Diary of Gallery TSUBAKI

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7月2日

京橋界隈展の時期となると太陽が燦燦と照りつけ、暑い夏到来となるのだが、今年は過ごしやすい日が続く。
その割には人出が少ない。
今日も初参加の画廊さんが見えて、いつもこんなに少ないのですかと言われてしまった。
最初の頃は食事する暇もないくらいの人出で、活況を呈していたが、マンネリなのかすっかり様変わりしてしまった。
当時は10軒くらいの画廊で発足し、知恵を搾り出し、手弁当で、みんなが力を合わせて頑張ったせいもあるのだろうが、どういうことだろうか。
ここ2年ほど、多忙もあって、毎月の会合にも顔を出していないので、なんとも言えないが、数が増えたこともその要因ではないだろうか。
30軒を超えると見る方も、的が絞れず、かといって全部見ることもできず、結果それほど多くの人が見て廻ることをあきらめてしまうのでは。
それと、参加するほうもそれほど気合が入らず、世話役に任せて、なんとなく参加といったことになってしまうのかもしれない。
事実、30日から始まったが、まだ展覧会がスタートしていない画廊や、特別な企画はやらず、常設展でお茶を濁しているところもある。
そんなこともあってだろうか、いまひとつ盛り上がらない。
ここ10年ほど、この会期に合わせて、京橋界隈オークションを開催し、格安で作品を手に入れるチャンスと、お客様の楽しみの一つともなっていた。
3年前からは、私どもの画廊を会場として提供をしてきたが、これは大変な労力と時間が必要で、その割に殆どの画廊からの出品と手伝いがなく、頭を痛めていた。
そこで今年は止めるつもりでいたが、お客様からの問い合わせや出品依頼も多く、結局は単独で継続することにした。
8月の21日から25日までの会期で「京橋界隈オークション」改め「ギャラリー椿オークション」という形で開催することにした。
既に300点を超える出品依頼が来ていて、これでは止めるわけにはいかない。
暑い中での準備と終わっても作品引渡しでてんてこ舞いの忙しさとなるが、単独でやれば、他人をあてにすることもないので腹も立たない。
珍品・名品が多数出品されるので、乞うご期待である。

7月3日

このところ、アジアの画廊のオーナーの来廊が続く。
今開催中のリ・ユンボクの韓国での扱い画廊のSP画廊のオーナー夫妻は今回の彼の展覧会の視察と12月に予定の山本麻友香個展の打ち合わせで日、月と私どもを訪れた。
この画廊は地下に版画工房を併設していて、韓国・中国の人気作家の版画の多くがここで制作されている。
ご主人は美術大学の教授をしていて、美人の奥さんが画廊を切り盛りしている。
私どもがお付き合いをしている画廊のオーナーは殆どが女性で、それも皆美人揃い。
韓国は整形美人も多いので果たして?
昨日は台北の最大手SOKA ART GALLERYの社長親子が訪れた。
スタッフの寺島が先日台北に行った折には、息子さんに大変親切にしていただき、向こうの有力なコレクターも紹介していただいた。
この画廊は台北・台南・北京に画廊があり、去年、一昨年の北京アートフェアーのスポンサーでもあったビッグ画廊である。
早速に台北アートフェアー出品用の山本麻友香や門倉直子の150号などの大作ばかり4点を予約していただき、更には韓国のフェアーの折には今開催中のユンボク君の大きな作品を持ってきて欲しいとの依頼も受けた。
また来年の北京や台北での私どもの作家何人かの個展の依頼もあって、韓国だけでなく台北や北京の大きな空間での発表の機会をもてたことは、作家たちにとっては新たな刺激となるのでは。
今月は続けて北京で日本現代作家特別展を企画していただき、ソウルでも堀込幸枝展を企画していただいたPYO GALLERYのオーナーや新たに昨年開廊したINNTER ALIA  GALLERYのディレクターも来廊予定で、皆秋から来年以降の個展やグループ展の打ち合わせでやってくる。
いつもはボーとしている私だが、こうして海外から積極的にオーナーたちがやってくると、怠け者の私も尻を叩かれて動かざるをえず、それに連れてスタッフも大童となる。
来年もどうやら忙しい一年になりそうだ。

7月4日

朝の強い雨と打って変わって、じりじりするような夏の日差しが戻ってきた。
開催中のユンボク君は昼の便で韓国に帰るが、帰って早々に大阪展と台北のアートフェアー用の作品制作に取り掛からなくてはならない。
毎日、うちのスタッフや友人たちと朝まで飲んでいたようで、よれよれの顔をして帰路についたが大丈夫だろうか。
私は元々飲めないこともあって、朝まで飲むなんてとても考えられないし、今の歳だとせいぜい付き合っても12時くらいが精一杯である。
それでも大阪の画廊に勤めている頃は、買ってもらえるまで帰らないと言って、朝まで粘ってお客様と話しこんだり、和歌山や岡山などに夜中に車で走って、朝出かける前のお客様のお宅を訪ねたりと、無茶なこともやった。
関西のお客様は画廊に来るよりは、私たちが作品を持って来てくれるのが楽しみだったのか、殆どが夜や朝にお客様のところを訪ねることが多かった。
どちらかというと、画廊とお客様というよりは、人と人の付き合いで、まだ若造の私でも信頼されると、旅行などにも連れて行ってもらったり、お見合いまでさせられたこともあった。
その代わりに、画廊では展覧会をしても誰も来ず、暇なことおびただしい。
ところ変わればで、東京では逆で、必ずお客様が展覧会を見に来られて、気に入った作品を選んでくださる。
お届けも大抵はお客様にお越しいただくケースが多い。
ユンボク君がうちで展覧会をして何が良かったかと言うと、多くのお客様と直にお話が出来て、その反応を肌で感じることが出来たことだそうだ。
そう言えば、韓国の画廊を訪ねても、お客様らしき人と出合った事がない。
ところが終わってみると殆どの作品が売れている。
関西と同じで外商で売っているのだろうか、いつも不思議に思っている。
ユンボク君は東京での展覧会がすっかり気に入ったようだ。
そのせいもあってか夜は羽目をはずしてしまったようだ。

7月7日

西の方は既に梅雨明けしたところもあるようだが、こちらは雨模様。
私は前にも書いたことがあるが、雨男として知られ、旅行やゴルフとなると80%の確率で雨、それも台風や集中豪雨といった筋金入りの雨男である。
梅雨の最中だから仕方がないが、滅多に休暇の取れない息子と久しぶりにゴルフをすることになったが、途中雷雨で中止。
雨男なので雨中のゴルフは平気なのだが、雷には勝てない。
息子は大学で教える傍ら、ラグビー部の監督をしていることもあり、練習や合宿で夏休みはもちろん日祭休みなしのフル営業、次のゴルフはいつになることやら。
家内と一緒にこうして子供たちと遊ぶ機会も少なくなってしまったが、夜は友人の医者のI一家とこれまた久しぶりに夕食を一緒にすることになった。
Iさんの長男がアメリカの医学部の博士課程に留学をしていて、一年ぶりの帰国ということもあって、息子たちを交えた食事は本当に久しぶりであった。
Iさんとは息子同士が幼稚園で一緒ということから、30年近くの付き合いをさせてもらっている。
子供を通しての親の付き合いというのも不思議なものだが、馬が合うのか、子供たちを連れての海外旅行、ゴルフやテニスと遊ぶときはいつも一緒であった。
子供たちはそれぞれが忙しくなってしまい、みんなが揃うことは先ずなくなったが、親同士はしょっちゅう会っていて、今やお互い孫の話で盛り上がっている。
Iさんの奥さんが体調を崩しているので、今日の七夕に回復の願いをこめるとともに、いずれ孫たちも交えた大所帯の旅行が出来るようになればと願っている。

7月11日

村上隆がオークションに彼の作品を出品したとして、不動産会社を訴えたとの記事が朝刊に出ていた。
販売時に10年間転売しないとの契約が交わされていたそうだ。
最近はこうした転売を防ぐための契約を交わす画廊も増えたように聞く。
私はお客様と長い間に構築した信頼関係が前提なので、こうしたやり方はあまり好ましいとは思えないのだが。
それでも、私のところでも2年ほど前に売った呉亜沙、山本麻友香などの作品が、明日のオークションに出品されることになっていて、心中穏やかではない。
作家も画廊も納めた作品が、愛され、大切に持ってもらえることが、一番の喜びである。それが転売目的で、金儲けの材料に使われたのでは、たまったものではない。
8月末に私どもでオークションをするが、ここに出される作品は全てお客様が亡くなられたり、病気だったり、置き場所がなくなったりといった特別な事情で、泣く泣く処分を依頼されたものばかりである。
オークションには功罪それぞれあるが、こうした受け皿がないと、美術品の多くはゴミと化してしまう。
長い間のコレクションの結果、次の受け手に移ることで、文化は護られ育まれる。
人から人の手に渡るのも美術品の宿命である。
だが今のオークションを見ていると、文化の担い手とはとても思えない、投機市場となってしまった。
探していた作品を手に入れるチャンス、掘り出し物を見つける場が、高く売る場であったり、次の転売のための相場師達の活躍の場となってしまったようだ。
村上隆の訴訟はマッチポンプの気がしないでもないが、私達もこういう時こそ、善良なコレクターに長い間大切に持っていただく作品を提供することに、更なる努力をしなくてはならない。

