ギャラリー日記 Diary

バックナンバー(2006年1月〜3月)

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1月5日

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
12月に続き寒いお正月でした。
1週間画廊を閉めていると、中はすっかり冷え切って暖房を最大にしてもなかなか温まらない。
前に、新川の倉庫画廊の人が冬になると寒いのなんの、天井が高く周りがコンクリートに囲まれ、その上真横に川が流れていては暖房なんてちっとも効きませんよと言っていたのを思い出した。
休みの間零下の河口湖に居たが、画廊の中のほうがよほど寒い。
震えながら、処分を依頼された個人コレクションを展示した。
小品ばかりだが、センスのいい作品ばかりで一見の価値あり。
価格も任されているので出来るだけ買いやすい価格にするつもり。
2週間ほど展示するので是非ご覧いただきたい。
今年は企画の展覧会も盛りだくさんだが、いくつかの質のいい個人コレクションの紹介も任されているので乞うご期待である。
忙しい一年になりそうで、こうした作品や新作の紹介のほかに、ソウル、シドニー、パリ、アムステルダムなどでの展覧会やアートフェアーもあって今からスケジュールに頭を痛めている。
シドニーにいる娘から電話があって、ヨーロッパの方は結婚したばかりのアメリカ人の旦那と一緒に通訳で付いてきてくれるとの事で言葉だけ何んとかなりそうだ。
そのシドニーだが娘によると異常な暑さで45度を超えたそうだ。
地球がおかしくなっている。
今年一年何も起こらない事を祈る。

1月6日

昨年娘さんを亡くしたTさんから電話をいただいた。
とても元気な声で今年は悲しみを振り切って頑張ってくれそうだ。
昨年、娘さんの思いを託して若い作家の支援をしたいという話をいただき、私なりにどのような形がいいのか考えさせてもらった。
大袈裟なものではなく、ささやかな形で少しでも長くて続けていきたいとの意向もあり、GTUで発表をしている作家の中から選ぶ形でご支援をいただくのが一番いいのではと思っている。
若いこれからの作家に少しでも励みになればこれに越した事はなく、私も及ばずながら協力も出来る。
既に、GTUで発表した作家の中から企画展にのる作家も出たり、昨年の海外のアートフェアーに出品をしてもらった作家もいて、今年もまたアートフェアーで紹介をしようと思っている作家も何人かいる。
それ以外にも、HPで紹介した展覧会資料を見て、企業のPR誌の毎月の表紙を飾る作家も出たりとGTUの役割もかなり大きくなっている。
Tさんの篤い思いが活かされ、希望の星となる作家が出てくれる事を期待する。

1月7日

仕事ではないが、昨年暮れにうれしさと悔しさとを味わった。
うれしい事は私の高校の母校である成蹊高校ラグビー部が31年振り4回目の東京代表として花園の全国大会に出場が決まったからだ。
息子も成蹊小学校からラグビー部に入り、花園出場はならなかったが、筑波大学に進み大学選手権にも出場するなどラグビー一筋の青春を送ったこともあり、私もその影響ですっかりラグビーの虜になってしまった。
私の同期も花園に出場していて、そのときのキャプテンとは今でも時々会っているがそのとき以上に今回は興奮し、舞い上がった。
東京の決勝ではロスタイムの終了間際に17対15で逆転と言う劇的勝利で出場を決めた。
28日全国大会初日の1回戦、なんと相手は去年の準優勝校天理である。
ぼろ負けを覚悟したが、結果はなんと12対12の引き分け。
後半に逆転をし、勝利目前のロスタイム2分前に同点トライを決められるという予選とはまったく逆の展開となってしまった。
しかし秋田工に次ぐ出場回数を誇る強豪天理に引き分けとは立派。
悔しいのはそれからで同点、同トライ、同ゴールの場合は抽選となり、結果は抽選負け。
何とかならないのかこのルール。
延長とか、ゴールキック合戦とか、腕相撲とか決め方はいろいろあるでしょう。
○か×かではここまで頑張ってきた生徒があまりにかわいそう。
くじを引いて泣き崩れるキャプテンになんと声をかけてあげたらいいか。
でも彼は言った「天理と引き分け、負けなかったから胸を張って帰ります」と。
泣くなフィフティーン、感動した!
これでますますラグビーにはまりそう。
ギャラリー日記を私用で使ってしまった。

1月8日

来週からは野坂徹夫展
年賀状を兼ねた案内状を送らせていただいたが、ナイーフな野坂の世界はクリスマスカードの方が相応しかったかもしれない。
「地上の視線」と題された作品の中の優しい少女の眼差しは何を見、何を感じているのか。
作品から醸し出される詩情が緩やかに会場を流れ、見る者を暖かく包み込み、心を和らげる。
12日には友人の元六文銭のメンバー及川恒平の歌声と演奏が、更に詩情を昇華させ、心がとろけてしまいそうなくらいの夢心地の気分になる事間違いなし。
寒く冷え切った体を温めに来てみませんか。
12日のコンサートの予約はまだ間に合うので留守電、FAX、メール何でもかまいません。
お早めに!


夕陽行

小舟行

黒のエチュード
野坂徹夫 関連情報 2004.3 2002.5 2000.10 1998.7

1月10日

東京都写真美術館開館十周年記念の「植田正治展・写真の作法」に行ってきた。
植田先生とは写真家としてのお付き合いよりコレクターとしてのお付き合いで大変お世話になった方である。
「いいな、楽しいね、美しいね」と言いながら、東京に出てくるたびに画廊に寄られ作品を購入していただいた。
いつまでも若々しく、純な先生との触れ合いは今でも忘れられない思い出である。
先生の個展の折、砂丘の写真を買わせていただいた事があるが、「いやぁーすまないね、私のような者の作品を買っていただいて」と電話があり、「申し訳ないから3点おまけに付けるので好きなのを選んでください」と言われる。
「とんでもない、好きな作品を買わせていただいたのでそんなことは出来ません」とお断りしたが、送られてきた作品の中に3点の別の作品が入っていた。
今でも私の家の玄関に飾らせていただいているが、久しぶりに「植田調」と言われる作品達と対面する事になった。
会場に入ると、「写真する事は、とても楽しい」と書かれた壁のフレーズが目に飛び込んできた。
これこそまさに先生が画廊で言われていた事に通じる言葉であった。
先生の写真は、そこにあるものを忠実に表現するリアリズムの写真ではなく、すべて演出、構成された上で撮られたものである。
しかし、そこにはわざとらしいものではなく、先生の遊び心が存分に発揮されている。
そして、妻への愛、子供たちへの愛、郷里山陰への愛がたっぷりとふくまれている。
海外で高い評価を得ながら、日本では先生の人柄もあってか華やかなスポットライトを浴びる事がなかったが、この展覧会で間違いなく日本を代表する写真家としての地位を確立することになるだろう。
死後5年経ったが、先生の暖かく優しさにあふれた写真は今でも瑞々しく、ふと「やぁー椿さん、楽しいね」と言って写真の中から先生が現れてくるような気がしてならなかった。
鳥取の米子の近くにある高松伸設計による「植田正治写真美術館」をお世話になりながら未だにお訪ねしない非礼が気になっていたが、是非お訪ねをしなくてはとの意を強くした。
2月5日まで開催されているので恵比寿に行かれる折があればご覧いただきたい。

