ギャラリー日記
2015年4月〜6月

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6月30日

建築家の友人が自分の事務所の会議室をギャラリースペースに改造し、そこに私のところの作家を展示し、クライアントさんに見せて、建物に使ってもらうのはどうだろうと訪ねてきた。

主に大病院の設計に携わっていて、前にもブログで紹介したが、ホスピタルアートとしてそうしたところに壁画やギャラリー空間を建築構想に入れてもらえると有難いのだが。
運送保険代などは負担してもらうが、他は無償で提供し、その代わり是非大きな仕事に結びつくことを期待している。

色々な作家資料を見てもらい、最初は堀込幸枝の作品を展示することになった。
壁面約15メーター、高さ2.5メーター程度なので、10点前後の作品を飾ることにした。

四半期ごとに展示替えをして、順番に私どもの作家を紹介する、言ってみればギャラリー椿の出張所みたいなスペースとなる。

6月29日

今日はロータリークラブの年度末の最終例会日。
今年度会長・幹事のほっとした顔と対照的に、次年度会長・幹事の顔が引きつっている。

それ以上に引きつっているのが私で、年度でいうと3年先になるが、大役をやることになって、顔だけではなく胃まで痛くなってきた。

ロータリーは世界中に数多くのクラブがあり、それを地域ごとに分けている。
同じ地域でも東京のクラブ数は多いので、地域を中央線を挟んで南北の二つに分けていて、私どものクラブは北側の70クラブ3000名が加盟する2580地区に属している。

これを更に中央、東、北、武蔵野、多摩、それにどういうわけか沖縄が入っていて、この六つの分区に分け、私達は中央分区となっている。
何故沖縄が入っているかというと、沖縄は本来鹿児島地区に入るべきなのだが、琉球・島津の遺恨が残っていて、遠く私たち東京地区に加盟をしている。

そして地区の代表をガバナー、分区の代表をガバナー補佐、クラブの代表が会長という構成になっている。
そのガバナー補佐をやってくれないかと、会長・理事からこの一ヶ月ほど膝詰め談判で頼まれていた。

このガバナー補佐は会長経験者がやることになっているが、現在私のクラブで会長経験者は11名いるが、3年後に80歳を超える人が殆どで、一番若い私にお鉢が廻ってきた。
私は若い時にロータリーに入ったので、在籍年数も来年で40年目となり、そうした経験も加味されたのだろう。

かなりの時間を地区・分区に取られるため、零細企業で海外出張も多い私のようなものはとても職責を全うできないと固辞したのだが、他にやれる人がいないということで、熟慮の末引き受けることにした。

ただ、その上のガバナーはガバナー補佐経験者がやることになっていると脅され、こればかりは画廊が潰れてしまうので、きっぱりと断るつもりでいるし、その順番が来る頃までには多分生きていないだろう。

ロータリークラブは奉仕活動が主是であることから、私のような端くれでも多少は奉仕のお役に立つことが出来ればと、引き受けた以上は画廊の仕事と折り合いをつけながら頑張ってみようと思っている

6月28日

畑の野菜が採れ過ぎで、スタッフや作家さんに分けるのだが、なかなか減らない。

今日もキャベツ、大根、小かぶ、赤かぶ、紫大根が大量に出来ていて、運ぶだけで腰が抜けそう。
それに先週もそうだったが、作家さんたちから次々に旬の果物が送られてきて、画廊は八百屋と化している。

残念だったのは、先週の日曜日にはまだ小さかったブロッコリーとカリフラワーは、今日見てみるとに虫にやられて全滅。
ほんのちょっとの間でこれだけ違うのだから、野菜の手入れもこまめにやらなくてはいけない。
とはいえ、週末農家の私は、そううまく収穫時期に合わせることができず、折角の野菜を駄目にしてしまうことも多い。

これから夏野菜の収穫で、トマト、きゅうり、ズッキーニ、とうもろこし、ジャガイモなどなど、休む間もなく出来てくるので、しばらくは畑通いが続く。
月曜日に来ると、野菜のお土産にありつけるかな?

6月27日

サクラクレパス90周年を記念した「女性アーティストクレパス画展」がようやく東京に戻り、今日から7月5日まで麻布十番のギャラリー・ラ・ジュールで開催される。
サクラクレパス創始者の生地である鳥取の日南町美術館、サクラクレパス本社にあるサクラアートミュージアム、朝霞市の丸沼芸術の森の各展示場を廻ってきた。
出品作家も21名中10名が私どもの作家で、それぞれ個性豊かな作品を出品している。

クレパスは子供たちにはなじみがあるが、プロのアーティストにとっては中々厄介な代物で、皆さん相当てこずったようだ。
というのも油やパステル、水彩と違って、色を重ねることが難しく、強すぎると色が剥がれてしまうという難点があって、じっくりマティエールを造る作家には難しかったようだ。

ただこうした新しい素材を使うことで、違った面を引き出すことにもなり、折角の素材なので、これからもチャレンジしていって欲しい。

6月26日

産経ニュースに台湾の現代芸術事情が載っていたので転載させていただく。
最近は手抜きで、他所の記事を転載することが多いが、お許しいただきたい。

こうしたニュースを見たり、実際海外に出て見聞きすると、日本がますます文化後進国になって行くようで、寂しい限りである。
折りしも、自民党に若手中心で「文化芸術懇話会」というのが発足したようだが、マスコミがけしからん、経団連に働きかけて、マスコミへの広告を自粛し、メディア規制すべきと文化芸術とはだいぶかけ離れた意見が出たようで、何とも情けない。


台湾のアートシーンが元気だ。
日本統治時代などに建てられた古い建物を改装したアート施設が各地に作られ、若いアーティストたちをサポートする仕組みが整いつつある。
背景には行政当局を挙げた取り組みによって、美術や音楽、映像などの文化クリエーティブ産業を基幹産業として育てようという方針がある。(戸谷真美)

◆アートバンクで支援

 台湾中西部・台中市にある「紅点文旅」。
 半年先まで宿泊予約が埋まっているという人気のデザイナーズホテルだが、その理由のひとつは、地下のレストランスペースやロビーなど、いたるところに置かれたポップなオブジェや斬新なアート作品にある。

 ホテル内の作品の多くは台湾芸術銀行(アートバンク)からレンタルしたもの。
 台湾の文化部(日本の文化庁に相当)と台湾美術館が運営するアートバンクは、台湾籍を持つ若手アーティストの作品を公募して買い上げ、公的機関や民間企業などにリースする事業を行う。
 責任者の張正霖さんは「目的は作品の所蔵ではなく流通です。
 公共スペースに作品を展示することによって、一般の人たちが日常生活で芸術に触れる機会を増やすと同時に、マーケットを活性化できると考えています」と説明する。
 若手アーティストの経済的な支援などを目的とするアートバンク事業は、オーストラリアやカナダの先行事例があり、台湾では2010年にスタートした。年間の購入予算は4500万台湾元(約1億8千万円)に上り、14年までに延べ490人分、933点を収集している。
 張さんは「当初は役所へのリースが多かったが、民間企業からのニーズも増えてきた。常に全体の8〜9割を流通できるようにしたい」と意気込む。

 ◆芸術特区に制作の場

 アーティストの制作環境を整える取り組みも盛んだ。
 南部の港湾都市、高雄市の駁二芸術特区では、約85年前に建設された倉庫などを活用し、内外の有望なアーティストに一定期間、制作費や場所を提供している。

 日本の現代美術家、木村崇人(たかひと)さん(44)もこの取り組みによって活動する一人。
 今年4〜6月の3カ月間、同市内にある6つの小学校でワークショップを行い、日光写真の仕組みを利用したインスタレーションを制作した。
 「海外で子供たちと一緒に作品を作れるとは思わなかった。市のバックアップがあったのでワークショップはうまくいきました」と振り返る。
 ワイヤーを使った幻想的なオブジェで注目を集める地元出身の翁国嵩さんも、同特区にアトリエとショップを構える。
 「地元にこうした場所があることはありがたい。週末にはたくさんの人が見に来てくれます」と笑顔で話す。

 台湾には宝蔵巌国際芸術村(台北市)をはじめ、アーティストのための活動拠点として滞在施設やアトリエ、展示スペースなどを整備した施設が各地に設けられ、内外のアーティストと一般市民との交流も盛んに行われている。
 文化部の洪孟啓部長(文化相に相当)は「音楽や映像もそうですが、特に現代アートでは文化と産業を結びつけることが発展の鍵。
 できる限りバックアップしていきたい」と話している。

6月25日

昨日の夜は高校の友人達との飲み会。
最も私は烏龍茶だが。

母校があった吉祥寺のビヤホールに集まった。
吉祥寺は通った当時の面影は全くない。
尤も、中学の時から数えると50数年前になるのだから変わらないほうがおかしい。
それでもどの街にも、それなりの記憶のかけらがあるものだが、この街だけは別世界である。

一番住みたい町のナンバーワンなのだそうだが、井の頭公園や武蔵野の杜に囲まれた自然が豊かで、多少田舎くさい昔の町のほうが住みやすかったように思うのだが。
その頃はデパートなどもなく、クラスメートの父親が経営していた名店会館というのがあって、おそらくそれが今でいうデパートのようなものだったのだろう。

駅の南側の井の頭公園に続く道は住宅街で、商店など一つもなく、、ガード下に伊勢屋という焼き鳥屋があったくらいで、ここも煤けた店だったが、やけに綺麗になっていた。
井の頭線から中央線に渡るには、いわゆる渡り廊下で木の床に響く靴音がなんとも懐かしい。

北側の駅前には狭い路地に小さな店が軒を揃え、悪がき連中はこの中にある薄汚れた台湾料理屋がたまり場になっていて、練習帰りに食べる餃子や焼きソバが何よりのご馳走であった

そう言えば、自宅の近くの下北沢もすっかりイメージチェンジして、若者で溢れかえっている。

不思議なもので、銀座や渋谷、新宿のような大きな街の方がまだ昔の面影が残っているのは、何故なのだろう。
銀座の路地裏や、渋谷のガード下、新宿のゴールデン街などは未だにその面影を残している。

こんな風に昔がよき時代と思うようになるのも歳のせいなのだろう。
10月には高校卒業50年を祝う会があり、今日集まった連中もみな来年は古希となるのだから、月日の経つのは早いものである。

6月24日

週刊アスキーで春画展に関して次のような記事が出ていたので転載させていただく。

春画に対する美術館のアレルギーは相当なもので、大英博物館での開催が大反響を呼んだのに対し、日本での開催が困難を極めた顛末が詳しく述べられている。
日本独自の大衆文化をポルノと勘違いしている日本の文化行政のお粗末さを露呈していて、恥ずかしい限りである。





「我が国フランスでは非常に高く評価されているにもかかわらず、日本では永年の間タブーとされてきたことが不思議でなりません」(シャネル代表取締役 リシャール・コラス社長)

 本日は愛と笑いの浮世絵、春画のお話。

 東京・永青文庫で、今年9月19日から国内初の展示会『春画展』が開催される。入場料は1500円。残念ながら18歳未満は入館禁止の“大人の美術展”だ。展示点数は前期・後期入れ替え制で合計120点。

 じつは2014年、先駆けてイギリスの大英博物館で春画展が開催、大成功をおさめていた。ロンドンでそれを見た宇多田ヒカルさんが日本での開催が決まっていないのを残念がった。それを新聞屋が書いて話題になったりもした。

 が、ふしぎなことはある。

 春画そのものは昔から大人気の美術ジャンルだ。芸術雑誌もたびたび春画の特集を組んできたし、書籍を出せば豪華版でも飛ぶように売れる。なのに、今になってようやく美術展開催の運びとはどういうことか。

 どうして本は出版できてもホンモノは見せられなかったのか。なんだって日本美術を海外の後追いで紹介しなくちゃならんのか。そしてなぜいま春画が“新しく”発見されたのか。理由を探るべく、編集部は春画展実行委員会をたずねたのであった。

はじめに世界で大成功した春画展

 まず、なぜいま春画が再評価されているのか。

 春画展の企画にたずさわった古美術商・浦上蒼穹堂の浦上 満さんいわく、大英博物館での展示は非常に学問的な裏付けが強い企画だった。

「大英博物館の展示は3年半にわたる国際研究プロジェクトの集大成なんですよ。大英博物館とロンドン大学、そして立命館大学と、文科省の下部組織である国際日本文化研究センターの間で進んでいた企画でした」

 とはいえ大英博物館も最初は不安があり、開館以来初めて16歳未満の入場を禁止した。が、いざ開けてみると大好評。ガーディアンのような一流紙はこぞって事実上の最高点となる四ツ星の評価を出し、入場者は3ヵ月で8万8000人を超えたという。

「面白いのは『日本人がこんなにも性に対しておおらかな人たちだったとは思わなかった』という声がアンケートに上がってきたこと。彼らの“まじめすぎる”日本人像がすごくプラスのイメージに変わったんです」

 フタをあけてみれば、拍子抜けするほどの大成功。調査では大英博物館側にとって意外な結果もわかった。女性ウケがよかったのだ。

「入場者の55%が女性だった。そのうえ95%が“満足”、96%が“期待以上だった”と答えているんですね」

ポルノのように不快なものがない

ちょっと意外に聞こえるかもしれないが、あけっぴろげなセックスを描いた春画はもともと女性の人気が高いジャンルだったのだ。

春画まわりの著作もある橋本麻里さん、月岡雪鼎の研究をしている山本ゆかりさんをはじめ、愛好家も研究者も女性比率は高いという。

「いまは春画ブームといえるほど、若い女性にポピュラー。石上阿希さんという今月3月まで立命館のいわゆるポスドクをしていた研究者が春画の講義を開いたら、女子大生を中心に約260名もの受講者が講堂を埋めつくしたというんですよ」

ややエグいところもある春画が女性の人気を集めるのはなぜなのか。浦上さんは「春画はポルノではないからじゃないでしょうか」と話す。

「ポルノは一般に、男1人で見るものでしょう。一方の春画は何人かで集まって『バカだね〜』と笑いあって見るものなんですよ。『枕絵』『笑い絵』とも言われ、『馬鹿夫婦 春画の真似して筋違え』……なんて歌もあるほどで」

 実際に六本木の森美術館『LOVE展』で春画を展示したときは「(他の現代アートに比べて)いちばん健全な絵に思えた」という声が女性からあがってきたそうだ。

「基本的に春画には女性蔑視はないし、見ていて面白い。『ポルノで不快になることはあっても、春画には女性が見て不快なものが1つもない』なんて声も聞きました」

春画専門の作家はいない

 また、ポルノとの決定的な違いは作家性にもある。よく勘違いされているというが「春画専門の絵師というのはいないんです」と浦上さん。

 春画は役者絵、美人絵、名所絵などと並ぶ浮世絵の1ジャンル。江戸の庶民風俗を生々しく、かつバカバカしく描くのにうってつけのジャンルなのだ。
「喜多川歌麿だろうと歌川国芳だろうと、浮世絵師で春画を描いてない人はいない。春画を描くのは当たり前だった。『春画を見ると絵描きの技量がよくわかる』とさえ言われているんです」

 葛飾北斎のような世界に名のとどろく天才画家も、タコとたわむれる全裸の女性を描いていたりする。北斎らしく、構図もポーズも斬新で面白い。

「江戸時代でも享保の改革のときなんかに発禁になっていたことはありますよ。でもそのときもアングラに潜ってつづけていたんです」

 浮世絵は特定のパトロンがいない町人文化。浮世絵はいまの出版社と似たような“版元”があり、注目作家の新作を江戸中の誰もが楽しみに待ち望んでいた。もちろん春画もその1つだったのである。

「町人からお侍さん、お殿様までいろんな層が楽しんでいたもの。有名なところでは、お殿様同士が春画の交換会をやっていた、なんて話もありますね」

 日本美術の大事な顔、春画。研究者も愛好家も多く、研究が進んでいたにもかかわらず、日本で展示会が開催されるまでは長い長い挑戦の道のりがあった。

逮捕されると脅された

「スタートしたのは2011年7月。かれこれ4年ごしになりますか」

 浦上さんは遠くを見つめて言った。

 浦上さんと行動をともにしてきたのは同じく美術商の淺木正勝さん。淺木さんは東京美術倶楽部という美術商の集まりで会長をつとめる、美術界のドン。あるとき、東京美術倶楽部の持ちビルで春画展をやろうという話が持ち上がったのだ。

