Diary of Gallery TSUBAKI

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4月7日

オーストラリアから無事帰国。
夜には10度昼には30度近くと一日の中でも寒暖の差があって着るものには苦労したが、天気に恵まれ、充実した日々を過ごした。
長女が住むシドニーはとにかくきれいな都市で、多くの緑に囲まれ、自然の中に近代的なビル群が溶け込み、リゾートの中の大都市と言った感がある。
メルボルンにも行ったが、こちらはシドニーより古い街のせいもあってか多少くすんでいるようにに感じた。
娘が住む家はシドニーの中心から車で20分ほどのところにあるのだが、周りは深い緑と色鮮やかな花が咲き乱れ、周囲には全くと言っていいほど商店がない閑静な住宅街で、家の裏には広大なゴルフ場が広がるという、うらやましいくらいの環境の中にある。
庭やベランダにはこれまた色とりどりの鳥たちがやってくる。
孫もこうした環境の中では伸び伸びと育つこと間違いなし。
美術館と画廊を見ることを第一に予定を立てて、一日中歩きに歩いた。
偶々曜日が良かったのかシドニーもメルボルンも美術館や博物館はは一ヶ所を除いて全て無料。
帰った翌日、今年から理事に就任した全国美術商連合会の役員会で聞いた話では三つある日本の国立美術館が4月から入場料が値上げされたそうだ。
展示の充実など経営努力によって入館者がこの4年間で3割増えたことから、逆に国からの補助金が減らされ、一気に赤字に転落したためだそうだ。
何をかいわんやである。
娘のところに居候したくなってきた。
画廊のほうはギャラリーマップを片手にあちこちと探したが、看板や目印になるものもなく、殆ど探し当てることが出来なかった。
3軒ほどメルボルンの画廊に入ったが、一軒ではコンテンポラリーな風景や人物に赤印がたくさんついていて、こうした傾向はどこに行っても同じなのだろうか。
後10日ずらせば、年々盛んになっているメルボルンのアートフェアーも見ることができたのだが、次の機会には画廊の場所もしっかり確認して、アートフェアーにあわせて来てみたいと思っている。

4月10日

海外に行っている間にアートフェアー東京やエスト・ウエスト、シンワのコンテンポラリーオークション等があって、日本国内の美術市場がかまびすしかったようだ。
アートフェアーの入場者はNHKの9時のニュースでも大きく取り上げられたこともあってか4万人を超えたそうだし、オークション会場も大勢の来場者で賑わったようだ。
ただ、売り上げを聞いてみると、いまひとつだったようで、美術のファン層を広げる効果はあったが、投機的な人が少し引き気味になっているのかもしれない。
私が期待していた秋葉原のほうのアートフェアーも見た人の感想では、期待したほどではなかったのと、アクセスも悪く、場所にたどり着くのにだいぶ苦労したという話だった。
ソウルのオークションも落札率が6割程度とのことで、コンテンポラリーバブルも一段落の兆しが見えてきたようだ。
とはいえ、若手作家への関心は依然高く、土曜日から私どもで始まる服部知佳展の問い合わせもメールや手紙が数多く寄せられ、既に何点かに予約も入った。
出品作品の点数がそれほど多くないので、あまり早くにお願いしてしまうとお越しいただくお客様にお叱りを受けるのではと心配になってきた。
関心と言えば、今夜予定している「七つのピアソラ」の小林裕児のライブペインティングとバンドネオンなどの音楽、前衛舞踏によるコンサートの人気にはただただ驚いている。
次々に予約の申し込みが入り、既にだいぶ以前にキャセル待ちという状態になってしまったが、今日もかなりの強い雨にもかかわらず、立ち見でもとのお客様が殺到し、その対応に追われている。
美術に比べ前衛音楽でさえこの人気で、その底堅いファン層に美術も何とかあやかりたいものである。

4月12日

今日から服部展。
前評判どおり朝から大勢のお客様がお見えになり、賑わいを見せた。
色彩が更に深まったというか、ますます艶っぽくなったような気がする。
講談社・角川書店から同時発売された梟森南溟の究極のエロティシズム「欲情」「恍惚」の表紙絵にも使われたことも、さもありなんである。
偶々朝に見えた偕成社の社長がこの作家の名前は覆面ネームで、直木賞受賞作家の坂東真砂子であって、自分の所でも児童書をいくつか出していると聞き、その変身振りに驚かされた。
最もうら若き服部にとっては、せっかく自分の作品が表紙絵に使われているにもかかわらず、強烈な題名もあって、周りに紹介するのをためらいがちだとの事。
前回ご購入いただいたお客様も早くから詰め掛けて下さった。
彼女にとってもこうした前回お持ちいただいた方にまた来ていただくことがとても大切なことであり、それは作品を気に入っていただいている証であり、更なる期待をしている証でもある。
若い作家に注目が浴びる昨今であるが、彼女の絵はそうした浮ついた風潮ではなく、この年齢でこれだけ強く深く表現できることは、持ち合わせた才能と言っていい。
回を重ねていくと描くこと、発表することが当たり前になり、また今の評価をどうしても過信しがちになる。
ひたむきに描き、発表する感動を忘れずに、これからも精進して欲しい。

4月19日

この一週間と言うより桜の満開を過ぎた頃から天候の不順な日が多く、雨風が強い日や肌寒い日が続く。
今日も4月も20日になろうというのに身を屈めるような冷たい風が舞い、遅咲きで今が見ごろの八重桜の花も舞い散ってしまっている。
私は雨男の異名があり、ゴルフや遠くに出かけるというと必ず天候が崩れる。
先週も60名の大きなゴルフコンペのホスト役を引き受け、準備もあって朝4時起きでゴルフ場で向かったが、近くの川が氾濫するほどの大雨。
結局は中止となり引き上げることになった。
以前に小笠原に長い休暇を取って出かけたときも、台風が三つも来て、それも小笠原の台風だから生半可ではない。
10日間民宿に缶詰になり、ただひたすら寝ていたことがある。
初めて沖縄に出かけたときは、それまで3ヶ月日照り続きで、ホテルもシャワーが二日に一回と言われていたのが、飛行機が那覇空港に降りたとうとする頃から、空が一転俄かに掻き曇り、それこそシャワーいらずの激しい雨が降り出した。
タクシーに乗ると運転手が「お客さんやっと降りましたよ」と大喜び。
冗談じゃない、こちらは初めての沖縄、青い空とコバルトブルーの海、燦燦と輝く太陽を期待していたのに、それから毎日雨ばかり。
もしやどちらかで雨乞いの用意があるならば是非お招きを。