1月11日

休みに川越市立美術館の「タッチ、アート!体感する美術展」に行ってきた。
川越は小江戸と呼ばれ、蔵造りの町として有名で、駅から古い町並みを散策しながら美術館を訪ねた。
ここの美術館には以前からタッチアートコーナーが設けられていて、視覚障害者や子供達が美術に身近に触れ、楽しめるようになっている。
その延長で今回の展覧会が企画されたようだ。
出品者の中にこの2月に私のところで個展をする小原馨さんが参加しているが、会場に入ると彼の作品群の色彩の美しさにまずは圧倒された。
触る事で色彩の美しさを感じてもらえないのは残念だが、その華やかな色彩の妙にしばし目を奪われた。
小原さんは現在、聾唖学校で美術を教えているが、以前は盲学校で子供達に美術を教えていて、その影響で触覚的な作品を制作するようになった。
今回は手漉きの和紙に色を漉き込み、和紙に凹凸を加えた立体的な作品を発表した。
ますます力をつけてきたようで、私のところの個展が楽しみである。

1月13日

昨夜の画廊での及川恒平のコンサートは久し振りに心が洗われるような思いがした。
野坂さんの絵があって及川さんの歌が生まれ、及川さんの歌があって野坂さんの絵が生まれたかのようで、二人の世界はどこまでも共鳴し響きあっていた。
哀しく切ないけど、暖かく優しい、そんな空気が今朝の画廊に残り香のように漂っていて心地よい。

1月14日

久しぶりの雨。
いつ以来か、長い事降っていなかったので恵みの雨といきたいところだが、展覧会の一番お客様が来る土曜日とは皮肉なものである。
それでも寒さと雨の中、たくさんの方が見にきてくれる。
そんな中で電話があって、中国から SOKA ART CENNTER のディレクターの韓さんが訪ねてきた。
彼女は4年前の大邸のアートフェアーのときに出会ってから、よく韓国のフェアーで顔を合わせるようになったが、まさか画廊に訪ねて来るとは思いもよらず、吃驚した。
この画廊は、北京、台北、ソウルと三つの支店を持ち、中国の人気作家を数多く手がけている中国でもトップの画廊である。
北京と台北に画廊を持つのは、日本では奇異な感じがするが、政治的には問題があっても民間の商売ではまったく問題がないとのことである。
今回は4月に開かれる北京アートフェアーに参加をして欲しいとの呼びかけで来廊した。
中国の活発な経済の動きとバブルともいえる美術市場に大いに興味があり、この4月には視察に出かける予定だったが、今年の参加は考えてもいなかった。
ところが山本麻友香をはじめ私のところの作家には大いに興味があり、必ずや中国のフェアーでも話題になるので、是非参加をして欲しいとの名指しの要請であった。
欧米からも多くの画廊が参加するので、必ずやうちの作家達は目にとまる筈だとおだてられその気にもなったが、あまりにも時間がなさ過ぎで、今回は折角のの申し出だが辞退する事にした。
私のところを指名していただいた事だけでも光栄な事で、来年の参加を約束して帰っていただいた。

1月16日

犬を連れて毎朝、代々木公園まで一時間ほど散歩に出かけているが、朝早くまだ人のいない冬の公園には独特の風情がある。
桜も欅も楓も葉の一枚もないすこんと抜けたような風景は、いつも見るのとは違いどこまでも広く、幹の連なりがずっと先に見える新都心のビルまで繋がって行くようでおもしろい。
殆ど、色のないモノトーンの世界だが、色彩にあふれた時とは違った美しさがある。
今、GTUに展示している作品は、Tさんのコレクションなのだが、色が控えめでモノトーンに近い作品が並んでいる。
公園の景色と同様に、凛とした静けさとどこまでも続く奥深さを感じさせてくれる作品ばかりだ。
私のところで扱うのとは違う作家が多いだけに、いつも見る画廊の雰囲気とは違うが、冬の公園と同様に独特の雰囲気を醸し出している。


横山貞二 「みそぎ」

林孝彦 「作品」

鏑木昌弥 「仏画」

司修 「女」

1月17日

Hさんの依頼で30点ほど作品を預かってきた。
前にも紹介したが、幻想とエロスをテーマに4000点近くのコレクションをした方である。
病気をされ、画廊に寄ることもなくなり心配していたが、年賀状で一度訪ねて欲しい旨が記されていて、久しぶりにお宅に伺った。
少し作品を整理したいので、どなたか好きな方があれば紹介して欲しいとの事。
家にある作品はそれ程でもなかったが、その後借りている倉庫に行き、作品を見ることになった。
おびただしい数の作品が山積みされ、どこから見ていいかわからず途方にくれた。
兎に角、以前に記憶のある智内兄助の代表作と桑原弘明のスコープ、それに恒松正敏の百物語、川口起美雄の初期作品をまず見つけようと思うのだが、これが大変。
結局、智内と桑原の作品は見つかったが、他は次回に持ち越し。
半日かかって30点の作品を持ってくる事になった。
もう一度時間をかけて見に行き、Hさんらしいシュールの作品が揃ったら、一度Hコレクション展で皆さんにご紹介をしたいと思っている。