「最初は大英博物館で春画展をやるときのスポンサーになってくれないかという話だったんです。が、大英博物館展のあと、日本で巡回展をやろうという話になりまして」

 世界一厳しいと言われる大英博物館の設備審査(ファシリティーレポート)もクリア。いよいよ本決まりというとき、暗雲がたちこめてきた。

「古い体質の組織なので、コンサバティブな考えをする人たちから『しょっぴかれるんじゃないか』『今後、美術倶楽部が色眼鏡で見られるんじゃ』という意見が出てきまして」

 いわゆる“いかがなものか論”だ。

 自身も春画コレクターである浦上さんいわく、いままでも同じ理由から数多くの美術館で春画展の話が出ては消え、出ては消えをくりかえしてきたのだという。

 無理を押して開くこともできるが、反対者がいるところでやろうというのは本意じゃない。そんなわけで開催は中止。別の場所を見つけてやると言い、美術館めぐりを始めたのが2012年8月のこと。

 浦上さんは淺木さんと2人で『Shunga in Japan LLP』という組合を作り、大英博物館の春画展のスポンサーとして資金を提供しながら日本の会場探しを始めた。

 しかしその後、浦上さんは業界の壁にはばまれつづけることになる。

「意義はわかるが、うちでは」問題

「そこから親しくしている美術館の館長や学芸員に話をしに行きました。しかし、意義は感じてくれるけどオッケーは出ないんですね」

 国立、財団法人、あらゆる美術館を回った。「子供さんと一緒に見られるような展覧会でないと」「もうそこの予定は埋まっておりまして」「伝統ある美術館で年齢制限のある展覧会はちょっと」──延々、断られつづけた。

「だいたいパターンが決まってるんです。館長に大英博物館の春画展の話をすると『いいですね、自費でもいいから見に行きたい』と盛り上がる。ところが『そちらでいかがですか』というと、『いや、意義があることはわかるんですが、うちだけはちょっと……』」

 テーマは春画だ。意義もある。話題性もある。展示を開けば人が呼べるのは間違いない。法律の裏付けをとれば開催の方法はあるはずなのに、なぜどこもオーケーを出さないのか。浦上さんは「結局は自主規制なんですよ」とあっさり言う。

「国公立の美術館は『教育委員会が恐い』。財団法人の美術館は大抵企業がバックにあるので『企業イメージが悪くなるのはまずい』。新聞社やマスコミは『読者からのクレームがきたらどうする』。みんな見えざる敵におびえて、自主規制してるだけなんです」

 こんなバカなことがあっていいわけがない。

 美術館だけでなく、大型商業施設などあらゆる施設を回りつづけた。会場探しに奔走して1年が経ったが、それでもまったく見つからない。

「美術商だから一儲けしようとしているんだろうと思う方もあるかもしれませんが、われわれはこの展覧会で儲けようなんてことは当初から一切思ってません。春画展において利益は追求しない。だからいろんな先生方が応援してくださっているんです」

 そんな折、ポッとあらわれたのが永青文庫だ。細川護熙元総理が理事長をつとめる美術館。当たれる場所はすべてあたったと思っていたが、なぜかひとつだけ抜けていた。話は驚くほどトントン拍子に進み、ついに開催の運びとなった。

本物を見れば、すべてがわかる

「まあおかしな話ですよね」とあらためて浦上さんは言った。

「25年前から本でも雑誌でも出版物は無修正でオーケー。青少年に悪い影響があるといけないと言いますが、今どき中学生が本屋さんで春画の本を見ていても、誰も何も言わないでしょう。ところが展覧会場入口でちゃんと年齢チェックもできるのに春画展と聞いた途端に『それはいかがなものか』。見る人全員に認めてくれとは言いませんが、それが大人の文化でしょう。なんでもかんでも『お子様と一緒に見れるもの』なんて言ってたら、この国はお子ちゃま文化なのか、ということじゃないですか」

 美術展が開かれてこなかった、という事実からも偏見は根強くある。あるときは春画を指して“日本の恥”呼ばわりされたこともあったらしい。

「当時の主催者から聞いた話ですが、2012年にヘルシンキで春画展をやったとき、現地にいる日本人の偉い人から『君たちは日本の恥を持ってきたのか』となじられたことがあったそうなんです。けど、展覧会終了後にもう一度挨拶しに行ったら、同じ方が『素晴らしかったですね』となった。地方の秘宝館レベルで考えていたり、ワイセツなものという先入観を持っていたのだと思うんです。その人も本物を見て、考えを改めたんだと思うんですよ」

 大英博物館の日本部長などは『春画の優れた作品は世界文化遺産にしてもいい』とさえ言っているそうだ。挑戦心を持ちつづけ、なんとか日本での展示にこぎつけた関係者の人々には、どこかスタートアップのような気骨を感じさせられた。

 浦上さんはうれしそうに、しかししみじみと語っていた。

「足かけ4年、ようやく実現する展覧会です。記者会見でも旧知のマスコミの人たちが『とうとうですね』と喜んでくれました。とにかくまずは、本物を見てほしいです」

■春画展
2015年9月19日〜12月23日
永青文庫 特設会場(2階〜4階)
東京都文京区目白台1丁目
開館時間 10:00〜18:00(月曜休館)
入場料 大人1500円(18歳未満入館禁止)
※前後期入れ替え制
前期9月19日〜11月1日、後期11月3日〜12月23日
主催 永青文庫、春画展日本開催実行委員会

6月23日

元ニキ美術館館長のK氏が画廊に寄られ、嬉しいニュースを知らせてくれた。

ニキ美術館で所蔵されていた作品を中心に9月18日から12月14日まで新国立美術館で「ニキ・ド・サンファル」展が開催されることになった。
亡くなられたK氏のお母様で、ニキ美術館を創立した増田静枝氏が生涯をかけて集めた作品の全貌を見ることが出来る。

ニキは戦後を代表する美術家の一人で、フランスに生まれ、画面に絵の具の入った缶やオブジェを貼り付け、それを銃で撃つ「射撃絵画」を発表し、一躍その名を知られることになった。
その後、華やかな色彩に彩られた解放的な女性像「ナナシリーズ」でその地位を確立し、舞台や映画の製作、更には「タロットガーデン」という彫刻庭園の建設にも携わった。

増田氏はそうしたニキの作風にほれ込み、巨大な彫刻など数多くのニキ作品をコレクションすることになり、那須にそのコレクションを展示するニキ美術館を造り、日本でのニキの啓蒙に努めた。

増田氏はニキだけではなく日本の若い作家も支援し、私も増田氏には大変お世話になり、ご子息のK氏とも今日までお付き合いをさせていただいている。

那須の美術館は維持運営が厳しくなり、閉館となったが、作品はK氏により保管され、今回再び多くの人の目に触れることになった。

コレクションの多くは彫刻で、高さが2,5メートルもあるものがいくつもあり、よくぞ一人の女性がこれだけスケールの大きいコレクションをしたかが、今回の展覧会でうかがい知ることが出来る。

2014年にパリのグランパレで開かれたニキの大回顧展は約60万人の観客が集まったという。

果たして日本での展覧会はどれだけの反響があるだろうか。



6月22日

昨日のコンペでもらった賞品が(といっても下のほうの賞なのだが)野菜の詰め合わせセットで、大きなダンボールに一杯の野菜が詰まっていた。
先週、自分の畑で収穫した野菜もまだ食べきれず、スタッフや画廊に来た人たちに持って帰ってもらっているのに、また大量の野菜で、どうしたらいいだろう。

私どもで個展をしている佐藤未希の山形の実家が果樹園をやっていて、そこで作っているさくらんぼ・佐藤錦を画廊のお中元として送っているのだが、その一つが転居先不明で画廊に戻ってきた。
だいぶ日にちが過ぎてしまい、傷みも出ていて、早く食べなくてはと、画廊で必至に食べていたら、何とビルの管理人さんからさくらんぼのお裾分けがやってきた。

重なる時はこんなもんで、野菜とさくらんぼで、私のお腹はビタミンたっぷりである。

6月21日

今日は私の誕生日。
満69歳で、来年はいよいよ古希である。

今までたいした病気もしたことがなく、つつがなく来られたことに感謝したい。
もう殆ど祝ってくれる人もいなくなったが、それでもフェースブックやメールでおめでとうといわれると嬉しいものである。

その誕生日の日に、私が委員長をしているゴルフ場のフェローシップ委員会主催の開場記念杯という大きなコンペが開かれることになった。
梅雨のさなかに生まれた私はいつも言うように、稀代の雨男なので、当然のごとく雨となった。
それでも120名ほどが参加して、雨の中ではあったが、皆さん楽しんでいただけたようで、ほっとしている。

ただ昨年もそうであったが、クラブの特別のご指名により、私の組には強面の元代議士が入り、二人乗りのカートに私と二人で乗る羽目となり、いや気を遣うことおびただしい。
更に、この先生大変なヘビースモーカーというより、チェーンスモーカーで、絶え間なく煙草を横で吸われるのには閉口した。
おん歳80歳だが、ゴルフは上手で、いい時はハンディー8まで行ったそうで、代議士仲間でもかなりの腕前として知られていたそうだ。

そんなわけで、私のスコアーは押して知るべしで、来年はクラブは余計な配慮はしないでもらいたい。

因みに、一昨日もゴルフコンペがあったが、土砂降りの中でのラウンド、その前の週は雨で中止となり、私はいつにも増して活躍をしている。

6月20日

木村展と同時に、もう一つの会場では、岡本啓の写真展が開かれている。

彼の今までの表現である、暗室で印画紙に光をあてて、その偶然性から表現される色彩の乱舞が魅力だったが、今回はそうした表現をいくつか組み合わせた大作を発表すると同時に、写真としては当たり前なのだが、初めてシャッターを押した写真作品が多数出品された。

ただその写真が当たり前でないところが岡本ならではなのだが。

写真の表面を指でこすって、その画面に出ている部分を消し去ったり、ぼかしたりして、こすって出たかすを今度は黒いところに塗りつけて、更に黒色を強調することで、画面に独特の調子が出てくる。

要は撮った写真を下地にして、指でドローイングしていくかのような表現方法である。

岡本は大学で油画を専攻したことから、その表現はどちらも絵画的である。

渋い色調となった新たな作品と、更に強さを増した従来の色彩豊かな表現の対比を見るのも面白い。





6月19日

木村繁之の久しぶりの木版画展がGTUで明日から開催される。

木村は私どもでは古くからの作家で、木版画とテラコッタによる立体作品を交互に発表している。

伝統的な水性木版による表現は、木村独特の静寂で透明感のある世界を描き出す。
いつも言うように儚げな幻のような作品なのだが、味わい深いものがある。

今回は意識して小さい作品だけの展示になっているが、凝縮された密度と淡い単純化された形のバランスがとてもよく、私は今まで見た彼の木版で一番の出来ではないかと思っている。

画廊の窓辺から見える新緑と、彼の叙情的世界が醸し出す雰囲気が心地よく、是非椅子に腰掛けて、じっくりと作品を鑑賞をしていただきたい。





6月18 日

高松ヨク展が終わったにもかかわらず、今日はお二人のお客様が作品を見たいとやって来られた。
ブログで、木曜日まで展示していると書いてしまったのだが、次の展示が入っていて、片付けてしまっていて、大変申し訳ないことをしてしまった。

そこで全部ではないが、何点かを見ていただくと、お一人の方には買っていただくことになり、もう一人の方も置いておいてと言われて帰られた。
やはり気に入っていただく方がいてくれたんだと、ほっとしている。

高松展では少し自信を失いかけていたが、こういうお客様がまだいてくれたことを嬉しく思う。
自分がいいと思っても、中々成果が出ないことが多いが、こうして私を支えてくれるお客様がいることに感謝したい。

6月17日

韓国はMERSが蔓延し、上や下への大騒ぎ。

もうすぐ開催される予定のテグ ホテル フェアーも中止になったみたいだ。
私も招待されていたが、あまり期待も出来ないので、参加を見合わせることにしていた。
もし参加をしていたら大変なことになっていた。

釜山のフェアーはまだソウルから釜山に飛び火する前で、事なきを得たが、少しずれていたら日本に帰れなかったかもしれない。
昨年も丁度釜山フェアーの時期にセマウル号の沈没事故があり、フェアーの人出には少なからず影響があったようだ。

思い出されるのは、初めてシンガポールのフェアーに参加したときのことである。
直前にリーマンショックが起こり、アジア金融の中心地であるシンガポールはまともにその影響を受けた。

会期中、会場は閑散とし、予約をもらっていたシンガポールの画廊は、途端にキャンセルしてくるはで、いやはや大変な目にあった。
その上、尿管結石で入院し、高い治療費を請求されるなど、散々な目にもあった。

うちのブースの前のインド系のニューヨークの画廊などは、うちの何倍もの広さのブースを借りていて、スタッフも10人くらいいただろうか、みんな手持ち無沙汰で、結局一点も売れなかったという。
前年は、インドのお金持ちが大挙自家用飛行機でやってきて、ブースに飾ってある絵を纏め買いしたというから、今年はそれなりの目算があっただろうに。

私のところは台湾や韓国の画廊やお客様からの予約があって、こちらは幸いキャンセルにならず、事なきを得たが、長いこと出ていると、こうした突発事故も起こるものである。

私が釜山に行く時に乗りあわせた韓国人は、隣りの席でいきなり体温計を取り出し、熱を測っているのには泡を食ったが、私の後に帰ってきたスタッフの島田の咳もやけに気になる。

6月15日

依頼されていたアート台北の参加申し込み画廊の選考資料が届いた。

幾つかの選考基準が記されていて、申し込み画廊がリストアップされた一覧が添付されている。
それとは別に、DVDが入っていて、そこには申し込み画廊の履歴やアートフェアー参加歴、過去3年の画廊での企画展、出展予定作家の作品画像とプロフィールなど、参加申し込み時のデータ一式が大量に入っいる。

私は日本の画廊だけの選考をすればいいと思っていたのだが、主催国の台湾を始め全ての画廊の審査をしろと言う。
とても1日では見切れないほどのデータで、始めてみたが、目がしょぼしょぼして、これはえらい作業である。

画廊のコンセプト、企画内容、画廊歴、扱い作家の質、 セカンダリーでないことなどの選考基準にそって、0点から10t点までそれぞれの評価点をつけていく。

国際委員メンバーの総合点を集計し、それを参考に台北委員会が最終決定をすることになっている。

今年は小さなブースをなくし、大きなブースだけにしたためにブースフィーが高騰し、申し込み画廊は去年に比べて少なくなっている。
今まで参加していた日本の画廊も今回は見合わせた画廊が多い。
それでも日本は20画廊の申し込みがあり、韓国のフェアーとは違って、台北の注目度は高いようだ。

私はまずは選考基準に沿って、企画画廊かセカンダリーのディーラー相手の画廊かどうかをまず判断することにした。
それと重視したのは経験と信頼性、将来の方向性を見ようと思っている。

それより、私のところが他の選考委員に落とされないことがまずは第一なのだが。

6月14日

今日は畑の野菜の収穫。

なかなかタイミングが合わず、いつも絶好の収穫時を逸することが多いが、今日はドンピシャで、レタス、白菜、小カブ、紫カブ、紫大根、水菜、ラディッシュが大豊作で、八百屋が開けるくらいの収穫があった。

白菜は後1,2日で虫に食べ尽くされるところであった。
鳥や虫は食べ頃をどうしてわかるのか、一番美味しい時にやってくる。
無農薬なので、虫が来だしたらあっという間にやられてしまう。
今日は虫たちは残念ながら、私がとってしまったので、ご馳走にありつけない。