4月20日

組合の理事長に就任して丸一年が経過。
丁度昨年の今頃は就任直前に起きた組合員2軒の倒産騒ぎに追いまくられ、えらい時にえらい役を引き受けてしまったと自分の不運を嘆いていたものである。
ロータリーの会長の任期もあと2ヶ月ちょっと。
こちらも25年近くいた事務局員が引継ぎのないまま退職してしまい、事務局運営に四苦八苦の毎日が続き、私が連れてきた女性はプレッシャーで体調を崩して半年で辞めてしまい、次にこれまた私の紹介で来てもらった女性からも毎日のように愚痴を聞かされ、ごま塩頭も真っ白になってしまい、あとは抜け落ちるのみとなってしまった。
幸い画廊の仕事は海外で播いた種がようやく実りつつあって、充実した一年であったのが救いである。
ただこれも海外バブルの波に乗ったのであれば、いずれはうたかたの夢と終わってしまうので、オークションなどの動向に左右されることなく、個展やグループ展を通して若い作家たちを紹介していく仕事を続けていかなくてはと思っている。
6月、7月と台北、ソウルでの個展やグループ展、続いて台北、ソウル、シンガポールのアートフェアー、更には暮れにかけてのソウルや北京での個展・グループ展とアジア中心に発表を予定している。
アジア市場への欧米の画廊の進出も盛んで、こうした一連のアジアでの発表が欧米に続くことを期待している。
ただ苦慮しているのは、私以外にもこうした思いでソウルなどのアートフェアーに例年出展していた日本の画廊が、欧米の進出のあおりを受けて、今年のソウルのアートフェアーでの出展を10数軒の画廊がカットされてしまったことである。
今月初めにソウルに行ったときも申し込みが殺到してブース数が足りず、150以上の画廊をカットしなくてはとは聞いていたのだが、まさか今までアートフェアーに貢献をしてきた日本の画廊までをカットするとは。
逆に初めての申し込みでも、今系の漫画・イラスト風作家を前面に押し出す画廊はセレクションを通ったと聞いて、かなり腹を立てている。
こうした画廊は様子を見ていていい時だけ出て行き、悪くなれば引き上げるに決まっていて、売れないときから歯を食いしばって出ていた画廊が余りにかわいそうである。
こんな事を韓国のアートフェアーの執行部がしていると、景気が悪くなった時に、真面目に頑張ってきた画廊から見向きもされなくなるに決まっている。
いい時には誰でもやれることで、組合やロータリーの仕事も大変な時に引き受けてやっているからこそ、自分の身になると思って頑張っている。

4月21日

土曜日の夜11時半から12時まで、BSジャパン「オフタイム・週末の自由人」と言う番組でアートソムリエ山本勝彦氏が紹介された。
コレクターの立場から若手支援とコレクター層の掘り起こし草の根運動をされていることはよく知られているが、今回は膨大な数のコレクションの紹介とアートソムリエの活動が30分にわたって放映された。
私どもの画廊も画廊巡りの一環として紹介され、会場で熱心に見いる姿や山本麻友香の作品をバックにインタビューを受ける模様が放映され、山本氏のおかげで画廊を宣伝していただくことになり、大変ありがいたいことと感謝申し上げたい。
最近では他にも「東京文化座」と言う古典芸能関係のフリーペーパーや世界文芸社の「クオリア」と言うこれまたフリーペーパーにインタビュー記事が紹介されるなど多くのメディアに登場し、コレクションの勧めを説いている。
5月の24日から29日・12時から20時まで銀座3丁目にあるギャラリー「枝香庵」にてコレクション展が開催される。
銀座のど真ん中にあって、屋上テラスがあるといううらやましい限りの画廊で1977年以降生まれの若手作家のコレクションが紹介される予定である。
場所は銀座プランタンの近くで、TEL3567−4920宛でお確かめいただきたい。

4月22日

昨日、伊勢神宮の前大宮司である北白川道久氏から伊勢神宮の遷宮についてのお話を伺った。
20年に一度正殿をはじめ全ての建物を新造することはよく知られているが、装束や神宝といわれる太刀など調度品も全て新しいものを作ると聞き驚いた。
一見無駄にも思えることだが、1300年の長きにわたり、神明造りといわれる木造建築の伝統的な造営技術を絶やさず、宝物などの工芸技術も伝承され、世界に誇るべき文化が守られ継承されていく重要な役割を担っている。
装束、調度の類だけでも約700種1500点に及ぶと言うから凄い。
建物に使うヒノキの数も半端な量ではなく、環境問題云々を言う人もいるようだが、これも神社が管理する森林で計画的に植林、伐採が行われ、そうした心配は全くないそうである。
次回にはおそらく500億を超えるお金がかかるとのことだが、これを無駄と捉えるか、守り続けるための経費と捉えるかは意見の分かれるところである。
ただ、文化を守り育てるには見返りのない出費があって初めてできることで、道路や庁舎に何百億使うことを考えると、独自の日本文化を伝えていくには許されることではないかと私は思うのだが。
20年前に知人の紹介もあって、一般の人が参拝できない内宮まで入らせていただき、お参りさせていただいたことがあるが、平成25年に行われる遷宮の儀式を是非見たいものである。

5月1日

連休の狭間、昨日今日と画廊を開けた。
連日スタッフは遅くまで仕事をしてくれていることもあって、27日から10日間どーんとゴールデンウィーク。
そのかわり私が留守番役で出てくることになった。
どうせ暇だろうから、書類の整理や今月予定されている組合の通常総会資料の校正などで時間をつぶそうかと思いきやとんでもない。
電話はひっきりなしにかかる、お支払いや集金、依頼していた作品を見に来るお客様や、展覧会の打ち合わせや資料を持ってくる作家たち等など大忙し。
中には何を間違ってか借金を申し込んでくる同業者までいて、昼も食べず日記を書く暇さえなく、今ようやくパソコンに向かったところである。
忙しいのは構わないないのだが、困ったのはいつもスタッフに任せきりにしているこまごまとしたこと。
領収書は、はんこは、収入印紙は、残金はいくらと、お金を貰うにしても、ただあたふた。
作品を見たいと言われても果てさてどこにあるのやら。
FAX送ってと来たが、紙をどこから入れていいのやら、裏か表か、ボタンはどこに?
いまどきの機械は機能ばかり多くてちっともわからない。
初めて家でFAXを買った時、家内が送る紙を送信相手に捕られちゃいけないと、必死に引っ張っていたことが懐かしく思い出される。
以前はみんな自分でやっていたことが、だんだん横着になって、全てスタッフ任せ、スタッフの有難さをしみじみと感じたこの二日である。
明日は平日だがお休みにして6日まで私ものんびりとさせていただく。
休み明けからは恒松正敏の新作展が予定されている。
久しぶりに百物語拾遺から十二の干支を描き、私が以前からお願いをしていたガラス絵もと楽しみな展覧会になる。
10日にはオープニングパーティー、16日にはアコースティックライブで絶妙なギターテクニックを見せ聴かせてくれる。
こちらは予約となっているので早めのお申し込みを。
それでは皆様も良いお休みを。