1月18日

昨日から今日にかけて新聞やテレビで大きな事件が報道されている。
ライブドアにせよヒューザーにせよ、法のすれすれのところで事業を拡大してきた。
汗を流し、まじめにコツコツと仕事をしてきた者からすると、こんな事で世間が通用する筈はなく、いずれは鉄槌が下ると思っていた。
二人の社長ともこの狭い日本で個人用ジェット機などを買って、どうするつもりだったのだろう。
こうしたお金を消費者や株主に還元する気持ちがあれば、こんな事件にもならなかったのでは。
テレビで見ていても、これだけの事業をしてきた人とは思えない、品の悪さが顔に出ているように思えてならない。
私の業界でも、展覧会を企画し作家とともに歩む画商と、高額な作品を業者や百貨店に卸したりする美術商、更には業者から業者へ売り歩いたり、交換会を渡り歩くブローカーと呼ばれる人たちがいる。
業界の俗な言い方をすると、前者をハコシ、後者をハタシとか風呂敷画商と呼ぶ。
箱と言うスペースのある人と、箱がなく旗だけ掲げて風呂敷に絵を包んで売り歩くのでそう呼ばれるのだろうが、あまり好きな言葉ではない。
私達の中ではどちらかと言うと、画商より美術商やブローカーの方が羽振りがいい。
高額な作品を動かす事もあるだろうが、リスクを負わず、その時々の売れっ子作家を扱っているからだろう。
私の僻みかもわからないが、こういう人たちはどう見ても汗をかいて仕事をしているようには思えないのだが。
あまり無理をせず、地道に仕事を積み重ね、人相だけは悪くならないよう気をつけなくては。
もう遅いかな・・・

1月19日

村越画廊の社長の本葬に行ってきた。
10日には三渓洞の会長のお別れの会があったばかりで、お二人は昨年の12月17日に相前後して亡くなられた。
ともに東京美術倶楽部の社長を永年務め、美術界の発展に尽力された方である。
大先輩で、日本画が専門であったため、お付き合いはなかったが、現社長とは親しくさせていただいている。
三渓洞の息子さんの三谷さんは大学の先輩であり、同じOBの画商仲間と一緒に食事会や旅行などで親しくお付き合いをしている。
村越画廊のお嬢さんの桜井さんには、私のところのお客様として大変お世話になっている。
伝統的な日本画が専門でありながら、恒松正敏、小林健二をはじめ、私のところで発表をしている作家の作品を数多くコレクションしていただいている。
亡くなられた村越社長も御舟や華岳などの名品を扱う傍ら、その当時無名だった横山操、加山又造、平山郁夫、石本正らによるグループ展を企画し、世に送り出した。
最近桜井さんも若い作家の展覧会を開くなど、お父様の血を受け継いできているようだ。
2月に美術倶楽部の百周年記念展が予定されているが、お二人ともそれを見届ける事が出来なかった事が心残りであったろう。
二人の美術業界の巨星が墜ち、美術倶楽部が百周年を迎えた事で、これから日本画商の世界も新しい方向に向かっていくのではないだろうか。
明日から東京都現代美術館でNo Border「日本画」から/「日本画」へという日本画の新しい方向性を示し、今後の可能性を見出す展覧会が始まるのも偶然ではないような気がする。

1月21日

雪がしんしんと降っていて画廊も開店休業。
先週の土曜日も強い雨が降り、週末の運気悪し。
昨日は、お客様のMさんをお連れして、東京都現代美術館で始まるNO・BORDER「日本画」から「日本画」へのオープニングとマレット・オークションに行ってきた。
偶々、この展覧会に選ばれた町田久美の作品をMさんに買っていただいた事もあり、お誘いした。
会場にはたくさんの知った顔があり、アートソムリエのYさんや金沢から来られたコレクターのMさんなどの顔も見受けられた。
話題の松井冬子はモデル並みの美人でメディアにも取り上げられる事が多いが、それ以上に作品も精緻なデッサン力で格調高く、これこそ日本画の真髄と感じ入った。
町田久美はVOCA展で手だけを線で表現したダイナミックな作品を見て、これはなかなかの逸材と思ったが、やはりこうしてデビューしてきた。
Mさんとともに挨拶させてもらったが、彼女も松井冬子に負けず劣らずの美人で、才色兼備の二人はこれからも話題にのぼることだろう。
オークションは、浮世絵の中でも最高傑作といわれる葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が出品される事もあって、浮世絵もコレクションしているMさんをご案内した。
ライブドアショックもあって、値段は期待したほど伸びず、この作品は不落札となってしまった。
逆に考えると、お金さえあれば世界に名だたる名品を安く買えるチャンスだったのかもしれないが、私には高嶺の花。
有望な若手の秀作から大名品まで目を肥やすいい一日だった。

1月22日

先週今週と日曜は画廊に出て来て、のんびりと音楽を聴きながら、本を読んだり、残り仕事の片付けをしている。
と言うのは、下の娘が2月に国家試験があり、一生に一度の猛勉強中で、お邪魔虫は外に出かけていた方が良いとの優しい親心?
最近年のせいで耳が遠くなったのか(自覚症状はまったく無し)、テレビやCDの音がうるさすぎると、女房や娘に怒られる。
昨年暮れに、生演奏を間近で聴くような素晴らしい音色に魅せられ、BOSEのオーディオ・コンポーネントを衝動買いしてしまった。
ところが先のようなわけで、家でうっとりと音楽に聴き入っているとうるさいと叱られる。
居場所がなくなり、画廊に持ち込み、一人静かに聴き入っていると言うのが実のところである。
何回かコンサートをやって、画廊の音響効果がいいのは実証済みで、ボリュームを一杯に上げて聴いているが、スピーカーで定評のあるBOSEだけあって、生の迫力をそのまま再現してくれる。
誰にも邪魔されない、新たな休日の楽しみを見つけた。
衝動買いといえば、こちらは本業で先週までOギャラリーで個展をしていた高木さとこと言う若い作家の作品を一目見て気に入り購入した。
京都の嵐山の近くに住んでいるとの事、女房の実家のすぐ近くでこれも何かの縁で、一度アトリエを訪ねてみようと思っている。
壊れかけたおもちゃや人形がかすかな色の重ねの中に溶け込み、子供の頃の消えかけた夢を追慕するようでなかなかいい。
いずれ紹介したい。

1月23日

昨日は新年初めの業者の交換会。
朝10時から夕方6時まで延々と出品される作品を見ていると本当に疲れる。
私は二つの交換会に所属しているので、月に2回出席するだけだが、こうした会は古美術などを含めると、ほぼ毎日日本のどこかで開かれている。
こうした会に10も15も出席しているつわものがいる。
彼らにとってはこうした会が桧舞台とは言え、よくぞ飽きないし疲れないものだ。
私もお客様や知り合いの業者から依頼をされて、作品の処分をする時には利用しているので、偉そうな事は言えないが、金太郎飴のように同じ絵ばかり描いている有名作家の絵や日本画の大家の複製版画にはいささかうんざりする。
東山魁夷などは複製版画の復刻版、更には新復刻版まであると言うから驚きで、どこでどう区別をするのやらさっぱりわからない。
買う人がいるから作るのだろうが、作家も業者ももう少し自分の仕事にプライドを持ったらどうだろうか。
コレクションの基準を求めるとするならば、その人間性、芸術性に共感を持ったときにコレクションは始まる、と言ったあるコレクターの言葉が脳裏をよぎる。