毎月一回画廊の前で、築地の野菜市場が無料で野菜を配っていて、朝から長蛇の列が出来るが、私のも画廊の前で配ってみようか。
月曜日に画廊に来ればお裾分けがあるかも。

6月13日A

三浦次郎さんからこんな有難いエールをいただいた。

昨日は、休廊日だったのでマグリット展でも見に行こうかと思ったのですが、ギャラリーでちょっと仕事をしたら体がどうにもだるくて午後は家で寝てました。

ようやく17時に起き上がり、意を決してギャラリー椿さんの「高松ヨク展」を見に行きました。
マグリット展に行かなくても十分なくらいの内容で感心致しました。
イブ・タンギーを思わせるような緻密なマチエールで描かれたシュールな世界に魅了されました。
なのに全然売れていない!(椿さんすみません)なぜ?
美人画でないとダメなのか。
何だかがっかりしてしまいました。
そういう私も1,000円の画集しか買えませんでしたが、見るだけでも見ていただきたい展示です。

私の力不足です。

個展は今日で終わりですが、来週も木曜日までは展示していますので見逃した方は是非。

6月13日

自分でいい展覧会と思っても、なかなか成果が出ないと、気持ちがへこむ。

私の努力が足りないのが一番だが、お客様の好みではないのか、価格がいけないのか、今の時代に合わないのか、それとも作家の名前が知られてないからなのかと、色々考えてしまう。

特に海外の画廊で展覧会をさせていただいて、見る間に大作が売れていくのを真近で見ていると、その違いはなんなのだろうかと考えさせられる。

海外のフェアーで継続して作家を紹介してきた結果なのだが、日本ではもっと身近で常に作品を見れる状況なのだから、そうとも言ってられない。

今、日本の売れ筋のアートはこれだとわかっているが、自分の好みでもないのを売れるからといってやろうとは思わない。
と言って、今の流れには逆らえないので、ただただ首をすくめて、潮目が変わるのを待つしかない。

香港クリスティーズの5月のオークションでは、奈良をはじめ日本人作家の作品が次々に高値で落札されたそうだ。
これも日本の市場とはかけ離れた欧米アジア独自の価値観であり、それが日本に戻るとセカンダリーマーケットでいきなりもてはやされるようになり、日本のお客様の手の届かないものとなってしまう。
今日本は矮小なマーケットと海外主導のセカンダリーマーケットに二極化していると言っていいだろう。

セカンダリーを主導するS画廊が香港に新たに画廊を出店するという。
同じくセカンダリーのKもマレーシアに居を移したという。

プライマリーではMアートもシンガポールを拠点にして活動している。
TKやOもシンガポールに画廊を構えている。

日本のオークション会社もメーンセールは香港で開催する。

私も直接携わるわけではないが、知人が釜山にギャラリー椿の名前で画廊を出そうとしている。

かくのごとく、その目を海外に向けるところが多い。

日本の矮小な市場と海外のスケールの大きな市場のあまりの違いに、果たして日本はこれでいいのかと考える日が続く。

6月12日

先日、大学が実学主義に向かい、教養課程をなくし、文学部はいらない、教育学部はいらない、理系だけにしろといった流れになっていることに首をかしげていると書いた。

読売新聞の朝刊「戦後70年を想う」に、レジャーランド化で大学解体・批判洞察学ぶ場必要と大きなタイトルが目に入った。
長くなるが紹介したい。
大学改革が叫ばれ、目指すところは実学重視や市場原理の導入で、文部科学省も8日、国立大の人文社会学科系の見直しを求めた。
エリート養成機関、教養や知性の象徴だった大学は、変容し続けていて、大学の歴史に詳しい竹内洋京大名誉教授は何を想うのかで、氏の考えが述べられていた。

戦前のエリート教育を担った旧制高校が、そのまま国立大学となり、精神や文化は戦前の香りを残したままだったが、高度経済成長で大学の進学率も上がり、大学は大衆化し、もはやエリート養成の場ではなくなった。
大学教授も授業はろくにしない、論文も書かないで知識人の株価は暴落し、哲学や人文学書を読むのが正しい学生の在り方だという雰囲気はなくなった。

代わりに大衆娯楽文化が広まり、大学はレジャーランド化した。
入試さえ通れば勉強しなくても卒業できる、単位さえもらえばいいといった状態となった。
大学紛争は家庭内暴力みたいなもの、大学に期待があるからこそ暴れた。

一方、レジャーランド大学は、家庭内別居で、大学を相手にしないと学生達が見限った。
大学解体を叫んだのは全共闘の学生だったが、大学を事実上解体したのはレジャーランド大学の学生だった。

この頃から、大学での専門と就職先が、理系以外リンクしなくなった。
それは大学の教育が意味をなさないことで、大学の存在意義がいっそう薄れた。

2000年前後から大学は経済成長に貢献するように求められるようになった。
経済が低迷する中、すぐに役立つ研究や教育への動きだ。

文科省は国立大学に対し、人文社会科学系学部・大学院の廃止、社会的要請の高い分野への転換を求めた。

戦前も文学部は少なかったし、戦中は軍需、戦後は高度成長のために工学部をどんどん増やした。
人文社会学系はの特徴は、前提から疑ってかかる批判機能だ。
民度の高い市民を育てるのに必要だ。
全共闘時代は批判機能ばかりで、実用に役立つことは一切学問ではないとみなしたがこれは行きすぎ。

これから大学が生きる道は、知の総合センターになること。
批判や洞察の場、役立つかどうかわからないことにも取り組む場だ。

社会人になった後で、勉強したいと考える人は多い。
実社会に出ると不思議に感じることが出てくるからだ。

実用に繋がる知識を求めたい人もいるし、宿坊にこもるように精神をリフレッシュする場として考えたい人もいる。
こもる場が世俗と同じでは意味がない。

教育や研究から無駄をそぎ落とし、短期的な効率を目指す改革は、社会的損失を生みかねない。


以上、先日の日記と全く同じことを語っている。

美術大学教育にも実学を求める声がある。
アートマネージメント教育である。

美術を志す学生も実社会に出ると不条理なことばかりである。
それを打ち砕くのは自分であり、教わるものではない。
手とリ足取り、如何に自分の作品が売れるかを学ぶより、美術以外の教養を身につけることも必要ではないだろうか。

哲学や古典を読む美大生とマネージメントを学ぶ美学生、果たしてその先は。
残念ながら、自分を売り込む術を学んだ学生が売れっ子になるんだろうな。
ただ、その作品にはさもしさがありはしないだろうか。

6月11日

高松ヨク展について、お二人の方が嬉しいコメントを付けてフェースブック上で紹介をしておられたので、ご了解を得て転載させていただく。
それにしても何人もの方が案内状になったクリストゥスの「若い女の肖像」についてよく知っておられるのはさすがである。

私などは絵は知っていても、作者の名前までは覚えておらず、この仕事に携わりながら、自分の不明を恥じ入るばかりである。

クリストゥスは、初期フランドル派の画家で、長くヤン・ファン・エイクの弟子か後継者とみなされ、彼の絵画は時にはファン・エイクと混同されてきた。
ファン・エイクが死に、そのため彼は師匠の画房を引き継いだと言われている。
近年の調査でクリストゥスは長らく師の光の偉大さの中でのみ作品を見られてきたことが明らかになり、独立した画家であることがわかった。

後期の作品『若い女の肖像』は、フランドル絵画の傑作に数えられていて、現在ベルリンの絵画館に所蔵されている。

敦賀信弥氏のフェースブックより

他を寄せ付けない存在感を見せているのは、かの初期フランドル派・オランダの画家ペトルス・クリストゥスの「若い女の肖像」(1470年)を再現した「クリストゥスの少女」だ。
油彩と思いきやアクリル画で、おそらく何層にも彩色を重ねていると思われる丁寧さが伝わって来る。
ブルーやピンクの宝飾、さらには深海魚とも見える生物が効果的に配され、絵に原作とは異なる華やかさと幻想的な美しさを醸し出している。
他にもモナリザや美術評論家といった肖像画、少女や調教師などの絵が好きだ。

山下透氏のブログより

私はギャラリー巡りの達人たちのように一日にたくさんの画廊を歩くことはない。
何軒か覘いたらゆっくり珈琲かワインを飲むのを楽しみにしている。
昨日はギャラリー椿の高松ヨク展と不忍画廊の中佐藤滋展に絞って出かけたのだが、予感が的中、いずれもいい展覧会であった。

高松ヨクは初めての作家であったが、とても惹きつけられた。
作品「クリストゥスの少女」はルネッサンス期の中世の絵画を見るかのようであった。
「幻想モナリザ」もそうだが、模写した作品の上からオリジナルな部分を描き加えてある。
相当技術的な研究を経てのことであろうが、どれも薄塗りを重ねた繊細な作品であった。
しかし、この作家の本領は幻想的世界というか、シュールレアリズムにありそうだ。
創造力が豊かなのであろうか、描かれたテーマも場景も様々で面白い。
しかも、どの作品もシュールでありながら美しい。

夜半に、書斎でこんな絵を眺めながらブランデーでも飲んでみたいものだ。

あと僅か、今週土曜日14日までの展示となっているので、お時間のある方は是非お越しいただきたい。



6月9日

釜山のフェアーで、日本の画廊のブースにあったフライヤーを見てみると、何と山本麻友香にそっくりの人物像が載っているではないか。
調べてみると、山本が今住んでいる群馬出身の作家で、扱っている画廊も私のところと目と鼻の先にある画廊である。

影響を受けたり、引用をしたりは問題がないが、これはちょっと似過ぎちゃいませんか。

丁度テレビでゴッホの「星月夜」の背景が北斎の有名な富岳三十六景の中の「神奈川沖浪裏」の波とそっくりで、そこしか見なかったので、どういう話になったかは知らないが、ゴッホが浮世絵の影響を受けたのは確かである。
どんな作家でも、オリジナルな絵を最初から描くのは稀有なことだと思う。
多かれ少なかれ、先人の影響を受け、そこから自分のオリジナリティーを見い出していくのは当然のことだが、そのままパクリとなると、これは問題である。

先に個展を開いた台湾の写真家王建揚も画廊の壁に沖の浪裏を引用して描いている。
今の高松ヨクの個展でも、ダ・ヴィンチの「モナリザ」やベトルス・クリストゥスの「若い女の肖像画」を引用しているが、そこには画家自身の解釈とオリジナリティーが垣間見える。

以前に海外作家の作品をすべてパクッた画家がいたが、そこまで来るとモラルの問題である。

今回の作品も引用であったり、影響を受けているという以前の、その作家の心の持ちようではないだろうか。
これだけ描けるのだから、今を乗り越え、是非とも独自のスタイルを確立していただきたい。



6月8日

梅雨入りだそうだ。

明日は高校の友人達とゴルフの予定だったが、どうやら雨の予報。
6月生まれの雨男の本領発揮で中止となった。

今日で釜山のフェアーも終了。
私が帰ってから大きな作品も売れたようだし、釜山のギャラリーに貸し出していた作品も幾つか売れたとのことで、まずまずの結果となったようだ。

最初に1階と3階ではどうしても1階が有利と書いたが、事務局はソウルや海外の有力画廊を3階に配置し、ブースの広さも下に比べて大きくとって、不公平感をなくす配慮をしたようだ。
その結果3階に抽象画の質の高い作品、それも広い空間に大作をゆったりと飾るブースが多く、格調も高かったが、それに引き換え、1階は小さなブースがひしめき合い、極彩色のあまり品がいいとは言えない作品を2段3段と目一杯飾っているところが多く、まるで台北の夜市のような様相を呈していた。

なるほど取引のある釜山のギャラリーが3階を選んだわけがよくわかった。

そんな中にあって、1階の一番奥にあるシカゴの画廊が、ジャクソン・ポロックやデ・クーニング、マチス、シャガール、ピカソから何とモネまで、オリジナルの油彩画を並べていたのには驚いた。

全て売り物だそうで、スタッフが値段を尋ねたら、本気で買う気があるなら教えると言われたそうだが、釜山のお客様で果たしてこういう作品を買う人がいるのだろうか。

それにしても、釜山のフェアーは玉石混淆とはいえ大きくなったものである。

6月7日

6月3日から6月6日までの釜山滞在日記をアップしたので、関心のある方は遡ってご覧いただきたい。


今日は先週から始まっている、多摩美術大学美術館での小林裕児多摩美教授退官記念「変化する様式ー変わらない人間へのまなざし」に行ってきた。

オープニングがうちの初日とぶつかり、その後すぐに釜山に行ったので、小林には失礼したが、今日は旧知の本江邦夫多摩美教授の記念講演もあって、何を語るかにも興味があって、楽しみに出かけた。

展覧会場は初期の作品から現在まで、大きく変貌していく様が、順に並べられていて、小林の歩みを止めない制作姿勢が覗われ、素晴らしい展示となっている。
特に最後の一室の大作の並ぶ部屋は圧巻で、必見の展覧会といっていい。

こうした変貌していく過程に全て私どもが関われたことを、改めて感慨深く、また誇りに思う。

小林の第一回の個展を私どもで開催し、それから絶えることなく私どもで発表を続けてきたわけで、その軌跡を見るにつけ、小林の留まることのないひたむきな姿勢、卓越したテクニック、それを裏付ける絵画理論の豊さ、尽きない好奇心と探究心に、ただただ感心するばかりである。

記念講演をする本江邦夫氏も、小林のことを真から物凄い画家であるという。

講演でも画集の序文でも語っているが、稀代の素描家として一目も二目もおかれている画家とまでいう。

その卓越したデッサン力を持つ小林が、何故過激な歪形に向かうのかを本江氏は明快に解き明かしてくれた。

また世界最古の洞窟画といわれる「ショーべの洞窟」の英語文献を小林が5年かけて読み解いたことにも触れ、その旺盛な探究心を賞賛し、小林の絵画の核となっている立体的な表現の原点がここにあると位置づけたのである。
小林の作品には常に対となった表現がなされるが、そのことも平面から立体への時間の変化だと語り、その鋭い観察眼はさすがである。

あっという間の2時間半で、講演と対談を終えた後、今一度作品を見てみると、本江氏の語ったとおりの全貌が改めて見えてくる。

私どもスペースではとても収まりきらないが、何とかこの展示のさわりでも展示が出来ないだろうかと思いつつ帰路についた。



6月6日

今日は昨日と打って変わって快晴の夏の陽気。

ホテルの前から岬を巡って、ソウルオリンピックのヨット会場となったヨットハーバーまで散歩コースになっているので、のんびりと早朝散歩。

遥か向こうには対馬が見えるそうだが、沖合が霞んでいて今日は見ることはできない。
それでも仕事で来ていることを忘れてしまいそうな 、絶景を眺めながらの散策である。

私だけフェアーの途中だが、これから日本へ帰国。
小品が数点売れただけで心残りだが、大作がペンディングになっているので、後をスッタフに任せて、いい結果を待ちたい。

そしてMERSに罹らないように、気をつけて後の4日を過ごしてもらいたい。





6月5日

朝から冷たい雨が降っていて、肌寒いくらい。

韓国ではMERSという悪性の風邪が流行っていて、死者も出ているそうで、大きなニュースになっている。
以前にSERSというのが日本で流行ったが、ちょうどその時に韓国に行くことがあり、マスクをしっかりして出かけた。
向こうの空港でマスクをしているのは日本人ばかりで、韓国の人は朝鮮人参やニンニクを食べてるので、SERSには罹らないと言っていたのだが。

どうやら今回のは朝鮮人参もニンニクも効かないようだ。

そのせいか明洞の繁華街はガラガラだそうだが、こちらは雨の平日にしては人が多い。
最も売り上げにはどこも結びついていないようだが。

6月4日

今日はオープニングだが、かなりの期待外れで、小品がチョビッと。

画廊や作家、それに他のアートフェアーの担当者ばかりがやってくる。

今夜は市立美術館でウエルカムパーティーがあるが、いつも挨拶程度のお付き合いしかしていない韓国のギャラリーオーナーから突然夕食を誘われた。
ソウルの画廊なので、てっきりKIAFのミーティングだと思っていたら、どうやらシンガポールのホテルフェアーのお誘いらしい。
フェアーに出る気はないが、せっかくのお誘いなので、スタッフにパーティーには行ってもらうことにして、私はそちらに行くことにした。
明日の夜も釜山の画廊さんに誘われていて、ウエルカムディナーに行くかどうか、またさき状態である。

