ギャラリー日記

ご感想はこちらまで


6月30日

お世話になっている韓国の大手菓子メーカー「クラウン」のユン会長が突然やってきて、今日の6時から紀尾井ホールで始まる民族楽団の演奏会に招待するという。
韓国はどうも突然が多い。

会長がスポンサーになって韓国伝統芸能の人間国宝といわれる人たちを多数引き連れ、今回日本で公演をすることになり、是非来て欲しいと忙しい中をわざわざ画廊に立ち寄ってくれた。
「韓国の風流」と題し、宮中で奏じられる15人の器楽合奏、「サルプリ」という伝統舞踊、一人の歌い手と太鼓奏者の掛け合いによる「パンソリ」という音楽と語り、最後に人間国宝の歌い手による古い民謡、といった構成で、韓国の伝統芸能を堪能することができた。

ユン会長は音楽だけでなく、美術家育成にも大きな貢献をしていて、特に彫刻家の支援に力を入れ、所有する山の中に音楽家の練習スタジオと彫刻家のためのアトリエを提供し、山全体を彫刻公園にする夢を持っている素晴らしい方である。
大阪の橋下市長が文楽への補助金を打ち切る報道がされている中、韓国の一企業人がこうして伝統芸能の保存と育成や若い美術家への制作の場の提供といった意義深い仕事をしていることを思うと、日本の為政者は果たしてこれでいいのかと暗澹たる気持ちにさせられる。

尚、この日の入場料収入は全て東北の被災地に贈られることになっている。

6月29日

20年前、突然の事故で亡くなった彫刻家・森亮太氏の奥様が久し振りに画廊に来られ、うれしいお知らせをいただいた。
来年、彼の遺作展が館林市にある群馬県立美術館分館にて開催されることが決まったそうだ。

思えば20年前、赤城山に新しいアトリエが完成し、アトリエ開きを前日に控えたその日、その準備でいったん東京に帰る途中に、家族を乗せた車が高速道路で横転し、帰らぬ人となってしまった。
享年41歳であった。
幸い同乗のご家族は大怪我はされたが、命はとり止め、現在は元気に過ごされている。

その後、友人達の尽力で、立派な画集「風の扉・森亮太作品集」が刊行され、私共で遺作展も開催させていただき、川越市美術館でも一部が展示されることはあったが、20年の歳月が経ち、私たちの脳裏からもその思い出は消え去りつつあった。
そうした中で、今回新たな光が与えられ、彼の作品が今一度日の目を見ることは何にも変えがたい喜びである。

恐らく、その時の画集が学芸員の目にとまり、今回の展覧会に結びついたのではと推察する。
作品は散逸していてもこうして画集があることで、いつか人の眼のとまることを、改めて教えられた。
志半ば無念の思いで旅立ってしまった森氏も、一同に揃った作品を改めて天から眺め、無上の喜びに浸ってくれることだろう。



                        アークヒルズ・アーク森ビル・ロビー設置作品

6月28日

突然、8月30日から開かれる韓国・慶州のアートフェアーへの参加を要請された。

釜山もそうだが、韓国各地でアートフェアーが開催され、9月早々にはもうひとつ光州ビエンナーレに合わせて光州アートフェアーが開かれる。
こちらは昨年も参加していて、というよりギャラリー椿の名前だけを出して、現地の方に会期中は詰めていただいた。
今年はお任せばかりでは申し訳ないので、私たちが行かなくてはと思っていたところに、慶州のフェアーの話が飛び込んできた。
こちらは日本の画廊を特別招待するので、5軒の画廊に来てもらえないだろうかとのことである。
私が初めてソウルのフェアーに参加したときに大変お世話になった朝鮮画廊の社長がこのフェアーの代表を務めている事もあり、お断りをするわけにはいかない。
ブース代とホテル代を主催者側が持ってくれるという大変有難いお話なので、近所で親しくしている画廊さんに声をかけさせていただき、5軒の画廊がほぼ参加の意向を示してくれた。

ただ問題は私のところで、慶州が終了した翌日が光州の展示日となり、片づけが終わったらすぐに光州に駆けつけなくてはいけない。
更には、慶州の直前まで画廊では8月恒例のオークションを予定していて、その準備と終わってからの開札、受け渡し、発送などで猫の手も借りたいくらいの忙しさとなる。
もうひとつ、慶州が終わった直後に私共での企画展も始まる。
そんなわけで、スタッフに行ってもらう訳にもいかず、私と家内の二人で韓国の強行日程をこなすしかない。

同じようなことが11月にも控えていて、こちらは私共の企画と台北とテグのフェアーが一日間隔で続き、この調整もしなくてはならず、零細企業の人手不足を嘆くしかない。

6月25日

柳画廊・野呂洋子さんのブログを引用させていただく。
私も最近の海外のフェアーに行くたびに痛切に感じていることなので。

息切れクールジャパン 2012年6月23日 〜ニューズウィークより 6月13日号のニューズウイークで、こんなタイトルの記事を読みました。
息切れクールジャパン、、、、すごいタイトルですよね。

事の起こりは今年の1月に現代アーティストの村上隆さんが '私は一切クールジャパンとは関係がありません。
クールジャパンに関する取材は一切受けません。という宣言をツイッターでされたことから始まりました。
世界のアート動向に最も敏感とされる村上さんが、このような宣言をされたのですからそれはそれは大変なことだと思います。
経済産業省のクリエイティブ産業課では激震が走ったのではないかと推測しています。

どういうことかというと、クールジャパンという言葉自体に違和感があるということ。
さらには、日本のお役所が推薦している'クールなコンテンツ'は既にガラパゴス化してしまっていて海外の人から見ると魅力的なものでは全くないという指摘です。
このことは国際観光という視点をとっても同じ議論がされていて、日本人が勝手に外国人が好むだろうと思われる内容はかなりずれているということです。
つまり、外国人には興味のないものが税金を使って海外に紹介されているということです。
どうやら、事業仕分けでも厳しく抜本的改善という指摘を受けたと伺っています。

それでは、何もしないでいいのだろうかというと、全く違うと思います。
「息切れクールジャパン」の記事を書いた方ですら結びには、日本の未来を考えたときに、製造業ではないソフトパワーを軸とした経済発展をすることが十分可能であると書いています。
しかも、海外の目は「日本の未来はソフトパワーにかかっている」とすら 評価をしているという記事に、私は大きな力をもらいました。

問題なのは 「ソフトパワーの目利き」が官僚の方や、お偉い方々にいないということです。
真っ先にあげられる村上隆さんが、クールジャパンと決別宣言をしたことからわかるように、この世界で結果を出してきている人は自分のことで必死であって周りを引き上げる余裕もなければ、今までに日本のお上や、日本の画廊ですら助けてもらった覚えはないというスタンスです。
しかし、自分のフォロワーは作っていこうと、Geisaiというイベントを通じて多くのカイカイキキの作家を育成されたことは、素晴らしい社会貢献だと私は思っています。
これから日本をリードしていく人材は、今までのエリート教育の延長線上から生まれることは難しく、もしかすると途中でドロップアウトした人材から生まれてくるのかもしれません。

文責 野呂洋子

6月24日

アートコレクター7月号はザ・ヌードと題した裸婦画の特集だが、裸婦コレクターで知られるK氏がヌードコレクターとして紹介されている。

前にも日記で触れたことがあるが、裸婦をコレクションの中心に置くこだわりコレクターの一人である。
私共とも30年余のお付き合いだが、版画や写真も含め裸婦作品だけで700点以上あるというから凄い。
コレクション作品ではつい先だって購入していただいた門倉直子や岩渕華林の作品が大きく紹介されている。
この取材が開催前に展示されていた真条彩華の作品に囲まれての中であったが、このとき既に真条の裸婦の大作など2点を予約していただいていた。

氏によると、加山又造の裸婦版画を買ったのがきっかけで、裸婦の作品を集めるようになったそうだが、裸婦以外にも多くの作品をコレクションされている。
そうした作品の中に、小野隆生の代表作で3.5メーター×2メーターの大作「家族肖像の図」という作品があるが、これは私も当時の個展で見たことがあり、その時の感動はいまだに忘れられない。
この作品は大き過ぎてキャンバスを丸めたままになっていて、購入以降一度も日の目を見ていないので、是非私のところで展示をさせて欲しいとお願いをしている。
以前のギャラリーでコレクション展をお願いしたこともあったが、その後の移転騒ぎで立ち消えになってしまったことがあった。
他にも倉庫に入ったままの大作を多数所有されているだけに、虫干しも兼ねて、改めてコレクション展を企画し、皆様にも見ていただける機会があればと思っている。

6月23日

四国のコレクター横瀬好孝氏からこんなお知らせがあった。
それぞれのコレクションには歴史があり、それにまつわる逸話がある。
そんな視点のコレクション展、丸亀の「あーとらんど」という画廊で開催ということで、見に行くには遠すぎるが、もしそちら方面へお出ましの方は覗いてみたらいかがだろうか。

美術コレクター「面白」作品展覧会

「遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん」

元来 美術コレクションは 「遊び」の系であると考えられます。
“楽しく遊ぶ”を テーマに コレクションのうち
* 経緯が面白い作品
* 入手に苦労した作品
* 作家の人柄に惚れて入手した作品
* 作品への思い入れが深い作品
など 偏見的な愛蔵の作品を出品して 作品の影の部分を 披露し合う展覧会を旨として
作品そのものの美術的評価は問わないものとします。
あまり 人目に触れる機会の無い作品に 日の目を見せてやれればと思います。

展覧会実施要領
1)期間  2012年 8月5日(日)〜12日(日) 午前10時〜午後6時 
(8月7日(火)・8日(水)はお休みです)

6月22日

高校のゴルフコンペが雨で中止になった。
梅雨時に私をゴルフに誘うのが間違いの元。
案の定、雨は私のせいにされてしまった。

そんなわけで時間が空いてしまい、朝早くから六本木の美術館と森美術館に出かけたが、お目当ての具体美術展もエジプト展もまだ始まっておらず、相変わらずの早とちり。
おまけに持ってきた招待券が同じ国立美術館でも大阪の国立国際美術館のものだった。
ポスター・チラシ等の掲示、配置のお願いでもらった券で、展覧会名も出ていない、ただ有効期限が6月24日と記してあるだけのものだったので、これは急いでいかなくてはと思ってしまった。
ただの券はきっちり使わなくてはとの貧乏性も災いした。

雨力と浅ましさは衰えなくとも、ボケの進行だけは誕生日を過ぎて一段と進んだようだ。

6月21日

今日は夏至の日であり、私の誕生日でもある。
年寄りは1日が長く、1年がとても早いそうで、まさしく今日は長〜い日長一日、66歳の歳月を改めて噛み締めてみたい。

フェースブックからたくさんのお祝いメッセージをいただいた。
フェースブックを通じて、日ごろお目にかかれない方たちとの交流も深まり、新たな元気をいただいているが、オギャーと誕生以来こんなにたくさんのお祝いをいただいたことがなく、ひたすら感謝感激で、更なる元気の糧としたい。

私共の仕事はどうしても人目に触れることが少なく、どうやって告知したらいいか悩みの種であった。
美術雑誌の広告もどうしても内々になりがちで、それほど効果がなく、偶然の出会いに期待するだけの何とも前近代的な仕事であったが、インターネットの創出と共に、ようやく不特定に対する発信の場を得ることが出来た。
こうして毎日のように老骨に鞭打ち、ブログを書いたり、ツイッターやフェースブックを使って情報発信しているが、これも続けることに意味があると思っている。