1月27日

岩井康頼展が昨日から始まった。
前回の野坂徹夫もそうだったが、岩井さんも青森の作家で、その後に個展をする小原馨も岩手出身と東北の作家が年初から続く。
尻屋崎という下北半島の東北端の海岸に打ち寄せられた流木を集め、思いつくままに造形する。
絵を描くのと違い、手遊びする楽しさからか、この一年立体制作に没頭した。
はるか彼方から流れ着いた木片は、今一度息を吹き込まれ、津軽の風土に色づけされて蘇った。
季刊「銀花」冬号にも「流木の造形・尻屋岬景」として特集が組まれ、6ページにわたって紹介されているので是非ご一読を。

1月28日

若い作家の個展が活況を呈している。
銅版画の重野克明は30代だが、近年注目を浴びてきている作家の一人だ。
かすれたような画面に浮かぶ人物が、ノスタルジックな雰囲気を醸し出し、私の好みにもぴったり。
個展は前日に終わっていたが、行ってみるとまだ展示してあり、滑り込みセーフ。
どの作品も赤印で一杯だ。
価格も1万円台が殆どで買いやすい事もあるのだろうが、なんと350点売れたそうだ。
画廊に帰り、1点も売れていない会場を見て、一人沈んでいると、更に追い討ちをかけるような話をお客様から聞いた。
その展覧会も気にはなっていって、近いうちに見に行くつもりでいたが、これも初日には全ての作品が完売したとの事。
昨年、VOCA賞を受賞した日野之彦という作家で、まだ29歳の若さだが、近年あちこちで受賞し話題になった作家の一人でもある。
ただ作風は私の好みではなく、下着を着た人物の表情が,心を病んでいるように見えて、見ていて私自身が落ち込んでくる。
それでもこれだけの人気だから驚きだ。
私のところも若い作家への反響が大きく、新しい時代の流れを確かに感じる。
ただ、以前にも若手ブームがあって、若い作家の個展には初日から行列が出来るような時代があったが、あっという間に不況の波の中にその作家達は沈んでいった。
若いということだけで、青田刈りせず、内容をしっかりと見極め、先につながる作家を見出し、ブームだけに終わらせないようにしなくてはならない。

1月30日

お客様のM様の 「僕の画廊散策日記」 で先日の野坂展と私のことを紹介していただいたので、転載させていただく。
こうした展覧会へのエールをいただく事はとても有り難く、ギャラリー日記を続けていく上でも励みにもなる。
と同時に、いいかげんな事は書けないというプレッシャーも感じるのだが。

 21日、「野坂徹夫展」 をギャラリー椿に観に行く。リーフレットの表紙となっている作品 「みずたまり」― この円らな小さい瞳は、娘が幼い頃飼っていた鶺鴒インコのそれにそっくりではないか。人を小鳥に見立て、水溜りに飛来させ己が羽繕いを水面に写してみる。その水面の影が十字に映っている。何時もながらにその造形と透明感のあるデリケートな色彩に込めた彼の思いは途轍もなく深い。世の中、「愛」 だの 「希望」 だの 「祈り」 だのともっともらしいテーマで画いた作品が数多くあるにはあるが、ほtんど説得力がない。野坂氏の作品はその思いの深さが造形と色彩に結実しているのである。
 29日、パソコンでギャラリー椿の椿原氏による 「ギャラリー日記」 を開く。1月22日付け日記を開くやいなや仰天。Oギャラリー 「高木さとこ展」 の評が寄せられていた。「壊れかけたおもちゃや人形がかすかな色の重ねのなかに溶け込み、子供の頃の消えかけた夢を追慕するようでなかなかいい」 は正に適評。彼女がこの目利き画廊主の眼に止まったことは、彼女の作品を過去5、6年程観つづけてきた一ファンとしてこの上なく嬉しいことであった。

1月31日

寺田コレクションの寺田さんから、東京オペラシティーの最上階・54階にある寺田トップルームで夕陽を見る会のお誘いを受けた。
会場にはコレクションの中から小杉小二郎・相笠昌義・河原朝生の作品が飾られるとの事で、河原さんも誘ったのだが、ぎっくり腰になってしまい不参加に。
ここからの眺望は絶景で、さえぎる建物が一つもないので富士山はもちろんその先の山々までくっきり見渡せる。
以前には、富士山の山頂から夕陽が沈む日時を計算した人がいて、その日時に合わせて壮大な富士の頂に沈んでいく夕陽を見せていただいた事がある。
今回は残念ながら、生憎の雨で夕陽を見ることが出来なかったが、河原さんの作品には久しぶりに再会する事ができた。
河原さんの作品は、よく小杉さんの作品に似ていると言われるが、並べて見ると河原さんのほうが断然良い。
寺田さんも深みが違いますねと河原さんに軍配を上げてくれた。
2月末からの「封印された星たち」展に出品予定なので、寺田さんにさすがといわせる作品が出来上がってくるのを期待している。

2月6日

昨日のNHKの日曜美術館で東京美術倶楽部で2月に開催される百周年記念展「美術商の百年」が紹介された。
その中で名品とコレクターの変遷が語られ、身近な事でもあり、大変興味深く見せてもらった。
25年も前になるだろうか、今のように若手作家の展覧会を始めるまでは、ある程度エスタブリッシュされた作家の作品を扱っていた時期がある。
その中で私が好きだった作家の作品を薦めるままに買ってくださったお客様がいた。
藤田嗣治、山口薫、香月泰男、熊谷守一、長谷川利行、三岸節子、脇田和、森芳雄、糸園和三郎、彼末宏、山口長男、佐藤忠良等、今思うとそうそうたる作家の油彩・彫刻を納めさせて頂いた。
なんだか暗いね、よくわからないと言いながらも、あなたが薦めるのだからいい作品なんだろうと言っては買ってくださり、私にとっては本当に有り難いお客様だった。
そのお客様が昨年亡くなられた。
長い間、病気がちで私もすっかりご無沙汰をしてしまい、近年は面会する事も出来ず、心残りのまま逝ってしまった事が悔やまれてならない。
会社の方から、美術品の管理が大変なので、収集した作品を処分したいとのお話をいただいた。
戦争などの社会状況や経済の問題、相続、病気などの理由で美術品は新しいコレクターの手に移っていく。
私たち画商の仕事の一つに、こうした文化の継承の仲立ちをしていくという大切な役割がある。
美術品を愛し理解してくれる良きコレクターに受け継いでもらう事で、美術品は文化財として歴史の中にとどまる事が出来るのである。
NHKで紹介された国宝級の作品ではないが、お世話になった方の良質のコレクションを別の方に納め、活かしていく事が私の役目であり、恩返しだと思っている。