昨日が焼肉だったので、魚料理を食べたいとお願いし、漁港にある魚料理屋さんへ。

出るわ出るわで、最初は数え切れないくらいの貝の刺身。
中には正体不明の貝もあって、ネットで調べると見なきゃよかったというのも。
でも美味しい。
次にまた何種類かの魚の刺身。
それから焼き魚に、ひらめやメバルが入ったチゲ鍋。
韓国の人はどれだけ食べるのだろう。

一緒させていただいた中にとびきりの美人さんが。
恐る恐るモデルさんですかと聞いてみると、何と韓国では有名な女優さんとのこと。
傍ら絵も描いていて、今回のフェアーにも作品を出しているんだそうだ。

ネットでで出演しているドラマや作品画像を見せてもらった。
女優さんが手慰みにやっているのとは違って、本格的なアート作品で、その描写力もかなりのものである。
美人の女優さんが描いたレベルの高い作品、売れないわけがない。
ミーハーの私は明日早速作品を見に行かなくてはいけない。





6月3日

昨日までの東京の蒸し暑さと違い、釜山は海からの風が爽やかで、肌に心地よい。

空港からフェアー会場に直行。
会場はびっくりするくらいに広い。
1階だけでも東京のフェアーの倍以上もあって、同じ広さで3階にも多くのギャラリースペースが並ぶ。

うちのブースは1階入り口のすぐ横にあり、毎回参加している事への主催者の配慮だろうか。

昨年は3階会場がハンディーがあるということで、1階のメーンゲートを閉鎖し、3階から入場するようにし、VIPルームも3階だけにしたが、今度は1階にお客様が降りてこなくなり、1階のギャラリーからクレームが殺到して、結局途中から両方の入り口から入れるようになった。

とにかく会場が広く、今年は200以上の内外の画廊が参加している事もあり、1階、3階を行き来するのはかなりの覚悟がいる。

主催者側も今年はVIPルームを両方に設置し、3階ブースは同じブースフィーでも1階よりは広くするなどの配慮をしているが、あちら立てればこちらが立たずで、主催者も苦慮するところである。

お付き合いのある釜山のふたつのギャラリーは、ハンディーがあるにもかかわらず、敢えて3階ブースを申し込んだようで、何らかの考えがあってのことだろうか。

果して、結果は如何に。



6月2日

明日から釜山に出かける。
ソウルに比べるとアートマーケットの規模は小さいが、釜山市の発展は驚くばかりである。

ついこの前、80階を越す高層マンションが3棟出来たのにはびっくりしたが、今建設中のマンションは何と100階建てという。
海岸沿いには高級ホテルが立ち並び、ビーチはまるでカンヌかニースように美しい。(私は行ったことがないので想像で)

日本の海岸のように海の家やお土産屋が立ち並ぶといった光景は見られず、まことに垢抜けている。
後ろに控える山の手には海を見下ろす高級住宅やお洒落なレストランが点在し、春にはその周囲は桜が一面に咲いて、多くの観光客が訪れる。

その一山越えたビーチ周辺も今新たなリゾートエリアとして開発されているという。
今や釜山はアーバンリゾートといった趣である。

釜山の将来のアートマーケットの発展に期待して、それと釜山フェアー事務局の熱心な誘いもあって、今回も参加することにしたが、今年は何と200以上の画廊が参加し、そのうち海外が約半分というから釜山フェアーも大きくなったものである。
釜山の大手企業もサポートしているということなので、それなりの成果が出るといいのだが。



6月1日

国立大学で教養学部が廃止され、大学では一般教養を学ぶよりは専門分野を学ぶ実学主義に移行してしまった。
それに対し、その弊害を訴える声は少なくない。

私も一応は二年生までは教養課程を学び、あとの二年を法学部政治学科という事で法律と政治を学んだことになっているが、その結果、世の中の役に立たない一般教養だけは身についたのだが。

ロータリークラブの今週の週報で会員の国立大学の名誉教授で地質学博士のT氏がこうした流れに対して、次のような意見を述べていて、偶然にも今日の講演ではアスペン研究所の伊藤健常務理事がT氏の話に通じるアスペンの活動についてお話された。

先にアスペンの活動を紹介する。
コロラド州アスペンで「ゲーテ生誕2000年祭」が1949年に開催され、シカゴ大学総長による「対話の文明を求めて」と題した講演がなされた。
我々の時代の特徴のうち最も予期せざるものは、人の生き方において、あまねく瑣末化が行き渡っていることである。
専門家というものは、専門的能力があるからと言って、無教養であったり、諸処の事柄に無知であったりしていいものだろうか。
人格教育の必要性と、相互の理解・尊敬に基づく対話の文明を訴えた。

そして、アスペン研究所が1950年に設立され、企業・会社のリーダーを対象に古典のテキストを読み、対話を通して学びあう機会を作ろうとセミナーが開催され、世界にその活動が拡がった。

相通じることをT氏も述べているのでその要旨を紹介する。

大学の教養課程で学んでいた頃、「理系の学生でも教養課程の『哲学』だけは受講する様に」と先輩に忠告された。
その後教員になって学生の就職活動を支援するようになった時、「会社でのノウハウは入社してから教えるので、大学ではおよそ役に立ちそうもないいろいろなことを教え、教養を身につけた学生を送ってください」会社の経営者から言われた。
もちろん昔の話である。

実学重視の風潮の中、大学から文学部が消えつつある現状に一矢報いるために名古屋大学で昨年公開シンポジウム「文学部の逆襲」が開催され、その報告書・塩村耕編「文学部の逆襲」が出版された。
1960年代末から大学進学率が増加して大学は大衆化し、エリートの要請を担ってきた教養主義の没落を加速化させたのが大学設置基準の大綱化である。
その結果、大学、とりわけ国立大学で教養学部が廃止され、大学には国際、環境、人間、情報ばかりでなく、デザイン、マンガ、こどもと言ったいわゆるキラキラネームの学部が誕生し、大学そのものが職業訓練校化したのである。

この報告書では、政治家の著しい資質の低下などなど実学重視がもたらした弊害が紹介されている。
企業でアルバイトすれば、給料をもらえ、大学の単位も取得できる制度までスタートするという。
企業は即戦力の学生を求め、大学はとうとう就職仲介業者に成り下がったのである。

人々がアベノミクスの成否に一喜一憂している間に、日本の将来を背負う若者に対する高等教育が今このような状況になっていることを、皆さんはご存知だろうか。

美術の世界でも、単なる絵描き馬鹿ではなく、古典を読み、詩や哲学を学びことで更なる感性を磨き上げ、より高みを目指すことが必要ではないだろうか。

5月31日

5月も今日で最後。
例年にない暑さが続き、逆に4月は桜が咲く頃から寒くなり、天気も悪い日が多く、春という実感がないまま、梅雨の時期を迎えそうだ。

私はそんな4月から5月にかけて忙しい日が多く、たまの休みも家でのんびりという日は一度もなかった。
そして、3日からはまた韓国へ。

アートショー釜山が始まるのと、釜山のギャラリーウーでの山本麻友香展が今日で終わるので、その後始末も兼ねて6日まで釜山に滞在する。
また、ギャラリー椿の名前で知人が釜山に画廊を開く予定にしているので、その物件探しもしなくてはいけない。

アートショーでは初日とその翌日にウエルカムパーティーとウエルカムディナーが予定されていて、夜ものんびりさせてはくれない。
更に、秋のソウルでのフェアーのために、その関係者が日本の画廊とのミーティングをしたいので時間を開けて欲しいと言ってきた。

釜山の綺麗な海を眺めながら、少しはリゾート気分も味わいたいのだが、どうもその時間はなさそうだ。

台北の画廊協会からは国際選考委員会のメンバーに入って欲しいとのメールが送られてきた。
おそらく台北のフェアーの参加申し込み画廊の選考審査のメンバーになれということなのだろう。
引き受けるのはかまわないが、台北まで行ってやらされるのは勘弁してほしい。

アジア・パシフィック画廊協会会議も年4回実施したいと言ってきていて、出来れば2回ににしてもらえるとありがたいのだが。
日本での開催なら多少多くてもいいが、先に海外が自分の国での開催を言いたて、海外での開催が決まってしまう。
これも私の語学力のなさがそうさせるので、皆さんぺらぺらしゃべっているうちに、気がつくと海外での開催が決まっていて、私が日本でと言っていっているのはちっとも耳に入らないらしい。
もうそろそろ語学が達者で、元気な人に代わってもらうしかないと思っている。

5月30日

紹介させていただいた高松ヨク展と同時に柳澤祐貴個展もGTUにて始まった。

森や公園の木漏れ日の中を散策する親子像や兄弟を描いた作品が多いが、今回はそうした木漏れ日が織り成す色彩の妙がいつもに増して際立つ。
私も毎朝早くに公園を散歩しているが、丁度今の時期は新緑の中から差し込む日差しが日を追うごとに強まり、確かに柳澤が描く情景のように多彩な光と影のコントラストが浮かび上がってくる。
緑陰からの涼しげな風や光の眩しさが寝覚めの気だるさを振り払い、一日の鋭気となって身体に沁みこんでいく。

柳澤の作品を前にすると、再び朝の公園にいるかのような錯覚さえ覚える。
朝に見たばかりの情景が何故か懐かしく、緑陰の爽やかな世界に引き戻されていくようだ。



5月29日

昨日高校時代の仲間達との飲み会があって出かけたが、もっとも私は食べるだけ、その折に、この五月は金、土、日の週が5回あると聞いた。
確かに今日から日曜日までは五回目となる。
これは鎌倉幕府の頃にあったらしく、実に800年ほど前以来の事なのだそうだ。
大変珍しいことで、きっと縁起のいい年になるのではと、我が美術業界と我が家にも福が訪れてくれることを心待ちにしている。

話は変わるが、装幀家の高橋千裕氏から「装幀と塑造」高橋千裕の仕事と題した小冊子が送られて来た。
氏は長年新潮社の装幀部長を務め、42年にわたり単行本、文庫本2000余冊の装幀と広告宣伝物を手がけ、昨年退職をしたが、その後も装幀に携わるとともに、造形活動も続けている。

小冊子の中に村上春樹、辻邦生、塩野七生や水上勉、井上靖、三島由紀夫など著名な作家達の本の表紙がずらりと並んでいて、望月通陽や木村繁之、岩淵華林を始め私どもの多くの作家の作品がこうした本の表紙を飾っている。

序文に書かれている氏の言葉を一部紹介させていただく。

「本」は人類が生んだ最大最高の知的嗜好品であると思っている。
ページをめくる愉しみと、人の想いを知る愉しみ、ゆるやかに浸透する刺激は、私にとって心の滋養強壮剤である。
その恩恵に浴す幸福をより多くの人に味わってもらいたい。

装幀は著作の内容と読者の顔を創造して設計するのだが、とにかく手持って開いてみたくなる本。
持ったその数秒間に何かを感じる本。
出逢った時から読み進めるうちに豊かな喜びを感じる持重りのする本。
そして読後に感化されるような内容の本ならば、もうそれは人生の友人と呼んでも誇張はないだろう。
一冊でも多くそのような本造りに携わりたい、私自身そういったことを目標に2000余冊の本造りをしてきた。

中略

本を手に持って頁をめくることは、気持ちの余裕がないと出来ません。
多くの本に触れればふれるほどに醸成されていく心持の豊かさは、周りの状況に追い立てられて流されている我々に、ちょっとまてよ!と、立ち止まって思案する間を与え、時間の流れを自己管理する力を育んでくれる。
そして間違いなく気持ちのゆとりをもたらしてくれるのが本だと思っている。

モノとしての「本」の存在意義がここにあると本気で信じている。

若い世代の本離れが叫ばれ、電子書籍やスマホなどで知識を得る時代にあって、氏は日本が画一的で考え方の幅の狭い人ばかりになってしまうことを危惧している。
日本人の独特の感性には言葉の豊かさが必要で、今ほど、本との出逢いを必要としている人の数が多いことは過去にはないと語っている。

本の内容だけではなく、書店で本の表紙に目をやり、その美しさに心をときめかしてみてはどうだろうか。

5月28日

一週間前になるが、新聞で「文化芸術立国」へ基本方針閣議決定と報道された。

中長期の文化行政の方針を定める「文化芸術の振興に関する基本的方針」が5月22日、閣議決定された。
2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、五輪憲章で義務付けられた文化プログラムが全国で行われるのを機に、あらゆる国民が創作活動や文化芸術の鑑賞が出来る機会を持ち、そこから雇用や産業が生まれる「文化芸術立国」の実現を目指すとしている。
実現に向けては、成果目標とその指針を提示。
方針の対象となる20年までに、文化芸術の鑑賞をする国民の割合を09年の6割から8割、活動する国民を2割から4割、訪日外国人旅行者数を14年の約1300万人から2000万人にするなどを挙げた。

新規の重点戦略では、国内外の芸術家を積極的に地域に受け入れる取り組みへの支援や障害者の芸術活動の振興などを掲げている。

以前から「文化芸術立国」は謳われているが、一向に前に進まずにいたので、先ずは一歩前進といったところだろうか。
ただ上記に挙げた中で、美術鑑賞に関して言えば、日本国民の大多数が美術館に行っていて、世界で常に美術館入場者数ではトップテンに入っている。
しかしながら海外からの観光客の美術館入場者数はフランスやアメリカ、中国、台湾などと比べて大きく遅れをとっている。

海外旅行者を2000万人に増やすだけではなく、こうした人たちを如何にして美術館やコンサートホール、古典芸能といったところにに足を運んでもらえるかが、芸術文化立国のためには重要な課題である。
そのためには日本の文化が如何に優れているかを海外に発信し、ルーブル美術館や故宮美術館のように多くの旅行者が日本文化に触れる機会を作っていかなくてはいけない。

芸術家支援も大いに必要だが、そうした人たちの成果を世界に発信していくことはもっと必要なことである。
毎年文化庁から芸術家が海外へ研修派遣されているが、帰ってきてからの育成支援はあまりされていない。
帰ってからの制作の場の提供や発表の場の提供も作家支援の一つとして是非実施をしていただきたい。

更には文化の継承も重要な問題で、伝統芸能や芸術の後継者育成支援や継承のための優遇税制など、取り組んでいただきたい課題はいくつもある。
一歩前進から更に二歩三歩前進へと歩を進めていただきたい。

5月27日

連休に休みが殆ど取れなかったこともあって、月曜日の夜から河口湖に出かけることにした。

2日ほど連休のさなかに取れた休みに畑に蒔いた種や植えた苗も青々と生長していて、文字通りの二十日大根が丁度とれ頃となっていた。
これを薄く切って、お酢に漬けると、甘酸っぱくて、何ともいえない美味しさである。

今日は毎年恒例の大学のヨット部の先輩後輩が参加するゴルフコンペ。
私が永久幹事にさせられていて、毎年天気が心配されるが、今日は快晴絶好のゴルフ日和となった。
全国的には30度を越す猛暑日となったが、富士の裾野1000メーターのところでは爽やかな空気と富士からの涼風で快適な一日を過ごすことが出来た。

大学時代に2種類の競技用ヨットがあり、軽量級がA級ディンギー、重量級がスナイプ級に分かれて乗っていて、今回はそのクラス別の対抗戦ということで競うことになった。
結果は私が所属するディンギー級がほんの僅かな差で負けてしまった。

それぞれのクラス相手に口八丁手八丁で、足の引っ張り合いをしながら、学生時代に戻ったような晴れ晴れとした気分で、楽しい一日を終えた。
参加者から多くの寄贈品をいただき、私も優勝者に絵を一点出させていただき、皆さん抱えきれないほどの賞品を持って帰路についた。

年一回ではなく、二回やろうということになり、永久幹事としては辛いところだが、皆さんに楽しんでいただければと10月の私の仕事に差し支えない時に実施をすることにした。



5月24日

先日の篠田教夫展で大作を購入してくださったコレクターNさんがやっている初台の鰻屋「赤垣」に、篠田さんと画廊スタッフ、それに我が家族の大人数で美味しい鰻を食べに行ってきた。

