月26日

昨日のお昼に、レジェンドというオペラ歌手5人のユニットの歌を聴かせてもらった。
ジャニーズ事務所かと見間違うほどのイケメンのグループで、オペラをはじめ、日本の楽曲を見事な歌声で聞かせてくれた。
日本画の松尾敏男さんのお嬢さんがプロデュースしていて、彼らの歌を通して恵まれない人たちに生きる力を、紛争地域での平和を願ってのNPO活動への理解のために、私たちの奉仕団体の例会にやってきたのだ。
お昼のひと時豊かな気持ちにさせてくれて、一日得をした気分である。
こうしたクラシックのグループが流行りなのか、私のところに出入りしている作家の息子さんも同じようなイケメン4人組「エスコルタ」というユニットでメジャーデビューした。
先の日曜日の「題名のない音楽会」に出演し、これまた見事なハーモニーを聞かせてくれた。
先週の韓国に行った折にも、ホテルで偶然つけたNHK・BSに大学時代の友人の娘さん磯絵里子さんのヴァイオリンリサイタルの模様が放映されているではないか。
異国の地で聴くヴァイオリンの音色はまた格別であった。
ここ数日そんな訳で、クラシックに縁がある日が続いた。

2月28日

昨日で終了したムッシャ展は一点だけの売約と情けない結果になってしまった。
作品は巧みな技術と表現力で、作家さんや評論家など専門家からはお褒めの言葉をいただき、更には価格もフランスよりかなり下げさせてもらったのだが、売り上げには繋がらなかった。
フランスでのキャリアはもちろんヨーロッパでも高い評価を得ている作家だけに、こういう結果を報告しなくてはならないのは辛い。
それに反して、今週土曜日から始まる池田歩展には既に予約が入ったり、下見に来られる方も多い。
1月に好評をいただいた堀込幸枝のソウル展用の作品が丁度今日届き、写真撮影をしていると、いつもお世話になっているコレクターの方が、「いいね、感性が現代そのものだね」と言われた。
この辺がキャリアのある作家と今の作家の違いなのだろうか。
同じ具象表現の中で言葉にはうまく言い表せないが、若い人には現代を感じさせる何かがあって、見る人の共感を呼ぶのだろう。
確かに二人の新作を見ていると、新鮮さだけではなく、心からいいなと思うを魅力がある。
それが何なのかをうまく言い表せられるといいのだが、適切な言葉が見つからない。
見る人たちにもそれぞれの感性で感じてもらうしかないのだが、時代が大きく動きつつあるのは確かである。

2月29日

税務調査も何事もなく無事終了。
気になっていたロンドンのギャラリーからもお詫びのメールが入り一件落着。
しばらくお顔を見せず、病気にでもなっているのではと心配していたお客様にも久しぶりにお越しいただきやれやれ。
昨日・今日となんとなく心落ち着かなかったことが一度に片付き、肩の荷が下りて、明日からは3月、気持ちよく春を迎えることが出来そう。
明日からは山本麻友香のご主人で同じ武蔵野美大出身の池田歩展が始まる。
独自の視点で描く風景画がモティーフだが、今回は地表や海面の爆発というなんとも不可思議なテーマに取り組んだ。
エネルギーの塊である爆発の模様が、フラストレーション・怒り・激情をも思わせるし、平和へのメッセージにも思える。
心に響く轟のような迫力のある今回の作品は、彼自身が爆発したかのような勢いが感じられて興味深い。
当画廊の春一番、乞うご期待である。

3月5日

昨日、那須にあるニキ美術館の副館長の黒岩さんに呼ばれて久しぶりに美術館を訪ねた。
まだ道端には残雪が残っていたが、暖かかったこともあって木々や鳥の声も華やいでいるように見え、春の訪れが間近を思わせた。
久しぶりにニキの作品を見せてもらったが、強烈な色彩とダイナミックな造形にはいつものことながら度肝を抜かれる。
それにもまして増田静江館長がよくぞこれだけの巨大な作品を、それも半端な数ではないコレクションをしたものと、改めてそのエネルギーに頭が下がる。
ただ3000坪に近い自然を生かした庭の手入れと寒冷地での建物の維持管理を思うと、都心の美術館とは違うご苦労があるのではと察せられた。