2月8日

今朝の新聞に新しい日本歯科医師会の会長に静岡のO先生が選出され、その人物評が掲載されていた。
O先生とは美術を通じてお付き合いさせていただいたが、医師会の仕事が忙しく、最近はお会いする事が少なくなってしまったが、重責に就かれますます画廊にお寄りいただく機会が少なくなってしまうのが残念でもある。
美術はもちろん音楽から舞踏、演劇などにも造詣が深く、物静かでその語り口にもインテリジェンシィが溢れ、男が男に惚れると言った独特の魅力を備えた方である。
初めて作品を届けにご自宅に伺った時は驚かされた。
自宅の中に広いコレクションルームがあり、古美術から現代美術まで実にセンスよく飾られていて、こんな風に作品が飾られたら作家も作品もどんなにか喜ぶだろうと感嘆させられた。
そのコレクションルームで、その当時私のところで発表をしていた水島哲雄(現ミズ・テツオ)の展覧会を開かせていただいたり、ガレージを使って小林健二のインスタレーションを開かせてもらったのが懐かしく思い出される。
今活躍中の望月通陽を紹介してもらったのもO先生だった。
その後、ご自宅にギャラリーを開かれたり、新たに医院を新築した折にもご自宅の画廊を移転されたほど美術に関わる度合いを深めていかれた。
その後、献金問題で揺れる日本歯科医師会の改革に立ち上がり、多忙もあって画廊もやめられ私もお目にかかる機会が少なくなってしまった。
まだまだ改革には難題が山積している事と思うが、文化の素養をもっておられるO先生の人間的魅力を存分に発揮して、歯科医師会を健全で透明性のある方向に引っ張っていっていただきたい。
そう言えば、 何代か前の会長を務めた中原實は現代美術作家としてもその名をとどめていて、不思議な因縁を感じる。

2月16日

ここ暫く忙しくて日記が滞ってしまった。
先週は久しぶりに物故作家の名品が手に入った事もあって、岐阜から関西まで昔お世話になったお客様を訪ねた。
皆さん既にお仕事を離れ、悠悠自適の人生を送っておられる。
20数年ぶりにもかかわらず、皆さん温かく迎えていただき、この仕事の有り難さをあらためて実感させられた。
それなりにお年をとられたが、私よりはよほどお元気で、心のゆとりがそうさせるのか、溢れんばかりの好奇心で好きな事を楽しみ、羨ましいばかりの人生を送られている。
時間を忘れ、美術談義に花が咲き、楽しいひと時を過ごさせてもらった。

2月17日

昨日、東京美術倶楽部百周年記念展「美術商の百年」を見てきた。
永年にわたり、美術商の手を経て納まった名品の数々が展示され、見ごたえのある展覧会となった。
国宝を中心とする古美術から近代工芸、近代絵画の巨匠達の作品はさすがに唸らせるものがあった。
とくに印象に残った土田麦僊の「甜瓜図」、熊谷守一「御岳」には新しさを、徳岡神泉の「蕪」や奥村土牛「八瀬の牛」には幽玄さを、松本俊介「都会」や香月泰男「人と森」にはメッセージを、
林武「富士」、海老原喜之助「男の顔」には造形の力強さを感じた。
日本の美術がこれだけの文化遺産を残している事を誇りに思うと同時に、この仕事についている喜びを改めて認識させられた。

2月18日

昨日、美術倶楽部の展覧会の事を書いたが、その前日には三越での「両洋の眼」展と大丸の「クレー」展を見てきた。
「両洋の眼」展には有名大家に交じって山本麻友香が推薦され、出品をしている。
本人から相談を受けたときには、どうしてこの展覧会にということで吃驚したが、三越での新しい出会いもあるからと出品を薦めた。
しかし見に行って見ると、確かに違和感があった。
皆きんきら金の額縁にきれいな風景や写真のような女性像が納まっている中、額縁もないキャンバスのままの作品が飾られていると彼女の作品だけが会場の中で浮いているように見えてしまう。
本人も初日に行って同じように思ったらしく、場違いな感じがして居たたまれなかったようだ。
ただ逆に考えると、身びいきかもしれないが彼女の作品だけがとても新鮮に見え、印象深く心に刻まれた。
TコレクションのTさんが同じように「あなたのだけが目立っていてとても良かった」との感想を、偶々出会った彼女に言ってくれたのがとてもうれしかった。
Tさんは数々ある有名作家の中から彼女の百号の作品を予約してくれたらしい。
彼女はともかくとして、今美術界で活躍中のここに出品した有名大家達が、果たして昨日見てきた美術倶楽部百周年展に飾られた作家達と同じように、歴史に残る事が出来るとはどうしても思えないのだが。
美術商が扱う絵画とその内容の質の高さが遊離してきたように思えてならない。
「クレー」展についてはあらためて記したい。

2月19日

クレー展に行って来た。
どの作家が好きと問われれば、まず第一にクレーを挙げるくらい惚れ込んでいる。
ポエティカルな作風に傾倒していったのもクレーを見てからで、私が作家を選ぶ原点にもなっている。
幸い、それ程混んでおらず、じっくりと鑑賞する事が出来た。
作品点数はそれ程多くなかったが、線描の作品など興味深い作品が並んでいた。
線は描けば描くほど巧みにもなるし、又巧みになろうともする。
しかしクレーの線は技巧を取り払い、線が連なって形になるのではなく、線そのものに命を吹き込み、線自体が形になっていく。
特に晩年の、手が不自由になったにもかかわらず描かれた線は、美しく、神々しかった。

私はただ線だけで描く。
物質のくびきからときはなたれた。
純粋な精神の表象である線を用いて描く。
余計な分析的なものは切り捨て、
大胆直截に本質そのものに迫る。 (日記より)

この暮れに予定にしている、パリ、アムステルダム出張の折になんとしても時間を作って、新たに生まれ故郷に建てられたパウル・クレー・センターを訪ねてみようと思っている。