5月7日

連休明けだが、スタッフはみんな元気に勢ぞろい。
ヨーロッパに行ったスタッフの一人は、資料を持ってパリ、リヨン、ロンドンの画廊を廻ってきたようで、休み中でもしっかりと仕事をしてくれる。
たくさんの作家の資料を見せたようだが、結局は山本麻友香、池田歩、夏目麻麦、堀込幸枝、富田有紀子といったところに殆どが関心を示したようで、日本の現状とはそう違わないみたいだ。
2年後にはリヨンの幾つかの画廊で、こうした作家を中心に日本人作家だけの共同展を開催してくれることになりそうで、休みを無駄に使わない心がけはなかなかのものである。
それに引き換え、私は連休の間の遊び疲れで、頭がボッーとしていて気合が入らない。
それでも早々にお客様から恒松展や次の門倉展の作品の予約が入ったり、ソウルの画廊さんが呉亜沙の大作をまとめて購入してくれたりで、連休ぼけもたちまち吹き飛んでしまうれしい幕開けとなった。

5月10日

久々のオープニングパーティー。
パーティーが私はあまり得意ではない。
先ずは全く酒が飲めず、人が楽しそうに飲んでいても、一人飲めずにいるのが面白くない。
次にどうしても作家仲間の集まりになってしまって、コレクターの方がどうも肩身が狭い思いをするようだ。
またパーティー荒しという作品をろくに見ず、ひたすら飲んで、ひたすら食べる輩が何人かいる。
それと一番困るのは人が多すぎて、作品をゆっくり見ていただけないことである。
作家仲間ではなく、コレクターの方やジャーナリストといった方々、また美術と違った分野の方などだとオープニングも多士済々となって、開く意味もあるのだが。
そういう意味では恒松正敏のパーティーは音楽関係、出版関係、評論家、それに熱烈な恒松ファンなどで大賑わい。
今回は干支を描くということもあって、それぞれのファンが自分の干支に因んだ作品を目当てにお越しいただき、早くからご売約をいただいた。
ただ困るのは同じ干支に重なり、お目当ての作品を手に入れられないことである。
今日も案内状の辰の作品を手に入れるべくお金まで用意してお越しいただいた方もいたが、既に予約済みとなっていてひたすらお詫びするばかり。
作家にもし辰に因んだ作品が後で出来たらご連絡をさせていただくことでご了解をいただいた。
雨が降り気温も下がり、なんともうっとおしい天気となってしまったが、それにもめげずたくさんのお客様で賑わっている。

5月11日

コンテンポラリーオークションでの若手作家の価格の高騰振りにはただただ驚かされる昨今である。
ある美術雑誌にこうした流れの中にあって、キャリアのある画廊の取り扱い作家は殆どこうした市場に出てこないが、長年の積み重ねの中でお客様との信頼関係が構築されていて、投機目的ではない真に美術を愛するコレクターに支えられているからだろうと言った内容の記事が出ていた。
その通りで、自分ところの作家がオークションに出ないことが私の一つの誇りでもあった。
オークションに出なければ市場性がつきませんよと言われることもあるが、長年の積み重ねの結果で初めて市場性が出てくるのであって、まだ一度か二度しか個展をしていない作家がオークションで高値が出るのはいかがなものかと思っている。
そんな事を思っているうちにあるオークション会社から山本麻友香、呉亜沙、鈴木亘彦といった作家の作品が出るので発表価格を教えてくれないかとの問い合わせがあった。
否が応でもこうした大きな渦に巻き込まれてしまったようだ。
私どもの手から離れてしまったのだから仕方がないが、大事にしてもらっていると思っていただけに複雑な気持ちである。
オークション側は日本の感性によって評価されるべき実力ある日本の若手作家を、より広い世界に向けて日本から紹介することに大きな意義があると謳っているようだが、果たしてそうだろうか。
こうした価格が高騰している時はそうだろうが、逆に下がった時はどうだろうか。
おそらく出品を断ってくるだろう。
現にソウルオークションではあれほど大騒ぎをしていたリ・ウーハンの出品を次回のオークションでは断わるようになった。
要は儲かればいいわけでオークション会社が若手作家の育成などするわけがないのである。
売れても売れなくても我々はその作家を支えていかなくてはならないので、オークション会社のこうした美辞麗句は大きなお世話と言いたい。
9日の日経の文化往来に休止していた村上隆が主催する「GEISAI 」で健全なマーケットのあり方を示す必要があるとのことで再開をする記事が出ていた。
アーティストに安い場所代で作品の発表と販売の場を美術ファンに直接提供するということで始めたのだそうだが、第二の村上を求めて投機的なコレクターや画商が
殺到して、言ってみれば今のコンテンポラリーアートバブルの元凶でもあった。
そうしたことを避けるためにも転売だけを狙った画廊の入場を規制する仕組みを検討中とのことだそうだ。
若い作家にも札束に踊らされない方法や心構えを教えたいと村上は語っているとのことだが、世界の百人に選ばれた彼だけに自信満々のようだが、私に言わせればこれも大きなお世話だといいたい。
餅屋は餅屋で長い歴史の中で築き上げられた作家と画商とコレクターの関係はその職分職分を全うすることだと思っている。
確かに今の画商の多くがそうした心構えで作家やコレクターとの関係を保っていないから、コレクターの方や作家からこうした動きが出てくるのは致し方ないことと思っている。
しかし、こうした時こそ私たちが地に足つけて、支えていただいている作家とコレクターの方達を守らなくてはいけない。
ブームはいずれ去るし、必ずや裏づけのない価格は泡のごとく消えてしまうものである。
その時に私達が存続し残っていることが作家とコレクターへの何よりの恩返しではないだろうか。

5月15日

寺田コレクションで知られる寺田小太郎氏から「わが山河」と題した小冊子をご寄贈いただいた。
4月12日より6月29日まで東京オペラシティーにて開催されているコレクション展に添えて、積年の思いが綴られている。
移り行く自然の景観の 荒廃に心を痛め、絵画に描かれた山河に往時の思いをはせている心情が切々と伝わり、感銘深く読ませていただいた。
そうした思いの一端をご紹介したい。

地形は神が造り賜うたものである、故に景観の荒廃はその風土社会の精神の荒廃を意味すると述べておられる。
人口問題にもふれ、適正規模は生命の原則であり、少子化は先進国の証であり、これを他に及ぼすことが喫緊であり、それが不可能であれば個々の生き方が問われるべきではないかとも述べておられる。
最後に陶淵明の帰去来の詩句を引用してその思いを結ぶ。

帰去来兮
田園将に蕪れなんとす
胡ぞ帰らざる。
既に自ら心を持って形の役と為す
奚ぞ惆悵として一人悲しむや
已往の諌むまじきを悟り
来者の追う可きを知る
実に途に迷うこと其れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覺りぬ

眼前の様相が非であることを果たして覚り保ているであろうか。
途に迷うこと未だ遠からず。未だ遅くはないと言い得るのであろうか。
願わくば、帰るべき田園の確かに存し得ることを祈るばかりである。