7月12日

所有権と著作権、常に付きまとう問題だが、昨日の日記にも書いた村上隆の訴訟は一つの問題提起となった。
私のところでも以前にある作家の作品をHP上で推薦作品として紹介したことがあったが、作家から著作権の侵害ということで削除を求められ、早速に削除をしたことがあった。
自分の所の在庫ということで、何のためらいもなく掲載してしまったが、確かに不特定の人に販売を目的として掲載することは、著作権の侵害にあたる。
近くの画廊でも、展覧会の案内状にある物故作家の作品を使用したところ、クレームがつけられ、賠償金を払わせられたと聞いた。
それではオークション会社のWEB上の画像表示やカタログ写真は著作権に抵触しないのだろうか。
この点でも村上隆ははっきりしていて、各オークション会社に著作権の侵害にあたるとして、画像掲載まかりならんとの意思表示をしている。
彼の会社のカイカイキキのメンバーも同様で、オークションカタログには作品写真は掲載されていない。
あるオークション会社は、法的な根拠を調査した結果、この問題はクリアーできるとの見解から、最近は掲載を再開しているところもある。
私もオークション会社の社長をしていて、このことでの対応に迫られた。
この時は、このオークション会社は会員制度を採っていて、不特定ではなく、特定の会員だけに無料配布という形でカタログを差し上げているので、著作権の侵害にはあたらないとした。
歴史あるクリスティーズやサザビーズはどのような見解で、この問題に対処しているのだろうか。
村上の訴訟はこうした問題とは多少違うが、作家が著作権ではなく所有権にまで作者としての権利を主張しているところに、果たしてという疑問符がつく。
村上の場合は、作家であるとともに画商としての領域にまで立ち入っていて、アーティストがここまでしていいのだろうかと私は首を捻る。
オークションでいくら高く売れても、作家には一銭も入らない矛盾から、こうしたことを申し立てたのだろうか。
はたまた、加熱しすぎるオークション市場へ一石を投じ、美術品ブローカーに警鐘を鳴らす先駆けたらんとしたのだろうか。
仮にそうだとしても、転売を禁じる契約が、所有権者の権利を拘束する根拠になるのだろうか。
利益目的の転売ではなく、金策であったり、相続であったりした場合も、その契約は有効とされるのだろうか。
次々と?がつく。
彼以外なら、こうした主張にも説得力があるように思うが、彼の場合はオークションでかなりの高値になることも戦略の一つとしていたきらいもあり、今更の感を拭えない。

7月15日

暑い日が続く。
日曜日はユンボク君の搬出と北村奈津子の展示のため、全員出勤。
他に屈強な若者三人に来てもらう。
そのうちの一人、一番下の娘の中学時代のクラスメートは今後も週に2,3回は来て貰う事になった。
白倉君といって、大学院で建築を専攻しながら、写真にも興味を持ち、偶然だが以前うちにいて、今カフェギャラリーを吉祥寺でやっている中林のところで、個展をすることになっている。
私と家内も老体に鞭打ち、重たい作品の梱包と搬出で、節々が痛い。
搬出後、休む暇もなく、北村奈津子の展示に取り掛かる。
彼女の作品は近くの画廊、ギャラリーユマニテで見て気に入り、そのつど購入させていただいた。
一度広い会場を使って、個展をしてみないかと頼んでいたがようやく実現することになった。
ぶら下がりがテーマでつり革を持つサラリーマンや蝙蝠、ナマケモノ、手長猿、更には仔猫をくわえた猫の作品が、広い会場を効果的に使って並ぶ。
ユーモラスでいとおしい作品は、売るのが惜しくなるようなものばかりで、これは大きな反響を呼びそう。
今流行のコミック風とも違うが、日常の中で気楽に楽しむことが出来る作品ばかりで、美術に縁遠い人でも、身近に感じることが出来るにのでは。
ユンボク君の彫刻展も初めてのことと、大きな作品も多く、成果のほうはどうなるか不安なところもあったが、多くの方からお褒めの言葉を頂き、売り上げのほうもまずまずといったところで、ほっと胸をなでおろしている。
以前は立体は置き場所などのこともあって、売れないものと相場が決まっていたが、最近はオブジェなどは平面作品より売れるケースが多い。
北村奈津子のオブジェにも大きな期待がかかる。

7月16日

朝から横浜へ。
横浜そごうで15日から始まっている呉亜沙展を見に行く。
60数点を展示しているというが、会場が広くて、それほどたくさんの点数が飾ってあるようには見えない。
100号3枚組など大作も飾られていて、なかなかの見ごたえ。
初めての試みとして手作りアニメも発表していて、夏休みの子供たちにも大いに受けるのでは。
今回は日常の中でのイマジネーションをテーマにしていて、以前にも増して豊かな色彩でファンタジックな世界を表現している。
昨日からにもかかわらず、多くの作品が売れていて、人気のほどがうかがえる。
ただ、私のところでは、残った作品を海外のアートフェアーにもって行く予定にしているので、売れて欲しいし、残って欲しいしと複雑な心境である。
それにしても、横浜は昔のイメージが全く消えてしまった。
電車を降りても右も左もわからず、ただうろうろするばかり。
私は高校時代からヨット部に入っていて、その頃の練習場は横浜港の近くで、遠く吉祥寺に学校はあったが、電車を乗り継ぎ、今のみなとみらいあたりで毎週土、日はもちろん冬も夏も、休みになると、艇庫と呼ばれる船置き場の上の合宿所で寝泊りしながら、日が暮れるまでヨットの練習に励んだものである。
貨物船やタンカーから流れる重油まみれの汚い海で、片や川崎の工業地帯、片や山手にある米軍基地を見ながらの風景は、決してきれいとはいえなかったが、それはそれで懐かしく、今でもはっきりとその情景はよみがえる。
関東の大学と高校は殆どがここに合宿所を構えていて、丁度卒業の頃に埋め立てが始まるということで、湘南や千葉のほうにそれぞれが移っていったが、その場所がいまやランドマークタワーに象徴される高層ビル群となり、美術館まで出来るとは、想像もつかないことであった。
横浜、桜木町、元町、中華街、山下公園、本牧と何処か東京とは違った洒落た雰囲気があって、生意気盛りの我々はクラスメートに、よく横浜自慢をしたものであった。
そんな私がいまや全くのおのぼりさんと化してしまい、どちらに海があるのかさえ、駅に降り立っても、わからなくなってしまったのだから情けない。
そう言えば、中学、高校と通い慣れた吉祥寺でさえ、いまや若者たちで溢れかえり、駅の周辺でその面影を残すのは井の頭公園だけになってしまったのだから、時の流れに驚くばかりである。

7月19日

猛暑・極暑より超暑・最暑と言ったほうがいいような暑さが続く。
そんな暑さの中、北村展には多数の方に来ていただき、ひたすら感謝である。
その展覧の最中に、次々と大阪・台北・ソウル・シンガポールのアートフェアー用の新作が到着。
大作や立体作品ばかりでスタッフはその整理におおわらわ。
困っているのは、会場に送るにはまだ間があるため、送るまでの置き場所がないこと。
倉庫は幾つかあるのだが、8月に予定をしているオークション用の作品で満杯。
あっちにこっちにとやりくりしているが、限界に近く、北村展の会場には送られてきた作品が重ねられ、いい空間を作ってくれた作家や、見に来てくださる人に申し訳ない状況である。
明日までにはなんとか片付けるので、お許しいただきたい。
そんな慌しい中、有難い事に、出品予定の作品には、画像を送って欲しいとの要望や、偶々実際の作品を見ていただいたりで、何点かには予約が入った。
フェアーに参加する目的は、私どもが紹介する作家達が、グローバル・スタンダードになってもらうことが第一義で、その披露と思っている。
要は次に繋がることを期待しているわけで、山本麻友香や服部知佳、呉亜沙といった作家達は、フェアーから海外に大きく羽ばたいて行ったと言っても過言ではなく、その成果は着実に出ている。
しかしながら、海外のフェアーに出るには、かなり高額な会場費や備品代、輸送料、保険代、カタログ費、滞在費等などの経費がかかり、それも年々増えるばかりで、頭を痛めている。
それなりの目算は持って海外に出るのだが、こればかりは蓋を開けてみないことには正直わからず、今や綺麗ごとだけでは済まされない、大きな賭けとなってしまった。
それだけに、前売りで買っていただき、その一助となるのは大変有難い事であり、励みにもなる。
オリンピックではないが、そろそろアートフェアーモードに入り、忙しい毎日が続きそうだ。
私も明日から連休を利用して韓国に行き、アートフェアー用の作品のセールスにこれ努めてくる予定である。