発信力の大切さを、今日のお祝いメッセージからもうかがい知ることが出来、いい年をしてと言わずに、私のコメントをご覧いただければ幸いである。

6月20日

ここ暫らくは台風予報で東京直撃などの予報が出ても、外れることが多く、たかをくくっていたが、いやはやとんでもない雨と風だった。

今朝は大腸の検査を申し込みに渋谷にある東京女子医大成人医学センターに行ってきた。
以前にポリープを内視鏡で取ってもらったことがあり、幸い良性だったが、年数も経ったので念のための検査である。
1ヶ月後に内視鏡検査に決まったが、辛いのは2リッターの整腸液を飲むのと、その後のトイレである。
何度もトイレに行って、そろそろお腹がきれいになったなと思う頃に看護婦さんにトイレで確認してもらうのだが、これが恥ずかしい。
我々みたいな年寄りのまで見なくてはならないのだから、看護婦さんの仕事も大変だ。

帰りにすぐ横のヒカリエに行って、小山登美雄ギャラリーに寄ってきた。
川島秀明などの絵が並んでいたが、作風は前の絵のほうが個性的で怪しげな魅力があったが、今風のかわいい系に変わっていて魅力半減。

昼を食べようと下のレストラン街に行くと、どの店も長蛇の列で、それが全て女性なのには驚いた。
どの店もランチとしては決して安くないのだが、旦那さんたちはきっと吉野家か立ち食い蕎麦を食べているに違いない。
美術館もそうだし、韓国に行ってもそうだし、どこも女性パワーに溢れていて、男性の影が益々薄くなってくる。



6月19日

台風が接近。
台風というと8月とか9月のような気がしていたが、今年はやけに早い。
梅雨前線と台風だときっと大雨になるのだろう。

後2日で誕生日なのだが、いつもの如くこの時期になると体がだるくなる。
低血圧のせいもあって、梅雨時のじめじめした日が続くと、歩いていても道にしゃがみたくなる。
梅雨に入ったばかりなのだが、梅雨明けが待ち遠しい。

昨日もそんな身体に鞭打って、知人の紹介で老舗の料理店の美術品の査定にうかがった。
しもた家風のフランス料理店で、一日一組のお客様しか取らないというこだわりのお店である。
先代から引き継いだ美術品なのだが、どのくらいの評価があるのか知っておきたいとのこと。
何でも鑑定団みたいな仕事だが、古いものが多く今一度専門の業者を連れて行くことになった。
それとは別に一組だけのお客になって、ここの料理を味わってみたいものだ。

6月18日

野菜の収穫に河口湖の畑に行ってきた。
レタス、サンチュ、サラダ菜、赤カブ、水菜どれも今年の出来は最高で、車に乗り切れないほどたくさんの野菜がとれた。
味も良く、特にレタスと赤カブが甘くてしゃきしゃきしていて美味しい。
家内は土のついた赤カブを丸かじり、新鮮な野菜は土まで美味しいみたいだ。
穫ってきた野菜で昼と夜は馬並みの食事となった。
夏までにとうもろこし、ジャガイモ、キャベツ、トマト、きゅうりをはじめ、数え切れないくらいの種類の野菜が収穫を迎える。
しばらくは日曜日は畑通いが続きそうである。



6月17日

先般、お茶の工場を案内していただいたI氏が社長職を息子さんに譲り、7月から屋久島でのお茶の有機栽培に専念するため40年在籍したロータリークラブを退会することになった。
何もしていないのだが、私たちに長い間お世話になったお礼ということで、ご自宅に仲間数人と食事に呼ばれた。
有名なシェフが直接自宅で調理してくれるという贅沢な食事会で、下戸の私でも思わず手が出そうな秘蔵のお酒やワイン、ブランデーも振舞われ、贅沢なひと時を過ごさせてもらった。
本業のお茶も白茶という年に50キログラムしかできないという貴重なお茶をいただいた。
佐賀県八女の星野村というところで取れるお茶だそうで、800メートルの高い場所のほんの僅かのところに茶畑があり、霧が多いこともあって良質のお茶ができるそうだ。
その最初の葉は白い葉のため白茶というそうだが、その葉を摘んでしばらく寝かせるのだが、われわれ平民が滅多に飲めるお茶ではない。
お土産には更に貴重な年間5キログラムしか生産しない陛下への献上茶をお土産にいただいて、白茶と飲み比べてみたらと言われたが、恐れ多くて封も開けられない。
私も35年在籍し、多くのことを教わった大先輩だけに、辞めて遠くに行ってしまうのは寂しいが、東京に戻った時に呼ばれた仲間で交互に美味しいところに招待をするということで、その再会を楽しみにすることになった。
遠い島での生活だけに、くれぐれも健康だけには気をつけてもらいたい。

6月16日

今日から真条彩華の個展が始まる。
といっても、既に2週間前に展示を終えていて、大作を含め数点が売約となり、安心して初日が迎えられる。
彼女は女子美術大学の日本画科を卒業し、私が携わった一昨年の朝日新聞厚生文化事業団主催の「NEXT・ART」展の審査で眼にとまり、今回の個展に結びついた。
日本画家の個展はだいぶ以前に河嶋淳司の個展をやって以来だろうか。
彼も今や売れっ子作家となって、私のところとは縁がなくなってしまったが、同じように彼女の将来にも期待するものがある。
絹本に岩絵の具、紙本に墨と二つの表現で、今回の発表となった。
どちらも伝統的な手法による現代的な表現を試みており、女性の美しさと妖艶さの二面性を織り込んだ独自の世界を展開している。

同時にGTUにて予定をしていた六本木百合香の個展は来年春に延期となった。
こちらも同じように「NEXT・ART」展の審査で眼にとまった作家で、東京藝術大学のデザイン科に在籍中で、今回卒業制作と重なり、本人の希望で延期をさせてもらった。
細かいタッチで、女性のエロスを描き出している作家だけに、真条との競演を楽しみにしていたが、学業優先でこればかりは致し方ない。



6月12日

成田に到着。
肌寒いのにはびっくり。

釜山は一日を除いてカラッとしたいい天気が続き、風景良し食事良しで、遊びで来てたらこんないいところはない。

仕事はこんな風に快適とはいかず、結局は日本の画廊だけでなくソウルのコンテンポラリー系の画廊も全滅。
私のところも小さい作品が数点だけ売れただけで当初の思惑通りには行かなかった。
たまたま釜山の画廊に預けた作品が売れたのでなんとか帳尻はあったが、それにしてもこれだけ売れないフェアーも珍しい。
人はよくぞこれだけ入ったと思うほど多くの人が詰めかけたが、コレクターらしき人をほとんど見かけず、釜山のアートマーケットはまだ発展途上のようだ。
地元釜山の画廊でも売れているところは花や風景を描いた古いタイプの絵が多く、ソウルやテグに比べても新しいアートの浸透はまだまだのようである。
フェアーの方は今ひとつだったが、相変わらずの熱いホスピタリティーには頭が下がる。
今回は残念ながら購入はしていただけなかったが、お二人のコレクターの方からも食事をご馳走になったりお土産をいただいたりした。
また画廊の方達からもご馳走の誘いがいくつもあり、股さき状態でお断りするのに四苦八苦だった。
これだけもてなしてくれると、仕事は今ひとつでもまた行かないわけにはいかない。
更に韓国の画廊の女性たちがみんなハイセンスな美しい方ばかりで、その女性達がまた必ず韓国に来て下さいねと言われると鼻の下がグイーと伸びて、これまた行かないわけにはいかない。

そんなわけで今回にめげず、また韓国に再チャレンジをしなくては。



6月9日

アートフェアーの盛り上がりは今ひとつ。
人は多いのだがコレクターらしき人をほとんど見かけない。
発展する釜山に期待して日本の画廊もたくさん参加していただけに落胆も大きい。
地元釜山の画廊もあきらめ顔だ。
日本の画廊もこうなると美味しいものを食べるのだけが楽しみと刺身、サムゲタン、焼き肉、フグ鍋、アワビ粥と食べ尽くしに関心がうつってしまっている。
昨日ご馳走になった五つ星の焼き肉レストランを皆さんには勧めておいた。
瓦屋根の大きなお屋敷風の店構えで昨日も予約したにも関わらず30分も待たせられただけに地元でも人気のお店なのだろう。
今日もどうかと誘われたが、連日は年寄りにはきつく、あっさりめで済まそうと思っている。
こんな風に食べ物のことしか書くことがない。

6月7日

今日は朝から爽やかな天気で海からの風が心地よい。
2時からフェアーが始まったが思ったほどに来る人が少なく拍子抜け。
ホテルフェアーの方はもっと人が少なく相乗効果とはいかないようだ。
それに引き換え夜のエキジビター・ビップパーティーは大賑わい。
是非明日からのフェアーにこの賑わいが繋がってくれるといいのだが。



6月6日

釜山は一足早く夏の情景。
ホテルの前のビーチでは海水浴客がたくさん来ていて、泳いでいる人達もいる。
あまりにリゾート過ぎて展覧会に来ている感じがしない。

フェアー会場はホテルからバスで10分ほどの釜山の新市街にあるBEXCOという巨大なコンベンションホール。
すぐ横には市立美術館やデパート、ホテルがある。
そのホテルでは同時にホテルアートフェアーが開催される。

フェアー会場もびっくりするような広さで各画廊のブースも日本では考えられないくらいに広く、私のところは64平米もある。
その広さにあわせて作品をたくさん持ってきすぎて、展示は他のブースのすっきりさに比べて雑然としたきらいがあるが、まあ良しとしよう。
展示を終えて日本の画廊さんや作家達20人を引き連れてビーチの先の漁港の前にある海鮮料理店へ。
食べきれないくらいの刺身や焼き魚、天ぷらなどなど次から次へと出てくる。
食べて飲んで12時まで和気あいあいで大いに盛り上がった。
画廊さん達は海外フェアーの常連の人達ばかりでいつの間にか連帯感が生まれ、こうして賑やかに食事をするのが恒例となった。
明日からのフェアーでみんながそれぞれに成果をあげてくれることを願う。



6月4日

また訃報が。
瓜南直子さんが亡くなられた。
突然の知らせに驚いている。
だいぶ昔になるが、泰明小学校の近くにあった地下の画廊で個展を拝見したことがあり、中国の寓話のような世界がとても印象的で、2度ほどグループ展に出品をしてもらったことがあった。
その後、彼女は多くの画廊から声がかかり、私共で発表する機会がなくなったが、ずっと気になっていた作家の一人であった。
まだ若く、これから描きたいものもたくさんあっただろうに、ご本人が何より無念に思っていることだろう。
ご冥福をお祈りすると共に、作られた作品が永遠であることを願う。

6月2日 A

来週火曜日からは7日から始まる釜山のアートフェアー「アートショー釜山」に出かける。
発展著しい釜山で新たに始まったフェアーで、韓国35画廊、海外35画廊に絞込み、コンパクトなフェアーを目指している。
新たなマーケットを開拓すべく、日本からも15画廊が参加する。

来月はジャカルタのアートフェアー「アートバザール」が開催されるが、昨年お世話になったエドウィンギャラリーがジャパンブースを設けて、私のところと他にミズマ、東京、ワダ、オギタメグミ、ヨシアキイノウエ、戸村、玉英からセレクションした作家を紹介してくれることになっている。
更に8月に朝鮮日報主催の韓国の美学生を主体にした展覧会「ASYAAF」が予定されていて、アジアブースに出品する若手作家の推薦を依頼されていて、今年は5人の作家を紹介することになっていて、その準備に追われている。