私も以前にあるがままと題して拙文を書いたことがあるがまさに同感である。
資源のない小国がひたすら科学技術立国を掲げて背伸びをしてきたひずみが、今の日本のありようではないだろうか。
科学技術は年々進歩し、その生産の拠点は人件費などコストのかからない国に移行し、そこで技術を覚えた国がまた同じことを繰り返そうとしている。
私たちは十分すぎるくらいの恵まれた生活を先達のおかげで享受させていただいた。
そうした私たちだからこそ今多少の不便さを甘んじて受け入れるべきではないだろうか。
同じことを繰り返さないためにも、私たちがお手本となるべきではないだろうか。
自然を守り育て、文化を庇護するコストは科学技術の向上を進め工業化を計るコストに比べたら微々たるものである。
何故なら次々と変化し続ける科学技術に比べ、今あるものを大切にすればいいだけなのだから。

寺田コレクションの作品を見ながら、それぞれが胸に手を当てて考えていただきたい問題である。

5月16日

8月に初めて台北のアートフェアーに参加する。
韓国のフェアーにて台北のコレクターに山本麻友香の大作を購入していただいたことや、わざわざお訪ねいただいて開催することになった台北のジェーチェンギャラリーでの高木まどか展など台北との縁は多少あったのだが、ニューヨークのフェアーで台北でのフェアーへの協力を依頼されたことがきっかけで、親密なお付き合いをさせていただくことになった。
初めての参加でどういう結果になるかわからないが、しばらくは続けて参加し、日本美術の紹介に努めたいと思っている。
そんな矢先、ロータリークラブで初めての日台ロータリー親善会議が開催されることになり、私もクラブの会長ということで出席することになった。
台湾が親日であることはよく知られているが、多くの方が日本語で話しかけてくれ、2,3のクラブでは例会を日本語でやっているというから驚きである。
そうした中、台湾の代表の方の挨拶が今までの日本の業績に対し感謝をし、未だにその恩を忘れない旨を語られ深い感動を覚えた。
その要旨を紹介したい。

過去110年台湾に派遣された初代横山総督を始め、桂太郎、乃木希典、後藤新平民生長官等が、士匪の掠奪や横暴、阿片吸引習慣、マラリア・コレラ・ペストなどの伝染病などの諸問題を抱えているにもかかわらず、その統治のおかげで台湾の近代化が図られた。
台北市の中央部に聳える台湾総督府の建立、鉄道の敷設、築港工事、博物館、図書館、大学、病院などの建設への謝意。
台湾を愛した日本人の中でも、1910年台湾に渡った金沢出身の八田与一技師の手で、農作物もとれない不毛の地、荒れ果てた平原にダムと6000キロにわたる給排水路を設計し、15万ヘクタールに及ぶ土木感慨工事を1930年に完成させ、洪水・干ばつ・塩害を解消し、不毛の大地を台湾最大の穀倉地帯に換えた業績に対し、賞賛の念は絶えることなく、ダムに建てられた技師の銅像と夫妻の墓では毎年の追悼式と墓参を今日に至るまで台湾の人たちは欠かしたことはない。
誰からの指示や命令を受けることなく、資金的援助もなく、「嘉南大州の父」と偉大なる日本人としてあがめていることは、台湾人の日本人に対する心から湧き出る尊敬の念と恩恵を忘れることが出来ない大きな現れである。

といった内容で挨拶をされ私たちが知らない日本人の業績を讃え、畏敬の念を持ち続けていることに驚きの念を禁じえない。
こうした思いに果たして日本の我々は応えているであろうか。
改めて台湾に対する私たちの思いを反省しつつ、アートフェアーの折には謝意を申し述べたいと思っている。

5月17日

知人の誘いで中国の古箏奏者ジャン・シャオチェンさんのライブに行ってきた。
六本木にあるライブハウスで250人ほどが入るスペースの中でイタリアン料理を食べた後、演奏が始まるといった趣向である。
以前に知人のお寺で物故者追悼法要の折に曲を奉納していただいた縁もあって、どちらかと言うと知人の義理で出かけたのだが、忙しくしている身にとっては一服の清涼剤となり、暫し癒しの時間を過ごすことができた。
心の底にしみわたるオリエンタルなサウンドはラストエンペラー、大奥、西遊記などのサウンドトラックでも知られているが、生で聴く音色はまた格別である。
最後に友人である夏川りみの参加もあり、澄んだ歌声がジャンさんの音色とあいまって、心地よい一夜を過ごすことができた。
画廊では恒松正敏のアコースティックライブが始まった。
こちらはロックサウンドで癒される心地とは違うが、かき鳴らすギター・のどを振り絞って歌う熱演に恒松ファンは酔いしれているようだ。
昨日も知人の紹介の若い子が作品資料を持って訪ねてきた。
この子は既に音楽のほうでは活躍していて、ソニーミュージックからCDを何枚か出しているシンガーソングライターでもある。
ロンドンの美術大学で美術を勉強していて、恒松同様に音楽・美術の2足の草鞋をはいているが、美術はまだまだ発展途上ではあるが面白い絵を描いている。
こんな具合で音楽に縁のある日が続くが、更には私どものスタッフの一人テティスの家族による展覧会が広尾の画廊で開かれているのだが、明日はバリトン・ソプラノによるウエルカムコンサートも企画されていて、みんなで出かけることになっている。

5月23日

3日ほどソウルに行って昨日帰ってきた。
羽田・金浦の空港を使うと大阪よりも早く、料金も安ければ往復2万円台で行けることもあって、毎月出かけるのも大して苦にならない。
今回は7月に私どもでも予定をしているリ・ユンボク君のソウルでの個展を見に行くのが主たる目的で、飛行場からユンボク君の迎えで直接個展会場のSPギャラリーに向かう。
彼は私どもの後に個展を予定している大阪のイノウエ・ヨシアキギャラリーの香港アートフェアーのブースにも出品をしていて、香港から直前に空港に着き私たちを出迎えてくれた。
リ・ユンボクの作品もこうして一堂に会して見るのは初めてのことであったが、ステンレスを打ち出し、磨き抜かれた作品は、周りの光を取り込み、美しく、ノーブルな雰囲気を醸し出していた。
彫刻をコレクターの方に持っていただくのはなかなか難しいことであるが、輝きが匂いたつような彼の作品なら、きっといい成果がでるのではと期待したい。
今回のソウルでも思いがけない出会いがあった。