7月23日

連休を利用して韓国へ。
雨男の面目躍如、日本本土を避けたはずの台風とソウルで遭遇。
今日までの予定で開催されている、IHNギャラリーでの展覧会JAPANESE CONTENPORARY ARTの視察を兼ねて、出品者の一人服部知佳を連れての旅行となった。
若い女性を連れての旅行だけに、家内が気をもむことしきりであったが、ちゃんと監視役のリ・ユンボク君が空港にお出迎え。
最初の日はこの暮に山本麻友香個展を開催予定のSPギャラリーを訪ねる。
服部知佳も来年の暮にここでの個展を依頼されていて、その打ち合わせと会場の広さを見てもらうことが目的であったが、自社ビルで1,2,3階と地下には版画工房を構えていて、その規模に目をパチクリさせるばかりであった。
驚くのはまだ早く、ここは韓国では中堅どころで、次の日に行く予定のIHNギャラリーやその並びにある現代(ヒュンダイ)、国際(ククジュ)、学古斎(ハコジェ)、といった巨大な画廊を見ると、腰を抜かすに違いない。
更には、夕方に訪ねるINTER・ALIAギャラリーなどは、そこでアートフェアーが開けるほどの広さがある。
SPさんでは打ち合わせのあと、激しい雨の中を中華レストランに案内される。
中国の辛さとは違い、韓国風味だったが、それなりにおいしくいただいた。
翌日、台風一過の快晴とは行かなかったが、湿気もなく涼しく過ごし易い一日となった。
朝早くに彼女を連れて、明洞、南大門、ロッテデパートと駆け足で案内する。
前々回のKIAFに来たことがあったが、その時は殆どどこも見ずに終わってしまったそうで、今回あちこちと見せてやりたいが、予定もあって、ほんのさわりといったところだろうか。
昼にはIHNギャラリーに向かう。
ここは大統領官邸・青瓦台の横にあり、景福宮という宮殿も真横に見えるという絶好のロケーションである。
そのためもあってか、入り口近辺には大勢の機動隊員が警備をしていて、IHNさん無料で警備員を雇っているようなもの。
服部作品の一点が大きなウインドウに飾られていて、早速目に入る。
道の両側に街路樹が立ち並び、丁度神宮絵画館前の銀杏並木の街路を髣髴とさせるが、彼女の作品がその通りに彩を添える。
他に山本麻友香、呉亜沙の大作や小山登美雄・東京画廊の人気作家などが出品されているが、全て完売。
PYO画廊での堀込展もそうだったが、全部売れてしまう。
それも100号以上の作品が殆どだから驚きである。
画廊とコレクターのスケールの大きさに驚くばかりだが、どうやら韓国美術界は中国に変わっていまや日本ブームが到来したようだ。
新聞などもそうした側面を大きく取り上げ、竹島問題などどこ吹く風である。
続きは明日に

7月24日

冬ソナといった韓流ブームに代わって韓国画廊界は日流ブームの波が広がりつつある。
各画廊から私どもの作家の出品依頼が相次いだが、どうしても限られた作家に集中してしまうので、今後は多くの作家を紹介して、まんべんなく浸透してくれることを考えなくては。
前回同様にIHNギャラリーのマダムに、同じ並びの国際画廊が経営するフレンチでお昼をご馳走になる。
昨夜は中華、今日もフランス料理と服部知佳はせっかく韓国に来たのに、未だ韓国料理にありつけず。
次の予定まで時間があるので、国際画廊をはじめ、近辺の画廊を案内するが、その大きさと展示の内容にただただ唖然。
国際画廊は全室を使って、ビデオアートの展示で、まるで美術館に来たのではと錯覚してしまう。
残念ながら、現代画廊の企画河原温展は休みで見ることができなかった。
夕方からは日本若手作家による大規模な展覧会を企画しているINNTER・ALIAギャラリーに向かう。
その前に漢南のブランド街にあるそこの支店に立ち寄る。
ここには画廊ビルといっていいくらい多くの画廊が入っていて、フランスやドイツの画廊も入っていたり、明日行く予定のPYOギャラリーの支店もここにある。
ここの店長は、以前に国際画廊・現代画廊にいて顔なじみの女性で、スタンフォード大学院を出た英語、日本語ペラペラの才媛である。
もっとも向こうでは店長などと野暮な呼び方はしないで、店長はディレクター、スタッフはキューレターとお洒落に呼ぶ。
本店のディレクターも美術館に勤務したり、国際画廊の企画を担当したベテランの女性で、そのアシスタントがついこの前までPYOギャラリーにいて、通訳をしてくれた女性である。
小さいときからニュージーランドに住み、どういうわけか日本語と美術を勉強した女性で、とても頭が良く、礼儀正しいし、本当にいい子で、うちの画廊につれて帰りたいくらいの女性である。
この画廊の広さは尋常でなく、昨日も書いたが、アートフェアーが開催できるくらいの広さがある。
ここの料理がまた格別で、同行してくれているリ・ユンボク君は、前回食べた料理は生まれてこの方、こんなおいしい料理を食べたことがないといったくらいおいしい料理であった。
日本人が来ると言う事で最初はお寿司をアレンジした前菜から始まり、懐石風フレンチが次々に出て、最後は日本そばをこれまたフレンチ風にアレンジした料理で締めるといったもてなしで、来る人によって料理を変えるといった手の込みように、いたく感心させられた。
今回もひそかに期待したがシェフがお休みで、夕食は外ですることになり、ユンボク君がっかり。
イタリアンに誘われたが、これでは服部知佳韓国に来て一度も韓国料理を食べないことになるので、焼肉をリクエスト。
ようやくにして本場の焼肉にありつけることになった。
それにしても毎日ご馳走攻めで、細身の彼女もお肉がついたようだ。
連日の打ち合わせと接待に疲れ気味の彼女を誘って、夜は初体験という足つぼマッサージに行く。
若い子と二人ならんでマッサージを受ける図も変なものだが、彼女気持ち良さにすっかり嵌ってしまったようだ。
翌日のPYOギャラリーの訪ねた後、大忙しの韓国訪問を終えて帰路につくが、二人とも機内で爆睡のうちに東京へ。

7月25日

我が家にホームステイをしていたアンジェリカが日本留学を無事終えブラジルに帰国することになった。明るくみんなに可愛がられ見送りも大勢の友達がやってきてそれは賑やかな見送り風景であった。寂しくなるが一日も早く日本に帰ってきて欲しい。

 韓国から帰ってもお客様のお宅にうかがったり、成田に出かけたりで落ち着く間がないが、今日からは大阪へ。2回目となるアートイン堂島というホテルの部屋を使ったフェアーに参加していて、3日間の滞在予定である。猛烈な暑さにもかかわらずたくさんの人が押し寄せ、ちょうど同じ時期の天神祭に負けない賑わいとなった。

我ブースは昨年の経験を踏まえ限られた部屋を有効利用すべくトイレとバスルームは小川洋一郎君の派手派手満載色の作品を飾りこれぞ大阪といったコテコテ空間となった。ベッドは開催中の北村奈津子に頼んで羽毛布団の羽をむしって作った鳥達が敷き詰められた。9時近いがまだ人出が途絶えず腹へった!