そんなことでばたばたしていて、本来は9日から始まる予定であった「真条彩華展」を16日に延期し、海外が一段落してから開催することにした。
ただ、作品は既に完成していて、今日搬入をされてきたので、展示は月曜日までに済ませてしまおうと思っている。
もし早くに見たい方は来週早々には飾られているので、お越しをお待ちしている。



6月2日

もう一つ珍しい作品が手に入った。
及川正通のレコードジャケット原画である。

及川正通は寺山修司率いる演劇集団「天井桟敷」のポスターを担当し、雑誌「ぴあ」の表紙絵でも知られ、同じく「天井桟敷」の音楽担当であったミュージシャンJ・Aシーザーの唯一のオリジナルアルバム「国境巡礼歌」のジャケット原画がこの絵である。

及川は出版社勤務の後、横尾忠則と共同のスタジオを作り、天井桟敷を経て、平凡パンチ「ドキュメント劇場」で注目を浴び、1975年から「ぴあ」の表紙を長年描き、2007年には「同一雑誌の表紙制作者としての世界一長いキャリア」としてギネス世界記録に認定されている。

一方、シーザーは「天井桟敷」の音楽と演出を担当し、後に自ら「演劇実験室◎万有引力」を結成し、寺山の後継者となった。
寺山の映画の音楽も担当し、彼の音楽は「御詠歌ロック」と呼ばれた。

というわけで、寺山修司、唐十郎の「状況劇場」などと共に花開いた70年代のアングラ世代には垂涎の作品ではないだろうか。

因みにこの演劇集団から他に四谷シモン、合田佐和子、金子国義、横尾忠則、赤瀬川原平等の美術家、役者では根津甚八、小林薫、佐野史郎、渡辺いっけいなどの名優を輩出している。



6月1日

森町長子の作品が手に入った。
アンリー・ルッソーの影響も見られるが、少女の不気味さに独特の味わいがあり、魅力的な絵である。

以前にも2点ほど手に入ったが、その時は謎の作家で、略歴不詳のまま紹介させていただいたが、ありがたいことにすぐに売約となった。
その後に美術雑誌「芸術生活」に紹介されていることがわかり、その時の私の日記にも書かせていただいた。

昭和48年の美術雑誌「芸術生活」4月号の「現代の素朴絵画」とういう特集にアンリールッソー・アンドレボーシャン・カミーユボンボアなどと共に1ページで紹介をされていた。
1942年鎌倉に生まれ、1966年東京デザインカレッジに入り漫画家を目指したようだが、ルッソーの様にある日突然油彩画を描きはじめ、直ぐに注目を集めるようになったが、その後の消息は全くわかっていない。
描き出して2,3年で紹介のような完成度の高い絵を描いていたのだからその才能は秀でたものがあったのだろう。

というよな次第で、謎の作家で、健在なのかどうかもわからなかったが、偶々お見えになったコレクターのO氏が、他所の画廊の芳名帖に名前が記載してあったのを見たということだから、お元気にされているのだろう。

そのO氏が4年ほど前のご自分のブログに書かれていたのでこれも抜粋を紹介させていただく。

森町長子という人の「輪の植物」という油彩画、何年か前、某オークションでゲットした。
しかし、この画家、経歴がわからないのである。
検索すると、『ガロ』で何かの賞をとったり、「ビッグコミック賞」の準佳作に60〜70年代に選ばれているらしい。
漫画家なのか?

絵はおそろしくうまいのである。不気味で幻想的で、描写はすこぶる繊細。かなり力量のある画家だ。
絵は1979年のもので、個展でも開いたのかもしれないな。

昨日、大コレクター氏のお宅を訪問した時、屋根裏の倉庫に森町作品が5点あるのを発見して、びっくり。
「この人、どういう人なんでしょうか?」と思わず訊ねる。
「いやあ、わたしもよくわからないのですよ」とコレクター氏。
「生きているんでしょうか?」
「さあ」
コレクター氏、画廊経由で入手されたようだが、画家は謎のまま。

でも、コレクター氏の目にとまったということは、「私の目もけっこういいのだな」と少しだけ自信をつける。
私はもう1点、6号サイズの森町作品も持っているけれど、これもすごくうまい。

ネット書店で検索すると、森町長子の絵本が出ていた。それによると、1942年生まれ、今年で66歳ということは、たぶん健在であると思う。

以上のようなことを記されているが、僅かな時期だけ油彩画を描いた幻の作家である。



5月31日 A

もうひとつ訃報が。

映画監督・新藤兼人氏が亡くなられた。
「原爆の子」、「午後の遺言状」など良質な映画を製作したが、私も監督の映画に出演したことがあるといってもエキストラなのだが。
被爆した母親と息子の近親相姦がテーマで、結局は上映されないままお倉入りになってしまった映画である。

乙羽信子の母親と新人男優、その恋人にその後事故で亡くなった大地喜和子が出演していて、私はどういうわけか彼女の代役。
大学のヨット部の先輩が助監督を務めていた関係で話が来たのだが、この映画でヨットに乗ってラブシーンをする場面があり、その代役をもう一人の友人とやってもらえないかという話であった。

遠景では私たち二人が代役を勤め、私は大地喜和子の着ている赤いセーターを着込み、男優役の友人とひしっと抱き合うシーンで、アップは私がヨットの下にもぐりこんで仰向けで舵を握って操縦しながら、真上で大地喜和子と男優が濡れ場を繰り返すという若い盛りの私には何とも酷な仕事であった。
快晴の中でのシーンを撮るために何日も待ち続け、結局10日ほどをロケ隊の宿舎の民宿で過ごすことになり、映画製作の現場に立ち会うという貴重な体験をさせてもらった。
お金もない独立プロの映画だけに、華やかな面しか知らない私には驚きの連続で、きれいな女優さんたちと一緒にしらすに味噌汁だけといった食事を毎朝食べたりで、ヨット部の合宿の食事の方がまだましだとぶーぶー言っていた記憶がある。
監督は寡黙で近寄りがたく、我々チンピラ学生が話しかける雰囲気ではなかったが、今思うと大監督のそばに僅かでもいられたことは青春のいい思い出である。

訃報のニュースの中に、監督が残したメッセージが紹介されていたが、創作活動をしている人たちにも送ってあげたい言葉で、作品はいつまでも生き続けるのだと知っていただきたい。

「新藤は、このような映画を作ってきたんだと時々思い出してください。それを思い出していただければ、私は死んでも死なない。いつまでも生きて、思い出していただける。それを望みに死にたいと思います。」

織田先生は98歳、新藤監督は100歳の長寿を全うし、直前まで現役で活躍したことは大往生といっていいだろう。

お二人のご冥福をお祈りする。

5月31日

織田広喜先生が亡くなれた。

作品を扱うことは殆どなかったが、先生の贋物の件でお伺いしたことがあった。
だいぶ以前の話だが、私共に古い作品が持ち込まれ、どこか違うように見えて、先生に見てもらって間違いないと言われたら買いましょうということでお預かりをした。
先生のところに行くと間違いないということだったので、買い取ることにしたのだが、暫らくたって先生から電話があり、私の見立て違いでどうやら贋物のようなので大変申し訳ないことをしたとのことであった。
新作を描くので、それでお許しいただき、贋物は東京美術倶楽部の鑑定委員会に渡してもらえないだろうかと、大変恐縮された電話であった。
当時既に有名になっておられたが、ご丁寧にご自分の間違いを謝られ、こちらが恐縮をしたことを覚えている。
亡くなった直後にこんな話で不謹慎かもしれないが、先生の偉ぶらない素直なお人柄が偲ばれ、時効ということであえて紹介させていただいた。

先日の贋物の話ではないが、かくのごとく作家本人でさえ間違うことがあるのだから、真贋は難しい問題である。

5月29日

夜中の地震はドーンと突き上げるような感じで、久し振りに肝を冷やした。
震度3と震度4ではこれだけ違うんだ。

フェースブックでDaisuke Katouさんが岩渕華林展の紹介をしてくださった。

Nobuo Tanさんも「いいね」で応援を。

6月2日までギャラリー椿で開催されている、岩渕華林さんの個展です。

フェティッシュな見掛けの作品も少なからず並んでいますが、、抑えた色数で描くことで、そういった世界観の持つアク(おっさんが大好きなタイプの)を漂白し、それらが持つ美しさを際立たせていると思います。
何事も見掛けで判断せずに、その美しさの本質がどこにあるかを見据える、または角度を変える事でまったく違う世界が美術に限らずこの世界には広がっていることに気づかされたりもしました。
そこまで大仰に考えなくても良いのかもしれないですけど。
和紙にアクリルで描かれているのですが、少女の作品など、その和紙のテクスチャーがまるでその子の産毛に見えたりして、面白かったです。
元々は版画で表現を修められた作家なので、版画作品も出展されていましたが、よりフィジカルに思える(うまく言えないんだけど。。)ペイント作品に比べても引けを取らない秀作が並んでいました。

Nobuo Tan

?100回くらい「いいね!」を押そうと思ったのですが、100回だと取り消されるので99回にします。

5月28日

昨日は一年ぶりに再開した畑の野菜の収穫に出かけた。
ゴールデンウィークにたくさんの種類の種まきや苗を植えたが、早々に水菜、サラダほうれん草、赤チマ(サンチュの一種で赤い葉)、ラディッシュ、たまねぎが育っていて、その一部を採ってきて、早速朝のサラダにした。
自分で手塩にかけてといっても、殆どは農家の人が面倒を見てくれているのだが、それでも自分で植えた野菜が育ち、新鮮な野菜をすぐに食べることができるのだから、その味は格別である。
日曜日にしか行けず、それも毎週とはいかないので、食べごろをいつも採ってこれるわけではない。
美味しい頃合は虫や鳥もよく知っていて、すぐに食べられてしまう。
また、あっという間に大きくなって味が落ちてしまったり、枯れてしまい折角の野菜を台無しにしてしまうことも多い。
とうもろこし、じゃがいも、キャベツ、レタス、大根も一種類だけではなく、見たことも食べたこともないような種類のものもたくさん作っているので、どんなものが出来るか育つのが楽しみである。
月曜日に画廊に来ていただけると、もしかしておすそ分けがあるかも。
野菜で釣って、作品が売れれば言うこと無しだが。

5月26日 B

山本冬彦氏が柳画廊の野呂洋子さんの日記について書かれていた。

美術のジャンル分けについて、絵画を近代とか現代と分けるのではなく、見方・考え方はもっと自由であるべき、そうした垣根を取り払っていかなくてはいけないといった趣旨で野呂さんは日記に書いている。
私も同意見ではあるが、山本氏が言うように、美術商となるとそうはいかない。
古美術商がいて、日本画商がいて、洋画商、版画商があって、工芸専門の画廊もある。
更にはその中で若い作家中心であったり、物故作家、海外作家とそれぞれが得意とするところを扱うのが、今までの画廊だった。

ファッションや飲食店にもそれぞれの特色があり、それがデパートやスーパーと違う専門店の魅力でもある。
画商もそれぞれに特化してこそ、画廊としての存在価値があり、お客様もそこを目指して来ていただく事になる。
私のところは、初めから無名の作家を扱うことをその特色とし、私の好みがそうさせるのか、皆さんからは癒し系の画廊といわれるようになった。

価値観が多様化している現在では、以前と違ってそれぞれが独自の若手作家を扱うようになった反面、キャリアのある作家だとか、近代とか物故とか美術史には欠かせない分野を扱う画廊がめっきり少なくなってしまった。
若手が売りであった私のところも、殆どが若手を扱うことでその特色も色褪せてきた。

そういった意味では、ジャンル分けがなくなったことで、かえって特色のある画廊が少なくなってしまったともいえる。
流れに乗ることも必要だが、時代の中で淘汰されることなく、独自の道を愚直に歩む画廊がもう少しあってもいいのではないかと私は思うのだが。