2月21日

以前から是非探して欲しいと言われていた恒松正敏 「百物語26」 が偶然手に入った。
10年前になるが、熊本県立美術館で百物語の全作品を集めて、展覧会が開かれた事があり、所有者の方に出品依頼をした。
その中の1番と26番はシュール系のコレクターとして有名なお客様が所有されていたのだが、余りに膨大な数のコレクションのため、見つけ出す事が出来ず不出品となった。
その後事情があって、お客様から一部の作品の処分を依頼されることになった。
その話を恒松氏にすると、そのとき不出品だった百物語を是非欲しい人がいるので、引っ張り出してきて欲しいと頼まれた。
1番だけは何とか見つけることが出来たのだが、26番はどうしても見つからなかった。
そのままあきらめていたところ、今年になってもう一度倉庫に伺う機会があり、今度こそと思って探したが、やはり見つからなかった。
ところがである、先週の金曜日に偶然訪ねた近くの画廊になんとその作品が飾ってあるではないか。
早速、譲って欲しい旨を話すと、20日の交換会に出すので、よければその時に買って欲しいとのことであった。
こうして昨日の交換会で落札する事ができ、10年の時を経て、ようやく新たなお客様の手元に移る事となった。
おそらく私が探す以前に、その作品はよその画廊に移っていたのだろう。
余りにたくさん作品を持っていて、そのお客様も記憶からすっかり消えていたのかもしれない。
たまには近所の画廊も覗いてみるものだ。

2月22日

先週から開催されている小原展も残り後4日となってしまった。
川越市立美術館の発表と重なり、かなりの数の作品を作らなくてはならず、その上学校の授業が終わってからの制作でだいぶ苦労したようだ。
しかしそうした時間のハンディーを乗り越え、どちらも澄んだ美しい世界を作り出してくれた。
それ以上に感じるのは、色彩が華やかで明るくなった事である。
今まではどこか重い感じがしていたのだが、軽やかで見ていてうきうきしてくる。
特にキャンバスに油彩の「冬ー白い風景」がいい。
郷里の冬の風景をイメージして描いたのだろうが、今までにない具象的な表現が現れ、これからの仕事の展開を暗示させてくれる。
先週見たクレー展に通じる叙情性豊かな世界が彼の持ち味で、同郷の松本竣介や石川啄木、北原白秋といった作家達にも通じるものがある。
その風土性を更に生かすことで、より清明な世界が表出されるのではと期待している。

2月24日

ここ二日、場違いのパーティーに招かれ出かけた。
一つはダイヤモンド社の編集長T氏主宰のパーティーで、青山のクラブ(アクセントが違う)というすっかり縁がなくなってしまった場所で開かれた。
紫ベビードールという怪しげなグループの踊りも余興であるということで、怖い物見たさに出かけた。
行ってみると殆どが出版関係の人達で、それも若い人ばかりで、ミラーボウルの光がまばゆいばかりに輝く中を居心地悪げに片隅で佇むしかなかった。
T氏に何度か呼ばれて行ったパーティーでは、多士済々の方たちが来ていて、名刺交換などしながら、それなりに場に溶け込んでいたのだが、今回はまったくお呼びでなかった。
次の日はお客様の息子さんで先の衆議院選挙で当選した小泉チルドレンの一人のHさんを励ます会に出席した。
所属する旧堀内派の世話役・丹羽元厚生大臣、古賀元幹事長を始め、石原伸晃、河野太郎等の若手議員、佐藤ゆかりをはじめとするチルドレン仲間などたくさんの議員が来ていた。
スピーチを予定していた武部幹事長は渦中の人ということで欠席した。
まだ浪人中の身であった前回の会では、殆ど現れなかった画廊が現金なもので、当選した途端にたくさん現れ、某有名画廊などは夫婦で颯爽とやって来た。
政治家のパーティーはまったく縁がないが、お世話になったHさんの息子さんでは欠席するわけにはいかない。
それにしても四方八方、票のために頭を下げたり、名刺を配っている姿を見ていると、この仕事はとても自分には勤まりそうにもない。
兎に角2日とも場に馴染めず、しょんぼりとして家に帰る羽目となった。

3月1日

封印された星展が初日を迎えた。
美術評論家で仏文学者の巌谷國士氏と、詩人でシュールリストの瀧口修造との交友を通じて知己を得たアーティスト達が集い、その作品を発表してもらう事になった。
元々は 「封印された星・瀧口修造と日本のアーティスト」 と題した巌谷氏のエッセイ集が刊行され、その本にちなんだ作家達の展覧会が名古屋で開かれたのだが、是非東京でもという要望にこたえた形で、私の所でも開催する事になった。
加納光於、池田龍雄、四谷シモン、合田佐和子、秋山祐徳太子、アラーキ、伊勢崎淳といった錚々たる作家から、河原朝生、桑原弘明といった私のところのなじみの作家まで多士済々の作家が揃う。
瀧口修造と関わりのあった作家の中には、椿近代画廊で発表をしていた作家も多く、その当時が懐かしく思い出される。
美術館の色合いが濃かった名古屋の時と違い、画廊企画ということもあって、売買可能な近作、新作を出品していただくことになったのだが、皆さん快く引き受けていただき、素晴らしい展覧会となった。
海外在住の作家もオープニングに駆けつけ、出版関係者や多くの作家、コレクターが巌谷氏を囲み、賑やかな一夜となった。
画廊にとってもシュールリアリズムに興味のある方たちとの新たな出会いを期待している。


河原朝生 「出現T」 M6

桑原弘明 「封印された星」

荒木経惟 「ポラマンダラ」

合田佐和子 「父の島から」 F50

四谷シモン 「少女の人形」
 

3月2日

昨日の朝、成城にあるK画伯の家を訪ねた。
韓国からのオファーで、画伯の100号の作品を紹介して欲しいとの電話が入り、早速訪ねる事になった。
家の前まで来たが、そこは低層のマンションにしか見えず、確か一軒家と聞いていたので、その前を何度も行ったり来たりしているうちに、画伯が現れて初めてそこが自宅とわかった。
それほど大きなお宅で、その豪奢な構えには驚かされた。
30年前くらいになるが、画伯がまだ新進作家の頃、新宿の椿近代画廊で展覧会をする事になり、アトリエを訪ねた事がある。
周りをトタン板で囲ったすきま風がピューピュー吹き抜ける中で、当時珍しかったフレスコ画を泥まみれになって制作していた姿を思うと隔世の感がする。
以前に韓国で大きな個展を開いた事があり、その時は多くの作品がコレクションされたとのことで、おそらくそうした事もあって、今回のオファーとなったのだろう。
海外の事でもあり、どうなるかわからないが、画伯の代表的な作品をお世話する事が出来ればいいのだが。