7月26日

昨日は平日にも関わらず大勢の人出。ホテルの入り口から入場者の列が道路を超えて堂島川までというから驚きである。今日も開場前から長い行列でどれだけの人が見に来るか恐ろしい。

小川陽一郎コーナーが人気で大きい作品2点に売約が。そのうちの1点朝青龍を模した作品は吉本の人気タレント・オカケンことおかけんたさんが気に入られたようで、これは良いを連発。
朝一番で見に来て、花月の出番があるとの事で大慌てでブースを後にしたが、出番の間その作品が気になって仕方がなかったそうで、終了後一目散に戻って無事再会。
オカケンさんは関西では知る人ぞ知る現代美術コレクター。日曜にはイベントのいっかんとしてオカさんのトークショーとオークショ二アをつとめるコンテンポラリーオークションが開かれる。オカケンブログも有名で小川君のことも紹介されるに違いない。昼からは出品者の一人門倉さんが来阪。彼女の作品も人気でほぼ完売。小川・門倉二人ともアートフェアー初出品だったがかなりの刺激になったのでは。

7月27日

大阪の暑さは尋常じゃない。外に一歩出たとたんにめまいがする。台湾の画廊さんに暑いでしょうと言うと台湾もこんなもんですと簡単に言ってくれる。これが当たり前だと8月の台北アートフェアーが思いやられる。そのうち関西も台湾同様に亜熱帯地域の仲間入りをするのでは。そんな中を女性スタッフ二人が小浦展の展示を終え夜遅くの新幹線で大阪に到着。朝からおそらく体感温度40度を超える暑さには呆れていた。それでも今日もこの暑さに負けずにホテルの外には入場を待つ人の列が。ありがたいことである。

7月30日

猛暑が続く。
月曜日からは小浦昇展が始まった。
私の画廊では多分彼との付き合いが一番長い。
私が大阪の画廊の5年の勤務を終え、帰ってきた早々に友人の画廊から、多摩美が駒井哲郎氏を教授に迎えて、新たに版画専攻科が出来たのだが、そこの学生達の作品を見てくれないかと頼まれたのがきっかけであった。
当時小浦昇は助手をしていた渡辺達正など先輩の版画の刷りを手伝いながら自分の制作を始めたところであった。
今のようなブルーを基調にした作品はまだ生まれていなかったが、渡辺達正や駒井哲郎、春陽会の重鎮小林ドンゲなど銅版画の先輩から、彼の技術には太鼓判が押されていた。
その後版画大賞を受賞するなどその活躍は目覚しく、私どもでの個展でも常に200点を超える売り上げがあって、彼一筋のファンが今も途切れることなくコレクションを続けてくれている。
私は前回の個展まで知らなかったのだが、ミクシーというネットの仲間内だけで情報を交換するサイトがあるそうで、そのミクシイに彼のサイトがあるとの話をそのとき初めて知った。
そう言えば、若い女性の来場者がやけに増えたと思っていたが、多分その仲間達に違いない。
きっとミクシイの子なのだろう、高校生くらいの子が5000円の作品を長い時間迷った末に買ってくれる。
洋服や化粧品が欲しい年頃に、お小遣いをためて美術品を買ってくれることは、値段にかかわらずうれしいことで、持ってきた小浦の画集に恐る恐るサインをねだる姿も初々しい。
ミクシイなるものを是非見たいと思ったが、これにはお仲間の推薦がなくてはならないそうで、無粋なおじさんが入るのも失礼だし、謎のままのしておくことにした。
版画の衰退が言われて久しい。
コレクターの目が、若い作家のコンテンポラリーの油彩や立体作品に目が向いてしまったせいもあるのかもしれないが、作家の中でも版画一筋といった人が少なくなってしまったこともあるだろう。
私のところでも山本麻友香や綿引明浩、服部知佳や高木まどか、小川陽一郎といった作家達は大学院で版画を専攻しながら、今その表現は多様化している。
そうしたこともあるのだろうが、私には版画を続ける作家達が、技術偏重に偏りすぎたり、版画の枠内だけで仕事を続けているうちに、自由な発想に欠けてしまい、今のニーズに応えることが出来なくなってしまったことも、その要因の一つではないだろうか。
以前は清宮質文や池田満寿夫のように全作品を持っているコレクターがいたが、一点一点が清新で自由で魅力的であったからこそ、そうしたコレクター達が生まれたのではないだろうか。
版画存亡の危機の中、全作品とは行かないまでも、常に追い続ける小浦ファンがいることは、小浦昇がそれに応えるべき制作を続けている証であろう。

8月2日

台北アートフェアー用の荷物の送り出し準備でスタッフ全員とともに夜中の2時まで残業。
最近アルバイトに来てくれている娘の中学時代の友人の白倉君も一緒に残って大活躍。
彼は大学院で建築を専攻しているが、写真美術に興味があり、手伝ってくれることになった。
スタッフは皆残業続きでへとへとだが、夏から秋にかけてのアートフェアーの準備、8月21日から開催されるギャラリーオークションの査定や出品準備、次回以降の企画展の準備などなど仕事が目白押しで、休む間がなく、ひたすら感謝感謝である。
私も60過ぎての朝帰りはつらいが、せめて家まで車で送ってあげるくらいはやってあげようと、眠い目をこすりこすり残ることにした。
みんなの頑張りとチームワークで、準備完了、昼には無事台北に作品を送り出すことが出来た。
幸い、既に画像やこちらに来て見てもらったこともあって、数点の大作には台北から予約が入っていて、送り出しにも気合が入った。
今回台北は広いブースを借りたので、大作中心に作品数も多く、送り出すまでの置き場所にも悩まされた。
ようやく片付いたようにみえたが、直ぐあとのソウルのアートフェアーや同じ時期に予定されているソウルのビッグギャラリー・インターアリアの若手作家グループ展用の大作がひしめきあっていて、果てさてどうしたものかと思案に暮れる。
置き場所もそうだし、そうした作品を先に見たいと海外からわざわざ訪ねてくる人も多く、個展開催中の会場で別の作品の店開きをしなくてはならない。
せっかく力作を出してくれている作家にも申し訳なく、費用もかかるが、思案の挙句、近くのマンションの一室を借り、銀座ビューイングルームとして使うことにした。
更には、今の倉庫だけでは目一杯なので、地下の倉庫の拡張を、大家さんにお願いし、何とか了解を取り付けられることになった。
これで少しはスタッフも楽が出来そうだし、私も朝帰りしなくてすみそうだ。

8月4日

昨日の夜から雷鳴が轟きわたり、空は真っ黒、強い雨が降ったりやんだりで、今日は見に来る人も少ない。
とはいえ、画廊は慌しくオークションの準備が始まった。
先ずは月島の倉庫から200点余を運び出し、リスト作成とキャプションを貼り付ける作業に追われる。
まだ倉庫には400点ほどがあり、合計600点が出品予定で、果たして画廊に飾ることが出来るかどうか心配になってきた。
既に出品リストはいつできるかという問い合わせも多くきていて、何とか今週中には皆さんに価格リストの発送ととHP上にアップをしたいと思っている。
お客様には夏のお楽しみの恒例行事、物故作家から若手作家、日本画から現代美術まで盛りだくさん、掘り出し物が目白押し。
暑い最中だが大勢のお越しをお待ちしている。

8月8日

とにかく暑い。
大阪のフェアーの折に無茶苦茶な暑さと書いたが、この暑さは大阪並み。
勇気を振り絞って、近くの画廊に展覧会を見に行くが、一軒だけ行って、次を廻る元気なし。
そうしてみると、この異常な暑さの中を見に来ていただくのは、本当に大変なことで、一人一人に冷たいお絞りのサービスくらいはしなくてはいけないのでは。
その画廊では、大勢の若手作家の小品が並んでいたが、売れているのは以前に見て気になった作家の作品ばかりであった。
私の好みと今の流れがあってきたのだろうか。
若手なら誰でもということでなく、人の目にとまる何かがあるのだろうが、その何かをうまく言い当てることは出来ない。
よく人からどのようにして若い作家を選ぶのですかと聞かれる。
うまい答えは見つからず、直感というのだろうか、ビビビッと感じるというしかない。
結局は自分の好みの作品を描く作家を選んでいることになるのだが、食べ物や洋服や女性のタイプのようにその好みをうまく説明できないのと同じである。
長い間にそうして自分なりに選んできた結果、ギャラリー椿独自の色が自然に出てきたのだろう。
お客様には自分の好みの作家であれば、どなたか一人くらいは同じ好みを持つ人がいるのではというところから始まると言っている。
大勢の人の好みに合うか、これは売れそうといった基準で選ぶとすると、かなり自分の好みを抑えなくてはならず、お客様に薦めるにも説得力に欠ける。
ようは自分の気持ちに忠実にといったところだろうか。
それにしても暑い。

8月9日

明日から一週間夏休み。
毎日残業続きのスタッフは海外に行ったり、実家に帰ったりで、暫しの休息。
休み明けと同時にオークション用の600点の飾りつけが始まる。
オークション会社顔負けで、一画廊によくぞこれだけの作品が集まったものとあきれている。
アルバイトの子達も何人か来てもらうが、21日の初日までに果たしてうまく収まるだろうか。
去年は壁面の上から下まで所狭しと飾ったが、今年はそれ以上の作品があって、どのようにして飾っていいか途方にくれている。
出品リストも何とか今日中に発送すべく準備におおわらわ。
前回までのオークション入札をされた方には送らせていただくが、それ以外の方はHP上でご覧いただきたい。
9月からも画廊では小林裕児、小林健二、山本麻友香、桑原弘明、富田有紀子と人気作家の個展が目白押しで、そこに台北、ソウル、シンガポールとアートフェアーや海外展がいくつか続き、よくぞこんな殺人的スケジュールを入れたものと我ながらあきれている。
その代わりに、スタッフにも頑張ったご褒美で、冬休みは暮から2週間取るぞと宣言。
残業続きの埋め合わせになればいいのだが。