パルコでのニキ・ド・サンファールのタロットガーデン写真集発刊記念展を終えた後、体調を崩していた黒岩さんも元気になられ、お話を終えた後、板室温泉にある大黒屋旅館に車で案内をしてくださった。
この旅館は菅木志雄などの現代美術の収集で知られ、大黒屋のご主人には何度か画廊を訪ねてくださっているのだが、偶々留守にしていてお会いする機会がなく、一度お目にかかりたいと思っていた。
残念ながらお留守でお目にかかれなかったが、丁度現代美術公募展をロビーにて開催中で、ゆっくりと見ることができた。
応募作品の中には知っている作家の名前もあって驚いた。
それ以上にびっくりさせられるのは、山あいの昔であったなら秘湯とも言うべき鄙びた湯治場に何で現代美術をということであった。
そうした場所でも現代美術を紹介しようというご主人の心意気には感心させられた。
大黒屋の帰りに、これまた知己のある二期倶楽部に寄ることにした。
ここは最初3万坪の敷地に6部屋しかないなんとも贅沢なリゾートホテルとしてスタートし、ここを設計した先生もよく知っていたこともあり、建物良し、料理良し、環境良し、サービスこれまた良しの5つ星のホテルである。
ここの女性オーナーの北山さんも現代美術に造詣が深く、新しく開いた工芸ギャラリーと陶芸のアトリエのある施設を訪ねた。

次々にホテルやレストランを展開する北山さんだが、美術や音楽への支援を常に手がけていて、発表と制作の場を提供する姿勢には敬意を表したい。
那須という冬になれば殆ど訪れる人もなく、ついでに訪れるという場所でもないところで、孤軍奮闘する三つの施設を見せていただき感慨を深くした。
こうした方たちがいるからこそわれわれの仕事があるわけで、そうした意味からも我々もそれに劣らぬ努力をしていかなければならない。

3月10日

先週はどういう訳か小学校・中学・高校・大学の友人と順番に会う日が続いた。
みんな定年となり時間が取れることもあるのだろうが、お声が掛かることが多くなった。
以前にも書いたが小学校はユネスコの実験学校であったため一クラス27名と少人数教育を実践し、クラス替えもなかったことから卒業50年が過ぎても仲がよく、会う機会が多い。
こうした実験学校であったため、一人机ではなく丸テーブルを数人で囲みながら英語は一年生から習い(全く成果が出ていないのはどういうことだろうか)、逆に算盤や書道、ラジオ体操などは全く習わず、中学に行って先ずはラジオ体操が出来ずに大弱りをしたことが思い出される。
いまだに字が下手くそなのはこのせいと言い訳していたのだが、先週近くのギャラリーで大手IT企業に定年まで勤めていたクラスメートの女性が書道展に見事な書を出品していて、この言い訳も通用しなくなった。
翌日には大学時代のヨット部の同期で第一生命に勤めているM君の誘いで同社の文化事業部のスタッフと会食の機会を得た。
第一生命はVOCA展を主催し、いまや数少なくなった企業文化支援を継続している奇特な会社の一つである。
3月14日から上野の森美術館で第15回のVOCA展を迎える。
若手支援を目的に回を重ねてきたが、昨今は受賞作家が軒並み人気作家となり、室長はじめスタッフの皆さんもこうした状況に戸惑っているようであった。
その後も連日友人たちとの会食が続き、お座敷芸者のごとく次から次へと出かけては、下戸の私はお茶で気炎を上げる日が続き、さすがにばて気味。

3月11日

春到来、歩く人も軽やかに見える。
時間が出来たので散髪に日本橋まで行ってきた。
以前は私の前の画廊と同じ地下にあって、時間があればしょっちゅうそこで油を売っていた。
床屋談義ではないが、色々な人が訪ねてきては話に花が咲いた。
同じ立ち退きの憂き目に合い、三越の先に移転してしまい、以前のようにちょこちょこと顔を出すわけには行かなくなってしまった。
門前の小僧ではないが、床屋の主人も私や近くの画廊、私のところの作家たちが行くようになってからはすっかり美術通になり、コレクションもかなりの数にのぼる。
主人以外にもそこを通してお客さんになってくれた方や美術品の処分の依頼を受けたりで、何かとお世話になっている。
私が25年前に京橋に移った当時、ご主人がある絵を持ってきた。
お客さんから貰った水彩の作品だが、子供が書いたような絵で作者名もわからず、額も壊れているので、値打ちがなければ捨てようと思うのだがとのこと。
見てみると私の大好きな作家の難波田史雄の作品ではないか。
私もその頃、難波田の作品を20点ほど持っていて展覧会を開く予定でいた。
驚いて、こんなものを捨ててはいけない、いらなければ私が買うと言うと、先ほどとは打って変わって、お客様から貰ったものだし大事にさせてもらうとしまい込んでしまった。
今では額も綺麗になり、お店に時々飾られている。
今日もお店には小林裕児や舟山一男の絵が私が座った目の前に飾られていた。
移転してからは、以前のように千客万来ではなくなってしまったようだが、元気で一日も長く続けて欲しいと思っている。

