大月雄二郎展
2月3日(月)-17日(土)
a.m.11:00〜p.m.6:30(日曜・祭日休廊)
ギャラリー椿
〒104-0031
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F
tel:03-3281-7808 fax:03-3281-7848
E-mail: gtsubaki@yb3.so-net.ne.jp
--関連情報--

2月3日(月)-17日(土)
a.m.11:00〜p.m.6:30(日曜・祭日休廊)
〒104-0031
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F
tel:03-3281-7808 fax:03-3281-7848
E-mail: gtsubaki@yb3.so-net.ne.jp


| 1948 | 神戸に生まれる |
| 1968 | 関西学院理学部中退 |
| 1969 | 山本六三氏に銅版画の手ほどきを受ける |
| 1972 | 渡仏 |
| 1978 | パリで池田満寿夫氏に出会い、ドライポイント技法を習う |
| 1981 | ロラン・トポールとの親交がはじまる。 |
| 1981 | 番町画廊にて初の銅版画展(東京、銀座)/淀画廊 同展(大阪) |
| 1984 | 番町画廊 銅版画、デッサン展/淀画廊 同展 |
| 1985 | Galerie Jean Briance(Paris) 銅版画、コラージュ展 |
| 1986 | 番町画廊 銅版画集『一千一秒物語』展/ |
| Galerie Luber(Philadelphie USA)銅版画展 | |
| 1987 | 番町画廊 オブジェ展 標本箱シリーズ『Out of the Blue』 |
| 村田画廊(東京、町田)コラージュ展/伽藍堂ギャラリー(名古屋)銅版画展 | |
| 1989 | SAGA展Grand Palais(Paris)、銅版画を発表 |
| 1991 | Galerie Laffanour(Paris)にて油彩、オブジェ展/サロン・リネアート(Gent、ベルギー)油彩展 |
| 1992 | FIAC 91 Grand Palais (Paris)にて油彩、オブジェ展/Galerie Laffanourにてオブジェ展 |
| 1994 | Boycott Gallary(Bruxelles)油彩展 |
| 1995 | Galerie Nev(Istambul)にて油彩、コラージュ展 『Istambul, I've never been』 |
| 1997 | Galerie Catrin Alting(Antwerpen、ベルギー)デッサン、油彩、オブジェ展『狩猟の形而上学』 |
| 1998 | Galerie Laffanour (Paris)にてデッサン、オブジェ展 |
| 2000 | Studio Zoro (Paris) 総合展『私は家に帰らない』 |
| 2001 | 東急Bunkamuraギャラリー 油彩、 銅版画、デッサン展『時間の色』 |
| 2002 | セルヴィス・ギャラリー(大阪)油彩、銅版画展 |
| 2003 | 東急 Bukamura ギャラリー『キネマの月』 |
| 2005 | 中京大学アートギャラリー Cスクエア 「世界の意味」を含む総合展 |
| 2006 | Galerie Vallois(Paris)小林モー子とのコラボレーションによるビーズ画展 |
| 「Au fil des perles」 |
| 1982 | Galerie Jean Briance『Le baiser』(Paris) |
| 1985 | Conseil General du Val d’Oise『12人の日本人画家展』グランプリ受賞 |
| 1991 | L’isle sur la Sorgue 文芸アソシエーション『アーティストが遊ぶ時』 |
| 1992 | Galerie Reflex Modern Art(Amsterdam)『ミニチュア美術館』 |
| 1993 | Galerie Vallois(Paris)『アブラム・トポールに捧ぐ』『果物と野菜』 |
| 1994 | 第25回 現代美術展 シャトー美術館(Chteau Muse de Cagne sur Mer、France) |
| 黄金のパレット賞受賞 モンテカルロ 国際現代美術展 Valverde D’Ayala Valva侯爵賞受賞 | |
| 1996 | Galerie Jerome de Noirmont(Paris)『パリ祭』 |
| 1999 | Galerie Accatone(Paris)『ロラン・トポール オマージュ展』 |
| 2000 | 第27回 現代美術展 シャトー美術館(Chteau Muse de Cagne sur Mer)『現代日本のヴィジョン』 |