8月18日

夏休みも終わり早速オークションの準備。
張り切って高い脚立に乗って倉庫の片づけをしていたら、バランスを崩して転落。
手足腰に大きな青あざ。
年甲斐もなくというか、自分も一緒に動いていないと落ち着かないという貧乏性。
イタリアのアートフェアーに出展した知り合いの画廊のオーナーが自ら金槌もって飾り付けをしていたら、イタリアの画廊主にそんな事をオーナーがしているのをお客が見たら売れる絵も売れなくなると言われたそうである。
確かに海外のフェアーでは日本人以外オーナーが展示をしている姿を見たことがない。
海外の画廊とは規模も違うし、スタッフの人数も違うから致し方ないが、日本の画廊は揃ってトンカントンカンやっている。
今回はアルバイトの男の子5人と元スタッフの女性も手伝いに来てくれていて、私もそんなに頑張んなくていいのだが、年寄りの冷や水で出しゃばった結果が墜落。
明日からはおとなしくしてよ。

8月22日

よくぞこれだけ並んだものである。
夏休み前からどうしたもんかと頭を悩ませていたが、何とかなるもんである。
600点といっていたが追加作品があり、700点という膨大な点数になってしまい、一見閉店セールの様相を呈している。
これは全て在庫ですかとの質問も多いが、これだけ在庫を抱えていたらそれこそ閉店セールになってしまうが、ほんの僅かを除いてお客様からの依頼品である。
将来の自分の姿を見ているようだというお客様も何人かいたが、そう言いながらもまた入札をしている。
展示のときからお客様がお見えになり、初日には久しぶりのお客様など大勢のお客様で賑わい、たくさんの作品に入札をいただいた。
全部が落ちたらどうしようと心配しつつも、再度入札に来られる方もいる。
作家の方が来ると慌てる。
中にはご自分の作品が出ている方もいて、あまりの安さにびっくりしないよう、作品を身体で隠して見せないようにしたり、話しかけては目をそらせるようにしたりで、一苦労である。
そうした作家さんたちも何故か入札していくから面白い。
展覧会でも、こんな風に来る人来る人次々に作品を買ってくださると有難いが、そうはいかない。
一年に一回、お客様のご依頼に応えるとともに、入札をしていただくお客様にも喜んでいただける機会を持てることをうれしく思う。

8月24日

あの暑さは一体どこへ行ったのかと思うくらいここ数日過ごし易い日が続く。
おかげでオークションに見える方も小雨は降っているが、昨年のように汗をかきかきということがないので、幸いである。
朝早くから遠方より夜行バスで駆けつけた方もいて、普段は誰も来ない日曜日も今日は朝から熱心に作品を見られる方が多い。
またお越しいただけない方からの問い合わせも多く、画像を送らせていただき、メールにて入札される方も大勢いらっしゃる。
丁度、オリンピック観戦と遅い夏休みを取られる方もいて、昨年のような数字は行かないのではと心配していたが、順調に入札いただいているようである。
私も2,3日前まではオリンピック観戦で寝不足気味だったが、最後のほうになって残念ながら日本選手の活躍も少なくなり、寝不足も解消。
それにしても中国の勢いはすごい。
開催国とはいえ、ここまでやるかと思うくらいその勢いには驚かされる。
格差社会、民族対立、言論統制など多くの問題を抱えているだけに、政府にとっては国威発揚・ナショナリズムを鼓舞するには絶好の機会だったのだろう。
2年後には上海万博を控え、またサプライズを演出するのだろうが、その後が果たしての疑問符がつく。
東京・ソウルと近隣諸国はオリンピック後、見事な経済成長を遂げたが、中国は背伸びをしすぎているように思えてならない。
そのひずみがどう出るかわからないが、中国美術の過剰なまでの価格高騰を思うと、バブル崩壊もそう遠くないような気がするのだが。

8月25日

海外に納まった作品が僅かな間に亀裂剥落をおこし、お客様からクレームをいただいた。
向こうに行って作品の状態を確認したところ、全面に亀裂剥落があり、取り敢えずは丁重にお詫びをして引き取らせてもらうことにした。
ここまではよかったが制作した作家との対応に苦慮することになった。
私どもの作家ではなく、選抜展で選ばれた作家の一人で、美大出たての全く付き合いのない作家なのだが、私も40年この方仕事をしてきて、こんな不遜な作家に出会ったことがない。
だいぶ以前の話になるが、先般亡くなった文化勲章作家・片岡球子先生の作品を購入していただいたお客様から、作品の亀裂がひどくなったので見てもらえないかとのお話が来た。
見ると亀裂がひどく絵の具が浮き上がっていて、早速に引き取り、先生のアトリエを訪ねることになった。
先生は作品を見て、これは私の責任ですと、先ずは深く頭を下げられた。
そして気に入って買っていただいたお客様には誠に申し訳ないが、この作品の修復は無理なので、新作を描くのでそれでお許しいただき、その制作のため一年くらいの猶予をいただけないかとのご返事をいただいた。
もし駄目であればその作品をお客様の言い値で買い取らせてもらえないかとも仰言られた。
日本画は新作であればあるほど評価が高いので、お客様は嫌と言うはずがなく、帰ってからその旨を伝えると、先生の誠実な対応に帰って恐縮しきりであった。
私がアトリエを出るときにも、玄関では床に頭をこすらんばかりに深々と頭を下げ、外に出ても私が見えなくなるまで頭を下げておられるのが未だに目に焼きついている。
他にもこうした作品のトラブルは何度かあったが、全て作家の方達は誠実な対応をしていただいた。
それに引替えとは言いたくないが、謝罪もなく、一度として画廊にも訪ねてこない作家の対応にはあきれるばかりである。

8月27日

オークションも終わり、今日から台北に出発。
オークションの方は昨年並みの数字となり、ほっと胸をなでおろしている。
300点近くの落札作品をこの一週間で引き渡したり発送しなくてはならず、スタッフやアルバイトの子達はまだまだ慌しい日が続くが、台湾行きの私とスタッフは忙しさを尻目に出かけることにする。
ただ台北のブースを広く取ったこともあって、大作の絵画や彫刻をかなりの点数展示しなくてはならず、向こうに行っても同じことをしなくてはならない。
オーナーは悠然となどとは言ってられず、金槌片手には脚立に乗って暫しも休まず槌打つ響きである。
台北のフェアーは初めての参加で不安もあるが、既に数点の予約も入っており、日本のアーティストへの期待も大きいようで、結果を楽しみにしている。
台湾は親日の人も多く、先般開催された第一回日台ロータリー親善会議の折にも多くの方に日本語で話しかけられ、今回はその方たちにお会いできるのも楽しみの一つである。
向こうから日記を送るので楽しみにしていただきたい。
ただしノートパソコンをうまく繋げるかどうかが心配ではあるが。

台北に到着。
20年ぶりだろうか。
高層ビルが立ち並び、台北の街は一変していた。
スタッフの寺嶋や同行した天久・門倉の作家二人と繁華街を歩きながら夕食の店を探す。
昔の面影を残す地元の人で賑わうそば屋を見つけた。
英語も通じず、漢字のイメージで何品かを注文。
水餃子の入ったそばなどとても美味しく大正解。
お腹一杯食べて一人300円には驚き。

8月28日

アートフェアーの会場はホテルから歩いて5分ほどのところ、一際は目立つ超高層の101ビルのすぐ横にあって、先ず迷子になることはなさそう。
そう言えばニューヨークのホテルもエンパイアーステートビルの真下にあって、高いところに縁があるようだ。
私のところのブースはメインの入り口のすぐ横にあり、私のブースを先頭にして後ろにグラフィカ、レントゲン、山本現代など10軒ほどの日本の画廊が並ぶ。
途中停電などがあったり、床の清掃に来なかったりで、だいぶ時間がかかったが無事展示終了。

展示の準備中にすでにお客さんが入って来ていて、なんと早々と現金で横田尚の作品が売れ、幸先良しである。
今日は3時半から9時過ぎまでは招待日でビップだけの入場だったが、途切れることなくお客様で賑わう。
フェアーそのものも思っていた以上にレベルが高く、日本からもコレクターや画商、美術雑誌関係者など多数が訪れ、関心の深さがうかがえる。

すでに予約で完売をしてしまった山本麻友香を目指してくる人が多く、ひたすら頭を下げっぱなし。
ソウルのフェアー用の大作を予約したいという人や11月の個展には必ず日本に行くので是非作品を残しておいて欲しいという人などあまりの反響に驚くばかり。
門倉の大作や高木まどかの大きな立体もすべて売約となり、台湾で最初からこれほど売れるとは夢にも思っていなかった。
他のブースでもオランダの画廊が出していたロッカク・アヤコや山本現代の西尾康之、グラフィカの日野之彦などはほとんど売れていて、日本人作家への人気は恐ろしいほどだが、気をつけなくてはいけないのは、オークション主導の作家が売れていることである。