3月4日

府中市美術館で3月4日から4月16日まで恒松正敏「メタモルフォシス」と題して、公開制作が行われる。
ロックンローラーと絵描きの二足のわらじを履きながら独自の活動を続ける恒松氏だが、今回美術館で独自に開発した屏風制作とアートトーク及びアコースティック・ライブが行われる。
同時に10数点の作品も展示され、彼の幻想世界も味わえる。
また、4月9日には19世紀美術を専門とする河村錠一郎先生の講演「恒松正敏の世界」も予定されている。
続いて、企画展として「アートとともにー寺田小太郎コレクション」が4月29日から7月17日まで開催される。
難波田龍起・史男父子を中心とした東洋的抽象作品から、現在の寺田コレクションの眼ということで若手作家のコレクションまで140点の作品が並ぶ。
若手作家の中には私どもでお世話させていただいた山本麻友香、富田有紀子、呉亜沙、伊庭靖子などの大作も展示される。
オペラシティーに2000点にも及ぶ美術品を寄贈した寺田氏だが、先般に開催された川越市美術館の寺田コレクション展と同様に公共の美術館でも、私どもでお世話した作品を再び見ることが出来るのはうれしい事である。
5月7日には寺田小太郎氏と本江邦夫館長、山村仁志館長補佐による鼎談「寺田氏が語る寺田コレクション」が企画されている。
本江館長には以前に富田有紀子、山本麻友香、呉亜沙の論評を書いていただいたことがあり、そのときの作品が今回の府中美術館に出品される事に不思議な縁を感じる。

3月7日

朝の散歩の途中に、代々木公園の桜の花が僅かだが咲いているのを見つけた。
ようやく春がやって来たのだろうか。
今年の冬が格別寒かっただけに、一日も早い春の訪れが待たれる。
とは言え、花粉症の人は複雑な思いだろう。
うちのスタッフも、昨日の春一番で眼をしょぼしょぼさせていた。
開催中の「封印された星」展は大好評で、多くの人が見に来る。

日曜日の巌谷先生の講演も大盛況で、80人の定員のところに、それを上回る大勢の人が来廊し、先生の話に聴き入った。
瀧口修造氏との交流から始まり、出品作家と瀧口氏、巌谷先生とのエピソード、最後は瀧口先生が巌谷氏に贈った遺言状を披露して、2時間の講演を締めくくった。

初日のオープニングにも100名を越える人たちが集まり賑わったが、そうした中で瀧口修造と交流のあった舞踏家・石井みつたか氏が偶然現れ、瀧口に捧ぐ踊りを披露し、会場は更に盛り上がった。
土方巽に師事した石井氏は、その後ヨーロッパを35年にわたり放浪し、偶々日本に帰ってきたばかりだったそうで、その踊りに涙する人もいた。
今週土曜日までだが、こうしたメンバーで展覧会をする事も二度とないだけに、今週で終わってしまうのが惜しまれる。

 

3月9日

寒くなったり暖かくなったりと三寒四温、春の訪れの兆しなのだろうが、体の温度調節機が追いつかない。
講演をしていただいた巌谷先生も翌日から風邪でダウン。
私も疲れがたまりダウン寸前、暫く休みも取っていないこともあって、昨日は休んでのんびりと河口湖の温泉につかってきた。
河口湖には少し前までは温泉などはなかったのだが、最近はいくつもの温泉施設が出来て賑わっている。
冬のそれも平日ということもあって、普段の週末の賑わいが嘘のようで、一人のんびりと湯につかりながら目の前に広がる富士山を独り占めして、身も心もリフレッシュ。
ただ不思議な事に、この辺り例年にない寒い冬にもかかわらず雪が殆ど降らず、微かに路端に雪が残っているだけで、この冬はスタッドレスタイヤに変えた甲斐がなし。
昨日の富士は下の方まで真っ白くなっていたが、つい先日までは山頂から地肌が見え、まだら模様の富士山になっていた。
日本海側や東北では大雪の被害が続出した事を思うと、同じ寒い地域でもこうも違うものかと驚かされる。

3月14日

今日は版画の交換会があって、滅多に扱う事はないのだが、マチスの銅版画の小品を思わず買ってしまった。
その前に出たクレーとカンディンスキーのはがき大の作品も良かったが、残念ながらサインとエディション番号が入っていなくて躊躇しているうちによそに行ってしまい、悔しい思いをしていたが、その代わりにもっといい作品を手に入れる事が出来た。
ある美術館からマチスの版画のオファーがあるので紹介をするつもりでいるが、美術館はそうは簡単には決まらないので、暫くは画廊の常設展で紹介をしたい。
交換会が終わるとすぐに、上野のVOCA展のオープニング出かけた。
パーティーの準備でざわざわしている中を、駆け足で見てきたが、今回は気になる作家は一人もいなかった。
VOCA賞を受賞した作家も、どこか他で見た作家とダブって見えてしまい今ひとつだったが、やはりこの中ではこの作家にいくのかなぁと言う感じであった。
去年は町田久美などいいなぁと思う作家が二、三いただけにちょっとがっかり。
この後、京橋界隈の会合があるので早々に出てきたが、VOCA展も安井賞同様に毎年の開催ではマンネリになってしまうのではとちょっと心配だ。

3月22日

昨日のお彼岸、コレクターのA氏のお招きで、北鎌倉の茶事に招かれた。
お茶の作法もなく、先日も小堀遠州流の家元の茶会の催しがあったのだが、そんな高尚な趣味を持ち合わせているわけでもなく、粗相があってもいけないのでとお断りをしたが、今回はお世話になっているA氏のお誘いとあっては断るわけにもいかず、恥をさらしに行くことにした。
そこは北鎌倉美術館と言って個人美術館なのだが、その庭に茶室や能舞台まで設えてあるという贅を尽くしたところで、今回は「無形の茶事」と題してA氏を主人に建築家で茶人としても名高い大田新之助先生を正客に迎えて催されたが、私も上座に座ることになり、はてさてどのようにしたらいいのかうろたえる事しきりであった。
この茶会と同時に、A氏のコレクションである美濃の大名であった森家伝来の茶道具の売り立ての下見会も開かれた。
A氏の永年のコレクションである桃山期の志野を中心に逸品が揃ったが、故あって手放される事になり、 その断腸の思いもあって、贅沢な茶会を催す事で一つの区切りとされたのでは。
A氏はアパレル業界で活躍された、お仕事柄ひたすら美を追求し、古美術から近代、現代まで広くコレクションをされている方で、引退後は鄙びた民家を移築し、茶を嗜みながら、風雅な人生をおくっておられる。
全国のコンクールで2位にまでなった安来節もここの能舞台で披露されたりと、人生風狂に生きる素晴らしさを教えていただいた一日であった。