| 2001 | Galerie Accatone (Paris)『磔刑展』 |
| 2002 | Galerieディリマート(Istambul)『共犯展』 |
| 2004 | FIAC.Galerie Laffanour (Paris)にて写真作品発表『世界の意味』 |
| 2005 | 中京大学Cスクエア 巌谷國士美術評論集「瀧口修造と日本のアーティストたち」展 |
| 2006 | ギャラリー椿 「封印された星」展 |
| Palm Beach 3, Galerie Art Of This Century 「Meaning of Life」USA | |
| Arco, Galerie Art Of This Century Madrid Spain |
| 1986 | 銅版画集 稲垣足穂『一千一秒物語』神戸玻璃館 番町画廊 |
| 1990 | カタログ『夜の端で』(テキスト:ロラン・トポール)Galerie Laffanour 刊 |
| 1992 | Autrement 科学と社会シリーズ 表紙制作 |
| 1995 | カタログ『Istambul, I've never been』 |
| 1998 | 短編私小説『Riang, ma chinoise』(デッサン、テキスト)Dumerchez社刊 |
| 2001 | デッサン、短編小説『耳とひまわり』Les Episodes刊 |
| 銅版画集『幸運のマエストロ』玻璃館刊 | |
| 2002 | 銅版画集『Good-bye to all that』玻璃館刊 |
| 短編小説『Je ne rentre pas la maison』Les Episodes 刊 | |
| 2003 | 銅版画集 稲垣足穂「キネマの月」Paris玻璃館 刊 |
| 2004 | カンヌ映画祭 監督週間 ポスター制作 |
| 2006 | カタログ「Au fil des perles」テキストClemence de Bieville, Galerie vallois 刊 |
・・・タイトルは「世界の意味 vol.1」。今まで多彩な表現を展開されておられますが、写真を発表されるのは、日本で初めてなのでしょうか。2005年に「中京大学アートギャラリーC・スクエア」で発表しましたので今回で2回目になります。
それは絵画においても同じことです。私の写真の場合はまず被写体を作らなければなりません。まずそこから始めました。何故なら、ないものは写らないのですから。
・・・被写体と言われましたが、作品を拝見していると、「物」の持っている歴史をとても感じます。例えば白い人物像は、標本みたいな物なのでしょうか。日本で全身に漢方のツボが記された木製の胴人形は見たことがあるんですけれど。顔に書いてある文字はフランス語ですか。いえ。英語です。脳機能局在論というのがありまして、脳(特に大脳皮質)の(部分ごとに)機能を司っている場所が書いてあります。これはイギリスのものですが、パリの骨董店で見つけました。骨相学の見本です。陶器で出来ているんですよ。医学の模型として使っていたレディーメイドなんです。
・・・乳白色の色合いと写真の光沢がとてもあっていて、すごくきれいないな質感を感じます。鏡面のような肌合いに引き込まれていく錯覚を覚えるといいますか。また、黄色いコートを着た小さな人形を見ていると、ずっと旅をして来てこれからも続けていくのだろうなという印象を受けました。あれは鉛で出来ています。皆古い物ばかりで、ナポレオン3世の頃というか、19世紀の終わりぐらいの物が多いんです。新しい物は撮影していません。物の持っている生きて来た変遷の記憶や、現在に至る来歴など、時間を撮っているような気がするときがあるのです。その時間が面白いといいますか。作られたばかりの物は、生きてきた時間がないので、まだ物にはなっていないように思う。昨日作られたばかりの物を撮りたいとも思わないし、そういうことです。
・・・一点一点の作品が、フィルムの一コマのような気がしてそこから物語を紡ぎ出されているようにも思えますが、2003年に巖谷國士さんが(中京大学アートギャラリーC・スクエア)の解説で言われた「『物』を語る、『物』が語るという意味での物語」という言葉を思い出しました。物語を喚起させるイメージはあるかもしれません。作品はイメージですから、映画でもないしお芝居でもない一つの虚構です。それを撮っているのです。ある種の人形ごっこのような感覚で・・・
大きさというのは本来日常生活の中の自分の基準でいっているわけだから、あまり意味がないと思いますが、みな比較的小さなものです。しかし物の大きさよりむしろ、物の生きて来た「時間」に愛おしさを覚えます。例えば人形は使われたり遊ばれたりして、剥がれたり朽ちたりしていく。ふと今思い付いたのですが、一言で云えば「もののあはれ」のようなもの。そのような感覚を感じてもらえたらと思うのです。
そんなに大げさに押し出すような言葉ではないけれども、その言葉にピンと来たんです。
(c)YUJIRO OTSUKI