初日からくたくたになりお腹もすいて、夕食の店を探すが、ほとんど閉まっている。
ようやく見つけた鍋料理のお店に入ったがこれまた大正解、スープの種類と何種類もあるお肉や魚の中からひとつを選ぶほかは全て食べ放題。
メニューに書いてある肉とスープの値段だけで、これまた驚きで日本のお昼代と変わらない。
大満足の第一日目となった。

8月29日

昨日までのチープな食事と打って変わって今日は重なる接待で豪華台湾料理のてんこ盛り。
昼に親しくしている韓国のメキャンギャラリーの金さんと台湾の中でも古い画廊のアジア・アートセンターの社長の招きで昼をご馳走になる。
この画廊は驚くほどの広さで一階では来年私のところで開催予定の韓国作家・李錠雄の個展を開催中。

フェアーの最中を抜けてきているので軽くと思っていたが、あわびからカラスミ、上海蟹、北京ダックなどなど次々に出てくる。
バンドの穴をひとつ緩めて会場に戻る。

相変わらず人も多く、一番感じるのは作品を見にだけ来るのではなく、買いに来ている人たちが多いことである。
反応が早いというか、これを欲しい、これはいくらなのか、他に同じ作家の作品があれば是非欲しいといった会話がすぐに始まる。
他のフェアーではあまり経験したことのない反応のよさに驚いている。
昨日同様に成果も上がり、台北、北京などでの個展の依頼もいくつかあり、フェアーの本来の目的も果たせそうである。

さて次は夜のご招待である。
来年山本麻友香展をしていただくSOKA ギャラリーのオーナー親子に呼ばれ、
7時半からは主催者招待のディナーパーティーがあるのに、その前に軽いディナーをということになってしまった。
一緒に山本現代のオーナー、視察に来ていたミズマギャラリーの三潴氏、明日から台北の画廊で個展を開く旧知のOジュン君などが一緒である。
彼の個展をやるジェーチェンギャラリーはこの前高木まどかの展覧会をやったところで、明日の3時からオープニングいうことで会場を抜け出さなくてはいけない。
グランドハイアットの有名な台湾レストランで始まった軽い夕食は昼以上にヘビーで、もうこれ以上はいる余地がないくらい料理が押し寄せてくる。
そこの食事を済ませ同じホテルにあるパーティー会場に向かう。
どういうわけか貴賓席に座らされ、豪華なパーティーが始まった。
目の前に次々と料理が運ばれてくるがとても手をつけることができない。
タッパウエアーがあったらお土産に持って帰りたいくらいである。

先日大阪であったホテルフェアーの招待ディナーが思い出される。
私がお世話になった数人の韓国台湾の画廊さんたちをご馳走するつもりで大阪の主催画廊にも声をかけた。
彼は何を勘違いしたのか海外の画廊全員に声をかけてしまった。
北新地にあるお好み焼き屋に連れて行くことになった。
行く道すがら、椿さんこの勘定はどうしたらいいかと言ってきた。
当然招待でしょうといったら驚き、どうしようという顔をされた。
私も出すからなんとか事務局持ちでということで収まったが、外国とのホスピタリティの違いには驚くばかりである。

大満腹の一日であった。

8月30日

今日はフェアー以外の行事で大忙し。
昨日一緒だったOジュン展のオープニングに招かれ、フェアーの合間を縫って出かける。
会場のJ・CHENギャラリーは6月に高木まどかや山本麻友香のグループ展が開かれたところで、元コレクターの気鋭のギャラリーである。
O君は以前に小林健二等と3人展を企画したこともあって、興味深く見せてもらった。

フェアーの終了後、昨日ご馳走になったSOKAギャラリーの展覧会のオープニングに招かれる。
なんと玄関には大型バスが用意されていて、それに乗って画廊に向かう。
この画廊では来年山本麻友香展が予定されていて、展覧会より画廊の壁面に何点飾れるかばかりが気になってしまう。

そこでの食事もそこそこに8時半から予定されている、画廊協会主催のコレクターの集いに向かう。
おしゃれなレストランで食べ放題、飲み放題の料理が用意されている。
昨日同様その前に意地ぎたなく食べてしまったことが悔やまれる。
ここには私とスタッフ以外日本人は誰も来ておらず、J・CHENギャラリーのスタッフからコレクターや画廊関係者を次々に紹介され、名刺が売り切れ寸前となってしまった。

席に戻ると、和服の美しいご婦人の姿が見えた。
日本人がいたぞということで声を掛けると石鍋さんという方とお連れのご婦人で、ワンピースの会という一年に一点美術品を買いましょうという会を主催して、美術品の普及にこれ努めている方であった。
その会の名前は先日聞いたばかりで、是非お会いしたいと思っていた矢先に、まさか台北のこんな場所でお会いできるとは、縁とは不思議なものである。
驚いたのは、今年一年バーゼル、アルコ、マイアミ、北京、上海、香港といった世界のアートフェアーをくまなく見て廻ってきたそうで、うらやましい限りである。
こうして多くの方と知己が得られるのもフェアーならではのこと。

8月31日

昨日今日と土日ということもあって大勢の人で賑わう。
ただ最初のころと違って、見に来る人ばかりで買いたいという話はめっきり少なくなった。
画廊も売れているところと全く駄目なところと極端に分かれる。
日本の画廊もあまり反応がなく期待はずれだというところも多く、私の感想とは全く逆の印象をもったようだ。
アートフェアーブームを当て込んで初めて参加した画廊ほどそうした印象を持ったようだが、そんなに最初からうまくいくわけがない。
何度も参加することで画廊と作家の認識を深めてもらい、その結果の積み重ねでようやく成果が出るのであって、私も最初のフェアーではたった一点サムホールの絵が売れたことから始まり、今の結果がある。
売れ行きは鈍ったが、個展の依頼がいくつも来て、これもフェアーへの参加を積み重ねた結果のご褒美と思っている。

夜はまた二つの画廊に招かれる。一軒はコンテンポラリースペースという画廊で、先週オープンしたばかりの画廊だが、名前通りのスペースの素晴らしさには度肝を抜かれた。
台湾の画廊は広いといっても韓国ほどではなく、空間のデザインも野暮ったいところが多かったが、ここは違う。
床から天井まで全て白で統一されていて、坪庭には水まで流れていて、一見ホテルのロビーを思わせる。

ここのオーナーは、初日に山本麻友香を買うことが出来ず、ソウルのフェアーに出品予定の山本麻友香の2メーターの大作を予約ができないだろうかといってきた人で、その時はギャラリストとは名乗らず、お客として現れた。
後で聞いてみると画廊というと断られると思い、名乗らなかったそうで、失礼なことをしたと翌日謝りにやってきた。
そこでの話で、どうも私の画廊をすっかり気に入ってしまったようで、これから画廊を始めていくのだが、うちの作家達で自由に使ってもらえないだろうかと願ってもない話をいただいた。
そこで私も頭に乗って、それではどうだろうか、この画廊は台湾で唯一常に日本人作家を扱っているところとして売り出したらどうだろうかと言うと、すっかりその気になって、継続的に私どもの作家の企画をしていくこととなった。

次に向かったのは今回のフェアーのチェアマンをしているキャピタル画廊のオープニングパーティー。
ここは古い画廊でうなぎの寝床のように奥に奥にとスペースが続く。
あまりいい作品とは思えないが、大作全てが完売していて、韓国にしても台湾にしてもどうしてこんなに絵が売れるのだろうか。
それも全て大作ばかりである。
丁度フェアーの様子がテレビで放映され、幸い私のブースも紹介されたが、、全球不景気・亜州芸術博覧会異軍突起とのテロップが流されていた。
ここのオーナーは絵も描いていて、毎朝プールで一泳ぎして、それから2時ごろまで絵を描き、その後画廊に出るというから、わが身との違いに愕然とする。
そんな余裕な過ごし方をして、画廊は初日から完売だから恐れ入る。
そこで美味しい点心をいただいた後、ホテルには歩いて帰ることにする。
途中マッサージを見つけ、スタッフの寺嶋は大感激で連日の疲れを癒すことができた。

9月1日

今日は昼から雨。
かなりの暑さを覚悟してきたが、思ったより毎日過ごしやすく、ほっとしている。
天気のせいもあって、昨日までの賑わいもなく、本日の成果はゼロ。
夜はまたSOKAギャラリーの2代目さんポールの誘いでディナーとマッサージに出かける。
ケリーなどギャラリースタッフの美女軍団とSOKAで発表しているフォトアーティスト等も一緒に。
台湾の人たち、特に若い人は皆名前を英語の呼び方に変えていて、漢字読みが難しいということだそうだが、韓国が漢字を捨てて、全てハングル文字に変えたのと同じで、自分たちの文字文化を捨てていくのは何故なのだろうか。
韓国の若い人は自分の名前を漢字で書くことさえできなくなっている