山本冬彦氏 アート日記

お互いに引用了解を得ている柳画廊の野呂陽子さんの26日の日記を紹介します。
日本では何でも縦割りで、アートに関しても作家=生産者や画商=販売者にもその形がまだまだ残っていています。
しかし、鑑賞という意味ではアートファンはこんなジャンル分けや古今東西の作品かには関係なくいろんなものを自由に見ています。
但し、美術品の売買となると作家も画商も何でもやることは出来ず専門特化せざるを得ません。
美術館での美術品鑑賞とちがって、画廊で商品としての美術品の取り扱いの難しさがあります。

野呂洋子さんの日記

芸大で開催している高橋由一展と、ボストン美術館展を拝見させていただきました。

洋画商として感じたことは、いまだに明治維新の開国のときの縄張り争いを続けてやっているんだ、、、ということです。
どういう事かというと銀座柳画廊が応援している作家達はいわゆる日本の洋画というジャンルに分類されさらにフランス絵画を扱っているということです。
そういう意味においては高橋由一先生は教祖様です。
江戸から明治になって、日本に初めて油絵が入ってきて、日本人として最初の洋画家として名を馳せたのが高橋由一です。
その、高橋由一の感動、思い、そして日本に洋画を根付かせようとする努力を始め、ひしひしと芸大の展覧会から伝わるものがありました。

その後、拝見したボストン美術館展は芸大との縁が深いフェノロッサの素晴らしいコレクションや岡倉天心によるボストン美術館への作品の紹介など感動的な作品を多く拝見することができました。
しかし、よくよく考えてみると当時の岡倉天心やフェノロッサは洋画の排斥運動をしており、日本画を中心とする日本の伝統的なものを残すべきで、日本人の洋画は邪道であるという考え方でした。
さらに付け加えると、現在にも残る新画という言葉は明治以降の日本画のことです。
これも、岡倉天心をはじめとする団体がつけた名前で、狩野派や琳派などの江戸期の作家達は純粋な日本画であるけれど、明治維新の後の日本画は新しい考え方による日本画なので新画という呼び方をされ、それを扱う画商も新画商と呼ばれており、その区分けは現代にも脈々と受け継がれています。
そして、今の時代には現代アートという言葉がありますが、この言葉も人によって解釈が違います。生きている作家が現代アートという人もあれば、コンセプチュアルな作品を制作するのが現代アートだという人もいます。

あえて私がいいたいのは、これらの区分けや、画商などによる区分けには全く意味がないと思っています。
美術研究家であれば、研究対象として難しくしたり、学問として捉えることもありかもしれませんが、美術愛好家として楽しんだり、購入したりするにあたっては、自分が好きで購入できる範囲のものであれば何でも良いと思っています。 高橋由一先生の作品を拝見して思うのは、この時から絵描きさんのジャンルによる区分けを厳しくし、それが今でも続いている浅はかさです。
私は一生の仕事として、この見えない垣根を壊していきたいと思っています。

5月26日 A

シンガポールは4年前のリーマンショックの直後のアートフェアーに参加したことがあるが、厳しい経済状況とあって、今とは違って閑散としたフェアーだったことが思い出される。
それとオープニング直前に激しい腹痛に襲われ、病院に担ぎ込まれたこともシンガポールの苦い思い出の一つである。

ラッフルズホスピタルという豪華な病院で、診察の結果、尿管結石ですぐに手術をするという。
手術といっても実際は内視鏡で石を取るだけなのだが、全身麻酔で気がついたら病室で寝ていた。
今まで経験したことのない痛さに、言われるままに受付、問診、診断、検査、入院手続き、個室、手術とそのたびにクレジットカードを切らされた。

翌日眼が覚めると、ホテルのような立派な部屋で、制服を着たボーイみたいなのがメニューを片手にやってきた。
朝食はどのパンにして、卵は何に、ジュースはどれにといった調子でホテル並みの食事である。
更には昼もイタリアンのコース料理、夜は夜でフランス料理のフルコースだ。
展覧会も始まることだし、そんな物食べてる暇もなく、早速に退院の手続きをしに会計に行ってびっくり仰天。
会計明細に日本円に直すと200万円の数字が書いてある。

保険もきかず、海外傷害保険にも入っていず、これはえらいことになったと昨夜の痛みがぶり返してくるようだ。
なるほど、豪華な設備とホテル並みのサービスをするはずである。
後で聞くと、ここはアジアの金持ちがわざわざやってくる病院で、私のようなものが本来入るところではないらしい。

カードを切ってしまった以上はじたばたしても仕方がなく、家に事の顛末を連絡した。
家内もびっくり仰天だが、さすが家内である。
もしかしてカードに保険が付いているかもしれないので調べると言う。
しばらくして電話がかかってきて、何とそのカードに限度額200万円の保険が付いているという。
神様は私を見捨てずにいてくれたようで、この時ほど神様と家内とカードの有難みを感じたことはない。

と長くなったが、ついてないようでついていた当時の思い出である。

5月26日 

大学時代のヨットの仲間達の集まりで、品川駅前にあるシンガポール料理店に行ってきた。
有名なラッフルズホテルを模した建物で、平日にもかかわらず広い室内が満席の大盛況であった。
仲間の一人が大手会社を退職後、一念発起して鍼灸学校に通い、めでたく国家試験を通ったお祝いの会で、当人が会社時代にシンガポールの社長を6年ほど勤めたことと、今回の幹事役もまたシンガポール勤務が長かったこともあって、ここに決めたようである。
65を過ぎて、鍼灸師として独り立ちして、これからの道を進むのは厳しいものがあるが、その志は良しとしなくてはならず、仲間と共に応援をしていかなくてはならない。
仲間もやれどこが痛い、入院した、手術したという話ばかりで、彼の世話になる機会が多くなるのは間違いない。

5月25日

以前の日記で鑑定に出した作品が贋物と断定されたが、どうにも納得がいかないと書いたことがあった。
その作家の有名になる前の初期作品で、画風も違っていて、 こうした贋作をわざわざ作るものだろうかという疑問が先ずあった。
所有者はご自分でも絵を描かれる方で、コレクションをしている著名な作家との付き合いも多く、贋物をつかまされるような方にはとても思えない。
その作家に詳しい画廊さんたちに見ていただくと、どう見ても贋物とは思えないと異口同音に言われ、同じ年代の作品資料などを持参してくださった方もいた。
その資料を見ると、モティーフとした果物やお皿も同じものが使われていたり(もちろんそれを真似することはできるが)、サインやキャンバスの仕様も同じである。
贋物とされた理由もサインとキャンバスが全く違っているとのことだったが、何の根拠があってそんな見解が出たのか不思議でしょうがなかった。

前置きが長くなったが、再鑑定の結果、結局は本物と認定された。
私が用意した資料を見せるまでもなく、絵を見せた途端にこれは間違いないと言われ、拍子抜けもいいとこ。
勘違いをされたのかどうかわからないが大騒ぎの末、一件落着。
私の眼に狂いがなかったこととお客様に失礼がなかったことが何よりであったが、鑑定に対してはもう少し慎重にやってもらわないと、鑑定への信頼が揺らいでしまう。

5月24日

美術雑誌「アートコレクター」が送られてきた。
今回は版画特集となっていて、私共でおなじみの小浦昇や来年個展予定で日記でも紹介させていただいた尾関立子、韓国・台湾等で紹介をしているキム・ソヒが大きく取り上げられ、コレクターでも親しくさせていただいているT氏,I氏、K氏等が紹介されていて、興味深く読ませていただいた。
版画への関心が薄まる中、敢えて版画だけで紹介させていただいた京都ホテルフェアーが好評だったこともあって、今回の特集と共に「版画ここにあり」をコレクターの方にも知っていただければと思っている。

5月23日 B

岩淵の絵で眼にとまったものがある。
昨日の日記でも紹介した作品なのだが、今一度紹介させていただく。

背中にリボンのようなものが飾られているが、髪のリボンでもなく、洋服の飾りにも見えない。
背中に張り付いたような飾りの不思議な絵で、他にも足首に交互に編んだ飾りをつけた作品がある。
彼女に聞いてみると、これは「コルセットピアス」と言うものだそうで、耳に穴を開けたり、唇や乳首、お臍などに穴を開けてピアスを付けるのと同様に、若者のファッションの一つなのだそうだ。

これも早速ネットで調べてみると、背中や胸に穴を開けてコルセットのように編み上げた飾りをつけた美女の写真が次々と紹介されている。
以前にフェアーで紹介させていただいたアニメに彩られた自動車をモティーフにした写真があったが、こうした車をイタシャと言うのもこのとき初めて知って驚いたが、それ以上の驚きである。

コルセットピアスは90年代後半のボディーピアス文化の確立?とともに入ってきた現代を象徴する文化だそうで、官能的な美しさのために作られたそうであるが全く知らなかった。
穴を開けたところにリングをいれ、それにリボンを通して編み上げ、あたかもコルセットをしているように見せるのだが、そうした写真がネットで紹介されているが痛々しくて見ていられない。
考えてみると、刺青などもそうで、こうしたものをひっくるめてボディーモディフィケーション(身体改造)と言うらしい。
以前はシャーマニズムや呪術などでみられたものが、今やファッション化し、身体改造世界大会や野外イベントが開かれていると言うから空いた口がふさがらない。
怖いもの見たさで、皆さんも一度コルセットピアスで検索してみたらいかがだろうか。



5月23日 A

開催中の岩淵の顔を見せない絵をみた人から、三十六歌仙絵巻の絵で小野小町だけが顔を描いていないという話を聞いた。

ウイキペディアで早速調べてみると次のように書かれていて、長くなるが紹介したい。

佐竹本三十六歌仙絵巻は鎌倉時代・13世紀に制作されたもので、もとは11世紀はじめ頃に藤原公任が万葉から平安中期にかけての歌人36名の秀歌を集めたものである。
その三十六歌仙の肖像画と代表歌、略歴を添えて巻物としたもので、上下巻18名からなる。
その中に絶世の美女といわれた小野小町も描かれているが、唯一顔が見えないように後ろ向きに描かれ、容姿については鑑賞者の想像に委ねる形になっていて、岩淵と同じ意図のように思える。

三十六歌仙は近世にいたるまで様々な形で絵画化されているが、最も古いものが佐竹本三十六歌仙絵巻である。
旧秋田藩主・佐竹公爵家に伝来したことから「佐竹本」と呼ばれるが、もともとは下鴨神社に伝来したものと言われている。

1917年に東京美術倶楽部でこの作品の売り立てが行われ、古美術商9名が合同で35万3千円で落札されたが、当時の1万円は現在の1億円に相当するという。
あまりに高額なため、業者1社では落札できなかったそうだ。

その後コレクターの手を経て、茶人・コレクターと知られる益田鈍翁に話が来たが、一人では買い取ることができず、彼の決断で歌仙一人毎に分割して譲渡することになり、くじ引きで希望者に譲渡することになった。
それからも次々に所有者が変わり数奇な運命を辿るが、1986年にサントリー美術館で開館25周年記念として20点が集められ出品された。