先ずはユンボク君が、偶然私たちが泊まっているホテルの目の前にあるロッテデパートの入り口正面に、何と山本麻友香の作品が2点飾られているのを見つけてきた。
ソウルオークションに彼女の作品が1点出品されるとオークションの担当者から聞いた直後だっただけに、ソウルでも彼女の作品が目に付くようになってきた。
7月にグループ展、12月に個展とソウルでの発表も続くので、インフォーメーションとしては格好の材料かもしれない。
ソウルに到着した直後には、PYOギャラリーで世話になった日本語堪能のケーシーから電話が入った。
堀込展の直後にPYOを辞めたというので心配していたが、大手企業が始めた新しい画廊に就職し、そこのディレクターが私のところの作家に興味があって、是非食事に招待したいので画廊に来て欲しいとのことであった。
翌日訪ねたところ、これまた巨大な画廊で、私のところの数倍はあろうかという画廊で、丁度ダミアン・ハースト、ジュリアン・オピー、トム・ウエッセルマンといったそうそうたる作家たちの展覧会の初日であった。
画廊に併設されたレストランでは、VIPを招くワインパーティーが設えてあり、3000万円はするという巨大スピーカーからは、生演奏と間違えるほどのピアノやハープの演奏が流れている。
そこの画廊のディレクターに抜擢されたのが、最大手の国際画廊・現代画廊に勤務していたミス・ヤンで、彼女はコロンビア大学を出た才媛で、英語だけではなく日本語も流暢な美人の女性で、私とも面識がある。
その彼女がそこの画廊にいるとは思わず、日本語で話しかけられ、ケーシーも美人で背が高いこともあり、おかしいとは思いながらも、すっかりケーシーと勘違いをして頓珍漢な話をしてしまった。
来年4月に日本の作家のグループ展を予定していて、ミズマ・小柳などにも声をかけているようである。
日本に帰った早々に別の担当ディレクターが私どもを訪ねてきて池田歩、服部知佳、天久高広などに関心を示し、早速企画書を送るとのことであった。
堀込展も小さい作品が一点残っただけで、後は殆どが大作にもかかわらず全て売れてしまったようで、韓国での日本人作家への関心はますます高まっていくようだ。

5月24日

GTUで今日までやっている池田路世君は能面に似た仮面を発表している。
多摩美を中退し、アルバイトをしながら創作活動を続けていて、私のところでは初めての展覧会である。
まだ作品が売れたことがなく、今回結果がでなければ美術の道をあきらめる覚悟で臨んだという。
私のところに資料を見せに来た折、彩色されたお面だけではなく油彩画も面白いので一緒に見せたらとアドバイスをした。
並べられた絵を見て、ただ扁平なお面ではなく、油彩に描かれたマティエールがお面にもいかされ、独特の陰影を作り、深みを増していることがよくわかる。
一目見て、かなりの反響があると確信したが、結果多くの作品が売約となった。
かなり手厳しい批評をしていた彫刻家の方や四谷シモンなど人形コレクターで知られるTさんにも買っていただいた。
彼には自信になったことと思う。
驚いたのは面識のある盛岡の画廊のUさんが買ってくれたとのことで挨拶をさせていただくと、Uさん照れくさそうに実は私の義理の息子なんですよと言う。
池田君がお嬢さんと一緒になって10年を超えるそうだが、Uさん彼が作家であることも今回初めて知ったというより、会うのも初めてだとのこと。
池田君は横で直立不動のまま、彼女の父親が画商であることは知っていたが、そうした父を持つ彼女と一緒になるのは何処か下心があるのではないかと思われるのが怖くて、言い出せないまま月日が過ぎてしまったそうだ。
かくのごとく、今時珍しい真面目な好青年で、作品の良さと相俟って、是非サポートをと思ってしまう。
早速に8月の台北のフェアーにはお面を紹介してあげることにした。
有能な青年が大きな岐路に立ったときに出会ったのも何かの因縁かもしれない。
是非頑張ってほしいと思う。

5月26日

門倉直子展が始まった。
近くの画廊で2度ほど見せてもらっていて、殆どの作品が売れているのに驚いたことがある。
その彼女を長いお付き合いのコレクターのMさんから一度資料を見てあげて欲しいと頼まれた。
Mさん以外にも私のところにお見えになる多くのお客様が彼女の作品を持っていることは、今の時代を反映する絵を描いているからだろう。
先ずは発表をしてもらうことにしたが、大作中心の展覧会にすることを薦めた。
期待通り大きい作品を並べることで、彼女の力量を見せることが出来たようだ。
あっさり描いているようで、表情それぞれにリアリティーがあり、今そのものの世相を表現しているところが魅力の一つなのだろう。
ただし、売れるとは思っていなかった大作から赤印がついていき、他所の画廊で見たときと同様の驚きの初日となった。

5月27日

ブログでも何度か紹介をしている社会福祉法人「新生会」のH理事長がお見えになった。
榛名山の広大な敷地に福祉は文化であり、芸術であるをモットーに、温かみのある人間らしい福祉施設づくりに次々に取り組んでこられた。
今度新たにコミュニティセンターHALCを設立すべくその趣意書を持ってみえられた。
人間の精神性が主人公となるべき社会を創出するために、HYUMAN ・ART・LIFE・CAREを目標にコミュニティセンターを新たに計画され、その基本設計も出来上がり、見せていただいた。
ARTの部分で私どももお役に立つべく協力をさせていただくことになるが、大きな夢を持って更なる前進をされるH理事長にエールを送りたい。

5月28日

佐谷画廊の佐谷和彦氏が亡くなられた。
サラリーマンコレクターから転進して、現代美術の草分け南画廊に勤務、その後独立して佐谷画廊を開設し、2000年の閉廊まで、現代美術の紹介に努め、その果たした功績は大きい。
クレーやクリストなど海外の作家の紹介から、日本の現代美術に多大な影響を与えた瀧口修三氏のオマージュ展などをライフワークとした一本筋の通ったギャラリストであった。
私が現在理事長をしている現代日本版画商協同組合や、江戸堀画廊の武市社長、ギャラリーユマニテの西岡社長、南天子画廊の青木社長、東京画廊の石井代表などとともに設立された日本美術交流会でご一緒に仕事をさせていただいただけに、その思い出は尽きない。
前述の先輩たちを含め、80年、90年代に活躍された画廊主も佐谷氏を最後にみな鬼籍に入られ、一つの時代が終わったといっていいだろう。
現代美術の価値観もも2000年を境に様変わりをし、ジャパンポップスの狂乱市況を佐谷氏はどのように感じておらるだろうか。
長い経験と知識、その間に培われた感性で仕事をしてきた先輩たちには、積み重ねられた経験など全く必要とされないオークション主導の画廊の現況をどのように見ているだろうか。
私たち後輩が受け継ぐべき使命は大きい。
ご冥福をお祈りする。

5月29日

お客様のMさんがお宝鑑定団に登場。
私どもで買っていただいている作品の鑑定ではなく、切手収集の子供時代からのあこがれであって、偶然手に入れた浮世絵の鑑定依頼で出演することになった。
広重の代表作の一つで初刷りはおそらく世に10点ほどしかないであろうという「月に雁」など3点で果たして鑑定や如何に。
3点しか持っていない浮世絵が全て名品で、これは奇跡か余程の目利きとの鑑定家からのお墨付きもあり、結果2700万円という驚くべき結果となった。
放映後、M氏に聞くと大リーグで言えばイチロウ・松井・松坂を持っているようなものとも言わしめたそうだが、惜しくもこの部分はカットされてしまった。
どちらにしても大変な評価なのだが、独り身なのでいずれは何処かに寄付をしてみんなに楽しんでもらえればいいと語っていて、買った先から転売する似非コレクターに聞かせてあげたい話である。
テレビでは独り身のほうを面白おかしく取り上げられてしまい、司会者の伸助からお嫁さん募集を画面から呼びかけられ、今頃は履歴書が殺到しているに違いない。