古い伝統的な台湾料理屋らしく、大きなテーブルを囲んで庶民的な料理を味わう。
ナスの田楽、牡蠣のスープ、ゴウヤの味噌和え、大きな春巻きなどどれも美味しく、締めは台湾そばで大満足。
次はお茶に行こうということで、てっきりコーヒーでも飲みに行くと思いきや、友人がやっているという中国茶と画廊をやっているお店に行く。
そこには昨日訪ねたコンテンポラリー・スペースのオーナーも来ていて、私が来たのにはびっくりしていた。
そこでウーロン茶など何種類ものお茶を出されたが、どれもおいしく早速お土産に買い込むことにする。
次はマッサージと街に繰り出すと、台湾名物のかき氷屋の前で椿原さんと呼ぶ声がする。
振り返るとフェアーを見に来たという玉英画廊の玉屋君ではないか。
他に出展している広田君やIDFのオーナーたちも一緒。
まさか台北で私の名前を呼ばれるとは、狭い世界である。
彼らも合流して団体様で足つぼマッサージを堪能。
若い女性たちはなんと台湾にいるのに初めての体験だそうで、くすぐったがる子やら痛くて悲鳴を上げる子やら皆それぞれ。
昨日よりは高級なお店のようで私はうっとり気分でホテルに帰るが、若い連中はこれからとカラオケに行くという。
年の差をつくづくと感じつつ爆睡。

9月2日

いよいよ最終日。
朝から強い雨が降り心配したが、出掛ける頃にはあがり、一安心。
遊びでは雨男だが、仕事では晴れ男のようだ。
最後とあって人は多いが結局後半は何の成果もなしで終わった。
台北の画廊さんが最終日が勝負ですよといってくれたが、いくつかまとまりそうだった商談も実らず、やはり前半で目途をつけておかないと結果は出ないようだ。
どうしても偏った作家たちに人気が集中し、出品してもらった作家たちが満遍なく売れるのがベストなのだが、そううまくはいかない。
ただ今回うれしかったのは、ベテランの金井訓志と初登場の門倉直子・横田尚北村奈津子などの評価が高かったことと、金井、門倉、には台湾・韓国のいくつもの画廊から個展やグループ展の話が来たことである。
売れる作家、展覧会の話が来る作家に共通しているのは、人物像を大きく描いていたりといった見た目のインパクト、現代性、明るさ、楽しさ、遊び心といったところだろうか。
台湾の作家や中国本土の作家はあくの強さとか巨大であったり、トリックアートといった部分で人目を引く作家が多く、柔らかさとか、優しさとか、和みといった部分を持つ私のところの作家に逆の要素で関心が集まったのかもしれない。
もうひとつ言えることは個展で見せる作家と、こうしたたくさんの作品の中でも負けないインプレッション持っている作家とを分けて紹介していかなくてはならないことである。
マティエールの美しさとか精神性の高い絵といったじっくり見ることでそのよさが伝わってくる作家にはフェアーは不向きなようだ。

片づけが終わったのが9時近く、ほとんどの画廊が帰ってしまった。
どっと疲れが出る。
早く帰って寝たいのだが、最後まで残って手伝ってくれたユンボク君がどうしても超高層ビル101の展望台に登りたいと言い出し、重い足を引きずりつつついていくことにした。
88回まで30秒ちょっとであっという間に上がってしまうのには驚いた。
夜景は美しいが、こうして高いところから見ると灯りも東京などの大都会と比べると少なく、まだまだ発展途上といったところだろうか。
夕食は最初に行ったホテルの近くの鍋料理屋ですることにして台湾最後の夜を終えた。

9月9日

案の定、台湾ではノートパソコンがうまく繋がらずと言うよりは、パソコン音痴の私が所詮そんなことが出来るはずもなく、書き溜めて持って帰る羽目となった。
そんな訳で、日付がずれた日記を皆さんにご覧いただくことになり、お許しいただきたい。
帰った早々も気の早いお客様から来年のオークションの出品依頼があり、疲れを癒す間もなく、100点近い作品を運び出すことになり、足腰パンパン・台北の足つぼマッサージが懐かしい。
帰ってからは台北からのメールがわんさかで、それが皆英語、現地でもつくづく英語の必要性を痛感させら、60の手習い・英会話教室にいよいよ行かなくてはと思っている。
台北で一つ言葉で戸惑ったことがある。
さかんにサティフィケートと買われたお客様や画廊の人たちが言う。
証明書のことなのだが、私どもの若い作家達の作品だけに、そんなものないのが当たり前のように思っている私には、何を言いたいのかさっぱりわからず、それも発音が全く違うだけに余計に厄介(ソフィスティケート・洗練された・に聞こえてしまう)。
どうもそれぞれの作品に私どもの証明書が必要らしく、作品写真に改めて私のサインを添えて送ることにした。
裏を返せば、それだけ模倣品や贋物が多いということかもしれない。
語学にパソコン、やらなくてはならないことが多く、ぼける暇もない。

9月10日

明日からは小林裕児展
彼の制作スタンスは拡がり、とどまるところを知らない。
ここしばらくは音楽や舞踏に合わせてのライブパフォーマンスが続いたが、大作「朱い場所」から生まれた劇作家・演出家である広田淳一氏による物語を氏主宰の劇団「ひょっとこ乱舞」の劇団員達が朗読し、踊り、更には毎回おなじみの斎藤徹氏によるコントラバス演奏が加わり、それに触発されて更に描くといった天衣無縫、狂喜乱舞の様相を呈しそうなパフォーマンスが展開される。
9月13日7時からを予定しているが、既に予約が殺到し、残り5名となってしまったが、興味のある方は即刻お申し込みを。
展示はその「朱い場所」の他、西アフリカの藍染布に描いたドローイングやブロンズ同様に最近取り組んでいる鋳造ガラスを組み入れた作品など、多種多様な技法と素材を駆使した作品が並ぶ。
先般開催された横浜美術館「私の美術館」ではアラーキーなど異ジャンルのプロ4人をゲストキュレーターに迎え、その中の一人・小説家の角田光代氏は収蔵品の中から小林の安井賞受賞作「夢酔」を紹介し、大いなる話題を呼んだ。
新たな角田氏との出会いも、これからの彼の制作展開に大きな影響を及ぼすかもしれない。

9月13日

小林展が始まったばかりだが、来週早々には韓国のアートフェアーKIAFに出かける準備に追われている。
KIAFは年々盛んになり、今年は世界から200に近い画廊が参加する。
日本からも15画廊が参加する他、欧米だけでも50以上の画廊が参加する、文字通りの国際アートフェアーとなった。
同じ時期に釜山や光州でもヴィエンナーレが開かれ、韓国の文化に対する姿勢は日本と比べ物にならないほどの活力が感じられる。
先般、台北に参加している同時期に東京のホテルニューオオタニでアジア・トップギャラリー・ホテル・アートフェアーが開催され、日本、韓国の画廊が参加した。
私どもは参加しなかったがお付き合いのある韓国のSPギャラリーから依頼を受け、SPのブースは私どもの作家さんの作品を展示をさせてもらった。
韓国は有力な画廊が殆ど参加し、韓国の作家の紹介に努めたようだが、結果は満足いくものではなかったようである。
丁度台湾で日本の作家にスポットライトが当たり、大きな反響を呼んだが、日本では逆に海外特にアジアの作家を売ることはまだまだ難しいようである。
そうした日本の状況の中にあって感心するのは、台湾や韓国の画廊がインドネシア、タイ、ヴェトナム、モンゴールなどの作家達をフェアーで紹介したり、展覧会を企画し、広くアジアをスタンスに仕事をしていることである。
私達日本の画廊もアジアの一員であること意識してこれからの展開を考えなくては、一人取り残されてされてしまうのではといった危機感さえ感じてしまう。
日本人作家だけがアジアの他の国で売れている現状に浮かれていてはとんでもないしっぺ返しを食らうかもしれない。
事実、、台湾でもオークション会社や転売ブローカー達が初日から来ていて、オークションで売れそうな日本人作家を物色しているのがとても気になった。
本当の意味で日本人作家が海外での評価を得るには、アートフェアーだけではなく継続した発表の積み重ねであって欲しいし、自分達もそうした地道な努力をしていきたいと思う。