検索すると1919年当時の所有者と現在の所有者一覧が出ていて興味深い。

5月23日

開催中の門倉展の作品には先の日記で紹介したように手をモティーフに描いたものが多いが、自分の手を見て描いたそうだ。
多少誇張された手だが、小指が少し歪んだ彼女の手そのものである。
手の表現は難しく、不自然な手になることが多く、血の通った人の手ではなく、人形のような固い手をよく見かける。
清楚な美人画で知られた小磯良平のデッサン力は定評があるが、手を描くのには苦労したようだ。
小磯は同じようにデッサン力に優れた藤田嗣治を大変尊敬していて、支援者であった武田家から藤田の絵を購入してもらい参考にしていたという。
そんな小磯が一番感心していたのは、藤田の手の表現であったという。
小磯の無骨な手と比べて、藤田の手は女性の手のように細くしなやかだったそうで、そのせいもあって手を美しく描けたのではないかと羨ましがっていたという。
機会があれば、藤田と小磯の絵から二人の手を見比べてみたらどうだろうか。

5月22日

朝から雨が。
一日違いで金環日食は無事見ることができた。

昨日からはGTUにて岩淵華林の展覧会が始まった。
彼女は多摩美の版画を卒業しているが、今回は紙にアクリルと墨による作品の発表となった。
今回で三回目となるが、一段と完成度が高くなり、その表現も安心して見られるようになった。
こんなに技術が進歩するのかと思うくらいに上手くなっている。
色彩は白と黒を主体にしたモノトーンで、1,2点横顔がちらりと見えるものがあるが、殆どが後ろ姿と脚だけで若い女の子達を表現している。
顔を見せないことで、観る者にその人物のイマジネーションをより膨らませることができ、作品への関心も増す。
彼女のいま一つの特徴は、姿・形よりは髪の毛の細かな表現にある。
完成度が高くなり、上手くなったと思わせるのは、そうした髪の表現の巧みさにあるのかもしれない。
伊藤深水や上村松園の美人図の髪の毛には何とも言えない色気があるが、彼女の髪には若い女性の内面が織り込まれているようだ。
開催中のカラフルな門倉の手の表情を意識した少女と後ろ髪の少女を見比べていただくのも一興かもしれない。



5月21日

昨夜遅くに帰ってきたのだが、金環日食が気になって5時には起きだし、眠い眼をこすりながら外の天気の様子を伺う。
どうやら晴れているようで一安心。
まだ欠けてもいないのに、そわそわと私の家のマンションの屋上に様子を見に行く。
早くに日食用眼鏡も購入していて、それで見ると太陽がやけに小さく見える。
昔の日食観測は確か透明な下敷にろうそくのすすをつけたもので見ていたと思うが、今やそうした類のものは見当たらない。
7時近くになると雲が重たく垂れ込めてきて、雲のベール越しに欠けた太陽が微かに見え、果たしてきれいなリング状の太陽が見えるのか心配になってきた。
周りを見ると、道路やマンションの屋上からたくさんの人が空を見上げていて、私が生きている間には二度と見られないであろう天体ショーを今か今かと待ちわびている。
予定の時刻、何と奇跡的に雲間からきれいな輪になった太陽が見えるではないか。
多少淡い雲がかかっていることもあって、危険と言われていたにもかかわらず、肉眼でしっかりと見事な金環を見ることができた。

私は中学の時に学校に天文台があるというただそれだけの理由で天文気象部に入ったことがあるが、たいして顔も出さないうちにいつの間にか辞めてしまったことがある。
その頃に僅かだが培った天体への憧れが、この歳になってようやく芽生えてきたのだろうか。
意外と冷静な家族を尻目に、一人興奮をし、ひと時の天体ショーに酔いしれていた。
小さなデジカメで撮ってみると意外ときれいに撮れていたので写真も紹介する。
真ん中の写真はダイヤモンドの指輪のように見える。



5月20日 A

綿引展を見た後、綿引君と共にI氏のお茶工場に行くことになった。
I氏は天皇陛下のご学友でもあり、東宮侍従を務めたこともあるやんごとなきお方なのだが、長い間親しくお付き合いをさせていただいている。
殺風景な工場に綿引の茶柱をテーマにした作品が置かれていて、ライトアップで外からガラス越しに作品が見えるようになっていて、近所の子ども達も見学にやってくるという。
作品を見た後、社長室に案内され、お茶のテースティングを見せてもらった。
ようやく新茶の季節は終わったそうだが、各生産者から持ち込まれた新茶を毎日30種類ほどテースティングをするそうだが、よく舌が苦味で麻痺しないものである。
お茶の葉を取り、色を見、匂いを嗅ぎ、味を見るそうである。
3種類ほど味見をさせてもらったが、どれも色、香り、味が違っていて、お茶の奥の深さの一端を教えていただいた。
そのうちの一つに、味はそれほどでもないが、花粉症に絶大な効果のある「紅富貴」というお茶があった。
薬事法で効能は表示できないそうだが、2時間おきにこのお茶を飲むと花粉症には大変よく効くそうで、お悩みの方は是非試してみたらいかがだろうか。
お茶の味を引き出すには、お茶の葉をケチらずにたくさん急須に入れ、5,60度のお湯を注ぎ、最後の一滴までお茶碗に注いで飲むのが一番美味しいお茶を味わうことができるのだそうだ。
これも是非お試しあれ。
お茶を嗜んだ後は、料理屋で美味しいうなぎ料理をご馳走になり、帰路についた。

 


5月20日

昨日は浜松の画廊で始まった綿引明浩展を知人のI氏と一緒に見に行ってきた。
I氏はお茶屋さんをやっていて、浜松の隣りの掛川にお茶の工場があり、そこに綿引明浩のモニュメントを設置したこともあって、その再会も兼ねて出かけることになった。
浜松駅からは少し離れた浜松市美術館のそばにある画廊だが、本来は額縁が専門で、滅多に企画展はやらないそうだ。
偶々綿引のピッコロ版画というミニチュア版画を置いたことがきっかけで、これが人気となってピッコロクラブというものができ、そのメンバー達の要望もあって個展が開かれることになったそうだ。
私のところではいつも彼が作るシンプルな額か、ピッコロ版画などはシートで見せていたが、さすが額屋さんでみんな立派な額縁に入っていて、私のところで見るのとはまた違った味わいがある。
ここに来て驚いたのは、そのスペースがとてもユニークで、風が吹けば飛んでいきそうなあばら家の外観はそのままに、内部を改装して画廊にしていて、外から見ると画廊という発想は先ず浮かばない。
外の小さなスペースにはテラス風のスペースもあり、内部もアンティーク風になっていて、その中にたくさんの椅子が置いてあって、居心地の良さが感じられる。
そんなこともあるのだろう、ピッコロクラブの若い家族連れが次々にやってきて、作家と写真を撮ったり、サインをしたりで大忙しである。
小さいことからこつこつとの積み重ねと画廊の発想を変えることで、こうしたファンを獲得しているのだろう。
見せ方も含め大変勉強になり、わざわざ出かけた甲斐があった。





5月19日

夏の陽気になってきて、半袖でも暑いくらい。

昼食に出ると、以前煉瓦亭があったところに、吉祥寺で行列が出来る店として知られるメンチカツの「さとう」がテークアウトのお店を出していた。
以前にはこの店の隣りにステーキの「さとう」があり、値段が安いこともあって、よく食べに行っていたのだが、いつの間にか閉店してしまった。
この「さとう」がメンチカツで有名な吉祥寺の「さとう」と一緒だということは後で知ったが、しばらくぶりに元の場所に戻ってきたようだ。
元々この場所にあった洋食の煉瓦亭も、今は昭和通、更には高速道路を越えたところにある本店だけで営業していて、たまに時間があると足を延ばして食べに行っている。
よく2丁目にある煉瓦亭と間違われるが、昔にのれんわけをして同じ名前でやっていて、2丁目よりはだいぶ安く食べられるので、私はもっぱらこちら専門である。
ステーキの「さとう」も以前からあった築地の方では今でも営業しているそうなので、一度行ってみなくては。
私は中学、高校は吉祥寺の学校に通っていたが、今のお洒落な吉祥寺とは全く違っていて、駅の前にはハモニカ横丁という込み入った路地があり、小さな店がひしめき合っていた。
確かその頃には「さとう」はなかったと思うが、いつの頃からか人気のお店になったようだ。
懐かしさもあり、ビーフカレーにメンチカツをトッピングして持ち帰ることにした。
ライスも大盛りでヘビーな昼食となった。

5月18日

毎朝の散歩コースの代々木公園はみずみずしい緑の木々と咲き始めたバラの甘い香りが漂い、気分爽快、朝の眠気も吹き飛ぶ。

台湾でもフェアーの開始がお昼ということもあって、朝からホテルの周囲を散歩した。
仕事ではまず観光などすることもないが、今回は台北の官庁街から台北大学病院、蒋介石が祀ってある中正紀念堂、ここには宮殿のようなコンサートホール、劇場などもある。
国民党政府が台湾人を粛清した日を悼み、犠牲者を追悼する二二八和平公園があり、そこを抜けると戦前の日本総督府をそのまま使った台湾総統府が見えてくる。
翌朝は孫文が台北に来た時に宿泊した日本旅館をそのまま再現した国父史蹟館とその記念庭園「逸仙公園」から台北駅を回った。
わずかな日程だったが仕事の合間にこうした台北の歴史の一端を垣間見ることができ、夜は夜で台湾料理を満喫し、仕事だけでなく、プライベートタイムも充実した3日間となった。



5月17日 A

朝刊ではそこまで触れてなかったが、テアトル東京のビル自体が売却されてしまうらしい。
映画館や劇場はどうなるのだろうか。
この映画館で、子どもの頃にシネマスコープという今ではさして珍しくもないが、巨大な画面で臨場感溢れる映画をワクワクしながら見たものである。
すぐそばには、今は国立フィルムセンターとなっている国立近代美術館があり、少し歩けばブリジストン美術館があって、銀座とは一味違った高尚な文化の香りがしたエリアという印象が強く、縁あってこの地にギャラリーを持てたことをとても誇らしく思っていた。
そんな思いがあるだけに、何とか映画館と劇場だけでも残ってもらえないものだろうか。
周囲の建築中のビルも、その外観がほぼ見えてきて、その完成が待ち遠しいし、銀座側につばめグリルなどがあったところも、ようやく工事が始まり、新たなビルが出来ればこの一帯の様相は大きく変わるだろう。
それだけに、昔の香りだけでも残るようなところがあって欲しいのだが。

5月17日

朝刊に、はす向かいにあるホテル西洋銀座が来年で閉めるとの記事が出ていた。
バブル期にできたホテルで、宴会場を持たずに客室とレストランだけで運営を始め、一泊料金が最低でも一人7万円くらいだっただろうか、セレブ相手の高級ホテルとして知られた。
今年創業25周年を迎えたが、残念ながらその幕を閉じることになった。
丁度、シドニーから帰省していた長女が帰国する際に、ホテル西洋の料理が美味しいからと、そこでの食事をプレゼントされ、今月の25日が結婚記念日なので、家内と予約をしたばかりだった。
ここの料理とケーキは定評があり、このホテルから著名なシェフやソムリエ、パティシエを輩出しているだけに、グルメ通にはここがなくなるのはショックな出来事に違いない。
滅多にここで食べることはなく、今回が最後の晩餐になるかも知れず、よく噛み締め味わって食べなくてはならない。

5月14日

帰国早々、二つの会場の個展と日本版画商協同組合の総会があって、何となく慌しい。
門倉展は今回は小品を数多く出品した。
従来にも増して描き込みを多くしたり、手の表情を加えた作品が目立つ。
今風の少女達もより深い表現に変化し、作品に少し格調が出てきたように思える。

GT2は女子美大学院を卒業したばかりの中村萌の木彫展だが、大学では油彩を専攻し、木彫は独学とのこと。
木彫ということもあるのだろうが、今風の少女が堂々としていて、インパクトのある展覧会となった。
門倉作品も初日から売れているが、中村の作品も相乗効果か、展示のときから売れたようで、私もびっくりしたが本人ももっと驚いている。
まだまだこれからの作家だが、じっくりと成長していって欲しい。