3月14日

シンポールアートフェアーの説明会が昨日あった。
10月に予定されていて、私どもでは既に出展の申し込みを終えたのだが、事務局の代表から是非私どもの組合でアートフェアーの現状と将来の展望について説明会を開いてもらえないかとの依頼があり、お手伝いをさせていただいた。
洋画商協同組合のほうからもフェアー見学ツアーを考えているので、一緒に聞かせてほしいということで、多数の参加者を得て、開くことになった。
丁度9月からはシンガポール政府の肝いりで2008ビエンナーレも開催されるということで、ディレクターの森美術館の南條史生館長にも来て頂き、ビエンナーレのプレゼンテーションもしていただいた。
更には美術雑誌「アーティクル」がその時期に合わせたシンガポール公式ツアーを組んでいて、その説明もなされた。
シンガポールからは事務局の代表の他、政府観光局の局長をはじめスタッフの方たちも見えて、歓迎の挨拶をいただいた。
シンガポールは淡路島ほどしかない小国だが、経済発展は目覚しく、スイスのような金融を中心とした国づくりを目指し、更には文化政策にも近年力を注ぎ、日、中、韓を凌ぐ勢いがある。
既にUSB銀行を傘下におさめ、村上ファンドの村上氏が拠点を移したように、世界の有数の企業や富裕層がここを拠点に活動をしている。
2006年ビエンナーレでは市庁舎をはじめ寺院、教会などを展示場として大規模なフェアーが開催され、草間弥生や杉本博司をはじめとするアジアの作家の作品が多数出品された。
私どもも縁あってお手伝いをさせていただくことになったが、10軒ほどの日本の画廊が出展を決めていて、東南アジアでの新たな日本美術の展開を期待している。
終了後観光局のお招きで、南條館長や森美術館のスタッフとともに夕食をご馳走になった。
南條館長からもシンガポール政府の政策や美術戦略をお聞きし、中国、韓国に既に遅れを取ってしまっただけではなく、日本がアジアの文化後進国に成り下がってしまった現状を憂うばかりである。
政権の争いばかりに終始し、何もかもが一向に前に進まない日本の今と、着々とその地場を固めているシンガポールの差を知ってもらうべく、政治家たちにもぜひ秋のツアーに参加してもらえないだろうか。

3月17日

日曜日心の洗濯に奥多摩に出かけた。
吉野の梅林が見ごろということで楽しみにしていたが、少し早すぎて5分咲きといったところだろうか。
それでも春間近の暖かな日差しの中を玉堂美術館、吉川英二記念館、着物美術館なども巡りながら、一日を満喫してきた。

3月18日

2008年VOCA展を見てきた。
若手コンテンポラリーアートブームの影響もあって、この展覧会の受賞作家が昨今注目を浴び、マーケットでも価格が高騰する状況にある。
今年の受賞作家たちも嫌でもそうしたブームの洗礼を浴びることになるのだろうが、作家たちにはあくまで通過点の一つであると思ってもらいたい。
40歳以下の作家を全国の美術評論家、学芸員が推薦し、その中から数人が大賞や奨励賞・佳作賞などを貰うこともあって、新人作家の登竜門とされている。
その趣旨には地方に埋もれている作家たちにもスポットライトをあててほしいとの願いもあるようだが、どうしても中央で発表をする作家が多くなってしまっているようだ。
また以前の安井賞同様に毎年の開催のこともあって、多少マンネリズムの傾向もうかがえる。
今年の展覧会でも際立っている作家はそんなに見受けず、大賞受賞作家もそれほど私にはいいようには思えなかった。
そうした中にあって、油彩や日本画より写真の作品に興味を引かれた。
笹岡啓子のFISHINGという作品。
茫漠とした情景の中に修行僧のようにも見える釣り人が3枚組で展示されている。
無の情景を心を凝らして見ることで何かを感じさせてくれるようで印象深かかった。
同じ写真で沖縄の作家・根間智子の家族の肖像写真を重ね合わせて、家族の血縁を表出させた作品。
個を重ねることで、個を消し去り、家系の履歴ひいては沖縄の歴史にまで踏み込んで、時の流れを表現しているように思え、興味深く見せてもらった。
海外ではアートの中に写真や画像の占める割合が多くなっていて、画廊には当たり前のようにそうした作品が展示されている。
振り返って、日本では一部のオークション市場では高い評価を得た作家以外はまだまだ写真の分野がクローズアップされることは少ない。
先週まで私のところで発表した前野智彦君もプロジェクターを使った大掛かりな装置を展示していて、私の力では国内でこうした作品を売ることは難しいが、海外に持って行けば高い評価を得ることは間違いないと思っている。
上記のような作家が出てくることで、写真・画像による表現の世界が国内でも高い評価を浴びる日も近いように思う。