5月30日

香港クリスティーズの勢いが止まらない。
先日ニューヨークで村上隆の立体作品が16億円というとんでもない価格で落札された影響もあるのか、中国韓国日本の作家たちが軒並み高値で落札された。
ツアーで出かけた画商たちもいるようだが、日本の交換会市場とのあまりのギャップに唖然としたに違いない。
サブプライムや四川大地震などどこ吹く風といった様相である。
中には作家と画廊が新作をオークションに出品し、高値で落札された利益を折半したという話も聞こえてきた。
今までの画商は展覧会で依頼した作品は売れなくても交換会に出すことだけは一切避けてきた。
なぜならそんな安易なことをすれば、二度と展覧会に作家から出品をしてもらえなくなるからで、そういうことをすることを大変恥ずかしいことと思っていた。
ところがである、画商と作家でオークションを利用して儲けようというから何をかいわんやである。
交換会が不透明だと言われたのは、クローズされた世界の中だけで価格形成がなされてきたことに対しての批判であったが、それなりの規制とモラルがあって、青天井に価格が高騰したり、意識的に価格を吊り上げることを未然に防ぐシステムが作られていた。
画商から声が掛からない作家がオークションに直接出して、結果高値で落札された途端に画商から声が掛かるといったケースもあるようだ。
オークションでいくら高くなっても作家には一銭も入らないと言ってきたり、オークションの評価が作家の評価ではないと声高に叫んできたが、どうもそうも言っていられない状況になってきたようだ。

6月5日

雨の日が続く。
私の誕生月なのだがいつものごとく梅雨時になると体がだるくなる。
それが今年は5月の連休前から雨が多いこともあり絶不調である。
幸い門倉展は好評なのが救いである。
売れなくてもいいから大作を中心に発表してみたらと言ったが、その大作が殆ど売れてしまったから驚きである。
今日30号の作品を買ってくださったお客様が昨年東京アートフェアーを見たとき唖然としたという話をしてくれた。
現代美術のあまりの変わりように首をひねざるを得なかったそうである。
ところが一年経ってそうした若い作家たちの展覧会を見ているうちに、自分がコレクションを始めた当時は全く無名の若い作家を買っていて、おそらくそれ以前のコレクターたちから見ればそうした作家たちの作品に同じ感慨を持ったであろうということに気づいたそうだ。
そう考えると、今の若い作家たちの作品を抵抗なく受け入れることが出来るようになったそうである。
確かに今回買ってくださったお客様は一人を除いてみな従来からのお客様たちで、以前から無名の作家たちを支えてくださっていた方ばかりである。
今の社会の一断面を切り取り表現した無名の門倉作品に共感を覚えてくれたに違いない。
私のところとは多少毛色の違う展覧会を躊躇なく受け入れてくれたのは、そうしたニュートラルな目線で今を見てくださった結果ではないかと大いに勇気づけられた。
私自身今活躍をしている作家たちもみな20代の無名の時代の出会いから始まった作家ばかりである。
何も変わった事や違ったことをやっているわけではない。
疲れた身体に鞭打ち、これからも作家の紹介に努めていきたいと思っている。

6月7日

来週の月曜日に成城大学のオープンカレッジ「成城学びの森」でアートマネージメントについての講演を頼まれ、アート普及のためならどこへでもということでお引き受けした。
俄か勉強で取り留めのない話になりそうだが、こうした機会に話を聞いて、画廊に足を運んでいただけたら有難いのだが。
アートという非生産的な商品をマネージメントしたりマーケティングするのはそう簡単にはいかない。
というより、内容や数量が全く見込めないものを、どう企画し、どう営業活動をしていくかは至難の業である。
どんぶり勘定といったら、何といい加減といわれるかもしれないが、蓋を開けてみないとどれくらい売れるかどうかの予測もつかない。
当然かかる経費ははっきりしているのだが、売り上げがたってはじめて経費が捻出できることになる。
全くもって水商売そのものである。
そのためもあってか大企業や大きな組織がこの業界に参入してもビジネスとして成り立たず、成功したためしがない。
アーティストをマネージメントし売り出していくことは音楽業界やお笑い業界の人たちだったら出来るかもしれないが、日本の画廊にはそうした戦略はまだない。
そうした中、村上隆は作家自身でマーケティングをし、戦略を立て、世界に打って出て成功をした一人だろう。
ただし、マス相手だとCDや小説のように量産することが可能だが、アートにはそこが難しい。
村上はそこも大衆と特化した富裕層をうまく使い分け、その両方にブランドとして祭り上げられることに唯一成功したアーティストで、世界の百人に選ばれたのも当然かもしれない。
村上に出来て画廊に出来ないはずはないのだが、残念ながら私を含めそれだけの力を持ち合わせたギャラリストはいない。
仮に出来たとしてもある時期からは作家自身が一人歩きすることになるだろう。
そんな私がアートマネージメントの話をするのは全くもって役不足なのだが、自分なりにこんなことがアートの世界で出来たらいいなといったことを話してみようと思っている。
聴く人には無駄な時間を過ごさせてしまうことになるが、許しをいただき、これもご縁と思って画廊に足を運んでいただければ幸いである。

6月11日

ソウルオークションのカタログが送られてきた。
山本麻友香の100号の作品が韓国・中国の著名な作家の作品とともに表紙を飾っている。
おととしのオランダの個展で売却された作品である。
落札予想価格が200万円から250万円となっていて、私どもの発表価格を上回っているが、果たしてどんな結果になるだろう。
私どものようなプライマリーマーケットで売られたものが、セカンダリーマーケットで売られることは防ぎようがない。
ただ、もうしばらく大事に持ってもらいたい思いもあって複雑な気持ちだが、今のご時勢そんなことも言ってられない。
セカンダリーで出ることは、プライマリー価格が客観的に評価がされる証でもあり、決して否定するわけではない。
ただ心配なのは投資の対象として扱われ、価格が乱高下することで、私どもや作家がその渦中に巻き込まれてしまうことである。
私たちはそうした第三者の評価とは関係なく、展覧会の積み重ねの中で、徐々にその評価をあげていくことに努めたいと思っている。
他にも服部知佳、呉亜沙、鈴木亘彦といったところが国内のオークションにも登場するが、冷静に冷静にと願いたい。

6月12日

ここ数日スタッフ総出で小林健二の小品をたくさんつめた箱を探すが見つからない。
地方の展覧会に出さなくてはならず、画廊の倉庫2箇所、月島の貸し倉庫3箇所、更には自宅の倉庫と隈なく捜索。
いよいよ盗難届でも出さなくてはと思いつつ、最後の最後今一度、棚卸しではあった筈の画廊の地下の倉庫をスタッフが全作品を外に出して探すことになった。
一番奥の更に大きなダンボールの箱の奥から見つかりましたとスタッフのうれしそうな知らせ。
不謹慎だが地震で崩れた瓦礫の中から、被災者を無事救出したような喜びようであった。
とにかく作家の預かり品とお客様の売却依頼作品で、倉庫は満杯である。
画廊の在庫作品だけであれば、画廊の地下倉庫だけで済むのだが、これだけあちこちに分散すると管理するだけでも大変である。
管理リストは作ってあるのだが、倉庫の中の整理ができていないためにこういったことが起こる。
お客様の中にもお金はいただいているのだが、10年過ぎても取りにみえない方もいて、頭を悩ませている。
倉庫代だけでも馬鹿にならず、今回のこともあるので、先ずは返せるものから何とかしなくては。