今回のたいぺいホテルフェアーは多くの画廊が苦戦をしたようだが、私のところは日曜日に山本麻友香の小品が完売したのと、トラブルも何とか解決できたとの報告が来て、ほっと胸をなでおろしている。
今回のフェアーを参考に、秋の台北フェアーの成功に繋げていきたい。

5月13日

門倉直子展が土曜日から始まっているので最終日を待たずに帰国することに。
作品もそこそこに売れた反面、出国騒動以外にも人に言えないアクシデントもあったりで、「うれしさも中くらいなりおらが台湾」といったところだろうか。
夏のフェアーに比べ、暑さもほどほどで、毎日雨の予報も外れ、スコールはあったものの天気にも恵まれ、毎日おいしいものを食べて、良しとしなくてはいけない。
後1日、駆け込み需要に期待して帰ることにする。

5月12日

今日は人は多いが若い人ばかりで撮影会場化してしまい、写真撮りまくり状態。
そんな中、作品を1年近く預けたままになっていた上海の画廊さんが訪ねてきた。
メールをしても返事がなく心配していたが、本人は何事もなかったように請求書送ってくれればいいのにと言う。
早く言えといいたいがこれも文化の違いか。
今日も作品を一点予約をしてくれたが、お金が入るまでは半信半疑。

狭い部屋で1日立ちっばなしと人の多さに疲れ気味だが、楽しみは終わってからの食事。
毎晩台湾料理を満喫しているが、今夜は朝の散歩で目星をつけていた中央市場という庶民的な海鮮料理屋へ。
この界隈は台北駅に近い旧市街地で屋台風に開け放った大きなスペースに新鮮な魚を軒先に並べた店が多くあって、どの店も大繁盛。
注文は森君の台湾の友人に任せた。
臭いのきつい臭豆腐とアヒルの血の塊が入った鍋、蛙の唐揚げ、烏賊の口先の揚げ物、一風変わった牡蛎のフライ、豚の腸炒めなどなどあまり食べたこともないような料理が次々に出てくる。
恐る恐る箸をつけるがどれも美味。
お酒と食べきれないほどの料理だったが、勘定すると一人千円にもならない。
毎晩うまさと安さに驚かされるが、これこそ台湾料理。



5月11日

ヤングアートタイペイがいよいよスタート。
会場は市内の中心にあるシェラトンホテル。
日本のホテルフェアーと違って部屋も豪華で広くて快適。
始まった当初とはだいぶ違い、このフェアーも想定していた以上に規模も大きくなり、環境も整備されてきたようだ。
来られるお客様も作品に関心を寄せ、価格を聞いて来られる方が多く、反応は上々である。
中でも台湾では馴染みの山本麻友香や門倉直子と共に初めて紹介した森洋史やキムソヒが好評で、森の作品は私のところから独立して初参加となった寺嶋のブースに飾られた作品も含めて、早々に完売となった。 私のところで初めて紹介したといっても、彼の作品はすでに2年前から別の画廊で紹介されていて人気も高く、そうした積み重ねが完売につながったのだろう。
また、彼もキムソヒも手伝いを兼ねて一緒に来ていて、作家と直接話ができることも、より作品を身近に感じさせてくれるのだろう。
夜はホテルで開かれた歓迎パーティーを早々に抜け出し、森、キムを連れて台湾家庭料理で二人の労をねぎらった。



5月10日

早朝から台北のホテルフェアーに出発。
当初はスタッフに任せるつもりだったが、任せっきりでは何となく不安で、私も急遽行くことにしたのだが、この私の思いつきが幸いすることになる。

と言うのも、私より一便早くに乗る予定のスタッフから、パスポートの有効期限が過ぎていて、出国出来ないと電話がかかってきた。
期限切れにはまだ3ヶ月ほどあるのだが、帰国する日が3ヶ月を3日ほど超えるので、出国できないのだそうだ。
事故や病気で3ヶ月を猶予期間にすることになっていて、私もそんな規則があることを全く知らなかった。

白金にある台湾の通商部に行って特別にビザを申請しなくてはならず、それも恐らくは身内の不幸などで無い限り、すぐには認められず、会期には間に合わないと空港窓口で言われ、これは大変なことになってしまった。
私が行かなければ、手伝いで行ってくれることになった出展作家のキムソヒと現地の通訳だけになってしまうところであった。

そのキムソヒも遅い便だし、通訳も明日から来ることになっていて、展示は一人でやるしかないと腹をくくって出発することにした。

ただ私も会期途中には戻ることにしていたので、帰りの便を延期するか、代わりのスタッフに来てもらうしかない。
そんな大騒ぎの中、一人会場で展示をしていると、奇跡的にビザがおりて、夜にはこちらに来れることになったとの連絡が入った。
途中から間に合って展示を手伝ってくれたキムソヒと今夜はそうとうなご馳走をしてもらわなくてはと言ってるところへ張本人が現れた。
やれやれ大慌ての1日となったが、大山鳴動ネズミ2、3匹と言ったところだろうか。

なんとかアクシデントを回避できたのだから、明日の初日はきっといいことがあるに違いない。

5月9日-2

鎌倉の画廊に合田佐和子展の展示の手伝いに行ってきた。
体調を崩していて東京まで出ていけないので、地元鎌倉で初めて個展をすることになったそうだ。

小町通りを一歩入ったところにある写真家の十文字氏のお屋敷の一角に一年前に造られた瀟洒な画廊である。
いかにも鎌倉といった美しい日本庭園に囲まれ、高さは7、8メートルはあるだろうか、うらやましいくらいの空間を持つギャラリーで、小町通りの喧騒が嘘のような静寂に包まれ、こんなところでのんびりと画廊がやれたら、どんなにいいだろうと思ってしまう。

体調がすぐれないといいながらも、大作を含め16点を全て新作で発表していて、70歳を過ぎても尚旺盛な制作意欲には驚かされる。
作風もパステルカラーの柔らかな色彩による淡い輝きにますます磨きがかかり、妖艶で魅惑的な女優達の姿を浮き立たせる。

展示を終えて、手伝いに集まった合田さんのお友達と一緒に、画廊の外のテーブルに用意された日陰茶屋のお弁当をご馳走になる。

いつもの私のところの展示とは一味違う雅びな時間を過ごさせてもらった。

5月9日

85歳まだまだお元気なコレクターのことを書かせていただいたが、大阪時代に大変お世話になり、ブラマンクを中心にエコールドパリの作家を集められた和歌山のY氏から久し振りにお電話をいただいた。
会社を十数年前に台湾資本に売却し、悠々自適の生活をされている方だが、しばらくお会いすることもなく、偶々和歌山のお客様の訃報もあって、どうされているかなと思った矢先の電話だけに驚いた。
偶々インターネットで私のことが出てきたので懐かしくて電話してきたそうだ。
40年以上前からのお付き合いでも、こうして電話をしていただけるのだからありがたいことである。
お年を聞くと、なんと満88歳になるという。
とてもその歳とは思えない若々しい声で、話しぶりも当時と少しも変わっていない。
88歳でもパソコンをいじり、私の情報を探し当てるのだから大したものである。
コレクションは止めてしまったそうだが、積もる話もあるので一度遊びに来ないかとのお誘いをいただいた。
折角のお誘いだし、元気をもらいに一度訪ねてみようと思っている。

5月8日

オペラシティーのT氏の所に納品に。
T氏は昨日が誕生日で85歳を迎えたそうだ。
以前から心臓が弱く、画廊に来られてもいつも苦しそうにされていて、私たちをはらはらさせるのだが、どうしてどうして85歳になってもコレクションをされているのだからまだまだお元気である。
伺うと、丁度コレクション作品の撮影をされていて、その中には2メートルはあるかと思われる写真作品も3点ほど混じっていた。
最近手に入れた現代アートの写真作品だそうだが、コレクションの内容も益々若返っていくようだ。
ただ最今の現代アートの傾向には食傷気味で、私のところでも最近は服部知佳、堀込幸枝といった今風とは一歩距離を置いた作品を購入されている。
こうしたコレクションは来年早々のコレクション展で紹介されることになっている。

偶々出かける直前にお見えになった名物コレクターN氏も益々お元気で、こちらもT氏と同い年の85歳なのだが、毎日7千歩を歩いているというから驚く。
昨年、会社の会長職を辞してからは、以前のように画廊廻りをすることは少なくなったが、久し振りにお会いすることができた。
お二人の益々の健康を祈るばかりである。

その逆の悲しい知らせが昨日届いた。
和歌山のN氏宛ての案内状が戻ってきたが、そこには昨年亡くなりましたと書かれてあった。
コレクションの多くを美術館に寄贈し、福岡市美術館では氏のコレクション展が盛大に開かれたこともあった。
長いお付き合いだが、氏とは一度もお会いしたことがなく、電話と写真のやり取りだけでコレクションをしていただいたという不思議なお付き合いだっただけに、亡くなった事も全く知ることがなかった。
昨年の今頃、木村繁之のテラコッタを何点か買っていただき、そのときに電話でお話させていただいたのが最後になってしまった。
確か私と同い年だったはずで、まだまだお元気でいて欲しかったが、突然の訃報に言葉もない。
氏のコレクションが美術館で生き続けている事がせめてもの慰めである。

ご冥福をお祈りする。

5月6日

ゴールデンウィーク中はシドニーに住む長女一家が河口湖にやってきて、次女一家を交えて、久し振りに家族団らんのひと時を過ごした。
子どもの日には快晴の中、富士山をバックに庭でバーベキュー。
手作りパンに手作りピザ、ハンバーガーと焼き鳥、ひき肉と野菜のレタス巻きを朝から準備して、孫達に大サービスの一日となった。



4月28日

快晴の京都とは違って、東京は昨日は一日雨が降っていたとのこと。
それでも芳名帳を見てみるとたくさんの方にお見えいただいたようだ。
イベントに人が流れ、画廊に来られる方がめっきり少なくなっているだけに、イベント同様に少しでも多くのお客様が画廊に来ていただけるのはありがたいことである。
韓国の作家も初めての紹介だけに、多くの方に作品を知っていただければ、紹介した甲斐がある。
多くの日本人作家が海外で売れるようになった反面、海外の未評価の作家を日本で紹介しても中々結果を出すことができないでいる。
こうしたことが続くと、海外が日本市場から離れていくのは自明の理で、今回の京都でも韓国の画廊は苦戦をしていて、次の参加が危ぶまれる。
私も可能な限り他国の作家を日本に紹介して、美術には国境無しを実践していきたい。

明日から6日まで連休とさせていただき、10日からは台北のアートフェアーに参加し、12日からは門倉直子、14日からGTUで中村もえ、21日からは岩淵華林と続く。

4月27日

フェアーは朝から大盛況。
東京からも知った方がたくさんお見えになる。
展示作品の評判も上々で、早々に作品も売約となり、中には絶版になったものもあり、版画の展示も功を奏したようだ。
わざわざ来てくれた韓国作家のリ・ユンボクの彫刻も売れ、何とか面目がたった。
今夜も彼はお酒の量が増えるのでは。
昨夜の疲れもあって、パーティーには参加せずにホテルで早々と寝ることにした。
明日は朝には東京に帰り、こちらの展覧会の最終日を迎える。



4月26日 B

京都アートフェアーの展示を終了。
韓国から参加の画廊さんや作家さん25人を連れて夕食に。
飲むは飲むはでビールや焼酎をがんがん、日本酒も一升瓶4,5本、次々に空いていく。
下戸の私は眼を白黒。
飲み放題のところを選んだが、お店ももうお酒がありませんとあきれていた。
その後もホテルでだいぶ飲んでいたようだが、とても付き合いきれません。