3月21日

暑さ寒さも彼岸までというが、昨日今日とは暦どおりにはいかず、膨らみかけた桜の蕾も縮こまってしまうほど。
そんな中我が家に明るい便りが届いた。
おとといの組合のオークション後のアトラクションで、ビンゴゲームで一番となり、電気製品をゲットしたあたりから、神様が我が家に幸せを運んできてくれたようだ。
私事で恐縮だが、シドニーにいる長女が昨日無事男の子を出産した。
これで私もおじいちゃんの仲間入り。
いまひとつは大学で体育の教師をしている長男が国立大学の医学部の博士課程に合格したとの通知が届いた。
詳しくはわからないが社会人枠というのがあって、大学の先生と学生という二足の草鞋でもかまわないらしい。
長女も既に医学博士となって大学で基礎医学の研究をしているが、こちらも子育てとの両立を図らなくてはならず、それぞれに今以上に忙しくなるが頑張ってもらいたい。
後は明日からの展覧会にも幸せのおすそ分けがあるといいのだが。

3月22日

本日より小原馨展。
紙を漉いたり、用紙を引っかいたりした上にパステルや油彩で色付けをしていく彼独特の技法である。
彼は武蔵美大学院を卒業をすると盲学校の美術教師となり、色も形もわからない子供たちを相手に美術を教えることとなった。
手で触らせたり、落とした音でイメージをさせて絵を描かせたそうだ。
並みの苦労ではなかったろう。
そうこうするうちに、彼は逆に生徒たちから触発されて、新しい絵画が生まれることになった。
子供の情景というタイトルで多くの作品が生まれた。
子供たちが何も考えず、地面にロウセキやチョークでいたずら描きするように、土の上を棒切れや釘先で引っかくように、彼も無心で子供たちと同じ目線で描いた。
詩情に溢れた、心和ませる世界が広がった。
私の下の娘も知的障害者のお世話をする仕事をしている。
小さいときからハンディキャップのある子供たちと一緒にキャンプに行ったり、遊びに行ったことが今の仕事に繋がったようだ。
ある時、娘と一緒に知的障害の子供たちを支援する会の講演を聴きに行ったことがある。
そのとき胸を打たれる言葉があった。
こうしたハンディーを持った子供たちは、神様が私たちに優しさを教えてくれるために授けてくれた宝物なのだと言われた。
世の垢に染まらず、純粋無垢に育った子供たちを見守っていると、みな子供たちから優しさを貰うそうだ。
彼の作品にはその優しさが満ち溢れている。
今は聾唖学校で教えている彼だが、静寂の世界に住む子供たちから、また新たな優しさを貰ってきたようだ。

3月23日

東京都の文化支援事業で若手アーティストの支援をしている「」東京ワンダーサイト」を通じ、新銀行東京が石原都知事の勧めで絵画を購入したことが物議をかもしている。
こうした事業を行政が支援すること自体は悪いことではなく、大いにやっていただきたいし、そこに知事の四男坊がかかわっていたとしても、良きアドバイザーとしての役目を果たしているのなら何も批判するには当たらない。
問題はここに出てくる作家たちまでが青田刈りの憂き目にあっていることである。
いくら安いとは言え、100点余の出品作品が初日前に全て売れてしまうことが、正しい若手アーティスト支援の証と言えるだろうか。
偶々そのうちの一人の作家の作品が気に入り、お小遣いの範囲で買えるのならそれはそれでいいだろう。
ところが未知数の作家の作品が全部と言うと、それは好きとか嫌いとかで買っているのではなく、バーゲン会場でおばさんたちが抱えきれないほどの洋服を取り敢えず会場の隅まで持っていって、品定めしている図と重なってしまう。
要は何でもいいので、取り敢えずその中に値上がりするものがあれば儲けもので、トータルで何ぼと言う世界である。
石原知事までが言うに事欠いて、新銀行で唯一資産価値が上がっているのだから文句言うなと記者に語っているのを聞いて、馬脚を見た思いである。
資産価値などというのは究極の結果であって、2,3年足らずの評価で云々するものではない。
文化支援と言うなら如何に発表の場を提供し、如何に制作の場を与えるかを考えるべきで、2,3点を買って値上がりしたからいいだろうでは、若手作家を買い漁る似非コレクターとなんら変わらない。
そんな発表の積み重ねもない評価などは無きに等しく、跡形もなく消え去るのは目に見えている。
石原さん、そんな地に足のつかない評価などに目を向けるのではなく、新銀行が同じ憂き目に遭わないよう頑張ってくださいよ。