日曜日でお店は満員の大わらわの中を、ご主人自らお気遣いをいただき、却ってご迷惑をかけたのではと恐縮している。

その後、Nさんも店じまいをして、私どもと一緒に目の前にあるオペラシティーギャラリーの高橋コレクション展を見に行った。
そのコレクションのスケールの大きさに、ただただ唖然とさせられ、また時代を先取りした先見の目にも頭が下がる。
日本の個人コレクターで、これほどの大作しかも秀作を集めた人はいないのではないだろうか。

上のフロアーでは、私どもも永くお世話になっている寺田氏寄贈のコレクション展が同時開催されている。
寺田氏も高橋氏同様に日本の稀有のコレクターの一人で、その多くを美術館に寄贈しているが、高橋コレクションも散逸せずに、いずれどこかの美術館に収まるといいのだが。
このコレクションは世界に日本の現代美術を知らしめる素晴らしいコレクションである。

孫も一緒で、初めての美術館での美術鑑賞にかなり緊張したのか、外に出るとすぐに母親の腕の中でぐっすりと寝入ってしまった。



5月23日

今日で王建揚写真展が終了する。
来場者も多く、来た方の殆どが熱心に見ていただき、日本語も英語も話せない王君に身振り手振りで質問を投げかけていた。
また今回は表の看板を見て入ってこられる方も多く、作品のインパクトが通りがかりの人にも強烈な印象を与えたのだろう。

さて来週5月30日からは私どもでは久しぶりの個展・高松ヨク展が開催される。
中世絵画を独特な視点でアレンジしたり、神秘的な幻想世界が展開される。

GTUでも柳澤裕貴展も開催されますが、こちらは画像が来次第紹介させていただく。



5月22日

韓国のオークション会社からカタログが送られてきた。
見ると、その殆どのページがモノクロの抽象画で占められている。
香港バーゼルの時に出展している韓国の画廊の多くがモノクロ抽象だった事を考えると、韓国アートマーケットは具象から抽象に大きく変わってしまったようだ。
欧米もその多くが抽象傾向に向かっていて、具体美術、もの派の作品の高騰もそうした流れの中にある。

それにしても韓国マーケットは極端である。
ついこの前まで、私が韓国の画廊に薦めても見向きもしなかった、リ・ウーハン以外の日本で発表を続けた物故の抽象作家が、今やオークションの中心にある。
尹亨根しかり、郭仁植しかり、鄭相和しかりである。
そうした作家のエスティメートは全て小さいものでも数百万単位の値が付いている。

韓国バブルで高騰した若手の具象作家達の作品はどこを見ても見当たらない。
彼等の評価はどうなってしまうのだろうか。

振り返って、日本にもその兆しが見えてきたような気がするのだが。



5月21日

近くのスパンギャラリーで仏文学者で美術評論家の巌谷國士氏の写真展が開かれている。
同時に桑原弘明の新旧スコープが2点展示されている。

巌谷氏の写真は展覧会をしようというくらいだから、玄人はだしで、多数が展示されているが、どれもレベルが高い。
幻想美術が専門なだけに、頭蓋骨や解剖模型が出てくるシュールな作品が多いが、中にはほっとするようなリリカルな写真もあって、氏のもう一つの顔が見え隠れしている。

私も2点ほど買わせてもらった。
シュールな作品に目が行ったが、やはり私の好みなのか、光が微かに差し込む幻想の中にもぬくもりを感じさせる作品を選んだ。

桑原が選んだ作品はさすが鋭い目で選んだもので、私も一番に目に行った作品であった。
ただ飾るとなると躊躇してしまう。
多分家で怖いとかキモイとか言われて、身を小さくしてなくてはいけない。
お客様には自分の目でと言っている割にはいたってだらしがない。

桑原の新作は当然のごとくだが、早々に売約となったそうだ。
価格も今までの中では一番高かったのだが、それでもすぐに売れてしまうとは、大した人気である。

5月20日

ロータリークラブの社会見学。

まずはメンバーの一人の材木商のT氏の紹介で、鹿島にある日本一の製材工場・中国木材(本社・広島)の製材の現場とその過程で発生する樹皮やおが屑を使ったバイオマスエネルギー事業を見学した。

ほとんど無人の巨大な工場で、北アメリカの森林からから運ばれた米松が瞬く間に建築材に変わっていく過程をつぶさに見せてもらった。
ここは世界の三本の指に入る最新設備の工場で、更にバイオマス事業により廃材がバイオマス燃料として大型自家発電ボイラーに入れられ、乾燥に必要な蒸気や工場稼動の電力に変換され、余った電力は売電するなど木材を余すところなく活用し、環境に負荷を与えない生産システムとなっている。

廃材によるバイオマス事業は、斜陽化している日本の林業の活性化、代替エネルギーとして原子力に代わるものとして期待されていて、経済産業省の新エネルギー事業者支援対策事業に認定されている。



次に向かったのは、筑波にある宇宙センターで、広大な敷地の中にあるスペースドームで、国産の人工衛星の実物大のモデルや宇宙ステーションで日本人飛行士が活動する「きぼう」の実験棟、歴代のロケットが20分の1のサイズで展示されていて、ただただそのスケールの大きさに目を見張るばかりであった。

そこから宇宙飛行士養成エリアに移動し、その基礎訓練の実態や健康管理システムの施設を見せてもらった。
無重力の世界で活動するために過酷な訓練が必要なことが、この施設から窺い知ることが出来た。

朝7時半のバスに乗り、6時に帰ってくるというスケジュールでかなり疲れたが、日本の高度な科学技術の一端を見せてもらい、日本の力に勇気付けられるとともに、科学技術だけではなく、文化向上にも是非わが国が国力を注いで欲しいとの思いを強くした。





5月19日

次女夫婦のプレゼントで、昼食を銀座久兵衛ですることになった。
おかげで、食べきれないくらいのお鮨が出て、昼から贅沢させてもらった。

終わって、今日はお借りした作品を返却にいくことになっている。
私どもで何度か個展をし、現在は新潟に住んでいるコイズミアヤの個展が、柏崎の游文舎7周年記念として開催された。

私どもの個展で発表した作品の再現展ということで、お客様に収めた作品をお借りすることになった。
先般も町田国際版画美術館で、別の作品だが私どもの個展の再現展示がされたことがあった。

彼女の作品は全体で一つの構成をされたものが多く、一つ欠けても成り立たないので、こうして収めた作品を借りなくてはならないが、画廊とは違った空間で作品群に新たな息吹を与えてもらえるのは嬉しいことである。
遠方に行ったことと、子育ても大変なことから、私どもでの個展はしばらくされていないが、落ち着いたら新たな展開を見せてもらおうと思っている。

作品とともに彼女の作品が表紙に使われている北爪満喜の詩集「奇妙な祝福」が贈られてきた。
以前にも、詩集に使われたことがあったり、詩人とのコラボレーション作品があったりで、詩人との縁が彼女は深い。



5月18日

友人の紹介で、美術品の処分で画廊の近くにある会社に伺った。

巨匠の作品という触れ込みだったので、多分偽物だろうなとたかをくくっていたが、紛れもなく本物で美術倶楽部の証明書も付いていた。
その作家は偽物が多く、証明書があるなしで評価が違ってくる。

以前に手元にあった同じ作家の作品が美術倶楽部で証明書を発行してもらえなかった。
カタログレゾネ(全作品集)にも掲載され、海外のオークションのカタログにも載っていた作品なのだが、どういう理由か証明書が発行されなかった。
売却先も決まっていたが、そんなこともあってキャンセルになってしまった。

仕方なく、美術倶楽部の証明書の必要がないクリスティーズのオークションで売ったことがあったが、売却予定だった値段とはだいぶ違ってしまったことがある。
そんなこともあって、その作家の作品を扱うのは慎重にならざるを得ないが、先ずは証明書があることで一安心で、戻ってカタログレゾネを調べてみると、そこにも掲載されていた。

他にも、日本画の著名作家の作品もあり、査定した上で購入することにした。
少しづつ、景気の回復とともに、著名作家の作品は価格が上がる気配を見せていて、この作品もうまくお客様に納まってくれるといいのだが。

5月17日

昨日は友人から巨人戦のチケットを貰ったので、最近とみに巨人熱が増している家内と一緒に出かけることにした。
友人はボックスシートをいくつか持っているが、今年は更にエキサイトシートというグランドにへり出した席も契約したそうで、本人はほとんど行かずに私や友人達に譲ってくれるという、巨人ファンの我が家には掛け替えのない友人である。

エキサイトシートはグランドのすぐ横にあり、ネットもないので、座席には危険防止のためにヘルメットとグローブが置かれていて、それを着用しての観戦となる。
二人もヘルメットをかぶり、グラブをはめて、打球が飛んできたらナイスキャッチをしようと張り切っていたのだが、一度もボールは飛んでこず拍子抜け。
確かにグランドと同じ目線で臨場感はあるが、斜め後ろから見るので打球の行方がわからず、かなり見にくく、ネット裏からのほうがよほど見やすい。

試合は完封負けで、家内はいたく不機嫌。
それにしても巨人は打てなすぎる。



5月16日

今朝は朝から雨。
昨日まで季節はずれの夏の日差しが降り注いでいただけに、多少涼しくなったが、何となく湿気が多いのかジメジメする。

今日でうじまり展も終わりだが、数点の売約がありほっとしている。
王建揚展は大きい作品はやはり海外の方ばかりだが、こちらも数点売れていて、あと一週間日本の方にも買ってもらわなくてはいけない。
ただずいぶんと多くの人に見ていただき、関心も高くて画集はあっという間に売切れてしまった。
今後も日本での発表を続けて行きたいと思っている。

韓国から、東京藝大で版画を学び、助手も勤めた金兌赫君が画廊にやってきた。
秋のKIAFに私どものブースで紹介してくれないかとの依頼のために、わざわざ韓国からやってきたのだ。

というのは、昨年のKIAFで他の日本の画廊ブースから出品して好評を得たのだが、今回その画廊が参加を取り止めたことで、KIAF用に描いていた作品が宙に浮いてしまったのだという。
既にKIAFでの購入を決めているお客様もいて、何とかうちのブースで飾らしてもらえないかと頼まれた。

作品はよく知っていて、版画も質の高い作品を作っていたが、韓国では版画の市場は全くなく、版画を日本で専攻した留学生も韓国では油彩とか立体で発表をしなくてはならない。
彼もそのため、油画を描くようになり、今回も油画の小品2点を抱えてきて、それを見せてもらった。

気の毒だが、突然の申し出で断るつもりでいたが、作品を見て気が変わった。
白をベースにした作品と黒をベースにした作品だが、ドットの集合体のような表現でとてもいい。
作品の質も高く、静謐で品もあり一目で気に入ってしまった。

突然の申し出だったが、わざわざ韓国からやってきて、こうして頼みに来る心意気も良しとして、KIAFでの出品のOKすることにした。

日本の作家さんにも、是非こうした行動力は見習って欲しいものである。

連休日記

5月7日

今朝も陳社長の車で屋台店へ。

今日は羊の肉を煮込んだスープの朝食。
臭みが全くなく、あっさりしていて美味しい。

生姜と酢とを入れた特製のタレに肉をつけて食べるのだが、これでご飯が進むから不思議だ。
昨日同様に地元の人に連れてこられなければ、まず食べることはないだろう。

2泊3日の短い滞在だったが、陳社長のおかげで、台南を満喫させてもらった 。
6月に陳社長が日本に来るそうだが、さてどんなもてなしをしたらいいのだろうか。

食事を終え、台南駅に社長自ら送っていただき、一路台北へ。
そこから空港に向かい帰国の途に。
あっという間の3日間でもあり、中身の濃い3日間とは思えない何日もいたような滞在でもあった。

ありがとう陳社長、ありがとう台南。

これで、釜山、台南と連休の最中の大忙しの旅の報告を終わらせていただく。



5月15日

昨日は休みを取って大学時代の友人達とゴルフ。
突然飛距離が伸びて、韓国・台湾のパワーが効果をもたらしたのかもしれない。
月末に大学の仲間達の大きなコンペがあるので、みんなをギャフンと言わせたいのだが。

韓国の業者から私のところではあまり扱わないシャガールやミロ・ダリといった作家の版画の注文が入った。
早速、手元にあったダリや昨日の交換会でミロを仕入れて紹介したところ、あまりの安さに驚いていた。

いままで香港や韓国の別の画廊から買っていたようで、その値段はかなり高く、ダリなどは私が紹介した作品とは10倍も違っていた。
コンテンポラリー系のウォーホールやダミアン・ハースト、ウェッセルマンなどを扱う画廊は多いが、日本で売れるシャガールやピカソといった版画を扱うところはまだ少なく、従ってそういう作家の値段はよく分っていないようで、だいぶ吹っかけられている。
しばらくはこんな事もあって、日本でそうした作品を紹介してあげることになった。

連休日記

5月6日続き

オープニングは沢山の人が詰め掛け大にぎわい。

岩淵が1点毎に作品への思いや技法について話すことになったが、みんな熱心に耳を傾ける。
展示作品には妊娠をしていた時の次女や孫娘がモデルになった作品も飾られ、売れ残って自分で持っていたいと思うのだが、そういう作品に限って先に売れていく。







釜山の初日ほどではないが大きな反響に、陳社長から来年の個展も約束させられた。

いつもお世話になっている台南のコレクターのファーディーさんも見えてくれて、終わってみんなで台南料理の有名店に出かける。
ここは以前にも来た記憶のある美味しいお店で、今回も台南名物のカラスミや蟹など食べきれないくらいの料理が出てきて、どれだけ体重が増えるのか心配になってきた。

わずか1日半ではあるが、凝縮された台南を堪能させてもらった。



5月14日

日本現代版画商協同組合が今日で40周年を迎えた。

期せずして、私達夫婦もあまり関係はないが、この5月で結婚40周年を迎えたことは昨日の日記で紹介させていただいた。
山あり谷ありで、私達夫婦も組合と同じ道を辿ってきたのかもしれない。

40年前はまだ版画の市場が確立してない頃で、版画を専門に扱う養清堂画廊やシロタ画廊、南天子画廊などが中心となって設立され、欧米並みに版画の普及と市場性の確立を目指した。
当時は海外で池田満寿夫や棟方志功などが国際版画コンクールで大賞を受賞するなど日本の現代版画や木版画に注目が集まっている時期でもあって、ようやく市民権を確立できる時代となっていた。
しかし、業界では版画はまだマイナーな分野で、扱う画廊も少なく、今の現代アートと一緒で海外での評価が高くなるとともに、版画を扱う画廊も徐々に増えていくようになった。

私が修行をした大阪の梅田画廊はそうした時期にいち早く版画専門店を作ったり、彫刻の専門ギャラリーを東京に出店したりと時代を先取りしていた。
それでも私などが業者の交換会(オークション)に版画を出品すると、紙は後回しだなどと罵倒されたりで、日本画も紙じゃないかと腹を立てたものである。

組合に加盟する画廊も徐々に増えてきて、当時は今の倍近い画廊が組合に加盟をするようになり、ようやく版画市場が隆盛を迎えるようになる。
更にバブル期に、著名な日本画家や洋画家のエスタンプ版画(作家監修による複製版画)が出回るようになり、かたやヒロヤマガタなどのインテリア版画も街角で販売されるようになり、版画は一気に一般大衆に普及するようになった。
それに連れて版画価格も高騰し、内外の版画はオリジナルの作品価格を超える勢いとなった。

しかしバブル崩壊を迎え、文字通り泡のように価格ははじけ、エスタンプやインテリア版画が暴落し、それとともに版画一筋の作家達も市場の隅っこに追いやられてしまった。
今版画は冬の時代を向かえ、美術大学で版画を専攻した学生も卒業とともに、油絵や日本画、立体に制作のシフトを変えるようになった。

デフレスパイラルでオリジナル作品の価格が版画並みの価格となってしまい、そうなると複数ある版画よりは1点しかない油絵や日本画にコレクションは必然的に取って代わられることになってしまった。