4月26日 A

27日から29日まで新緑の京都で「ART KYOTO」が開催される。
昨年までのホテルフェアー「アートフェアー京都」を拡大し、メイン会場を国立京都国際会議場、サブ会場をホテルモントレーとして盛大に開催される。
私共は当初、連休明け後に開かれる台北ホテルフェアーに参加するため、日程上きついということで、京都への参加を見合わせていたが、昨年韓国テグの画廊協会の会長を京都のフェアーの事務局に紹介したことが実を結び、15軒の韓国の画廊が参加することとなり、紹介者の私も出ないわけにはいかなくなった。
そんなわけで、ぎりぎりになって無理を言って参加させてもらうことになり、サブ会場に出展することになった。
昨年は写真を中心に紹介させていただいたが、今回は版画の復権を願って、版画作品をメーンに紹介させていただく事にした。
偶々、月刊アートコレクターの編集者が来て、次号で版画特集をやるので協力して欲しいとやってきた。
いよいよ時節到来の予感もするのだが。

4月26日

六本木の新国立美術館にセザンヌ展・エルミタージュ美術館展、それに春陽会展をいっきに見てきた。
セザンヌ、エルミタージュ共にこれだけの作品を一同に日本で見ることができるとは、何よりの眼福である。
セザンヌの良さを今一つ理解できずにいたが、こうして時系列的に作品が並ぶと、新たなる絵画を目指した軌跡がよくわかり、ようやくその偉大さを理解することができた。
エルミタージュもまるで美術史を見るように作品が並び、その系統だったコレクションに眼を見張る思いがした。

春陽会展はそうした展覧会と一緒では大変やりづらいのではとお察し申し上げる。
他の団体展に比べて作品数がそれほど多くなくて見やすいのだが、二つを見た後だとどうしても気が入らない。
それでも長いこと私共で発表をしている小浦昇が岡鹿之助賞という最高賞を受賞したことと、海外に作品を紹介をしたり通訳でも世話になっている、韓国出身で多摩美の博士課程に在学中のキムソヒが春陽会賞を受賞と、偶々ゆかりの作家二人が受賞していたことは何よりであった。

六本木でセザンヌ展とエルミタージュ美術館展、竹橋ではポロック、渋谷ではダビンチ、上野でボストン美術館と、いちどきにこれだけの美術展を見ることができるのはさすが東京である。
こういう時は都心に住んでいる有難みをつくづく感じる。
映画やコンサート、芝居もそうだが、こう見てみると東京は世界でも有数の文化都市なのかもしれない。

4月25日

コレクターのMさんがLEE・DONGIOの顔の作品を購入してくれた。
Mさんは顔の作品ばかりを集めているコレクターで、私共とも30年近いお付き合いがある。
最初に買った作品が偶々顔だったことから、顔作品を集めることになったそうだ。
Mさんのようにテーマを決めて集めていると私共も薦める作品がはっきりしていて大変有難い。
同じように長いお付き合いのKさんは裸婦を中心に集めていて、こちらも30年以上のコレクション歴を誇る。
絵画から写真まで多岐にわたる裸婦コレクターである。
Oさんは骸骨絵コレクターとして知られ、昨年は骸骨絵コレクション展を開いた。
病気でコレクションを止めてしまったHさんは幻想とエロス、Oさんは澁澤文学に魅了され、澁澤ゆかりの作家をコレクションしていて、お二人とも私共でもそのコレクションを披露したことがある。
他にも人形を多数集められている方であったり、特定の作家だけを集める方であったりと、個性あるコレクションをされるコレクターは多い。
こうした方はコレクター歴も長く、私どもとも長いお付き合いをさせていただいているが、最近はなかなかこうした個性あるコレクターに出会うことが少なくなってきた。
私共のお客様でなくても、コレクションを見るとどの画廊とお付き合いがあるかがよくわかったものだが、今は画廊の数も増え、そういうことも少なくなってきたようだ。
どういう好みなのかを知り、その好みにあった作品を提供するのも私たちの仕事にとっては大切なことだが、その辺が読みづらくなり、何をお薦めしたらいいか正直わからないことが多くなってしまった。
お客様にとっても旗を掲げることで、いち早く情報が伝わり、好みにあった良質な作品が手に入りやすくなると思うのだが。

4月24日

昨日までの寒さが嘘のような暖かさに。
どんより曇り空も抜けるような青空に。

茶摘の季節になったが、知人のお茶屋さんに今年の出来を聞くと、全くの不作だそうだ。
寒い日が続き、日照時間も少なく、発育も悪かったのだろう。
自然相手はお天気次第、大変な仕事である。
今は停止しているが浜岡原発の10キロ圏内に工場があって、人災はもっと怖いと言っていた。
この工場には綿引明浩の大きなオブジェが展示されていて、東海地震にも耐えられるようにしっかりと固定されているが、作品が放射能汚染をするとどうなってしまうのだろう。
別の知人の方で、原発事故後、それ以前に決まっていて海外に送り出す予定だった作品が、先方から放射能汚染をしていないかどうかを今一度確認して欲しいと言ってきたそうだ。
確認の立会いも怖いので、こちらだけでやって欲しいと言って来たそうだ。

昨年、一年お休みしたが、今年からまた河口湖の畑で家庭菜園を再開する予定で、連休中に種まきと苗植えをすることになっている。
無農薬でとても美味しい野菜が出来るのだが、これからは放射能汚染という余計な心配をしなくてはならない。

4月23日

今日は一日中雨。
ここ何日か肌寒く、しまいかけた冬物がまた出番に。

昨日は寒さに震えながら、長女一家を連れて、代々木公園広場で開催された「TOKYO EARTH  DAY」に出かけた。
「EARTH DAY」とはアメリカのネルソン上院議員が4月22日を「地球の日」と宣言し、環境に関わる問題に対して、人々の関心を高めようと始めたもので、全米に拡がる大イベントとなった。
これが世界に拡がり、日本でも大きなイベントとなった。
今回は特に福島原発のこともあって、参加者も最大規模となり、C.Wニコルさんが実行委員長、加藤登紀子さんが応援団長となって盛大な催しとなった。
代々木公園には数多くの市民団体がテントを張って、環境問題をテーマに出店をしていて、見切れないほどのお店が並んだ。
キッズウィークエンドプログラムと言うものもあって、子どもたちにゲームをしたり、物を作ってもらいながら、環境の大事さを知ってもらうといったプログラムで、連れて行った孫達も寒い中ではあったが大いに楽しむことができた。



4月21日

私のところについにダヴィンチの作品がやってきた。
と言いたいのだが、実はルーブル美術館が作る複製版画で、「カルコグラフィー」と呼ばれるものである。
銅版画の原版14000点をルーブル美術館が所有し、その歴史的な名作を美術館の工房の職人の手によって再版している。
この作品もそうした再版された作品の一つであるが、その出来栄えは見事なもので、ついにダヴィンチを手に入れたと言ってみたくなるような作品である。
描かれた女性はモナリザのモデルになった女性との説もあり、イザベル・デステというルネサンス時代に政治的手腕を発揮した女性で、多くの芸術家のパトロンとなり、ルネサンス文化を支えた一人である。
確かに手の部分を見てみると、モナリザの手と似ているが、モデルについては諸説が飛び交い、未だに定かにはなっていない。
またこの作品を見てわかるように、有元利夫の絵にはこうした作品の影響を受けたことがうかがわれる。



4月20日

「もらっといてやる」で話題になった芥川受賞作家の田中慎弥のデビュー作の一つ「図書準備室」が文庫本となって新潮社より発刊された。
新潮新人賞を受賞した「冷たい水の羊」も併録されているが、その表紙に山本麻友香の版画「APE・ARMS」が使われたので紹介させていただく。
2008年にも最年少で川端康成文学賞も受賞している若手実力派の一人である。
彼のような向こうっ気の強さとプライドの高さも芸術家には必須なのかもしれない。



4月19日

長女一家がシドニーより帰省。
家の中を英語が飛び交い、孫を相手に私の英語力も多少は上達するかも。
長男一家もすぐそばに引っ越してきて、引越しの片付けの間は孫を預かり、更にはその手伝いに次女のところも来ているので、我が家は託児所のようになっている。
家内は初日からエンジン全開で、途中エンストを起こさなければいいのだが。



4月18日

日本版画商協同組合のゴルフコンペ。
河口湖にある私のホームコースで開催。
元気のいい若い画商さんたちに交じって、一日富士の裾野でプレーを楽しんだ。
景気のいい時には画商仲間も盛んにゴルフをやったもので、先輩画商にはシングルプレイヤーがたくさんいたが、私世代ではめっきりやる人も少なくなり、今の時代を象徴しているのか、若い画商たちに勢いがある。
そんなに上手くない私でもまだまだ若い連中に負けないつもりでいるが、スコアーも肉薄され、追い抜かされるのは時間の問題だ。

4月17日

今日は男の料理教室。
いつもの講習日が先日の嵐で中止になり、今日は振替日ということで出かけたのだが、行ってびっくり。
何と教室は女性ばかりではないか。
曜日を間違えたのかと慌てて帰ろうとしたが、振替日に間違いなく、受講をするように引き止められてしまった。
40人近くはいるだろうか、それも若い女性ばかりで、その中に入っていくのはかなりの勇気がいる。
ご想像いただけるだろうか、妙齢の女性の中で一人爺さんがエプロン姿でいる図を、様にならないことおびただしい。
冷や汗、脂汗をかきながらも、親切な女性達の介添えもあって、今日の献立、手作りピザとアサリのクラウムチャウダーが無事完成。

荻昌弘のエッセイに「アメリカ人が作る料理で、クラウムチャウダーとBLTサンドイッチだけははずれがない」と書いてあったそうで、凄く簡単。

通いだして丸2年、和食コースを終えて、きょうで洋食・中華の基本コースが終了するが、記念すべき日となった。
男子専科はこの二つしかなく、今日のような女性に交じる勇気はないので、次は蕎麦打ちコースにでも挑戦してみようか。



4月16日

日本現代版画商協同組合の大会が開催された。
不況下にあって、交換会市場も低迷気味だが、今日の大会は活発な取引が行われ、前年比を20%上回った。
と言っても草間弥生オンパレードで、出るは出るはで、これだけの量でどうしてこうした高値になるのか不思議でならない。
業者間を行ったり来たりで、こうした価格になるのだろうが、行き過ぎのような気がしてならない。
業者間で高くなるケースの要素として、同じような図柄であることも大きな要素の一つとなる。
特に版画の場合には複数あるため、ひとたび動き出すと、極端に言えば眼を瞑っても買うことができるので、似たような図柄に集中してしまうようだ。
赤富士であったり、らくだの行列であったりと、いつのときでも同じような動きとなる。
市場が活性化するのはいいが、偏った動きではなく、内容のある作品にも正当な評価をしてもらう土壌ができてこそ、真の市場回復と言えるのではないだろうか。

4月15日

亡くなった母親の家をリフォームして、長男一家が住むことになり、その工事がようやく終わった。
18日には引っ越すことになっているが、その前に長男の友人の神主さんに来ていただき、清祓いをしてもらった。
スープのさめない距離となり、19日にはシドニーにいる長女一家も帰省し、下の娘一家もそれに合わせてやって来るので、我が家はてんやわんやの大騒ぎになりそうだ。
孫も4人に増えて、来て嬉し、帰って嬉しということになるのは間違いない。