6月14日

土日と京都のお客様N様と青森の県立美術館を訪ねた。
飛行場には弘前大学教授で私どもで個展を重ねている岩井康頼氏が迎えに来てくれた。
一昨年私どもで青森出身で昭和40年代に活躍した渡辺貞一の遺作展を開催したが,氏はその渡辺作品170点をコレクションしている熱烈な渡辺ファンである。
その氏が是非とも郷土の美術館で遺作展を開催して欲しいと熱望し,私も同行しその氏の熱い思いを伝えるべく訪ねることとなった。
青森県立美術館は同じく青森出身で話題の奈良美智やバレーの背景画として描かれた4枚組の巨大なシャガール作品のうちの3点のコレクションで知られる。
すぐそばに縄文遺跡で有名な三内丸山遺跡がありその遺跡に因んで床が土の地面になっているユニークな美術館である。
渡辺展の時にもお出でいただいた池田学芸員の案内で,奈良のインスタレーションやあまりの大きさで圧倒されるシャガールの作品、郷土ゆかりの棟方志功・斉藤義重・工藤哲巳などの部屋を案内していただく。
メインの展示ホール以外は細かく展示室が分かれていて、多分今回のような展示であれば近いうちに渡辺貞一遺作展が開催されるのは間違いない。
残念だったのは岩井氏の大作展示が一週間後美術館で 開催されることになっていて、それを見ることが出来なかったことである。
翌日曜日はN様は渡辺作品を中心としている八戸美術館に向かい、私は弘前の岩井氏のアトリエを訪ねることに。

6月16日

 昨日は飛行機に乗る直前岩手宮城大地震が発生し、飛行機欠航かと心配したが、青森はたいした揺れもなく無事青森空港に到着で胸を撫でおろした。今朝も弘前行きの列車に時間を間違え、青森駅構内を走りに走ってぎりぎりセーフ。連日ひやひやさせられる。迎えに来てくれた岩井氏の車でまずは駅前にある岩井氏の彫刻用のアトリエに案内してもらう。昔のりんご倉庫をそのまま後輩の彫刻家とシェアーしていて、多分6,70坪はあると思うが、それぞれ月2万円の家賃だそうだ。東京の作家たちに言ったらリンチにあってしまうのではと思うくらいに安い。目の前がJRの津軽駅でこれだから、郊外に行けば、お金を貰って使わせてもらうところがあるのでは。彼は市から弘前建物保存会の委員長に任命されていて、車で次々と由緒ある建物や弘前出身の建築家前川国男の建築による博物館・斎場などを案内してもらうことになった。同じ氏の設計による東京都美術館同様に、レンガ造りのシックな建築が自然と絡み合い、城下町弘前の雰囲気を更に深め、旅情を誘う。古い建物の時を重ねた重みもいいが、新しい建物にも都会で見るような派手さがなく、控えめなのがいい。更に?いいのは、周りの木々の高さより、建物が低くなっていて、建造物が自然の風景の中に溶け込んでいることである。屋根が一定の水平線を保ち、緑がその周囲を覆っていることで、景観の美しさが保たれている。高さを競い合ったり、森や林から無粋な建物がにょきにょきと飛び出たアンバランスな景観に目が慣れてしまった私にはひときわ美しく感じる。それでも岩井氏は、古い美しい建物が次々になくなり、地元の人間がそれに何のためらいもなくなってしまったと嘆く。武蔵工業大学の講師をしている長男が、この春社会人枠で合格した弘前大学医学部もお城の近くにあり、そこにも寄って貰った。無縁と思っていた最果て弘前も不思議な縁で身近となった。お昼には、これまた保存建物の一つとなっている「真そばや會」で美味しいおそばをご馳走になった。町外れにあって、早い時間にもかかわらず、行列待ちの大繁盛で、その美味しさがうかがわれる。その後雄大な岩木山を目前に眺めつつ、どこまでも広がるリンゴ畑のなかを岩井アトリエに向かう。

岩井氏のアトリエはどこまでも続くリンゴ畑を抜け円山応挙の幽霊画があることで知られる古刹久渡寺が道のどんつきにあるリンゴ農家の集落の中に建っている。道筋には土壁色の土蔵が立ち並び津軽独特の風情を感じさせてくれる。彼はこの土蔵の風景に心動かされ津軽平野の原風景とも言える此処にアトリエを建てることを決意する。自分の思い描いた土地に自身の設計で思い通りのアトリエを建てた。大正時の古い洋館を思わせる木造の家の中には天井高4メートル40畳の開放感あふれるアトリエがある。きちんと整理された画材や作品群とともにおびただしい数のレコードが収められた棚がひときわ目を引く。最近犯罪とも言える20歳以上も年の離れた若いピアニストの奥さんと結婚し理想通りのアトリエと理想以上の奥さんとの生活さぞかし充実していることであろう。帰り際に聞かせてくれたEP盤から流れるルイ・アームストロングのバラ色の人生の音色と歌声に酔いしれながら帰路につくことにした。帰りの道すがらふと気がついた。あれはのろけだったんだと。やってられませんよ岩井さん!

6月18日

6月18日 金井展が始まり4日がたつがまだ売約が二点しかない。今回は今風なポップな人物画が中心で彼独自の技法である金箔の縁取りがひときわ効果的でかなりの反響を呼ぶと思っていたのだが。この作品なら海外のアートフェアーへ持っていっても十分通用するに違いないとも思う。前回の若手の門倉展は予想外の売れ行きだったし今日もある画廊で若手作家の作品を朝からたくさんの行列の中買ってきたという。今の風潮は果たしてこれでいいんだろうか。まだ未熟でも若いということだけで売れ年をとっているといい作品と思っても売れない。こうしたことがいつまで続くのだろうか。アートソムリエの山本さんからこんなメールをいただいた。こうした思いの人達がいる限り頑張ってやっていくしかない。

先週の土曜日からギャラリー椿で金井訓志さんの個展が始まった。初日は久野さんの作品探しのため参加できなかったが、友達関係などかなり多くの人でにぎわったとのこと。しかし、昨日の昼休みに行ったが、まだ作品は売れていない。今回の作品もなかなかおもしろいし、良いできだと思うが、最近はこのようなベテラン作家がなかなか売れないのが現状だ。以前ギャラリー椿でやった室越健美さんもすごく良い作品だったがあまり売れなかったようだ。
 昨今の現代アートブームで若い作家は無名でも何でも売れる人も多いのに中堅作家はどれだけ良い仕事をしても、「若くない・・・」というだけで売れない。昔はベテラン作家で儲けて若手作家を支援したが、今は若手作家で儲けて中堅作家を支える・・・ということになったのだろうか。現代アートバブルが続く間はそれでも良いが、それがはじけたらどちらのユーザーもいなくなるのではないかと言うのが心配である。
 金井さんの場合は、ポップな感じで現代アート風でもあるので、若手アーテイスト「金訓志」とでも名乗ってアートフェアに出したらヒットするのではないだろうか??
アートソムリエ  山本冬彦