我々組合も加盟画廊が隆盛期の半分となってしまったが、ようやく昨年から出来高も上昇し、版画市場も回復の兆しを見せている。

40年を期に、役員も一新され、新たな歴史に向かって邁進してくれることを期待している。

連休日記

5月6日

朝から陳社長がホテルに車で迎えにきてくれて、市場にある屋台村で朝食。

海に近いので魚が主体の朝食で、鮒のような小さい魚の煮魚にサバヒという開きをカリカリに焼いた焼き魚、スープは太刀魚にた魚のぶつ切りと小さな牡蠣がいっぱい入っている。

台南の庶民の食事を味わうには地元の人の案内が欠かせない。



すでに気温は34度となっていて、真夏の暑さの中、車で台南の一番大きい寺院や台湾最西端の安平湾、台南名物の豆腐のデザート店などに連れて行ってもらった。
今日から展覧会が始まるのに、その時間を割いて、私たちへのもてなしを優先してくれるのには、ただただ恐縮である。



昼も担子麺の元祖のお店でご馳走になり、何から何まで陳社長に厄介を掛けてしまった。

オープニングにはまだ間があるので、泊まっているホテルの前に建つレトロな建物の林デパートで土産を買う。

ここは昭和7年に日本人の林さんが造った由緒あるデパートで、丁度銀座の画廊が多く集まっている奥野ビルのようなところである。
中に入ると、昨日の路地裏同様に戦前の昭和にタイムスリップ。





5月13日

子供達から結婚40周年記念の絵と旅行券が送られてきた。

子供達三家族に囲まれた私達二人のウエディング姿の絵で、それぞれの特徴をつかんだ何よりの贈り物である。

旅行券はいくつかの候補の中から、北海道のニドムリゾートを選ばせてもらった。
広大な大自然の中に佇むログハウスには一度泊まってみたいと思っていたので、いい機会となった。

天然温泉と広大な森の散策、バードウォッチング、そして敷地内にあるゴルフ場でのゴルフと二泊三日の子供たちのプレゼントを十分に楽しませてもらおうと思っている。

子供たち三家族もそれぞれ幸せな家庭を築いており、孫もそれぞれに2人づつ、男3人女3人とうまい具合に生んでくれて、私達夫婦にとってはこうしたことが何よりのプレゼントなのだが、更にこうして記念の旅をさせてもらうことが出来て、こんな嬉しいことはない。

結婚記念日と私の誕生日の間の6月の半ばに行ってこようと思っている。





連休中の日記

5月5日続き

新幹線の台南駅を降りると、個展を開催してくれるダーフォンギャラリーのスタッフが車で迎えにきてくれていて、そのまま画廊に向う。

以前に訪ねた時とは違って、画廊は綺麗に改装されていて、白い壁に黒い岩淵の作品がよく似合う。

夜は海に近い海の味というお店でご馳走に。
旬の筍を台湾風に甘いマヨネーズをつけて食べると口の中に筍の柔らかな甘さが広がる。
柔らかいアワビや、酸っぱいヘチマのスープ、ヤブカンゾウの実の炒め物、台南の名産カラスミ入りの炒飯などなど台南の美味を味あわせて頂いた。



帰りに訪ねたレトロな路地裏の神農通りでは、一昔前にタイムスリップしたようで、どの国もどの町も同じような街並みになって行く中で、このような街並みが残っているのが嬉しい。





5月12日

GTUのうじまりも4回目の個展となる。

今回は儚げだが爽やかで美しい色彩に彩られた作品が並ぶ。
岩絵の具を使っているとは思えないうじまり独自の色使いだ。

先日軽井沢で見たオトニールの立体作品と通じるような球体の集合がリズミカルに音を奏でている。
観る人の心を軽やかにしてくれるような展覧会で、5月の新緑に相応しい展覧会となった。



連休中の日記

5月2日

朝早くから海雲台のビーチを歩いて、ビーチの端にある小さな漁港へ。
ここに幾つものお店があり、とれたての魚を供してくれる。
その中でもフグ屋さんはいつも朝から行列ができるほどの人気店である。

朝にあがったというトラフグをぶつ切りにして、野菜とともに煮込んだ鍋が出てくる。
鍋の周りには朝から食べきれないほどのおかずが出てきて、見ているだけでお腹がいっぱいになる。
ホクホクのフグと薄味のスープが絶妙で、釜山に来たらこれこれを食べなくては来た甲斐がない。
今朝は最上級のフグを頼んだが、それでも一人3000円、日本では少なくとも3万円は取られるだろう。

肉に魚と美味しい食事をし、麻友香展も初日から上々のスタートとなり、老体に鞭打ちハードな日程でやってきた苦労が報われるようだ。

一度戻って、次は台南の岩淵展が待っている。



5月5日

2日の夜は友人のお通夜に何とか間に合い遺影に手を合わせることができた。

その足で河口湖に向かい、3日は畑に種まきをし、昨日は久しぶりのゴルフを楽しみ、海外出張の合間の短いゴールデンウイークをのんびりと過ごすことができた。

そして、今朝からはまた台湾に向う。
台北桃園空港からタクシーに乗って、新幹線の桃園駅に行き、そこから台南に向う。

明日から岩淵華林の個展が始まり、そのオープニングに出るために彼女にも同行してもらった。
オープニングでは彼女のトークショーも予定されていて、多少緊張気味のようだ。

こちらも韓国同様に手厚いもてなしが待っていて、朝食から夜のディナーまでの予定表がメールで送られてきた。
お腹の引っこむ暇がない。

5月11日

土曜日のオープニングは人が来ないのではと心配したが、大変な賑わいで、その心配は杞憂に終わった。
海外出張の疲れが溜まっているが、日曜日に所属しているゴルフ場の委員会があって、私は委員長をしていることもあって休むわけには行かず、夜中に河口湖に向かうことになった。

早朝からの委員会が終わってからは、先日の河口湖や画廊での撮影に続き、私の大学のヨット仲間の逗子の豪邸で撮影会をすることになり、河口湖から逗子に向かうが、東名で事故があり到着したのは午後7時。
この家は古民家を移築した建坪160坪もある広大な屋敷で、そこで前回同様に知人と更に台湾の美人留学生がヌードのモデルになっての撮影である。
ここの女主人も乗りに乗って、衣装屋さんから借りてきたのか、なんと花魁姿で登場し、撮影に参加することになった。

私は残念ながら遅く到着したので、撮影に立ち会うことが出来なかったが、年増の花魁姿を見ることがなかったのだけはもしかして幸いだったかもしれない。

終わって、逗子の魚料理屋で打ち上げの食事をすまし、モデルになってくれた知人を送り届けて家に帰ったのは夜中で、疲労困憊も相当なものである。





5月1日 山本麻友香展が始まった。

ギャラリーのあるグランドホテルの社長から大きな花とケーキが届き、社長夫人や支配人も花束を持って挨拶に見える。
ランチかディナーをホテルからのサービスで食べるようにとの配慮もあったり、山本ファミリーが部屋についた際も、花とケーキが添えられてたそうで、至れり尽くせりである。
ホテルには山本の大作が飾られている。

韓国も今日から大型連休に入り、旅行に出ているお客様も多く、見える人も少ないのではと心配されたが、次々にお客様が詰めかける。
中にはソウルから大渋滞の道路を約8時間かけて見えた人もいる。

ニューヨークにいるコレクターからは伺うことはできないけど、山本の作品にいつも癒されているとのメッセージも届き、胸を打たれる。

ほとんどのお客様が買う気で見えていて、それも30代から40代の人ばかりで、そうした人が次から次に作品を買われる。
驚くのは、買われる作品が大作ばかりで、120号、100号から40号まで10点近くが売約となった。
ギャラリーのオーナーが今回の展覧会で残念なのは、大作が少なかったことと言っていたが、どれだけ大作を並べたらいいのかと、ただただ呆れるばかりである。

同時に感じたのは、作品に対する愛である。
これだけ作品に対して熱い思いを持つのは作家や私たちにとっては、何よりの喜びである。

韓国の人達の美術に対する意識の高さに、それも若い人たちがそうしたものを持っていることに、ただただ敬服するばかりである。





感激しきりの1日が終わって、今夜はお刺身の美味しいお店に。
こじんまりとしたお店だが、魚は新鮮でぷりぷりしていて美味、山本ファミリーも大満足であった。

明日の朝は早起きして、海雲台の漁港に行ってフグ鍋を食べることにしている。



5月9日

今日から王君とうじまりの個展が始まる。

朝から次々にお客様が見えるが、出来れば5時から始まるオープニングにきて頂けるとありがたいのだが。
というのも、台湾からやってきた王君は初めての日本だけに知っている人も少なく、どれだけの人が来てくれるか心配なのだが。
それでも、夕方からは私どもで発表をしている美女作家軍団やお客様、それ今回モデルでお世話になっているR嬢などがみえて賑わった。

とにもかくにも、日本初の個展というこちで王君も張り切っているので、何とか期待にこたえたいと思っている。





4月30日
釜山に到着。

出発前に高校時代の友人でゴルフ仲間のT君の急逝の知らせが入る。
会社で腰が痛くなり、熱っぽかったので、早退して家で休んでいたが、身体がだるくなって病院に行ったが、たいしたことないと帰った夜に息苦しくなり、救急車で病院に運ばれたが、治療の甲斐なく亡くなったという。
原因はよくわからないが、先日ゴルフをし、その後食事をして、元気にしていただけに、ショックで言葉もない。
証券会社の社長をしていて、会社も大混乱だろう。
韓国と台湾行きの間に2日あるので、お悔やみににはなんとか間に合いそうだが。

明日から始まるギャラリーWOOでの山本麻友香の個展の準備はほぼ終わっていて、とてもいい展示になっている。





トートバックやポスターも作ってもらいありがたいことである。



夕方には新たに取引をすることになった釜山のギャラリーと打ち合わせ。
立体作品を何点か購入してもらうとともに、今後の展覧会のサポートをすることになった。

夜はその画廊さんに焼肉をご馳走になったが、イチボといった稀少な部位の肉ばかりで、焼肉というよりはステーキを食べているようだ。
締めのチーズを混ぜたキムチチャーハンも絶品であった。
終わって案内された画廊は小さい可愛らしい画廊だったが、すぐ目の前にある億ションの一室がアポイントメントギャラリーになっていて、そこは海雲台の海が見える絶景で、広い部屋にメーン作家の写真作品が多数飾られていて、素敵な空間となっていた。



さすがに私も疲れが出て、ホテルでお茶を誘われたが、部屋に帰らせてもらって、忙しい1日を終えた。

5月8日

連休中ほとんど休みなく、昨日の夜に日本に帰ってきた。

海外に行き来する合間に、明日から個展をする台湾のフォトアーティスト王建揚君が日本での撮影も希望し、河口湖の我が家での撮影もあって、普段以上に忙しい毎日を過ごした。

ただ場所を提供するだけではなく、私もモデルに借り出される羽目になり、すっぽんぽんの女性を前にしたやけにニヤケタ写真が出来上がってしまった。
明日からの個展に出したいといわれたが、それだけは勘弁してもらって、海外のみの発表ということで、私の写真をどうしても見たいという方は海外に行っていただくしかない。

その顛末は、連休中の日記にも書かせていただいた。

画廊が休みの間も王君は画廊に詰めて、壁の一面に大きな絵を描き、それを背景に昨日も夜中まで撮影をしていた。
モデルを頼んだ知人の女性も、6時間掛けてボディペインティングが施され、何十回と背景の前でジャンプをさせられたりで、大変な思いをさせてしまった。

オープニングを終えた翌日曜日も、大きな民家を移築した逗子にある私の大学時代の友人邸で撮影をすることになり、私もここしばらく休みが取れそうにもない。

連休中の日記も合わせて29日分から順次アップさせていただく。

4月29日

  河口湖で撮影開始。

富士山がくっきり見えるが、屋外で富士山バックにヌード撮影するわけにもいかず、部屋での撮影。

昨日から作っていた小道具で我が家は椿の花と鳥に囲まれた露天風呂に様変わり。
ヌードモデルを快く引き受けてくれたRさんだけでなく、私もモデルになれと言う。
上半身だけ脱げばいいということなので、仕方なく引き受け、露天風呂に私が浸かり、横から桶を持った女性が飛びながらお湯をかけるという設定。

私の目の前をスッポンポンのモデルさんが飛び跳ねるので、お互い最初は恥ずかしかったが、そのうち慣れてしまうとなんということはない。
モデルのR嬢は何十回とジャンプさせられ、足が痛くならないか心配になる。
OKが出るまで、2時間は裸で飛び跳ねていた。

昼から雲間に隠れていた富士山が再び姿を現したので、外に出て、肩だけ見せて王君やアシスタントをしてくれた造形大版画出身のTさんと一緒に全員でお風呂に入っている記念写真を撮って、撮影は無事終了。

この歳で上半身だけとはいえ、まさか写真のモデルになるとは努努思わなかった。
私の葬式の写真は、この写真を使ってもらおうか。



4月28日

王君と友人の竹内さんは昨日から河口湖の撮影用の小道具作りと画廊の壁にベニヤを張って、個展のときの背景作りに余念がない。

彼は約一ヶ月日本に滞在し、個展の準備と新たに日本での撮影の計画をしている。
彼の作品は、背景を自分自身で描いたり、モデルにはボディペインティングを施したりで、撮影前のセッティングが大変だ。
それでも、この準備を見ているだけで作品へのワクワク感が増してくる。
ヌードのモデルさんもみんな友達であったり、知人の紹介であったりと素人ばかりで、それもノーギャラの全くのボランティアである。
それが彼の準備や設営を見ていると、すっかり乗せられて、恥ずかしがらずにモデルになってくれるのがよく分かる。
とにかく開放的で明るく楽しい。

5月号のアートコレクターズの特集「これは、芸術家?ワイセツか?」にも王君が紹介されているが、彼のヌードはどう見てもワイセツではなく、健康そのものである。
明日の河口湖の撮影では果たしてどのような写真になるのか、今からワクワクしている。





4月27日

朝早くに街中の両替屋さんで日本円に換金した後、トイショーを主催し、中村萌のフィギュアーを作ってくれている黄さんにお昼をご馳走になる。
黄さんには今回も作品を買っていただいた上に、お昼までご馳走になり恐縮である。
朝を食べたばかりで簡単でいいと言ったのだが、食べきれないくらいの料理が出てくる。



今年の10月もトイショーに招待してくれることになっていて、新しい中村萌のフィギュアーを発表するとともに、ブースで中村萌の新作を並べる。
今回は更に横田尚の作品も紹介してくれることになっていて、彼女もヤングアート台北にも初めての立体作品を出品した。
このフェアーでも中村は大人気で、20人くらいの人から新作の画像を送ってくれるように頼まれたり、トイショーの案内を欲しいという人も多く、さてどうなることやら。
フェアー全体でも立体作品に人気が集まっていて、台湾では立体に興味を持つ人が多いようだ。

終わって、初めて台湾に来た元スタッフのK君を連れて故宮美術館に行く。
美術館は中国人の団体客で溢れかえっていて、展示品を肩越しにしか見ることが出来ない。
私は何度か来ているが、彼女は初めてなのに間近で名品を見ることが出来ない。
私が6時過ぎの飛行機で帰国予定なので、2時間ほどで切り上げることにして、彼女は次の機会にゆっくり見てもらうことにした。

東京には夜遅くについて、明日は5月に個展のある王君が日本でも撮影したいとのことなので、河口湖の私の家に案内することにしている。
29日一日を富士山を背景に撮影をする予定で、私は翌日早朝に山本麻友香展のオープニングに合わせて釜山に出かけるので、できるだけ早くに終わって帰りたいのだが。

釜山から帰った翌々日には今度は再び台湾に戻り、台南の画廊の岩淵華林の個展のオープニングに行く予定で、連休も関係無しの毎日が続く。

そんな訳で、日記もしばらくアップできないが、台湾から戻ったら山本展や岩淵展の様子をお知らせする。

4月26日

あっという間に最終日。

日本の画廊は昨日まではだいぶ苦戦していて、私のところも例年に比べると今ひとつ。
昨年まで日本の画廊の売り上げが良かったこともあって、今回は35画廊が申し込み、セレクションでな28画廊が参加している。