4月14日

またまた土曜日が雨。
私のところは展覧会の初日を土曜日にしているので、出鼻をくじかれるようで、正直言って天気が恨めしい。
それでも朝から山形からお客様がお見えになり、作品を購入していただいた。
遠方より雨の中を来ていただき、その上買っていただけるとは有難いことである。
昨日も展示中に見えた方が購入していただいたりで、久し振りのグループ展だが、幸先はいいようだ。
相澤展と合わせて、雨ニモマケズ、風ニモマケズで頑張るので、応援よろしく。



4月13日

私共で発表をしている内林武史君のアトリエに行ってきた。
銀座からも近く、海も目の前の超穴場にアトリエと住まいを構えた。
以前は機械工場だったようで、とてもそこにアトリエと住まいがあるようには思えないのだが、中に入ると彼の作品と同じような世界が出現する。
夢工場といったらいいだろうか、アトリエ自体が彼の作品のようだ。
自分の手で少しづつ改装をしていき、ほぼ完成をしたそうだ。
アトリエに苦労している作家さんが多いだけに、こんなに広いアトリエ、みんな羨ましがることだろう。



4月12日

パリでカルティエ現代美術財団の主催で大ヒットした「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」の内覧会に行ってきた。
天才タケシのアート力に圧倒されて帰ってきた。
駄洒落に下ネタトークはあまり好きになれないが、映画やアートの力は認めざるをえない。
天真爛漫でその想像力とアイデアーにも舌を巻く。
明るく楽しくアートをエンターテイメントにしてしまった。

タケシはこう語っている。
「この個展を通して、アートって言葉に、もっと別の意味をもたらせたいいなと思う。アートって特別なものじゃなく、型にはまらず、気取らず、みんながすっと入っていきやすい、気軽なものであるべきだと思う。」

  その通りで、見て、触れて、想像して、アートを存分に楽しませてくれた。

  東京オペラシティアートギャラリーで9月2日のほぼ半年にわたり開催される。



4月11日

桜も満開、ようやく春らしい気候となったが、今日は雨模様と強風で折角の桜がはかなく散っていく。
この僅かな間の美しさが、日本人には余計に愛おしいのだろう。

土曜日からはまた二つの企画展を開催する。
一つが「スプリングフェアー」と題して、日韓の若手作家によるグループ展である。
韓国からは卓越したテクニックを持つ3人の作家を初めて紹介する。
ただ上手いだけではなく、それぞれに独自の表現力を持った、韓国でも将来を期待された指折りの作家達である。
日本からは私共で初めて紹介をする森洋史、中村亮一に加え、久し振りの呉亜沙、昨年の個展で好評だった佐藤未希によるグループ展である。
日韓それぞれが負けじと出品した力作を是非見比べていただきたい。

GTUではニューヨークに滞在していた相澤史の私共では2回目の個展である。
プリミティブな作風に若干の狂気を加味した作風が新たな展開となり、大変楽しみな展覧会となった。
春爛漫、心浮き立つこのときを、是非とも若手作家の競演でお楽しみいただきたい。

4月10日

昨日は所属しているロータリークラブの創立55周年の式典が開催された。
私が入会したのが丁度20周年式典の時で、早いもので私も入会してから35年が経ち、古株の一人となってしまった。
今回の記念講演は支援先の一つである自閉所の子ども達と健常者の子ども達とを同じ机で学ばせ、大きな成果を挙げている武蔵野東学園の校長先生にしていただいた。
健常者と言っても登校拒否児等問題を抱えた子ども達だが、そうした子ども達が一緒に学び、一緒に遊ぶことで、それぞれが自立をし、立派に社会に巣立っていくそうだ。
幼稚園から高等技能専修学校まで一貫した教育施設があり、技能を修得した子ども達の就職率は100%近く、離職をする子ども達もほとんどなく、海外からも多くの親たちがこの学校の入学を希望しているという。
こうした大きな成果も創立者の理想に共鳴し、この学校の教職員の大変なご苦労と努力の賜物に違いない。
私の下の娘も3歳の頃から自閉症や知的障害の子ども達と一緒にキャンプしたり、スポーツをしたりするサークルに入ったことで、児童福祉を大学で専攻し、そうした施設で働くこととなっただけに、今回の講演をより関心を持って聴くことができた。
講演のあとは、その学校の子ども達の合唱を聴かせてもらい、一生懸命歌い演奏する姿に心を打たれた。
記念品もこの子達が作ってくれた花瓶をいただき、私たちにとっては何よりの宝物となった。
35年の間に多くの式典があったが、今回ほど心に残る式典はなく、清々しい一日となった。

4月8日

釜山から成田へ。
ホテルも空港も圧倒的に関西のおばさん達。
関西弁が飛び交い、大阪に来てるのではと勘違いしてしまう。
釜山観光はあまり見るところがないと思うのだが、どこに行くんだろう。
釜山港から船で30分ほどのところに「椿島」と言う島があって、チョ・ヨンピルの歌・「釜山港に帰れ」の舞台になったところだそうで、名前にちなんで是非行って欲しいとユンボク君が言っていた。
関西のおばさん達にも教えてあげなくては。

4月7日

朝からフグちり。
バク会長と一緒に来た彫刻家のユンボク君は昨晩飲み過ぎてせっかくのご馳走が食べれない。
朝なのにお店は地元の人でいっぱいで、料金も日本では考えられないくらいに安い。
10年前に来た時も砂浜に魚料理の屋台がずらっと並んでいて、フグ料理などは庶民的な食べ物なのかもしれない。
今はその屋台村は砂浜から道路沿いに移っているが、小さな屋台の中には貝や魚が入った水槽があり、屋台でフグやアワビを食べれるのだから凄い。

食事の後は昨日オープニングで紹介された画廊を訪ねる。
大きなビルに数軒の画廊が入っていて、それぞれが質の高い展覧会をしていた。
その中の一軒では川俣正の展覧会をやっていて、隣りの画廊も品のいい抽象画を飾っていた。
黒を主体に描く日本人作家を探して欲しいと言われ、松谷武判や浜田浄などを紹介出来ればいいのだが。
ギャラリーウーに戻ると日本語ペラペラの古美術商の朴さんが待っていた。
元プロボクサーで白井義男、八尾板などと一緒の頃だそうで、力道山とも親しかったそうだが、今はとてもそうは見えない温厚な紳士で、その当時の話をとても興味深く聞かせてもらった。
お隣の平野古陶軒さんと大変親しいそうで、今度日本に来る時には是非会いましょうということになった。
僅かな期間だが多くの出会いがあり、充実した旅となった。

肝心の個展も大作が何点か商談中で、いい結果が出るのではと期待している。



4月6日

天気は快晴だが画廊が高層ビルの谷間にあって海風がまともに吹きつけるので、外に出ると吹き飛ばされそう。
目の前のマンションは正確には80階建てで、それが3棟あって周りにも同じような高さのマンションがいくつもあり、その間をビル風が吹き抜ける。
韓国は地震の恐れはないが、こうした風の中でもし火事になったりしたら、高層階の人はどうやって逃げるのだろうと余計な心配をしてしまう。

3時からオープニングが始まった。
ウーではお客様がみんな女性なので昼や夕食時間を避けているのだそうだ。
確かに来ているのは女性ばかりで、その後にやってきた釜山の画廊のオーナー達も全て女性である。
韓国は儒教の影響が強く家父長制が残っていると思っていたが、すっかり女性優位になってしまったようだ。

終わって魚料理屋へ。
釜山は海の街なので魚が美味しい。
ひらめが山盛りにでてきたが、甘くてこんなに美味しいひらめは食べたことはない。
ただ釜山式食べ方は変わっていて、サンチュやゴマの葉と海苔を重ね、その上にご飯、キムチ、生のニンニクや青唐辛子を乗せてから、わさび醤油をつけたひらめを挟んで食べるのだからウヘェーとなりそうだが、これがうまいから不思議だ。
明日の朝はテグの画廊協会の会長がフグ屋に連れて行ってくれるという。
贅沢な朝食となりそうだ。



4月5日

釜山到着。
道すがら小さいながらもほぼ満開の桜を見ることができ、日本より一足早い花見となった。
釜山の街はここ数年急激に発展し、今回展覧会をやってくれるギャラリーウーの前にも新しく84階建てのビルが2棟完成し、そのオープンにあわせての開催である。
場所も釜山市内から車で30分ほどの海沿いの海雲台というリゾート地で、高級ホテルや高層ビルが立ち並び、まるでニースやカンヌみたいなところである。



4月4日

今日はロータリークラブの仲間達とのゴルフコンペ。
新たに入会した会員が経営する千葉のゴルフ場で前日とは打って変わっての好天気で絶好のゴルフ日和となった。
明日から釜山に行くことになっていて、ゴルフを終えてからはそのまま成田のホテルに泊まることにした。
釜山の画廊で山本麻友香の個展が開かれることになっていて8日の日曜日まで滞在する。
後二日ほど日本にいるエドウィンさんのお世話はスタッフに任せることにした。
釜山行きの便は成田発しかないが運賃は格安でサーチャージ含めても2万円台で大阪往復とたいして変わりがない。
帰りに次のグループ展用の大きな絵を持ってくることもあって、成田に車を置くことにしたが、ホテルもこれまた格安で朝食込みでも5千円くらいで空港の駐車場に置いておくよりはよほど安い。
泊まった成田ビューホテルは15日間は駐車場はただなので荷物が多く1、2週間の出張や早朝の出発にはこれがおすすめ。
不景気の折、海外出張も倹約・倹約。

4月3日

台風並みの強風で早めに店じまい。
帰宅難民にならないようにエドウィンさんにも早めにホテルに帰ってじっとしているように言っておいた。
それにしてもこんな強い風は学生時代に強烈な台風で葉山にあった我々ヨット部の船が全滅して以来かもしれない。
地震でもないのに我が家のマンションが揺れるのだからびっくりした。
先週の土曜日も凄い風だったが日本列島は神様の逆鱗にふれているのだろうか。

4月2日

ジャカルタのエドウィンさんが来日してからは彼のお世話と私用で自分のところの仕事は一休み。
日曜日は高校のクラス会を終えて、アートフェアーに出展した大阪の画廊さんを交え、エドウィンさん達と月島もんじゃへ。
今日はジャカルタの7月のアートフェアーのジャパンブースに出品依頼をされた画廊さんが集まり、私のところでエドウィンさんとミーティング。
18メーター×3メーターと聞いていた広さの3倍となり、立体主体に出品予定の日本側はそれぞれの作家があまり大きな作品を作れないこともあって戸惑うばかり。
更には同時開催でエドウィンギャラリーで50点ほどの作品で展覧会をしたいと言い出し、7月末という時期だけに一同それは無理ということになった。
話しが大きいのと思いつきで事を進めるのは韓国や中国も同じで、これでいつも振り回される。
こちらは出来ることからこつこつとなのだが。

バックナンバー

2012年1月〜3月 2012年4月〜6月 2012年7月〜9月 2012年11月〜12月

2011年1月〜3月 2011年4月〜6月 2011年7月〜9月 2011年11月〜12月

2010年1月〜3月 2010年4月〜6月 2010年7月〜9月 2010年10月〜12月

2009年1月〜3月 2009年4月〜6月 2009年7月〜9月 2009年10月〜12月

2008年1月〜3月 2008年4月〜6月 2008年7月〜9月 2008年10月〜12月

2007年1月〜3月 2007年4月〜6月 2007年7月〜9月 2007年10月〜12月

2006年1月〜3月 2006年4月〜6月 2006年7月〜9月 2006年10月〜12月

2005年1月〜3月 2005年4月〜6月 2005年7月〜9月 2005年10月〜12月

2002年 10/19-12/28 2003年 前半 2003年 後半 2004年

<

RETURN