3月25日

昨日はロータリークラブに日本赤十字社の社長・近衛忠輝氏をお招きし、紛争・災害というテーマでお話をいただいた。
近衛氏には丁度一年前の大月雄二郎展にご夫妻でお越しいただき、長い時間お話をさせていただいたことがある。
それ以来だが、国際紛争の種は尽きず、あわせて地震・台風・津波などの被害も後を絶たず、世界各国を飛び回る日が続いているそうだ。
また、東京国立博物館で先月まで「宮廷のみやびー近衛家1000年の名宝」展が開かれていたこともあり、公私にわたりお忙しい毎日のなか時間を割いてお越しいただいた。
国際人道法に基き武力紛争の当事者に対し不必要な犠牲や損害を防止することが赤十字社の大きな目的であって、赤十字社はその目的のための活動を世界で展開をしている。
ナイチンゲールがその創設に関わっているように思っていたが、スイスのアンリ・デュナンの提唱がそのルーツだそうだ。
赤十字の標章も白地に赤十字だけではなく、イスラム教国では赤新月を標章としているとのこと。
そのため、名称も国際赤十字・赤新月運動と称していて、自らを団体とか機関とかは呼ばないそうだ。
限られた時間のため概略しか聞けなかったが、改めて近衛氏が長い間赤十字社に身を捧げ、奉仕とは高邁な事業であることを再認識させられた。
先日も緒方貞子国連難民高等弁務官の事務局のシニアマネージャーから難民支援のお話も伺ったが、世界平和のために多くの人たちが汗を流していることを知り、私たちも微力ながらお手伝いをさせていただければと思っている。

3月26日

明日から10日ほど海外に行ってくる。
先ずはソウルに行く。
PYOギャラリーで堀込幸枝の個展のオープニングあり、作家と本江邦夫多摩美教授とともに出かけることになった。
昨年PYOギャラリーの北京支店で開催された日本現代美術展の作家の中から彼女に白羽の矢が立ち、個展が開催されることになった。
この4月に来日するフランス・リヨンの屈指のギャラリー・マチューからも彼女の作品に大いに興味を持っている旨の連絡があり、来日時にアトリエを訪ねたいとのことであったが、ソウル展のため見ていただく作品が一点もなく、残念ながら次回ということになった。
かくのごとく、北京、私のところ、ソウルと立て続きに企画が決まり、その上フランスからもと、デビュー間もない彼女にとっては青天の霹靂に違いない。
学生時代からずっと見ていただいている本江先生も何と運のいい子だろうと驚いている。
運だけではなく彼女の実力がいちどきに認められたわけで、これから更なる精進を期待したい。
いまひとつは、今年ソウル・東京の私のところ・大阪ヨシアキ・イノウエギャラリーの3箇所で個展を予定している韓国の若手彫刻家リ・ユンボク君のアトリエに本江先生をお連れして作品を見ていただくことになった。
彼の作品は以前に双ギャラリーの個展の折に本江先生は見ていただいているのだが、それから彼の作品は大きく変遷したこともあって、今度の機会にご案内をさせていただくことになった。
と言うのも、今度の企画のカタログに先生に原稿をお願いしたところ、写真資料だけでは駄目で実際の作品を見ないとという事で、今回の堀込展を見がてら、遠いところをわざわざアトリエを訪ねていただくことになった。
資料だけ見てさっと書いて、はい原稿料と言う方も多いが、こうして遠くまで出かけて行ってでも作品を見た上でないと書けないという姿勢には頭が下がる。
ユンボク君も大感激とともに緊張しまくっているようだ。
彼は東京芸大大学院を卒業し、その後ソウルに帰り制作活動をしているが、私のところは毎年ソウルのアートフェアーで彼の作品を紹介し、好評を博している。
そうしたこともあってか、韓国の大きな画廊からも声が掛かるようになり、欧米のアートフェアーにも出展されるようになった。
今年の北京オリンピックに因んだ北京での大きな展覧会にも韓国の代表として彼が選ばれ、発表することになっていて、堀込同様に期待の若手作家である。