継続して出ている画廊はそれなりにお客様を持っているが、初参加の画廊は次に期待といったところだろうか。

それでも最後とあって、お決まりの値切り合戦の結果、そこそこの成果は挙げられたのでは。



撤収も元スタッフのK君が来てくれたので、10時過ぎには終了し、これもお決まりの夜市の鉄板焼きとマッサージで疲れを癒すことができた。

明日はK君を連れて、故宮美術館に行った後、日本に帰る予定である。



4月25日

今日明日とフェアーは一般公開。

大勢の人が詰め掛け、身動きとれない時もあって、ありがたいことなのだが、商談をするにはちょっと困りもの。
そんな中にはこんな人もやって来た。



夜はようやく通訳のアリスちゃんと一緒に台湾料理にありつけた。
台湾は9時頃にはお店を閉めてしまうところが多いが、ここは24時間営業の飲茶有名店。

行列ができていて、地元でも人気のお店のようだ。

頼んだ料理はどれも美味しく大満足。
ただ海老アレルギーの私にはいくつか海老が入っている料理があって、恐る恐る食べたが、案の定部屋に戻ると身体に発疹が。
旅行には常備している薬で事なきを得たが、海老が好きなだけに、この薬は欠かせない。
海老全部がダメなわけではなく、海老の背わたがあると症状が出るので、あるかないかを確認しながら食べることにしているが、小さい海老やミンチにしてあると背わたが確認出来ないので、蕁麻疹が出てしまう。

明日は元スタッフのKちゃんがやってくるので、夜は毎回お馴染みの夜市の鉄板料理に行く予定。
だんだんと台湾を実感してきた。


4月24日

3時から内覧会が始まる。

早速に昨年の秋のフェアーで中村萌を買ってくださったお客様が今度は予約の入っている1点を除いて、中村萌の残り4点をまとめ買いで、幸先よくスタート。
相変わらずの人気で、次々に来るお客様が中村は無いのかと聞かれる。
10月に昨年に続いて華山のトイショーに中村は招待されているので、その案内をさせていただいた。

その中村や佐藤温の作品が台湾の雑誌に多く取り上げられていて、台湾での人気が伺われる。



その後も人は途切れず、あっという間に終了の8時に。

8時からはレセプションパーティーが始まる。
会場はすでに満員で、料理はひとかけらも無くなっていた。
今回のフェアーのスポンサーとなったファーディーさん達と記念撮影をした後、外で食事をと思ったが、疲れを残してもいけないので、一人で昼用に買ったパンを食べて、寂しい夕食を終えた。





4月23日

お昼に台北到着。

今回も画廊で展覧会中とあって、私一人でやってきた。
零細企業は社長といえども一人で運搬、展示、撤収、営業としなくてはいけない。
もうすぐ70歳になろうというのに、我ながらよく働く。

ホテルに入り、早速展示開始。
通訳がなかなか決まらずヤキモキしたが、最初にお願いした女性が、なんとかやりくりして今日から来てくれることになった。
そうでなければ、私一人でやらなければならなかったので、まずはホッとした。

途中からは昨年の秋のフェアーで通訳をしてくれた緑くんが応援に駆けつけてくれた。
彼女は今回は日本の別の画廊の通訳をすることになっていて、私のところでやってもらえることができなかったのだが、
明日からの契約ということらしく、わざわざ私の方の手伝いに来てくれて、感謝感激である。

お陰で、総点数65点もあったにもかかわらず、7時にはほぼ終わってしまった。

緑くんと今回の通訳のアリスさんを夕食に誘ったが、二人とも都合が悪く、一人寂しくホテルのレストランでビュッフェスタイルの夕食を済ませた。
明日は3時からオープニングなので、ゆっくりできそうである。



4月22日

昨日は知人に連れられて、某都市銀行の元役員お二人とともに、今は亡き日本の近代美術を代表する大巨匠のお孫さんのお宅を訪問。

高級住宅街の中にある大豪邸で、当時の巨匠の生活ぶりが如何にすごかったかがうかがわれる。

その巨匠の存命中には何度かアトリエにお邪魔したことがあって、そこも大邸宅であったが、お孫さんの家もそれに負けない立派なお屋敷である。
玄関を入ると、重文クラスの屏風が飾られていたり、印象派の巨匠の彫刻がさりげなく置かれている。
螺旋階段を上に上がると、巨匠の絵が所狭しと飾られていて、まるで美術館のようである。

これだけの作品をよく保存されていたことにまず驚かされた。
その巨匠と並び称される方のご子息の家も、私は昔からよく伺がわせていただいているが、これほどの作品は残っていない。

部屋にはワインと食事が用意されていて、ワインは何とドンペリの年代物で、飲めない私には猫に小判、豚に真珠である。
他の方たちも恐縮しきりであったが、私も作品が見られるということでのこのこ付いていっただけだったので、全くの手ぶらで、とんだ恥をかいてしまった。

ただ私はこうした巨匠達の作品を扱うことは少なく、こうした生活とも縁がなく、私が扱っている作家達のささやかなアトリエを思うと、私はこちらのほうがどうやら性にあっていて、肩も凝らない。

良き時代のアートシーンを垣間見た一夜であった。

4月21日

明後日から台北のフェアーに出かけるが、ここからが怒涛のスケジュールが始まる。
27日に帰国し、30日から釜山の山本麻友香展があって、2日まで滞在し、帰って5日から台南で岩淵華林展が始まるので、そちらにも行かなくてはならず、7日に帰国し、9日から私どもで台湾のフォトアーティスト・王建揚の写真展「宅」と「うじまり個展」が始まる。

こんな具合で、ゴールデンウィークも今年は二日しか取れない。
その休み中も、王建揚は画廊の壁にライブペインティングをして個展に備えるので、その付き添いもしなくてはいけないが、こちらはスタッフに頼むことにしよう。

もう一つ、王君は日本での撮影を希望していて、ようやく友人の古民家を借りることが出来、ヌードモデルも知人に頼んでOKを貰うことができた。
彼の作品は家の中を舞台に、その家の特長を生かした設営をして、そこにモデルを配置して撮影する演出写真である。
タイトルの「宅」も家という意味合いが強いが、いわゆる「お宅」を連想させる「しつらえ」となっている。
ポップで明るく、ユーモラスで、見ていて浮き浮きさせる作品である。

その一部を紹介させていただく。



4月20日

色々な美術品の依頼品が私のところにやってくる。

浮世絵、書画骨董の類もかなりの頻度でやってくる。
こちらは真贋も価格もさっぱりわからないので、専門の業者に任せているが、一部を紹介させていただく。

円山応挙?筆の内裏雛図、竹翁齋の香炉、インドネシアの首切り刀、管打式銃砲等々。

ギャラリー椿・なんでも鑑定団・・・ 果たして鑑定や如何に。





4月19日

軽井沢のニューアートミュージアムで開催中の「山本麻友香展」を見に行ってきた。

あいにくの雨で、ミュージアムも閑散としていたが、展示は見ごたえがあった。
一同に並べて見たのは、倉敷市美術館での展覧会以来だが、その後の変遷を知るうえでも大変興味深かった。

K氏コレクションから数点をお借りしたが、その時々のエポックとなる作品をしっかりコレクションいていることに改めて気づかされた。
会場の都合でお借りできなかったが、他の3人のコレクターの方が集めた山本作品も展示を予定していて、もし実現していたら同じ作家のコレクションでも、それぞれの個性をうかがい知ることが出来たのではないだろうか。
個人コレクションの妙味はそこにあり、画一的でないところが面白い。

近くのギャラリーーゴトウでも、おなじみのコレクターの方たちのコレクション展が開かれていて、それぞれの好みが如実に伝わる展示となっている。



ニューアートミュージアムの2階では、具体美術の作家達の大作が展示されていて、こちらも圧巻の展示である。
私が大阪の勤務時代からよく知っていて、今は椿近代画廊でも個展を開いている具体の中では一番の若手の松谷武判の作品が特に見ごたえがあった。
トイレには向井修二のライブペインティングが施されていて、使用するのに躊躇してしまうが、どうやら用を足した人もいるようだ。

ミュージアムの裏には隈研吾氏設計のウエディング会場が建設中で、そこにはフランスの代表的立体作家オトニールのオブジェが設置されることになっていて、2階会場にもオトニールの作品が展示されていた。



4月18日

シンガポール画廊協会の代表から次のようなメールをいただいた。

MEGUMI・IGARASHI(ろくでなし子)についての問い合わせであった。
私はバギナの3Dモデルを作成するために逮捕された日本の女性アーティストについてあなたのコメントを聞きたい。
日本のアートディーラーの視点から、この場合にあなたはどういう意見を持っていますか。

どういう趣旨で私の意見を聞きたいかはよく分からないが、取り敢えず返事をさせていただいた。
シンガポールで大きな話題になっているのだろうか。

お尋ねの件ですが、社会問題としては大きな話題となりましたが、美術業界では大きく取り上げられることはありませんでした。
彼女の作品が芸術性があるかどうかははなはだ疑問に思っています。
われわれが扱うアートのレベルには達していないように思いますし、今後大きく評価されることもないでしょう。

ただ彼女が今までの価値観を覆すための問題提起であればそれは評価したいと思います。
その質は別にして、芸術を目指す表現であれば、それは許されるべきと思っています。

昨年、シンガポールのフェアーに参加したときも、裸婦の作品を展示していいかを事務局に問い合わせをしましたが、政府の許可がいるとの返事でした。
また、許可されてもブースに展示するのは駄目で、バックヤードにそういうスペースがあればいいとのことでしたので、問題が起こってもいけないので、出品を取り止めることにしました。

イスラム教信者の多いシンガポールでは宗教上の問題とかがあるのでしょう。

ろくでなし子さんだけでなく、一般論として表現の自由があるかないか、猥褻か芸術か、モラルとして捉えるべきか否か、その判断は未だ日本では未解決ですが、いずれ自由な表現として認められていくことになると思っています。
ただし、芸術性の価値があるかはどうかは別問題ですが。

4月17日

朝から汗ばむような陽気で、孫たちが来ていて中断していた早朝散歩を再開。
ここしばらくの寒さで桜は散ってしまったと思っていたが、散歩コースの東大駒場キャンパスの八重桜は満開で、絶好の見ごろとなっていた。
ソメイヨシノのような儚げな色とは違い、色も濃く、遠目に見るといっそうの華やかさを見せてくれる。

画廊のそばの八重桜は既に散ってしまって残念に思っていたが、朝から眼福で幸せな気分にさせてもらった。

画廊も陽気につられて今日もたくさんの方がお見えになる。
それと日記効果か、処分品の一部の名前をブログに書かせていただいたことで、関心を持ってくださる方がいて、早々と見に来ていただいている。
1970年前後の珍しい作品がほとんどで、8月の恒例のオークション前に幻想コレクションとして公開を予定しているが、こうして早くに来ていただけるのはありがたいことである。

少しづつ検品しながら査定もしているので、興味ある方はどうぞお越しください。

4月16日

1ヶ月我が家にいた長女一家もシドニーに今日の夜の便で帰ることになった。
孫は来て嬉しい、帰って嬉しいで、ようやく我が家も静けさを取り戻した。
スキー、屋形船での花見、レゴランド、河口湖、サファリーパーク、プロ野球観戦、ディズニーランド 等々盛りだくさんの日本の思い出を残して帰っていった。
幼心にも楽しい思い出はいつまでも残ってくれているといいのだが。

画廊は連日大勢のお客様が詰めかけ、大好評でありがたいことである。
篠田の超絶技法に一様に驚き、食い入るように眺める人が多い。

単なる写実とは違い、篠田は物質を忠実に再現するのではなく、更に奥にある目に見えない姿かたちを描き出す。

篠田の言葉を引用させてもらう。

何を描くか

梶井基次郎の短編「櫻の樹の下には」の一節。

・・・それは渓の水が乾いた碩へ、小さい水溜りを残している、その水の中だった。
思いがけない石油を流したようなような光彩が、一面に浮いているのだ。
・・・それは何萬匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍骸だったのだ。
隙間なく水の面を覆っている、彼らの重なりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩をながしている・・・。

水溜りに浮かぶ無数の薄羽かげろうの重なりあいが、見える距離の変化によって妖しげな、魅惑的な光彩にすがたを変える。
この鮮やかなイメージの転換は魅力的である。

日常の変哲もないものが、誰しもが見慣れているはずの平凡なものが、注意深く観察されて光彩を放つようにもなる。
写実的に描くことが目的ではなく、出来ることならばむしろそれを突き抜けた神秘性、幻想性が醸し出される何かであればと願う。
ありふれたものに託して、人間の事象や存在を象徴的に暗示することに想いを練る。
何をどう描くかは、私自分のためで、きわめて個人的な営為ではあるけれど、共通の”ことば”にまで辿り着けるように、あれやこれやと思案を巡らす。

4月15日

韓国画廊協会の新たな幹部が新任の挨拶と10月に予定されているソウルのアートフェアーKIAFのプロモートのために来日し、私どもの画廊を訪ねて来られた。
以前からよく知る朴新会長は母上の病気のために急遽来れなくなったが、副会長、事務局長を東京美術倶楽部にお連れし、全国美術商連合会の浅木会長を紹介させていただいた。

100年を超える歴史ある東京美術倶楽部を訪ね、まず建物の豪壮さに一同目を見張り、更には1階のオークション会場、2階の和風大広間や茶室、幽玄の趣の日本庭園に驚き、3階4階の東美ミュージアム、隣接する重文、国宝級の作品用の展示室、会議室などの設備の豪華さにただただあきれるばかりであった。
私自身が東京美術倶楽部の会員ではないので偉そうなことはいえないが、美術商の団体でこれだけの施設を持っているところは国内外でも唯一無二で、私も誇らしい気持ちで案内させていただいた。

その後役員室で団欒となったが、韓国画廊協会もこうした施設を持つことが夢であり、日本を目標に一歩でも近づきたいとの思いを強くしたようだ。
またディーラーズオークションも日本に教えを乞い、韓国画廊協会内でのオークションの実施に向けての準備を進めて行きたいとのことで、それによる市場価格の安定化につなげていければとのことであった。

その後、浅木会長のお招きで、銀座の高級寿司店でのもてなしを受け、こんな熱い接待を受け、どうお返しをしていいか困ってしまうと言うほど、心からそのもてなしを喜んでいただいた。
長い文化の歴史の中で共通の文化を持つ日韓が手を携え、一致協力して東アジア文化を世界に発信することを誓いお開きとなった。

尚、14回を迎えるKIAFでは第1回もそうであったように、今年度を日本年としてそれに沿った企画を考え、そのためにも多数の日本の画廊の参加と協力をお願いされた。
最初から参加している私も何とか力を貸したいと思っているが、日本の画廊の皆さんにもぜひ参加とご協力をお願いしたい。



4月14日

今日は日本現代版画商協同組合の春季大会。

先週は一時的に株価が15年ぶりに日経平均2万円台となり、景気もようやく回復の兆しを見せてきたようだ。
今大会の出来高も昨年比5割り増しとなり、新年度から好調な滑り出しとなった。

今までとは違い抽象系の作品の評価が高くなったことも、出来高を押し上げた要因の一つではないだろうか。
私も多分希望価格に届かないだろうと思いながら出品した作品がみな希望通りの価格で落札され、これも全体の勢いに押された形となったのだろう。

この流れが続き、安定した景気の底上げにつながるといいのだが。

4月13日

桜が咲き始めてから、寒かったり雨が降ったりで、すっきりしない天気が続く。
そんなこともあって、痛めた喉も中々回復しない。
昨日のクラス会も子供たちが集まることもあったが、二次会がカラオケということなので失礼させてもらった。

今日はテレビや多くの著書でも知られる東海大学海洋学教授の山田吉彦氏による「海洋国家日本の未来」と題した講演を聴いた。

日本は四方を海に囲まれ、国土は小さく、資源もない小国と思われているが、海の経済海域を入れると世界第六位、経済国域となると、世界で第四位だそうで、文字通りの海洋国である。
その海域に眠る資源は300兆円以上の価値があるもので、決して資源のない小国ではないそうだ。