9月14日

9月10日の読売新聞に現代美術の日中交流という記事が掲載された。
六本木の国立新美術館で過去20年の中国現代美術を振り返る「アヴァンギャルド・チャイナ」展が開催されていて、それに関連して、今後中国が活発なアジア現代美術の中心地になる勢いがあるといったことや、日本の作品を発信していく上でも、中国との関係を深めていくことが重要と書かれている。
私のところにも取材に来ていて、中国美術の隆盛が本来の文化発展とは違う要素が多分にあることも話したのだが、その辺のことは割愛されてしまった。
確かに中国を筆頭にアジアの勢いが強いことは身を持って体験しているが、昨日の日記にも書いたように、本当の美術需要の基盤を作っていかないと、日本で過去2回あったような美術品の大暴落といった事態を招きかねない。
昨日もお客様があるメールの写しを持ってきてくれた。
知り合いの方からのお願いらしく、韓国のオークション会社で働いているディレクターから次の作家の作品を探して欲しいとの問い合わせで、小林浩・細川真希・川島秀明・ロッカクアヤコ・松浦浩之といった名前が並び、そうした中でも特に望んでいるのが奈良美智と山本麻友香であるといった内容のメールであった。
オークション主導の作家の中に山本の名前があったのは大きなショックであった。
彼女の絵は私が参加したアートフェアーで大変な人気であることは間違いないが、オークションには過去2,3点が出ただけだし、それも破格の価格がついたわけでもないのに、こうしたオークション会社の触手が伸びてきたことは、いよいよ来たかという感じである。
いっそう気を引き締め、彼女達をガードし、本来の需要に支えられた国際評価を得られるようにがんばらなくてはならない。

9月17日

明日早くにソウルへ。
スタッフの島田と諸田は一足早く出発。
今頃丁度飾りつけの真っ最中では。
今回はお誘いした美術館の館長さんや作家さん達、元スタッフなど多少前後するが総勢12名が勢ぞろい。
アートフェアーと同時に、会場の目の前にあるインターアリアギャラリーで、日本人若手作家20名による現代美術展が始まり、私どもからも7名の作家が参加していることもあって、そちらのレセプションへの出席も兼ねている。
ここは大きな企業が一年前に開いた画廊で、既に日本人の写真家達によるグループ展を企画するなど、日本美術の紹介に熱心に取り組もうとしている画廊である。
会場はとてつもなく広く、画廊というよりは美術館といったほうがいいかもしれない。
アートフェアー同様に大きな成果を期待しているが、リーマンブラザースの破綻など世界情勢が厳しくなっている状況下で、好景気に沸いていた韓国美術界への影響も心配される。
ここしばらくウォン安も続いていて、韓国経済も下降気味のようで、右も左も巨大となった韓国の画廊経営がこれからどのような舵取りをするのか見守るしかない。
ウォン安もそうだが、海外の仕事が多くなると、今までは他人事であった為替の変動にも一喜一憂しなくてはならない。
今回もウォン建てで行くか弱含みのドル建てで行くか大いに迷うところである。
世界経済の大波がひたひたと押し寄せてきた。
溺れないよう、ゆっくりでもいいから泳ぎ続けるしかない。

9月20日

昼、夜と毎度のことだが、韓国の画廊さんの招待で疲れ気味。
丁度時を同じくしてKIAFの会場の真向かいにあるインター・アリアでのニューワーク・プロジェクト・ジャパンが始まり、評論家のM氏とともに二日にわたって美味しいフランス料理を堪能させてもらった。
スタッフや一緒に来ている作家さんたちは豚カルビを食べに行って大満足のようであった。
案内してくれた彫刻家のリ・ユンボク君は約2メーターある大作が売れてご機嫌でだいぶ酒のほうも進んだようだ。
私も今まで何度もKIAFに彼の作品を紹介してきた甲斐があり、とてもうれしい。
他にも若い気の弱そうな青年が門倉さんの作品を購入するなど彼女の大作も2点とも売れ、まずまずの出足となったが、土曜日にもかかわらず人出は少ない。
いつもなら用意してあるポストカードが飛ぶように売れるのだが、それもさっぱりだし、若い女性が作品の前で写真を取りまくる光景も全くなくなった。
今までとの極端なギャップにわたしは驚いているが、初参加の画廊さんはどんな思いでいるだろうか。

9月19日

KIAFに来て2日目。
昨年は事情があって参加をしなかったが、最初のKIAFから参加しているのでホームグラウンドに帰ってきたよう。
規模もすっかり大きくなり200に及ぶ内外の画廊が集まり、アジア最大のアートフェアーとなった。
去年は7万人の入場者があり、売り上げも相当な金額だったようで、今まで様子見だった日本の画廊も多くの参加申し込みがあり、選考の結果小山、SCAI、ARATANI・URANO、東京画廊など15画廊が今回参加することになった。
初参加の台北では日本人作家に人気が集中しただけに、果たしてソウルは?
そのソウル、直前にリーマン・ブラザースの破綻が影響したのか、今までの人出に比べてかなり少ないように感じた。
18日の特別招待日、19日の初日と閑散としていて、先行き不安のスタートとなった。
幸い私のところは山本麻友香の150号2点、130号に予約が入り、不安は払拭されたが、一番肝心な2日がこの調子だと先が思いやられる。

9月21日

昨日の夜は韓国の画廊主催の二つのパーティーがあり出掛けたが、それは賑やか。
私はスタッフとは別のパーティーに行くことにして、釜山のヴィエンナーレに日帰りで出掛けたM氏と落ち合う。
大音量でロックが鳴り響く中、身動き取れないほどの人が詰め掛けていた。
私の行ったところは画廊ばかりが10軒ほど一緒に入っているところで、付き合いのあるPYO、SUN、インターアリアの支店もここのビルにある。
のどが渇いて料理の横にあったコーラを一気飲みしたらになんと中にお酒が。
全く下戸の私はすっかり酔っ払ってしまい、合流する予定のスタッフを待たずにフラフラとホテルへ。
スタッフや作家さんたちは12時ごろまでパーティーを楽しんだ。

日曜日にもかかわらず、商談はゼロ。
幸い私のところは先に予約が入ったので、そこそこの売り上げになったが、周りの画廊は全く赤印がついていない。
韓国の画廊も首をひねるばかりだ。
特に深刻なのはヨーロッパの画廊。
ドイツ、スイスをはじめ50近い画廊が来ているが、一部を除いて売り上げゼロの画廊が多い。
ヨーロッパの画廊が集まって主催者に何とかせいと抗議を申し込んだそうだが、こればかりはいたしかたない。
聞くところによると、北京・上海のフェアーも厳しい状況だったようで、リーマンショックが大きな影を落としているようだ。

そんな状況下にあってもパーティーはますます大盛り上がり。
夜8時に何台もの大型バスに乗って、漢河河畔にあるお洒落なレストランに向かう。
スイス年ということで、スイスの画廊のウエルカムパーティー。
KIAFのこうした催しもますます洗練されてきて、スタッフたちは料理と音楽を大満喫。
どういうわけかスイス人ではなく、韓国人だけのヨーデルバンドに合わせて、リ・ユンボク君はスイスのご婦人と踊りまくり、私はPYOのマダムと手を振り、腰を回して踊る羽目になったが、見ている人には阿波踊りにしか見えなかっただろうが。
すっかり疲れ果てた私を尻目に、スタッフは韓国の美人スタッフ達と二次会に。

9月23日

最終日。
韓国の大手画廊の空間デザインをされているデザイナーが見えてユンボク君の彫刻を予約。
ユンボク君は大阪のイノウエ・ヨシアキギャラリーのブースでも作品が売れたようで真面目に努力をしてきた成果がようやく実った。
相変わらず売れないの大合唱だが、次に行くシンガポールはどんな結果が?
それでも私のところの作家には多くのコレクターの方が声を掛けていただき、今回はじめて紹介した作家たちも次のKIAFには期待がもてそうだ。

9月24日

昨夜遅くに帰国。
今回は展示・搬出はスタッフに任せていたので、元気盛りもりだったが、今朝起きてみると喉がかんかん、どうやら風邪を引いたようだ。
歳を考えず、毎晩遅くまでパーティーに出かけた付けが廻ってきたようだ。
みんなによく元気だ元気だといわれるが、自分では体力もなくひ弱なほうだと思っている。
元々は痩せっぽちで、30歳までは体重も50キロを割っていて、どちらかというと虚弱体質の部類に入っていた。
虚弱だから無理しない、疲れたら直ぐに寝る、夜更かしなんかとんでもないといった具合で過ごしてきたのがかえってよかったのだろう。
この年まで風邪で熱を出すぐらいで、これといった病気や怪我をしたことがない。
それが今年になってからは殆ど休みもなく、かなりのハードワークが続いても疲れ知らず、人から怪しげな薬でも飲んでいるのではと疑われるほどパワフルになったと思い込んでいたが、どっこいそうは行かない。
いい歳なんだから、あまり調子に乗るなと、神様ブレーキをかけてくれたのかもしれない。
暫くはおとなしくしていなくては。

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