3月23日

私が所属している団体があり、そこで企業倫理と社会貢献というテーマでのパネルディスカッションがあった。
友人の京王プラザホテルの前社長T氏がパネラーとして参加する事もあって欠席するわけにもいかず、 画廊を抜け出して行ってきた。
昨今の耐震構造偽造問題など、職業倫理を疑うような事件が起こっている事もあり、また企業の社会貢献いわゆるCSRも盛んにメディアに取り上げられ話題になっている時でもあり、誰一人席も立たず、居眠りする人もなく、参加者は皆熱心に聞き入っていた。
その中で、同じくパネラーであった資生堂の相談役G氏の話は大変興味深かった。
1919年にオープンした日本最古のギャラリーを持ち、若い作家の発表の機会を与えるなど盛んに文化支援活動をしてきただけに、共存共栄の精神を根幹として、関連する全てのステークホルダーとの関係を良好に保っていこうという企業理念には大いに感心させられた。
一昨年、ソウルで開催されたに日本現代美術展の支援をメセナ協議会を通じて各企業にお願いしたが、応えてくれたのは資生堂一社だけであった。
多くの企業がCSRに取り組むが、その殆どが環境問題であり、災害支援で、あまり大向こう受けのしない文化支援に積極的な企業は少ない。
その中にあって、美しい生活文化を創造するメセナ活動と本業を両輪の輪としている資生堂に、私たちの立場からすると大いなる拍手喝采を送りたい。

3月28日

画廊の前の大島桜も満開となり、ようやく春らしい季節の到来である。
いつもなら、大島桜が咲いた後にソメイヨシノが咲くのだが、今年は一時に咲き揃い、いっそうの華やかさを見せている。
車から見た景色でも、真っ白な雪柳や黄色いレンギョウの花の先にピンクに色づいた桜の花が咲き誇り、正に春爛漫の感がする。
これほど一斉に花が咲くのは、あまり見た事がなく、寒い冬の終わりをじっと待っていたかのようで、見ている我々も心が浮き立つような気分にさせてくれる。
昨年の秋に長女がシドニーで結婚式を挙げたが、その時向こうは春真っ只中で、ジャカランダという紫の花が街中で咲き誇り、その美しさに心を奪われたが、こうして日本の桜の咲き誇る様を見ていると、その美しさにかなう物はないのではとあらためて実感させられる。
景気も長い長い冬に終わりを告げ、春間近ということのようだが、私の周りはまだまだそうしたことには程遠いようで、一刻も早い春の訪れが待たれる。

3月29日

冷たく強い北風で満開の桜も散ってしまいそう。
今日で呉本展も終了。
前回に続き売上の方は今ひとつだったが、私は呉本さんの作品はとても好きで、回を重ねる事でいつかその成果が出るのではと信じている。
今回は今までに見られない馬をテーマにした大作が並んだ。
実は呉本さん馬術の名選手で、昨年の国体の障害飛越成年の部で55歳史上最年長入賞を果たすほどの腕前である。
アルバイトで馬術倶楽部で働いたのがきっかけで、30歳にして馬術を始め、めきめきと腕を上げ国体選手にまでなってしまった。
私も高校・大学とヨット部に所属し、国体や全日本大会などにも出場した事があるが、体力のない私は高校の時に他の力を借りて出来るスポーツはないかと探すと、なんと馬術部とヨット部があるではないか。
先ずは馬術部を訪ねる事にした。
ところが糞まみれの馬場のあまりの汚さに驚き、ヨットは糞をしないというまったく安易な考えでヨット部に鞍替えしたのだが、馬術部にはオリンピックにもその後出場するほどの名選手もいて、その先輩達の勇姿は今でも目に焼き付いている。
話はそれたが、呉本さんには馬はあまりに近い存在だったようで、今まで絵のテーマにする事はなかった。
しかし競技生活でも余裕が持てるようになったのだろうか、ようやく馬を描く事に素直になれたようだ。
多くの作家が馬を描いているが、実際に馬を扱う人の目を通して描かれる事がなかっただけに、競技者の視点から描かれる馬の作品に更なる期待をしたい。

3月30日

加山又造のリトグラフの贋作が出回り、その触書が届いた。
先般も交換会に出品され、実際の作品を見たが全くと言っていいほどわからない。
写真製版をされているのだろうか、実際に刷った刷師の方が見てようやく判明したとの事であった。
判別方法としては紙に版元の刻印があるかないかで判断できるようだが、1977年制作・限定150部・現代版画センター版 「レースをまとった人魚」 という作品で、もしそうした作品が出たら注意していただきたい。
デジタル技術の進化とともに、版画では精巧な贋作がこれからも出てくる可能性は大である。
もっとも多くの有力新聞社や出版社が複製版画を制作し、高額で販売している現状を見ると、どこまでが贋作でどこまでが複製でどこまでがオリジナルなのかといった問題に行き着く。
贋作が出回らないようにする前に、画廊や百貨店、版元がオリジナル版画に対する認識を今一度再考すべきではないだろうか。
こうした版画の贋作事件の度に大騒ぎする画廊の多くは複製版画を扱っているところで、胸に手を当て、美術愛好者を惑わすような版画作品を作らない、扱わないの姿勢を貫いて欲しい。
前にも書いた企業倫理の欠如は偽造マンションやライブドアーだけではなく、この業界の問題でもあるようだ。

3月31日

長谷川健司展の特別イベントとして4月12日に藤原道山の尺八コンサートが予定されている。
既に申し込み予約が殺到しているが、実は私は藤原道山氏を知らず、長谷川氏から彼のコンサートはどうだろうかと打診された時は、正直とまどった。
ところがスタッフは皆彼の名前を知っていて、長谷川氏にもエッという顔をされた。
聞いてみるとかなり有名で、東京芸大を卒業後、尺八の可能性を求め様々な音楽活動を展開し、サックス奏者ケニーGとの共演や紅白歌合戦にも出場するなど、知る人ぞ知るイケメンの若手奏者として大活躍しているとの事。
先に書いた北鎌倉での茶会の時には、能舞台でKNOBという若手奏者によるディジュリドゥという楽器の演奏があった。
この楽器はオーストラリアの原住民アボリジニが4,5万年前から吹いていた地球最古の楽器で、シロアリが食べて空洞になったユーカリの木を使い、唇を震わせて木を振動させ、口から息を出している時に同時に鼻から息を吸うという循環呼吸をしながら演奏をする。
大地から響いてくるような神秘的な音色で、身体の奥深くに感じる摩訶不思議な音であった。
このKNOBも同じ若手木管奏者として藤原道山とはメール友達だそうだ。
ということで画廊では異色のコンサートとなりそうだが、興味のある方は早めの予約を。

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