そこに狙いをつけたのが韓国であり、中国である。
竹島問題、尖閣列島も単なる歴史問題やナショナリズムだけでないことがわかる。

また、日本列島は中国や韓国が外に出ようとしても、北は択捉、南は与那国島までが立ちはだかっていて、容易に外洋に出ることが出来ない。

そうしたことが、反日という形に置き換えられ、日本に圧力をかけてきているのである。
先の五島列島や小笠原諸島に大挙して押しかけた漁船軍団も、台風避難や赤珊瑚を取るのが目的ではなく、漁船とは思えない装備や隊列を組んでいて、実際のところは政府がコントロールしている船団だそうだ。
これは漁船に姿を変えた軍事的圧力で、その威嚇に屈しないことが日本政府に求められるところである。
赤珊瑚にしても、1000メートルの深さにある珊瑚を網で取れるはずもなく、拿捕した船を調べても時価にして3000円程度のものしか取っておらず、2000キロの海を燃料費おそらく300万円かけて来る筈がない。
日本がこのような圧力を受けるのも、今までの政治家が威厳を失い、迎合しすぎているからで、威厳を取り戻し、毅然とした態度で対応していく必要がある。

概ねこうした趣旨の話だったが、日本の未来に希望が持てる話で、バブル崩壊以降自信を失った日本人にはとても勇気づけられる話であった。

今、日本に爆買いなどで押しかける中国人たちは、日本に来て改めて日本の良さを知ることとなり、マナーの悪さなどに眉をしかめず、大きな眼で見て、こうした人たちに日本の良さを伝えるスポークスマンとしての役割を担ってもらい、習体制の脱却に繋がるといいのだが。

4月12日

土曜日の夜は娘たちと大学の友人たちのバンド「ローガンズ(老眼ズ)」のライブに行き、フォーク、カントリー&ウエスタンを楽しんだ。
平均年齢70歳を超えるバンドだが、みんな若々しくノリノリのライブであった。
写真の後頭部を見てもわかるように、来ている人たちも同じような年格好だが、青春を取り戻したかのように、会場全体が熱気に包まれた。



そして今日は知人から巨人戦のチケットをいただいたので、長女一家と巨人命の妹一家で野球観戦。
エキサイトシートというグランドに張り出した特等席で、親も子も巨人のユニホーム仕様のシャツとヘルメット、手にはグローブと身を固めて、大興奮で野球観戦を楽しんでくれたようだ。

その間に私は高校のクラス会に出かけ、夜には息子一家もやってきて、みんな揃っての14人の大夕食会。

全員が揃うのは滅多にないことなので、それは楽しい団欒の一夜を過ごすことができた。

4月11日

昨日は準備に追われ、スタッフもだいぶ遅くまで残っていたようだが、昨日からの雨も上がり、無事開幕。
既に20点以上が売約となり、上々のスタートである。

今朝からは一本松の絵に関心が行く方が多く、その微細な表現を顔を近づけて見ている。
篠田の一本松に寄せる思いは強く、大小合わせて9点の作品が出来上がった。

篠田が一本松に寄せる思いを記したので紹介させていただく。

東日本大震災から4年が経ちました。

震災後、被災地の状況を直に見ておきたいと、車に寝袋、自炊用具、食糧を積んで、宮城、岩手の沿岸部を巡りました。テレビや新聞の報道で現地の状況を知っているつもりでしたが、眼前に広がる何もかもが失われた被災地の光景は想像を遥かに超えるものでした。

夜明け前の薄墨色に染まる失われた街を歩きながら、この私に一体何が出来るだろう、と考え続けました。

微力でも何かをせずにはいられない想いに駆りたてられていました。

被災地には多くの遺構がありましたが、どの遺構もそこで多くの方々が亡くなり、遺族の悲しみが積もっていましたから、描き残すことへの躊躇がありました。

  陸前高田市には、白砂の海岸に7万本もの美しい松がありました。

その松林が津波によりすべてなぎ倒され、残ったのはたった1本の松でした。

その一本松は、地盤沈下により満潮時には根元に海水が浸み出てきて、やがては失われる運命でした。

辺りは茶色に変色してたった1本残った松、それは東日本大震災で失われたものの象徴のようにも思われました。

壊滅的な被害を受けながら1本だけ残った松は、明日への希望を表すものでもありましょうが、私は亡くなられた方々への鎮魂の思いをこめて、三年間ひたすら一本松を描き続け、大小9作品の一本松画(孤松図)が生まれました。

4月10日

篠田教夫展の展示。

前回の私どもの個展から13年になるだろうか。
次の展覧会をといってる間に、これだけの時が過ぎてしまった。
それだけにようやく実現した個展は感慨深いものがある。

何故これだけの時間がかかってしまったのか。
それは篠田の技法に因る。
紙面を濃い鉛筆で真っ黒に、まるで鏡面のごとく隙間なく塗りつぶすことから制作は始まる。
黒い画面の下に見当をつけた水彩の色をほどこすこともあるが、それも黒い画面にすっかり覆われている。

そこからが篠田独特の超絶技法といわれる消しゴムで微細に黒い画面を消していくのである。
消しゴムかすでいっぱいになりながら、日に2,3ミリの仕事を積み重ねていく。
気の遠くなるよな仕事である。

題材はサザエの貝殻であったり、ほおずき、どくだみの花といったごくありふれたものを描くのだが、それは単なる写実ではなく、それを突き抜けた別の世界が描かれる。
今回はムール貝や山芋、松ぼっくりなどを題材にしたものと、集英社から依頼された社寺画、それに描かずにはいられなかった3月11日の津波の中で残った陸前高田の一本松などだが、その描写力にはただただ驚かされるばかりである。

展示のさなかに、既に何人ものお客様がお見えになり、私同様に長い歳月を経て待ちきれずにお越しになられたのだろう。
明日から25日までの開催である。



4月9日

今日で料理教室の五期目が終了で、めでたく修了証書いただいた。
袖すりあうも多少の縁で、ここで一緒に習ったお仲間とも次の教室やどこかでお会いできればと思っている。

今期は初めて女性が多い教室に入り、だいぶ緊張したが、同じテーブルの女性達にやさしく手ほどきしていただき、私のような年寄りも楽しく学ぶことができた。

今日はオムライスとホタテの野菜サラダ、コーヒーゼリーの献立である。

オムライスは家でも時々作っているのだが、卵をのせるのが難しくていつも失敗ばかりしていたが、なるほどこうやればうまくいくというやり方を教わり、家で作っても多少胸をはることが出来そうだ。

来月から六期目に入り、一年間肉料理を習うことになっている。



4月8日

お預かりした大量の作品群の整理を二日にわたってすることに。

先ずは、版画の整理から始めることにしたが、版画だけでも単品で350点、それに50の版画集を加えると大変な数である。
これにまだ整理が出来ないでいる浮世絵や油彩、デッサン、立体作品が300点ほどあり、気が遠くなりそう。

幸いカビなどはなかったが、しみや汚れのある作品も多数あり、もっときちんと保存をしていたらと悔やまれる。
いつも修復をお願いしているK氏が丁度居合わせて、私は修復代のほうが高くつく作品は廃棄処分にするしかないと言うと、将来評価される作品があるかもしれないので、こうした作品を残してあげるのも自分の仕事と言って、時間はかかるがぼちぼちと手弁当でやって下さるとのありがたいお言葉をいただいた。
確かに有名無名を問わず、一点一点それぞれに作者の思いが込められた作品であり、しみが出たり傷ついたりしたといって、廃棄にするなどというのは申し訳ないことで、私達も心しなくてはいけない。

それ以外の作品は若干汚れやしみ・ヤケがあるものもあるが、お客様にの紹介するには差し障りがなく、何れ機会を見てコレクション展として紹介させていただこうと思っている。
版画だけでも70年代の内外作家の多くの幻想美術コレクションとなっていて、展示が出来れば大変見ごたえのある展覧会となるだろう。

主な作者名を順不同で挙げさせてもらう。

池田満寿夫・金子国義・中村宏・加藤清美・古沢岩美・横尾忠則・池田龍雄・深沢幸雄・前田常作・宇野亜喜良・篠原有司男・田名網敬一・山下清澄・アイオー・日和崎尊夫・加納光於・木村光佑・中林忠良・加山又造・山本六三・泉茂、

柄澤斎・北川健次・吉田勝彦などの初期作品

珍しいところでは藤野一友・菊池伶司

マンレイ・ゾンネンシュタイン・ベルメール・ヴンダーリッヒ・ブレーマー・マッタ・ラーブル・クリーチ・ヴァザレリー・デューラー・ジョンマーチン・アバチ・クリンガー・マグリット・ダリ・モーリッツ・メクセペル・ビアズリー・シュマイサー・フックス、

等々、他にも数え切れないほどの内外作家の作品が出てきた。

公開を乞うご期待。



4月7日

全国美術商連合会の理事会が開かれた。

全美連の長年の要請であった美術品の減価償却がようやく改正され、100万円までの償却が認められたことの報告とその経緯の説明が先ずなされた。
長い間この件でご苦労をいただいた担当役員には改めて敬意を表したい。
私からはアジアパシフィック画廊協会会議・香港の報告をさせていただいた。
更なる連携を深め、アジア・パシフィックアートの欧米への発信と作家支援をしていくという決議について説明をした。

事務局からの報告としてはようやくホームページが開設され、その内容の説明がなされた。
全国美術商連合会で検索していただくと、その活動内容等がわかるので興味のある方はアクセスしていただきたい。
私からは是非英語版も作っていたくようお願いをさせていただいた。

次年度計画としては秋より実施されるマイナンバー制度についての業界の対応を検討していくことになった。
この制度の概要については、先にこの制度の政策立案を担当した内閣審議官の方からレクチャーを私ども受けている。

顧問弁護士より、全美連の社団法人化についての説明があり、今後連合会の組織の透明性と社会的信用の向上のためにも社団法人化への取り組みを図ることになった。

新たに現代美術団体の代表と古書籍団体の代表が理事に就任し、美術業界のいっそうの連携と会員増強に努めていただくことになった。

このように美術業界にとって有益となるための活動と文化貢献を全美連が手弁当で推進していることを、この団体に加盟していない美術業関係者にご理解いただき、一人でも多くの方の加盟をお願いしたい。

4月6日

軽井沢ニューアートミュージアムにて明後日から5月6日までのゴールデンウィークを挟んだ期間に山本麻友香個展が開催される。

プレスリリースより

夢幻の中にただようように生きられたらという願いと、目を背けたくなるような現実の残酷さと向き合わなければいけない、現代を生きる人間の覚悟。
相反する現実と非現実の世界が混ざり合い、誘い込むように鑑賞者の足を止める。
作品の中の子供は、焦点を合わせようとすると輪郭がぼやけ、まるで見られることを拒むように感じられる一方で、意識を反らそうとすれば、じっとこちらに向けて強い存在を主張してみせる。
山本麻友香の作品は、その不安定さを否定も肯定もせず、こちらを困惑させ、ゆらゆらと鑑賞者の感情を揺さぶるのである。

初期の銅版画による線や形への探求から、ロンドン留学、出産を経て、現在の制作に至るまで。
モチーフの可愛らしさの裏に潜む、危うさをはらんだ違和感は、彼女自身が体験した人生そのものかもしれない。

2015年3月にリニューアル工事を経て、新たに生まれたギャラリースペースにて、2008年から2015年までの作品群を一挙に公開する。

遠方ではありますが、軽井沢の春のすがすがしい季節の中での美術鑑賞も一興で、お時間のある方は是非ご高覧のほどを。



4月4日

朝早くから処分品の残りを取りに再々度訪問。

今日は私を含め3人で行って、午前中には終わらせるつもりが、どっこいそうは行かない。
版画のシート類が束になって出てきたのと、立体の重いのが奥のほうに固まっていて、これらを合わせるとトータルで600点は遥かに超える数で、結局今日も終わらず、来週早々にもう一度行く羽目になった。
その殆どが70年代の幻想系の作家達の作品で、これだけ揃えば何回かに分けて展覧会が出来る。
オークションもこのコレクションだけで行うことが出来るくらいの数である。

これだけの数を倉庫で保管しながら、データを作らなくてはならず、その作業がまた大変である。
倉庫は、幸いにも数日前に新たに地下にもう一つ倉庫を作ることが出来たので何とかなったが、作家名でわからないものも多く、これを一点一点調べると思うとぞっとしてしまう。
中には作品数の少ない藤野一友や中村宏の初期版画、ブンダーリッヒの写真、池田満寿夫の豆本といった珍品も出てきたので、高額のものはなくてもマニアには垂涎の作品が出てくるかも知れず、労をいとわずやるしかない。

但し、喉はガンガンでほとんど声が出なくなっている。
マスクはしているのだが、微細な埃が喉に詰まっているようで、来週最後の引取りまで体が持つか心配である。

4月3日

先日一人で持ってこれなかった処分品を引き取りに行って来た。

引越し前のぐちゃぐちゃになっている家の中、それも猫が多い時は30匹はいたという家からの運び出しだっただけに、どうやら埃やカビ多分ダニも加わって体調がおかしくなってしまった。
長いこと風邪を引かないと威張っていたが、そんな状態で孫達とスキーに行ったものだから、久しぶりに風邪状態で喉の痛みが続いている。

この前に懲りて、今回はスタッフ一人とアルバイト三人を連れて行くことにした。
昼過ぎから始めて夕方の5時になろうというのに、まだたくさんの作品が残っていて、寒くもなってきたので今回もこれで打ち止め。
今のところ、めぼしいものは何もなく、徒労のような気がしてならない。

5人がかりで運び出しても終わらないとは、確か小品が50点くらいと聞いてていたが、とんでもない量である。
引越しも間近に迫り、仕方ないので明日土曜日にもう一度引き取りに行くことにしたが、風邪をこじらせないか心配である。

4月2日

屋形船からの花見、風情があって堪能させてもらった。 小雨が降る中ではあったが、屋形船からは窓越しに隅田川沿いに桜並木が続くさまはそれは美しく、日本人ならではの桜の愛で方なのだろう。
それでも一緒に連れて行ったシドニーの孫達もその美しさには見惚れたようで、特に桜越しに見えるスカイツリーには興奮気味であった。

ヨット部の2年先輩達の古希のお祝いを兼ねた花見会で、この代の絆は各代の中でもひときわ強く、事ある毎に集まっていて、私達の代も仲が良いほうだが、ここまで深い友情で繋がっている代はなく、羨ましい限りである。
今週末には私は所用でいけないが、我が代の亡くなったキャプテンの恒例の墓参り、5月には先輩達とのゴルフコンペと後輩達のゴルフコンペと二つあり、ここでもそれぞれに旧交を温めることになるが、大学時代に同じ釜の飯を食べた仲間との仲は格別で、いい青春を過ごさせてもらったことをありがたく思っている。



4月1日

早いものでもう4月。
桜も満開、春爛漫の一年で一番いい季節である。
今宵は屋形船で隅田川の花見と洒落込むことになっている。
大学のヨット部の先輩達の古希のお祝いを兼ねた花見会で、シドニーの孫達も丁度いい機会なので連れて行くことにしている。

昨日はカナダからテレビクルーが画廊にやってきて、てんやわんや。
カナダの"eureka!"TVが森口裕二のインタビュー取材のために日本にやってきた。

「エロス」をテーマに世界のアーティスト達を取材し、ドキュメンタリーシリーズとして放映されるそうである。
急遽GTUに森口作品を並べて、テレビカメラが廻る中をフランス語によるインタビューとなった。
フランス人の通訳が付いてくれていて事なきを得たが、こうして大掛かりに日本まで訪ねて来ての制作で、どのような番組になるのか楽しみである。

森口は来年に大作による個展をうちで予定している。
写真の月と太陽の対の大作は上海の個人美術館に収蔵が決まっているが、この作品も上海に行く前に展示ができるといいのだが。
もう一点は高畠華宵のオマージュ展に出品されたもので、現在近くのスパンアートでその展覧会が開かれている。



折りしも、美術雑誌「アートコレクター」も次号でエロス特集を組むそうで、来月個展予定のフォトアーティスト王建楊も紹介される。
王建揚もヌードを主体にした写真だが、台湾ポップといったいいだろうか、解放されたエロスを表現していて、見ていて浮き浮きさせてくれる作品である。
こちらも乞うご期待。





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