いったんソウルから帰り、翌日には孫の顔を見がてら、シドニー・メルボルンと行ってくる。
ここ最近オーストラリアも現代美術が盛んになり、美術市況も活況を呈しているようで、次への進出を視野に入れながら画廊や美術館を廻ってくるつもりでいる。
丁度その時期に、アートフェアー東京やそれに合わせたコンテンポラリーオークションやイベントが東京各地で開かれていて賑わいをみせるが、私はそっと日本を抜け出すことになった。

3月31日

堀込展のソウルのオープニングが開催された。
李元首相夫妻とかアラブ首長国連邦の大使夫妻といったビップも見えて、普通我々が日本でやっているオープニングパーティーとは訳が違う。
2次会もイタリアンレストランでのフルコース、それも日本大使館主催の時に出すメニューという豪華版。
まだ20代の彼女にとってはサプライズの連続で、オープニングが開かれることもそうだが、海外で展覧会が開かれることもそうだし、画廊の大きさにもびっくり、画廊の入り口には大きなフラッグ、立派なカタログと目をぱちくりさせることばかりだが、それだけ期待が大きいと言うこと。
私自身もいつも韓国の画廊のスケールの大きさには驚きの連続だが、今回も本江先生の教え子がかかわっているハコジェギャラリーのニューギャラリーオープン記念展でもあまりの画廊の大きさに度肝を抜かれた。
もともとある画廊もかなりの広さで、そこにはリ・ウーハンの新作の大作が数点と石と鉄によるインスタレーションが数点展示されていて、美術館で見ているのではと錯覚してしまうほどなのだが、ニューギャラリーが更に大きい。
地上一階、地下三階のスペースだが、地下はそれぞれ5メーターほどの高さがあり、それは見事と言うしかない。
これだけ地下を掘ると湿気が心配だが、それぞれに床暖房が敷かれ、壁も厚い二重の壁にしてあるそうで、貧乏性の私はそれだけでもどのくらいの費用が掛かるかと思わず計算してしまう。
隣にある私どもと取引のあるサン・コンテンポラリーやその先にある山本麻友香らのグループ展が予定されているIHNギャラリーにも彼女を案内したが、これもあまりの大きさで彼女にとっては驚きの連続である。
次に本江先生の教え子さんと言っても梨花女子大学の先生なのだが、その方の招待でヒルトンホテルのフレンチレストランでお昼をご馳走になった。
作家さんと言ってもレクサスの新車に乗り、こうしてホテルでご馳走をしてくれるのだから日本とは大違い。
その作家さんの梨花女子大を午後から訪ねる。
名門の女子大学に入れるいうことだけで多少興奮気味の私だったが、ここでもカルチャーショックを受ける。
新しくできたという施設が正門を入ると目に飛び込んでくる。
地面をえぐり二つに割ったような巨大な全面ガラス張りの建物が両側に並び、はるか遠くまで続く。
それは大学構内にありながら、中には映画館や病院、銀行、書店、コンビニ、果ては花屋からブティックまである。
大学のギャラリーも美術館並み、何から何までスケールが大きすぎるのである。
こうした巨大なスペースを見た後だけにPYOギャラリーの会場は天井が低く、スペースも私のところくらいなので貧弱に見えてしまうが、それでもここで若い作家の個展していただけるのだから有難い。
と言っても、ここはアネックスで横には広いメインギャラリーがあり、漢南には支店が、更には昨年開催していただいた北京のギャラリー、そしてロスアンジェルスにもあるから、そんじょそこらの画廊とはわけが違う。
翌日は7月個展予定のリ・ユンボク君のアトリエを訪ねる。
車で2時間半ほどかかる遠いところだが、本江先生には申し訳ないが堀米君とともにお付き合い願う。
彼のアトリエも工場のように大きく、ここでも彼女はびっくりしたようで、今勤めている女子美のアトリエと同じ大きさなのだが、そこでは20人の学生が制作をしているというから大違いである。
僅か二泊三日の短い滞在だったが、彼女にとってはかなり刺激的で凝縮された三日間となったのではなかろうか。

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