6月19日

お客様から日記の感想をいただいた。
何度か送っていただいらしいがメールボックスがいっぱいで戻ってきたので画廊のメールアドレスに送ったとのこと。
ところが私は一度も感想メールを見たことがなく、日記はあまり読まれてなくて感想もこないものと思っていた。
どういうことかと調べてみたら以前に解約したプロバイダーのアドレスが感想の宛先になっているではないか。
全く気がつかずに7、8年は経っているだろうか。
知らなかったとはいえ、全くこちらのチェックミスでどのくらいの方かはわからないが感想を送っていただいた方には大変申しわけないことをした。
今までのものを見る方法があればなんとか見せてもらいお詫びのメールを送らせていただきたいのだが。
プロバイダーにも問い合わせてみたい。
感想メールのアドレスは早速に変更させていただいたので貴重なご意見をお寄せいただければと思っている。

6月21日

蒸し暑くなると何故かお客様の作品の売却依頼が多くなる。
恒例の8月に開かれる京橋界隈オークションがあるからだろうが、この時期はいつも埃と黴の中、汗びっしょりで作品を運びだす仕事をしていることが多い。
昨日も150点の作品をお客様の倉庫から運び出してきた。
今日21日で62歳の誕生日を迎えるが相変わらず昔と変わることなく力仕事だ。
画廊の仕事は運送業みたいなもので運び出し、荷造り、作品の展示、片付けと続き、外から見るのとは大違い。
スタッフもこんなはずではなかったと思ってるだろう。
これから画廊をやりたいと思う人は先ず体力チェックが必要。
さすがこの歳になると朝起きると体が痛い。
62歳最初の朝は筋肉痛から始まった。

6月22日

ロータリープログラムの一つ青少年交換留学生達の帰国報告会に、仕事の合間を縫って行ってきた。私の家にホームステイをしていたアンジェリカが一番手でスピーチをすることになった。最初から感極まったのか涙声になりながら慣れない日本での生活、言葉、食事を克服し,今日本にきたことがどんなに素晴らしかったかどんなに良かったかを心をこめて話てくれた。心打たれこんないい子を預かれた幸せを家族とともに噛みしめている。ちょうどブラジル移民百周年の年にあたり日伯交流にも一役かわせてもらった。

6月23日

7月に予定されている大阪の堂島のホテルでのアートフェアーのチラシが送られてきた。
昨年の倍の48画廊が参加して盛大に開催される。
東京のアグネスホテルのアートフェアーが行列ができるほどの賑わいを見せていて、それを模して始めたフェアーだが、それに負けず劣らずのアートフェアになりそうだ。
今回は私の紹介もあって台湾の画廊も多数参加することになっていて、より話題になること間違いない。
同じような試みが8月に韓国の画廊の企画でニューオオタニでも開かれる。
こちらはどういうわけか私のところに案内が来なかったので内容は詳しくわからないが、70近くの画廊の参加を募っているが思うようには集まらず、知り合いの画廊にも参加の誘いがきている。
それでも私のところと取引のある韓国の大手画廊が多数参加するようで、そのうちの一軒から私のところの作家で全ての展示かできるなら参加したいとの相談を受けた。
ちょうど台湾のフェアーと重なっていて、お手伝いはできないが出品は可能な旨を伝えた。
私のところにお誘いがこないのに、ひょんなことからお手伝いをする羽目になってしまった。
とにかく世界中アートフェアーが目白押しで、次々と案内がメールでやって来る。
オークションと同様にあま り加熱しすぎるのはどうかと思うし、ブームが去ったら止めてしまうのではなく、継続させることが大事で、無理せず続けていくことを主催者にお願いしたい。

6月28日

ここ2,3日は暇な日が続き、久しぶりに近所の画廊を見て廻る。
抽象でとてもいい作品が並んでいる展覧会やついこの前まで注目を浴びていた作家の個展を見るが、見る人も少なく、殆ど売れていない。
それに反して、漫画風の画風でオークションで高値をつけている若手作家の個展は、朝早くから行列が出来、あっという間の完売だったそうだ。
中には一人の客が数人の仲間を一緒に並ばせているとのことで、ただあきれるばかりである。
今の時代を象徴するように周りの画廊でもこうした傾向を扱う画廊が一気に増えてきた。
今日までだがGTUの宮野友美の木版画展はそうした流れと逆行するかのような、静謐で心にじわっと染み渡るような世界を表現している。
室生犀星や宮沢賢治の詩の一節を、水性木版の独特の滲みとかすれで表現し、一目見て心を和ませ、静かな世界に浸ることが出来る。
彼女は版画が元々がそうであったように、木版画を本仕立てにして、手にとって作品を見て貰いたいとの意図もあり、製本の技術も勉強した。
表紙を両開きした中に、一点だけの木版画をはめ込み、本自体が額縁でもあり、版と一体化した作品として見せていて、この見せ方がまたいい。
涼しげで、懐かしくもあり、ほっとさせらる一週間であった。

6月30日

今日でロータリークラブの会長職の任務を終える。
一年間毎週月曜日の例会、地区・分区の委員会、行事、クラブの親睦行事などに出席しなくてはならず、日々時間に終われる毎日であった。
大企業のトップや医師・弁護士などがメンバーで、私ごときが上に立って皆さんに動いてもらうのは恐れ多いことだったが、皆さんの支えで何とか一年任務を果たすことが出来た。
大変な苦労もあったが、諸先輩の中で仕事をすることで、リーダーシップ・人の和・友情と多くのことを学ばせてもらい、有意義な一年であった。
今後の画廊運営や画商組合の仕事にも生かされる貴重な経験をさせてもらったと喜んでいる。
画廊のほうもそんなわけで、かなりの時間をロータリーの仕事に割かなくてはならず、スタッフや家内にも迷惑をかけてしまった。
ただ、私がいないことでかえってみんなの力が結集したのか、画廊の業績は以前よりも上がったようだ。
私が戻ったことで業績が落ちたら示しがつかないので、何とか明日からは画廊でお邪魔虫にならないよう頑張らなくてはならない。
今日からこの地域の恒例のイベント「京橋界隈」改め「京橋アートフェスタ」が始まり、私どもは韓国の注目作家「リ・ユンボク彫刻展」で参加する。
ステンレスをたたき出し、磨き上げた作品は美しい輝きと、周りの情景と光をその表面に写しこむことで、多様な表情を見せてくれる。
近くて遠い韓国だが、感性は共通したものがあることを彼の作品を通じて知ってもらえればと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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